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【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

相撲の道

2017-12-31 07:44:03 | Weblog

 相撲はもともと神事と武道と興行(エンターテインメント)の三面性を持っていました。現在の「横綱の品格」なんていうのは、明らかに過去の「神事」(または武道)の名残ですし、外国人でもどんどん入れて「満員御礼」で盛り上げるのは興行面の話です。で、それらの鼎立が現在の大相撲で上手くできているようには見えません。この際ですからとりあえず「シン(真、神)相撲」と「国際相撲」とに協会を分けて、その両者のどちらが生き残るかで“勝負"するのはどうです?

【ただいま読書中】『応天の門(5)』灰原薬 作、新潮社、2016年、580円(税別)

 藤原基経の発案で魂鎮めの祭が開催されます。貴族たちは「魂鎮め」という名目ではなくて「藤原基経の発案」というところに引っかかりを感じます。何を企んでいるんだ?と。
 たしかに企みがありました。大納言伴善男の酒に毒が。ところが大納言は毒入りを承知で飲みほします。二の膳まで進んでいたら大納言は致死量の毒を体内に入れることになっていたでしょうが、そこに大騒動が勃発。宴は中止となります。急いで帰宅した大納言はそこで吐血。そこで「トラブル解決屋」として有名になりつつあった菅原道真にお声がかかります。大納言の命を救えたら、藤原家からはにらまれることが決定。救えなかったら、伴の邸宅から生きて出られるかどうかわかりません。
 「才能がある」は「良いこと」なのでしょうが、こうして本人の意志とはまったく別のベクトルによって気に入らないものに関わりが深くなっていってしまうこともあるようです。
 そして、中国から新キャラが登場したところで、次巻に続く。
 いやいや、美形だらけで、視覚的にも楽しめる漫画です。



錆び釘

2017-12-30 07:33:14 | Weblog

 年末になると、母親は「錆び釘はどこだったかしら」と探し回っていました。黒豆を煮るのに入れるためです。
 そういえばその頃「大工は口に釘をくわえるが、唾で濡れたら釘が錆びて滑りにくくなるからだ」と教わった覚えがあります。ところで、打ち込まれた釘が錆びてしまったら、強度が落ちてかえって釘は利かなくなるのではないでしょうか? そもそもステンレスの釘って、そんなに簡単に錆びるのかな?

【ただいま読書中】『集団就職 ──高度経済成長を支えた金の卵たち』澤宮優 著、 弦書房、2017年、2000円(税別)

 昭和30年、日本の高校進学率は51.5%、大学進学率は10.1%で、進学しない人は就職をしていました。昭和35年池田首相は「所得倍増計画」を発表、39年東京オリンピック、就職希望者は「金の卵」と呼ばれ、企業からは引っ張りだこでした。
 「集団就職」と言うと「東北」というイメージを語る人が多いようですが、これは「東京」限定の話です。集団就職は全国でおこなわれていましたが、西日本の人間は阪神や名古屋へ、東日本の人間は京浜へ、と見事な棲み分けがおこなわれていて、東京しか見えない人には「集団就職=東北」というイメージが刷り込まれた、ということなんだそうです。
 「集団就職」では「就職する人」「迎える企業」が注目されますが、本書では「送り出した教師たち」も紹介されます。彼らの中には「出征する兵士を見送る気分」で卒業生を送り出している人たちがいたのだそうです。「戦争」がまだ「現役」だった時代だったんですね。
 集団就職列車の写真でもありますが、学生服やセーラー服がぎゅう詰め状態です。もう少し後の時代だったら「修学旅行列車か?」と言いたくなるかもしれません。ただ、修学旅行と決定的に違うのは、車内に笑顔が欠乏していることです。
 労働の厳しさ、低賃金、ホームシックなどで、仕事が長続きする人は少数派でした。本書にはその少数派が次々登場しますが、大体の人が「皆次々やめていった」と言っています。企業は「金の卵」を大量に採用して次々使い捨てていくので、結局又大量に採用せざるを得ない、という循環だったようです。そういった人たちの苦労によって「日本の復興」はおこなわれていきました。著者は取材依頼を次々断られているのだそうですが、「語るべきことはない」というよりも「つらすぎて思い出したくない」人がとても多いのかもしれません。
 戦前に朝鮮や中国から、強制ではなくて「一旗揚げよう」と自発的に来日した人たちも多くいたはずですが、彼らもまたそういった「思い出したくない辛い生活」をしていたのでしょうね。
 沖縄にはまた別の話があります。米軍占領下だったせいで「英語を喋るんだろう」と馬鹿にされ、「英語では生活していない」と言うと「英語も喋れない」とまた馬鹿にされる、というハラスメントを複数の人間が受けています。「沖縄に対する無知」は、今も昔も、なんですね。
 集団就職や年季奉公では、前借り金が親に払われていました。戦前の女郎奉公と同じです。だから勝手に仕事を辞めるわけにはいきません。前借り金を返してやめるか、脱走するか。15歳にはきつい人生の選択です。
 集団就職は、日本の復興の原動力でしたが、同時に過疎過密の原因だったのかもしれません。その結果が現在の日本です。当時と違って「立身出世」は日本人の共通の価値観ではなくなりましたが、現在の日本ではどのような動機で人々は就職をしている(あるいはしないことの決定をしている)のでしょう?



独立のススメ

2017-12-29 07:20:29 | Weblog

 今年は世界のあちこちで独立運動が起きましたが(そしてカナダのケベック州など昔からの独立運動も相変わらずのようですが)、琉球も日本から独立しようとは思わないのでしょうか。もともと別の国だし、文化も違うし、もし独立したら「日米」で結んだ条約は「琉球」には無関係ですから基地も追い出せます。EUのように日本とは人の行き来は自由、とすれば、交通や物流については今とほとんど何も変わりません。メリットは多くてデメリットは少ないのでは?

【ただいま読書中】『オオカミ ──その行動・生態・神話』エリック・ツィーメン 著、 今泉みね子 訳、 白水社、2017年、5800円(税別)

 オオカミの生育過程の研究のため、著者は動物園で生まれたばかりの雌オオカミのアンファ(ドイツ語で「Anfang」は「最初」)を自宅に引き取ります。そこから何頭もオオカミや犬あるいはその雑種を育てることで「オオカミは生後数週間以内なら『社会化(群れや人間とともに生きることができる状態)』ができる、と著者は観察結果を得ます。家の中は大変な状態になってしまいましたが。
 ヒトがオオカミを家畜化できたのは、生後すぐの子オオカミを育ててみたらうまくいったことからなのでしょうね。もっともその人が何を思ってオオカミの子を育てる気になったのかは不思議ですが(当時のヒトにとって、オオカミは“敵"だったはずです。まさか大きく育てて食べる気だったわけでもないでしょう)。
 オオカミのコミュニケーションは、嗅覚(たとえば尿によるマーキング)・視覚・聴覚・触覚などでおこなわれます。オオカミで特徴的なのは「遠吠え」でしょう。その機能はまだ明らかではありませんが、非常に印象的なものであることは間違いありません。
 群れのトップを「アルファ雄」「アルファ雌」と呼びますが、子オオカミたちは性的に成熟すると(大体生後2年)遊びと喧嘩が混ざったような行動の中でその順位を決めていきます。興味深いのは、人慣れしたオオカミの場合、その攻撃性が人間にも向けられることです。野生のオオカミの場合にはヒトは最初から敵ですが、ヒトに育てられたオオカミにとってヒトは仲間です。ところが、子供の時には熱狂的に歓迎していた人に対して、成熟したら攻撃をすることがある(しないこともある)というのは、何が起きているのでしょう?
 著者の研究は注目され(コンラート・ローレンツからマックス・プランク研究所で研究を、という勧誘もあります)、バイエルン森国立公園に広大な研究用「囲い地」を作る話が来ます。完全な野生ではありませんが、自然に近くオオカミの生態が観察できます。
 さて、私はここまで「オオカミ」と書いてきましたが、著者は「オオカミの生態」を描くだけではなくて「アンファ」「メートヒェン」「フィンステラウ」「シェーンブルン」など「名前を持つオオカミたち」の生き方を詳しく書いています。オオカミは群れで動く傾向がありますが、群れは個々のオオカミで形成されますから、群れについて描くことは個々のオオカミについて書くことになるのです。
 また、オオカミに対する人の無理解も次々登場します。そう言えば昔読んだ『Don't Cry Wolf』にも「無理解」が半端なく登場しましたっけ。また(『Don't Cry Wolf』にもありましたが)「人が抱くオオカミへの恐れと無知」を利用しての詐欺事件もあります。手口は本書を読んで見て下さい。そうそう、著者の調査では、オオカミの生息地域から遠くに住んでいる人ほど「オオカミは危険だ」と考える傾向が強くなるそうです。そういえば日本にまだオオカミが棲んでいた江戸時代、オオカミは「大神」でしたよね。
 アメリカン・ネイティブとイヌイットもオオカミに対して肯定的なイメージを抱いて、たとえばトーテムポールには「陸の支配者」としてオオカミが刻まれています。しかしパレスチナ地方ではオオカミは「悪魔の化身」でした。オオカミに対する撲滅運動がヨーロッパで始まったのは、ローマ帝国崩壊後のことです。森がどんどん伐採され、家畜を襲うオオカミは人間も襲うとされ、新たな狩猟方法や殺害方法が次々開発されました。さらに「オオカミ男」が登場して、オオカミは「邪悪な存在」であることが完全に決定されました。
 しかし今、世界のあちこちで「オオカミ復活」の“エコ"運動が起きています。「天敵」としてオオカミを導入して生態系を安定化させよう、という試みです。オオカミは一種の“アイコン"として機能していますが、ここで問われるのは、人がどこまで自然を破壊して良いのか、どのくらい「自然」に“我慢"できるのか、という問いなのでしょう。



人工○能

2017-12-28 06:53:22 | Weblog

 囲碁将棋チェス自動運転など様々な分野でAIがブームになっていますが、そのうちに一般社会に広く広くAIが普及するでしょう。そうだなあ、「文書が全て」「決まりを守ることが全て」の官僚はAIに簡単に代替可能ですね。利権も貪らないし高い年金も不要だから税金がずいぶん節約できそうです。「選挙の時に『お願いします』『お願いします』だけ」「議決では党議拘束に従うだけ」の議員は……人工知能ではなくて人工無能に代替可能です。

【ただいま読書中】『人工知能時代の医療と医学教育』高橋優三 編著、 篠原出版新社、2016年、2800円(税別)

 「近未来の医療は人工知能の導入でどう変わるのか」のSFチックな話かとおもって読み始めたら、「医者が実際に何をやっているのか」が次々紹介されるのでちょっと面食らいました。考えてみたらそれは当然で「未来の医療」を語るためには「現在の医療」をまず知り、そこにAIをプラスしてその変化を見る、という作業が必要なわけです。
 今から30年くらい前になるかな、「エキスパートシステム」というものがコンピューター雑誌などで熱心に語られるようになりました。その時は「プロがおこなっている判断や手順をフローチャート形式で電子化し、そこにプロの知識を電子データベースとしたものを引用できるようにする」試みでしたが、コンピューターの性能はまだ低く、ディープラーニングも存在しなかったから「人工知能ではなくて人工無能」と酷評されたりしていましたっけ(実際に「人工無能」というジョークソフトも存在しました)。
 「ハイテク」を語る場合、タブレットとかスマホとか、私たちはついつい「小道具」に夢中になってしまいますが、医療の世界では(もちろんビジネスの世界でも)重要なのは「それをどう使うか」です。今使っているツールの単なる代替品として使うのではなくて、それが持つ有利な特性を活かすことができるように「システム」を変更する必要があります。すると問題は「人間」です。「仕事のやり方」「協力の仕方」「生き方」が変わってしまうのです。極端な例では、電子カルテを病院に導入したら、それについて行けない医者が退職した、なんてことがあるそうです。
 また、時代はこれから激しく動くことが予想されます。すると「長年かけて知識や技術を構築した専門家」があっさり不要になる時代もくるでしょう。その時その専門家(医者に限りません。全ての業種であり得る話です)はどうしたら良いのでしょう?
 治療の場面も大きく変わり、患者も適応する必要があります。たとえばAIの連携がうまくいったら、在宅医療が進歩するはずです。入院は「入院しなければならない強い理由がある場合(たとえば手術室とか集中治療室といったインフラを使いたい場合)」だけになります。ウエアラブル端末に「AI医師」が入っていたら、患者には常に「主治医」が文字通り貼りついていることになります。高画質の画像の伝送が簡単にできたら遠隔地の医療も楽になります。
 良いことばかりのようですが、もちろん、セキュリティーの問題とか、気になることも指摘されています。また、誰が教育をするのか、も大問題です。現在の教授は医学には詳しくても人工知能には無能です。人工知能の専門家は医学に詳しくありません。だったら「人工知能を活かした医学の専門家」を誰がどうやって育てたらよいでしょう?
 未来は明るいようですが、まだまだいろんな問題がありそうです。特に「秀才(記憶力万歳!)」を重視する現在の日本の教育システムは、根本から見直しを迫られるでしょう。なにしろ「記憶力」に関しては人間はAIには絶対勝てませんから。小学校のテストの採点や通信簿の評価もどうなっていくんでしょうねえ。



アップ希望

2017-12-27 10:54:45 | Weblog

 物価上昇は2年で2%、賃金アップの希望は3%。では自民党議員の来年度の政治献金は何%のアップ希望なんでしょう?

【ただいま読書中】『新訳 アレクサンドロス大王伝 ──『プルタルコス英雄伝』より』プルタルコス 著、 森谷公俊 訳、 河出書房新社、2017年、3200円(税別)

 まず本の厚みに私は驚きます。500ページ以上って、プルタルコスの「アレクサンドロス大王伝」はそこまでのページ数ではなかったはず(読んだのはずいぶん前なので記憶が薄れて、(記憶の中の)本の厚みも薄くなってしまったのかもしれませんが)。
 アレクサンドロスは、芳香に包まれた少年でしたが、この「芳香」は「神性」の象徴とされているそうです(そういえば、仏教では線香、キリストでは香油が重要な役割を果たしていますが、「香り」には神聖(神性)な意味があるんでしょうね)。父王フィリッポスは外征続きで、アレクサンドロスは不在の父に対する王としての対抗心(と、自分の母を疎んじることへの反発)を持ちながら育ちました。
 父が暗殺され、アレクサンドロスは20歳で即位。テーベで起きたギリシア解放運動を武力で弾圧します。ペルシア遠征を決定した直後に、有名な「哲人ディオゲネスとの出会い」のエピソード(「望みは?」「ちょっとどいて日が当たるようにしてくれ」……「もしも私がアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスになりたい」)。グラニコスの会戦では無謀な渡河作戦を展開し、大勝利を得ます。ただ死者数が、ペルシア側は歩兵2万人・騎兵2500人なのに対してマケドニア側は34人、というのはいくら何でも話を膨らませすぎでしょう。小アジア進攻のスピードがあまりに速いため、パンフュリアでは「海が退いてアレクサンドロスに道を譲った」という「奇跡」が発生したと言われていますが、アレクサンドロス自身は手紙ではその奇跡については全然触れていません。ごく普通に進軍をしたようです。そして、これまた有名な「ゴルディオンの結び目」。これまた伝説では「剣でばっさり」となっていますが、アリストブロスによれば「頸木(くびき)の紐が結びつけてあったヘストルと呼ばれる止め釘を轅(ながえ)から引き抜いたら、結び目は簡単に頸木から外れた(紐の両端が結び目の中に潜り込ませてあったのが止め釘を抜くことで見えるようになったので普通に結び目を解くことができた)」のだそうです。そして、イッソスの会戦。ペルシア王ダレイオスは大軍を率いているのになぜか自分に不利な地峡での対決を選択してしまいます。3つの史料で差がありますが、ペルシア軍の損害は大体死者11万くらい。対してマケドニア軍の戦死者は騎兵150人と3つの史料が一致しています(歩兵は120〜300と史料で差がありますが、どれにしてもこれまた大勝利ですね)。
 飲酒癖は相当だったようですが、プルタルコスは「一杯ごとに長い談話をしたからだ」と弁護しています。酒の席では愉快な存在だったようですが、欠点は自慢話が過ぎること。なかなか人間的です。
 そこからも戦いの連続ですが、それを彩るのが、神託と夢と前兆です。まるで現実離れした世界の話のようにも見えますが、“それ"が当時の世界観だったのでしょう。
 「アレクサンドロス」や「クレオパトラ」や「フィリッポス」が何人も登場します。たぶんポピュラーな人名だったからでしょうが、当時の人たちは混乱しなかったのか、とよけいな心配をしてしまいます。
 ガウガメラの会戦でダレイオス軍を散々に打ち破り、アレクサンドロスはペルシアの西半分を支配することになります。そしてアレクサンドロスはついにバビロニアに到達しますが、そこで「ナフサ(石油)」を知ります。ペルシアをついに完全征服。アレクサンドロスはそこに安住せず、さらに東を目指します。黒海、カスピ海、と進み、進むにつれてアレクサンドロスは服装などを東方のものに変えていきます。その方が統治がしやすい、と考えたからです。同時に現地民にマケドニアの文化を伝えます。しかしマケドニアの伝統を守りたい人に、アレクサンドロスの態度は受け入れ難いものでした。古くからの忠臣は去りあるいは粛清されていき、アレクサンドロスはだんだん気難しい王になっていきます。
 そしてついにインド侵攻。戦利品で重たくなりすぎた荷車の列を見て、アレクサンドロスは自分の車を焼き払います。インドでは、インド人の軍隊だけではなくて、厳しい自然環境と象軍もまた“強敵"としてマケドニア軍の前に立ちふさがりました。2万の歩兵と2000の騎兵を擁したポーロス王との戦いをかろうじて制することはできましたが、幅6kmのガンゲス川の向こうには8万の騎兵20万の歩兵8000両の戦車6000頭の戦象が待ちかまえています。マケドニア兵の気力は尽きました。帰郷をせがむ彼らの願いを入れ、アレクサンドロスは「海を見てから帰ろう」と川に沿って南下します。しかしその途中の戦いで重傷を負ってしまいます。それでもアラビア海を渡り、アレクサンドロスは故郷を目指しますが、途中で死んでしまいます。そして、激しい後継者争いが始まりました。
 「世界地図」が頭になかったはずの人が、あれだけの距離を戦いながら移動したわけは、一体何でしょう。というか、彼の遠征によって「世界地図」という概念が西洋に導入されたのかもしれません。



確率

2017-12-25 19:29:19 | Weblog

 交通事故で死ぬ確率と宝くじで高額賞金が当たる確率、どちらが高いんでしょう? 私は交通事故で死ぬ心配はあまりしていませんが、だったら宝くじに当たる心配(期待)もする必要はない、ということでしょうか?

【ただいま読書中】『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド 著、 松井信彦 訳、 早川書房、2015年、1800円(税別)
 ロトくじに何回も大当たりする人がいます。雷に何回も撃たれる人がいます。こんな「偶然の連鎖」はあり得るのでしょうか、というか、あるから驚くのですが。
 「偶然の一致」には様々な定義があります。その前に、そもそも確率が「1とゼロの間」だったら何でもあり得るわけで、ではそこで「偶然」はどこに線を引くのか、そして「偶然の一致」の確率はどこから、と定義するのか、と言えば、それは簡単には言えません。さらに「確率はほかのどれよりも直感に反する性質をもつ数学分野として知られている。著明な数学者が足をすくわれているほどだ」と恐ろしいことを著者は言います。
 「偶然の一致」を言うためには「因果関係はないが関連はある複数の事象が同時または続けて起きる」ことが必要です。ということは「確率」だけではなくて「人間の主観」も重要と言うことになります。「関連があるかどうか」を判断するのは人間ですから。
 また、人間の「直感」は「確率」とは相性が悪いものです。本書にはその相性の悪さが、直感的に「こっちが有利」とか「これはあり得ない」と思うことが実は大間違い、と何回も何回も指摘されます。で、そのリクツはよくわかるのですが、やっぱり「直感」的には納得がいかないんですよね。
 「偶然の一致、とは、神が匿名でおこなった行為」という言葉があるそうですが、私は「マーフィーの法則」の方を信頼しています。でないと、進化論(偶然による突然変異と自然選択)も神の御業になっちゃいそうなので。ま、「偶然」という名前の「神」が存在するというのならそれはそれでも良いですけどね。私は多神教の信者なので。



ローマ字

2017-12-24 20:55:23 | Weblog

 ベネチアやミラノでは別の文字を使っているのでしょうか?

【ただいま読書中】『宣教医ヘボン』横浜開港資料館・明治学院大学図書館・明治学院歴史資料館 編集、横浜市ふるさと歴史財団、2013年、1000円(税別)

 「ヘボン」と言われたら私が思うのは「ヘボン式ローマ字」だけですが、実は彼は「宣教医」だったそうです。安政六年(1859)米国長老派海外伝道団が日本に派遣した宣教医がヘボンで、以後33年間横浜で、医師として、さらに和英辞書の編纂、聖書の翻訳、ヘボン式ローマ字の考案と普及、学校や教会の設立など幅広い活動をおこないました。ヘボン夫人クララが創設したヘボン塾がのちに明治学院となっています。
 ヘボンは、まず中国で宣教医として6年間活動、1846年に帰国するとニューヨークで医院を開業、13年間働きますが、日本が開国すると、私財を一切なげうって日本に赴任することにしました。何が彼をそこまで駆り立てたのだろう、と日本人として不思議に思います。
 本書は、展覧会のカタログで、風景や人物の写真、手紙などの写真が豊富に含まれています。生麦事件の現場、なんて写真もあります(さすがにただの風景写真で、「事件」そのものは写っていませんが)。
 「宣教医」と言うとちょっと響きが意外ですが、戦国時代の南蛮医学は宣教師が持ち込んだものだし、古い日本では僧医がいるし、古い中国だと儒医もいます。中世ヨーロッパの修道院には薬草園やホスピスが附属していました。宗教と医学の結び付きは、別に不思議なことではないのでしょう。
 ローマ字の史料も豊富です。しかし、当時の日本人の発音は、地方色が豊かだったはず。それをいかにシンプルな文字表記にするか、大変な苦労だったでしょうね。すなおに「ありがとうございます」です。



びじょとやじゅう

2017-12-23 21:31:59 | Weblog

 美しい女性と醜い男(あるいは魔法で醜く変えられた男)との「真の恋愛」物語はいろんなパターンがありますが、その逆バージョン(ハンサムな男と醜い女(あるいは魔法で醜く変えられた女)との「真の恋愛」物語って、有名なのでどんなのがありましたっけ?

【ただいま読書中】『イカロスの失墜 ──悲劇のメキシコ皇帝マクシミリアン一世伝』菊池良生 著、 新人物往来社、1994年、2427円(税別)

 話は1832年ハプスブルク帝国で始まります。皇帝フランツ一世の孫としてフェルディナント・マクシミリアン(愛称マックス)が誕生しました。後のメキシコ皇帝ですが、本書はその「前」から悠々と筆を起こします。フランツ一世の長男は病弱で嗣子を設けることは不可能と思われ、次男が期待を一身に集め、期待通りマックスの兄が誕生、マックスはいわば「スペア」です。ところがマックスの父の兄が結婚したことで跡継ぎ問題に波乱が生じ、さらにナポレオン二世(ナポレオンとマリー・ルイズの間の子供、ライヒシュタット公)が妙な絡み方をしてきます。
 兄ヨーゼフと弟マックスは、ある意味牧歌的な少年時代を過ごしますが、1948年革命が全ての人の運命を変えます。「ウィーン体制を粉砕せよ」を合い言葉に、フランス、バイエルン、そしてオーストリアに革命の火の手が。王家は一時ウィーンから疎開、事態が収まってヨーゼフは即位、王弟となったマックスは海軍の建て直しに奔走します。
 ヨーロッパは、衰退する帝国と王国と、勃興するナショナリズムと革命の気運によって、混沌状態になりつつありました。そんな中、マックスはイタリア総督となります。難しい役目です。国内では「凡庸な皇帝」と「賢い弟」という評判が定着してしまいます。これは、二人にとって不幸なことでした。フランスのナポレオン3世はヨーロッパの再構築を目指していましたが、アメリカは南北戦争の真っ最中。そのどさくさ紛れにメキシコに干渉戦争をしよう、と思いつきます。そして何を思ったのかメキシコに立てる予定の君主国をマックスにまかせようとします。オーストリア皇帝ヨーゼフは驚きますが、“人気者の弟"を厄介払いする好機です。フランス軍はメキシコに侵攻、ファレス大統領とメキシコ軍はメキシコ・シティーを明け渡しますが、フランスが占領できたのは「点と線」だけで「面」はファレス大統領のもののままでした。フランス軍は、マックスを援助しようとやってきたオーストリアやベルギーなどの義勇兵を、戦闘が激しい地域に回し自軍の温存を図ります。そして皇帝軍はついにファレス軍に包囲されます。マックスは降伏、軍事裁判、銃殺。スペインに散々蹂躙されていたメキシコは、マックスを殺すことで「白人に対する復讐」の一部を遂げたのかもしれません。なんだか筋違いな復讐のような気もしますが。



最短の世界一周

2017-12-22 22:50:08 | Weblog

 小学校のころ「最短時間で世界一周するには」というクイズがあって、その答が「北極点か南極点のまわりを急いで回れば数秒」というものでした。ところで、その北極点か南極点まで行くまでの時間は「世界一周」の旅程には含まれないのかな?

【ただいま読書中】『白い大陸への挑戦 ──日本南極観測隊の60年』神沼克伊 著、 現代書館、2015年、1800円(税別)

 戦国時代にポルトガル人によって日本に持ち込まれた世界地図や地球儀には、オーストラリアやニュージーランドを含めた「巨大な大陸(未知の南の国)」が描かれていました。1773年ジェームズ・クックは南極圏に入り、南緯60度あたりで「地球一周(すべての経線を横断)」をします。クックは南極大陸は視認しませんでしたが、テーブル状の氷山から陸地の存在を確信しました。
 白瀬矗(のぶ)は日露戦争で負傷、中尉で退役しましたが、子供の時から北極探検を志していました。しかしアメリカのピアリーが北極点初到達を果たしたのを知り、目標を南極に変更、1911年3月日本人としてはじめて南極圏に入りますが、すでに南極は冬となっていて浮氷に阻まれオーストラリアのシドニーに引き返します。なお同時期、アムンゼンとスコットは南極点初到達を狙ってすでに南極の越冬基地に籠もっていました。シドニー大学地質学デビッド教授はシャクルトンの探検隊で南磁極初到達を果たしたことで有名でしたが、彼が白瀬隊を評価して支援をしてくれました。
 戦前の政府は白瀬を冷遇しましたが、第二次世界大戦後の南極探検で政府は冷たい態度でした。朝日新聞の後援などでやっと組織が固まったらこんどは「探検」か「観測」かの議論が始まります。派遣される隊員は国家公務員扱いなので、彼らを「探検」などに派遣するわけにはいかない、が政府の主張です。結局隊の正式名称は「日本南極地域観測隊」ですが、その英訳は「Japanese Antarctic Reseach Expedition」とちゃんと「研究」と「探検」が含まれています。くだらない言葉遊びが大好きな人が政府にはウヨウヨいるのかな。
 1956年に砕氷船「宗谷」が出発しますが、それを随伴船「海鷹丸」が支援していたことはあまり知られていません。昭和基地はプレハブで建設されましたが、なんとトイレ無し。吹雪の屋外でも平気で排便できないと隊員の資格無し、ということだったのかな。
 「とりあえず」や「臨時」がつきまとった「宗谷時代」でしたが、6次越冬隊くらいで「これは本物だ」ということになり、本格的な砕氷船「ふじ」が建造されます。ただし予算枠はなぜか防衛庁。ふじの次は「しらせ」、その次も「しらせ」でした。著者は第8次越冬隊としてふじで運ばれています。著者は国際協力の一環としてエレバス山の火口に地震計や監視カメラを設置してリアルタイムでの活火山観測をおこないましたが、日本国内では「神沼が南極でやっていることを日本でなぜできないのか」という叱咤激励がおこなわれていたそうです。
 南極「観測」は、人類に貢献しています。地質学、天文学、生物学、気象学など、様々な知見が得られています。そして、そういった“堅い話"だけではなくて、越冬隊員の「生活」が実に面白い。そういえば映画の「南極料理人」(原作は「面白南極料理人」(西村淳))がその「面白さ」を見事に表現していましたっけ。ちょっと経験してみたい気もしますが、私は寒いのが苦手なんです。「経験したい」は「気」だけにしておきます。



往く年

2017-12-21 20:55:29 | Weblog

 もうすぐ来年ですね。
 ところで昭和42年は「明治100年」だとして、その前年からけっこう大騒ぎをされました。しかし「明治150年」の今年は誰にも騒がれずにひっそりと終わろうとしています。

【ただいま読書中】『アリ対猪木 ──アメリカから見た世界格闘史の特異点』ジョシュ・グロス 著、 棚橋志行 訳、 柳澤健 監訳、 亜紀書房、2017年、1800円(税別)

 話はアリの“挑戦"から始まります。「世界最高のファイターは誰かを決めよう。誰の挑戦でも受ける」と。名乗りを上げたのがプロレスラーの猪木でした。
 1976年の「世紀の対決」アリ対猪木は、当時の最先端技術衛星中継を活かしてクローズド・サーキット(各地の映画館などに生中継)で全世界に配信されました。集まった人々は「どちらが勝つか」だけではなくて「この対決はリアルなのかそれともフェイクなのか」でも熱く議論をします。
 異種格闘技戦は、古代ギリシアのパンクラチオン(眼を抉ることと噛みつくこと、以外はすべてOK)まで遡れるでしょう。しかし西洋での格闘技はやがて「ボクシング」と「レスリング」に分かれてしまいます。すると「どちらが本当に強いのか」という疑問が。そこで「ボクサー対グラップラー(組技(レスリングやサブミッション(関節技))の選手)」の試合が次々企画されます。その中で有名なのは「ジャック・デンプシー(ボクシングのヘビー級王者)対“ストラングラー"エド・ルイス(プロレスリングのヘビー級王者)」でしょう。しかしこれは契約(戦いのルール、勝利条件など)がまとまらず話は流れてしまいます。
 1963年アメリカで初めてテレビで生中継されたボクサー対グラップラーの試合は、マイロ・サベージ(全米ミドル級のランカーボクサー)対ジーン・ラベール(アメリカでトップクラスの柔道家)戦でした。この試合でラベールは打撃を禁じられていましたが、パンチをかいくぐってクリンチをし(そもそもボクシングのクリンチは本来はレスリングからの技術です)はだか絞めでサベージを落としてしまいました。このラベールが、アリ対猪木戦で両者から指名されてレフェリーを務めることになりました。
 アメリカの(特にボクシング寄りの)スポーツ記者は「どうせ茶番劇だ」と悪意を込めて報道をします。“正答格闘技"のボクシングと“八百長"プロレスとが同じリングに並ぶこと自体が我慢ならなかったのかもしれません。しかしアリの「大口」は、プロレスの(特に悪役の)マイク・パフォーマンスから学んだものでした。1920年までプロレスでは「真剣勝負での強者が正義」だったのですが
20年代に「ショーとしてのプロレス」が主流となり、そこでは「大口」も「決め技」の一つだったのです。
 本書で興味深いのは「アリの凄さ」を表現するのに「アリは詩が暗唱できる」と言う人が何人もいることです。そういえば先日読書した『死を急ぐ幼き魂 ──黒人差別教育の証言』(ジョナサン・コゾル)でも「黒人が詩を暗唱する」ことがまるでショッキングなことのように描かれていました。アメリカ人にとって「詩」「暗誦」は何か特別なもので、それに「黒人」が関係することは「ショック」なのでしょうか?(ついでですが、日本人にとって「詩の暗唱」はそれほど特別なものじゃないです。普通の人でも和歌や俳句の一つや二つ、すぐ暗誦できるでしょ?)
 アリが来日し、そこから「ルール」の最後の交渉が始まります。結局猪木は「手を縛られ」た状態で戦うことになりました。禁止されたのは、立った状態でのキック・膝蹴り・肘打ち・胴体への打撃・空手チョップ……一体どうやって攻撃しろと? 平手打ちと掌底攻撃はOKだそうです。交渉を担当したビンス・マクマホン・シニア(アメリカのプロレス団体WWF(現在のWWE)のオーナー)は息子のジュニア(現在WWEのオーナー)を東京に送り込みました。ジュニアは最初「プロレス流の筋書きのある試合」と思い込んでいましたが、この「ルール交渉」で両者が真剣であることを悟ります。
 ビンス・マクマホン・ジュニア(現在は「ジュニア」は取れています)は「プロレスとテレビの結合」を推進して成功した人でした。彼はプロレスを「スポーツ・エンターテインメント」と呼び、レスリングの「境界線」を押し広げようと様々なチャレンジをおこないましたが、アリ対猪木戦もそういった「チャレンジ」の一つでした。
 ついにゴング。猪木は(立った状態でのキックが禁じられているので)スライディングをしてキックをアリの足に浴びせ、そのまま寝転んだ状態でアリを待ちます。立った状態でパンチを食らったら一発でノックアウトですからグラウンドに持ち込む作戦です。対してアリは猪木を立たせないと得意のパンチが使えません。猪木は執拗にアリの脚を蹴り続けます。アリを1秒でも寝かせることができたら、そこで得意の関節技に持ち込むことができます。アリは猪木のキックを避け口撃を続けて猪木をなんとか(自分のパンチが届く距離に)立たせようとします。観衆はヤジとブーイングの嵐を二人にぶつけます。そしてアリの脚では、皮下出血が広がっていきます。いじいじするようなラウンドが重ねられ、フラストレーションが、二人に、会場に、世界に蓄積します。蹴りを受け続けたアリの左太ももは右側の倍くらいに膨れてきます。アリの脚が止まったと見た猪木はタックルで押し倒そうとしますが、アリはロープを掴んで逃れます。
 長い長い15ラウンドが終わったとき、アリが放ったパンチは7発(当たったのは4発)、猪木のパンチは3発(当たったのはゼロ)。アリが受けたキックは107発、猪木が受けたのは49発でした。
 観客の評判も、翌日の新聞の論調も散々なものでした。「世紀の凡戦」という見出しを私も覚えていますし、その頃には私自身もそう思っていました。だけど……あれが「凡戦」になったのは「真剣勝負」だったからではないか、と思うようになったのは、いつのころからだったでしょうか。それから私はプロレスの「ワーク」「アングル」「筋書き」を逆に楽しめるようになっています。
 そうそう、あの一戦以降、格闘技の世界で「ローキックの評価」が急上昇したそうです。これまた「真剣勝負」の効用でしょう。異種格闘技戦の人気を受けて日本では「パンクラス」という団体が旗揚げし、世界では「総合格闘技」というジャンルが確立します。アリと猪木は世界に「種」を蒔いたのです。