【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

オムライス

2012-04-30 22:10:01 | Weblog

 私が小さいとき、オムライスは「特別なご馳走」でした。チキンライスだけでも美味しいのに、それをわざわざ薄焼き卵で包んであるのです。フライパンを操る母親の手元を、息を呑んで見つめていましたっけ。
 成人してから映画「タンポポ」で出てきたオムライスも衝撃でした。薄焼き卵ではなくてプレーンオムレツをライスの上に乗せ、そこにすっと縦に切れ目を入れると、中の半熟卵がとろーりとライスを覆っていくのです。「絵」でも「美味しさ」は伝わることを、私はあの映画で学びました。
 で、今日読んだ本にも、オムライスが登場します。小学生でもできるような手順が紹介されていますが、これもまた美味しそう。何と言ってもそこに込められた「思い」が美しいのです。

【ただいま読書中】『給食室の日曜日』村上しいこ 著、 田中六大 絵、講談社(わくわくライブラリー)、2012年、1200円(税別)

 せんねん町のまんねん小学校の給食室では、日曜日になるとトランプ大会が開かれます。常連は、おなべ・しょうゆ・ケチャップ・フライパン。まな板とほうちょうは体育館で体を鍛えています。そこにおたまが衝撃的なニュースを。明日新型のフードプロセッサーが導入され、それにともなって包丁が捨てられる、と。
 なんというか、「おもちゃのチャチャチャ」の給食室版か、と思いますが、もちろん違います。給食室の“住人”たちは、なんと町内のスーパーに買い出しに出かけてしまうのです。一般人に混じって買い物籠をぶら下げたまな板などが歩いている……なんともシュールな絵です。しかも人びとはそれを全然不思議に思っていません。一体どこの町なんでしょうねえ。で、まな板たちはお金を持っていません。当然でしょう。さて、困った。レジのおばさんも困っています。
 そして、オムライスが登場します。そこに込められた人への思いは、本当に暖かいものです。
 私の母親は、どんな思いであのオムライスを作っていたんだろう? 生きているうちに聞いておかなくちゃ。


人生

2012-04-29 17:55:47 | Weblog

 他人のを論評する人がいる。
 自分のを生きる人もいる。

【ただいま読書中】『カネミ油症 ──終わらない食品被害』吉野高幸 著、 海鳥社、2010年、2300円(税別)

 1968年、食用油が原因と見られる「奇病」が出現しました。カネミ倉庫が製造した米ぬか油を使用した家族に、むくみ・吐き気・だるさ・下痢・しびれ・吹き出物などが出現したのです。さらに妊婦では死産・流産が。朝日新聞の第一報から9日後、厚生省は「ライスオイル事件対策本部」を発足させます。そして翌月、製造過程で混入したPCBが原因、と特定されます。原因はわかりました。しかし、治療法はありませんでした。行政は被害者救済をしません。そしてカネミ倉庫は「業績」と「刑事責任を問われる裁判」を理由に補償をきちんとしようとしませんでした(今東電が木で鼻を括ったような態度で被災者に向き合っていますね。それの写し絵です)。
 被害者は裁判を起こすことにし、広く弁護団が結成されます。著者はその弁護団の結成の手伝いをしていた新米弁護士でした。1970年第一次訴訟が提訴されます。カネミの責任だけではなくて、安全な食品提供に関する行政責任も問う裁判でした。国と北九州市は、病気の原因がカネミ油であることを認めますが、行政には責任はない、と主張。カネミは原因が油であること自体を否定しました。
 この裁判がきっかけで、PCBの危険性を指摘する論文が次々発表されます。なんだか後出しじゃんけんの様相ですが、PCBの製造元であった鐘化がPCBの危険性(人間への毒性や金属腐食性)を警告せずに宣伝していたことを訴訟団は重視し、鐘化も訴えることにしました。「製造物責任」を問う、と。
 あの頃は「公害」は誰の責任か、と良く言われていました。政府は「民間企業のせい」と言い、企業は「法令は遵守している」と。「大気汚染なんか、風が吹けばどこかに飛んでいく」と言った政治家もいましたし、実際に当時の大気汚染対策の一つは「煙突を高くする(広い範囲に拡散したら「有害物質の濃度」は下がる)」でした。
 裁判でカネミ倉庫は「毒性を隠してPCBを売った鐘化の責任」、鐘化は「毒物を商品に混ぜたカネミの責任」と主張し、双方とも「被害は大したことない」と主張しました。「被害者」は腸が煮えくりかえったそうです。1978年に一審の判決が出ました。それまで学説でしかなかった「製造物責任」が取り入れられ、鐘化とカネミの責任を問うものでした。カネミは控訴せず。鐘化は控訴。ただし判決では「国」の責任はノータッチでした。
 鐘化の対応はなかなかのものです。まずは強制執行の妨害(銀行預金などを別の場所に組織的に動かします)。ついで「訴訟を起こしていない人には見舞金を払う」と原告団の分断を狙います。しかしそれは上手くいきませんでした。
 原告団は「国の責任」を追い続けます。実はカネミ油症の前に「ダーク油事件」がありました。カネミ油の製造工程で生じる「ダーク油」が飼料として売られていて、それを食べた鶏が大量に死んでいたのです。しかしそれは農林省の管轄で、情報は政府内で共有されませんでした(それどころか、農林省は調べもせずに「食用油は安全」と言っていました)。もしそこで「原因究明」がきちんと行なわれていたら、「PCBの人体実験」は生じなかったかもしれません。
 福岡高等裁判所は国に和解を勧告します。国は拒否(「一審では国の責任は問われていない」「和解で保証金を払ったら、前例になるし税金の無駄遣いになる」などが理由でした)。結果は原告全面勝訴。当然国と鐘化は最高裁に上告します。同時に「被害者支援」のために「カネミ倉庫をJAS認定工場とし、政府保有米をできるだけカネミ倉庫に預けて収入を増やす」措置をしました。
 ところが第二陣福岡高裁の判決は国の全面勝訴。そして最高裁は口頭弁論を開くことを決定します。これは判決の変更を意味します。つまり、「お上に逆らう裁判は勝てない」。……と思ったら、最高裁は秘密裡に著者に和解交渉の打診をしてきました。裁判での「和解」ですから「全面勝訴」ではありません。1987年原告団は「鐘化に責任がないが、これまで支払った金額にプラスして21億円を支払う」という、モヤモヤした勝利を得ることになります。……これ、ニホンゴですか?
 国は和解を拒否します。結局原告団は訴訟を取り下げ。そこで新たな問題が生じます。これまで国は仮執行で27億円を払っていました。ところが訴訟は“なかったこと”になったのですからこのお金は「不当利得」となり、原告は返還義務を負ったのです。
 小学校の時、「瞬間的な屁理屈をひねり出すことが絶妙で、絶対に口げんかに負けない子」がクラスに一人くらいはいませんでした? なんだか「そういった子」がそのまますくすくと成長したのが司法の世界にはたくさんいるのかな、なんて思ってしまいます。
 やがてカネミ油症事件は世間からは忘れられていきます。しかし、環境ホルモン騒動でまたスポットライトが。カネミ油症被害者の体内にダイオキシンが高濃度に含まれていることがわかったのです。さらに日弁連は、40年以上も実態調査もされずに被害者が放置されていることに対して、人権救済の申し立てをします。
 水俣病でも同様なことを感じましたが、国の態度は筋金入りですね。徹底的に無関心です。というか、関心を示したら責任が生じるから「無視」するしかないのでしょうが。で、その態度が今度はフクシマに出なければいいのですが。最初「口」では良いことをいろいろ言っておいて、いざ法制化の時にはくどくど“絶妙の屁理屈”を言って逃げるのが得意ですから……って、「そういった子」のなれの果ては政界にも多いということ?


教育

2012-04-28 19:15:09 | Weblog

 何かを教え込むことも必要でしょうが、それはいわば“肥料”であって、そこにどんな種(自分の人生の目標)を蒔くかを自分で決める力を持てるようにすること、そしてそこに蒔いた種をきちんと育てる(目標を達成する)力を持てるようにすること、それが教育の目標なのではないかと私は考えています。「いつどんな種を蒔き収穫をいつやってどのくらいの収量を得るか」を全部他人が指示するのは、「教育」ではなくて「ノルマ」でしょ?

【ただいま読書中】『海上保安庁の仕事につきたい!』私の職業シリーズ取材班 著、 中経出版、2011年、1200円(税別)

 24歳の下真也(しもしんや)という青年の中学生時代から話は始まります。小学生の時プールで25メートルも泳げなかった少年が、中学時代にあるきっかけから「人を救う職業」に憧れを感じ、高校で目標を海上保安大学校に絞ります。勉強が苦手だったのに目標が定まると猛勉強も苦ではなくなります。見事に合格(ちなみに、海上保安大学校の学生は、すでに国家公務員です。ですから試験は「入試」ではなくて「学生採用試験」だそうです)。他にも海上保安官になる道は、海上保安学校・有資格者を対象とした海上保安官採用試験・国家公務員一種採用試験があるそうです。
 海上保安官の仕事は多岐にわたります。海上の治安維持・海難救助・海上交通の安全確保・海上防災や海洋環境保全……「海の警察官」「海の消防士」さらには「海の環境省」まで兼ねているようです。
 大学は全寮制。その日課は、見ただけで「きっつー」と言いたくなるものです。でも、これは“スタート”にすぎませんでした。下さんは学生時代に潜水士になろうと決心し、さらにハードな訓練に突入していきます。そしてついに憧れの潜水士に。しかしそれが“ゴール”ではありません。次に下さんが目標にしたのは、海難救助のスペシャルチーム「特殊救難隊員」です。この訓練がまたハード。どことなくイギリスの特殊部隊の訓練を思わせる部分もあります。
 しかし……潜水士が(死体の回収ではなくて)「生きている人」を救助できるのは在職中に一回あるかどうか、だそうです。そのためにここまで毎日ハードな訓練をするとは、本気で「有事に備える」のは大変なことなんですね。
 他にも、通信士・通訳士・航海士・灯台守・機関士……いろいろな「海上保安官」がいます(原子力発電所の警備をやっている保安官もいます)。それらからいくつか具体的に「どうやってその職に就いたか」が紹介されますが……人の人生って、本当に様々なんですね。一直線の人もいれば紆余曲折の人もいます。そういった「様々な人の集団」だからこそ「総合力」で勝負できるのかな。


音は似ている

2012-04-27 20:38:31 | Weblog

 君を二度と離さない
 お前とは二度と話さない

【ただいま読書中】『黒幕・疑惑の死 ──ロッキードから豊田商事事件まで』吉原公一郎 著、 東京法経学院出版、1986年、1200円

 推理小説では「その殺人でもっとも利益を受けるのは誰か?」を考えたら真犯人に到達する、というのが一つの王道です。本書でもそれと同様、「その死(あるいは沈黙)で最も利益を得るのは誰か?」という文脈でものごとを考えようとしています。
 ロッキード事件について著者は週刊読売に連載記事を書いていましたが、「アメリカから児玉暗殺指令が発せられた」という記事を掲載した号が店頭に並んだ日、児玉誉士夫暗殺を狙った軽飛行機が児玉邸に突っこみました。そういえばそんなことがありましたね。
 児玉誉士夫はA級戦犯として収監されました。児玉機関は軍の汚れ役として様々な活動をした、と言われていますが、あまり証拠は残っていません。そして「暗殺未遂」以後、児玉は沈黙を守り、それによって“誰か”が利益を得た様子です。
 ダグラス・グラマン事件では、日商岩井の島田専務が謎の転落死を遂げました。なんでも、心臓に千枚通しを刺したが死にきれず、つぎに肥後の守(鉛筆削りなどに使った、小さなナイフです)で左の手首を腱が切断されるほど切り、つぎに肥後の守をその左手に持ち替えて右首を前から後ろにざっくりと切ってそれでも死にきれず、窓から身を投げた、のだそうです。なんだかとっても不自然ですが、警察は最初から「自殺」と断定。その“シナリオ”から、絶対に離れようとはしませんでした。
 1981年の「日昇丸沈没事件」にもまた奇怪な「死」があります。突然浮上した潜水艦によって貨物船日昇丸は沈没しましたが、漂流する救命筏の上をP3Cが旋回し、左右には潜水艦の潜望鏡がにらみつけますが、救助は来ません。そして、そのとき行方不明になった船長と一等航海士は、事故から2週間後に水死体で見つかりますが、明らかに死後2~3日の状態でした。では「失われた10日間」に何が? ここでも「不審な死体」と「真相究明のサボタージュ」がセットで登場します。これが前者だけだったら「不思議な事件」ですが、後者が加わると「陰謀」へとコトが“レベルアップ”できるんですね。もちろん根拠なしの「陰謀説」は妄想と紙一重ですが、本書では“補強証拠”として「ラロック証言」が上げられています。それを読むと、単なる「陰謀説」ではなくて「陰謀」なのか、と私には思えてきます。
 そして白昼堂々行なわれた豊田商事会長殺害事件。これも「悪人を成敗する」形をとった「口封じ」にしか見えません。この殺人で一体誰が“得”をしたんでしょうねえ。



これも個人主義?

2012-04-26 19:09:24 | Weblog

 自分のわがままを周囲の迷惑を顧みずとにかく押し通す(庶民)。
 自分個人の好みを権力の行使で他人に強制する(権力者)。

【ただいま読書中】『その仕事は利益につながっていますか? ──経営数字の「見える化」が社員を変える』ジャック・スタック 著、 神田房枝 訳、 ダイヤモンド社、2009年、1600円(税別)

 著者の主張によれば、会社を安定させるたった二つの方法は、業種に関係なく、「利益を上げること」「資金を作りだすこと」です。それ以外のものはすべて上の二つの目的を達成するための手段となります。そして、著者の会社SRC社では、会社員全員が「ゲーム」のプレーヤーである、と定義づけられます。「ビジネス(会社の経営)」は「ゲーム」である、と。そのための基本的な道具は「損益計算書」と「貸借対照表(バランスシート)」です。全社員がそれを理解し使いこなせること、それによって「会社の利益」と「個人の利益」が両立するようになる、と著者は言い、それを実践しています。
 逆に無視するべき「神話(会社のマネージメントで当然の常識と思われていること)もあります。本書で挙げられているのは、「正直者は損をする」「いい人は成功できない」「管理職という仕事は答えを出すことだ」「早く昇進させることは間違いだ」「全体のことは気にせず、ただ自分の仕事に専念する」。すべて著者が現在の会社を作る前の工場で“学んだ”ことだそうです。そしてその「神話」がなぜ間違っているのか、一つ一つ具体的な反証が上げられます。
 ところで、「数字」を扱う前提条件があります。その一つが「管理職と社員の間の相互の尊敬と信頼」。それはそうですね。信頼関係のない人間が示す数字は信用できませんもの。また「社員に成功体験があること」も重要だそうです。
 さて「経営革新ゲーム」が始まりました。ゲームと言いますが「リアル」です。報償は、社員には「ボーナス」と「雇用の拡大」、会社には「業績の向上」と「株価の上昇」。何より大切なのは、社員に「達成感」がもたらされることです。数字を理解し、その数字を改善するために自分に何ができるかが見えると、人は自発的に効率的に動き始めるのだそうです。そして自分の動きによって会社全体の目標が達成できたら、その達成感はとんでもないものになるでしょう。
 そうそう、著者はボーナス制度についてこんなことを言っています。「ボーナス制度で、ある社員が勝って他の社員は負けるというやり方は、私は間違っていると思いますね。だって負けるべきなのは本来、自分たちのライバル会社であるべきでしょ?」
 こんなことを平気で言える著者だから「社会を変えるのはビジネスだ」という主張もさらっとできるのでしょうね。もちろん政治にも著者のやり方(情報の公開、民主的な会議、個人の自由と責任を重視)を政治的なやり方で持ち込めば、イマノジダイの閉塞感はちょっとは良い方向に変わるかもしれません。


図書館の利用

2012-04-24 18:44:39 | Weblog

 県立図書館も市立図書館も最近もっぱらネット予約で本を確保するようになりました。これだと、入館するなりカウンターに行ってカードを差し出すだけで用が済むので、時間がずいぶん節約できます。すごく余裕があるときには館内をお散歩しますけれど。
 最近、県立図書館の本の受け渡しに市立図書館が使えることを発見しました。ネット予約をするときにどこの市立図書館で受け取るかを指定できるのです。市立図書館への発送が週に2回だけとか市立の返却ポストが使えないとか、制限は色々ありますが、これはこれでずいぶん便利です。わざわざ往復1時間かけて県立図書館まで行かなくてもよいのですから(市立図書館の一つは、通勤経路の途中なのでほんのちょっとの寄り道ですむのです)。
 ただ「どこの図書館で借りているか」「いつ借りたか」「返却期限はいつか」というバラバラのデータの管理が大変。特にすでに予約が入っていて他の本とは別の日に借りて帰った場合など、記憶では絶対まちがえそう。スケジュール管理ソフトを使おうかとも考えましたが、Macに標準で入っているのはその目的にはちょいと使いにくいので、表計算ソフトで一覧できるようにしました。3つの図書館で最大でも18冊ですから1ページで十分です。目視と手動で管理します。
 ただ、よくよく調べると、地元の国立大学や私立大学の図書館もこのシステムに連携している様子です。ううむ……

【ただいま読書中】『びんの話』山本孝造 著、 日本能率協会、1990年、1800円

 王冠栓ができたのは19世紀末ですが、当時の壜は人が吹いて作っていたため口のサイズや形がばらばらで、それにマッチングさせるために苦労がありました。しかし20世紀初めに壜製造の精度が上がり王冠栓が普及することになります。
 壜を運ぶ箱(通い箱、P箱)にも「歴史」があります。かつては木製で馬車で壜は運ばれていましたが、それがプラスチック一体成形になることにより、物流革命を起こしたのです。
 日本では「一升瓶」はある意味“定番”ですが、それが普及するに当たっては、アメリカの禁酒法(日本向けの壜の出荷が増えた)や関東大震災(設備更新が容易になった)が大きく影響しています。
 コカコーラのびんの移り変わりも、写真を見るだけで楽しいものです。はじめはただの円筒形で針金が付いた栓がしてありますが(1894年)、やがて小型のビールびんのような形になり、「くびれ」が生じたのが1915年。
 牛乳瓶の場合には、「びん」の前にまず「牛乳」の普及で先人は苦労をしました。日本人に馴染みがない飲料であることもありますし、衛生の概念がまだなかったことも問題でした。森鴎外は牛乳に牛糞が混じっていることを扱った論文も書いています。
 日本のビールは、まずは輸入で始まりましたが、すぐに国産化が始まりました。壜もはじめは輸入ビールの空き瓶のリユースでしたが、やがて国産化されるようになり(そこでとんでもない苦労があります)、ついで機械によるびん製造も始まります。
 ワインの壜の話も当然あります。こちらはワインの製法ともからむので、話が複雑ですが、著者は楽しそうに歴史を逍遥します。
 本書には楽しいトリビアが豊富です。
 明治時代、日本のビールの栓は(現在のほとんどのワインと同じような)コルク栓で、抜くのが大変だったそうです。明治33年には「金線サイダー」が王冠を採用し、「王冠栓がサイダー」「玉壜がラムネ」が日本の“常識”になります。
 牛乳の紙容器についても、おもしろい形やその製造法がいろいろ紹介されています。そうそう、牛乳瓶も最初は王冠にしようとしたのですが、結局それと「形」が似ている「紙の蓋」+「薄い覆い紙」になった、というのは冗談のような本当の話です。
 そして、缶にもおもしろい歴史が。1824年製造の食肉の缶詰には「たがねとハンマーで缶の上部を切れ」と取扱説明があったそうです。実用的な缶切りが登場したのは、1870年になってから……ということは、それまで皆さんどうやって缶詰を食べていたんでしょうねえ。戦場の兵隊はライフルで缶を撃って穴を開けたりもしたそうです。兵隊と言えば、第二次世界大戦に戦場で缶ビールの味を覚えた人たちが復員することで、アメリカには「缶ビールの市場」が形成されたそうです。


hakusai

2012-04-23 18:58:33 | Weblog

 白菜から「は」が抜けたら「臭い」ですが、その前にHだけが抜けたら悪妻になります。ふうむ、悪妻って、Hじゃなくて臭くなる前の存在?

【ただいま読書中】『機械仕掛けの神 ──ヘリコプター全史』ジェイムズ・R・チャイルズ 著、 伏見威蕃 訳、 早川書房、2009年、2300円(税別)

 1909年10月27日、ウィルバー・ライトは訓練飛行の合間に、妹の友人セアラ・ヴァン・デマンを乗せて飛行しました。世界で初めて女性が空を飛んだ歴史的なできごとですが、4分後に地上に戻った彼女はすまして言いました。「とってもすてき。鳥たちが歌うわけが、いまわかったわ」。
 最初の気球が飛行した後、人びとは「自由に空を移動する」ことに憧れました。ロシアのロマノソフの構想を元にフランスのローノイとビアンヴジュが1784年に小さな動力飛行模型を作って公開実験をしています。鯨の骨を使った一種のゼンマイを動力に二枚のブレードをそれぞれ反対方向に回す仕掛けで、ちゃんと飛びました(上がって降りるだけでしたが)。ヘリコプター(というか、すべての“飛ぶ機械”)の御先祖様です。
 20世紀初頭に「われこそはヘリコプターの飛行に成功した」と名乗りを上げた人が続々登場しましたが、公的な証拠はありませんし、そもそも「ヘリコプター飛行」のきちんとした定義さえない状態でした(距離か高度かホバリングの有無か、など)。多彩な発想による様々な試作品が登場しますが、その絵を見るだけで人の発想の豊かさに感心できます。
 まず実用化されたのは「オートジャイロ」でした。飛行機の主翼を取り、その代わりに機体の上に動力なしのローターを設置したものです。揚力は風を受けて回転するローター、前進力は機首のプロペラで得るわけです。「飛行機」ですが、強い向かい風があればホバリングが可能でした。1920年代にオートジャイロは試作機から実用機へと進化します。こうしてヘリコプターが登場するための“地均し”が行なわれました。
 さて、やっとシコルスキーが登場します。帝政ロシアで航空機やヘリコプターを開発していた彼は、白系ロシア人だったため、革命と戦争(第一次世界大戦)に追われて渡米。ニューヨークで食い詰めますが、シコルスキーはどん底からはい上がります。この話だけでも“一冊の本”です。
 ヘリコプターにできて飛行機にできないことに「人命救助」があります。民間人の救助が初めて行なわれたのは1944年4月のことでした。太平洋戦線に配備されたのは1945年。ビルマやフィリピンで部品搬送や負傷者後送に使われました。ちなみに、米陸軍の日本本土上陸作戦計画では、ヘリコプター使用が前提だったそうです。
 ヘリコプターを活用した戦闘の“実験場”となったのが朝鮮半島でした。そこで有用性が確認されたため、武装ヘリコプターが開発されます。その“実験場”はヴェトナムでした。
 報道にもヘリが活用されます。見た人が「いますぐテレビをつけろ!」と友人に電話したくなる画面を求めて、熾烈な競争が行なわれています。

 著者は実際にヘリコプターの操縦を学んでいますが、操縦は大変そうです。サイクリック・スティック(操縦桿)はローターの回転面を傾けて機体の水平方向の動きを生みだします。座席左のコレクティブ・レバーは主ローターのブレードの角度を変えることで上下方向の動き。アンチトルク・ペダルは尾部ローターを調節してヘリの向きを変えます。この三つを“操縦”することで、三次元の中でパイロットはヘリコプターを動かすわけです。言うのは簡単。やるのは大変でしょうけれど。
 細かい話ですが「オートローテーション」についての説明が私には新情報でした。エンジンが止まっても主ローターが回転していたらその力でふわりと軟着陸できる、というイメージを持っていたのですが、そうではなくて、ヘリコプターが前進をしていたらエンジンが止まってもオートジャイロと同じく主ローターが回転しながら“主翼”として機能する、というものでした。つまりホバリング中にエンジンが止まったら、すとんと落ちてしまうわけです。
 タイトルの「機械仕掛けの神」は、古代ギリシアの劇からですが、それがどうヘリコプターとつながるのかは、本書をお読みください。小難しい話ではありません。そうそう、映画「2001年宇宙の旅」とヘリコプターの関連も本書で取り上げられています。それが何か、は、読んでのお楽しみ。



仮説

2012-04-22 07:24:51 | Weblog

 「仮説」という言葉を私は最初に“文系”の文脈で覚えました。国語辞典に載っている「ある現象を合理的に説明するために仮に立てる説」という意味です。のちに“理系”の文脈で「帰無仮説」を知り、頭がぐらんぐらんしましたっけ。私個人の知の“地平線”は広がったので、それはそれで良かったのですが。

【ただいま読書中】『はじめに仮説ありき ──明日を拓く“技術屋魂”の世界』佐々木正 著、 クレスト選書、1995年(96年3刷)、1456円(税別)

 著者は本書を執筆当時シャープの顧問です。本書では「仮説」は、「(企業の)哲学」とほぼ同義に使われています。あるハードウエア(たとえばシャープの製品)に込められた「ポリシー」とか「道(技術ではなくて技道)」とか「ビジョン」。
 最初の「仮説」は「(当時は企業のための器機であった)電卓が将来はパーソナルなものになる」でした。著者がそれを主張した当時、それは単なる「思い込み」「ホラ」扱いでした。しかし著者は半ば強引にその「仮説」を実証してしまいます。
 トランジスタはICとなり、著者はMOS-LSIを採用しようとします。しかしMOS-LSIはまだ新しい技術で歩留まりも悪く、日本のメーカーは全部、アメリカのメーカーもほとんどがその話に耳を貸そうとはしません。唯一、ロックウェル社だけが(おそらく清水の舞台から飛び降りる気持ちで)MOS-LSIの生産を始めることにしてくれました。昭和44年(アポロの初めての月着陸の年)シャープはLSIを使用した電卓を送り出しました。電卓は大ヒット、日米ともメーカーは電卓とLSIに注目するようになります。そのため著者は日本のある半導体メーカーから「国賊」呼ばわりをされました。貴重な外貨を大量にアメリカに流している、と。でもそこは、はじめに著者が国内で「製造をしてくれ」と頼んで回ったときにけんもほろろで断ったところだったんですけどねえ。自分が儲け口を断っておいて、その鬱憤晴らしのために「国賊」呼ばわりとは、情けない輩です。どこのメーカーの誰だったんだろう? 本書には固有名詞がありませんが、知りたいなあ。
 電卓は部品がどんどん減りとうとうワンチップの時代となります。では次は? 著者はLSIの次は超LSIと考えますが、それは失敗“仮説”でした。マイクロプロセッサーの発想が会議で出たのを潰していたのです。さらに「答一発カシオミニ」の登場。「もっと良い技術」ではなくて「機能を削ぎ落としても、市場が求めるもの」を提供したカシオに、著者は素直の頭をさげます。
 電卓には激しい価格競争が起きますが、著者は“次”はまた技術競争だと考えます。もっと小さく薄い“パーソナルな電卓”だ、と。そこで必要なのは、もっと小型の電池、そしてもっと薄い表示画面(つまり液晶)です。著者はまたもや「ほら吹き」と呼ばれながら、液晶に向けて驀進します。
 「予言」も本書にはたくさん含まれています。たとえば「現在(本書出版時)液晶で日本はトップランナーだが、それはいつまでもは続かない」とか「消費者が企業の製品を文句を言わずに使い続ける時代はもう終わろうとしている」とか。
 19歳の孫正義(当時どこの馬の骨かわからない学生)は、翻訳ソフトを売り込みにまず松下電器を訪問しましたが門前払いでした。次に訪問したのがシャープ。現物を見た著者は約1億円で買い取り、松下よりも早く翻訳機能付き電卓を市場に出すことに成功しました。すると松下幸之助が自社の幹部を対象に講演をしてくれと著者に依頼を。「シャープの佐々木に話を聞いて、勉強しなおせ」と直々の指令だったそうです。驚いた著者ですが社長に相談、こちらでもすんなりOKが出たそうです。なんというか、面白い体験ですね。著者自身が「理解者」に出会えたことで「成功体験」を得たのですが、今度はその「お返し」ということだったのかもしれませんが、孫正義との縁はその後も続くことになります。
 「日本的」とまとめて言ってしまいがちですが、その中にもよいものもあれば悪いものも混じっています。それらに対して、著者は建設的な提言を行なっています。前世紀の本ですから、もう古くなっているところもありますが、その“芯”の部分はまだまだ使えます。それこそ「哲学」の部分が。



わが家で夕食

2012-04-20 18:40:15 | Weblog

 私の父親は、営業系だったので「つきあい」と称しての、飲みや麻雀やあれやこれやで夜遅く帰ってくるのがふつうでした。でも、なぜか必ず夕食(というか夜食)を食べるのです。よそで食べたり飲んで腹一杯でもね。だからどんどん太っていったのですが、やっぱり「わが家で夕食」には、価値があったのでしょう。
 私もやはり夕食はわが家で食べるのが好きです。若い頃には何日もずっと職場に張りつけ、なんてこともありましたが、最近は夕食時には帰宅できることが可能な職場なので、夕食が家で食べられないのは1箇月平均で3回程度です。
 ところが最近、なぜか忙しい。わが家で夕食が食べられないことが増えています。先週末は二泊三日の出張があったせいもありますが、指折り数えたらこの2週間で自宅で夕食を食べたのは6回だけ。一家団欒を死語にしたくないなあ。

【ただいま読書中】『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』鈴木尚 著、 東京大学出版会、1985年、3800円

 昭和32年、戦災で廃墟となった増上寺で徳川将軍墓の改葬が行なわれました。著者は寺と徳川宗家の理解を得て、総合的学術調査が行なわれることになりました。正式な報告書は昭和35年に出版されましたが、本書はその“普及版”で、さらに別の大名たちの調査結果も加えられたものです。
 縄文時代の「日本人」は、男子で身長は150cm台、大きな頭で顔は幅広く突出した眉間と高く隆起した鼻、受け口、という“立体的”な顔貌でした。古墳時代には160cmと少し背が伸びますが、やはり大きな頭、顔は扁平でひどく低い鼻でした。そこから日本人の身長は、江戸時代まで低下を続けます(江戸時代には縄文時代以下の身長です)。
 徳川将軍たちの顔は、最初は武士だったのがだんだん公家化していったと言われます。3代目家光から正妻は京都の親王家や公卿から迎えるようになりましたが、そういった正妻との間の嫡男が将軍家を継いだ例はなく、側室から生まれたものが後継となりました。ということは「京都の血」が混じることがその顔貌の変化の原因ではなかった、ということになります。
 6代将軍家宣は(当時の江戸の町人が大体丸顔だったのに対して)細面で反っ歯でした。これは父親の綱重からの遺伝でしょう。9代家重は、容姿は立派だったそうですが、食生活での咬耗はほとんどありませんが、歯はずいぶん特殊なすり減り方をしていました。常に歯ぎしりをしていたようです。12代家慶は顔は長く顎はしゃくれて印象的な顔立ちとなっています。当時の肖像画と頭蓋骨からの復元図が並べられていますが、そっくりです。歯はひどい乱ぐい歯ですが、咬耗はほとんどなく、あまり固いものは食べていなかったようです。14代家茂は虫歯だらけです。エナメル質が極度に薄いという体質に加えて甘い物好きが祟ったのでしょう。
 副葬品もいろいろなものがあります。秀忠は火縄銃。家茂は金側の懐中時計。時代を感じさせますねえ。
 正室の調査もあります。有名なところでは皇女和宮。典型的な貴族顔で四肢はとんでもなく華奢。「替え玉説」があったはずですが、骨から見るかぎりどうも「本物」のようです。美人なのは桂昌院(3代家光の側室、5代綱吉の実母)。出自通り当時の江戸庶民の特徴を持った顔ですが、丸顔でも下顔部が狭く、反っ歯ではなく(当時の庶民女性の多くは反っ歯)鼻の秀でた美人、というのが著者の結論です。
 徳川家だけではなくて、各地の寺院に埋葬された江戸大名たちの遺骨調査から、血縁を越えた「骨の貴族化」が見えてきました。江戸庶民は、長頭・丸顔・低い鼻・反っ歯が典型で、少数派として面長・高い鼻・反っ歯は弱い、という“現代的”な顔が混じっていました。それに対して、低身長・大頭・中頭または短頭・狭顔・高い鼻・顎骨の縮小・歯の咬耗が弱い、といった現代の日本人の形質が「貴族化」によって江戸時代に生じていました。その原因は「食生活」にあるのではないか、が著者の推定です。端的に「咀嚼器官の発育不全」と表現されています。たしかに現代人の食事は、昔の貴族と同等、あるいはそれ以上ですからねえ。
 頭蓋骨の写真というのは見るものとしてそれほど気持ちの良いものではありませんが、実に様々なものを私たちに語ってくれるようです。


不自然

2012-04-19 23:20:04 | Weblog

 人工物は基本的に“不自然”です。
 では「道」は自然でしょうか不自然でしょうか。不自然? では、獣の踏み分け道は? 自然?

【ただいま読書中】『なぞの金属 レアメタル ──知らずに語れないハイテクを支える鉱物資源』福岡正人 著、 技術評論社、2009年、1580円(税別)

 「レアメタル」と言えば「ハイテク」「中国」と返したくなりますが、さて、その「正体」は?
 実は定義は完全に確定したものではありませんが、日本では31種類の鉱種が「レアメタル」と(現時点では)呼ばれています。ニッケル・マンガン・白金といった“ポピュラー”なものから、レニウムはハフニウムといった「それ、何?」と言いたくなるものまで、いろいろです。
 生産量が少なく生産者が限られていることから、「標準価格」は存在せず、価格変動は激しいものになっています。
 宇宙ができたときの最初の原子は水素で、恒星内部の核融合で鉄までが生成されました。それ以上原子番号が大きな元素は超新星爆発で生みだされた、と考えられています。他の惑星と比較して、地球ではレアメタルは比較的地表に近いところにありますが、それでも重たい元素は惑星生成時に下に沈みがちです。
 ここで、プレート・テクトニクスが登場します。地球の歴史も登場します。「鉱山」とか「鉱床」がどうやってできたのかを知るためには、そういった知識が必要なのです。本書では楽しそうに、火成鉱床はうんぬん、堆積鉱床はかんぬん、変成鉱床はあれこれ、と述べられています。さらにこの大分類が細かく分かれて話はややこしい。
 「レアアース」は、分離が困難な17元素の総称です。それが豊富に埋蔵されているのが、中国。1980年代までアメリカとオーストラリアが世界で最大の生産国でしたが、それ以降は中国が世界のシェアをほぼ独占しています。当然そこには「経済」と「政治」がからんできます。端的に言うなら、中国と友好関係を維持できるのかどうか。
 そこで日本が狙うのが、海底です。マンガン団塊と熱水鉱床ですが、問題はコスト。深海底から(環境に配慮しつつ)採取するコストと、それを濃縮するコスト。それが陸上の鉱物資源と競争可能かどうか、です。
 レアメタルの主な利用先は、特殊鋼添加物、いわゆるハイテク製品(二次電池、モーター、液晶パネル、超硬工具など)、触媒(自動車の排ガス浄化など)です。生産地だけではなくて、消費地も世界的にはずいぶん偏っています。そこで登場するのが「都市鉱山」。
 なお、政府も7鉱種(ニッケル、クロム、タングステン、コバルト、モリブデン、マンガンバナジウム)は「国家備蓄」をしています。ただしタテマエは60日分で、実態は24日分だそうです。万が一の時、日本は持つのかな?(第二次世界大戦の時、精密工具のためにダイヤモンドが必要でナチスが苦労したことを思い出します)

 いっそバイオテクノロジーと結合させて「レアメタルを濃縮する植物」を開発したら、売れるかもしれません。その派生技術として「放射性物質を特に好んで自分の体内に濃縮する植物」ができるかもしれませんが、こいつは放射線ですぐ突然変異を起こしてしまいそうですね。