【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

テレビコマーシャル

2019-08-12 07:19:42 | Weblog

 私が子供のころには絶対やっていなくて、今は普通にテレビで流されるCMとしてすぐ思いつくのは「生理用ナプキンやタンポン」「トイレ」「ローン」。時代は見事に変わっているようです。

【ただいま読書中】『トイレ ──排泄の空間から見る日本の文化と歴史』屎尿・下水研究会 編著、 ミネルヴァ書房、2016年、1800円(税別)

 「厠」はもとは「川屋」だ、という説があります。つまり日本の古いトイレは(川の流水を活かした)水洗トイレ。ただ、それは日本だけの話ではありません。紀元前2200年ころのメソポタミア文明エシュヌンナ遺跡からは水洗式のトイレ遺構が発掘されています。自然の中に点在して居住するのなら野糞でも大丈夫でしょうが、人が集まって住むようになったらその辺に屎尿を放置はできないのです。
 空海上人が開山した高野山では、竹筒などで谷川の水を寺院や民家に配水していました。そしてその排水を便壺のない厠の下に流していました。つまりこれも「水洗トイレ」です。平安時代の寝殿造りにトイレはありません。貴族は「樋箱(ひばこ)」「清筥(しのはこ)」「大壺」「尿筒(しとづつ)」などと呼ばれる移動式便器を使用していました。ともかく屎尿は「捨てるもの」です。ところが鎌倉時代に、汲み取りトイレが登場。屎尿は下肥として使われるようになります。そして江戸時代、屎尿は「商品」に。江戸周辺の農家は金を払ってでも屎尿を欲しがるようになりました。
 かつてNHKの紅白歌合戦で歌われた中で「いちばん長い歌」はさだまさしの「関白宣言」でした。そしてそれを抜いたのが9分の「トイレの神様」(植村花菜)です。ではその「トイレの神様」とは……と著者は楽しそうに話を進めます。
 有料トイレの章もあります。私が初めて有料トイレを見たのは、新宿駅でだったかな。お金がもったいなく感じるので、いつも前をさっさと素通りしていましたっけ。日本で初めて有料トイレが登場したのは、1903年(明治三十六年)に大坂で開催された第5回内国勧業博覧会で「高等便処」と呼ばれました(「普通便処」は無料で、高等便処は洋式トイレで化粧室などの設置で差別化されました、というか、便所付きの有料休憩所と言う方が正しいのかもしれません。使用料は男性10銭女性15銭。ちなみにこの博覧会の入場料は一日5銭)。
 ぽっとんトイレが普及したのはいいのですが、問題はその後です。最初は人手で汲み取り、天秤棒で桶を両側にぶら下げて輸送していました。やがてバキュームカーが普及します。そして集められた屎尿は、肥料になるのはいいのですが、“余った"ものは海洋投棄もされました(私の子供時代に「瀬戸内海への屎尿投棄は禁止」がニュースになりましたが、ということはそれまで瀬戸内海へも投棄されていたわけです)。ただ、「海洋投棄」自体は禁止されなかったので、船は太平洋まで行ってそこでどぼどぼ…… 内陸部で処理する場合、最初は穴を掘ってそこに投げ込んでいましたが、周囲から文句が出るので、用地の確保は大変だったそうです。
 列車のトイレも重要です。かつて国鉄では「停車中はトイレを使用しないように」と掲示が出ていたことを覚えている人が、どのくらい生き残っているかなあ。そのことについては知っている人は思い出を噛みしめましょう。知らない人は、知っている人に聞くか、本書をどうぞ。
 本書の最後に「トイレ」を意味する日本語がずらりと表になっています。その数なんと16。私はそのうち9つは知っていましたが、まだこんなにあるんだ。日本語って、なかなか“豊か"な言語ですねえ。