goo blog サービス終了のお知らせ 

【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

理想の評価

2012-12-31 07:38:30 | Weblog

 「あなたが理想とする、百年後の地球の具体的な姿は?」と聞けば、その人の持つ理想の高さや大きさは大体見当がついてしまうでしょう。ポイントは「国」ではなくて「地球」ね。

【ただいま読書中】『コペルニクス革命 ──科学思想史序説』トーマス・クーン 著、 常石敬一 訳、 講談社学術文庫881、1989年(94年7刷)、971円(税別)

 コペルニクス“以前”、地球は宇宙の中心に固定されていて、天文学者はすべての天体の動きを地球を中心点として計算していました。コペルニクスの「革命」のポイントは、その中心点を「地球」から「太陽」に移したことにあるのですが、本書は先ずコペルニクス以前から悠々と話を始めます。
 地球が「球」であることはすでに紀元前から知られていました。そこで天文学者たちは「宇宙は二つの球(地球と星が散りばめられた天球)からなる」という概念で仕事をしました。「惑星」さえ存在しなければ、話はここで終わっていても不思議ではありません。惑星は天球上の恒星とはそれぞれ違う動きをします(だから「惑う星」なのです)。7つの惑星(水金火木土 + 日月)の動きをどう合理的に説明するか、それが天文学者にとっての大問題となったのでした。
 ここで「惑星」がどのような動きをするかが図示されますが、私が感銘を受けるのは、古代の人々が「肉眼」だけでそれをきちんと観測し正確にプロットしていたことです(一番正確なものは誤差が角度で0.1度だったそうです)。「正確な観測」をおこないそれをきちんと記録できるのは、それだけで尊敬に値する行為です。ただ皮肉なことに、観測が正確だからこそ、のちに理論(天動説)との不整合を突かれることになってしまうのですが。
 紀元前4世紀には、各惑星の中で月が一番地球に近く土星や木星は遠いこともほぼ確定されていました。しかし「惑う」理由はわかりません。そこで「周転円」「離心円」「導円」「エカント」といった天球に対する“小細工”が行なわれました。非常に複雑な計算が必要になりますが、ともかくこれですべての星の動きが計算できることになり、プトレマイオスの天文学(「天動説」)はほぼ完成しました。しかし、いくつ「円運動」を組み合わせて理論を複雑にしても、天体の運動の観測結果とは常にいくらかのズレが生じました。当代随一の天文学者コペルニクスは、その“些細な問題”を解決しようとしたのでした。
 アリストテレスは「月の天球の内側」を地上界(変化と堕落)とし、外側を天上界(不変)としました。この概念はキリスト教神学にも取り入れられます(かつての占星術、現在の星占いにもその気配は保存されていますね。「変わらない星」が「変わる地上」を支配しているわけです)。
 コペルニクスが目指したのは「革命」ではありませんでした。プトレマイオスの体系をさらに「完全」に近づけるための技術的な解決の提示です。ところがここでコペルニクスは「視点を移動させたら、計算がうまくいく」ことに気づいてしまいます。それは「全宇宙の中心は不動の地球」から「太陽を計算上の中心に持ってくる」という“些細な変更”でしたが、「二つの球」を基礎に置く天文学とキリスト教の世界観にそれがのちに重大な変革をもたらすことになったのでした。「(神が宇宙の中心に置いた)地球を動かすこと」は「神の座を動かすこと」になってしまったのです。
 ルネサンスは探険と発見の時代でもありました。それはつまり「古代の地理学が間違っている」ことの証明でもあったのです。さらに暦の訂正もあります。ユリウス暦の“誤差”は広く知られるようになっていました。この「社会の変化」についても著者は見逃しません。「昔から伝えられている神の言葉は正しい」を絶対的な基準として成立していたキリスト教社会に、「動乱の予兆」は蓄積していたのです。
 コペルニクスの『天球の回転について』(私が以前読んだのはみすず書房の『天球回転論』)は、文章の歯切れが悪く、その内容にはプトレマイオスの“尻尾”がしっかりとついています。しかし、読む人が読めばその革新性は明らかでした。はじめは天文学者愛用の「非常に正確な天文表」扱いで世界に普及し、そしてじわじわと人々の意識を変えていったのです。教会がその本の真の危険性に気づいたときには、すでに手遅れでした。
 ただし「革命」は一直線に進んだわけではありません。教会の抵抗もありますし、「パラダイムの変換」に抵抗する人々の力も強大です。ただ、そのへんは、本書でも、一般の科学史の本でも読めばいろいろわかるはず。本書の価値は「科学革命」が「社会」や「宗教」も巻き込んだ運動であったことと「パラダイム」が世界にとって重要であることを指摘しているところにある、と私は考えています。
 そうそう、ときどきニセ科学の教祖が自身をコペルニクス(やガリレオ・ガリレイ)になぞらえていることがありますが、それがいかに笑止千万な態度であるかも本書を読めばよくわかります。分厚い本ですが、一読の価値はありますよ。

 それでは皆様、よいお年をお迎えください。


冷やっ

2012-12-30 07:06:01 | Weblog

 夜明け前、寝返りを打ったら、顔が枕の冷たい面に触れて目が覚めました。せっかく休みの日だからお寝坊しようと思っていたのになあ。

【ただいま読書中】『リトル・ブラザー』コリイ・ドクトロウ 著、 金子浩 訳、 早川書房、2011年、2000円(税別)

 タイトルを見た瞬間『1984年』(ジョージ・オーウェル)の独裁者「ビッグ・ブラザー」を連想して本書を手にとりました。この時点ですでに著者の“勝ち”ですね。さらに主人公が最初に名乗るハンドルは「ウインストン(表記はw1n5ton)」ですがこれは当然『1984年』で真理省に勤務する主人公の名前です。
 高校のコンピューターや監視システムを出し抜くことが楽しみのマーカスは、友人と学校をさぼってゲームを楽しんでいるとき、たまたま爆弾テロ事件に遭遇します。パニックの中で友人が刺されたため出動してきた兵士に助けを求めますが、怪しいところに怪しい(電子機器をいろいろ所持している)人間がいる、ということで国土安全保障省(DHS)の部隊に拘束され、容疑者扱いで厳しい取り調べ(と拷問)を受けます。友人たちとは違ってマーカスは(思春期の聡明で自立心旺盛な者にはよくあることですが)権威に反抗する癖があり、それが役人たちの逆鱗に触れたのです。
 疑いが晴れてやっと釈放されたマーカスは、自室の自作パソコンに監視装置が仕掛けられていることに気づきます。マーカスは、復讐を誓います。そのための“武器”は、Xボックスユニバーサル(無料で配られた、という架空の存在です)とそれをクラックするパラノイドLinux(偏執的に暗号化をするOS)。マーカスはそれによって、まずプライバシーを確保します。それと、世界に働きかける力を。
 第二愛国者法が議会を通過し、町には監視カメラが急増し、個人の位置情報を示すカードなどの利用情報はすべて警察やDHSに筒抜けとなります。マーカスはそれに対して、「Xネット」を立ち上げます。基本的に無料でゲームができるネットですが、同時にDHSの監視からも安全な領域です。
 マーカスが天才ハッカーだったらDHSのコンピューターをハックすることを考えるかもしれませんが、ちょっと頭がよい程度の高校生がやるのは遊び心のある社会運動、かつての公民権運動のネット版です。「テロリズムの恐怖」を口実にテロリストではない善良な市民に恐怖を押しつける圧政に対する抵抗運動。社会運動を行なおうと思い実行してしまう時点で、すでに「ただの高校生」ではありませんが。本当はこういった人間を「反体制」に押しやるのではなくて、体制内にとりこんで変革する働きをしてもらったら、社会はもっともっとよくなるはずなんですけどねえ。頭の悪い人にはそんな“遊び心”は期待できないようです。
 『1984年』での“抵抗”は個人レベルのものでした。しかしこちらで“使”われるのは、ネット、集会、(信頼できそうな)ジャーナリスト、そして合衆国憲法と独立宣言。本書で最後に登場するのも、ネットを利用した具体的な社会運動です。「監視社会」のコワサを描いた本書で最初から最後まで重要なテーマとして扱われるのは「セキュリティ」ですが、良識ある人々・健全なマスコミ・憲法は「世界のセキュリティ」なのかもしれません。グァンタナモ基地などでの醜悪な行動を下敷きとした「アメリカの不健全な行動」に対する反感が本書には満ちていますが、それと同時に「アメリカというシステム」に対する基本的な信頼も著者は持っています。それはこの「セキュリティ」ゆえでしょう。
 ただ、そうすると、日本の場合、「マスコミ」はすでに機能していないと私は感じていますが、たとえば「憲法」は何のための「セキュリティ」としてどのように機能しているのでしょうねえ? まさかこれももう機能していない?


先輩を見習う

2012-12-29 07:16:07 | Weblog

 かつて「原発の安全神話」を強力に唱えていた人たちは、「原発事故の可能性」を心配する人をまるで被害妄想呼ばわりで元気いっぱい上から目線で攻撃していましたが、今はずいぶん静かです。あまりに静かで、結局自分の過去の言動をちゃんと反省したのかそれとも反省する必要なしと今でも思っているのかどうかさえ不明です。
 今「金融緩和」を強力に唱えている人たちも、「将来の心配」をする人に対して「かつて原発の安全神話を唱えていた人」と似た態度で接しているように私には見えます。で、もしも将来国債の暴落などから日本経済が滅茶苦茶になったとしたら、“先例”に倣うつもりなのでしょうか?

【ただいま読書中】『鉛筆部隊と特攻隊 ──もうひとつの戦史』きむら けん 著、 彩流社、2012年、2000円(税別)

 昭和19年8月12日夜10時頃、灯火管制で真っ暗な世田谷区の下北沢駅を目指して子供たちが列を成して歩いていました。代沢国民学校の集団疎開です。著者は下北沢駅一帯の埋もれた歴史についてのブログを書いていて、この集団疎開のことを知り、児童たちが歌っていた歌を復元しようとしていました。ところがその過程で「心があわ立ってくるようなスリル」を感じることになります。
 子供たちは長野県松本の浅間温泉に向かいます(この温泉全体で世田谷区の小学生を約2570人受けいれています)。児童の一部は熱心に作文指導をする教師によって「鉛筆部隊」と名づけられていましたが、温泉旅館では、陸軍松本飛行場にやってきた特攻隊の6人との意外な出会いがありました。児童たちと「兵隊さん」はすぐにうち解け、仲良く遊ぶようになります。
 松本にいた特攻隊は、武剋隊と武揚隊でした。この隊は満州で結成され、飛行機を特攻用に改装するために岐阜の各務原にやって来ました。それが、名古屋爆撃にあい、難を逃れるために松本で爆装をすることになったのでした。
 著者は調査を続け、日本では特攻隊と疎開児童との交流がきわめて稀であったことを知ります。そして、浅間温泉での(親や家族から引き離された)子供たちと(死を覚悟した)特攻隊員の絆は、情愛の絆でした。
 本書で語られる“物語”は、特攻隊員が書き残した「わだつみの声」の“行間”と言うこともできるでしょう。さらに、日本ではあまり語られたことがない、朝鮮人の特攻兵、あるいは特攻での生き残りについても著者は注目しています(というか、著者のもとに情報がどんどん集まってくるのです。この、ネット経由でどんどん「縁」が結ばれていく過程もまたひとつの「物語」となっています。中には「本当かな?」と言いたくなるエピソードもありますが)。「もうひとつの戦史」というサブタイトルが示しているように、表に出ていてよく知られている戦史ではない、人々の心の奥底に沈んでいてあまり知られていない戦史について描かれた本です。証言者の多くはもう後期高齢者です。彼らが生きているうちにやっと間に合った、といった感じの本ですが、まだまだ日本のあちこちに「もうひとつの戦史」は埋もれているのではないでしょうか。本来は「ひとりひとり」に戦史があるはず。それらをそのまますべて忘れていって、それで良いのかな?


怠け者に対する東西からの戒め

2012-12-28 07:33:45 | Weblog

 ・人事を尽くして天命を待つ
 ・神は自ら助くる者を助く

【ただいま読書中】『マンガ食堂』梅本ゆうこ 著、 リトルモア、2012年、1500円(税別)

 漫画に出てくる料理を(あまりまともとは言えないものも含めて)実際に作ってみました、という本です。「ドラえもん」の大根シチュー(畑のレストラン)、「伝染るんです。」の子ランチ、「ブラック・ジャック」の巨大たまごやき(ピノコ作)、「まんが道」(藤子不二雄A)のチューダー……このへんはなんとなく覚えています。
 そこから知らないマンガがどんどん登場して、知らないマンガの知らない料理だから話についていけなくなるかと思ったら、意外なことにすらすら面白く読めます。セレクトされた料理が興味深いだけではなくて、そこから著者が何を読み取っているか、料理をするためにどんな苦労をしたか、そして、それまでの著者のシンプルライフがどのように変貌していったかの記述が絶妙の“味付け”となって、こちらの味覚神経や空腹中枢をしっかり刺激してくれるのです。
 女性が主人公のグルメマンガは少ないそうですが、その中の一つ「おいしい関係」で登場する「黄金コンソメスープ」を読んでいて、私はかつて家内が一度だけ作ってくれたコンソメスープを思い出しました。レシピは違いますが、絶対に沸騰させずに一から手作りしたスープは、市販のキューブからのものとは別ものでしたっけ。
 著者はマンガとそこに登場する料理の間には絶妙の“距離感”があります。淫することなく突き放すのでもなく。そしてその絶妙さは、もしかしたら著者自身がリアル世界で回りの人(もの)との間に築いている感覚の反映なのかもしれません。すごく真っ当にすごく変なものを扱っている、という、なかなか面白い本です。著者のブログ「マンガ食堂 - 漫画の料理、レシピを再現」umanga.blog8.fc2.comもあります。


女性の重み

2012-12-27 06:41:41 | Weblog

 体重の話ではありません。
 第二次安倍内閣は、女性の支持率が期待より低かったのを気にして、党の四役のうち二人を女性にした、という解説が朝日新聞に載っていました。ところがそれに続けて、今回の人事では「政府」を重く「党」を軽くしている、という記述も。で、内閣の人事は明らかに男性偏重です。ということは、この解説者の見解に従うと「安倍さんは女性を軽く見ている」ということになっちゃいません? 安倍さんご本人の見解を聞きたいなあ。

【ただいま読書中】『人間への長い道のり』(アシモフの科学エッセイ14) アイザック・アシモフ 著、 山高昭 訳、 早川書房、1991年、505円(税別)

 SFと科学解説を書くことが大好きな著者の、科学解説エッセイです。
 本書で扱われるテーマは、「月の起源」「宇宙での最高温度」「宇宙線」「人類の発生」「二足歩行」「ナイル川」「人口問題」「希ガス」「鉄」「磁極」「火」「ランプ」「自動車」「1分」「詩」。
 まったく、好き放題の何でもありのセレクトのようですが、「何について書くか」だけではなくて「誰が」「どう」書くか、が重要なエッセイ集です。もちろん、アシモフがアシモフ流に書いているので、読む前からその出来具合については信頼できるのですが。
 しかし、宇宙での最高温度に関するアシモフの思いつきが研究者に刺激を与えて星の中の温度に関する研究を始めさせるきっかけとなり、結局超新星爆発でのニュートリノの振るまいについてわかるようになった、というのは、著者はさらりと書いていますが、本当にすごいことだと私には思えます。

 もちろん多くの話題(特に科学に関するもの)は“古く”なってしまっています。「ニュートリノ」「恐竜の絶滅」のところなど、ちょいと加筆したくなるくらい。だけど、本書の“価値”はちっとも古びていません。過去の事実を扱う手際の良さ、過去と現在と未来を見る態度の公正さなど、今読んでも学ぶべきものは多くあります。私は本書は再読(か、再々読)ですが、それでも新たに学ぶべき所が見つかりました。読んだことがない人はぜひこのシリーズのどれか一冊で良いですから読んでみてください(その結果どっぷりはまってしまうかもしれませんが)。既読者も、久しぶりだったら再会を楽しんでみられたらどうでしょう。



豊かと愚か

2012-12-26 06:57:41 | Weblog

 国民を豊かにすることよりも愚かにすることの方に熱心な国は、滅びます。

【ただいま読書中】『地図で読む昭和の日本 ──定点観測でたどる街の風景』今尾恵介 著、 白水社、2012年、1900円(税別)

 「定点観測」は、本来は「定点」で「観測」を継続することを意味します。しかし一人で多数の地点を観測するのは大変です。そこで著者は本書では、「定点」での、異なる時代の詳細な地形図を重ね合わせて比較「観測」することで、その街の変遷を明らかにしようとしています。本書では全国の28の街が取り上げられていますが、もしかしたらその中に、読者の皆さんのなじみのある街の過去の姿が見つかるかもしれません。
 最初は「銀座・有楽町」。大正時代の地図では電車の線路がずいぶん目立ちます。銀座は4丁目までで、その向こうは尾張町とか三十間堀です。有楽橋のそばに、府庁や市役所が建っています。昭和31年の同じ場所の地図では、大きなビルがずらりと並び「近代化」がしっかり進んでいることがわかります。
 「西新宿・代々木」では、大正時代からもう浄水場があったことがわかります。今は都庁が建っているあたりです。大正時代は、どこの田舎町だ、といった感じなんですけどねえ、時代が変わると街も変るものです。
 昭和7年に東京市は周辺の5郡82町村を編入して「大東京市」になりました。昭和11年、そこに北多摩郡の千歳村と砧村が合併して「23特別区域」が完成します。「東京」が急拡大した時代でした。本書では、荏原(えばら)郡平塚村が取り上げられていますが、この村の人口は、大正9年が8,522人、それが14年には72,265人、15年に平塚町になりますが(すぐに荏原町に改名)、昭和5年には132,108人になっています。人口が10年で15.5倍です。7万人の村とか13万人の町とか、アリなんですかねえ。地図でも、純農村だったのがあっというまに住宅地になってしまったのが一目瞭然です。これだけの急激な変化は、地域に相当なストレスをかけたのではないか、と私には思えます。
 嬉しいことに私が育った街もありました。不自然な道路の曲がり方とか住宅地の真ん中の堤防のあととか、ヘンテコなものがなぜ存在するのか、その理由が昭和の前の時代の地図を見ると大体わかります。私自身が現在住んでいる街の地形図も、古いものが欲しくなってしまいました。この街にもどんな歴史があるのか、古い地図はきちんと語りかけてくれるはずですから。



支配

2012-12-25 07:36:47 | Weblog

 「支配したい人」と一番相性が良いのは「支配されたい人(の集団)」。相性が悪いのは、別の「支配したい人」。
 問題は、「支配されたい人」がある一定の“シェア”を占めてしまうと、「支配したくない人」「支配されたくない人」もそこに否応なしに巻き込まれてしまうことでしょう。

【ただいま読書中】『蘭学事始』杉田玄白 著、 緒方富雄 校注、岩波文庫、1959年(96年47刷)、398円(税別)

 2010年4月3日に『現代文 蘭学事始』の読書日記を書きましたが、やっと本箱の奥から古文の本が見つかったので読むことにしました。
 初っ端から苦いことが書いてあります。
「近時、世間に蘭学といふこと専ら行はれ、志を立つる人は篤く学び、無識なる者は漫りにこれを誇張す。」ブームになったのはよいけれど、お調子乗りも増えちゃった……といったところでしょうか。
 本書は著者が83歳になったときに、自身と仲間たちの若き日々を想い起こして記録したものです。ですから「時代を概観する目」も持っています。
 著者以前から「蘭方医」は日本で活動していました。長崎出島でオランダ通詞をしていた人たちが蘭方医として一家を成していたのです。通詞が医者に、というと変な気がする人がおられるかもしれませんが、私にはそれほど無理のある話ではありません。
 日本では医療は徒弟制度によって伝承されていました。徒弟制度は見よう見まね(「見て盗め」)が基本です。ですから、たとえ言葉が通じなくても、出島でオランダ人医師が行なっていた行為を「見よう見まね」で我がものとしていた人たちが、蘭方医の祖となっていたわけです。で、見よう見まねの機会が一番多かったのがオランダ通詞だった、ということ。これがもしも「教育」によって医学が伝えられることが社会の常識だったら、日本に「蘭方医学」は存在しなかったでしょう。そしてこの「見ることの重要性」が、後の「(見ればわかる)解剖図=解体新書」に直結しています。
 それにしても、オランダ通詞が蘭方医に変身し、蘭方医がオランダ医学書を翻訳する、つまり通詞が医療/医者が翻訳、ですから、歴史はなかなか面白いバランスの取れた“悪戯”をするものです。
 有名な腑分けや「フルヘッヘンド」のエピソードも当然あります。古文だから読みにくい、ということはありません。高校の古文の授業で落第した人でなければ楽々読めるレベルの文章ですし、いざとなったら現代語訳もあります。ともかく、一度読んでおく価値はありますよ。
 福沢諭吉は本書を繰り返し読んで涙した、とのことですが、それは彼が「時代の変革」の中に生きていることを自覚していたからでしょう。私は本書を「そうして変革された時代の中に生きている」ことを自覚しながら読んでいます。ですから私の読み方は福沢諭吉とはずいぶん違うはずです。しかしそれで本書の価値が減じるわけではありません。本書にはきわめて具体的な「時代の変え方」が述べられているのです。時代を変えたい人には、何か参考になることがあるはずです。


自衛

2012-12-24 06:49:33 | Weblog

 全米ライフル協会は、「学校で銃乱射事件が起きたのは、銃が悪いのではなくて悪い人間が銃を使ったことが悪いのだ。防ぐためには全学校に武装警官の配置を」と訴えたそうです。
 何人配置したら良いのでしょう? 犯人が一人とは限りませんし、どこから入ってくるかもわかりません。校舎の出入り口すべてに検問所を設けます? いっそ、全教室に一人ずつ配置しましょうか。さらに、学生・生徒も全員武装して「自衛」したらどうでしょう。
 で、「悪い人間」が、学校は手強そうだ、ということで、病院とかスクールバスとか幼稚園とか老人ホームとか役所とか郵便局とかスーパーマーケットとか礼拝中の教会を襲ったら、それらの施設も同様に武装警官を配置して「自衛」していくんですね。
 ああ、銃がたくさん売れそうです。

【ただいま読書中】『アイ・オブ・キャット』ロジャー・ゼラズニイ 著、 増田まもる 訳、 創元推理文庫、1989年、515円(税別)

 私がゼラズニイに初めて出会ったのはたしか『光の王』です。インド神話の神々となった人類が織りなす物語は、のちにホメロスの叙事詩を読んだときに感じたのと同じ種類の感慨を与えてくれました。本書は『光の王』から10年ちょっとして出版され、こんどはナヴァホインディアンの神話を扱っています。インド神話の方はまだ仏教経由で神々の名前にはなじみがありますが、ナヴァホの方はぜんぜんわかりません。さて、それでも楽しめるかどうか……
 ハンターとして名高いビリーは、ナヴァホ族のある氏族の最後の生き残りでした。彼は恒星間宇宙を駆けめぐって異星動物を狩っていたのですが、冷凍睡眠や相対論効果によって“未来”へ移動してしまったのです。
 ハンターとしてはすでに引退をしたビリーですが、国連から任務の要請があります。変身能力(とおそらく壁を通り抜ける能力)を持つ異星のストレイジ人の暗殺者が国連事務総長を殺そうと地球に向かっているのでそれを阻止して欲しい、と。ビリーは、かつて死闘を行なった異星動物キャットに協力を要請します。条件は、自分の命。
 ビリーはストレイジ人がテレパシーも持っていることを想定して「狩り」を開始します。キャットも変身能力(とテレパシー)を持っていて、“好敵手”との対決にやる気満々です。ビリーを殺すのはその後でも良いと思うくらいに。しかし、ストレイジ人はただの“獲物”ではありません。危険なプレデター(肉食獣)なのです。
 そこからビリーの逃走(闘争)が始まります。氏族を失い地球に居場所を失った狩人は自分の生命への執着も失っていましたが、逃走することによって生きることの躍動感を再び覚えます。しかしそれはまやかしでした。ナヴァホの神話に登場する、怒れる岩に追われるコヨーテのように、ビリーは自らの死を目指して突進しているだけなのです。しかしビリーは、自らに潜むいにしえの力を覚醒させます。かつてナヴァホ族が持っていた力と思考法を。その道程の果てに、ビリーを殺そうと待っていたのは……
 未来社会の中で居場所を見つけられないビリーは、現代社会の中で居場所を失ってしまった「神話」そのものなのかもしれない、と感じながら私は本書を読んでいました。神話世界は「異質な世界」に思えますが、神話の側から見たら地球そのものがかつてのものとは異質な存在に変貌してしまっただけなのではないか、とも。そして著者はそういった「異質な地球」に、新たな神話を構築しようとしているのかもしれません。



アコード

2012-12-23 07:18:23 | Weblog

 政府と日銀がアコード(政策協定)を結ぶそうです。で、新聞は「日銀がさらに金融緩和をするか、物価目標をどう表記するか」に注目していますが、命令ではなくて協定である以上両者が何を共通の目標としてそれぞれ何をするかが定められるんですよね。で、政府の方は、何を日銀に対して約束するのでしょう?

【ただいま読書中】『タックスヘイブンの闇 ──世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン 著、 藤井清美 訳、 朝日新聞出版、2012年、2500円(税別)

 フランスでは、旧植民地ガボンとエルフ社を隠れ蓑とした巨大な裏金用腐敗ネットワークがかつて動いていました。それが暴かれたのが「エルフ事件」という巨大なスキャンダルだそうです(私は初めて知りました)。しかし、そういった「裏金ネットワーク」はフランスだけの問題ではありません。各国がアフリカから流出する資金を“活用”しています。そこで活躍するのがタックスヘイブンです。
 「タックスヘイブン」は本書では「要するに社会的義務(納税の義務、まともな金融規制法・刑法・相続法などに従う義務)からの逃げ場」と定義されています。世界には60箇所くらいタックスヘイブンがありますがそれは「ヨーロッパ」「旧大英帝国」「アメリカ」「その他」に大別されます。本書では、世界で最も重要なタックスヘイブンは“島”にあるが、重要度で1番目はマンハッタン、2番目はロンドン(シティ)だ、と述べられています。そして多国籍企業が、複雑な会計操作で税金を回避できるように利益をうまく移転しているのです。
 どのくらい租税が回避されているかはもちろん正確な数字は出せません。推計は行なわれていますが、そのひとつでは、2005年には富裕な個人がオフショアに移した資産は11兆5000億ドル(世界の富の1/4、アメリカのGDPに匹敵)でそれによって失われた所得税は2500億ドルだそうです。また、先進国が途上国へテーブルの上で援助を1ドル渡すごとにテーブルの下では10ドルを奪っている、という推計も紹介されています。
 これは「途上国が損をする」だけが問題なのではありません。このオフショアシステムは、犯罪組織がマネーロンダリングをする目的でもそのまま使えます。さらに、豊かな大国(タックスヘイブンになっている地域)にも害を為しています。健全な経済システムの根幹である「情報の公開」と「信頼」を損なっているのです。そういえば最近の金融危機を引き起こした企業はすべてタックスヘイブンにどっぷりと首まで使っていました。さらに、金持ちが税金を回避した結果、その“穴埋め”は貧乏人が行なわなければならなくなります。金持ちが金持ちになるために貧乏人がせっせと納税することで“貢献”しなければならないのです。
 本書では、様々なタックスヘイブンでの“手口”、それを構築した人々、それと戦った人々がつぎつぎ紹介されます。冒険小説ではおなじみのタックスヘイブンですが、それがフィクションではなくてファクトであり、さらに私とは無縁の「金持ちのやり方」であるのではなくて実は私の“懐”にも影響がある話であることがよくわかります。そしてそれは「私」だけではなくて「あなた」にも影響しているのです。
 かつてケインズの時代には、政府がお金を投入したら基本的にそれはすべて目に見える形で市場で流通していました。だから「効果」がある程度計算可能だった。しかし現在は、政府が投入する程度の金額では「市場の闇」に飲み込まれるだけで期待したような経済効果は生まれない時代になっているのではないでしょうか。アベノミクスはそれをどのくらい計算に入れているのだろうか、と私はちょっぴり危惧しています。



世界の終わり

2012-12-22 07:08:21 | Weblog

 「マヤ暦によると2012年12月21日が世界終末の日だ」という主張を信じる人が多くいるのだそうです。えっと、私はまだ生きていますが、今は12月22日ではないのか、それとも“ここ”がもうあの世になっていて私がうかつにもそれに気がついていないのか、どちらかなんでしょうか。
 もちろん世界のほとんどはまだ「12月21日」ですから、まだ“油断”はできないのでしょうが。
 天変地異で世界が滅びるのだったら、その異変を防止するために私個人にできることはないでしょうが、少なくとも私はまだこの世界に滅んで欲しくはないので、維持する努力だけは続けていきたいと思っています。そんなに簡単に「今の自分」をあきらめたくはありません。

【ただいま読書中】『ねじまき少女(下)』パオロ・バチガルピ 著、 田中一江・金子浩 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF1809)、840円(税別)

 タイ国民から絶大の支持を得ていた環境省「バンコクの虎」ジェイディーは失脚します。虎のように戦い、こそ泥のように殺されます。通産省はさらに権勢を拡大します。ジェイディーの部下カニヤは、暗い過去を持っている様子ですが、自分のためあるいは何かのために動き始めます。アンダーソンは、まるで中毒のようにねじまき少女エミコに入れあげています。
 バンコクに新しい疫病が流行し始めます。放置したらタイは致命的な惨劇に見舞われるかもしれません。しかし、その情報を公開したら、おそらく暴動が起きるでしょう。難民やねじまきなどに対する暴力の洪水を食い止めている堤防はすでに決壊寸前なのです。
 そして、エミコが「自分はただの“従順なセックス人形”ではなくて、“新人類”である」という覚醒を得た頃、並行して走っていたストーリーが一つに収斂し始めます。それがまた見事な進行で、たとえばアンダーソンの工場で働いていた少女マイとカニヤの出会いの瞬間では、ジグソーパズルの断片がぴたりとはまった時の快感を感じることが私はできます。
 一触即発の気配の中、エミコがついにその“一触”を行なってしまいます。政治家、環境省の白シャツ隊、軍隊、スパイ、暴徒、ならず者、外国人、難民、バンコクの路地裏に潜んでいた人々、すべての人が行動を開始します。バンコクに“嵐”が始まったのです。
 詳しいことは読んでのおたのしみ、ですが、たとえばこの“嵐”の描写での緩急のつけ方が素晴らしい。ストーリーの進行速度の緩急だけではなくて、詳しく書くか省略するかの加減も絶妙です。二分冊でけっこうな分量ですが、無駄なところはありません。
 そして、それぞれの主要登場人物のすべてが最後に「それぞれの重大な決断」をするのですが、「その人の過去」と「環境(の激変)」と「人間関係」によって「その人の現在」が影響を受けてきたことが説得力豊かに描かれます。そして、最後の提示される「明るい未来」のイメージ。私は「こんな暗い世界にも“未来”があったんだ」と頭がくらくらしますが、それで同時に救われた気分にもなります。「悪夢のような現実」ということばがありますが、本書で提示されるのは「現実のような悪夢」です。だからこそ「救い」が重要なのです。
 そうそう、「鉄腕アトム」で、アトムは「自分がロボットであること(人間ではないこと)」にひどく悩みますが、「自分が子孫を残せないこと」はほとんど看過していました(「家族がほしい」とは思っていましたが)。しかし遺伝子改変で生みだされた“新人類”エミコにとってはその両方が重要な問題です。では、そこに解決(救い)はあるのか? そのことについては、ぜひ本書をお読み下さい。