「あなたが理想とする、百年後の地球の具体的な姿は?」と聞けば、その人の持つ理想の高さや大きさは大体見当がついてしまうでしょう。ポイントは「国」ではなくて「地球」ね。
【ただいま読書中】『コペルニクス革命 ──科学思想史序説』トーマス・クーン 著、 常石敬一 訳、 講談社学術文庫881、1989年(94年7刷)、971円(税別)
コペルニクス“以前”、地球は宇宙の中心に固定されていて、天文学者はすべての天体の動きを地球を中心点として計算していました。コペルニクスの「革命」のポイントは、その中心点を「地球」から「太陽」に移したことにあるのですが、本書は先ずコペルニクス以前から悠々と話を始めます。
地球が「球」であることはすでに紀元前から知られていました。そこで天文学者たちは「宇宙は二つの球(地球と星が散りばめられた天球)からなる」という概念で仕事をしました。「惑星」さえ存在しなければ、話はここで終わっていても不思議ではありません。惑星は天球上の恒星とはそれぞれ違う動きをします(だから「惑う星」なのです)。7つの惑星(水金火木土 + 日月)の動きをどう合理的に説明するか、それが天文学者にとっての大問題となったのでした。
ここで「惑星」がどのような動きをするかが図示されますが、私が感銘を受けるのは、古代の人々が「肉眼」だけでそれをきちんと観測し正確にプロットしていたことです(一番正確なものは誤差が角度で0.1度だったそうです)。「正確な観測」をおこないそれをきちんと記録できるのは、それだけで尊敬に値する行為です。ただ皮肉なことに、観測が正確だからこそ、のちに理論(天動説)との不整合を突かれることになってしまうのですが。
紀元前4世紀には、各惑星の中で月が一番地球に近く土星や木星は遠いこともほぼ確定されていました。しかし「惑う」理由はわかりません。そこで「周転円」「離心円」「導円」「エカント」といった天球に対する“小細工”が行なわれました。非常に複雑な計算が必要になりますが、ともかくこれですべての星の動きが計算できることになり、プトレマイオスの天文学(「天動説」)はほぼ完成しました。しかし、いくつ「円運動」を組み合わせて理論を複雑にしても、天体の運動の観測結果とは常にいくらかのズレが生じました。当代随一の天文学者コペルニクスは、その“些細な問題”を解決しようとしたのでした。
アリストテレスは「月の天球の内側」を地上界(変化と堕落)とし、外側を天上界(不変)としました。この概念はキリスト教神学にも取り入れられます(かつての占星術、現在の星占いにもその気配は保存されていますね。「変わらない星」が「変わる地上」を支配しているわけです)。
コペルニクスが目指したのは「革命」ではありませんでした。プトレマイオスの体系をさらに「完全」に近づけるための技術的な解決の提示です。ところがここでコペルニクスは「視点を移動させたら、計算がうまくいく」ことに気づいてしまいます。それは「全宇宙の中心は不動の地球」から「太陽を計算上の中心に持ってくる」という“些細な変更”でしたが、「二つの球」を基礎に置く天文学とキリスト教の世界観にそれがのちに重大な変革をもたらすことになったのでした。「(神が宇宙の中心に置いた)地球を動かすこと」は「神の座を動かすこと」になってしまったのです。
ルネサンスは探険と発見の時代でもありました。それはつまり「古代の地理学が間違っている」ことの証明でもあったのです。さらに暦の訂正もあります。ユリウス暦の“誤差”は広く知られるようになっていました。この「社会の変化」についても著者は見逃しません。「昔から伝えられている神の言葉は正しい」を絶対的な基準として成立していたキリスト教社会に、「動乱の予兆」は蓄積していたのです。
コペルニクスの『天球の回転について』(私が以前読んだのはみすず書房の『天球回転論』)は、文章の歯切れが悪く、その内容にはプトレマイオスの“尻尾”がしっかりとついています。しかし、読む人が読めばその革新性は明らかでした。はじめは天文学者愛用の「非常に正確な天文表」扱いで世界に普及し、そしてじわじわと人々の意識を変えていったのです。教会がその本の真の危険性に気づいたときには、すでに手遅れでした。
ただし「革命」は一直線に進んだわけではありません。教会の抵抗もありますし、「パラダイムの変換」に抵抗する人々の力も強大です。ただ、そのへんは、本書でも、一般の科学史の本でも読めばいろいろわかるはず。本書の価値は「科学革命」が「社会」や「宗教」も巻き込んだ運動であったことと「パラダイム」が世界にとって重要であることを指摘しているところにある、と私は考えています。
そうそう、ときどきニセ科学の教祖が自身をコペルニクス(やガリレオ・ガリレイ)になぞらえていることがありますが、それがいかに笑止千万な態度であるかも本書を読めばよくわかります。分厚い本ですが、一読の価値はありますよ。
それでは皆様、よいお年をお迎えください。