歌舞伎などの伝統芸では「○代目」が主役を演じています。ではその「初代」は「伝統の継承者」だったのでしょうか、それとも「革新者」?
【ただいま読書中】『歌舞伎一年生 ──チケットの買い方から観劇心得まで』中川右介 著、 筑摩書房(ちくまプリマー新書261)、2016年、780円(税別)
「歌舞伎を観たい人は、どこで切符を買ってどこに観に行けばよいのか」から教えてくれる「一年生」のための本です。
歌舞伎は松竹という私企業が興行しています。かつては人形浄瑠璃も松竹が興行していたそうですが、とても採算が取れず「国に任せる」と手放しました(それで橋下徹市長が「補助金カット」を言うことになったわけです)。しかし歌舞伎は採算が取れています。でもそれは逆に言えば「お客を必要としている」ことになります。つまり、私やあなたが観に行かなければ、興行は成立しないことになります。
歌舞伎座では、月の初日〜25日まで、原則として昼・夜の二部構成で毎日歌舞伎をやっています。だから、とりあえず歌舞伎座に行けば、何かを見ることはできます。前売りが売れ残っていたら当日券があるし「一幕見(昼・夜それぞれ3〜4演目上演されるが、その一演目だけを観劇できる天井桟敷の券。これは当日券しかない)」もあります。もちろんネット予約もできます。
江戸時代には身分制度がありましたが、士農工商以下の扱いだった歌舞伎役者の中にも厳しい“身分"がありました。江戸町奉行所が管轄する「江戸三座」で上演される歌舞伎が「大芝居」で、それ以外の「小芝居」の間に巨大な「壁」があったのです。それは明治以降も踏襲され、大芝居の役者の家系(とその弟子)は「大歌舞伎」に出演できますが、大衆演劇(小芝居の末裔)の役者は絶対に歌舞伎には出られません(だから「下町の玉三郎」は歌舞伎座には出られないわけです)。あまりに制限が厳しいので、家系の問題で歌舞伎座に出演機会が少ない若手や有力家系でも父親が亡くなったりして後ろ盾を失った人などは自主公演に活路を見いだすことも多いようです。
「役者の評価」について、けっこうきわどいことも書いてあります。私のような部外者からは「評論家の評」は一つの参考意見になりそうですが、著者は「大向こうの意見(というか、行動)」の方を重視しています。「素晴らしい歌舞伎(演技)かどうか」は自腹で券を購入し劇場に通い詰める人間が「面白い、また来よう」と思う(そして実際にまた来る)かどうかが重要、と。そういえば江戸時代には「歌舞伎評論家」なんていませんでしたよね。
歌舞伎の特徴の一つが「花道」ですが、これは享保年間に定着したそうです。ミュージカルでも俳優が舞台から客席の通路に出てくることがありますが、やはり身近に役者をいると「観る」ではなくて「感じる」になります。それを普段から観客サービスとして提供しようという営業努力だったのでしょう。
本書は本当に「一年生」のための歌舞伎入門書です。小難しいこけおどしの“論評"なんかありません。著者が「一年生」だったときのことを思いだし、その時の自分が教えて欲しかったことを書いています。その点で、非常に役立つ本です。そして興味を持った人は、自分の足で歌舞伎座に出かけ自分の目で歌舞伎を観て自分の頭で好きか嫌いかを決めれば良いのです。「自分」で動かなければならないのはちょっと不親切なようですが、実は、歌舞伎のファンになる方法としては理想的なやり方かもしれません。