【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

特区

2014-10-31 07:13:01 | Weblog

 いろんな特区が提案されてますが、賭博特区が作れるのなら、売春特区やヘイトスピーチ特区、安楽死特区も作ったらどうでしょう。

【ただいま読書中】『関門トンネル工事史』関門トンネル工事誌編纂委員会、日本道路公団、1955年

 かつて関門海峡は渡し船で結ばれていました。最も古い文献では、文明十九年(1486)大内家壁書に「下関・小倉は3文」「下関・門司は1文」などという渡し賃が書かれています。笑っちゃうのは、馬1匹は15文で、犬は10文。犬を渡し船に乗せて渡す需要がそんなにあったのでしょうか。明治四十三年には山容鉄道株式会社が汽船による渡しを開始しました。
 明治二十八年に工学会誌に橋梁建設の論文が掲載されます。橋かトンネルか渡船か、の議論は続けられました(橋だと爆撃や艦砲射撃に弱いし、菊のご紋章をつけた帝国海軍軍艦を橋の上から見下ろすのは失敬、という意見もあったそうです。「利休の木像の足の下を秀吉が通る」の現代版?)。そういえば明治時代に全国に鉄道を敷設するのにも、「本線」を海岸に設置したら敵の攻撃(艦砲射撃や上陸)に弱い、と軍部が難色を示していましたっけ。そういうことを気にしなくてすむ「平和」というのはありがたいものです。
 大正はじめに橋とトンネルの見積もりが出て、トンネルの方が安い、と結論が出され、帝国議会で予算がつけられました。しかし、経費はどんどんかさんでいきます。
 鉄道トンネルと国道トンネルの競合に関して、鉄道省と内務省での競合もあったようですが、ともかく、中国での戦争が深刻になったのにもかかわらず、というか、戦争があるからこそ運輸が大事、ということでしょうか、トンネル工事は進められます。
 しかし、パイロットトンネル一本を掘るにしても、協議会を設立し省内外の“権威者”を集め通行量の見積もりを出し各方面に根回しをして省と国会議員の承諾を取って予算を、という手続きですから、実際にトンネルを掘らない人間の苦労も大変です。昭和十四年の帝国議会での質疑応答(抜粋)が掲載されていますが、なんとものんびりした話の進行ぶりで、これが企業の重役会議だったら何も決められないうちに倒産するのではないか、と思ってしまいました。
 掘った人間も大変です。断層や浸水との戦いで、当時最新鋭のセメント注入法でトンネルを固めて行っています。しかし完成前に敗戦。物資・金の不足で工事はストップ。浸水する海水をポンプでくみ出すだけでも大変な時期となりました。GHQは日本復興のためにこのトンネルが必要かどうかの判断をします。なにしろ日本全体で使える“資源”は限られていますから、日本のために何が一番大切かはよくよく考える必要があるのです。国道整備は急務で、本州と九州の連絡も必要、ということで、工事は本格的に再開されます。
 昭和三十一年に道路公団設立。関門トンネル工事は公団に引き継がれます。そして三十三年に華々しく開通式が開催されました。調査開始から21年・工事開始から19年でした(難工事で知られた丹那トンネルの16年より長いんですね)。
 私は関門トンネルの人道を歩いて渡ったことがありますが、エレベーターで降りたらどんと長いトンネルで、ゆるやかに下に凸の湾曲のため先が全然見通せず、閉所恐怖症だったら恐い空間だな、と思った覚えがあります。回転式でチューブ形式の宇宙ステーションだと、あれと似た感じになるのかな。関門海峡を見ると、対岸がすぐそばで「歩いてわたれたら」と思います。その思いを形にした人たちに、感謝。


因果関係

2014-10-30 07:03:30 | Weblog

 あまり「原因」を厳格に求めすぎると、交通事故の原因はエンジンの中でガソリンが燃えたことになってしまいそうです。

【ただいま読書中】『ミレニアム1 ──ドラゴン・タトゥーの女(下)』スティーグ・ラーソン 著、 ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利 訳、 早川書房、2008年、1619円(税別)

 ヴァンデル一族の物語を書くと同時に、かつて自分が大切に思っていた少女の失踪事件の謎を解いて欲しい、とミカエルに依頼していたヘンリックは、「ミレニアム」誌を苦境に追い詰めるヴェンネルストレムに対抗するために、雑誌出版に協力してくれるようになりました。
 ミカエルは、36年前の事件を掘り起こす過程で、それよりさらに10年以上前の殺人事件との関連に気づきます。ただ、調査しなければならないことがどんどん増えて、ミカエル一人ではもう限界です。そこでミカエルは、かつて自分について徹底的に調査をした凄腕の調査員リスベット(ドラゴン・タトゥーの女)に逢いに出かけます。
 本書で印象的なのは「人と人との間にある壁」です。人と人との組み合わせによって、その壁はあったりなかったり、時には一方通行だったり、人を傷つけるものだったり。それをにぶつかり回避し悩み乗り越え、登場人物たちは様々な関係の中を生きています。日本だったらこれは子供~ヤングアダルトあたりを主人公に据えそうですが、本書では「大人」がやっているところが特徴でしょう。たとえば「56歳で恋に悩む女性」なんて、なかなか日本のエンターテインメントでは取り上げられないような気がします。
 もう一つ気づいた本書の巧妙な点は、「インターネット全盛時代」に「足でかせぐ捜査」の物語をきちんと提示したことです。なにしろ調べるべき事件はインターネットよりずっと前に起きているのですから、ネットを駆使しつつも、結局足で調べていくしかないのです。かくして、1949年から60年代にかけてのおぞましい連続猟奇殺人事件が、ミカエルの前にその姿をゆっくりと展開していきます。
 事件解明の新しい手がかりが見つかるたびに、空き巣・猫殺しといった形で“影”がミカエルとリスベットに忍び寄ります。謎の誰かは事件解明を望んではいないようです。そしてついにミカエルは狙撃されます。
 そして舞台は、地下室からロンドンへ、さらにオーストラリアへ。すぐそばにいる人と不器用な付き合いしかできない人たちは、地球を股にかけて移動しています。
 本書には暴力が満ちあふれています。肉体的なものだけではなくて、精神的なものも。幼児虐待・ドメスティックバイオレンス・パワーハラスメント・性的虐待…… それでも「事件」は大団円を迎えたのですが……
 大切な忘れ物があります。「報酬」として、ミカエルは「ヴェンネルストレムがペテン師であることの動かぬ証拠」をもらうはずでした。しかしそれは賞味期限切れだったのです。さて、しがない記者でしかないミカエルが大企業主を相手にどんな最後の一戦ができるのでしょうか。いや、復讐の戦いはきっちりするんですよ。
 ……しかし、ミカエル君、ちょっとモテすぎじゃない?  ちょっと“守備範囲”が広すぎるきらいはありますが。


大きな栗の木の下で

2014-10-29 06:28:48 | Weblog

 歌に合わせて思わずジェスチャーを始めたくなりますが、ところでこの文章は本当はどういう意味なんでしょう?
1)「大きな「栗の木」の下」、つまり、栗の大木の下。
2)「「大きな栗」の木の下」、つまり、大きな栗がなる(ふつうの)木の下。
 ……さあ、どっち?

【ただいま読書中】『ミレニアム1 ──ドラゴン・タトゥーの女(上)』スティーグ・ラーソン 著、 ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利 訳、 早川書房、2008年、1619円(税別)

 雑誌「ミレニアム」の共同経営者で記者兼発行責任者のミカエルは、実業家ハンス=エリック・ヴェンネルストレムについて書いた記事で名誉毀損の裁判を起こされ、完全敗訴します。申し渡されたのは、3ヶ月の懲役と、全財産に匹敵する罰金。スウェーデンで不正を暴くために調査報道に専念していたミカエルの初めての大きなミスでした。しかしその「ミス」にきわめて不自然なところがあるのに、探偵会社の調査員サランデル(ドラゴンのタトゥーを入れた女性)は気づきます。
 ミカエルに興味を持ったのは、半分引退した大実業家ヘンリック・ヴァンデルでした。彼は「家族の謎」の解明をミカエルに依頼します。36年前に起きた少女失踪(あるいは殺人)事件の謎を解いて欲しい、と。報酬は、罰金を払ってもあまりある大金と、ヴェンネルストレムがペテン師であることの動かぬ証拠。
 さて、ここで「ヴァンゲル一族の物語」も始まりますが、一族の系図をざっと見るだけで大変です。「ヴァンゲルが多すぎること」に悩むミカエルの前に、社会的経済的に成功しながら、人間性の点では落第点しかつけられない一族の人びとの姿が具体的に見えてきます。
 いやいや、ものすごく厚みのある物語です。「家族の謎」以外にも、ヴァンデル一族がなぜヴェンネルストレムに敵意を持っているのか、とか、ヴェンネルストレムの醜聞は本当は何か、とか、サランデルがなぜタトゥーだらけになる生き方をしているのか、とか、実に様々な「謎」が提示されますが、手がかりはほぼ皆無。しかも“探偵役”であるべきミカエル自身、裁判でなぜ自己主張をしなかったのか、という謎を持っています。本書は著者のデビュー作だそうですが、オソロシイ小説を書く人です。


読んで字の如し〈草冠ー1〉「草」

2014-10-28 06:59:57 | Weblog

「煙草」……燃やすための草
「草餅」……草を練り込んだ餅
「草冠」……草で作った冠
「雑草」……その他大勢の草
「本草」……本物の草
「草花」……草の花
「草履」……草で作った覆い
「草書」……草で書いた文字
「草分け」……道路工事の先駆け
「時計草」……時計が発明されてからこの世に登場した草
「草食動物」……生きているときは草を食い、死んだら草に食われる動物
「道草」……草食系の好物

【ただいま読書中】『ジャガイモの世界史 ──歴史を動かした「貧者のパン」』伊東章治 著、 中公新書1930、2008年(10年5刷)、840円(税別)

 ジャガイモは歴史上大きな役割を果たしています。本書の前書きに列挙されるのは、フランス革命、アメリカ大統領、産業革命、足尾鉱毒事件…… 著者は、ジャガイモを追って、地球の時間と空間の旅に読者を誘います。
 まずは足尾鉱毒事件。田畑が鉱毒で汚染されたり、遊水地の湖底に沈んだ農民は集団で北海道移住を行いました。行き先は佐呂間。厳しい開拓民の生活を支えたのが、酸性の土地でも育つジャガイモ、そしてカボチャと佐呂間別川の魚でした。初代根室県令の湯地はアメリカで農政学を学んでいて(師はクラーク博士)、陣頭に立って種芋と農機具を配り、半ば強制的にジャガイモ栽培を推進したそうです。
 ティティカカ湖近くの高原には、野生種のジャガイモと、多様な栽培種のジャガイモがあり、ここがジャガイモの原産地と推定されています。インカ帝国はスペイン人によって滅ぼされ、「富」がヨーロッパに大量に流出しました。金銀はインフレの中で蕩尽されましたが、ジャガイモはヨーロッパで多くの人を救うことになります。
 16世紀からヨーロッパは小氷期となり、作物の出来は悪くなりました。さらに17世紀のヨーロッパは「戦争の世紀」でした(ヨーロッパで戦争がなかったのは100年の内4年間だったそうです)。特に30年戦争でドイツは荒廃し、人口は半減しました。ジャガイモがなければさらに多くの人が死んだでしょう。アイルランドでは別の要因でジャガイモが人を救います。イングランドの苛斂誅求によってアイルランド人はジャガイモしか食べることができない状態に追い込まれたのです(良い土地でできる年貢の小麦は全部イングランドに持って行かれました)。それでもジャガイモによってアイルランドの人口はどんどん増えましたが、19世紀の「ジャガイモ疫病」によって飢饉が。この飢饉は「作物がない」からではありませんでした。ジャガイモはできなくなりましたが、小麦は豊富にできていたのです。しかしそれはアイルランド人の口には入りませんでした。そのため、アイルランド人は、餓死するか、アメリカに移住するか、を選択しなければならなくなります。飢饉は社会が作ったのです。
 絶対王制のプロイセン・フランス・ロシアでは、権力が率先してジャガイモ普及を行いました。農民が抵抗したところもあり(旧教徒はジャガイモを「悪魔のリンゴ」と見なしていました)、たとえば1842年にロシアでは「ジャガイモ一揆」が起きますが、食べてみたら美味いので、結局どんどん世界中にジャガイモは普及します。
 第二次世界大戦敗戦後のドイツは深刻な食糧不足(一人あたりの摂取カロリーが一日に1000キロカロリー)となり、ベルリンでも人びとは競って公共の場に設けられた家庭菜園にジャガイモを植えました。それでも足りないので、田舎に買い出しに行って窓から満員列車に……って、日本とそっくりではないですか。私の父親はジャガイモではなくて「あのとき、一生分のカボチャを食べた」と今でも言いますが。ちなみに「カボチャ」というのは、実だけではなくて、蔓や葉も含めるそうです。
 日本でのジャガイモについても著者は様々な話を収集しています。ちょっと悲しい話もあるのですが。
 「ジャガイモだけ食べていても、人は生きていける」という極端なことばを聞いたのはいつのことだったでしょうか。さすがに完全栄養食品ではないでしょうが、それでもけっこう良い線行く食品のようではあります。遺伝子操作で不足がちな栄養素も含まれるようにしたら、それこそ一日三食ジャガイモだけ食べて生きていく生活が実現するかもしれません。とりあえず、火星飛行には使えるかな?


ニホンゴ

2014-10-27 06:45:32 | Weblog

 小学校で「国語」を教えるのは、「日本という国で使われている言語」を教えているのであって「日本語」を教えているのではない、と解釈して良いですか?

【ただいま読書中】『犬たちの明治維新 ──ポチの誕生』仁科邦男 著、 草思社、2014年、1600円(税別)

 以前『犬の伊勢参り』を読書したとき、江戸時代の「犬」が現在の日本とはずいぶん違う生活をしていることに驚いた覚えがあります。なにしろ「飼い犬」が存在しないのですから。「里犬」「町犬」(村里や町で飼っている犬)はいますが(例外は座敷犬の狆(ちん)だけ)。大名や武士の中には犬を飼う人もいましたが(だから「飼い犬に手をかまれる」という言葉が生じます)、本来は「手飼いの犬」で「手飼い」に「手をかまれる」から面白いわけです。里犬や町犬は「共同体の犬」で、縄張りに見慣れない不審人物がやってきたら吠えるのが“仕事”でした。それでひどい目に遭ったのが吉田松陰です。彼は横浜村で小舟を盗んで密航するつもりでしたが、犬にしつこく吠えられて断念。後日海が荒れているときに下田で小舟を調達することになってしまいます。ペリー艦隊は、吉田松陰ではなくて、日本の犬(狆)を数匹乗せて出航しました。
 出る犬もいれば、入ってくる犬もいます。面白いのは、洋犬が最初「カメ」と呼ばれたことです。犬を呼ぶのに英語で「カムヒヤ」と言っているのを、「カムや」と呼びかけていると日本人が思い、それが「カメ」になったのだとか。この「カメ」は、日清戦争くらいまで広く使われたそうです(新聞雑誌でも「洋犬」と書いて「カメ」とルビを振りました。語源として他に「カムイン」「カムミー」説もあるそうですが、著者は幕末に横浜で発行された英米人用の日本語会話本に「犬」のことが「カムヒヤ」と(日本人を相手に「Come Here」と言えば「犬のこと」と通じる、と)書いてあることを根拠に、「カムヒヤ」説を採っています。
 明治政府は犬を「飼い犬」と「無主の犬」に分け、個人に飼われていない犬を殺しました。犬に関して、江戸時代の「集団」と「集団」の関係が終わり、「個」と「個」の時代(近代)が始まったのです。さらに、和犬のうち野犬と認定されたものはどんどん減らされ、かわりに洋犬が増えていきます。当然「犬の名前」も変化します。江戸時代には見た目重視の「トラ」「クマ」「ムク」といった名前が“普通”だったのが、「ジミー」「ジャッキー」「ポチ」といった西洋まがいの名前が幅をきかすようになりました。明治43年の朝日新聞の記事に、犬の名前ランキングがあり、そのトップが「ポチ」でした。ではどうして「ポチ」が日本中に広がったのでしょうか?
 明治19年の国語教科書「読書(よみかき)入門」に「ポチハ スナオナ イヌナリ」という文章が載ります。「幼年唱歌」の「花咲爺」は「うらのはたけで、ぽちがなく」ですね。他の教科書でも「犬はポチ(猫はタマ)」で、これが明治日本に定着します。ただ、教科書に載るくらい「ポチ」が人口に膾炙した理由は、諸説紛々、まあ「よくもこれだけ説があるものだ」と思うくらいです。著者は「ぶち → パッチ → ポチ」説を唱えていますが、論拠はまだ弱いと私は感じます。ただ、「歴史」って、“こういったこと”の積み重ねなんですよね。なぜ犬の名前の代表が「ポチ」になったのか、当時の庶民がそれまで持っていなかった「姓」を持つようになったことももしかしたら関係しているのかもしれないなんてことも私は思っています。特に根拠はないのですが。
 明治時代に「犬殺し」によって「野犬」は大量に撲殺されました。それと似た現象が昭和でも起きています。戦局が悪くなった時期、犬の供出が求められ、毛皮のためにどんどん撲殺されたのです。当時の新聞の投書欄に「愛犬を連れて行った少国民の心情を思うと、その目の前での撲殺はいかがなものか」という投稿があったそうです。新聞の記事には検閲があるから、投書の形での意見表明だったのでしょう。時代は繰り返すのでしょうが、権力による犬殺しといったことはあまり繰り返して欲しくありません。


光と闇

2014-10-26 07:15:46 | Weblog

 月や星がきれいに見えるのは、深い闇がその光を支えているからです。

【ただいま読書中】『音楽を愛でるサル ──なぜヒトだけが愉しめるのか』正高信男 著、 中公新書2277、2014年、740円(税別)

 著者は「時系列に沿って何らかの行動が秩序だった規則性に基づいて遂行される点に“音楽的要素”がある」と考えていますが、実は4世紀の聖アウグスティヌスもその『音楽論(『告白』の第10巻)』で「音楽とは美事に調整する学問である」と定義しているそうです。つまり「音楽」とは、現在の私たちが思っているのより、もう少し一般的な領域まで“支配”しているもの、という前提で本書を読む必要がありそうです。
 チンパンジーには「パントフート・ディスプレイ」という、声と身振りによる演出性のある「表現」があります。群れが表に遭遇したときなど、リーダー格の成熟した雄が行います。類人猿の中ではこれが一番「音楽的な行動」と著者は述べます。テナガザルは、雄と雌で“デュエット”を行います。それも「唱和型」と「交替型」の二種類。
 猿まね、と言いますが、子供に身振りで教育をする場合、子供が真似をしやすいように演者は意識的に動作をゆっくり大仰に、声のトーンは高くするする傾向があります。その方がわかりやすく、子供の興味を引きやすくなるのです。ここで重要なのは「誰かが自分の行動を真似しようとしている」ことを自分が意識していること、つまり「他者の存在」が前提となっていることです。この「行動」そのものも、著者は「音楽」の視点から見ます。
 一般に受ける脳科学の怪しさ、モーツァルトは本当に“効果”があるのか、音楽療法の可能性……「音楽」と「人」の関係について、科学の目でじっくりと眺めたら何が見えるか、の本です。最後に、iPodの登場による「個人の音楽」の登場は、グーテンベルクの活版印刷の登場に匹敵する“大事件”ではないか、という指摘は、もしかしたら現代社会を読み解くための重要な「キー」かもしれません。


日本の植民地

2014-10-25 07:21:59 | Weblog

 歴史に「イフ」はない、とは言いますが、戦前の日本軍部が「中国を降伏させること」ではなくて「中国は温存して、そこからできるだけたくさん植民地を獲得すること」を主目標としていたら、ヨーロッパ戦線の動きを見極めることもできて、歴史が今とは相当変わっていたかもしれません。何をするにしても、あせりとか一攫千金を夢見るとかは、駄目ですね。

【ただいま読書中】『医師の社会史 ──植民地台湾の近代と民族』ロー・ミンチェン 著、 塚原東吾 訳、 法政大学出版局、2014年、4400円(税別)

 台湾には3000年前からオーストロネシア族の人びとが住んでいました。15世紀には日中の海賊が拠点を構えます。オランダやスペインが占領をしますが、1662年に明の総督鄭成功(国性爺)がオランダ軍を追い出し、中国本土を支配する清王朝に対して「明朝復興」を唱えます。しかし1683年に台湾は清に降伏、以後中華帝国の周縁に位置し続けることになります。漢人には出身省による派閥対立があり、そこに原住民とオランダ植民者も対立に参加します。そして1895年、日本がやって来ました。日本人は50年かけて「台湾の単一化」に取り組みます。はじめは反乱が頻発しましたが、日本は警察システムを配備し、1902年までに武装勢力を解散させています。11年におきた中国本土の革命の影響で12年から台湾でも武装蜂起がありましたが、警察はすみやかに鎮圧をしました。
 台湾総監となった後藤新平はヨーロッパのやり方とは異なる「科学的植民地主義」を唱えます。具体的には、「新エリート」の育成を目指しました。そこで重要だったのが二つの専門職、教師と医師です。ただし彼らは地主階級などの「旧エリート」の子弟であったため、台湾社会は安定しました。日本は台湾の「均質化」を推進し、そのために「台湾人」という意識が芽生えることになります。日本に留学した台湾人学生は大正デモクラシーの影響を受け、自治を志向します。事態は複雑です。「台湾人」が向く方向は、日本・台湾・中国なのですから。また、日本であれ台湾であれ、一級のパフォーマンスを社会で発揮しても二級市民の扱いを受けていたら、その人はどうしても反体制に傾きます。つまり、反植民地主義に。本書では「台湾の新しいエリートによる反植民地主義運動は、日本が作った」としています。そしてその中心には、専門教育をうけた教師と医師、そして公立学校の卒業生がいました。特に日本及び台湾から社会的評価が高かったのは、医師でした。
 日本から見たら、専門家教育は植民地支配のためのツールでした。しかし専門家集団ができるとその内部には独自の論理が育まれます。また、台湾医学校の教師はすべて日本人、台湾人はせいぜいその助手、という家父長的で階層的な構造がありましたが、赴任した校長は大体リベラルで(専門職における自立性がそのリベラルさを生んだのではないか、と著者は推測しています)、台湾の学生はそのリベラルさも学びました。
 台湾人医学生・医師は、伝統的な台湾コミュニティの一員であると同時に、コスモポリタン医学の一員でもありました。彼らの多くは弁髪を切り日本式の学生服を着ました。そこに、中国の伝統、リベラリズム、科学が加味されます。やがて彼らは「個人の疾病の病理と、社会的な病理とには関係がある」と考えるようになります。
 古代中国には「下医は病気を治し中医は人を治し上医は国を治す」という言葉があります。それの20世紀版です。そもそも、師範学校ではなくて医学校を選択した台湾人には、「教師は権力(日本)の手先、医学だったらけっこう自由」という認識を持っていた人が多くいたようです。もともとリベラル傾向が強い人が集まっていたのかもしれません。
 1937年日中戦争が起こり、日本は台湾の皇民化政策を推進します。その過程で医師の専門家集団は国家とのつながりを深めますが、それは「医師の脱民族」を意味していました。ただし「民族性」はそう簡単に消えるものではありません。この「ハイブリッド・コミュニティ」の特殊性を、著者はどうやって理論化したら良いのだろうか、と迷います。
 日本医学界からは、台湾は「化外の地」から「熱帯医学」を研究するための「重要な場所」となりました。そして、戦争によって“ピラミッド”の頂点にいた日本人医師が徴用されたため、台湾人医師や医学生は一挙に“ピラミッドの頂点”に駆け上がっていきます(台湾人が正式に徴用されるのは1945年からです)。ただし彼らの自己意識は「日本人」ではありません。といって「台湾人」や「中国人」でもなくなっています。彼らのアイデンティティは「専門職のアイデンティティ」となっていたのです。(そもそも台湾は清から日本に割譲されたので、台湾人は自分たちの祖先は清朝の人間だとは思っても、中華民国人とは思っていません)
 「帝国主義」というのは私には実感をもっての想像ができませんが、本書を読む限り、その中で生きることは、適応するにしても抵抗するにしても、大変だろうな、と思わされます。特に「アイデンティティ」が「ハイブリッド」だとますます大変でしょう。ところで「日本人は単一民族」って、誰が言ったんでしたっけ?


飛ぶ言葉

2014-10-24 06:41:02 | Weblog

 空を飛ぶ人が書く言葉は、一種独特の雰囲気を持っていると感じることがあります。厳密さとおおらかさを兼ね備え、ずっしりとした重さと浮遊感とを読むものに感じさせることがあるのです。そう、たとえば、サン=テグジュペリやアン・モロー・リンドバーグの文章のように。

【ただいま読書中】『翼よ、北に』アン・モロー・リンドバーグ 著、 中村妙子 訳、 みすず書房、2002年、2400円(税別)

 著者は、ニューヨークから大圏航路を使って東京まで飛ぶ冒険飛行に挑戦します。カナダから北極海を通過するルートですが、地球儀上ではこれが最短となります。まだ誰も飛んだことがない旅の過程そして旅の目的地の「魅力」について、著者は口ごもりながらも饒舌になります。著者と夫が乗る「シリウス号」は600馬力、2000マイルの航続距離を誇り、フロートがついているので水上着陸ができます。しかし、事故の可能性を考え、サバイバルキットも必要です。限られた搭載量の中で、「重量」と「有用性」とで積み込むべきものの仕分けが行われます。著者の文体だとなんだか楽しみながら、といった感じが伝わってきますが、命がかかっている分類作業ではあっても本当に著者は楽しんでいたのかもしれません。
 途中の経路にガソリンなどの補給物資も配置し、1931年7月27日に著者らは出発します。押し寄せるマスコミと見物人の雑踏から、シリウス号はふわりと飛び立ちます。夫婦は、無線(モールス信号)でつながってはいますが、“世間”とは隔絶した2人だけの世界に入っていきます。「農家の白壁から斜めに弾ね返る日光のように、すっきりと晴れわたった、輝くような日だった」という文章、やはり飛行家ですねえ。
 8月なのにもう凍てつくような寒さの中、水上飛行機は飛び続けます。文明世界とは隔絶した地域にも、大恐慌からの不景気の影響は出ていました。そこに住む人びとにとって、リンドバーグ夫妻は「外」からの来訪者でした。場所によっては、「初めて白人女性を見た」エスキモーもいます。
 アラスカのノームから、飛行機はソ連に入ります。その途中で2人は一日をなくします。日付変更線を超えたので。そして千島列島で霧に阻まれて不時着水。そうそう、当時ここは「日本領」だったんですね。救助に現れたのは「歌う水夫たち」が乗っているシンシル丸。彼らは飛行機を曳航してプロトン湾に安着させます。
 戦前に日本を訪れた外国人は、日本人の礼儀正しさに強い印象を受けたそうですが、リンドバーグ夫妻もその例外ではありません。「歌う水夫たち」もそうですし、霧で根室に着水できなかったためやむなく降りた国後でも、貧しい漁民のお辞儀と微笑みに2人は強い印象を受けています。
 東京、大阪、福岡。2人は日本を味わいながら旅を続けます。そして中国へ。揚子江に沿って南京に到着。揚子江は大洪水を起こしていました。2人は大規模な調査飛行を申し出ます。あまりに広範囲が水につかっているため、飛行機でなければ全体像はつかめません。そして2人は、揚子江にシリウス号をあやうく奪われそうになります。
 本書は「冒険飛行」の記録ではありますが、それにしてはずいぶん散文的で詩的な文章に満ちています。著者は「飛行の魔法」について描き、読者をもその魔法にかけてくれます。ただし、実際に飛行する人は「魔法の裏側に(脱出用の)裏階段を用意していなければならない」のだそうです。ロマンチックで、シビアな“魔法”です。


実は悲しい歌

2014-10-23 06:26:58 | Weblog

 「とんぼ釣り 今日はどこまで 行ったやら」は加賀千代女作と伝えられていますが、これは童たちの微笑ましい遊びの情景を歌ったのではなくて、実は悲しい歌なのだそうです。幼くして亡くした子供への母親の思いなのだそうです。そう言われると、歌の“情景”が全然違って見えるから、不思議です。

【ただいま読書中】『戦争に隠された「震度7」 1944東南海地震1945三河地震』木村玲欧 著、 吉川弘文館、2014年、2000円(税別)

 日本には「隠された地震」「葬り去られた地震」があります。戦争中の昭和19年12月7日の東南海地震(南海トラフの海溝型)と昭和20年1月13日の三河地震(内陸型)です。どちらも「震度7」の大地震で大被害でしたが、新聞では「被害はほとんどない」とされました。本書には「地震の被害」と「被害の隠蔽」とについて著者が調べ上げたことがまとめられています。
 東南海地震は、三重県から静岡県が広く震度6、一部で震度7でした。津波も襲い、尾鷲町では9メートル・錦町(現大紀町)では7メートルでした。死者/行方不明者は1000人以上、被害は甚大ですが、報道管制下の日本では調査も報道もろくにされませんでした(30年後の調査で、住宅の全壊17000戸以上、という数字は出ています)。救援は来ません。なにしろ「被害はない」のですから。「被害が出た」というメモを新聞記者に渡した人は、「非国民」として憲兵隊に逮捕され拷問されています。それでも震災対策は必要です。愛知県では、12月13日に初めて名古屋が空襲されたのを受けて、「空襲対策」として「震災対策」を実行しています。
 三河地震は、前震活動と余震が顕著でした。こちらも被害の全貌は不明ですが、30年後の調査で、死者2300、住居の全壊7200という数字が出ています。
 東大や中央気象台は現地調査を行いましたが、検閲で発表できない、あるいは報告書が極秘資料に指定されました。政府も詳細に調査を行っていますが、衆議院秘密会で報告されただけで、公表はされませんでした。新聞に対しては12月7日(地震当日)に電話で報道規制(事前検閲と自主規制)が通達されています。交通インフラや中京の工業地帯が大打撃を受けて戦力が落ちたことが敵に漏れることが、一番の心配だったような通達内容です。マグニチュード7.9の地震波は海外でも観測されていて、日本の中部が大打撃を受けたことは丸わかりだったのに。
 いくら検閲が厳しくても、新聞がこの地震を無視できるわけがありません。ベタ記事で写真はなしで「被害は軽微」という表現でも、記事は掲載します。中部日本新聞(現在の中日新聞)のような地元新聞ではそれに加えて、余震情報や被災者への生活支援情報を検閲が許す限り掲載しました。このような場合、「記事の内容」ではなくて「そのような記事が掲載されたこと」に注目したらある程度の“情報”は取れる、と言うことのようです。検閲というのは、困ったものです。結局誰の利益になっているのでしょうか?
 『稲むらの火』は、小学校5年生の国語読本に掲載されていました。したがって「地震があれば津波が来る」という知識を持っていた被災者は多くいました。ところが『稲むらの火』では「まず海水が引いてから津波が来る」と記述されていたためそれを丸々信じて、海水が引かなかった東南海地震で避難せずに津波に巻き込まれた人が多くいました。一つの例をあまり普遍化しない方が良い、という点で『稲むらの火』には“功罪”があるようです(2011年度からの国語教科書の『稲むらの火』では、その点への指摘もあるそうです)。


子宮移植

2014-10-22 06:41:28 | Weblog

 子宮移植が普及したら、次は女性が出産が難しい場合の男性配偶者による代理出産、そしてその次は男性同士のカップルからの出産(実子誕生)の実用化、でしょうか。

【ただいま読書中】『マイクロバブルの世界 ──水と気体の織りなす力』上山智嗣・宮本誠 著、 森北出版、2011年、1900円(税別)

 実は「マイクロバブル」の「定義」はないそうです。著者はとりあえず「直径が1mmより小さな気泡で液体(特に水)中に孤立して存在しているもの」と定義して話を先に進めます。「大きさをマイクロメートルで表現できる気泡」という言語学的な定義でしょうか。
 身近なマイクロバブルは、たとえばビールの泡。液体を瓶に入れて振っても簡単にマイクロバブルを発生させることができます。浴室にも「身近なマイクロバブル」があります。浴槽に浸っていると体毛が白っぽくなりしごくと気泡が出ます。これもマイクロバブルです。
 身近な液体は「水」ですが、純水だとマイクロバブルは安定しません(ヤング-ラプラスの式で明らかなのだそうです。私にはちんぷんかんぷんですが)。ともかくマイクロバブルの安定のためには「不純物」が存在することが重要なのだそうです。そういえばあまりにきれいにグラスを磨いてしまうと、シャンペンがきれいに発泡しない、と聞いたことがありますが関係あるのかな?
 マイクロバブルの発生方法には、衝撃波・キャビテーション・加圧溶解など9種類が紹介されています。しかしせっかく発生させてもバブルが合体してしまったら意味がありませんから、分散させて気泡の間の距離を長く取ったり、合一防止剤を添加したりの方法が用いられます。
 ではその利用法は、と言えば、たとえば「水処理」です。界面は物質を吸着する性質を持っていますから、それの利用です。油水分離にも使えます。身近なところでは、海水魚の水槽の水の浄化。なんだか、水槽の「あく取り」をやっているようなイメージです。汚水処理・汚染された土壌処理・河川の水浄化などが紹介されていますが、放射能もこれで除去できたら良いんですけどね。かつてはいわゆるフロンが広く使われていた「脱脂洗浄」にもマイクロバブルが利用されるようになりました。歯の洗浄も行えます(いわゆる「超音波洗浄」ではマイクロバブルが発生しているそうです)。マイクロバブル風呂もあります。これの“効能”は何でしょうねえ? なんとペット専用のマイクロバブル風呂もあります。毛穴の奥の老廃物をマイクロバブルが除去してくれるのだそうです。お肌がとってもきれいになるかも。
 キャビテーションを発生させるときには大きな破壊力も生まれているそうです。それを医学的に応用したのが、結石破砕術。「破壊」というと身体には良くないのですが、それを巧妙に結石にだけ向ける、という手法だそうです。
 船の脇にマイクロバブルを発生させると、摩擦抵抗が減少するそうですが、実はまだそのメカニズムは解明されていません。乱流発生を抑えているのかな、とは思いますが。