アフリカ大陸に対してかつて使われていたことばです。これは「未開の地で暗黒のように内部が見えない」という意味もあるでしょうし、「黒人が住んでいる」という意味もあったのではないかな。ただし、アフリカに住むのは黒人だけではありませんけれどね。南アには白人入植者がいるし、北アフリカに住むのは人種としては「白人種」でさらにユダヤ人もいますから。
【ただいま読書中】『闇の奥』ジョセフ・コンラッド 著、 藤永茂 訳、 三交社、2006年(08年2刷)、2800円(税別)
アフリカ奥地に河の蒸気船船長として赴任したマーロウの物語です。
アフリカの地をさ迷い、やっと中央出張所に到着したマーロウは、自分が乗るべき蒸気船が難破して沈没していることを知ります。ここまででも大変な道のりだったのですが、それは“プロローグ”に過ぎませんでした。
マーロウが旅するのは「暗黒大陸」ですが、マーロウが出会う人々はみな心に「闇」を抱えているようです。そして、マーロウが奥地に向かうにつれて、奥地の出張所に“君臨”する「クルツ氏」の噂がだんだん色濃くなっていきます。クルツは、出張所だけではなくて、周囲の村人も心服させているのだそうです。
このあらすじをそのままに、舞台をアフリカからベトナムの戦場に移したら、映画「地獄の黙示録」(コッポラ監督)になりますが……というか、本書はあの映画の“原作”でした。
たまに、マーロウの話を聞いている「私」が顔を出しますが、本書は基本的にマーロウの「一人語り」で構成されています。饒舌で私的で内省的なその語りを聞いていると、ヨーロッパ人がわざわざアフリカの奥地にまで出かけて発見したのは「自分の心の闇」だったのか、と思わされるようになります。
ヨーロッパ人は、ヨーロッパでは無垢な天使で、暗黒大陸に出かけたら人食い人種のどす黒い魂やアフリカの風土に“汚染”されてしまう、ということ? これは「アフリカ(ベトナム)の“罪”」なのでしょうか。私にはそうは思えないのです。「自分が抱えている魂の闇」を堂々と“他人のせい”にできるところに“感心”はしてしまいますが、「自分のもの」は「自分のもの」でしょう。暗黒大陸に罪があるとしたら、そういった心の闇をヨーロッパのようには抑圧する文化がなかったこと、かな。
ヨーロッパでは「特別な年」と言えるでしょう。フランスで勃発した「革命」が、オーストリア・ハンガリー・プロイセン・イタリアへと“伝染”し、国同士の戦争と革命反革命の戦いがヨーロッパ中で荒れ狂った年ですから。
正直言って、複雑すぎて私には“簡単な見取り図”さえ書けません。それでも、あちこちからちょっとずつつついて見ようかな、と小さな努力を始めてみることにしました。
【ただいま読書中】『青きドナウの乱痴気 ──ウィーン1848年』良知力 著、 平凡社、1985年(86年6刷)、2000円
パリの「2月革命」に引き続いてウィーンでは「3月革命」が始まりました。
ウィーンではコーヒー・ハウスも「改革」が行われました。「革命」を旗印に「狭苦しくてタバコのにおいが染みついた昔風の店を、フランス風の広々としたサロンに模様替えする」と宣伝したコーヒー・ハウスがあったのです。ただの悪のり、とも見えますが、コーヒー・ハウスはウィーン市民文化の一部ですから(1847年に市内に32軒、市外区に65軒ものコーヒー・ハウスがありました)、コーヒー・ハウスのあり方は市民文化のあり方と言っても良いでしょう。
ウィーンに上水道はありません。井戸は水質が悪く夏は封鎖されるため、水売りが大活躍。水洗便所もありません。だから人々は疫病を恐れました。(1831年のコレラ流行で、ウィーンでは約2000人が死亡しています)。地方から人が流入し、ウィーンの人口は19世紀初頭の21万が1850年には43万に倍増しました。当然住宅難となり、中には下水道に住み込む者もいました。「市民」からは「流れ者」は排斥されることになります。
住宅地で路地を抜けると中庭に出ます。その中庭をぐるりと取り囲んで住居が建っています。江戸の裏店の長屋が、井戸をぐるりと取り囲んで建っているのと似た発想でしょうか。呼び売りが次々やってくるのも江戸と似ています。大衆音楽が盛んだったのは、江戸とは違うかな。オルガン師や歌手が次々路地を抜けてやってきます。
18世紀の啓蒙主義と同時にユダヤ人に対する寛容も始まりました。服装差別(ユダヤ人は、男は黄色い腕章/女は黄色いリボン、をつけるべし)と人頭税が廃止され、公共の場に出ること・手工業を習得すること・不動産の借用・キリスト教徒の学校への通学、が許されます。ウィーン革命の中で、ユダヤ人は“解放”を求めましたが、それに対する“ウィーン市民の憎悪”も増幅されました。
ウィーン革命は複雑です。プロレタリア(多くは市街に住む“流れ者”)と市民(と学生)、さらに軍隊が対立してとてもややこしい。ともかくウィーンは大混乱となり、宰相メッテルニヒは無一文で亡命することになってしまいます。これは、宮廷内の反メッテルニヒ派(代表は皇帝の弟フランツ・カール大公妃ソフィー)が革命を口実に「進歩派」として行動したことによります。しかし事態は「進歩派」の思惑を越えて進行してしまいました。
2月のパリの革命では、特権層の軍隊と武装した下層民の暴動に挟まれた「パリ市民」が「国民軍」を作りました。ウィーン革命でも事情が似ていて「市民」の「国民軍」が創設されました。違っていたのは、オーストリアが多民族国家だったことです。「ウィーン市民」はもともとのドイツ系住民で、その革命を妨害するのは新参者のスラヴ系住民、という意識でした。つまり国民軍は町内の自警団の延長線上にあったのです。ところが皇帝が逃げだしウィーンが軍に包囲されると、国民軍は(自分たちが敵視している)プロレタリアと手を組む必要が出てしまいました。学生は「アカデミー兵団」を結成しますが、皇帝逃亡の責任を押しつけられ、夏休みで帰郷した者は頭を冷やし、結局アカデミー兵団は勢力を激減させてしまいます。
ややこしいことに、ウィーンにはもともと「市民軍」もありました。市の防衛や警備を担当していたのですが、この市民軍と新しい国民軍の関係調整がややこしいことになります。
4月からウィーンの夜を「シャリバリ(フランス語、ドイツ語だとカッツェンムジーク、日本語だと猫の狂騒(?))」が騒がすようになります。反革命と見なされた者の家の周囲に群衆がおしかけ、楽器や口笛や鍋などで大騒ぎをするのです。はじめは秩序があったシャリバリはやがて過激になり、そこに民族問題(ユダヤ人、スラヴ人、外国人)が絡んで話は深刻になります。
さらに、10月に皇帝軍がウィーンを包囲して総攻撃、そこにハンガリー軍が攻撃を仕掛けて皇帝軍が迎え撃つ。なんとも派手な立ち回りです。そしてついに軍事独裁が。
エジプトの「革命」も、現時点では結局「軍」のフェーズとなっていますが、なるほど、世界には“先例”が遭ったと言うことなんですね。
厳しいカースト制度を持つヒンドゥー教の輪廻転生が、私には不思議でした。だって、「前世」や「来世」で何に生まれ変わるかわからなかったら、差別はしない方が良いでしょ。どこの誰になるかわからないのだったら、“安心して”差別はできなくなりますから。
ところが「カースト」はうまくできていました。人間界で「バラモン」身分だった人は、転生したらまた「バラモン」、「シュードラ」は「シュードラ」、「不可触民」は「不可触民」だったのです。
これって、夢も希望もないと思いません? というか、「人間世界の制度」が「あの世」も規定するとは理不尽です。差別はもともと理不尽なものではありますが。
仏陀がそういったカースト制度をガラガラポンにしてしまったわけもわかるような気がします。キリストは「私は平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」と言いましたが、仏陀もまた地上に「剣」をもたらすために来たのかもしれません。
【ただいま読書中】『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺 著、 集英社(新書0561C)、2010年、700円(税別)
自殺をしようとして死にきれず、出家をしようとしたら「学歴」を問われて寺には入れず……しかし、運命としか言いようのない出会いにより、著者は得度をします。著者の師匠は、戦前に戦争反対を言ったために獄中生活を強いられていました。その師匠によって、著者は迷いながらもとても幅広く奥深い僧に成長していきます。
29歳の時にタイ留学。そこでも迷いを感じてインドへ。そこでは“仏の八木上人”と出会います。そして、カースト制度とも。そこから南へ、インド亜大陸の中央部あたり、ナグプールを著者は目指します。そこは、インド仏教復興運動の中心地でした。
インド独立の父ガンジーは、複雑すぎる大国インドをまとめるためにはカースト制度は必要悪だと考えていました。それに異を唱えたのが、不可触民階級出身のアンベードカル博士でした。差別に耐えて勉学に勤しみ米国や英国へも留学した博士は、人間解放の思想の主柱として仏教に傾倒していきました。1947年インド独立では、卓越した法律家としての力を認められて初代法務大臣に就任。56年にナグプールで、30万人の不可触民とともにヒンドゥー教から仏教に集団改宗。しかし、その2箇月後に急逝。
このことを知った著者は、自分の運命を悟ります。インドで仏教復興に尽力しなければならないのだ、と。そして「闘う仏教」が展開されます。ビザが切れて不法滞在となり、著者は逮捕されます。しかし、1箇月で60万もの嘆願署名が集まり、著者はインド国籍を与えられます。ラジヴ・ガンジー首相が著者に与えた名前は「アーリア・ナーガールジュナ」。なんと「聖龍樹」です。
「闘い」は大変です。仏教徒はインドでは少数派、しかもその主力は社会の最下層の不可触民。しかも、まっとうな仏教徒だったら、迫害に対して「目には目を」と暴力で訴えることはできません。ならば、どうする?
インドでの「闘い」の大変さは本書を読んでいただくとして、著者はインドと同時に日本の仏教が抱える問題点も指摘しています。一言で言うなら「宗派根性」。「日本の宗派」にこだわるあまり、「仏陀の教え」という根本を忘れてしまっている態度です。もちろん「こころざし」を持っている僧もいるのですが……
どんな運命のいたずらか、インド仏教の“リーダー”になってしまった日本人の人生は、波瀾万丈と言うだけでは不十分に感じます。こんどは、彼の活動についてインド人が書いた記録も読んでみたいと思いました。個人的には、こういった人こそ“輪廻転生”をしてほしいな。この世を少しでも良くし続けるために。
「エドガー・アラン・ポー」で私はこれまでに2回“衝撃”を受けています。
一回は、高校の図書室で「ポー全作品」を読み通したとき。作品の衝撃で腰が抜けそうになりました。
もう一回は、小学生のときから好きだった「江戸川乱歩」のペンネームが「エドガー・アラン・ポー」からだった、と知ったときです。
【ただいま読書中】『アモンティラードの樽 その他』エドガー・アラン・ポー 著、 大岡玲 訳、 小学館、1998年、1600円(税別)
目次:「ミイラとの対話」「ウィリアム・ウィルソン」「黒猫」「黄金虫」「アモンティラードの樽」「アシャー家の崩壊」「落とし穴と振り子」「タール博士とフェザー教授の治療法」
「黒猫」……高校のときには「黒猫」とそれがもたらす恐怖に注目してしまいましたが、今回私が注目したのは「あまのじゃく」の方です。自分ではコントロールできない「自分」。「悪魔のささやき」によって自分自身が追い込まれていく過程には、じりじりする焦燥感を感じます。「自分によって自分が破滅させられる」のは、恐怖ですねえ。
「アシャー家の崩壊」……陰鬱な風景の中、心の暗部がそのまま雰囲気となってあたりに充満しているかのような屋敷の中。そこで主人公が経験する非現実的な体験と、最後の暗くて派手な演出。「言葉の魔力」をここまで駆使されると、読者は「家」と一緒に崩壊するしかなくなってしまいそうです。
「落とし穴と振り子」……こちらでは「言葉の魔力」は、「現実から隔絶された感覚」を紡ぎ出してくれます。目の前の世界が自分が属している実在するものとは信じられない感覚です。ひっそりと待ち受ける落とし穴。ゆっくりと迫り来る振り子。どうしてここまでコワイ世界が構築できるのか、私にはわかりません。何よりコワイのは、“舞台”に登場する「人間」が主人公一人だけ、ということです。主人公をいたぶる連中は全然姿を見せないので、それがまた理不尽な恐怖感をかき立てます。
「タール博士とフェザー教授の治療法」……主人公が見学に訪れたフランスの精神病院では、というお話ですが、こちらはユーモアが満ちあふれています。理屈をいろいろつけることもできるでしょうが、単純にどたばたを楽しむだけでもいいのではないでしょうか。
エドガー・アラン・ポーの作品は、インクではなくて暗闇で書かれたのではないか、と思ったことがあります。ただ、暗闇でも、ユーモラスな文章は書けるんですね。参考になりました。
甲さんがさかんに乙さんの悪口を言っています。「いくら言っても私の言うことを全然聞いてくれない」と。ところでその逆はどうなんでしょう。甲さんは乙さんの言うことを、全部聞いているんです? もしかしたら乙さんは甲さんに向かって「こうしろ、ああしろ」なんてことを一言も言ったことがない、なんてことはありません?
【ただいま読書中】『機械の再発見 ──ボールペンから永久機関まで』中山秀太郎 著、 講談社(ブルーバックス)、1980年、500円
複雑に見える機械も、ばらしてみたらけっこう単純な機構の集まりであることが多いそうです。そこで著者は、古代ローマ時代までさかのぼって「機械」の歴史をひもといてみます。
てこ、クランク、歯車、ピニオンとラック、リンク……この辺まではわりと単純な構造なのでわかりやすいと感じます。ところがそこから話はだんだんややこしくなります。たとえば「はやもどり機構」。往復運動の「往」はゆっくり・「復」は素早く、の機構です。連続回転運動を間欠運動にかえるメカニズムもあります(映画のフィルムを送る機構や時計の針を動かす機構です)。
「斜面」を利用したものに「ねじ」や「くさび」があります。「速度をかえる」ために、歯車・プーリー・カム。「力をためる」ために、ばね・フライホイール(はずみ車)。人は様々な巧妙なメカニズムを作り出しました。
その一つの結果が、身近なものではたとえば「ノック式のシャープペンシル」『ノック式のボールペン」です。この精密で巧妙な機構は本当にすばらしいものだと思えます。
コーヒー・メーカーやエレベーターの落下防止装置、水洗トイレに永久機関、著者は様々な「機械」を俎上に載せ楽しく解説をしてくれます。私にとって“有益”だったのは、コーヒー・メーカーのメカニズムかな。逆流防止弁があそこまで重要だとは思いませんでした。
「かまってかまって」とうるさく要求する人を静かにさせるためにうっかりかまってしまうと、次は「もっとかまってもっとかまって」ともっとうるさくなります。
【ただいま読書中】『もう二度と死体の指なんかしゃぶりたくない ──ある鑑識の回想』デイナ・コールマン 著、 山田仁子 訳、 バジリコ株式会社、2008年、1800円(税別)
10年間勤務したCSIから著者が退職するシーンで本書は始まります。そして、「ノー」の連呼の後、舞台は1995年へ。(「ノー」の対象は、テレビのたとえば「CSI」「FBI」「NCIS」「女検死医ジョーダン」などです) 興味深いのは、それまでは純粋な警察官だけが担当していたのを、「鑑識改革」としてCSIに民間人が登用されるようになったまさにその第一期生が著者だったことです。ですから、本書は、CSIという“ワンダーランド”の話であると同時に、「警官だけの世界」に紛れ込んでしまった民間人という“異邦人の物語”でもあります。
なにしろ「現場」にいた人ですから、エピソードはかなりショッキングです。「現場」といっても「犯罪の現場」ですから。最初のエピソードは表題の「死体の指をしゃぶる」話。といっても、著者に死体をかじる趣味があるわけではありません。言わば“事故”でした。本当は避けられた事故だったのですけれど。
自分の頭の中身を部屋中にまき散らした自殺の現場、大量のウジ虫が運動会を繰り広げている腐乱死体、天井から落ちてきて著者を押しつぶそうとする首つり死体。愛らしいはずの動物も油断がなりません。人懐っこい警察犬が著者の顔をぺろぺろなめてくれるので気をよくしていたら、その警察犬はその直前に死体(の一部)を咥えていた、なんて“事件”もあります。
犬と言えば、犯罪現場に犬の糞が大量にあって捜査官たちの靴底にくっついて困ったとき、これは犯人の靴にも付着しているのではないか、とひらめいて、それが犯人特定の有力な“物証”になった、という事件もあります。
ベテランになると、現場に到着した瞬間、車の中にいてまだ空気の臭いもかいでいないうちから、屋内にある死体が腐乱しているかどうかわかるようになります。わかったからといって、何か“得”をするわけではないのですが。
「事実は小説より奇なり」と言いますが、強烈な「事実」の列挙に、こちらまで“燃え尽きて”しまいそうになります。実際に燃え尽きる人は続出するわけですが、逆に、こういった世界で燃え尽きない人はよほどストレスに強いのかそれとも鈍感なのか、なんてことまで思ってしまいます。ともあれ、テレビの「CSI」が“世界のすべて”ではない、ということは念頭に置いて楽しんだ方がよさそうなことはよくわかりました。
雑草も生えない土地にろくな作物はできません。
雑談が苦手な人間はコミュニケーションが下手くそです。
雑用ができない人間は、実は大切な仕事もろくにできません。
【ただいま読書中】『新島襄自伝』同志社 編、岩波文庫(青106-3)、2013年、1020円(税別)
最初から逆説的な言い方ですが、新島襄は自伝を残していません。本書は、彼が残した、手記・紀行文・日記などから彼の生涯を再構成したものです。
新島襄は天保十四年(1843)上州安中藩の江戸屋敷で生まれ七五三太(しめた)と名付けられました。若くしてその才は認められていたらしく、十七歳で江戸藩邸の祐筆職を命じられ、同時に父の書道塾の面倒も見なければならなくなります。しかし新島の心は「世界」に飛んでいました。函館に行くチャンスが到来したとき、彼は即座に船に乗ります。そして函館で、アメリカ船ベルリン号に首尾良く乗り込みます。見つかったら死罪覚悟の密出国です。
なお、函館行きは「脱藩」ではなくて、ちゃんと藩の許可を取った旅でした。函館から先のことについて嘘をついていただけです。また、ベルリン号の行き先は上海でした。そこで別のアメリカ船ワイルド・ローヴァー号に乗り換えて新島は太平洋を横断します。そこで船長に「Joe」と呼ばれたため、アメリカで紹介された養父母には「Joseph」と呼ばれることになります。
アメリカでは大学を卒業し神学校に入学。そこで岩倉使節団に出会い、「随行(通訳、案内人)」として同行します。使節団も吃驚したでしょうね。まさか「日本人」がアメリカで生きているとは思わなかったでしょうから。そこで新島は、学校・福祉施設・博物館・美術館などを訪問します。これは新島個人にとっても貴重な経験になったはずです。
10年ぶりに帰国した新島は、大阪で学校設立を目指します。木戸孝允や伊藤博文の協力が得られましたが、話はあと一歩のところで頓挫。失意の新島は京都に観光旅行に出かけます。そこには京都府顧問・山本覚馬(今年のNHK大河ドラマの主人公「八重」の兄)との運命の出会いが待っていました。ときは1875年(明治八年)1月。そして10月には八重と婚約。11月には同志社英学校を開校。翌年にはプロテスタント教会を開きます。そして渡欧・訪米……
「世界を股にかける」と言いますが、新島襄は江戸時代末期から文字通り世界を股にかけています。一体何が彼を駆り立てる原動力になったのか、それは本書を読むだけではよくわかりませんでした。ただ、現代の私でさえ彼の行動履歴からは感銘を受けるのですから、彼と同時代の人たちが受けた感銘はほとんど暴力的なものではなかったか、と私は想像します。世の中にはすごい人がいるもので、私はそれを知らないだけなんだろうな。
「○○が必要な理由」が力説されている場合、後付けでその理由がひねり出された場合の方が周囲への説得効果が大きいのが、不思議です。「必要な事情」よりも「周囲を説得をしなければならない事情」の方が強く働くからでしょうか。
【ただいま読書中】『心にトゲ刺す200の花束 ──究極のペシミズム箴言集』エリック・マーカス 著、 島村浩子 訳、 祥伝社、2004年、1000円(税別)
悲観的な“名言集”です。ただ、たとえば「人生」について次から次へと悲観的な言葉が並べられると、逆にだんだんこちらは愉快になってきます。こんどはどんなパターンで来るのかな?なんて期待までしちゃいます。たとえば本書はこう始まります。
「人生にはおぞましい人生と悲惨な人生の二種類しかない」(ウッディ・アレン)
「誕生、それはあらゆる災難のなかで最初にして最悪のもの」(アンブローズ・ビアス)
「わたしを殺さないものは、私を苦しめるだけだ」(ブラッド・シュライバー)
「やかんは、見張っているといつまでたっても沸かないときがある。でも見張っていないと、かならず吹きこぼれる」(ジョーン・M・ワシントン)
「あなたがどう見ようと、人生は絶対に勝ち目のない戦いよ」(シンシア・グロスマン)
「誕生は死の始まりにほかならない」(エドワード・ヤング)
おっとっと、この調子だと、引用だけで読書感想が終わってしまいそうです。
「シニカルさ」はどちらかといえば「ネガティブ」なものですが、本書に集められている箴言はなぜかそれほど嫌なものばかりではありません。おそらくそれらがなにがしかの「人生の真実」を含んでいるからでしょう。つまり「真実の強み」が威力を発揮しているわけです。
「悲観主義」で楽しい思いをしたくなったら、ぜひ本書を手にとってください。
「閑却する」……閑を却下する
「安閑」……安い閑
「忙中閑あり」……その気になれば見つけられる
「小人閑居して不善を為す」……忙しい大人は善を為す、とは限らない
「等閑事」……平等に閑なこと
「閑古鳥」……古くから閑な鳥
「有閑マダム」……バーが閑
「閑職」……天下りの高給取りのお偉いさん
【ただいま読書中】『錯覚の科学』クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ 著、 木村博江 訳、 文藝春秋、2011年、1571円(税別)
有名な「バスケットボールとゴリラ」実験(「selective attention test - YouTube」)を行った人たちが書いた本です。
「目を向けている」ことと「見ている」ことは同じではない、つまり「目撃者が現場に目を向けている」状況でも何か大切なものを平気で見落とすことがある、という事実の指摘から本書は始まります。
特に人が見落とすのは「予想していないもの」です。「ゴリラ」もそうですが、実話として「潜望鏡の中のえひめ丸」「滑走路の中にいる別の飛行機」「交差点でのオートバイ」などが例としてあげられています。視覚だけではなくて聴覚での実験もあります。非常に有名な名バイオリニストに協力を仰いで、ワシントンの地下鉄駅で大道芸人の真似をしてもらったのですが、群衆は見事に彼のことを無視したのです(となると、ストリートで名を上げるアマチュア・ミュージシャンはとんでもない腕、ということになるのでしょうか)。
記憶力にも限界があります。たとえば短期記憶は大体7つのものを覚えたらパンクします。では長期記憶に取り込めたらOKかと言えばそう簡単には安心できません。人は「正しく記憶すること」はできないし、たとえ「正しく記憶」したとしてもそれが変容することがいくらでもあるのです。
「自己評価の錯覚」にはぎょっとします。人は大体自分のことを過大評価しがちなのでですが、ランクが上の人はそこそこの過大評価なのに対して、ランクが下の人は過剰に過大評価をする傾向があったのです。さらに、そういった自信過剰の人は「自信たっぷりの態度」を取ります。すると他人はその「態度」からその人を信用してしまうことがあるのです。(ついでですが、自信がない態度を取る割合が多いのは、能力がある人のグループです。おそらく自分の能力の限界が見えるからでしょう)
「知識の錯覚」もあります。「自分が知っている」という「自信」から「無知の知」を失ってしまって犯すミスは、専門家には多く見られるのです。
「予防接種で自閉症になる」「モーツアルトを聴かせると頭が良くなる」「サブリミナル効果」といった“迷信”についても、明確に分析されています。それにしても、人は直感的に「錯覚」に頼り、迷信を信じ、一度信じるとそこから抜け出せにくくなることが、よ~くわかります。ちょっと憮然としたくなる気分ですが。
著者が使う武器は「科学的思考(論理)」「証拠(実証実験、統計とメタ解析)」です。私にはなじみがあるものですが、残念ながら世間一般にはあまり人気がない方法のようです。だけど、たとえば自分の能力を開発したかったら、「ちょっとモーツアルトを聴く」程度のあまりにお手軽すぎる手段は無意味だ、とは言えるでしょう。本書には「彼ら(チェスのグランドマスター)は音楽を聴き自己啓発本を読んでチェスのグランドマスターになったわけではない。集中した学習と訓練を少なくとも十年続けて、それをなしとげた。脳の可能性は巨大であり、あなたはそれを開発することができるが、実現には時間と努力が必要なのだ」と“苦い”真実が書いてあります。これはたとえば「自分探し」だけではなくて「ダイエット」などにも同じことが言えるのでしょうね。
私の家の隣町の踏切、道が狭いし人は多いし遮断機がやたらと下りている時間が長いから、なるべく通らないようにしているのですが、それでも仕方ない場合があります。そういったときに限って、目の前を通るのが貨物列車。ごっとんごっとんごっとんごっとん……まだか?……ごっとんごっとんごっとんごっとん……まだかぁ?……ごっとんごっとんごっとんごっとん……
あめりかには「マイル・トレイン」という、全長1マイルの貨物列車が平気で走っているそうですが、なにをそんなにたくさん運ぶものがあるんでしょうねえ。たぶん私が知らないだけで、私もずいぶん貨物列車のお世話になっているのでしょうが。
【ただいま読書中】『貨物列車のひみつ』PHP研究所 編、PHP研究所、2013年、1524円(税別)
「貨物駅」とか「貨物列車のダイヤが載っている時刻表」とかは、マニアでないとあまり縁がないものです。そういった「無知」を少しでも減らしてくれる本を見つけました。
青函トンネルは新幹線と在来線の共用です。すると、貨物列車があまりに遅いと新幹線がトンネルないで追いついてしまいます。そのため、従来の機関車より最高速度が20km速い電気機関車EH800形が開発されました。たかだか20kmですが、53.9kmのトンネルでは4分間節約できます。この4分が大きいのだそうです。
ハイブリッド機関車もあります。ディーゼルで発電してその電気でモーターを回す(または蓄電池にためる)HD300形ですが、燃費が向上・窒素酸化物の排出量が激減・騒音も低下、と良いことずくめだそうです。
踏切で目の前を流れていく貨車には、いろんなタイプがあります。コンテナ車・タンク車・無蓋車くらいはわかりますが、それ以外にもいろいろあるそうです。現在、貨車の「構造用途記号」は「ワトカチコホシ」の7種ですが、かつては「ウ(豚運搬)」「ナ(活魚)」「ポ(陶器)」「セ(石炭)」「ミ(水専用のタンク車)」などなど、やたらと多かったそうです。
そうそう、「貨物を乗せない貨車」として「除雪車」があります。これは国鉄がそう分類していたのがそのまま保存されているからなのですが。
川崎市では、道路渋滞でトラックが進まないため、貨物列車に一般ゴミ専用コンテナを積んで輸送しています。
レールも貨物列車で運送します。これ、一度目の前で見たことがありますが、二両以上の貨車にどんと積まれたレールの束は、なかなかの迫力でした。急カーブは大丈夫か、と心配もしたくなりますが、プロはちゃんと計算して積んでいるのでしょう。というか、ある程度はレールはたわむから大丈夫なんだそうです。
貨物輸送は、国鉄時代には「赤字の元凶」扱いでした。しかし、鉄道輸送にはそれなりの利点があります。特に「環境」をうたい文句にしたら、トラック輸送に比較して絶対的に有利なはず。たとえばかつて行われて廃止になった「ピギー・バック(トラックを荷物ごと貨物車に積み込んで長距離輸送をする)」の復活など、今すぐできそうなこともあります。せっかく日本中に張り巡らされている線路を、もっと活用した方が良いのではないかなあ。