【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

下水道なしの水洗トイレ

2019-08-26 06:52:16 | Weblog

 私が子供の時には鉄筋コンクリートのアパートに住んでいて、そこでは水洗トイレ(和式)を使っていました。ところがその地区に下水道が設置されたのは私が成人した後のことでした。一体どこに流していたのか、と今になって不思議に思って思い出したら、アパートの脇に巨大な地下槽があって一時的に貯めておき、そこに定期的にバキュームカーがやって来ていたのでした。
 就職して田舎に異動したときには、当然のようにぽっとんトイレでしたが、簡易水洗トイレの家に入れたこともありました。これは便槽はそのままで便器だけ水洗のものに交換してある物でした。水洗の分だけ貯まるのが早くなるので、汲み取りを早めに頼むように気をつける必要がありましたっけ。溢れたらエラいことですが、ぽっとんトイレと違ってどのくらい貯まっているか目視できないのが難点でした。
 今は下水道付きの水洗トイレなので、トイレから先のことは特に気を遣わずにすんでいます。ありがたいことですが、大切なものを無視していても良いのかな、と思うこともあります。

【ただいま読書中】『水洗トイレの産業史 ──20世紀日本の見えざるイノベーション』前田裕子 著、 名古屋大学出版会、2008年、4600円(税別)

 人が命のために必要とする飲料水は1日に約2リットルです。しかし2003年国土交通省のデータで日本人の生活用水使用量は1日316リットル。2002年東京都水道局の調査では家庭用水の内訳は、トイレ28%風呂24%炊事23%洗濯17%洗面その他8%……なんとトイレでの水使用がトップでした。
 「水洗トイレ」と聞いてまずイメージされるのは、便器やトイレの個室でしょう。しかし「上水道」「下水道」のシステムの中に水洗トイレはでんと位置しています。
 古代のメソポタミア、インダス、クレタなどの都市では上下水道がすでにありましたが、特筆すべきは古代ローマでしょう。水道橋の威容は有名ですが、その内部の「配管」がすごい。木・陶器・石などでパイプが制作されましたが、鉛管もあり、しかも規格化がされていた(つまり、大量生産のシステムがすでにあった)のです。不思議なのは、それから2000年、パイプ製造に大きな進歩がなかったことでしょう。
 16世紀末のイギリスで、女王のために特別な水洗トイレが製作されました。同様のものは18世紀のヴェルサイユ宮殿でも発想されています。しかしそれらはあくまで特別なもの。現代の一般的な水洗トイレは、1775年ロンドンの時計職人アレグザンダー・カミングズが水洗式便器の特許を取ったことで始まります。特徴は、臭気を防ぐ封水トラップと手動のバルブが付いていることでした。金属加工の技術者が便器開発に乗り出すと、陶工たちもそれに倣います。1843年ロンドンでは首都建造物法で各戸の排水管を下水に接続させることが義務づけられ、1848年の公衆衛生法で家屋の新改築の際に屋内トイレを設置することも義務づけられました。(すると、シャーロック・ホームズは水洗トイレを使っていた? それとも下宿は古い建物だったから、まだそこまで行ってはいなかった?)
 日本では、屎尿は肥料として活用されていたので、それなりに完結した社会システムだったのですが、明治維新で情勢が大きく変わります。日本の水洗トイレ工業化でキーとなる人は、陶磁器輸出業を営んでいた大倉父子です。和風の水洗便器では、しゃがみ姿勢では水の跳ね返りが多いのを防ぐためトラップの位置を前後逆転させたりの独自の工夫があります。しかし、「衛生陶器」が将来は絶対に主流になるという読みは正しいにしても、明治〜大正時代には、水洗便器を製作しても、どこにつなぎます? まして洋風便器に至っては、ホテルや大使館以外で誰が買います? ちょっと時代に先駆けしすぎ、とも思えます。最終的には東陶は、食器や非水洗便器を製造して生き延びます。第二次世界大戦後には伊奈製陶が衛生陶器に参入。現在のTOTOとINAXの二大メーカー体制が始まります。
 本書には技術的な解説や各メーカーの有力な技術者についてのデータもたっぷり含まれていますが、私のような素人でも楽しめます。水洗トイレって、もっと注目されても良い都市インフラだと思うのですが、なぜみんな目を逸らしがちなんでしょうねえ。こうなったら次は下水の本を読もうかな。