【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

教師のせい

2011-07-31 18:37:55 | Weblog

 学校が荒れるのは教師のせい、学力が低下するのも教師のせい、という主張をしている人は、ご自身の成績が悪かったらそれはすべてその人が学んだ教師のせいで、成績が良かったらやっぱりそれも教師のせい(自分の手柄ではない)と主張するのですよね?

【ただいま読書中】『五輪書』宮本武蔵 著、 鎌田茂雄 訳注、 講談社学術文庫、1986年(2002年38刷)、860円(税別)

 「とても有名だけど、あまり読んだ人はいない本」の一冊でしょう。私も今回が初見です。
 「地之巻」「水之巻」「火之巻」「風之巻」「空之巻」から成る構成です。「地」は兵法の道についての概要。「水」は心の持ちよう。「火」は合戦について。「風」は「かぜ」ではなくて「昔風」「家風」の「ふう」で、他流派のやりかたについて。「空」は「そら」ではなくて「くう」で、真実の道への入り方、だそうです(ただし仏教の概念とは違うそうです)。
 「地之巻」の巻頭、簡単に自身の人生が振り返られます。十三歳で初の勝負に勝ち、廿一歳で都に上り、ついで諸国で三十歳近くまで天下の兵法者たちと勝負を続け、結局六十勝零敗。しかし「万事において。我に師匠なし」と言っていながら、「師は針、弟子は糸となつて、たえず稽古有るべき事也」と言うのは、なぜなんでしょうねえ。
 著者が二刀流を採用する理由はシンプルです。「その方が勝ちやすいから」。もう一つ、「腰に二刀があるから」。使えるものは何でも使う、使えるものを使わずに負けて死ぬのは愚の骨頂、という合理的な発想です。ただそのためには片手で刀を振り回す腕力が必要です。そこで厳しい鍛錬が求められます。(「水之巻」では、「指二本でも刀をふれるようになれ」なんて要求まで飛び出します) ただし、速くふろうと力むと却って遅くなります。
 「水之巻」。柳生宗矩は「平常心を失わない人間が名人である」と「平常心」を強調しました。武蔵も水をたとえに心の持ち方を説きますが、そのとき強く語られるのは、抽象的な話ではなくて具体的な「身のこなし(姿勢)」です。闘いの時に平常と同じ身のこなしをすることが重要だ、と。つまり武蔵にとって重要なのは「平常身」なのです。……ということは、平常の時でも戦場と同じ覚悟で常に立ち居振る舞いを行なっていなければならない、ということになります。兵法者は、大変です。
 「火之巻」ではたとえば「一対多数」の闘いの極意が語られます。その原理はシンプルで「一対一の連続と捉えろ」。武蔵の闘いでは、「一対一」でも常に「先」を取ることが重視されますが、それは敵が多数の場合でも同じこと、常に動き続け常に相手の意表を突き、「つぎに自分にかかってこようとする敵」が「かかる」の「か」の時点で間髪入れず先手を取って攻撃する。その時使うのは「目で見る」ことではなくて「心で観る」ことです。状況(敵の配置、襲いかかってくる気配、太陽の位置、地形、天候など)を全体的に把握し、その中で最適の動きをしろ、と。言うのは簡単ですが、やるのは大変そうです。たぶん吉岡一門との闘いがベースにあっての記述でしょう。
 「風之巻」では、他流派の固有名詞は挙げられません。一般化して書かれています。
 そしてラストの「空之巻」。まったく迷いがない自在の境地です。
 首尾一貫した本です。闘いはマニュアル化できるものではないから、基礎はしっかり固めるにしても、あとは状況に応じての最善手を選択できる応用力を固めろ、それも相手より一瞬でも早く、そのときごちゃごちゃ理窟を言う必要はなし、刀は切るためにあるのだから相手のどこでもいいから切ればよい、切れなければ突けばよい。そしてその力を維持向上させるためには、日々の鍛錬あるのみ。
 ものすごくシンプルで実戦的な主張です。しかもすごい実績の裏づけ付き。思わず説得されてしまいそうになりますが、さて、本書を読んで武蔵のようになれるのかな? 著者自身、「此書付ばかりを見て、兵法の道には及ぶ事にあらず(この書を読むだけで兵法の道が身につくとは思うな)」なんて言ってますが……



みどりの窓口

2011-07-30 18:35:34 | Weblog

 なんだか遭遇率が高いので、「変な客」でシリーズ化ができるのではないか、と思う今日この頃です。
 今回の舞台はJRみどりの窓口。切符を買おうと行列に並んだら、一つの窓口をずっと占領しているおじさんがいるのに気づきました。当然私の耳はダンボになります。
 まず、人数の確定ができていません。「大人三人と子供二人、あ、いや、大人二人と子供二人……あ、違った、やっぱり大人三人と子供二人」……おやおや、これは前途多難だなと思っていると、案の定、こんどはいつ行きたいのかがわかっていない。窓口の人とやりとりを何回かしてやっと「日」が確定したら次は時間。係員が「その日は13時から15時の間は空席がありません」「だったらいつがあるんだ?」「13時より前か、15時よりあとです」「13時って午後一時だよな。それは早すぎる」「ならば15時よりあとにされますか?」「それは遅すぎる」
 ……どうしろと?
 それでも15時ぎりぎりの便に決定。帰りの便でもまたひともめがありましたが、それはまあさっきよりは軽いもの。そこでやっと手続きが始まると……「あ、子供用の乗車券が一枚あるからそれは外して」。
 ……先に言いなさいよ。もう操作に入ってるじゃないの。
 係が機械の操作をやり直していると「子供用の乗車券が一枚あるから、乗車券は大人が3枚と子供が1枚、指定は5枚だよ。わかる?」
 ……わかっていると思います。何が問題かは、あなた以外は全員。
 で、やっと発券されるとそれをじっと確認して突然怒り始めます。「高すぎるじゃないか。○○までこんな金額の訳がない! いつもの倍じゃないか!!」
 係もじっと見て「あの、これは往復運賃ですけど」。

 私が気になったのは、“すでに持っているという子供用の乗車券”、これ、片道?往復? 片道だったら、また○○の窓口か改札で新たなトラブルの予感が。

【ただいま読書中】『時計の社会史』角山栄 著、 中公新書715、1984年、540円

 「シンデレラ」「ガリヴァー旅行記」「奥の細道」「ハイドンの交響曲『時計』」などをイントロに使って、時計と人間の関係を「時計」と「社会」の両面から述べた読みやすい本です。
 西洋での機械時計は、初めは修道院や教会で祈りの時刻を知るために用いられました(カソリックでは一日に祈りを捧げるべき時刻が決まっています)。だからCLOCCA(ラテン語で「鐘」)が付属しているのが普通でした。それに対して農民は不定時法の世界に生きていました。
 この機械時計が社会に進出してきたとき、それを容易に受け入れたのは商人です。彼らにとって「時は金なり」だったのです。
 ヨーロッパの機械時計は、アジアにも輸出されました。清国でも日本でも不定時法が採用されていましたが、時計に対する対応はずいぶん違いました。清では時計は「皇帝のおもちゃ」でした。豪華な時計を募集することが皇帝(と貴族たち)の趣味となったのです。日本では「和時計」となりました。不定時法に対応できるように西洋の機械時計は改造されていったのです。
 江戸時代の日本は世界有数の銅産出国でした(オランダに輸出していましたが、その輸出量によってヨーロッパの銅相場が左右されています)。国内ではその銅によって梵鐘が多く作られました。目的は、時鐘。全国で定期的に時を告げる鐘が鳴らされていたのです(それを較正する目的で和時計も用いられました)。ただし日本での「時間」は「共同体のもの」でした。「個人のもの」ではなかったのです(例外は、旅人が持つガイドブックに付属する日時計(コヨリを立てて使用する)でしょうか。ただ、その時計の目的は、たとえば行き先のお寺の行事の時刻に自分の行動を合わせるため、などですから、結局厳密には「個人の時間」とは言えないようです)。
 産業革命によって「生産の時間」と「消費の時間」が分離されます。大量生産は大量消費が前提ですから、労働者にも消費の時間を与える必要があったのです。さらに大量生産によって、18世紀にはイギリスが「時計製造に関しては世界一の国」でした。その座は19世紀にスイスに奪われます。世界の変化に「世界一」という自覚があったイギリスは対応が遅れたのですが、スイスもまたアメリカに追い抜かれます。「手作りが一番」が「アメリカ式大量生産」に負けたのです。なお1881年にはアメリカで「1ドルウォッチ」が発売され通信販売で大ヒットしています。何年か前の「500ドルパソコン」を思い出します。そして電子化の波に乗ったのは日本でした。ここでも「自分が世界一」という自負のために新しい波に乗り損ねると凋落する、という図式が飽かずに繰り返されています。
 「時計」と「時間」は、密接な関係はありますが、同一のものではありません。だから時計の歴史と社会の歴史とを同時に論じることには意味があります。たとえば日本の各地には「○○時間」が存在します。会合が必ず30分とか1時間とか開始が遅れるときに「○○」にそこの地名を入れて言われることばです。それは、日本では「時間」がまだ「個人のもの」ではなくて「共同体のもの」であることを示しているのではないか、と著者は述べています。鉄道ダイヤの強迫的なまでの正確さと「○○時間」との両立を許す日本社会。自分が住んでいる社会ではありますが、なかなか面白いものです。



ウイルス

2011-07-29 18:12:30 | Weblog

 「ウイルス」と言えばまず思いつくのは、コンピューター・ウイルス、それからインフルエンザなどのウイルス疾患。だけど、世界で最初に見つかったウイルスは、タバコモザイクウイルスでした。ふだんの生活ではついつい忘れがちになりますが、植物の世界にも多くのウイルスが存在していることは、知っておいて損はないと思います。得もないかもしれませんが。

【ただいま読書中】『植物ウイルス ──病原ウイルスの性状』山下修一 編著、 悠書館、2011年、12000円(税別)

 私がこれまで読んだ中ではトップテンに入る値段かな、と思います。自分では買えないな。
 植物ウイルス病の初記載は、16世紀の静物画に描かれた斑入りのチューリップです。これはチューリップモザイクウイルス感染によるもので、この「斑入り」によってチューリップの鑑賞価値が高まり18世紀のチューリップ投機へと話がつながります。
 もっと古い記録もあります。万葉集の「この里は継ぎて霜や置く夏の野にわが見し草は黄葉たりけり」(孝謙天皇、752年)です。「黄葉」とは、葉脈黄化症状を呈したキク科のヒヨドリバナのことで、これはタバコ葉巻ウイルスの感染です(葉脈が黄色く染まったきれいな写真が載っています)。
 そもそも「ウイルスの被害」とは、基本的には「人間の被害」です。18世紀後半のジャガイモ萎縮病(複数のアブラムシ伝播性ウイルス)を代表とする、有用植物の経済的被害が問題とされます。
 まずは総論。ウイルスの構造や検出方法(電子顕微鏡やPCR法についての説明はわかりやすいものです)などが述べられます。
 そして各論。さまざまなウイルスが次々登場します。
 各論を眺めていて思うのは、植物ウイルスは「一つのテーブルに全部並ぶのだなあ」ということです。ウイルス自体の分類と、それぞれが感染をする植物が、“一つのテーブル”にずらりと並べられています。しかし動物ウイルスだと話が違ってきます。まず「人間のウイルス」のために“一つのテーブル”が必要です。そして「動物」のためにもう一つ。おっと、もしかすると「家畜」と「野生動物」のためにそれぞれ一枚ずつ別のテーブルが必要になるかもしれません。そして、「人畜共通伝染病」があったときに初めてしぶしぶとすべてのテーブルはくっつけられます。
 植物ウイルスの本を見ていて、ウイルス(動物ウイルス)の世界に「人間中心主義」が存在していることに気づかされるとは思いませんでした。



指に注目

2011-07-28 21:11:00 | Weblog

 何かを指さしている人がいる場合、人の注目関心はその人が指さしている方向に集まります。漫才だったら指さしている指先に注目するでしょう。だけど、心理学的には、「指さしている人」に注目するのもアリです。なぜあの方向を指ささなければいけないのだろう、と。防犯的には、一斉に注目している人の集団のなかで独自の行動を取っている人に注目する手もありそうです。騒ぎに乗じて巾着切りが活躍、ということもありますから。

【ただいま読書中】『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』松元崇 著、 中央公論新社、2009年、1800円(税別)

 今年の2月22日に『高橋是清伝』の読書日記を書いていますが、あれを読んでおいて良かった、と本書を読みながら思いました。やっぱり“予習”はしておくものです。

 明治政府は、不平等条約で関税が5%となっていたため困りました。当時の英米の関税の平均は40~50%。これでは自国の産業保護もできませんし、収入も上げられません(そういえば日露戦争直前には、この関税収入を担保に公債を欧米で発行して戦費としたんでしたね)。そこで地租は3%と重税としましたが、公約では、不平等条約が改正されたら1%に、ということでした(一揆が起きたときには2.5%にしたりしています)。結局関税自主権の完全回復は明治44年(1911)、高橋是清が日銀総裁になった年でした。
 日露戦争の戦費は17億円になりました。日本の歳入は1年で2億5000~6000万円(ちなみにロシアは20億円)。海外からの借金だけではなくて、国内では非常特別税が課せられました。これはロシアからの賠償金が得られなかったために戦後も継続され、それで国民の不満は募ることになります。日露戦争は、戦争としては勝ち戦でしたが、財政的には負け戦でした。国内外の債務合計は20億円、利払いだけで年1億円です。ロシア軍はまだ健在のため軍縮はできず、戦後は総額6億の国家予算の1/3が軍事費となり、国債発行が恒常化しました。
 そもそも明治政府は、その出発点から無一文でした。倒幕費用は、御用金(300万両)・劣悪な新造貨幣鋳造(600万両)・太政官札発行でまかなわれました(財政担当の由利公正は「紙屑で、俺は天下を取った」と言っています。また、御用金を用立てた三家のうち二家は結局破産し、生き残ったのは三井だけでした)。
 当時の世界経済は「金本位制」です。金の総量は限られていて産出量も少なかったため、経済成長は「デフレ下の成長」となります。経済担当者の苦心は、金の準備をどのくらいするか(それも国内か国外か)、紙幣の発行と市場からの回収をどのくらいの割合で行なうか、そして、膨張する軍事費をどうやって捻出するか、でした。日本では、金銀交換レートのマジックで幕末~明治初期に大量に金が海外に流出し、実質的には銀本位制となっていましたが、日清戦争の賠償金を金で得ることでやっと金本位制を導入することができました。もっとも欧米も19世紀半ばまでは金銀複本位制だったのが、普仏戦争をきっかけに各国が次々金本位制を採用しているので、それほど時代に遅れたとは言えないようです(遅れたとは言っても少しだけ)。ただ、その「少しの遅れ」が重要でした。金本位制採用に伴って各国が銀を大量に放出したため、銀の価値が低落し、それが実質銀本位制の日本に円安メリットをもたらしたのです。だから、金本位制採用には強い反対論がありました。このとき、金本位制採用の中心人物は松方正義でしたが、金流出を防ぐために国際価格の実勢に合わせた金価格を設定すること(新平価での金本位制導入)を建白書で主張したのが、高橋是清(当時横浜正金銀行本店支配人)でした。
 話が戻りますが、帝国政府の台所は火の車でした。当然緊縮財政です。「帝国国防方針」に従って師団拡充を目指す陸軍は不満を募らせます。日露戦争後、あろうことか、日本はロシアと組んで満州の権益を守ろうとします(その交渉に出かける途中で伊藤博文は暗殺されました)。そこに蔵相として登場したのが、松方正義の推薦で日銀総裁をやっていた高橋是清です。高橋は蔵相就任四箇月後には歳出5%カットの予算案を発表します。さらに翌年は、大幅な人員整理も。
 本書は、高橋是清の伝記ではなくて、日本の財政金融史を、高橋是清を一種の“狂言廻し”にして述べた本です。“節目節目”に高橋是清が登場するのですが、その登場回数が半端ではありません。よほど“財務に関して使える人材”が少なかったのでしょうか。そしてそのことが「国の行く末や国民の生活」よりも「自分がしたいこと」の方を優先する人間の憎しみを、その一身に集中させることになります。国の年間予算以上の軍備計画を立てたら「それは金がないから無理」と一蹴されるのですから、“大きな夢”を見ていた人間はそれは腹が立つでしょう。結局、暗殺。
 現代の日本では、気に入らない人間を暗殺する、という手段は採られなくなっているようで、戦前よりは文明国になったのかな、とは言えそうです。ただ、実務に明るく有能な人間が、便利に使われてしかも冷遇されやすい風潮はしっかり保存されているような気がします。



足して3で割る

2011-07-27 18:47:32 | Weblog

 美味しそうな匂いがするので初めてのラーメン屋で食べてみたら、なんだかスープが物足りない。いや、不味くはないのですが、なんだか中途半端。メニューを見ると「豚骨スープ、鶏ガラスープ、醤油スープのミックス」とか。「良いとこ取り」を狙ったのでしょうが、私には「足して二で割った」……もとい、足して三で割った味にしか感じられませんでした。蘊蓄で食べるには良いのでしょうが、味は複雑にすればいいというものではない、というのが私の感覚です。いっそ、それぞれのスープで単独のラーメンをまず出して、客の好みでそれぞれのスープをミックス(その割合も客が指定)する、なんてことをしたら、それはそれで面白いことになるのではないか、と思いました。店の独自のスープ、というウリはなくなっちゃいますけどね。

【ただいま読書中】『加速度外乱に対する高齢者の立位姿勢保持能力』岡田修一 著、 学文社、2010年、3500円(税別)

 すごく固いタイトルですが、要するに「足弱は転びやすい」ですよね。
 人が転ぶ原因はたくさんありますが「内的要因」と「外的要因」に大別できます。
 内的要因の代表は(疾病を除けば)「立位バランス能力の低下」です。立位バランス能力に影響を与えるのは、転倒経験、転倒に対する恐れ、身体活動の減少、筋力・関節可動域・反応時間の低下、歩行変容、前庭機能・視覚機能・体性感覚機能の低下……たくさんありますねえ。ただし、バランス能力が低下していなくても転倒する人も多いので、必ずしもバランス能力だけで老人の転倒が説明できるわけではなさそうです。
 外的要因としては、つまずきと滑りです。
 著者は、移動足台の上に立っている人間にどのような影響が出るかを研究しました。対象としたのは、まずは男性高齢者と大学生。足台が前後に15mmがくんと動くことでどのような姿勢の乱れが出るかをみるわけです。加速度計の数字やら各部の移動量や筋電図のデータが並んでいますが、結果をざっくり言ったら「高齢者ほど加速度外乱に対する応答時間が長くなり動揺が大きくなる」。当たり前のことを言っているようですが、このデータが出たことでこの検査法が高齢者の立位保持能力を評価する手段として“使える”ものだといえるわけです。
 その後様々な高齢者集団を対象に同じ手法でデータを取ったところ、たとえば転倒経験者は股関節に依存した姿勢保持を取る傾向があるそうです。また、転倒に対して恐れを抱いている人は、そうでない人に比較して下肢の筋肉が緊張しているそうです。ふだんの歩行能力も転倒と関係があります。もちろんすたすた歩ける人間の方が転びにくいわけ。
 もう少し大きな、実際に転ぶくらいの衝撃を与えたらどうなるかな、とは思いますが、そんなことをして本当に転倒が起きたら、倫理的にアウトになりますからあとはどうやって“(老人が転ぶ)現実”に話を持っていくか、ですね。“フィールド調査”?



おじいさんは山へ柴刈りに

2011-07-26 19:03:57 | Weblog

 おばあさんは川へ洗濯に行くものでした。それがいくらか進歩したのは井戸端で「たらい」による洗濯ですが、たらいが日本に登場したのは平安時代です(ひしゃくとほぼ同時だそうです)。私の幼児期にはお袋はたらいと洗濯板で洗濯をしていましたが、洗濯板が発明されたのは1797年ヨーロッパで、だそうです。そして電気洗濯機が使えるようになったのは、1908年アメリカのハレー・マシン社の「ソアー」ブランドからです。日本に輸入されたのは1922年(大正11年)のこと。石鹸は4000年前のシュメール人の楔形文字で製造法の記録があります。日本では長く、植物の煎じ汁や米のとぎ汁が使われていたそうです。「おばあさんの仕事」は大変だったんですね。

【ただいま読書中】『電気洗濯機100年の歴史』大西正幸 著、 新報堂出版、2008年、1900円(税別)

 イギリスでは早くから洗濯作業の機械化が行なわれていました。17世紀末には木製の手動洗濯機が登場して1691年に特許も出願されています。18世紀には絞り器(二つのローラーの間を通して絞る)が発明されます。そういえばわが家で最初に購入した電気洗濯機には、このローラー絞り器が付属していましたっけ。
 19世紀には、アメリカで洗濯機関連の特許出願数が急増します。動力源として初めは人力・スチームエンジン・ガソリンエンジンが使われましたが、ついに電気モーター使用の洗濯機が登場します。女性の重労働を軽減するマシンは大ヒット、日本に初めて輸入された1922年にはハレー・マシン社のPRパンフレットでは75万台の販売実績だそうです。もちろん日本でもすぐに“国産化”が行なわれます。1930年には芝浦製作所が「ソーラー」ブランドの洗濯機(公務員の月給が平均50円の時代に370円の値づけでした)を発売しますが、名前だけではなくてロゴも「ソアー」とそっくりさんです。今だったらアウトでしょう。洗濯液は、固形石鹸をお湯で溶かしたり粉末石鹸をあらかじめ泡立てておく必要がありました。メーカーは洗濯機を売るだけではなくて、使い方に関しての消費者教育も並行して行なっていました。
 電気洗濯機は、円筒型(横倒しのドラムが回転)が最初に開発され、ついで撹拌式(深めのタライの底に撹拌棒がある)に移行しました。ソーラーは撹拌式でしたが、今のドラム式はご先祖の円筒型に回帰しているのかもしれません。1948年にイギリスのフーバー社が噴流式(側面にプロペラ(パルセーター)があってその水流で撹拌する)を発売、大ヒットとなります。日本の各メーカーも後追いと改良をしますが、その中に、底にパルセーターを移動させた渦巻式がありました。1956年からの神武景気で洗濯機も日本にどんどん普及し(普及率は、56年には5.6%が63年には51.5%)、63年には二槽式、65年には全自動が登場します。面白いのは、1945年に「食器洗い兼用洗濯機」が発売されていること。パンツを洗った洗濯機で食器も洗う? さすがにアメリカでもこれは不評だったようです。
 脱水機の歴史は1874年まで遡ります。手動の遠心式脱水機の発明です(サラダなどの野菜の水切り器のようなものかな?)。1903年には電気式のものが発明されます。ローラー式の絞り器は、水分が残りやすくボタンが割れたりすることがありましたが、遠心式だと効率が良く洗濯物が傷みにくいという利点があります。問題は、スペース。そこで合体型の二槽式洗濯機、となるわけですが、1959年東京の高島屋、フーバー社製の二槽式が日本初登場です。ちなみにお値段は9万8500円。誰が買うの?
 乾燥機も進歩します。初めは置き場所に困るどでかいものでしたが、薄型となって洗濯機の上に設置できるようになり、初めは排気は屋外に行なっていましたが、湿気を結露させて水として下(洗濯機の排水口)に落とす除湿機能つきとなります。
 現在はドラム式洗濯乾燥機の時代となっていますが、さて、これから洗濯機はどんなふうに進化していくのでしょう? あとがきには、昭和37年に著者が田舎の母親に洗濯機を買ってプレゼントしたときのことが書いてあります。母親は井戸から水を汲んで洗濯機に運び、洗い終わったら川に持っていってすすぎをするのですが、それでも力仕事が減って大喜びなのです。ああ、日本はこんな国だったんですよねえ。



5W1H

2011-07-25 18:42:58 | Weblog

 菅首相を辞めさせたい人たちは「When」を問題にし(「いつ辞めるんだ」「早く辞めろ!」)、何人いるかは知りませんが菅首相側の人たちは「How」を問題にしているようです(条件を満たしたら辞めるよん)。だから話はすれ違う。
 ところで私が一番知りたいのは「Who」と「What」と「When」と「How」です。菅さんに替わるのは、誰で何をいつどうするのかな。(もちろん菅さんにもそれははっきりさせて欲しいのですが)

【ただいま読書中】『羊に名前をつけてしまった少年』樋口かおり 著、 ブロンズ新社、2011年、1400円(税別)

 日本最北の小さな農業高校1年生のエイジは、吹雪の中、新聞配達のバイト帰りに立ち寄った学校の羊舎で、羊が出産するところに立ち会います。普通は1~2頭の出産ですが、このときは珍しく三つ子でした。3頭の子羊はどれも標準よりは小さかったのですが、特に最後に生まれた「8号」は標準の半分の体重、自力で乳も飲めず、人工乳で人間が育てることになります。
 普通の子羊は人間を警戒して母親の陰に隠れますが、8号は人間に慣れ、特によく世話をしてくれるエイジに懐きます。
 エイジは進路に悩んでいました。自分が何になりたいのか、そのために今何をするべきなのかがさっぱりわからないのです。同級生の中にはすでに将来の夢のために行動している者がいます。しかしエイジは、とりあえず目の前の勉強や動物の世話を熱心にすることしかできません。大事に家畜を育てることと、ペットを可愛がること、その区別もわかりません。そしてエイジは「8号」に「フブキ」という“名前”をつけてしまいます。
 家族、親友のミノル、教師たちは、そういったエイジを気遣いながらも余計なことはせずに見守り続けます。そういった中で印象的なのは、父親のことばです。「どうしたらいいか、わかんないのか? それとも、わかっちゃいるけど、割りきれないのか?」……「悩みってのは、たいてい、そのどっちかだべ?」……「言いたくないなら、言わんくていい。……どうしたらいいかわかんないとき、どうしても自分で答えが出せないときは、誰かに相談すればいんだ。ほしい答えが出るかどうかはわかんねえけどな」……寄り添ってますねえ。そしてエイジが「……割りきれないとき、は?」と尋ねると、まっすぐエイジの目を見つめ「誰も、何もしてやれない」ときっぱり言いきってしまいます。
 エイジが2年生の1学期の終わり、「フブキ」は出荷されることになります。フブキだけではなくて、高校で育てている同年齢の羊は、繁殖用に回されないかぎり食肉となるのです。それは高校生たちには過酷な体験です。特に羊に「名前をつけてしまった」エイジにとっては。
 明朝は出荷の日。眠れぬ夜を過ごしたあと、エイジは学校に駆けつけます。そこで見たのは…… そして、最後にエイジが顔に浮かべたのは……
 「命」を食べるということの意味、そしてその過程での飼育や屠畜の実際。そして「名づける」という行為の意味(本書の途中に「(名づけない)野良猫をかわいがること」と「(自分で名前をつけた)ペットをかわいがること」の大きな違いについて語られる場面があります)。重たいテーマを扱った本ですが、心が成長期にある少年を主人公に据え、日常をそのまま切り取ったかのような情景描写の連続で、軽やかにしかししっかりとした足取りで話は進められます。表紙の羊の顔に惹かれて読んでみましたが、拾いものでした。ベエエエェェェーーーーー。



ノルウェー

2011-07-24 19:16:35 | Weblog

 現在ノルウェー人がひどい目にあって大喜びする国と言ったら……そう言えば、ノーベル平和賞で“制裁してやる”と大声で恫喝していた国がどこかにありましたっけ。

【ただいま読書中】『脱走者 ──ある執念の記録』ハンス・ブリッケンデルファー 著、 松谷健二 訳、 早川書房、1974年、880円

 ナチスドイツ降伏直後のフランス、著者は逮捕されます。
 このたった一つの文章の“背後”には、第一次世界大戦まで遡る長い長い物語が潜んでいました。
 著者はドイツ人の父とスイス人の母の間に生まれ、フランス語の教育も受けていました。ロシア戦線で戦い、フランス国内にも派遣され、最後はベルリン防衛戦に動員されますが、そこで、フランス語の特技を生かして、ソ連の手から西側に脱出しました。解放されたフランス人捕虜になりすまして。ただし書類は一切ありません。
 フランスの行政機構は破壊されていて、さらにアメリカ軍との二重統治のような形になっているため“隙間”がたくさんありました。そこを著者は、薄氷を踏む思いですり抜けていきます。もし見つかったら「ドイツ人だ!」の叫び声とともにリンチが始まることは確実なのですから。
 やっとパリにたどり着きますが、あてにしていた信頼できる知人は不在でした。そして、逮捕。はじめは浮浪ドイツ人としてでしたが、すぐに「スパイ」に“格上げ”されます。厳しい尋問と拷問。「SSのやり口を非難するくせに、どこが違う?」と著者は疑問を持ちます。幸いスパイの疑いは晴れますが、“無罪放免”にはなりません。一度捕まえた「悪いドイツ人」は、とことん罰せられなければならないのです。軍事法廷で有罪宣告を受け、著者は監獄へ。飢えと暴力と同性愛が支配する場所へ。やっと釈放されたらこんどは捕虜収容所。そこを脱走してまた逮捕されます。
 著者はあきらめません。また脱走。とうとうスイス国境を越えてしまいます。しかしそこでまた逮捕。フランスの収容所へ逆戻り。農場への労働に派遣され、そこでまた脱走。スイス経由でついにドイツへ入国、母親の元にたどり着きますがそこで逮捕。収容所。そしてまた、脱走。
 著者は、自分が“追われる側”にいるからでしょう、人を見る目に、誠意と優しさと同時に警戒と辛辣さがあります。たとえば当時のフランスは「愛国者と裏切り者のどちらかしかいない国」のようだと彼は見ています(当時“戦犯”や“対独協力者”に対する追及が厳しく行なわれていましたが、ドイツに抵抗して少しでもフランス人の損害を減らそうと頑張っていた“統治者”までも、対独協力者として裁判にかけられていました)。
 本書を貫く“縦糸”はもちろん著者の「脱走の意思」、それも強固な意志ですが、もう一つ、「スポーツ感覚」があります。「捕虜が収容所を脱走するのは、一種の義務」という認識があり、それをスポーツ感覚で捉えることができる文化がヨーロッパにはあるようです。もちろん著者自身がスポーツを愛する人間であることも大きな要素ですが。おっと、小道具としての「ベレー帽」、これも重要な役割を果たし続けます。こいつが登場するたびに私はニヤリとしてしまいました。どんな役割か? それはぜひご一読を。


戦国時代と藩幕体制の終焉

2011-07-23 18:54:24 | Weblog

 私は「戦国時代(各藩(国)が軍事力によって様々なことに決着をつけた時代)」は、江戸時代に入ったときに終わったのではなくて、長州戦争・戊辰戦争および西南戦争でやっと終わった、と考えています。少なくとも「藩」と「軍」は、それ以後の時代には完全に分離され、「日本国」が軍を統括することになりましたから。
 では「藩幕体制」は、いつまで続いたのでしょうか。明治維新で終了?  それはないでしょう。さっき西南戦争を挙げたばかりです。昭和の時代には(そしておそらく現在でも)国会議員の地元は「クニ」と呼ばれていました。そして国会議員の主な任務は「クニの利益」。ということは、もしかしたら藩幕体制は現在も温存されているのかもしれません。
 大阪の橋下府知事が議会を弱めようといろいろやっていますが、それは道州制をにらんで権力の入れ子構造を(「市町村・府県・州」がそれぞれ「議会・首長」を抱えてごちゃごちゃやっていたら、どんな話もまとまらなくなるから)少しでも単純化しておこう、という意図があるものと私は理解しています(単なる権力亡者の可能性もありますが)。で、これは結果として「藩幕体制」の終焉をもたらす可能性がある、と私は感じています。道州制というのはこれまでの日本にはない斬新な発想ですから。ただ、それが日本にとって良いことか悪いことかはまだわかりません。ともかく「血」を見ない方向に行ってくれたら良いのですが。

【ただいま読書中】『定刻発車 ──日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』三戸祐子 著、 交通新聞社、2001年、1848円(税別)

 列車が時刻表をどのくらい守るかでは、日本の鉄道は優秀な成績をたたき出しています。1999年度JR東日本は、一列車当たりの遅れが、新幹線が平均0.3分、在来線が平均1.0分。定刻発着(遅延が1分未満)率は、新幹線95%・在来線87%。
 ただ、各国も頑張っています。定時運転率は、1992年の数字では、イギリス・フランス・イタリアとも大体90%程度です。ただし、「定時」の定義が違います。日本では「1分未満」ですが、イギリスは「10分未満」、フランスは「14分未満」、イタリアは「15分未満」なのです。
 もちろん各国の鉄道も「定時運転」を目指しています。ただその姿勢は、日本のような「1分と違わず」とは違っている、つまり「文化の違い」がある、と著者は述べます。“世界標準”から見たら日本の鉄道は特異なのですが、では「日本の社会はなぜ鉄道にこれほどの正確さを求めるのか?」「鉄道人たちはどうしてその要求に応える強い意志を持ち、これに応えることができたのか?」「これほどの正確さを実現させた日本の社会とは、一体何なのか?」という疑問が生じます。
 著者はまず江戸時代の「時鐘システム」に注目します。全国一斉に時刻を知らせ、それを守るという社会は、近世では世界的に珍しいものでした。もちろん不定時法ですし、使える最小単位はせいぜい「小半時(30分くらい)」ですから、そのまま「文明開化」に移行することはできません。ただ「全国共通の時を使う」社会システムと「時刻を守る」意識とがすでに準備されていたことが、明治以後の「定刻を守る鉄道」に重要であったことは間違いなさそうです。明治時代のお雇い外国人は「日本人が集合時間を守らないこと」に苛立っていましたが、これは「日本人が時刻を守らない」からではなくて「日本人の時刻感覚が30分刻み」だったからでしょう。
 欧米での鉄道は馬車をターゲットとする「長距離輸送」が目的でした。しかし日本での宿場町は「徒歩旅行」が基準となって距離が設定されています。そこをつなぐ鉄道には欧米とは違う「頻繁運転」が求められることになりました。さらに、少ない機材を最大効率で使おうとしたら「定時運転」が必要となり、一度その運転が確立したら、今度は一つの延着が他のすべての列車に影響を与えますから、ますます定時運転の厳守が必要となります。
 そのキーマンが、明治39~40年の鉄道国有化によって山陽鉄道から国鉄に移った、「運転の神様
」結城弘毅です。沿線に細かく目標を設定し、そこの通過時刻を投炭の工夫などで厳守することで分単位の「正確運転」を実現しまし、最後には鉄道省の運転課長に抜擢されました。
 電車の導入で正確さはさらに加速されることになりますが、驚いたことに、大正年間にすでに、東京ではラッシュ時には3分間隔の運転、各駅の停車時間は20秒、なんてダイヤが組まれています。SLの時代ですよ。
 大量輸送・定時運行で重要なのは、技術開発と運ぶ側の努力だけではありません。乗客もまた“協力”する必要があります。「降りるのが先、乗るのは後」とか「駆込み乗車をしない」とか「飛込み自殺をしない」とか。それらをきちんとしなければ、列車のダイヤは乱れるのです。そのすべてが上手くかみ合って“運行”されているのが日本の列車、ということでしょう。正確には走っているのは日本の「列車」ではなくて、「日本の」列車なんですね。



○○主義

2011-07-22 18:46:37 | Weblog

 現在の日本は、経済は資本主義で、政治形態は民主主義、ということになっています。しかし市場は必ずしも自由競争ではなく、政治も明らかにきちんとした民主主義ではありません。特に昭和の後半は社会主義の匂いがぷんぷんしましたが(経済活動、農業、医療などに対する国家統制は明らかに社会主義的でした)、今は一体何でしょう。その場主義?

【ただいま読書中】『共産主義内の「左翼主義」小児病』(レーニン全集第31巻)レーニン 著、 ソ同盟共産党中央委員会附属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所 編、マルクス=レーニン主義研究所 訳、 大月書店、1959年(72年19刷)、1500円

 古い本ですが、中はとてもきれいです。図書館の書庫に眠ったまま、あまり読まれていませんね。
 本編は1920年に執筆されたものですが、ロシア革命を世界中のすべての国に輸出しようとする野望が満ち満ちています。
 まずはロシア革命が継時的に描写されます。その過程でさまざまな分派活動があり、見解や解釈が対立しますが、そこで著者は「妥協を「原則的」に否定し、どんなものであろうと、妥協一般をゆるすことをいっさい否定するのは、児戯に類したことであり、まじめに取りあげることもできない」と述べます。つまり「妥協」にはいろいろあるのだから、許されるものと許されないものをちゃんと区別しよう、と。「ドイツ帝国主義者」との“妥協”である「ブレスト講和」が具体例として取り上げられますが、私には著者が「自分たちは正しい」「自分たちに反対するものは間違っている」とひたすら主張しているように見えます。もちろん「妥協を一切否定するのは児戯に類している」「妥協にはいろいろある」は、一般論としては「正しい」のですが。ということで、本書での“敵役”は「ドイツ(共産党「左派」)」です。たぶんロシア共産党の言うことに、ドイツ共産党が逆らっていたのでしょうね。もうけちょんけちょんに叩かれています。
 当時の資本主義は、19世紀までの「身分」や「階級」がもろに反映されたシステムだったはずです。だから「プロレタリアート」と「ブルジョアジー」の対立を先鋭的に描くことができます。しかし現在の社会を見たら、もちろん身分や階級は保存されてはいますが、ここで「立て、プロレタリアートよ」と言ってもそれは戯画にしかならないでしょう。21世紀が基盤とするのは20世紀なのですから、そこに19世紀の言葉を当てはめるのには無理があるのです。
 「プロレタリアート」の構成要素は、農民と労働者です。その共通点は「搾取されている」こと。だけど、それ以外にはあまり共通点を私は見つけられません。たとえば「組織」でも、労働組合は現実的ですが「農民組合」は難しそうです(実際、集団農場は破綻しました)。そして、その両者が等しく幸福な社会を想像することが私にはできません。いや、夢想はできますが。さらに、労働組合を組織するためには、その“相手”としてのブルジョアジーが必要になってしまいます。闘争や革命によって根絶しちゃ、だめなのです。ただそういった「国内の敵」がいたら「党」は団結しやすく(そして党に対する“権力者”のコントロールが容易に)なるでしょう。それと同様に「国外の敵」がいてくれたら「ロシア」はまとまりやすくなる(国内の矛盾に目をつぶって団結する/反対派を黙らせやすい)、という“実利”もたっぷり得られそうです。
 そうそう、本書を読んでいてレーニンさんに質問をしたくなってしまいました。「プロレタリアート独裁」という言葉がよく登場します。それと同時に、プロレタリアート以外の人間との共存も社会を機能させるためにはやむを得ない、という見解も。すると、“独裁”によって抑圧された人々は、将来革命を起こすことになるのでしょうか?(「ブルジョアジー革命」?)
 ところで、フランス革命後、ヨーロッパ各国は「革命が自分の国で起きること」を大変警戒しました。だけどフランス人は「他の国にも革命を“輸出”しよう」としていましたっけ? まだ調べていませんが、私の予想ではそこまで熱心に公然と各国で活動をしてはいないんじゃないかな。しかしロシア人は、各国に共産党を育て、そこで各国の独自性を無視した全世界共通の「共産党の正当性」を確立しようとしていました。なかなかユニークな活動です。各国がフランス革命の輸出よりももっと共産革命の波及を恐れた(だからヒトラーが“防ソの砦”として重宝された)訳がわかるような気がします。