【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

野蛮人の火刑

2016-05-31 06:51:04 | Weblog

 魔女裁判や異端審問での火刑、日本での火あぶりの刑など、生きたまま人間を焼く行為に、人はどんな「価値」を見いだしていたのでしょう? 私には野蛮な行為に思えるのですが。おっと、「野蛮人」でさえ、そういった行為をして大喜びをするとは思えません。「生きたまま人間を焼き殺す」ことの正当性を確立するためには、ある程度の知性と教養と文化が必要でしょ?

【ただいま読書中】『ナパーム空爆史 ──日本人をもっとも多く殺した兵器』ロバート・M・ニーア 著、 田口俊樹 訳、 太田出版、2016年、2700円(税別)

 焼夷兵器は「ギリシア火」の昔まで遡れ、中世にもその威力を誇っていましたが、火砲の進歩で実戦の場からはいつの間にか消えてしまいました。携行型火炎放射器をドイツが第一次世界大戦で開発しますが、これも実用的な兵器とは見なされていませんでした。しかし、ゲルニカ爆撃で使用されたテルミット焼夷弾によって、焼夷兵器は注目されるようになります(日本は上海爆撃でその戦術を応用しました)。アメリカも焼夷弾に注目しますが、マグネシウム不足を考え、別のタイプの焼夷弾を開発しようとします。ガソリンとゴムの混合物が良さそうでしたが、日本が南洋を押さえたためゴムの供給がストップ。別のものが必要になります。はじめは「ナフテン酸塩」と「パルミチン酸塩」から製造されましたが(だから両者の頭文字から「ナパーム」と名付けられました)、大量生産はラウリン酸とパルミチン酸をガソリンに混ぜて行われました。だから本当は「ナパーム」は“間違った名前”なのです。
 1942年7月4日、ハーバード・ビジネススクールのサッカー場で、20キロのナパーム(工業用せっけんでゲル状にしたガソリン)に白リンで着火する実験が行われました。実験は成功。「ナパーム」の誕生です。これは同時に、アメリカが試みた「軍」「大学」「産業」の結合が成功した証しでもありました。発明者はハーバードの化学教授ルイス・フィーザーだったのです。
 ナパーム開発のきっかけは、41年にデュポンの塗料工場で起きた謎の爆発事故でした。この原因を探る過程で、ゲル化したジビニルアセチレンが燃焼中もゲル状態を保つことから、燃焼する粘性物質をまき散らす爆弾、というアイデアが誕生します。完成したナパームは、テルミットとの比較試験を受け(ドイツと日本の家並みをリアルに再現して、そこを実際にそれぞれの爆弾で繰り返し爆撃しました)、テルミットより優位である(とくに日本家屋に対しては壊滅的な効果を持つ)ことが証明されます。
 MITはナパームを高圧にすると液化することを発見します。これはそれまでのガソリンを発射するだけの火炎放射器に革新をもたらしました。放射距離が伸び、途中で燃えずに目標に到達できる燃料の量が飛躍的に増加したのです。
 ナパームは43年8月のシチリア島侵攻作戦で初めて実戦投入されました。太平洋でもすぐに使用が開始されます。火炎放射器と爆弾の威力は絶大で、現場からは補給要請、というか、要求が相次ぎます。アメリカ軍がヨーロッパで投下した爆弾の40%がナパームで、ドイツには20万トンのナパームが投下されたそうです。日本に対してもナパームは容赦なく使用されました。ヨーロッパではあまり使用されなかった火炎放射器もフルに活用されます。のちに「サタン」と呼ばれる、戦車に搭載された火炎放射器も投入されました。しかしこれは「序章」でした。ナパームの真の物語が始まるのは、45年3月9日、東京からです。最初の1時間で313トンのナパームが投下されたのです。日本では京都以外の66の大都市が焼かれます。都市工業地帯の42%が破壊され33万人の民間人が殺されました。あまりに投下しすぎて焼夷弾の在庫が切れ、本国から輸送されるまで3週間空襲が中断された期間があったくらいです。戦略爆撃調査団や科学研究開発局(OSRP)は「原爆やソ連の参戦がなくても、焼夷弾が不足していなければ、それだけで日本は降伏しただろう」と報告をしています。近衛文麿や鈴木貫太郎も同じようなことを述べています。“不足気味”だったにもかかわらず、ナパームは日本に重大なダメージを与えていたのです。
 その威力を学んだ軍の一つが、イスラエルでした。67年の六日間戦争でナパームが大きな役割を果たしています。ただしその中には、近くにいたアメリカの調査船「リバティ」をイスラエル軍がナパーム弾で誤爆した、というのも含まれています(アメリカ兵34名が戦死しましたが、アメリカ軍が他国からナパームで攻撃を受けたのはこれが初めてです)。
 朝鮮戦争でも、対戦車兵器としてナパームは威力を発揮しました。直撃をしなくてもその周囲を炎の海にしたら吸気口から炎を吸い込んだり燃料タンクに火がついて戦車は破壊されてしまうのです。もちろん密集している北朝鮮や中国軍兵士の集団も標的とされました。太平洋戦争の時に連合軍が太平洋戦域に落とした爆弾は50万トン、朝鮮戦争の時にはなんと63.5万トンでしたが、焼夷弾は朝鮮戦争では3万2357トンで、45年に日本に落とされた量の2倍だそうです。
 世界各地でもナパームは、その効果の大きさとコストの低さからでしょう、頻用されました。内戦や植民地戦争など、“その場”はいくらでもあったのです。そして、ヴェトナム。63~73年の10年間でなんと38.8万トン!
 朝鮮戦争でもヴェトナム戦争でも、アメリカ国内ではナパーム使用の是非が問題になることはありませんでした。ナパーム使用は「正義」で、たまに“民間人に対する事故”はあるがそれは許容範囲内、なのです。しかしやがて、ナパームの残虐性についての知識が広がり、「共産主義者の陰謀だ」「愛国者ではない」といった非難を突破して反戦運動が少しずつ高まっていきます。そして、67年に「ナパームの被害者の姿」を知らせる3本の記事がナパーム反対運動(と反戦運動)を加速します。そして72年南ヴェトナムのチャンバン村。ナパームを浴びて服は焼け落ち、裸で重い火傷を負い泣き叫びながら走って逃げている9歳の少女の写真が全世界に配信されます(「戦争の恐怖」http://irorio.jp/daikohkai/20150624/239680/)。
 しかし、ナパーム投下直後の村に入った兵士の体験談を聞いた聴衆が静まりかえり涙ぐんだ、というエピソードを知って、私はアメリカ人の“ナイーブさ”に逆に驚きます。そして、アメリカ人が原爆資料館に拒絶反応を示すわけも、少しわかったような気もしました。
 9・11以後、ナパームは“復権”します。しかしそれまでの悪評はついて回り、さらに国際的に「民間人への残酷な兵器使用の制限」運動が起きていたため(これによってクラスター爆弾は素早く禁止されてしまいました)、アメリカ軍は「ナパーム」という「言葉」の使用をやめることにします。その代わりにイラク戦争で使われたのは「ナパームとは少し成分が違う焼夷弾」でした。この“言葉遊び”によって、「ナパーム」にはむしろ注目が集まってしまいます。「アメリカ政府はなにをか隠蔽しているんだ?」と。そういった疑問符を、政府はナパームや火炎放射器で焼き払ってしまいたかったかもしれませんが。


オリンピックの経済効果

2016-05-30 06:41:02 | Weblog

 「オリンピックをしたら儲かるから投資しろ」と主張する人が、オリンピック開催に全財産を投資した、という話がどのくらいありましたっけ? そういった人はむしろ仕事をもらって(あるいは仕事さえせずに)お金を受け取る側に回ってません? つまり「オリンピックは儲かるから、自分に金を払え」と言っているような。それはたしかに「儲かる」でしょうね。

【ただいま読書中】『オリンピック経済幻想論 ──2020年東京五輪で日本が失うもの』アンドリュー・ジンバリスト 著、 田端優 訳、 ブックマン社、2016年、1600円(税別)

 「オリンピックが経済を活性化させる」と毎年世界中のどこかで主張されています。ではそれは実証された事実なのか、本書ではその検証を試みます。短期的な経済効果、長期的な効果、そして負債。それらをきちんと計算したら、さて、どうなるでしょう?(先日読書した『専門家の予測はサルにも劣る』(ダン・ガードナー)のこともどこかで意識しておいた方が良いでしょう)
 1964年の東京オリンピックではたしかに「経済成長」が日本にもたらされました。ただ、それは「オリンピックなし」では達成不可能なものだったでしょうか? ついでに「負の遺産」も様々生じていますし、日本はオリンピック開催の財源として世界銀行から借りた金の返済に30年かかっています。長野オリンピックでは、賄賂の噂が流れると長野の組織委員会は帳簿を焼却してしまいました。よほど公表されては都合の悪い金の流れが記載されていたのでしょうね。
 72年のミュンヘンではテロリストの襲撃事件が発生し76年のモントリオールオリンピックで16億カナダドルの負債を生じたのを見て、1984年のオリンピック開催都市に立候補したのは、ロサンゼルスだけでした。IOCは赤字が生じたら補填すると約束しますが、結果は記録的な大黒字。これで潮目が変わります。「オリンピックは儲かる」となり、招致活動だけで1億ドルかけるのも珍しくなくなりました。同時にIOC会長や委員たちは、王侯貴族のような生活をするようになります。石原や桝添都知事の贅沢旅行なんか目じゃないくらいの大贅沢旅行や家族や親類への贈与や供与を楽しめるようになったのです。
 事前分析で「バラ色の未来」が語られます。ところがそれらの予測はいくつもの問題を内包しています。たとえば「観光収入」は、「オリンピックでのプラスアルファ分」ではなくて「ふだんでも訪問する観光客」の分も含んでいます。オリンピックのために訪問した人は競技場には行きますが他の観光地には行かずにその分地元の収入は減ります。国際チェーンのホテルへの支出は、地元には落ちません。スポーツ施設とスポーツ施設以外のインフラへの支出は莫大なものになりますが、それは短期間で完成させなければならないために割高になった分を含んでいます。工事中およびオリンピック期間中には地元のビジネスは制限をされてそれは地元経済に打撃です。さらにIOCはすべての広告看板をオリンピックのスポンサー企業用に空けるように開催都市に要求します。これはふだん広告を出している地元企業に違約補償金を払わなければならないことを意味します。
 短期的な収入増加が不確実な場合、“専門家”は「長期的な経済効果(遺産)」の存在を主張します。ところがその実在を証明することは困難(ほとんど不可能)です。さらに、それらが実在しなくても、“専門家”は責任をとりません。「まだその時期ではない」と言うだけです。
 著者は各オリンピックについて、短期と長期の「経済効果」について検証をしていますが、その結果は散々なものです。確実に上昇するのは「地価」「犯罪発生率(年間10%の増加)」「施設の“その後”の維持費負担(長野のメイン会場はその後野球場になりました。ところで長野にプロの野球球団なんかがありましたっけ? アテネや北京の施設はもっと悲惨な状況です)」……
 「バルセロナ」は、貴重な「成功例」です。しかしそれは「バルセロナの特殊性」が大きく作用しているようです。本書に列挙されたその特殊性を読むと、「オリンピックがバルセロナで成功した」のではなくて「“バルセロナ”がオリンピック(など)で成功した」と表現した方が良さそうです。
 ソチは特に悲惨な失敗例です。招致時にIOCに示した予算は103億ドル。しかし“決算”は(表に出てきた数字だけで)510億ドル。本当につぎ込まれた金額は国家機密で不明です。もっともロシア政府は2億1600万ドルの“黒字”になったと発表しています。数字のマジックですね。
 さて、私が気になるのはこんどの東京オリンピックですが、自信たっぷりに「絶対に大丈夫」と断言している専門家たちは、その(自信ではなくて)主張の正しさの根拠を(本書の著者のように)きちんと示せるのでしょうか?


凍土壁

2016-05-29 07:17:51 | Weblog

 「どうしても電気を使いたい」という東電の主張?

【ただいま読書中】『傾斜面』川上宗薫 著、 海田書房、1986年、1200円

目次:「牧師の息子」「傾斜面」「植物的」「残存者」「夏の末」
 著者は官能小説で名高い人ですが、本書は官能小説ではなくて、彼の自伝的な短編集です。官能小説家らしいな、と思えるのは、自慰を覚えたときのことや近親相姦的な思いを持ったことについても、まったく禁忌感なく表現しているところでしょう。
 長崎で牧師で教師の子として生まれた「私」はミッションスクール鎮西学園に進学。軍事教練にはなじめず野球(と女の子)に夢中の、当時の日本ではちょっと浮いた少年でした(たぶん「軟派」扱いされていたんじゃないかな)。しかもクリスチャンの一家ですから、ますます浮いてしまうでしょう。
 ここで描かれる学校生活や家庭生活の雰囲気は、北杜夫の『どくとるマンボウ青春期』をもうちょっと色っぽくした感じです。旧制高校と中学とか、育った環境の違いはありますが、「時代」は重なっているし、なにより「文学の目」(周囲に無批判に同調しない態度)で社会を見ている態度が共通であるように私には感じられます。
 「顔の表情」は著者にとっては「感情の自然な発露」というよりは「努力の結果」である場合が多いようです。だから「お約束」の表情でのやり取りを、著者は嫌悪しているようです。
 中学4年で肋膜をやり、著者はしばらく休学します。本土は空襲を受けるようになり、召集。その頃には日本軍は「あまり殴らないように」となっていたのだそうですが、入隊したばかりの初年兵が体験したのはびんたの嵐でした。そして肋膜の再発。
 内務班の廊下の壁に新聞が貼られています。長崎に特殊爆弾、被害は軽微。これまでの空襲でも常に「被害は軽微」でB29は百機単位で撃墜されていたのですが、「特殊爆弾」は初出でした。そして、故郷の長崎に戻った(元)兵隊が見たのは…… 視覚表現だけではなくて、おびただしい死体の腐臭や襟垢のつるつるした感じなど、五感がすべて動員されて、被曝直後の長崎が表現されます。そして爆心近くで破壊された自宅に残されたメッセージは「御両親、御弟妹の御遺骨お受取り願います」。
 次の短篇では、父と妹は助かっています。軍国主義が消えた“真空状態”に「アメリカ」が侵入してきて、「日本人の生活」は混乱します。その中で、著者は、そして多くの日本人は、過去を失い、未来の展望は見えないまま、今を生きています。ふうむ、これは立派な“純文学”でした。著者の名前をあまり“信用”しない方が良い場合もあるようです。


予測の専門家

2016-05-28 06:53:41 | Weblog

 歴史上最初に登場した「予測の専門家」は、宗教家(預言者とか巫女)でしょう。ところでその「予測」の的中率はどのくらいだったんでしょうねえ。神は間違えないにしても、「伝言ゲーム」もあるし人間だから勘違いとか言い間違いもあるだろうし、そもそも人間は全員正直者でもないでしょう?

【ただいま読書中】『専門家の予測はサルにも劣る』ダン・ガードナー 著、 川添節子 訳、 飛鳥新社、2012年、1600円(税別)

 歴史上、多くの専門家は自信たっぷりに「予測」を述べ、その多くは予測を外しました。外してもまた専門家は予測を述べ、またまた外します。
 問題は「我々」がその「専門家の予測」に耳を傾けることです。多くの人は、「水晶玉を覗く占い師のことば」は外れることを前提として聞きますが、「専門家の予測」は当たることを前提として聞くのです。実は当たる確率はそれほど差はないのですが。
 1984年、カリフォルニア大学の心理学者テトロックは米国学術研究会議の新しい委員会の委員に任命されました。そこでテトロックは多くの「専門家」に冷戦の現況と将来について広範なインタビューをおこないます。「予測」がどのくらい当たるかの研究です。リベラル派と保守派は対立した見解を示していました。翌年ゴルバチョフが政権を握ります。これはリベラル派にも保守派にも意外な展開でした。ところがテトロックにとってもっと意外だったのは、どちらの派も「自分たちの予測は正しかった」と主張したことです。テトロックは興味を惹かれ、大規模で科学的な研究を開始します。多数の専門家を集め匿名性を保証します。明確な判定が可能な問題について予測をしてもらいますが、そこで「確率」もつけてもらいます。ある専門家が「70%で当たる」とした予測を10個集め、それのうち7個が的中していたらその人の予測は正しいことになります(これを「キャリブレーション」と呼びます)。ただしこれだと何でも「当たる確率は50%」と言う人が有利になります。そこで同じ問題について、「100%」と「70%」という専門家がいた場合、その問題が実際に起きたら「100%」の専門家の方に高い評価ポイントを与えることにします(これを「判別」と呼びます)。
 結果は驚くべきものでした。「専門家の予測」は「当てずっぽう」とほぼ同じ程度だったのです。テトロックは「専門家はダーツを投げるチンパンジーにも負けただろう」と辛辣です。ただし、専門家にもばらつきがあります。そこにテトロックは注目しました。何が「幻想の世界にいる専門家」と「良い線を行く専門家」とを分けるのか、と。「予測を外す専門家」の特徴は「自信たっぷり」と「問題を単純化して、理論上の“核”に頼る」ことだそうです。「良い線を行く専門家」は「自分が間違っている可能性を忘れない」「様々な情報を広く収集する」「自分の考えを修正する」ことが特徴です。「複雑で慎重」な方が「シンプルで自信たっぷり」に勝つのです。イデオロギー的に極端な人は予測の結果が悪いのですが、これは「イデオロギー」が「シンプルの極致」だからでしょう。
 ということで著者は恐ろしいことを言います。「メディアに露出する機会が多い専門家ほど、予測は当たらない(当て続けていたら億万長者になって、メディアに出るにしても「専門家」ではなくて「億万長者」として登場するはず)」。
 ただし、どんなに当たる専門家でも、たとえば何も考えずに「現状維持」と予測する方が当たる確率は高くなります。人の能力には限界があり、世界は予測不可能な代物なのです。たとえば「バタフライ効果」なんてものがあるでしょう? 世界のすべてがニュートン力学のように「線形」だったら話は楽なんですけどね(もっともニュートン力学でも「三体問題」なんて悩ましいものがありますが)。
 「脳」もまた非線形のしろものです。さらに「錯覚」「ヒューリスティック」などの迷路があります。私たちは「専門家は知識と経験が多いから、間違いにくい」と思いますが、知識と経験が多い分「物語」の枠組みが強固に作られてしまいそこから外れた予測はできにくくなっています。だから専門家は間違えるのです。もっとも「専門家」とメディアに紹介されるときにはその人の信頼性については「その人が過去に当てた実績」だけが紹介されるのです。
 “解決法”として著者が提案するのは、集合知とかメタ認知です。だけど結局は温故知新、ソクラテス(無知の知)に戻るしかないかもしれません。


自称ファン

2016-05-27 07:30:19 | Weblog

 ニュースで時々「逮捕された自称会社員の○○」などと報道されることがあります。だったら今回アイドル活動をしていた女子大生をめった刺しした人間は、「ファンの××」ではなくて「自称ファンの××」と報道した方が正しいのではないでしょうか? 「ファンだ」と主張しているのは、本人だけでしょ?

【ただいま読書中】『プラネテス(3)』幸村誠 作、講談社、2003年、648円(税別)

 木星遠征隊に選抜されてから「ハチマキ」は絶不調になってしまいます。「宇宙」とどのように付き合ったら良いのかわからなくなってしまったのです。前の職場のデブリ回収船に元同僚のタナベを訪れ、ハチマキは彼女との結婚を決意します。
 こう書くとずいぶん唐突なようですが、ちゃんとその前段階(二人の子供時代からのエピソードの積み重ね)があったため、この展開は「アリ」だと思えます。なにしろ二人で手をつないで満月を見上げて同時に口にした感想が「おいしそう」なんですから(なぜキーになるのが「猫」なのかは謎ですが)。さらにプロポーズが、地球を見下ろしながらのしりとり。この著者の無駄に壮大なユーモア感覚に、こちらの重力感覚は狂ってしまいます。好きですが。そして、火星で史上初のホームランが出た日、地球ではハチマキの息子が誕生します。そうそう、映画の「南極料理人」では越冬隊員たちが氷原で野球をしていましたが、日本人はどんな場所でも野球をしたくなるのかな?
 えっと、この作品は全4巻でしたよね。あと1巻で本当に終わっちゃうの?


武器と理屈

2016-05-26 06:51:43 | Weblog

 武器を作るのに、それを正当化する理屈はあまり必要ありません。需要があれば供給があるのですから。
 武器を使うのには、少し理屈が必要になります。
 では、持っている武器を使わないことには、どれくらい理屈が必要でしょうか? とってもたくさん?それとも理屈は無用?

【ただいま読書中】『19歳の小学生 ──学校へ行けてよかった』久郷ポンナレット・久郷真輝 著、 メディアイランド、2015年、2000円(税別)

 ペン・ポンナレットさんは1981年に神奈川県海老名市海老名小学校に転入しました。16歳でした。それから3年間、彼女は「小学生」として過ごすことになります。
 ペン・ポンナレットさんは1964年(東京オリンピックの年ですね)カンボジアのプノンペンで生まれました。ここで私の脳には「クメール・ルージュ」ということばが浮かび上がります。父は国立図書館の館長、母は教師、住むのはプノンペン……一家が悲劇に放り込まれるのは、歴史を知っている人間からは確定事項ということになります。だけどもちろん、そんなことを当時の人々は知りません。人々が平和に暮らしていた国に内戦が始まり、プノンペンに「解放軍」と名乗るポル・ポト派の兵士たちがやって来ます。「アメリカの爆撃」を口実に、彼らはプノンペンの100万人の住民を一斉退去させようとします。無茶です。日本陸軍が香港を占領したときに100万人の口減らしをしようとしましたが、強権を用いても2年間かかっています。それをポル・ポトはたった1日でやろうとしたのです。口では「3日間だけの避難」と言っていましたがいつまで経ってもプノンペン郊外で野宿する誰も帰ることを許されません。やがて、強制移住・強制労働の日々が始まりました。大家族だったポンナレットさん一家は、父姉母妹と、どんどん人数が減っていきます。10歳で地獄に放り込まれ、それでもなんとか生き延びていたポンナレットさんは、4年後に栄養失調と過労と虐待とマラリアで死を覚悟します。しかしそこで奇跡的に兄と再会。さらにポル・ポト派の軍事的敗北が。強制労働の村からやっと解放された兄妹は、遠い親戚を頼ろうとしますが、その人は遠くに引っ越していました。そこに「地獄に仏」が。さらに日本にいる姉からの手紙が奇跡的に届きます。そこには「タイにある難民キャンプに向かうように」とありました。
 カンボジアは再び内戦状態になっていました。生き残りの人々は国境を目指します。しかしそこはポル・ポト派の支配地域。毒蛇や地雷を避けながらの道行きです。命からがらやっと難民キャンプに到着。そこで待っていたのは、各種の手続きでした。「難民である」ことを書類で証明しなければならないのです。
 到着した日本の夜景は「夢の国」でした。しかし入れられた大和難民定住促進センターは粗末なプレハブでした。そこにいることができるのは3箇月。その間に日本語の日常会話と簡単な漢字を覚え、スーパーの使い方も習います。昼食と夕食は提供されますが、朝食と日常雑貨は自費です。1週間に千数百円が支給されますがそれではとても足りません。なんだかとてもけちくさい「難民支援」に思えます。
 そして、ポンナレットさんは「ペン・マリ」という名前で小学校に入学することになったのです。戦争に奪われたローティーンの時代を少しでも取り戻すことができていたらよいのですが。3年間の学業を終え、ポンナレットさんは、夜間中学に通いながら、自立することにします。
 巻末の娘さんの話では、ポンナレットさんは日本の小学校の3年間で「読み書き」を学ぶことによって「人生」を得たのだそうです。そのことで中学・高校に進学でき、本書を書くこともできたのです。そして、人生の伴侶も「読み書き」によって得ることができたようです。
 薄い本ですが、重い内容です。今の生活が決して永遠に保証されているわけではないこと、だからこそ今の平和が大切であること。そして、「赦し」の大切さ。本書は子供向けの本のようですが、大人も読むべきだと私は感じます。


相関関係と因果関係

2016-05-25 06:58:15 | Weblog

 連続放火現場で一人の特定人物がどこの現場でも目撃されたら、その人には「放火」と何か特別な関係がある、と疑うことが可能になります。ただ、その人が放火犯人である、と軽々に決めつけない方がよいです。相関関係と因果関係は無関係ですから。たとえばこの連続放火事件の場合だったら、その人は消防や報道の人かもしれません。
 ある特定の人とほぼ毎日数メートル以内の距離で長時間一緒に過ごしていても、その人と特別な関係があるとは限りません。クラスメイトとか職場の同僚かもしれませんから。
 「特別な関係」を立証するためには、そういった表面的な現象だけではなくて、その“奥”に「特別な関係」があることを証明する必要があります。それができて初めてその主張には「根拠」が与えられたことになります。根拠がない主張は、ただの思い込みや妄想と差がありません。

【ただいま読書中】『カイワレの悲劇』武藤弓子 著、 杉並けやき出版、2009年、952円(税別)

 1996年7月、堺市でo(オー)157による学童集団食中毒が発生しました。厚生省は「カイワレダイコンが原因食材である可能性が高い」と発表。これは直ちにマスコミによって盛んに報道され、それを聞いた人は「カイワレが犯人」と単純化して受け止めました。
 2004年12月、カイワレ業者が起した損害賠償訴訟で最高裁によって国の敗訴が確定しました。しかし厚労省も食品安全委員会も、そして一般市民も、「あの食中毒の原因はカイワレ」と信じ続けています。
 著者は、あの事件からどんな教訓が得られたのか、それを「次の新しい食中毒事件」で生かすことができるのか、という視点から本書を執筆したそうです。日本では「とりあえず怪しい奴が捕まった」と報道されたら「あいつが犯人だったのか。もう捕まったから大丈夫だよね」と安心して忘れてしまう傾向があります。だけど「そいつが本当に真犯人なのか」と「もう忘れて良いのか」と「再発予防にはどうすればよいのか」という追究と考察と具体的な対策構築はそこから始まるはずなのです。
 「o157」は動物の腸管内に住んでいて、そこから体外に出て食品を汚染して感染を広げます。人間の場合潜伏期は1~10日。堺市の食中毒では、保存されていた給食から菌や毒素は検出されませんでした。それは当時の保存期間が「3日」だったからでしょう(直後に保存期間は「2週間」に改定されています)。ともかく「証拠」がないので「汚染された食材」は特定されていません。
 そこで厚生省は「疫学調査」をおこない、原因メニューを「冷やしうどん(中区・南区)」「とり肉とレタスの甘酢和え」に絞った上で、その共通食材「カイワレ」を「犯人」扱いしました。ところがこの「疫学調査」で調べられたのは、「学童発症者の8%」「堺市の全学童の1.04%」だけでした。私には「標本数が少なすぎる」と感じられます。6000人以上の発症者の中から、調べやすいところだけ調べてそれで全体を論じるのは科学的には安易な態度に思えます(「安易」が問題発言なら、「不公正」「非倫理的」「非科学的」「恣意的」に置き換えてもよいです)。さらに、カイワレそのものやその製造工程から「o157」は検出されていません(消毒された種を水耕栽培する過程で、どうやったら「o157」で汚染できるだろうか、と私はそちらの方が不思議です)。さらに「細菌フリー」でもそのカイワレで「o157食中毒」が起こせるのなら、その日学校給食以外に出荷した先でも同じ食中毒が起きるはずです。起きていましたっけ?(ちなみにこの指摘に対して「学童と成人では発症率に差があるから学校外では食中毒が起きなかった」と反論した人がいましたが、その学校給食で学校職員(当然成人)も(発症率は学童の1/3くらいですが)結構発症している事実をどうして無視できるのか、不思議です) ついでですが、名指しをされた業者が当日出荷したカイワレのうち、学校給食に回ったのは5%未満です。さらについでですが、当時大阪府(堺市の集団食中毒以外)で発症していたo157食中毒患者で「カイワレを食べた人」は「食べなかった人」と比較して圧倒的に少数派でした。
 私が当時疑ったのは「調理環境」でした。汚染されたまな板で切ったら、どんな食材も汚染されてしまいます。病気の人間がきちんと手洗いせずに調理したら、どんな食材も汚染されてしまいます(「チフスのメアリー」を思い出します)。だけど「10日前の調理環境」の再現は困難です。困難なことをやるよりも、安易にできる食材からの“犯人捜し”をやったのではないか、と私は疑いの目を向けています。
 「o157」のDNA解析もおこなわれました。その結果政府は「やっぱりカイワレが犯人」と言いますが、著者が注目するのは、堺市以外で発生した「o157食中毒患者」で「カイワレを食べていない」のに同じDNAパターンを示す人がいることです。この場合こそ「共通食材」を「疫学的」にでも「細菌学的」にでも調査・特定する必要がありそうです。しかし政府はあっさりその研究を打ち切り、むしろ「カイワレの種子が汚染されていたらどうなるか」「水耕栽培の水が汚染されていたらどうなるか」の研究に熱中しました。実物はどちらもクリーンだったので「仮定」の研究に過ぎないのですが。
 政府の対応はあまりに不自然です。「カイワレ」にだけ集中して、流通・調理現場の衛生や別の食材については露骨に無視を続けました。その不自然さには、何か公表できない別の理由でもあるのか?と私はいぶかしさを感じます。当時もそれは感じましたし、今でも感じています。そうそう、厚生省は堺市の集団食中毒の直後、7月26日に「と畜場及び食肉処理場の衛生管理について」という通達を出して新しい衛生基準(たとえば肉を低温保存する義務)を示しました。タイミングは偶然の一致かもしれませんけれど。
 報道も無責任です。当時の新聞の見出しが本書では一覧で見えますが、どれも一面で「カイワレが犯人である」という印象を与える見出しばかり。ところが最高裁の判決が出たときは、あっさり「ほぼ無視」です。つまり「真相」にも「教訓」にも「予防」にも興味がない、ということ? そういえば、政府はきちんと事件の総括や謝罪をしましたっけ? 最高裁の判決は、無視?


社会の症状

2016-05-24 06:53:59 | Weblog

 人は健康なときにはあまり自分の肉体の存在を意識しません。あるのが当然、と思っています。しかし病気や怪我の時には痛みや症状が様々な主張をするので「自分が不健康な状態である」ことがわかります。逆に言えば、何か「症状」があるとき、人は不健康です。
 社会もまた同様ではないでしょうか。たとえば「クレイマー」の主張がやたらと目立つ社会って、つまりは「不健康な社会」ということでは?

【ただいま読書中】『オーダーメイド』甘糟りり子 著、 幻冬舎、2011年、1300円(税別)

 モデル出身の小説家として一時期はある程度人気があったのに今は全然売れなくなり、心理的にも経済的にもギリギリの所に追い詰められている麻穂に、岸部という男からいかにも怪しげな依頼メールが来ます。ある大金持ちのために、その人のためだけに官能小説を書いて欲しい、と。報酬は100万円。麻穂は迷ったふりをしてから飛びつきます。しかし官能小説なんか書いたことがありません。そこで自分の体験を書いて渡します。クライアントが満足をしない場合には、新たに“体験”をしてそれを書き、自分自身を裸にして売り渡しているような感覚を感じつつ、正体を見せない依頼主、依頼主のことだけではなくて自分自身のことも一切明かそうとしないメッセンジャーの岸部、という二重の謎に麻穂は強い興味を持ち、そういった興味を持つ自分自身の心の動きにも新しい発見を続けていきます。
 官能小説家ではない女性作家が官能小説を書こうとしてじたばたする、その中には当然官能小説のシーンも登場する、というメタ官能小説のような作品です。「依頼主」「岸部」「麻穂」にそれぞれ「謎」があり、さらに「官能小説」にも謎がしかけられています。そして最後には「官能」と「小説」自体も「謎」として登場するのですが、“名探偵”が鮮やかにそれを解明する、ということはありません。謎はいくらか解けかけたような形で本書は終了してしまいます。この先が気になるなあ。


高校生の疑問今昔

2016-05-23 06:50:08 | Weblog

 昔:何のために勉強するの?
 今:何のために投票するの?

【ただいま読書中】『サーカスに逢いたい ──アートになったフランスサーカス』田中未知子 著、 現代企画室、2009年、2400円(税別)

 「現代サーカス」とは「舞台芸術」としてのサーカスだそうです。世界で割と名が通っている一座は「シルク・ド・ソレイユ」。全世界にサーカス学校が多数あり、フランスやカナダには国立サーカス学校まであるのだそうです。 
 その舞台がどんなものかは、本書の写真や付属品のDVDを見るとある程度感じはつかめます。演目は、空中ブランコ、綱渡り、ジャグリング、チャイニーズポールなど様々ですが、どれにも「アート」の香りがします。伝統的なサーカスとは違って、極端な場合、一種目だけで1時間とか1時間半のショウを行う場合もあるのだそうです。DVDにちょっとだけ紹介されている「フィル・スー・ラ・ネージュ(雪降る下の綱)」という綱渡りの演目は、舞台に低く張られた7本の金属ケーブルの上で7人の綱渡り師が音楽に乗ってあるいは音楽にせき立てられるように芸を披露するのですが、その“下”、舞台の上にも一本の線が引かれています。その線の上を歩くのは、かつて綱渡りで希有な才能を見せていたのに不慮の事故で落下して歩くのも不自由になってしまった男。しかし彼は、綱の下で地面に描かれた線の上を歩くのです。これ、ほとんど「演劇」です。実際に見たくなります。
 現代サーカスの特徴は、解放・自由・高さ・多様性などだそうです。体を使った「アート」は基本的にその特徴を備えているのでしょう。古い「アート」との違いは、猥雑性が薄められてその分上質なユーモアが増量されていることかな。ただ、自由とか多様性を嫌う為政者などには、現代サーカスの精神は受け入れられないでしょうね。たとえばヒトラーなどは真っ先に弾圧に乗り出しそうな気がします。ある意味、その国の文化度や自由度を測定するツールとしても使えるかもしれません。だって「アート」そのものだけではなくて、アーティスト自身が権力などから縛られることからの「解放」「自由」「多様性」を唄いながら生きているのですから。
 そうそう、日本でも大道芸は多様だし、屋内だったら寄席で様々な芸(色物)を実際に見ることができます。こちらも「現代サーカスの変種」と言えないことはないと私は感じています。そういえば最近寄席に行ってないな。久しぶりに行きたくなりました。


アングルやブック

2016-05-22 07:19:36 | Weblog

 プロレスラーのハルク・ホーガンといったら、ムキムキの肉体にレッグドロップとアックス・ボンバー。猪木を失神させたあの一撃を私は幸運なことにテレビで目撃しています。しかしそのとき、ハルク・ホーガンは「やったぜ!」ではなくて、なぜか戸惑っているように見えました。「イノキさん、ここは気絶するところじゃないでしょう?」と。
 プロレスが「真剣勝負(相手の肉体の破壊行為)」ではなくて「エンターテインメント」であることを私が察した初めての出来ごとでした。ただし、肉体のぶつかり合いは“本物”ですが、リング外での抗争劇とか試合の進行にある程度の段取りがあり、それらが「アングル」とか「ブック」と呼ばれることを知ったのは21世紀になってからのことです(大体本当に抗争があったら、それをテレビカメラの前ではやらないでしょう)。いくら段取りがあっても、200kgを持ち上げたら背筋を痛めるでしょうし、2mの高さから腹ばいにリングにダイブしたら痛いんですけどね。

【ただいま読書中】『わが人生の転落』ハルク・ホーガン&マーク・ダゴスティーノ 著、 INFINI JAPAN PROJECT LTD. 訳、 双葉社、2010年、2000円(税別)

 ハルク・ホーガンは“スター”でした。しかし2007年12月、彼は自宅のバスルームで実弾を込めたピストルの銃口を咥えていました。人生のどん底にいたのです。そこからかろうじて這い上がったとき、彼はこれまでの浮き沈みの激しかった人生を思い起こします。
 体がでかくでか頭でのろまだった少年は、それでも野球やアメフトで才能を認められます。しかし体育会系の雰囲気になじめず少年は数学と音楽とキリスト教に走ります。おっと、プロレスの熱心なファンでもありました。本人は暴力は嫌いだったのですが(本気で殴ると相手を壊してしまうからです)。有能な港湾労働者となり、地元で売れ始めたラッカスというバンドではベーシストとして客を煽るテクニックを磨いた青年は、客席にプロレスラーが何人もいることに気づきます。彼らと付き合いプロレスが単なる殴り合いではなくて「仕事」であることに気づき、バンドをやめてプロレスに入門することにします。自分には大スターになれる素質がある、という自信があったのです。その自信を理解していたのは彼だけだったのですが。
 いじめに耐え、通過儀礼を通過し、どさ回りで苦労をし、搾取をされ、それでも「(超人ハルクの)ハルク」という名前に出会い、肉体を作り上げ、青年は有望なプロレスラーになっていきます(もっともその途中で「もう、やーめた」もあるのですが)。ついにWWFの大物興行師ビンス・マクマホン・シニア(現在のWWEオーナー、ビンス・マクマホン(ジュニア)の父親)の目に留まり「ハルク・ホーガン」が誕生します。“仕事”は、ヒール(悪役)でアンドレ・ザ・ジャイアントの“ライバル”。人気は高まり、映画「ロッキー3」出演のオファーが。ところがそれで原因でWWFを退団。ホーガンは日本で至福の日々を過ごしますが、ホームシックになったのか、アメリカに戻ってAWAに参加します。ところが映画の影響で、もうヒールではやっていけなくなってしまいました。「ヒール」であることを許さない、熱狂的なファン(ハルカマニア)がついてしまったのです。そこにマクマホン(ジュニア)が声をかけます。プロレスは旧来の枠を越えてワールドワイドのエンターテインメントに育つはずだ、ということで二人の意見は一致。1984年に「全米制覇」を目標にビンスとの“タッグ”を結成。翌年には第1回レッスルマニア(WWF(現WWE)の年に1回の特番)が開催されます。しかしステロイド使用が非合法化され、ビンスたちは裁判に巻き込まれます。裁判では無罪となるも、二人の仲は悪くなり、ホーガンはまたもや引退。しかし、不動産取得に夢中の妻リンダの望みを叶えるために金を稼ごうとこんどはWCWに所属することになります。そこでは、裁判でついたダークイメージを逆用して、ヒールとして大成功。WCWはWWFを上回る勢いとなります。ところがWCWはWWFに身売り。ホーガンは本人の思惑は全く無視されて、出戻りとなってしまったのです。久しぶりのWWFは様変わりしていました。台本の重要度が増し、“ストーリー”がレスラーを支配していました。しかしホーガンは「もっと柔軟な態度で、客の声を聞け」と客を煽るレスリングをおこない、ファンからのとんでもない熱狂を受け、またもやベビーフェイス(ヒールに対抗する善玉役)に戻ってしまったのでした。
 実はこの時のロックとの試合を私はテレビで見ています。「昔の人」であるはずのホーガンが、ちゃんと「レスリング」をしていて、それにファンが熱狂している光景に、私は感心してしまいました。「プロレス」を皆が真剣に楽しんでいる、と。ホーガンの家族もそろってリアリティー番組に出演し、一家は「セレブ」になります。しかしホーガンは「リアリティー番組」の「リアリティーさ」にも実は演出があることを平気でばらしているのですが、契約に守秘義務はなかったのかな? テレビ画面では絵に描いたような幸せな一家ですが、現実は家族崩壊が進行していました。離婚が少しずつ現実のものとなりつつあり、息子は交通事故で親友に瀕死の重傷を負わせて巨額の訴訟を起こされ、そして体はもうぼろぼろ。相談をした離婚弁護士は「あなたは奥さんから言葉による虐待を受けている」と喝破します。ハルク・ホーガンが、虐待を受けいていた? 本人は呆然とします。そして、冒頭の真剣に自殺を考えているシーンへ。彼を救ったのは、偶然の電話でした。
 ハルク・ホーガンに言わせたら、ミッキー・ローク主演の映画「レスラー」はやや退屈なテレビ番組程度で、実際のレスラーの生活はもっとエキサイティングなものだそうです。本人が言うのだからたぶんそうなんでしょうね。