【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

学校の身分制度

2019-08-03 07:02:17 | Weblog

 私が学校で教育を受けていた頃、「教師は無条件に生徒より偉い」という感覚を持っている教師に出会ったことがあります。「人間の優秀さとか人間性とかを見抜けないのは仕方ないにしても(「人を見る目がない」人はどこにでもいます)、生徒の中から将来文部大臣やノーベル賞受賞者が出ることは想定していないのか?」と私はあきれましたが、学校以外を知らない(学校を卒業したらそのまま学校に就職した)人には、学校が「社会のすべて」だったのでしょうね。だから「自分が一番エラい」だったのかな。

【ただいま読書中】『うつ病九段 ──プロ棋士が将棋を失くした一年間』先崎学 著、 文芸春秋、2018年、1250円(税別)

 将棋界が“新星"藤井聡太四段の登場に沸く少し前、「不正ソフト使用疑惑」によって将棋連盟はどん底状態でした。そんなとき著者はうつ病を発症します。

》うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。あなたが考えている最高にどんよりした気分の十倍と思っていいだろう。まず、ベッドから起き上がるのに最短で十分はかかる。ひどい時には三十分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。寝返りをうつとなぜか数十秒くらい気が楽になる。そこで頻繁に寝返りをうつのだが、当たり前だがその場しのぎに過ぎない。

 対局のために駅に行くと、ホームから電車の前に飛び込みたくなります。ここ、さらっと書かれていますが、とても恐い状態です。「飛び込む」というよりは「自然に吸い込まれる」感覚なのだそうです。
 あまりのひどい状態に家族も心配します。しかし「人権」問題から、本人が嫌がるのに強制入院をさせることはできません。ただ、著者のお兄さんが精神科医で、いろいろ動いてくれたおかげで慶応大学病院精神科に入院ができました。それで事態がやっと好転したのですが、ここで入院をしていなければ、おそらく著者は自殺をしていたことでしょう。
 症状についての具体的な描写は、体験者の話だけに、迫真というよりも、真実そのものです。世界は色彩を失ってモノクロとなり(しかもそのことに本人は気づいていません。回復して色が戻ったときに驚きとともに気づいています)、悪いことばかり連鎖反応的に考えて落ち込み、不眠に苦しみ、頭には石が入り胸には板が入っていて、さらに日内変動があり……
 軽い(あるいは明るい)話もあります。見舞いにもらって一番嬉しいのは現金、とか、「うつ病患者を励ますな」と言うが言われる側から見ると実際にはちょっと違う(大声で話しかけられたり「落ち込んでないで頑張って気合いを入れろ」とか言われるのはきついが、友人が軽く励ますのはOK)、とか。特にうつ病の人は自分が世界から見捨てられたと感じているので、「あなたは見捨てられていない」というメッセージ(たとえば「みんな待ってます」など)はとても嬉しいそうです(ただし小声で言うこと)。
 世界が色を取り戻し、字が少しずつ読めるようになり、決断が少しずつできるようになり、少し笑ったり泣くことができるようになり……著者は少しずつ回復をしていきます。しかし、「将棋」ができません。詰め将棋では、小学生の時にすらすら解いていた5手詰めでさえ、ものすごい苦労をしてしまいます。それでも回復し、7手詰めに取り組み、そして練習対局もできるようになります。ところがこの回復期にまた自殺の衝動が。最悪の時期には病気が理屈抜きに自分自身を消そうとしているようでしたが、回復期には将来の不安や現在への絶望が自殺衝動を駆り立てます。リクツがある分、対応は困難です。
 著者が休場をしている半年の間に「藤井フィーバー」が起き、将棋そのものでは「雁木」「早めの桂はねによる急戦」など戦法の大きな変革が起きていました。著者は焦ります。元と同じ状態になったとしてもタイムラグが大きくて戻りにくそうなのに、まだうつ病はどっかりと著者の中に存在しているのです。
 後輩の中村太地さんが王座のタイトルを獲得。それを祝いながら著者は「現役に戻りたい」と強く願っている自分に気づきます。しかし、弱肉強食の真剣勝負の世界に、うつ病がまだ完治したとは言えない人間が戻っていって、十分に戦えるのか?
 そのとき、著者はこの本を書くことを思いつきます。うつ病のことを知らない人があまりに多く、無知による偏見が根強いこの社会に、「うつ病の知識」を少しだけでも提供しよう、と。たとえば「うつ病はわりとポピュラーな病気(うつ病(精神科医が治療が必要と診断する「大うつ病」と呼ばれるもの)に一生で一回でもなる人は15人に一人、過去12箇月にうつ病になった人は50人に一人)」「男女差がある」「心ではなくて脳の病気(だから脳に効く薬が鬱症状に効く)」といったことは広くは知られていません。
 昭和の時代、「精神科の患者」はそれだけで差別といじめの対象でした。それが嫌だから周囲に隠したり通院をしなくなって薬が切れてそれで症状が悪くなってまた差別といじめがひどくなったりしました。しかし21世紀の時代には「精神病患者」という言葉は公式の場から消えて「精神障害者」となっているのですが、そのことも広く知られているのかな?