【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

力士

2019-08-07 06:52:45 | Weblog

 貴景勝関が大関昇進の挨拶で「武士道精神を重んじ」と言っていましたが、力士って武士でしたっけ? 江戸時代にはたしかに大名が各部屋のスポンサーについていましたが、士分に取り立てられていたわけではありません。もし本当に武士だったら、屋外では常に帯刀していなければならないはずですが、二本差しで道を歩いている力士っていましたっけ?
 というか、「力士」と名乗った時点で「武士」ではないと私には思えるのですが。

【ただいま読書中】『F1サーカス放浪記 ──カメラマンの見たGPレースの歴史』ジョー・ホンダ 著、 グランプリ出版、1988年、1300円

 1967年海外渡航が自由化され、著者はヨーロッパでレース(特にF1)取材を始めました。それから「20年間の歴史」が本書となっています。写真を見たら「なつかしい」と私は叫びそうになります。葉巻型の車体、ナショナルカラーのマシンたち(イギリスは緑、イタリアは赤、フランスは青、ドイツは銀、そして日本は白(と日の丸))、そして「サーカス」。F1のレースはヨーロッパ各地(現在は世界各地)を転戦します。移動してテントを張ってレースをしてテントを畳んで次の場所へ、ということから「サーカス」なのです(実際にはテントではなくてキャンピングカーなどですが)。
 F1世界選手権は1950年に始まり、日本のホンダは64年から参戦しました。
 67年モナコグランプリ、フェラーリのバンディーニはコースアウトしてコーナーの麦わらの束に突っ込みマシンは炎上、ところがレースは中断されず救助活動がおこなわれる脇を他のマシンはつぎつぎ通過していくのに著者は驚きます。今だったら即座にレースは中断、コースマーシャルは迅速に駆けつけるし、そもそも麦わらではないしマシンもそう簡単には出火しないようになってます。しかしこの当時、まるで「死者が出るのは折り込み済み」のような態度でF1は戦われていたのです。
 同じく67年の第9戦イタリアGPでは、ホンダが優勝。著者も大喜びでピットに行くとシャンペンを振る舞われたそうです。はじめはホンダチームは「どこのカメラマンだ? もしかしてスパイか?」といった感じで著者を怪しんでいたのですが(フリーランスのカメラマンは珍しい時代でした)、この頃にはだいぶ馴染んでいたようです。
 68年シーズン、ロータスがナショナルカラーを捨ててスポンサーカラーを身にまといました。ロータスにはやたら先進的な技術をいちはやく採用するイメージがありますが、ビジネスをF1に取り入れるという態度でもやはり開拓者だったようです。ホンダはこのシーズンでF1から撤退。しばらく本業に専念することになります。このあたりから、ドライバーのヘルメットが、ジェット型(とゴーグル装着)からフルフェイス型に変わっていきます。
 70年代は「コマーシャル時代」。F1カーは「走る広告塔」として注目を集めるようになります。車体は葉巻型から平たくなり、車体の下を通過する空気について空気力学が考慮されるようになります。私がF1について興味を持つようになったのは70年代後半ですが、70年代前半から、ニキ・ラウダとかエマーソン・フィティパルディとか“知っている名前"が登場するようになります。そしてマシンの形も少しずつ“見慣れた形"へと進化していきます。写真が多いと、こういった点が“一目瞭然"なので助かります。さらにヘルメットを脱いだドライバーの姿も多く含まれていて、「ああ、こんな人だったのか」と確認できます。レースの時って、全然顔が見えませんから、これは嬉しい。
 76年〜82年を著者は「ビッグ・ビジネス時代」と呼びます。レースの場は「欧米」から「世界」に拡張され、これまでより巨額の金が動くようになりました。フランスの国営企業ルノーが翌年から参戦することが発表され、日本で初めてF1が開催されたのも76年です(この時の日本の新聞記事では「レースは暴走族の延長」扱いでしたが。自動車レースが貴族の子弟の遊びから始まった、とか、ビジネスとして行われているスポーツである、といった観点を一切欠いた、情緒に流れるだけの無教養な文章でしたっけ)。エンジンにはターボが登場。ウイングカーやティレルの6輪車も登場して、70年代後半のF1は、ビッグマネーとハイテクマシンの時代になっていきます。だけど「人」がドライブをし「人」が整備をして競走することには何の変化もありません。
 ルノーによってターボエンジンがF1に搭載されるのを待っていたかのように、ホンダがF1に復帰。前回は車体までホンダが開発しましたが、今回はエンジンだけ供給する体制でした。そしてホンダターボエンジンは世界を席巻しました。87年から鈴鹿でF1GPが開催されることになり、フル参戦をする日本人ドライバー中嶋悟が登場。日本でもF1がやっと正当に評価される時代となりました。
 本書はここで終わります。過去の歴史と言うことも可能ですが、私にとっては自分の人生の一時期としっかり重なっている過去ですからまだ「歴史」と呼びたくはありません。これは私にとっては「現在」の一部なのです。