【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

電波が県境を越えるには、お金がかかる

2014-03-31 07:09:00 | Weblog

 私は「らじる★らじる」と「radiko」を使ってパソコンで「ラジオ」を聞いています。だけど「インターネット」を使っているはずなのに「手元にラジオがあったら聞くことができるラジオ局」しか聞くことができません。そこに新しいサービス「radico.jpプレミアム」が4月1日から始まるそうです。月額378円で、radikoに参加している全国民放60局が聞き放題。
 ……他の無料アプリですでに全国どころか全世界のラジオ放送が聴けるんですけど……もっとも暇が無いので私は聞いていませんが。まあ、有料には有料の良さがあるのでしょうね。その内に「○○放送の番組××が熱い!」なんてことがネットで評判になったりするのかな?

【ただいま読書中】『ドン・キホーテ(1)』セルバンテス 著、 会田由 訳、 晶文社、1985年

 原題は「才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」です。1605年著者が58歳の時に前編を出版、10年後に後編を出版した、というとても古い本ですが(日本だと、関ヶ原の戦いが1600年、大坂夏の陣が1615年です)、たぶん今でも読む価値はあるだろう、ということで図書館の書庫から発掘してきました。
 主人公は、エンゲル係数が75%という貧しい生活をしていたやせこけた郷士(50歳くらい)、名前はありません。彼は騎士物語に没頭し、あまりに本を読みすぎたために本の内容がすべて真実だと思い込みます。そこで彼が行なったのが「名付け」。まずは愛馬に「ロシナンテ(さきの痩せ馬)」、ついで自分に「ドン・キホーテ(・デ・ラ・マンチャ)」と名付けます。では次の行動は? もちろん「貴婦人の探索」です。百姓娘は「姫君」、旅籠は「城塞」と「言葉」を貼り付けられると「そう」なります。少なくとも「ドン・キホーテ」にとっては。
 これを「狂気の行動」と見るのは簡単です。しかし、私たち自身も「世界」をこうやって「自分が貼り付けた言葉」で認識しているんですよね。
 まずは3日間の冒険で、ドン・キホーテはぼろぼろになって帰宅します。親しい人々は心配をし、焚書をすることでドン・キホーテを救おうとします。
 ドン・キホーテはくじけません。傷を癒やし、乏しい財産を処分して金を作って装備を揃え、農民のサンチョ・パンサを従士として雇い入れます。さあ、痩せ馬に載った“騎士”ドン・キホーテと驢馬に乗ったサンチョ・パンサ主従の出立です。出発するなり二人は「巨人たち」に遭遇します。おっと、「巨人」と遭遇したのはドン・キホーテだけで、サンチョ・パンサは「風車」と遭遇していたのですが。巨人に突進したドン・キホーテは見事に敗退。サンチョ・パンサは「あれは風車だ」と言い聞かせますが、ドン・キホーテは「自分の手柄を横取りするために、悪い魔法使いが巨人を風車に変えたのだ」と言い張ります。おや、全身打撲のショックで「風車」が見えたんですか?
 人々はドン・キホーテに様々なことを問いただし、それにドン・キホーテが「本にはこのように書いてある」と蕩々と述べるとそれをあざ笑います。ところで「中世」には「それ」が「常識」だったんですよね。ドン・キホーテのほんの少し前の人々は「その価値観」に従って生きていたわけです。それが近代になると「狂気のしるし」になるとは、単に「時代が変わった」だけでは済ませることができないナニカがありそうです。日本だったら、明治になって断髪・廃刀令に抵抗した人々がドン・キホーテにやや近い心性を持っていたのかもしれません。
 ともあれ、「風車」の場面で、ドン・キホーテの旅はまだまだ始まったばかりです。さてさて、この旅路はどこにドン・キホーテ(とサンチョ・パンサと読者)を導くのでしょう?


見逃し方

2014-03-30 07:36:33 | Weblog

 高校野球などの中継を見ていて、あまりに褒めるところがなかったのか「どっしりと構えて、良い球の見逃し方でした」なんてことを言っている人がたまにいます。だけどそれで三振したらまったく同じ見逃し方をしていても「手も足も出ませんでした」になるのは、不思議です。

【ただいま読書中】『いのちと重金属 ──人と地球の長い物語』渡邉泉 著、 ちくまプリマー新書206、2013年、820円(税別)

 まずはビッグバンから話が始まります。宇宙が始まったとき、そこには水素・ヘリウム・リチウムしか存在しませんでした。やがてあちこちに恒星ができます。そこで核融合によって鉄までは形成されましたが、それを越える重い元素は存在しませんでした。恒星が死を迎え、超新星爆発などをするとその時「重い元素」が次々と生まれます。宇宙ができてから数多くの星が死に、80億年後に私たちが住む太陽系ができました。そしてそこには「重い元素」も少しは含まれていたのです。それらはすべてかつては「別の星」にあったものです。
 地球ではやがて生命が発生しました。最初の重大な「生命による環境破壊」は「酸素の発生」です。「猛毒の酸素」によって海水中の膨大な鉄は酸化して沈み、生命は毒に耐えるために「活性酸素を除去する酵素」を使いますが、そこに含まれていたのが銅や亜鉛などの「重金属」でした。
 やがてヒトが出現し、まず重金属(水銀やヒ素)を「顔料」として利用します。ついで銅と鉄を「道具」として。近代錬金術からは化学が生まれ、現在はレアメタルの争奪戦が繰り広げられています。ヒトはわざわざ地中から重金属を掘り出し、利用し、環境にばらまいています。ここで問題になるのは重金属の「毒性」「分解性」「環境への放出量」「生物濃縮」です。現在の「公害」は、ヒトによる環境破壊です。足尾鉱毒事件、イタイイタイ病、土呂久公害(ヒ素)、東京都六価クロム事件、水俣病、森永ヒ素ミルク……これらについての記述を読むと「コワイのは、重金属そのものだけではなくて、人間(企業や行政)の対応だ」と思えます。すごく非人間的な対応を、平気でできる人がこの世にはけっこう存在しているのです。これは戦前からの日本の伝統なのかな。そして、その「伝統」は福島でも大活躍しているのかな。もしも政府が「過去から学んで」いたら、フクシマの被害者は、これまでの日本の「被害者」ほどは悲惨な思いをせずに済むはずなのですが。
 ヒトが生きていくためには、重金属が必要です。体内の微量元素として、あるいはハイテクのレアメタルなどとして。「再生エネルギー」という美しい言葉を実現させるためにも、電池や太陽電池に重金属が必要です。ナノテクノロジーにも重金属の触媒が不可欠です。さらに医学でも、意外なことに「過剰」よりもはるかに多い「重金属の欠乏による病気」を治療するために重金属が必要です。
 「重金属との付き合い方」が、まだまだヒトは下手なようです。しかし、その害も益も含めてまともに向き合わなければ、また別の悲劇が起きるだけでしょう。著者は冷静に(あるいは冷酷に)書いていますが、ヒトは「自分の命は最優先」しますが、「他者の命」にはけっこう冷淡なものですから。


永久機関

2014-03-29 07:43:30 | Weblog

 「核分裂」と「核融合」を繰り返し行なったら、永久機関(のようなもの)になりませんか? 周囲は大迷惑かもしれませんが。

【ただいま読書中】『+−×÷のはじまり』原島広至 著、 KADOKAWA(中経の文庫)、2014年、650円(税別)

 数学で使う記号のルーツを探る本です。ただし諸説あるので、本書で紹介されているのは著者が「一番確からしい」と考えた説です。異論がある人は著者と議論をしてみてください。
 「+」は、ラテン語の「et(そして)」が語源だそうです。「et」が変形して「+」になったのですが、もう一つ別の形に変形したのが「&」だそうです。漢和辞典にある漢字の変化も面白いものですが、こういった文字(記号)の変化もなかなか興味深いものがあります。
 イタリアでは古くは、足し算の記号に「P」、引き算の記号に「M」が使われていたのですが、この「M」が雑に書かれている内に直線化した、という説があるそうです。ちなみにローマ字の「M」は、「波を示すフェニキア文字」が元だそうです。
 「×」を考案したのはイギリスの数学者ウィリアム・オートレッド。しかし「エックスと紛らわしい」とドイツのレギオモンタヌスが考案した「・」も広く使われました(代数で「a・b」と現在も用いられていますね)。パソコンのキーボードには「×」がなくて「*(アスタリスク)」を用いますがこれも「エックス」との混乱を避けるためでしょう。オートレッドは「:」「/」「sin」「cos」も考案したそうです。
 「÷」はヨハン・ラーンが考案しました。分数を簡略にしたもので、線分の上下の点は分子と分母を表している、と言われています。ラーンは「∴(ゆえに)」も作っています。
 ところでドイツをはじめとするヨーロッパでは「:(コロン)」を割り算の記号としても用います。だから「6:3=2」なのだそうです。
 古代エジプトでは「分数」は基本的に「分子が1」で表現されるべきものだったそうです。例外は「2/3」くらい。だから「3/4」は「1/2+1/4」または「2/3+1/12」で表現されます。計算は面倒ですが、日本のある種の人のように「1/4+1/4」を「2/8」と答える人は出現しないでしょう。
 古代バビロニアでは、数字は「1」と「10」の二種類だけです。「1」はゴルフのティーのような形、「10」はマキビシのような形です。ところが「60進法」なんですよねえ。ああああ、計算が…… さらに「60」は「1」と同じ数字が使われます。ちなみに「360」「1/60」「1/360」も同じ数字。これできちんと表記ができるのか、と思いますが、“文脈”を読めば明らかなのでしょうね。
 小数点は、日本・英米では「.」ですがヨーロッパでは「,」です。お金のやり取りの時などには気をつける必要があります。
 「=」を最初に数学で用いたのはロバート・レコード。それまではラテン語で「等しい」という意味の「aequatur」「aequales」が用いられていました。「aeq」または「ae」と省略は可能ですが、それでも一々書くのは面倒ですね。数式と言うより小論文を読んでいるみたい。英語の「赤道」Equatorも同じラテン語から派生しています。そしてエクアドルEquadorはスペイン語の「赤道」です。あら「赤道」国だったんですね。
 数学の「記号」を「言葉で遊ぶ」本です。うんちくというかトリビアというか、とにかく豆知識が溢れかえっています。本書を読んでも数学の力はつきませんが、数学が少し好きになるかもしれません。


時代は巡る

2014-03-28 07:57:16 | Weblog

 国鉄が分割民営化されてJRになったのは昭和62年のことです。だけど、よくよく考えたら、もともと国鉄自体は各地の私鉄を国有化することでできたものでした。結局平成は明治時代に戻っただけ、と考えたらよいのでしょうか。郵便が民営化されたのは、民営の飛脚が走っていた江戸時代にまで戻ったようですが。

【ただいま読書中】『国鉄の基礎知識 ──敗戦から解体まで』所澤秀樹 著、 創元社、2011年、2800円(税別)

 大正11年に公布された「改正 鉄道施設法」には1万8000kmの敷設予定が書き込まれていました。ただし、秩序や計画性を完全に欠いた“大風呂敷”の法律で、明らかに「票目当て」のものでした。その結果が「赤字ローカル線」の大盤振る舞いです。予算不足から幹線も立派なものではありませんでした。そして、それらの「低規格の線路網」が戦争でぼろぼろになったところから、本書は始まります。
 鉄橋はほとんど損害がなかったのですが(占領後を考えて空襲を控えた、と言われています)、石炭は不足し車輛はぼろぼろ線路は整備不良、GHQの輸送計画が最優先……そこに買い出し客などが殺到します。当時の車内の状況を親が時々話してくれますが、なんとも悲惨なものです。
 当時労働組合運動は激化し、特に国家公務員組合が共産主義者の過激派と結んで過激化していたことにマッカーサーは手を焼いていました。そこで国家公務員の争議行為禁止を指示しますが、国鉄職員(当時は国家公務員)にはある程度の権利は残すべきとも考えていました。そこで生まれたのが「公社」のアイデアです。当時は「準公務員」なんて言い方をしていましたっけ。かくして昭和24年に「国鉄」が誕生します。しかし、独立採算ということで大幅な人員整理を行ったため(60万人のうち10万人の首切り)、労働組合との間に激しい対立が生じます。そして、国鉄三大ミステリー「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」が。
 明るい話題もあります。昭和25年「国鉄スワローズ」の誕生です。もともと国鉄にとって「つばめ」は特別な名前です。戦前には「超特急“燕”」が東京・神戸を9時間で結びましたが、それはそれまでより2時間40分も短縮していたのです。戦後に復活した特急もまず「つばめ」と名付けられています。
 昭和29年には総路線距離が2万kmを突破。めでたいようですが、この頃から「赤字ローカル線」問題が取りざたされるようになってきます。また、洞爺丸事件が起きたのもこの年でした。
 昭和30年代は、国鉄黄金時代と言われています。旅行客が増え、周遊券が発売されます。電化も進められます。31年には東海道本線が全線電化。32年には東海道新幹線構想が発表されます。35年に「所得倍増」の池田内閣が発足、国鉄も当然その政策の一翼を担うことになります。政府は、採算度外視の「国家的要請」を国鉄に強制しますが、そのための資金は国鉄が借り入れなければいけませんでした。大義名分は「公共性」ですが、あまりのことに政治路線建設を国鉄が拒むと、昭和39年には「日本鉄道建設公団」を設置してそちらで勝手に新線を建設、開業後に国鉄に引き取らせる、という手法を政府は採用しました。39年と言えば、新幹線開業ですが、その裏側で国鉄の足を盛大に引っ張る“事業”も行われていたわけです。さらに高速道路によって自動車という“ライバル”も登場します。
 40年代にはこんどは航空機が“ライバル”として登場します。国鉄は大変です。しかし輸送力不足の解消が常に求められ、投資をやめるわけにはいきません。とうとう赤字決算となり、以後累積赤字は膨らむ一方となります。人員整理、赤字ローカル線の廃止などの「努力」は行われますが、労働組合は(当然)大反対し、廃止した分だけ鉄建公団がせっせと新線を建設するのですから困ったものです。45年の万博と「ディスカバー・ジャパン」が“明るい話題”です。46年には、東北・上越新幹線と青函トンネルが着工されます。48年頃には「スト権スト」「遵法闘争」が登場。これには私も泣かされました。「正確なダイヤ」がいかに貴重なものか、よくわかりました。一時期国鉄には30も労働組合があり、それぞれが犬猿の仲だったそうです。それぞれと交渉する当局も大変だったでしょう。
 50年代後半には「国鉄叩き」がブームとなります。メディアでは国鉄職員はまるで“国賊”扱いでした。本当にみんなが国賊なのだったら、世界に冠たる正確なダイヤはどうして維持できていたのか、不思議ですが。ともかく世論は「国鉄はワルモノ」で盛り上がり、分割・民営化の検討が始まります。最初は財政問題解決のための分割・民営化のはずでしたが、いつのまにか労組つぶしに話がシフトしていきます。

 こうして編年体で国鉄の歴史を読んでいると、かつて何回も乗った夜行特急の音と振動や、新幹線の客室が煙草の煙でもうもうとしていたことなどを思い出します。国鉄が「政治のツール」として重宝され、“役目”が終わったらあっさりと捨てられたこともよくわかります。国鉄総裁なんて、明らかに座席に“針の筵”が敷かれています。
 ところで現在の日本での「政治のためのツール」は、一体どこなんでしょう?  原発?  ということは、その内美味しいところをしゃぶり尽くされたらあっさり“整理”されちゃいますね。


逆さ箒

2014-03-27 07:08:12 | Weblog

 今はもう意味不明の人が多いでしょうね、と言うか、箒がない家の方が多くなっているかもしれません。
 長っ尻の客に早く帰ってもらうためのおまじない、と私は教わりましたが、箒を逆さに立てるだけではたぶん何の効果も無いでしょう。箒は呪具ではないのですから。私の想像では、客が便所(当時の呼び方)を借りたときに見えるところに立てておいたら、なぜか霊験あらたかだったのではないかな。

【ただいま読書中】『星界の戦旗IV ──軋む時空』森岡浩之 著、 早川書房、2004年、520円(税別)

 戦争が起きて7年。帝国は新たな行動を起こしました。「三ヵ国連合」の分断を目差す「双棘」です。そのさなか、中立を決め込んでいたハニア連邦が、帝国にややこしい密約を持ちかけます。これは、戦争の早期終局をもたらす可能性が大ではありますが、その副作用として短期的な戦死者を増やす可能性のある提案でした。
 ラフィールは襲撃艦の艦長として、生き生きと動いています。ラフィールの弟ドゥヒールも戦列艦(時空機動爆雷を大量に発射する母艦)に一番下っ端として乗り込んでいました。
 これまでの戦いは、星系をかけてのものが中心でした。しかし本書では、戦いのスケールは銀河レベルに近くなり、さらに外交的な陰謀のにおいがぷんぷんするものになっています。「目の前の敵艦を撃破する」だけの単純な戦いをすれば良い、と割り切っている指揮官たちも、その戦いの背景を推測し、戦いの直後に何が起きるかを予測しながら戦いを続けなければいけなくなっているのです。
 そして、これまでラフィールとジントの「成長」につき合ってきた読者は、艦内に意外な光景を見ます。新たに戦いに参加してきた“若者たち”が「成長する姿」をラフィールとジントが見守っているではありませんか。
 そして、もしかしたら「最後の戦い」(の始まり)になるかもしれない作戦「雪晶」が始まります。帝都とハニア連邦を“天秤”にかけた戦いですが、そこでドゥヒールはことによったら「一番下っ端」から「とんでもない高み」に据え付けられてしまうかもしれない立場に立たされることになってしまいます。
 そして……というところで唐突に「次巻に続く」となってしまいます。お~い、リアルタイムでこのシリーズを読んでいる読者だったら、泣くぞ。3年も待たされてこれではね。私のようにまとめて一気読み、だったら別に良いのですが。


初心者マーク付きを見たくない乗り物

2014-03-26 07:06:42 | Weblog

 バス、タンクローリー、パトカー、F1カー、タンカー、宇宙船

【ただいま読書中】『江戸のハローワーク ──現代の職業のルーツは江戸時代にあった』山本眞吾 著、 双葉社、2012年、800円(税別)

 江戸には「ハローワーク」がありました。当時は「口入れ屋」と呼ばれましたが、現代の人材派遣会社の機能も併せ持っていました。しかし、「やる気」さえあればその日から始めることができる「天秤棒で荷物を担いでの行商人」も様々な種類の仕事が江戸には用意されていました。
 魚は「一種類だけの行商人」(たとえば鰯売り、蒸し鰈売り)がいました。鯵売りは季節に関係なく売り歩きましたが、特に夏の夕方にやってくるのを「夕鯵」と言って江戸の風物詩として親しまれたそうです。江戸風情ですねえ。
 貝売りには子供が多く見られたそうです。これは風流とはちょっと言いがたいけれど、たぶんそれは現代の感覚でしょうね。当時には当時の事情があったはず。鯨も当時は「魚」でした。江戸では年末の大掃除の日(12月13日)に鯨汁(味噌汁に鯨の白肉を入れたもの)を食べる習慣があり、行商人が売り歩いたそうです。
 「浅草海苔」は、最初は本当に浅草川で採取されていました。しかし養殖は品川や大森で行われそこから浅草の海苔問屋に送られていたそうです。問屋の中心はそのうち日本橋に移ります。
 江戸100万人に野菜を供給していたのは近郊の農家でした。隅田川東側は三角州地帯で、蓮根・クワイ・里芋・ネギ類に適し、江戸西側は関東ローム層の台地で水の便は悪いのですが、根菜類の栽培に適していました。その野菜類が集荷されたのが青物市場です。その中で最大規模を誇ったのが神田青物市場。小売店は「青物屋」「青屋」と呼ばれました(「八百屋」は上方の呼称です)。
 小売りの米屋は「搗き米屋」と呼ばれました。問屋から玄米を仕入れ、搗いて売ったからです。臼を転がしながら「米搗き」の行商をする「大道搗き」もいました。めっちゃ体力が必要そうです。
 酒も大量に消費されます。上方からの酒は「下り酒問屋」が扱い、関東の酒は「地回り酒問屋」が扱いました。
 蕎麦は最初は、練ったものを菓子屋で蒸籠に盛って蒸して食されていました。それが「麺」になって「食事」になります。最初はうどん屋の付属のような感じですが、やがて蕎麦屋として独立します。なお、当時の蒸籠は、現在のより小ぶりだったそうです。
 逆ににぎり寿司は、最初の頃はおにぎりのような大きさだったそうです。江戸っ子が立ち食いで2~3個口に放り込んだらさっさと立ち去る、ということで、小さいのをちまちま、とはいかなかったのでしょう。
 お茶屋は「葉茶屋」と呼ばれました。水茶屋・料理茶屋と区別するためです。お茶(煎茶)を飲む習慣が広がったのは元禄頃から。
 現代の飲食店のルーツは「煮売り」です。調理した煮物・焼き物を売る商売の総称ですが、振り売り・立ち売り・辻売り・居付き店とあらゆる形態がありました。大名屋敷や大きなお寺などに弁当を配達する者は「焚き出し(賄い屋)」と呼ばれ、それが庶民相手に商売をする「飯屋」「居酒屋」になっていきます。
 江戸を代表する職人は大工・左官・鳶で「三職」と呼ばれました。江戸では、棟梁(大工の親方)を「とうりゅう」、左官を「しゃかん」とも発音していたそうです。
 本書では落語が多く引用されています。当時の庶民の生活を活写しているから当然ですが、「教養」として落語を聞くようになる時代が、そのうち来るかもしれません。私は楽しみで聞きますけれどね。本書に登場する噺の中では特に「紺屋高尾」を聞きたくなってきたなあ。


官吏による管理

2014-03-25 06:58:18 | Weblog

 シカ・サル・イノシシ・クマなどが、日本の中山間地で人間と“衝突”しています。地域によってはカモシカもそこに加わります。海ではアザラシやトドの「食害」があります。で、「駆除」「個体管理」なんて言葉が出るわけなのですが、それで私が思い出すのは「トキ」のことです。「官吏が管理に失敗してものの見事にトキを全滅させた」ことを。そもそも人が野生動物を「管理」なんて、できるものなんです? 生態系とは複合的なものですが、法律と単年度予算に厳しく管理されている日本の官吏がそんな複合的な問題をひょいひょいと扱えるとは私には思えないのですよ。

【ただいま読書中】『ジビエを食べれば「害獣」は減るのか ──野生動物問題を解くヒント』和田数夫 著、 八坂書房、2013年、2400円(税別)

 かつて日本のシカはオオカミによってその数をコントロールされていました。人間がオオカミを絶滅させハンターがそのかわりとなりましたが、ハンターの数はどんどん減少、森林環境もどんどん悪くなり、その結果「シカ害」が目立つようになっています。シカによって各地の森林で遷移攪乱が起き、尾瀬は乾燥化し、日本アルプスではお花畑が食い尽くされています。著者は、林野行政の見直しと、ハンターの増加(あるいはオオカミの復活)を唱えています。たぶんどれも行政には無視されることでしょうが。行政は「シカの間引き」以外には興味がないのですが、その主張には根拠(実際のシカの数、殺す手段の具体性、殺す数の根拠、殺した結果の評価、殺した肉の利用法)などがきれいに欠落しています。
 最近だったらアメリカのイエローストーン国立公園での「オオカミ復活」が印象に残っていますが、ヨーロッパでも地味にオオカミの復活が実施されているそうです。なお「オオカミが人を襲う」とおびえることを著者は「赤頭巾ちゃん症候群」と揶揄していますが、その根拠は本書をどうぞ。
 霊長類(サル)を研究していた著者は、中国にも出かけて研究をしています。さらには海へも。こちらはサルではなくてオットセイの調査です。そこで著者は「ジビエの可能性」を見ます。陸上の「害獣」は(イノシシ以外は)ジビエとしては日本では人気がありません。しかし海の「害獣」は、味が知られ魚の流通経路に乗ると、けっこうな量がはけるようになります。残念ながら「駆除」は「害獣による被害軽減」には結びついていません。ただ、殺すのだったら「ただ殺す」のではなくて「せめて食べる」姿勢は見せても良いだろう、とは私も思います。それが人類が日本にやってくる前から住んでいた「野生動物」への礼儀ではないかなあ。ただ、サルは美味いのだそうですが、なんだかあの形を見ると食欲が湧いては来ないのです。困ったものです。


次の大言は?

2014-03-24 07:07:57 | Weblog

 「最低でも県外」
 「コンクリートから人」
 「汚染水はコントロールされている」

【ただいま読書中】『星界の戦旗III ──家族の食卓』森岡浩之 著、 早川書房、2001年、560円(税別)

 ジントは自分の“領地”ハイド星系に帰還しました。なぜかラフィールも休暇を取って同行しています。しかし帝国に征服された直後に人類統合体に占領されたハイド星系は、帝国に帰属することに抵抗していました。
 アーヴでは新しい艦種「襲撃艦(重突撃艦のような軽巡察艦のようなもの)」が採用されます。この襲撃艦で編成されるのが「蹂躙戦隊」。なんとも素敵なお名前です。
 自分の領地に上陸できないジントは、第二の故郷デルクトゥーに向かいます。目的は後宮建設、じゃなくて、家臣募集。
 蹂躙戦隊は演習航海に出発します。目的地は、ハイド星系。訓練と同時に帝国には反乱の芽を摘もうという狙いがあるようです。
 そして、ジントとラフィールの宇宙船が、ジントの故郷である惑星マーティンから攻撃を受けます。
 まったく、どうしてジントとラフィールが行く先々で、常に戦雲が立ちこめるのでしょう?
 本書では、ジントが「自分の故郷」を(宇宙から)客観的に理解していく過程も描かれます。それは、ジント個人の成長の記録でもあります。そして、地上世界を知らないラフィールにとっては、ジントを「モニター」として未知の世界を覗き学ぶ過程でもありました。青年たちは、成長しています。しかしそれは“苦い経験”でもありました。これまでの「危機」は、二人にとっては「自分たちの生命の危機」であり、「自分たちの乗務する艦の危機」でした。しかし今回は「星一つの住民全部の生命の危機」なのです。それを背負うことは、個人にとってはあまりに重すぎます。しかし、二人はその重さから逃げようとはしません。ラフィールが逃げないのは、アーヴという種族の特性と自分が皇族であるゆえ、と言えそうですが、ジントはなぜ逃げないのでしょうか。おそらくラフィールを自分の“鏡”としてそこにうつる自分の姿を見ているからでしょう。『星界の戰旗I~II』では文体が軽やか(というか、軽口だらけ)でしたが、本書では文体が“成長”しているように感じられます。主人公たちと一緒に、著者も変容しているのかもしれません。人間だったら当然のこと、かもしれませんが。


ホームのコンピューター

2014-03-23 07:00:56 | Weblog

 据え置き式のゲームマシンが苦戦しているそうです。これだけどこでもゲームができる環境ができてしまうと「さあこれからゲームをするぞ」と気合いを入れて特定の場所に行く、という行為自体が“敷居が高い”ものになってしまったのかもしれません。
 だったら「ゲーム」専門ではなくて、「ホーム管理」で生きていくのはどうでしょう。「スマートホーム」の中枢としてだったら、能力はたぶん十分以上にあるし家の中でも家族が使いやすいところに設置するわけですし、十分活用できるんじゃないです?

【ただいま読書中】『紫の火花』岡潔 著、 1964年、朝日新聞社、480円

 著者は1901年生まれの数学者だそうです。職場の同僚に「素敵な日本語を書く人」と紹介されたので読んでみることにしました。
 この古風な日本語を読んでいて私が感じるのは「戦前のテイスト」と言ったらいいでしょうか。寺田寅彦さん・湯川秀樹さん・朝永振一郎さんなどのエッセイを読んでいて感じるのと共通の「分厚い教養」が文章の根底に横たわっているように感じられます。ものを知っているとか知らないとか、知識が正確だとかあやしいとか、そういったことを超越した、古典や文化への目配り、歴史への視線、日本文化を背負った上で外国と対峙する姿勢……そういった“香り”が漂ってくる本です。「文系と理系の断絶」を嘆いたC・P・スノーだったら、こういった人たちがもっと増えてくれたら、と言ったかもしれません。
 扱われているテーマは、情緒(と連歌)、情緒(と南宋の絵)、本因坊道策や伊藤看寿の棋譜、孫と自然数の関係、「独創」に関する寺田寅彦の教え、脳のどこをいつ発育させるべきかの持論……

 2000頁くらい数学の論文の下書きを書きに書いて、それを20頁にまとめたものを毎年発表するのが著者のやり方なのだそうです。その論文の質があまりに高いので、欧米では「個人ではなくて岡潔という名前のプロジェクトチームではないか」という噂まで立ったそうです。あまりに数学に没入していて、実生活ではいろいろちょんぼをしているように本書には書いてありますが、恬淡とした書きぶりでご本人はそんな“ちょんぼ”は全然気にしていないようです。「“天才”はそんなものなの」かもしれません。


大自然

2014-03-22 07:11:45 | Weblog

 小自然は、どこ?

【ただいま読書中】『コールドチェーン』森隆行・石田信博・横見宗樹 著、 晃洋書房、2013年、2200円(税別)

 小学生の時だったかな、「マグロの冷凍技術が進歩して、冷凍中に魚肉が“焼けて”しまう現象が解決した」というのがでかでかと新聞に載っていたのを私は覚えています。マグロは家庭ではおなじみではなかったので「そんなもんか」と思っただけでした。もっと身近にクール宅急便が登場したときには吃驚しましたが、今ではそれがあるのが当たり前、という状況に慣れてしまいました。ところで「低温輸送」のサプライチェーンを「コールドチェーン」と言うのですが、食品以外にも様々なもの(医薬品・化学品・電子部品(特に熱に弱いもの)・生花など)がそのチェーンを利用しているのだそうです。文明はどんどん進歩しています。
 「コールドチェーン」は、生産者から消費者まで、所定の低温で流通させる仕組みです。特に食品でこのチェーンを自ら構築しているのは、スーパーマーケット・食品メーカー・加工貿易型企業・卸売企業・物流企業…… もちろん既存のチェーンを利用する“ユーザー”も多種多様です。
 外食産業ではセントラルキッチンが多く採用されていますが、これもコールドチェーンを利用することで成立しています。その先駆者は「ロイヤル」です。1952年にロイヤルベーカリーを創業した江頭は62年に傘下のレストランに冷凍した料理配送を始めました。これがセントラルキッチンの始まりだそうです。それが一挙に普及するきっかけとなったのが70年の大阪万博。江頭は米国ゾーンに出店したレストランに福岡から冷凍食品を配送しました。現在の学校給食も、セントラルキッチンとコールドチェーンがなければ成立しません。
 ちなみに、冷凍食品が日本で普及するようになったのは、東京オリンピックが契機だそうです。選手村の食事に冷凍食品が多用され、それが好評だったことからオイルショックまで毎年30%以上の成長を続けたそうです。
 コールドチェーンは海外にも伸びています。その一例として本書では、タイからの鶏肉輸送が紹介されています。しかしタイから年間20万トンも鶏肉を輸入していたとは知りませんでした(鳥インフルエンザ騒動で生肉は輸入禁止となっていて、加熱したものだけタイからは輸入されているそうです。でも……鶏肉からインフルエンザがうつるんでしたっけ?)。
 コールドチェーンでの最近の流行語は「トレーサビリティ」だそうです。消費者が「自分はどこの何を食っているのか」が追跡可能になること。また、環境問題への取り組みも重要です。ゴミの発生や輸送段階でのCO2発生をいかに抑えるか。新しい動きとしては、個配やネットスーパーの拡大があります。おそらくこれからは、買い物難民の動向がコールドチェーンにも影響を与えることになるでしょう。こうなると、各企業がばらばらに対応するよりも、地域ごとにまとめてでかい冷蔵倉庫や冷凍倉庫を建てて、それを共同利用する方が効率的になるんじゃないでしょうか。消費者としては「誰が配達するか」よりも「何がどのような状態で配達されるか」の方が重要なのですから。