【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

リモコンキー

2016-01-31 07:37:55 | Weblog

 自動車ではリモコンキーが広く普及しています。これ、キーの先でつっついて塗装にうっかり傷をつけずにすむし、雨の日に荷物を持っていたらドアをすっと開けることができるので快適な気分が味わえます。だったら住宅のキーもリモコンが普及しないものでしょうか。両手に荷物を持っているときなど、とっても気分が楽になるのではないかと思えますし、鍵の変更もコードを変えるだけですみますからお手軽になりません? 二重鍵の片方をリモコンにしたら、現在ピッキングで飯を食っている盗人はハッキングの技術も必要になるから飯が食いにくくなると期待するのですが。

【ただいま読書中】『最後の錬金術師 カリオストロ伯爵』イアン・マカルマン 著、 藤田真利子 訳、 草思社、2004年、2400円(税別)

 「カリオストロ」と言えば私がすぐ思うのは「ルパン三世 カリオストロの城」ですが、ヨーロッパでは毀誉褒貶相半ばするけっこうな有名人のようです。モーツァルトのオペラ「魔笛」ではザラストロとなって登場しているのだそうです。彼の「敵」は、カザノヴァ、ロシア女帝エカテリーナ、ゲーテ、ルイ十六世、マリー・アントワネット、教皇ピウス六世……すごい“メンバー”です。
 シチリア島パレルモの貧民街で育ったジュゼッペ・パルサモは町で評判のゴロツキでしたが、創造的な才能と人に逆らう性格から成り立っていました。修道院では薬剤師の見習いをして錬金術の知識を仕入れ、立派な山師になります。若く美しい妻セラフィーナの体をエサに上流階級の方々とお近づきになって怪しげな話を持ちかけ、成功したり失敗したりを繰り返します。その中にはカザノヴァもいました。だんだん大物(の山師)になって、ペレグリーニ伯爵とカリオストロ伯爵の名前を使い分けるようになります。そしてフリーメイソンに入会します。大出世です。
 しかしこれは危険な道でもありました。詐欺の被害者がヨーロッパ各地で「カリオストロ(またはペレグリーニ)」に復讐を誓っています。そして宗教裁判所は、魔術師とフリーメイソンを敵視していました。そしてカリオストロは“すべての条件”を満たしていたのです。しかしカリオストロは降霊術師としての腕を存分にふるい、自信たっぷりにサンクトペテルブルグを目指します。標的は女帝エカテリーナ。しかし彼女は、神秘主義よりは合理主義を愛し、さらに、外国と繋がりがあるフリーメイソンの活動に警戒をしていました。そこでカリオストロが活路を見いだしたのが、医療でした。治療者として(もしかしたら本人も意外だったかもしれませんが)抜群の腕の冴えを見せたのです。
 ポーランドはカリオストロ夫妻を歓迎しました。カリオストロは、予言と医療をのびのびと行います。そして錬金術で、銀や金を「生成」してみせますが、その手品の手口を見破られてしまいます。シャーマンとしての活動だけで満足していたら良かったのにね。
 そして有名な「ダイヤの首飾り事件」が発生します。女山師のジャンヌ・ド・ヴァロワ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、マリー・アントワネットの名を騙ってロアン枢機卿をたぶらかして高価なダイヤの首飾りを詐称した事件ですが、そこにカリオストロが巻き込まれたのです。民衆は熱狂します。しかし、王家がらみのスキャンダルが堂々と論じられる(庶民の楽しみになる)のは、絶対王制の世界では本来考えられないことです。革命の足音は少しずつ近づいているようです。そして著者は皮肉な筆致でこの章を終えます。「最も高い対価を払ったのは結局はマリー=アントワネットだった。威厳をなくし、ダイヤの首飾りをなくし──そして、最終的には首をなくしたのだから。」
 国外追放されたカリオストロはイギリスに渡ります。王に対する反抗期の王子たちがフリーメイソンびいきとなっていて、ブルボン派と反ブルボン派が暗闘を繰り広げ、ややこしい状況ではありますが、とりあえずカリオストロは大歓迎をされます。しかしその陰で敵たちは動きを強めていました。スイス、イタリアと安住の地を求めるかのようにカリオストロ夫妻は移動を続けます。そしてついに異端審問が。
 本書は「カリオストロ伯爵」の物語ですが、同時にその妻である「伯爵夫人」の物語でもあります。14歳で恋に落ちて結婚をしたら、夫のために他の男に体を許すのは罪ではない、と説得された女性の哀れでしたたかな物語です。それにしても、フランス革命前夜のヨーロッパを背景として、そのヨーロッパ全体を舞台として「大きな演技」を行い続けた男は、その才能をもうちょっと真っ当な方向に使っていたら(本人もその周囲の人間も)もっと豊かな人生が送れたのではないか、と少し残念な気がします。


危険なミサイル

2016-01-30 08:21:05 | Weblog

 北朝鮮がまた発射実験を準備しているらしい、というニュースが流されています。何が目的なんだろうねえ、と私は冷たく思いますが、とりあえず困るのは「コントロール不能」なんて事態になって方向を失ったミサイルが日本に飛んできてしまうことです。それがよりによって原発に着弾、なんてことになったら日本そのものがエラいことですから。

【ただいま読書中】『危険社会 ──新しい近代への道』ウルリヒ・ベック 著、 東廉・伊藤美登里 訳、 法政大学出版局、1998年、4700円(税別)

 「チェルノブイリ」以後「フクシマ」以前に書かれた本ですが、著者の「見る目」が正しいのなら、フクシマ以後にも通用するだろう、と読んでみることにしました。
 二十世紀には破局的な事件(二度の大戦、アウシュヴィッツ、ナガサキ、スリーマイル、チェルノブイリ……)が相次ぎました。著者は「我々は『危険社会』に住んでいる」と考えています。しかし社会は近代化によって人類に幸福をもたらすはずではなかったでしょうか。そこで著者は「近代化の概念」と「産業社会の機能」との食い違いが、「危険社会」を作り出した、と考えました。さらに問題なのは「富の分配が不平等」であるのと同様に「危険の分配も不平等」であることです。
 ちょっと意外なのは、「失業」「セクシャリティ」なども「危険社会」の一部として扱われていることです。“そういったこと”が問題となる社会構造の基礎そのものが「危険」を発生させている、ということなのでしょう。
 「科学」について著者は辛辣です。現代社会では科学の神通力が失われているのですが、アンチ科学の人間もやはりその主張の根拠を科学に求めていることを容赦なく指摘します。また、ポパーなどの科学哲学も無茶苦茶批判されています。数学の世界でゲーデルが不完全性定理を証明しましたが、科学の世界でもそれに似たものがある、というのが著者の主張なのかな?
 ともかく、科学の「応用」が進むと、科学の政治利用が可能になります。ポパーは「反証可能性」を問題としましたが、科学の政治利用では「非合理的な利用可能性」が問題となるのです。科学は専門分化の袋小路に迷い込み、産業は分業を推し進めます。そして政治は、自分にとって都合の良い部分だけを“つまみ食い”して科学を利用します。かくして、「全体」を把握してきちんと論じることができる人は、いなくなります。かくして、本書の後に「フクシマ」が発生したわけです。そして、おそらく「次のフクシマ」も現在準備中でしょう。「政治」は何一つ変わってはいないのですから。


宗派の違い

2016-01-29 07:04:53 | Weblog

 カトリックとプロテスタントの違いについては世界史で習った程度ならなんとなく説明できますが、イスラムのシーア派とスンニ派の違いは、私はちんぷんかんぷんです。これって、私だけが無知で、他の日本人はみなさんお詳しいんですか? もしそうだったら悔しいなあ。
 ところで私は、日本の仏教の宗派の違いについても、あまり詳しい説明はできません。グローバル化の時代に、外国人に聞かれたらどう説明しましょう? これは、他人が知っている知識かどうかは関係なく、ちょっと悔しい事実です。

【ただいま読書中】『トルコの旋舞教団』那谷敏郎 著、 平凡社(カラー新書110)、1979年、550円

 マホメットの死後「正統派カリフ」の時代がありました。最後の正統派カリフであるアリー(マホメットの甥、娘婿)の時代にウマイヤー家のムアーウイヤが「我こそカリフである」と宣言、アリー側は敗れウマイヤー朝が成立します。しかしアリーの子孫だけがカリフであると信じる人が結集してシーア派ができます。ウマイヤー朝はアラブ優先でカリフは財物に執着する傾向があり、アッパース家はシーア派の助けを借りてウマイヤー朝を倒しアッパース朝が成立。しかしアッパース朝はシーア派を弾圧、正統派スンニ派を標榜します。しかしやがてアッパース朝も衰退し、イスラム世界は、シーア派・スンニ派・後ウマイヤー朝・イスマイル派(シーア派の分派)・ペルシャ人やトルコ人の反乱、など大混乱となりました。トルコ人は最初は傭兵として頭角を現し、やがてスンニ派のセルジューク朝を建てます。
 世俗的なウマイヤー体制の中で、「神への帰一」を説く神秘主義の教えも登場しました。イスラムには本来なかった隠遁主義です。「神を感じる」のは、一般人には難しいことです。そこで聖人を敬うようになります。また、歌ったり踊ったりして無我の境地に達するテクニックも発達しました。これを「旋舞祈祷」と呼びます。1200年頃アフガニスタンで学者の家に生まれたルーミーは、モンゴルの脅威から逃れるように移動する一家と一緒にバグダード、メッカと移り、最終的にトルコのコンヤに落ちつきます。
 ルーミーは優れた師の導きもあり、神秘主義者として有名になります。その中心にあるのは「旋舞」と「詩」でした。旋舞は、あらゆる面から神を見、あらゆる面を神に見られる行為です。(YouTubeではたとえば「メヴレヴィー教団のセマー」で見ることができます。右掌を上に向けて神の祝福を受け、左掌を下に向けてそれを人間に与えるのだそうです) そして、ルーミーの心に満ちあふれる思いは(理屈や論理ではなくて)「詩」として世界に与えられました。
 ルーミーの死後、旋舞教団が成立します。ただひたすらくるくると回り続ける「祈り」をする教団です。回っている内に没我の境地に到達するのだそうですが、非常に動的な座禅、とでも思えば良いのでしょうか。ただし、ただ回れば良い、というものではないそうです。修業は二種類ありますが、厳しい方は旋舞祈祷所で1001日もかかるのです。
 オスマントルコ帝国が崩壊、新生トルコでは「宗教団体の解体」が1925年に決定されました。そのため旋舞教団は「宗教行事」ではなくて「記念行事」あるいは「観光行事」として旋舞を継続しました。なお本書にはありませんが、たとえ異教徒であっても、修業(公的にはレッスン)をきちんと受ければ、旋舞をすることが認められるそうです。そもそもイスラムは異教の存在には寛容な部分があるし、ルーミー自身がその詩で、不信心者でも拝火教徒でも誓いを破った者でも誰でも来たれ何度でも来たれ、とうたっているそうです。ルーミーは「他人に自分の神を信じさせること」ではなくて「自分が神を信じること」を大切にしていたのかもしれません。


プロ選手

2016-01-28 06:57:45 | Weblog

 公営ギャンブルには“格差”があるように私には感じられます。たとえば競馬は昔からテレビで盛んに取り上げられますし武豊騎手が年間賞金1億円を越えたときにはまるで英雄扱いでした。競輪の中野浩一選手の方が先に年間1億を突破したはずですが、その時には「強くてたくさん稼ぐ選手」扱いだったと私は記憶しています。
 そういえば競輪やオートレースで一般マスコミでふだんから扱われる有名な選手って、いましたっけ?

【ただいま読書中】『おたまじゃくしの降る町で』八束澄子 著、 講談社、2010年、1300円(税別)

 何もない田舎町。そこに突然オタマジャクシが大量に降り大騒ぎになります。次に降ったのは小魚。そして竜巻が襲来。
 おっと、そういったパニックものではありません。その町に住む中学生の物語です。中心になるのは、保育園以来の付き合いのハル(ソフトボール部、14歳)とリュウセイ(ラグビー部、同じく14歳)。二人は付き合っているという噂がありますが、それを聞いたらリュウセイはとっても嬉しそうな顔をするしハルは容赦なく否定します。だけど本書は、二人の“恋”をめぐる爽やかな青春ものとか学園ものでもありません。
 ハルは、口では不平を言いますが、実は家族関係では“満たされて”います。昨年お祖父ちゃんが亡くなりましたが、そのために「心にお祖父ちゃんの形」の隙間がぽっこりできたのを感じることができるくらいに満たされているのです(欠落を感じる、ということは、その分満たされていることを意味します)。しかしリュウセイはシングルマザーの子です(しかも父親をリュウセイを含めて町内では誰も知りません)。家族関係の重要な部分が最初から欠落しています。これは田舎町では非常に辛い立場です。いや、もちろん都会でも辛い立場ではあるのですが、濃密な人間関係が前提の田舎町では、そういった辛い立場の人を温かく見守る人よりは容赦なくつつきあげる人の方が多いのです(私もそういったものは見聞した経験があります)。ハルはリュウセイを“保護”しようとして、だけど思春期ですから男女の間の感情に対する反発と恐れと憧れもあって、とっても複雑な気分です。おっと、幼い性欲もありました。それと、ソフトボール部の同性への思慕の念も。
 リュウセイとハルは、それなりに上手く付き合っています。それは、二人がまったく違うタイプの人間であることによるのですが、「大きな部分が欠落している」リュウセイが、自分の「欠落」を「他人を責めること」で埋めようとはしない基本態度であることも大きいでしょう。リュウセイは真っ直ぐに生きているのです。しかし世の中はそんな人ばかりではありません。「満たされているハル(しかも自分が満たされていることに無自覚)」に対して激しい反発を感じる人が、ハルをいじめのターゲットにします。耐えきれずハルはソフトボール部を退部してしまいます。しかし……
 ラグビー部のリュウセイがことばでは常に直球勝負なのが笑えます。ラグビーは楕円球だろう、と。対して、リュウセイにだけはぽんぽん心にもないことを言えるハルは、対人関係の基本は完全にキャッチャータイプです。自分を主張するよりも他者を気遣い、相手の言葉をとりあえず受け止めてしまいます。だけど「受け止める」ことに限界が来たとき、ハルは一度崩れ、そして大きく成長することになります。一夏で身長もぐっと(夏休み中だけで8cmも)伸びましたけれどね。
 ともかく、汗臭く小便臭い青春ものです。本書に描かれているのは、私が中学生をやっていたときから何世代かあとの時代だろうとは思いますが、それでも彼らの生活はとっても懐かしく感じます。もう一度中学生に戻りたいかと問われたら、たぶん断りますが、でもやっぱり懐かしいなあ。


ベル・エポック

2016-01-27 06:53:12 | Weblog

 「昔」は、うまく枯れて記号になってくれていたらひたすら古き良き懐かしきものですが、実体が残っているとそこまで良いものではなかったりします。たとえば「学校給食」でも、ぱさぱさのパン・脱脂粉乳の膜・上手く解凍されていない冷凍ミカン・着色料ばっちりの魚肉ソーセージ……なんてものの記憶がある限り、私は「なつかしい」とはちらりとは思っても、「また食べたい」なんてことは思いません。

【ただいま読書中】『工場見学! 学校にあるもの』中村智彦 監修、PHP、2013年、2500円(税別)

 「地球儀」「机とイス」「ランドセル」「リコーダー」「ソフトめん」がどのように製造されているのか、「工場見学」をしてみた、という本です。ちなみに、私が通った小学校では「ソフトめん」は給食に出てきていませんが、それ以外は「なつかしいなあ」という思いで読むことができました。
 単に「工場見学」だけではなくて、たとえば「地球儀の歴史」などのミニ知識も紹介されています。「もの」の背後に「歴史」が存在することを子供たちに教育もしてくれる本です。そうそう、本書を読んでいると、この半世紀くらいで日本の「学校」がずいぶん変わったこともわかります。この知識は「大人に対する教育」かもしれません。


雪の雀のお宿

2016-01-26 07:03:46 | Weblog

 普段から雪に慣れている地域では、おそらく今回の雪は「プラスアルファ」の評価でしょう。普段あるものが増量した、ということで「プラスの領域」は「プラスの領域」のままのはず。しかし、雪に慣れていない地域では「ドンデン」です。普段存在しないものに直面させられたのですから、「マイナスの領域」が「プラスの領域」に強制的にシフトされてしまったのです。これは衝撃です。
 そしてその衝撃を感じているのは、人間だけではないはずです。
 たとえば雀。普段雀のお宿になっている木が雪をこっぽり被せられています。雀の気配はありません。雪に不慣れな彼らはこの環境の激変の中、どこで餌を探し出し、どこで眠っているのでしょう?

【ただいま読書中】『鬼・鬼・鬼』高橋克彦 編、祥伝社、2002年、838円(税別)

 目次:「空中鬼」高橋克彦、「鬼を斬る」藤木稟、「大江山幻鬼行」加門七海

 「鬼」をお題とした200枚くらいの中編小説アンソロジーです。作品の時代はそれぞれ、平安、明治、そして平成。平安はわかりますが、明治や平成の「鬼」をどう料理するか、もし私が小説家だったらまずは頭を抱えそうです。
 しかし「鬼」って一体何なのでしょう? 現在「テロリスト」というレッテルが貼られたらどんな扱いをしても許される風潮ですが、それと同じように「鬼」というレッテルが貼られたら、もうなぶり殺ししか期待できません。酒呑童子や桃太郎をみたら明らかですが、証拠とか反論とか公正な裁判とかは一切存在しません。それどころか、「本当に鬼か?」「本当に鬼だとしても、鬼には鬼の言い分があるのではないか」なんてことをうっかり口走ったら、「鬼の眷属」として「人間」もまたなぶり殺しです。
 やれやれ、「鬼との共存生活」はなかなか大変そうです。


米を洗わない

2016-01-25 07:10:24 | Weblog

 「米をとぐ」のかわりに「米を洗う」と言うのを初めて聞いたのは、昭和の末頃のことだったでしょうか。「米は研ぐものであって、洗うものなんかじゃないぞ。そもそも洗剤でも使うのか?」なんて私は小さく毒づいていましたが、そのうち「無洗米」なんてものが普及して「米は洗うもの」どころか「米は洗わないもの(もちろん研ぎも不要)」になってしまったようです。ただ、最近お米を研ごうと思っても、糠の出があまりに悪いのであきれてしまいます。精米技術が進歩して糠の残存がほとんどなくなってしまったのでしょうね。これだと「研ぐ」必要なんか、全然ありません。その内お米は「軽くすすぐもの」になってしまうのかもしれません。

【ただいま読書中】『「桶狭間」は経済戦争だった ──戦国史の謎は「経済」で解ける』武田知弘 著、 青春出版社、2014年、870円(税別)

 桶狭間の戦いでどうして織田信長が勝てたのか、その理由は「経済」にある、という本です。もちろんお金で今川義元の首を打てたわけではありません。「強い兵隊」がいたからです。信長公記によると、朝から数十キロの強行軍をした直後に戦いに突入、そして勝ってしまうくらいの強兵が。その理由としては、「常備軍(兵農分離をした兵隊)」を信長が持っていたこと、と著者は考えています。そしてその根拠として「津島」という大きな港からの利益が莫大であったこと、信長が建築した城がどこも巨大であったこと、さらに本拠地の城を転々と移動したこと、を挙げています。利益を常備軍につぎ込み、その居住や訓練などのためには巨大な城を必要とし、さらに農兵だったら不可能な「本拠地の移動」が可能だった、というわけです。
 さらに著者は「桶狭間」は、今川の「上洛の戦い」ではなかった、と主張します。本気で上洛するには準備が明らかに不足していて、これは当時の重要産業だった常滑焼の産地である知多半島争奪戦だった、と言うのです。信長の父の織田信秀の時代から、津島と知多半島は織田の支配下にあり、だから信秀は朝廷に四千貫(三万石の大名の年間収入に匹敵)をぽんと寄付したりしています。
 信長の経済政策は、他の戦国大名とは違って「減税」が特徴でした。農民には年貢の他に棟別銭(家に対する税)などがかけられるのが当時の“常識”だったのに対して、信長は年貢だけにしていたようです(「桶狭間」のころの尾張の記録はないのですが、たとえば越前や甲斐に出された法令からの推定です)。関銭も廃止しています。さらに「デフレ」(宋銭の輸入が止まっての銅銭不足)を是正するために、金銀を高額貨幣として設定します。さらに信長は、農民の納税を「貫高制」(銭で納税)から「石高制」(米で物納)に変更しました。
 当時の「大金持ち」には寺社が名を連ねていました。信長の寺社圧迫にはだから経済政策という側面もあります。また「楽市楽座」も、単に商業を盛んにするだけではなくて、市や座を支配していた神社や寺院の力を削ぐ、という狙いもありました。関所の廃止も流通促進策です。当時の関所はほとんどが地元の豪族などが勝手に作ったもので、寛正三年(1462)に淀川河口から京都までの間に380箇所も関所があったそうです。伊勢の桑名から日永までは60以上。関銭だけで大変なことになります。しかし「中央集権」でなければ「関所の廃止」はできません。それを力ずくでやったのが信長だった、というわけです。道路整備や架橋、水上交通の整備も行っています。初めて上洛したときにも、将軍から領地のかわりに「堺、大津、草津に代官を置く」許可をもらいました。この3つの地はどれも「盛んな港」です。つまり信長は「領地」より「物流」を重視していたわけです。すいぶん“進んだ大名”だったんですねえ。彼がもし「幕府」を開いていたら、日本はどうなっていたのか、とても興味があります。


寒い!

2016-01-24 13:56:22 | Weblog

 数十年来の寒波だそうですが、暖房をかけていても家の中で震えています。自動車はスタッドレスタイヤに交換してあるし、先週満タンにしたから何があってもとりあえず何とかなる、なんて思ってましたが、そもそも外に出る気になりません。

【ただいま読書中】『墓場の少年 ──ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活』ニール・ゲイマン 著、 金原瑞人 訳、 角川書店、2010年、2500円(税別)

 児童文学の書棚にある本ですが、奇妙な、というか、陰惨な始まり方をします。一家が惨殺されるシーンです。たった一人生き残ったのはよちよち歩きの幼児一人。彼は近くの墓地に迷い込み、同情した幽霊の夫妻に育てられることになります。
 「幽霊の子育て」って、無理ですよね? その「無理」を通すために、協力者が必要になりますが、そのためにかえって新しい無理(と謎)が次々登場することになります。さらに、ノーボディと名付けられた子供(愛称ボッド)の家族を殺した「ジャック」は、まだノーボディを殺そうと探し回っています。なぜ? これまた謎です。
 墓地自体もまた「謎」です。ローマ人にブリテンが支配されていた頃からの“歴史”を誇るのですが、丘の中には幽霊たちにもわからない何か別の古いものが葬られているようなのです。ボッドは、初めての友人(スカーレットという少女)と墳墓を探検しますが、見つけた“お宝”はがっかりするようなもので、さらにその行為のために友人を失ってしまいます。だけど、ボッドはすくすくと成長します。育ちが育ちなので、姿を消したり人の夢を歩いたり恐怖を植え付けたり、なんてこともできるようになってしまいますが。そうそう、学校ではまるで座敷童のような存在になってしまうのですが、著者はもしかして日本の座敷童をご存じなのでしょうか?
 墓地の外、生者の世界にはボッドの死を望む者がいます。墓地の中、幽霊たちはボッドの生を望んでいます。なんとも不思議な世界です。そして、死者は己の生を全うしているけれど、生者はちゃんと生きられない者たちなのです。そして、ボッドはまた「ジャック」と再会してしまいます。多くの犠牲を払ってジャックから逃れることに成功したボッドは、ついに「自分の人生」の第一歩を踏み出すことになるのですが……
 一家皆殺しで始まり、墓地から自分の人生を始めることで終わるという、実に奇妙な本です。しかし、「生きる」ということについてこんなに平易な言葉で深く考えさせてくれる本も珍しいでしょう。カーネギー賞(イギリス)とニューベリー賞(アメリカ)を両方とも授賞するという、とんでもないことをしてしまったわけも、読んだらわかります。


100%無添加

2016-01-23 07:09:39 | Weblog

 最近は「無添加」という言葉に呪術的な効果でもあるのか、と思うくらい、いろいろな食品や化粧品などで「無添加」「無添加」の大合唱です。この前吹き出しそうになったのは、あるコンビニで「100%無添加たばこ」という表示を見つけたときです。だってそこに並んでいたのは「メンソールたばこ」の箱だったんですもの。もしかして、畑から葉っぱにメンソールが含まれている品種ですか? それと、やはり無添加だと何か健康に良いのかな?

【ただいま読書中】『ペストの歴史』宮崎揚弘 著、 山川出版社、2015年、2500円(税別)

 ペストは日本では「対岸の火事」でした。しかし世界ではペストは断続的な流行を繰り返し続けていました。世界的な流行は、「541年~767年、古代ローマ帝国の領土全体」「1340年代~1840年代、ヨーロッパと北アフリカ」「1860年代~1950年代、中国、インド、東南アジア、ハワイなど」の3回が知られています。
 中世ヨーロッパでの流行は、軍隊・巡礼・貿易船・避難者によってもたらされたペスト菌によって起きました。避難者というのは、流行を恐れて逃げ出して他の都市に流入した人たちのことです。
 中世ヨーロッパの人たちは、疫病の恐怖から逃れるために、避難以外に、享楽的な生活やユダヤ人迫害にも熱心に取り組みました。もともとユダヤ人差別はカトリック教会が公認していて、11世紀頃から公会議で「公職への就任禁止」「カトリック教徒との共住禁止」「土地の取得禁止」「黄色のユダヤ人章携帯義務」などを定めていました。そして、黒死病が猛威をふるうたび、「ユダヤ人が毒でカトリック教徒を病気にして殺しまくっている」というデマが発生し、ユダヤ人が殺されました。殺すことにはメリットがあります。まず不安を忘れることができます。さらに、殺したユダヤ人からの借金が棒引きになります。14世紀前半にユダヤ人社会は、大きなものが60、小さなものは150が壊滅しました。例外は、オーストリア大公のアルブレヒト二世とポーランド国王カジミエシ三世のみ。そのため、虐殺がなかったウィーンとワルシャワにユダヤ人が集中することになります。
 自らの体を鞭打つことで神に謝罪の意を表し、神の怒りである黒死病の流行を止めてくださいとお願いする、鞭打ち苦行団も流行しました。つまり黒死病は「神罰」だ、という主張です。だったらどうしてユダヤ人を殺していたんでしょうねえ。
 死亡率は「とても高い」としか言いようがありません。きちんとした戸籍や死亡届出制度がありませんから。ただ、マルセイユから1348年にアヴィニョンに広がった黒死病はアヴィニョンの人口の半数を殺したと推定され、そこからトゥルーズで40%を殺し、ペルピニャンでは「125人の公証人のうち80人」「市の嘱託医9人のうち8人」「18人の外科医のうち16人」を殺しています。遺言や治療で患者に接することが多い職業ですが、それにしても慄然とする死亡率です。アルビでは1343年から57年に、納税者が1万から五千に減少しました。
 芸術もペストの影響を受けました。「死」が絵画のテーマとして扱われるようになったのです。教会も、生き残った人に熱心に働きかけます。その結果でしょうか、ヨーロッパ各地で聖母・聖人信仰が高まりました。さらに、貴族だけではなく裕福な市民も個人の礼拝堂を建築するようになります。「宗教の私物化(カンターのことば)」です。農民の激減(死亡と都市への逃亡)により、封建領主の力は削がれます。対して都市のギルドの力は増します。「目に見えない病原体による伝染病」という概念が登場し、公衆衛生や検疫などの社会的制度が充実します。行政は「危機管理」を始めます。
 もしかしたら「現代」はペストによって形作られた部分が大きいのかもしれません。


年期奴隷奉公

2016-01-22 07:00:16 | Weblog

 懲役刑とは、年期を限った奴隷奉公のことでしょうか?

【ただいま読書中】『蛇と虹 ──ゾンビの謎に挑む』ウェイド・デイヴィス 著、 田中昌太郎 訳、 草思社、1988年、1600円

 ハーヴァードで人類学を勉強していた著者は、南米の植物調査を志します。最初の惨めな“冒険”は、著者の人生を大きく変えてしまいます。風変わりな土地に惹かれるようになってしまったのです。指導教官シュルツ教授は著者に「ハイチに行ってゾンビ毒を研究するように」と課題を与えます。
 ゾンビ?
 教授が求めるのは「ゾンビ化を起す薬物」です。南米の矢毒から筋弛緩剤のクラーレが、古代インド医学の生薬からレセルピンが開発されたように、もしゾンビ化薬が本当にあるのなら、そこからは何か有用な新薬が生まれるはずです。
 著者が思いついた有毒植物はただ一つ「ダツラ(ナス科チョウセンアサガオ属)」だけでした。その一つ「ダツラ・ストラモニウム」はハイチでは「ゾンビの胡瓜」と呼ばれていました。さらに著者は「ハイチのゾンビ」を「生物学的な意味での(動く)死体」ではなくて「文化的な死体(一度死を宣告された後に社会で生きている存在)」ではないか、と考えます。憶測だけで形成された作業仮説ですが、少なくとも出発点にはなる、と著者は考えます。
 ハイチの刑法249条では「死と紛らわしい昏睡状態を引き起こす物質(ゾンビの毒)」の使用が禁止されていました。つまり“そういったもの”が存在することが公然と認知されているのです(使用は禁止されていますが)。その毒の調合師にも簡単に会え、彼はすぐに調合をしてくれました。「ゾンビ」だけではなくて「ハイチ」そのものが著者を困惑させます。ハイチの出自は独特です。フランス革命直後に、おそらく史上はじめて「奴隷の反乱」を成功させ、それから100年間は(特殊な歴史を持つリベリアを除けば)世界唯一の黒人主権国家であり続けました。そして、ハイチ独特の宗教がブードゥーです。そのコミュニティーを導くのはオウンガン(神官)。ただし、ボコール(邪術師)も活動しています。
 著者は「実際にゾンビにされた(と本人も回りも認めた)男」と面会して話をします。そんな人(死亡診断書などで「死」が社会的に公認されたのに、その後墓場から蘇った人)があちこちにいるのです。しかし著者は何も確信を得ることができません。
 毒の調合に著者は付き合いますが、最初に行うのは墓暴きです。腐敗しかけた遺体を盗むのです。さらに有毒の動植物が集められます。それらの標本を著者は大学で分析にかけます。その中にフグが含まれていることから、「ゾンビ毒」はテトロドトキシンではないか、と著者は思いつきます。量さえ適切なら、テトロドトキシンで一時仮死状態になってから蘇ることはあり得るのです。動物実験では、ネズミやサルはたしかに仮死状態になりました。しかし、「毒」だけで本当に人はゾンビになってしまうのか?と著者は疑問を持ちます。さらに調査を続け、著者は「ゾンビ化」はハイチの「秘密結社」の社会的制裁(つまり犯罪者に対する「正義の行為」)であることを知ります。そして「秘密結社」はハイチの伝統そのものであり、ハイチの人々とともにあるものなのです。
 ブードゥー教に関してはネガティブな言説が横行しています。しかし、たとえば「憑依」について、人類学の研究では世界中の488の社会で360に何らかの形での「憑依」が存在することが確認されています。つまりブードゥー教だけが“異常”なのではありません。そして、ゾンビを理解するためには、ブードゥー教を、つまりはハイチをきちんと理解する必要があります。さて、私はハイチについて、何を知っているのかな?