日本ハムの“功績”は、これまでの常識に反した「二刀流」にトライしたことでしょう。それに成功したことはトライの結果にすぎません。私が高く評価するのは「トライしたこと」の方です。
さて、大谷選手の次の目標は「4番でエース」かな。
【ただいま読書中】『微笑みのたくらみ ──笑顔の裏に隠された「信頼」「嘘」「政治」「ビジネス」「性」を読む』マリアン・ラフランス 著、 中村真 訳、 化学同人、2013年、2600円(税別)
笑顔には「社会的役割」があります。それをクレイグ・スミスとヘザー・スコット(社会心理学者)は「顔には、自分自身ではなく、他者を動かす唯一の骨格筋がある」と述べています。
笑顔には「真の笑顔」と「社会的笑顔」があります。口角を引き上げる大頬骨筋を収縮させることで「社会的笑顔」は簡単に作れます。しかし、眼輪筋を意識的に収縮させて「真の笑顔」を作るのは、多くの人には困難です。この事実を発見したのはフランスの生理学者デュシェンヌで、真の笑顔は「デュシェンヌ・スマイル」(社会的笑顔は非デュシェンヌ・スマイル)と呼ばれています。
赤ちゃんは子宮の中にいるときから「笑顔の練習」をしています。生後数日で、眠っているときに新生児は笑顔を見せます。生後6週間までに赤ちゃんは親の顔を見ながら笑顔になります。6箇月で他人に見られると笑顔を見せます。そして6最までに、子供は見せかけの笑顔が作れるようになります(これが下手だと「人気のない子供」になります)。
病気で笑顔が文字通り消えることがあります。たとえば、顔面神経麻痺やパーキンソン病、メビウス症候群という病気でも顔面から微笑みが消えます。すると親しい人は、患者が自分が拒絶されてしまったかのように感じるのだそうです。子供があまり微笑まないあるいは微笑んでも自分1人の時、の場合、自閉症スペクトラム障害(ASD)の場合があります。ASDの診断は大体3歳以降ですが、生後12箇月頃に無表情な赤ちゃんはASDである場合が多いそうです。
笑顔を「各筋肉の動き」に分解して科学的に表現することが可能だそうです。すると「モナ・リザ」の表情は「83%幸せ、9%嫌悪、6%恐れ、2%怒り」になるそうです。これは静止画ですが、微笑みがどのくらいの速さで浮かび、どのくらい維持され、どのくらいの速さで消失するか、も人間は無意識で捉え、その意味を判定しているそうです。
「本物の笑顔」と「社会的な笑顔」を人は使い分けていますが、精神を病んでいる犯罪者などの場合、人をだましたり傷つけることで喜びを得ていてその場合には犠牲者や被害者に対して「本物の笑顔」を向けるそうです。なんだか嫌な話です。
アメリカ大統領選挙では笑顔が「ツール」として重要です。しかしかつての大統領は人前では微笑まないものでした。それが変わったのは、フランクリン・ルーズベルトから。「歯を見せてにっこり笑っている大統領の写真」をアメリカ人が初めて見たのはルーズベルトだそうです。そういえば最近の大統領の写真では、笑っているものがとても多いですね。笑顔は大統領のトレードマークのようです。これは「強さ」と「温かさ」の両立が近代的な「カリスマ」の条件となったことによるのでしょう(かつて「カリスマ」は神聖で超人的な指導者のことでした)。
サービス業でも笑顔は重要です。笑顔がある方が、顧客満足度は高まりチップは増えます。「感情労働(定義は「公に観察できる顔や身体の表示をつくるために、感情を管理すること」)」の従事者は、はじめは「表面的な演技」の訓練を受けた後「深い演技」の訓練に進みます(たとえば忌まわしい乗客に対して、表面的な演技のフライトアテンダントはにっこり笑って耐えますが、深い演技をするフライトアテンダントは「家を遠く離れて不安で怖がっている旅行者である」とちょっと優しい心遣いができます)。しかし「微笑み」を強制される人の中には、仕事中に感情を持つことをやめる人もいます。個人的な感情と公的な行動があまりに不一致の場合その人は「ロボット」になってしまうのです。まるで人工的な離人体験みたいですね。
さらに「微笑み」は「女らしさ」と結びつけられる傾向があります。そう言えば日本でも「男がへらへらするな」「武士は三年片頬(三年に1回だけ、それも片頬だけ笑う)」なんてことばがありましたっけ。欧米社会でも女性は笑顔であることが“義務”となっているようです。
カップルが「深く愛し合っている」か「深い欲望を持っている」かを区別することも表情から可能だそうです。社会心理学の観察から、前者はより多くのデュシェンヌ・スマイルを相手に示しますが、後者はデュシェンヌ・スマイルは少なくそのかわりに唇の動き(唇をかむ、なめる)が多く見られたそうです。微笑みは目尻に、性的欲望は唇に表出される?
笑顔には“外国なまり”があるそうです。本書には「特徴的なフランス風の笑顔」としてカトリーヌ・ドヌーブ、「特徴的なイギリス風笑顔」としてチャールズ皇太子の写真が載っていますが、国ごとに笑顔の“方言”があって、国境を越えたら笑顔の“結果”を予測することが困難になります。そう言えば日本人の「あいまいな笑顔」が欧米人には不評だ、と聞いたことがありますが、同じことがこちらからも言える、ということなのでしょう。ただ、文化が違っても「笑顔が人間関係の中に存在していて何らかの機能を期待され何らかの機能を果たしている」ことはどこの社会でも共通です。そして、「未来」には「ロボットと人類が共存する社会」が待っています。その時ロボットはどんな「笑顔」をヒトに見せるのでしょう?
このまま少子化を進行させたら良いのでは?
【ただいま読書中】『忘れてしまった高校の生物を復習する本』大森徹 著、 KADOKAWA、2011年(16年7刷)、1500円(税別)
「忘れてしまった」というか「知らない」ことが続々登場する本です。まあ「クローン」とか「ES細胞」なんて私が社会人になってからの話ですから仕方ないのですが。
「ピルビン酸回路(クエン酸回路)」の話は懐かしい。この回路は高校の授業で一応覚えましたから。「呼吸」とは「息を吸ったり吐いたりすること」(外呼吸)だけではなくて、ミトコンドリアでブドウ糖を分解することでエネルギーを得てそれをATPに蓄える「内呼吸」も含む、と習いましたっけ。ただこの時「筋肉で酸素を使わないでブドウ糖をピルビン酸にしてそれをさらに乳酸にすることでエネルギーを得る」ことは「解糖」と習いましたが、これって実は「乳酸発酵」と同じことなんですね。これは授業では習っていません(忘れただけかもしれませんが)。また、光合成の回路も授業ではあまり習っていません。先生はホタルの発光のことはずいぶん詳しく教えてくれましたが、植物より動物の方が好きな教師だったのかもしれません。光合成ではなくて深海で硫黄細菌がやっている化学合成のことも習っていませんが、これは1977年に発見された知見なので、教科書になかったのは仕方ないですね。
もちろん「プリオン」とか「遺伝子組み換え」も習っていませんが……最近の高校生は大変ですね。科学がどんどん進歩したら、それに少し遅れて教科書がどんどん変わっていくのですから。新しいものを入れる代わりに何を削っているのか、それも知りたいと私は思います。自分の持つ知識のどれが(古くなって、あるいは間違っていることがわかって)教科書から削除されてしまったのか、も知りたいものですから。
リオ・オリンピックのメダリストたちがぼつぼつ次の大会に出場していますが、あまり成績が振るいません。「オリンピックの後、調整が……」と言っていた選手がいましたが、つまりは「取材」「挨拶回り」「祝賀会」「祝賀パレード」「名誉なんちゃらの授与式」などで練習どころではなかった、ということなのでしょう。ところで、メダリストに練習をさせなくて“得”をする人って、いましたっけ? もしかして他国のライバルの手先?
【ただいま読書中】『将棋・名勝負の裏側』将棋世界 編、日本将棋連盟、2016年、1540円(税別)
本書は、「将棋世界」という将棋雑誌に連載された「棋士同士の対談」を集めたものです。
高校時代に私は将棋に夢中になっていて、「将棋世界」も定期購読していました。学校を卒業してからは将棋にはとんと縁がなくなってしまいましたが、あの雑誌はまだ存在しているようです。
「第3局 木村一基×野月浩貴」では、2人とも小学四年生の時に北海道で開催された大会で初対面、奨励会に同期で入会し(2人とも小学六年生の時)、しかしそこから長い長い修行生活が続き、2人とも四段になれたのは23歳(プロ将棋の世界では四段になれて初めて「とりあえず一人前のプロ」扱いしてもらえます)、という長い交流について語られます。ライバルで戦友で親友、という複雑な関係で、時には「自分が勝てば昇級だが、相手は降級」というシビアな対局もあったそうです。それにしても「三段リーグ(奨励会の三段だけ30数名が半年間リーグ戦で戦い続けて、トップ2人だけが四段になれる)」で、皆本当に心身ともにぐらぐらしながらシビアな勝負をし、皆よく泣いている、という話からは、勝負の世界の厳しさが伝わってきます(「首に縄をかけられたまま対局をする」と表現されています)。
「第4局 三浦弘行×伊藤真吾」では、羽生さんが「冷房を切りたい」に三浦さんが「いいですよ」と返したのが、マスコミを通じると「そんなことはしなくていいですよ」に“変換”されてしまったエピソードが紹介されます。“変換”というか、悪意に基づく脚色でしょうけれど。だけど三浦さんがそういったマスコミに曝されたのは羽生さんとの対戦の時だけでしたが、羽生さんは当時七冠だったので四六時中そういったマスコミと付き合わされていたわけです。大変だったでしょうね(今でも大変でしょうが)。
ところで、本書には棋士30人15組の対談が収載されていますが、そこに羽生さんは入っていません。入っていませんが、彼の名前はあちこちに登場しています。もしかしたら本書で一番たくさん登場する人名は羽生さんかもしれません。将棋界でいかに大きな存在であるかがよくわかります。
プロの将棋で印象的なのは、「感想戦」です。対局が済んだ後2人で対局を振り返ってどこが勝敗の分岐点だったか、敗因や勝因の分析を行います。負けた方はさっさと帰りたいだろうに、きちんと公開の場で反省をして次に活かそうとする態度には敬服します。将棋は「人が指すもの」なんですね。最近はコンピューター将棋がどんどん強くなって、もう「読む力」では人の領域を越えているのかもしれませんが、それでも人が将棋を指す意味はある、と私には思えます。少なくともコンピューターは感想戦をしてくれそうにありませんし。
要約すると安倍首相は「アベノミクスは永遠に継続する」と宣言しています? ついでに「自分は“生前退位”なんかしないぞ」とも?
【ただいま読書中】『悲劇の飛行船 ──ヒンデンブルク号の最後』マイケル・ムーニィ 著、 筒井正明 訳、 平凡社、1973年、1000円
ツェペリン伯爵が南北戦争で北軍に押しかけ「オブザーバー」として参加した時(ついでにミシシッピー川の探検をして時に)、彼は気球の可能性に注目しました。さらに気球にエンジンをつけたら良い、と思いつき、1900年7月2日に小さい(といっても425フィートの長さの)エンジン付き気球を飛行させます。もっとも「飛行船の初飛行」は(ジュール・ヴェルヌとH・G・ウェルズの熱愛者のブラジル人)アルベルト・サントス=デュモンが1898年に成功させていました。
第一次世界大戦の結果は「悲惨」でした。優秀な若者が多く殺され、恨みだけが残り、王の多くは追放され(あるいは殺され)ました。「旧体制」は崩壊し、しかし「新しい体制」はまだ確立していません。さらに、キリスト教も力を失っていました(「神は死んだ」のです)。人びとは様々なものにすがろうとします。唯物主義・理想主義……そして科学もまた「新しい神」に祭り上げられました。
連合国は(第二次世界大戦後にアメリカやソ連がV2ロケットに代表される「ドイツのハイテク」を我が物にしようとしたように)「大空の帝王(飛行船軍団)」を我が物にしようとしました。しかし、飛行船を作るのも制御するのは専門的な訓練を受けたプロ集団でないと無理でした。さらに「飛行船」ではなくて「飛行機」の時代になろうとしていたのですが、そのことに気づいていた人は少数でした。
1927年、チャールズ・リンドバーグの“壮挙”が達成されます。その翌年、「ツェペリン伯号」が大西洋を逆方向横断する初飛行に出発します。乗客は20人、乗務員は40人。「ファースト・クラス」の旅でした(ついでですが、こういった「飛行船の旅」「定期旅客船の一等の旅」が現在の航空機の「ファースト・クラス」に引き継がれているようですが、ちゃんと引き継がれたのは「値段」だけで「サービス」はどう見てもひどく劣化しているように私には思えます。乗ったことありませんけどね)。ついでに12トンの貨物も乗せていたのに、滞空時間は111時間。ニューヨークで乗組員は「ヒーロー」扱いをされました。
世界のあちこちで飛行船の火災事故が起きていました。気嚢に水素がたっぷり詰まっているから仕方ないとは言えますが、対策を立てたのはアメリカ。水素の使用を禁止してヘリウムを使用することにしました。これはアメリカが世界でほとんど唯一のヘリウム生産国だったからできたことでしょう。ただしヘリウムの値段は水素の10倍で揚力は7%ほど落ちます。。他の国は「気をつけて使えば大丈夫」と水素を使い続けました。そしてアメリカは、ヘリウム飛行船での限界を感じ、飛行機開発に向かいます。
ヒンデンブルク号が就役したのは1936年3月。ドイツで建造されたツェペリン・タイプ飛行船の118番目でした。「世界最大の飛行船(全長246.7m)」は「ドイツの誇り」「戦後ドイツの経済成長のシンボル」でした。25の特等室(2段ベッド)の洗面台ではお湯も使え、ベルを鳴らせばスチュアード(6人)またはスチュアーデス(1人)が駆けつけます。乗務員を含めて100人だったら快適に1週間は飛行ができました(実際の飛行予定時間は2泊3日です)。ゲッペルスは「アドルフ・ヒトラー号」と命名せよとツェペリン会社に命じましたが、ツェペリン船は平和に貢献するべきと信じる会長エッケナー博士は公然と逆らい「ヒンデンブルク」と名付けました。ナチスは「新聞の記事に『エッケナー』の名前や写真を使用してはならない」と通信社に命じ、ベルリンのエッケナー通りはアドルフ・ヒトラー通りに改名するよう命令されました。
「ヒンデンブルク号」は大西洋の横断を定期的に行い続けます。料金は、ツェペリン伯号では3000ドルだったのが、“わずか”400ドルになっていました。
乗組員にナチス党員が増え、ユダヤ人に対する警戒の目は厳しくなります。「警備」のためにSS安全保障隊のSD隊員が出発前に飛行船の点検を行うようになります。実際に「ナチスの威信のシンボル」としての大飛行船に時限爆弾をしかける陰謀があったようで、乗客の手荷物検査が厳しく行われました(子供の土産用の人形でさえ、X線装置にかけられ役人はわざわざそのスカートをめくって“検査”しました)。しかし、出発前に船体そのものに仕掛けられていた爆弾を発見することはできませんでした。
爆弾は、ヒンデンブルク号が着陸して人が降りた後に爆発する予定でセットされていました。しかし向かい風で到着が遅れ、さらに時限装置の故障のせいか、着陸ロープが投げられただけで飛行船がきっちり固定される前に爆発が起きてしまいます。「船」は燃えながら地面に向かって沈み始めます。飛行船から飛び降りた人びとは我がちに逃げます。まるで普通の下船のように悠々としている人もいましたが、足が折れた人は這っていました。そして、燃えながら逃げている人も。
実は「爆破説」は、公式記録では否定されています。しかし著者は膨大な記録にあたり、爆弾を仕掛けた人間、およびそれを教唆した人間も特定しています(本書では偽名を使っていますが)。著者の主張が「真相」なのかどうか、私には確定できませんが、本書は読み物として非常にスリリングですし「当時の世相」が非常によくわかります。そして、飛行船での“ファーストクラスの旅”をしたい気分になってしまいました。
「一蓮托生」……一つの蓮根に人生を托する
「蓮の葉」……軽い子供なら上に立てる
「蓮飯」……主食は蓮
「蓮の天麩羅」……なぜか輪切りばかり
「蓮田」……米は植えにくい田圃
「泥中の蓮」……なぜか米はこんなことを言われない
「蓮の宿」……屋根が蓮で葺いてある宿舎
「紅蓮」……最初から食紅色の蓮根
「白蓮」……最初から白色の蓮根
「木蓮」……木質の蓮
「蓮根鼻」……ただし穴の数は二つ
【ただいま読書中】『問う者、答える者(下)』(混沌の叫び2)パトリック・ネス 著、 金原瑞人・樋渡正人 訳、 東京創元社、2012年、1900円(税別)
いつもの癖でまず目次を見ます。すると、上巻の始まりの章は「終わり」だったのに対応して、本書の最終章は「はじまり」です。かつて地球人と異星人が戦い、さらに地球人同士も戦った(そして今でも戦い続けている)星の戦乱状態が、どのような「はじまり」で終わることができるというのでしょうか?
トッドはなぜか総統に目をかけられています。総統は自分の息子(浅慮で短気)よりもトッドの方を買っている様子です(戦略的な欺瞞かもしれませんが)。ともかく総統は自分の思考をまき散らしてしまう「ノイズ」をコントロールする術をトッドに伝授しようとします。
「目をかける」と言えば、ヴァイオラもアンサー部隊のボスに目をかけられています。しかしそれは明らかに「利用」を目的としていました。
そして、トッドは総統の部下たちに、ヴァイオラはアンサー部隊のほとんどから、反感を持たれています。2人の“居場所”はありません。
襲撃の夜。町の強制収容所をアンサー部隊が襲い、囚人たちを救出します。囚人というか、元は人間だったけれど,強姦と拷問と餓死寸前までの食糧制限とで今は人間とは別の存在に貶められてしまった存在を。ヴァイオラは復讐を誓います。
襲撃の夜。この星の原住民スパクルを収容していた修道院(トッドが監督して土木工事をしていた所)もアンサー部隊に襲われました。そして、1150人のスパクルは全員アンサー部隊に殺されます。スパクルに感情移入していたトッドは衝撃を受け、アンサー部隊へ対抗するアスク部隊に参加することを決心します。
トッドは総統にスパイされ利用されています。そしてヴァイオラもまた、アンサー部隊の長にスパイされ利用されていました。やっと出会った二人はそのことを知り、そして総統の手に落ちてしまいます。
人を信じようとする人と、人を信じないで上手く利用しようとする人とが対決したら、勝敗は最初から見えています。トッドとヴァイオラはそのため、窮地から窮地へと移動をし続けます。そして、植民船がもうすぐ「新世界」に到着するという日、アンサー部隊とアスク部隊との最終決戦の夜、人類を敵とみなすスパクルが大集結して町を襲撃してきます。逃げ場はありません。「人を殺さない」「常に選択肢はある」と呟きながら生きてきたトッド(とヴァイオラ)に、今どんな選択肢があるのでしょうか、というところで本書は終わってしまいます。これが「はじまり」なのなら、この物語はここからどのように「始まる」のでしょう?
寂しさを紛らわしたかったら、誰かと一緒に過ごせば良いでしょう。
寂しさを見せたくなければ、誰とも一緒に過ごさなければ良いでしょう。
【ただいま読書中】『問う者、答える者(上)』(混沌の叫び2)パトリック・ネス 著、 金原瑞人・樋渡正人 訳、 東京創元社、2012年、1900円(税別)
4年前に『心のナイフ』という衝撃的な本を読みましたが、あれは「混沌の叫び」というシリーズの「1」でした。あまりに衝撃的だったので、その直後に刊行された本書を手に取る勇気がなくてそのまま“封印”していましたが、やっと記憶が薄らいできたので読むことにしました。
地球人が移住した「新世界」という惑星。ぼく(トッド・ヒューイット)が住むのはプレンティスタウンという惑星唯一の町。住むのは男だけ。この星の原住民(スパクル)との戦いで撒かれた細菌のため、男は思考を「ノイズ」として撒き散らかすようになっていました。大人たちの薄汚いノイズに包まれて成長してきたトッドは,ある日「ノイズがない空間」を発見し、さらに(町にいないはずの)少女ヴァイオラに出会ってしまいます。ところがトッドは町を追放され、命を狙われることに。トッドは、ヘイヴンという平和な町があることを知り、そこを目指します。しかしそこで待っていたのは…… が『心のナイフ』のあらすじ。
そして本書は「終わり」という章から始まります。
ヘイヴンはニュー・プレンティスタウンになっていました。プレンティスタウンの首長が占領していたのです。捉えられたトッドは拷問を受け、銃で撃たれたヴァイオラの命を救うこととひきかえに、首長の下で仕事(スパクルの監督)をすることを承知します。首長(今は総統と自称)は「ノイズ除去薬」を手に入れ、その思考を読むことができなくなっていました。
占領された町で、トッドとヴァイオラはバラバラにされ、お互いを求め続けます。トッドはプレンティスタウンからの逃避行で、スパクルを一人殺していました。そのことが心の傷になっています。そしてヴァイオラも自分のせいで町の女性が一人死ぬことになってしまいました。
ヴァイオラは「新世界」への植民船団の先駆けでした。それを迎える側は当然それぞれの思惑で動きます。やっと二人は出会えますが、それは総統の罠でした。ヴァイオラが持っている秘密をトッドに伝えたら、それをトッドのノイズから暴くことができる、という思惑です。
町は戦争状態になります。仕掛け爆弾が次々爆発し、ついで誘導弾が。その混乱の中、ヴァイオラは脱出を図ります。目指すは、町を襲う「アンサー部隊」。しかし、「アンサー(答え)」の前に「問い(アスク)」が必要なはず。では、どんな問いが?
「因果関係」と簡単に言いますが、「原因」と「結果」はそんなに簡単に言えるものではありません。
たとえば戦争では、原因よりは結果の方がはっきりしています。ただ、時には、結果の方も原因に負けず劣らず曖昧模糊としている場合もあります。
【ただいま読書中】『ごみと日本人 ──衛生・勤倹・リサイクルからみる近代史』稲村光郎 著、 ミネルヴァ書房、2015年、2200円(税別)
江戸の「ごみ」は、17世紀半ばから18世紀前半までは深川の海岸に埋め立てられましたが、あとの時代は基本的に田舎に引き取られていました。有機物が主体のごみは、屎尿とともに、重要な肥料の原料だったのです。ほとんど鎖国状態ですから、「リサイクル」をきちんと実行しなければ国が成り立たない状態だった、と言って良いでしょう。ごみ収集は世襲の鑑札を受けた専門業者が行いました。船で運びやすい場所ではごみを業者に売ることも可能でしたが、そうでない場所ではお金を払ってごみを引き取ってもらっていました。このシステムが維新で崩れ、「ごみ利権」をめぐって汚い争いが起きることになりました。
コレラの流行は、社会不安を引き起こしました。ここで「衛生」がそれまでの「養生」という意味を捨て「疾病予防」の意味を与えられて登場します。明治になってから最初にコレラが流行した明治10年、東京からごみが搬入されていた千葉県は搬入禁止を宣言。東京警視本署は(当時は厚生省はなくて、警察が「衛生」も担当していました)、「ごみは遠隔の地に運ぶか空き地に埋める」よう通達を出しました。
明治の初め、日本の重要な輸出品に「ボロ布」がありました。西洋では洋紙の材料としてボロ布を用いていたのです。興味深いのは、途中の船中で出火することがあったことです。日本では「藍」は貴重品だったため、生石灰をつかってボロ布から藍を回収していました。で、ボロ布に残った生石灰に水が反応して出火することがあったわけです。ちなみに、ボロで大儲けするから「ボロ儲け」。
紙屑もリサイクルされていました。ただ「紙屑買い」は真っ当な商売ですが、「紙屑拾い」は怪しげな人間扱いだったそうです。
製紙業が盛んになり、ボロ布が足りないため、木材パルプや稲わらも活用されることになりました(麦わらは麦わら帽子などに需要があり高かったそうです)。そこで古俵や古かますも回収されるようになりました。稲わらは俵などに使われても最終的には肥料として田んぼに還元されていましたが、それが田んぼに戻らなくなったため、新しい肥料が必要となりました。何かが変われば波及的にいろいろ変わります。
大正時代まで、東京湾は、広島には負けますが、松島とは並ぶ牡蠣の大生産地でした。当然牡蠣殻も大量に出ますが、それを焼いて水をかけてできる消石灰は「カキ殻灰(貝灰)」として江戸時代には主に漆喰生産に用いられていました。明治になると、レンガ・モルタル・セメント製造などで石灰の需要は急増します。石灰岩がその需要を満たしたため、貝灰業者は衰退していくことになりました。そういえば私が子供の頃には牡蠣殻は廃棄物扱いで山積みで放置されていましたが、あれはかつては「資源」だったんですね。
「糠」もリサイクル商品でした。江戸時代には糠袋などにも用いられますが、圧倒的に消費されたのは肥料です。リン酸肥料として重要だったのです(カリ肥料としては植物の灰が用いられました)。もちろん江戸時代に「リン酸」「カリウム」なんて言葉はありませんが、経験的にその効果は知られていました。だから「かまどの灰」も収集されていました。
明治は流行病の時代でもありました。明治23年にコレラの死者は3万5千人、赤痢や腸チフスの死者も多数出ています。明治32年にはペストも流行し、東京市は「清潔法」を実施しました。これは要するに「大掃除」です。明治33年にはネズミの買い上げ制度も始まります(一匹5銭ですが、もりそば1杯が2銭の時代です)。同年帝国議会で「汚物掃除法」が成立。これは汚物(ごみ、汚泥、汚水、屎尿)を都市の外に排除するための法律でした。京や大阪では役所が民間収集業者を監督していましたが、東京では丸投げでした。だからこの法律は国が東京に「きちんと行政がごみ収集に関与しろ」と迫った法律とも言えます。ただし屎尿は「肥料として売れる」ため収集に協力する家庭は少なく、法律は屎尿に関しては機能しませんでした。ところがそのため、後日肥料としての価値がなくなったときには収集ができず、不法投棄が横行することになります。
ついでですが、ペスト流行の原因がネズミ、という話が広がると、殺鼠剤が家庭に普及しましたが、それによる自殺も急増しました。また、昭和のはじめには、鼠の死骸を路上に放り出すことが当たり前となり、路上の鼠の死骸は「大東京名物」とまで言われました。またそれをトビが餌として食べていましたが、おそらく殺鼠剤のために東京でのトビの数も激減しています。
明治の「衛生」に関しては「排除」(目の前からなくなればよい)が基本姿勢でした。鼠の死骸を家から外に放り出すのもそれに因ります。ついでに「貧民は不衛生」だから社会から排除しろ、という議論もありました。ある意味「首尾一貫している」とは言えます。
ともあれ東京市は、指定業者にごみ収集を請け負わせようとしました(東京市は監督業務だけ)。ところがこれが一大汚職事件に発展します。明治末に東京市はとうとう直営事業としてごみ収集を始め、千葉県が引き取りを拒否するようになったため、主に埋め立てで処分するようになります。
明治中ごろから「廃物利用」運動もありました。戦前のリユースです。ただし「もったいない」とポジティブに評価する人もいれば「けちくさい」とネガティブに評価する人もいました。女子教育では「廃物利用(倹約主義)」が「良妻賢母」と結合されましたが、それを厳しく批判したのが与謝野晶子でした。
第一次世界大戦後の成金景気は、ごみの増加ももたらします。そのためリサイクルは多様化しました。この時代には「江戸の名残」と「近代工業化」が併存していたのです。紙屑は収集されて製紙業者で利用され始めます(この動きが本格的になるのは昭和になってから)。
「新しい廃棄物」も生じました。たとえば「震災瓦礫」、「公害(工場からの廃棄物)」、そして「屎尿(肥料として使われなくなり、都市部では廃棄物になったのです)」。瓦礫は焼却や再利用が行われましたが、公害と屎尿では「排除の理論」が活躍します。足尾鉱毒は「衛生」ではなくて「政治問題」とされましたし、屎尿では「隅田川の色が変わる」と言われました。最終的には「海洋投棄」が選択されましたが、それは「湾内」でした(そういえば瀬戸内海に面した府県は高度成長頃まで瀬戸内海に投棄していましたっけ)。
日中戦争が始まり、軍事行動の一環として廃品回収が位置づけられます。時局に便乗して「仏具」「蚊帳の吊り輪」なども収集されました。何の目的だったんでしょうねえ。そういえば「貴金属の供出」「戦時ダイヤモンド」も目的がよくわかりませんが。戦前にはアメリカから大量の鉄くずを輸入していましたが、これは国際的なリサイクル運動と言えるのでしょうか。戦局がさらに厳しくなると「特別回収」として全家庭の金属を根こそぎ供出させる運動が始まりました。使われたのは町内会。隣組で相互監視をおこない、“協力”することを半強制しました。橋の欄干や銅像も撤去されましたが、銅像に関して、東京以外の府県は90%程度の撤去率だったのに対して、東京は10%くらいだったそうです。
焼け跡には、ごみ収集などはありません。したがって、ごみと屎尿が散乱することになりました。日本はそこから再出発したわけです。
江戸と明治を区別するキーワードが「排除」だというのは、本書で得た重要な発見です。戦後の日本の行政もまだ「排除」で動いているようです(原発のごみ(放射性廃棄物)などその好例でしょう)。一つ一つの政策ではなくて、その背後を貫くキーワードを見逃さないようにしていないといけない、と感じさせてくれる本でした。
富山市議会で「潔く辞任をする」なんてことをインタビューで言っていた人がいましたが、有権者が議員に求めるのは「潔さ」ではなくて「清潔さ」では?
【ただいま読書中】『ジャイアンツ・ハウス』エリザベス・マクラッケン 著、 鴻巣友季子 訳、 新潮社、1999年、2400円(税別)
時は1950年。
語り手は図書館司書のミス・ペギー・コート、人間嫌いでロマンスとは縁がない25歳。細部が非常に気になってそれに注釈をつけたくなる性格です。
彼女が「彼」に出会ったのも、図書館。小学校の行事で図書館訪問にやって来た一行の中でひときわ目立つ少年だったのが、彼、ジェイムズ、11歳。巨人症ですでに大人より身長があるのに小学生の恰好だから、目立ちます。もっともミス・コートが見つめたのは、彼の髪の毛の色・きれいな爪・シャイな性格……何より重要なのは、彼が本好きで、司書を尊敬していたこと。
そして、司書は少年を愛するようになります。
こうまとめると「奇形の愛」といった雰囲気が漂いますが、本書はちょっと違います。ペギーは淡々と、自分でさえ客観視して時の経過と二人の変化を描写します。
季節はめぐり、ジェイムズは190cm、210cmとどんどん大きくなります。今だったら「脳下垂体の異常」「手術」と言えますが、1950年代にはまだそこまで詳しくわかっていなかったのでしょう(「脳下垂体」という言葉が出現するのは、本書の後半になってからです)。ジェームズは苦しみ、ペギーはその苦しみを見守ります。まるで本を慈しみながら読むように。そして私はペギーの人生を本を読むように読みます、というか、本を読んでいるのですが。
ペギーは“真相”を知ります。ジェイムズは早世することを。そして、ジェイムズ自身、そのことを知っていることも。まだティーンエイジャーなのに。その瞬間、ペギーは「自分に人を愛する力があること」に気づきます。この第1部の終わりの1ページとちょっとの心理描写は、静かで迫力があって、ここを読んで人生が変わる人がもしもいたとしても不思議ではない、と私は感じます。
ジェイムズの身長はついに245cm。「世界一のノッポ少年」となります。いや、当時としては「世界一のノッポ人間」かもしれません。そして、いつの間にか「有名人」になってしまいます。ペギーは、見物や計測に訪れる人たちのことを、これまでと同じく淡々と冷静に容赦なく評します。そしてサーカスへ。見物に行ったわけではありません。見物されるために行ったのです。
二人はお互いの愛を確認し、でも結婚やセックスはせず、ジェイムズは死に、彼が住んでいた特注の離れは「ジャイアンツ・ハウス」となり、そしてペギーは「ジェイムズの子」を生みます。いや、なんともびっくりの急展開です。そして、ジェイムズが急死したように、物語はぱたんと終わります。
身長の差・社会的位置の違い・年齢の差などからどう見ても「お似合いではないカップル」の愛を扱った、なんとも変わった「ロマンス」です。読み終えてもなんだか落ち着かない奇妙な気分です。ただ、「自分はなぜ落ち着かないのだろう?」と考えることができる、良い本です。
先日NHKで「貧困層は病気がちで平均寿命が短い。これは社会問題だ」という番組をやっていました。そこで視聴者からの声に「自分で好き放題の生活をしてそれで健康を害したのだから、自己責任だ」というものがありました。
たしかに「良い」「中立」「悪い」が選べる状態でわかっていて「悪い」を選択し続けて不幸になったのだったら、それは「自己責任」でしょう。
でも、「選択の余地がほとんどない状態」でしかも選択肢が「悪い」「より悪い」「ひどく悪い」の中からしか選べない状況に追い込まれた人が、どんどん悪い状況に陥って不幸になった場合、それは「自己責任」でしょうか? 個人をそんな状況に追い込んだ社会にも責任があるのでは?
で、貧困層の人の目の前に(「自己責任」が問える)「良い」の選択肢がどのくらい置いてあります?
ところで、「自己責任だ」と主張する人が自分や家族が病気になった場合、かかった医者が「これは自己責任だ」と冷たく言い放ったら、何の反論もせずにそのままその言葉を受け入れるのかな?
【ただいま読書中】『呉越舷舷』塚本靑史 著、 集英社、2004年、1700円(税別)
時代は春秋末期(紀元前5世紀ころ)、本書の舞台となるのは「呉」(現在の上海あたり)、「越」(その南方)、「斉」(現在の青島あたり)、「楚」(長江の中流)などです。
ロシア文学は人名で苦労しますが(やたらと長くて覚えにくいし愛称が本名と全然違うから)、春秋戦国時代の物語もいろいろ読むのに苦労があります。人名が一族でよく似ているし、人びとは亡命や移動で国から国へ動きまくります。さらに国同士も組んだり裏切ったり関係が複雑で、そこに現在の陰謀と過去の恨みとが絡んできます。だから読んでいる内に誰が何を企んでいるのかわからなくなってきます。その辺の整理が上手だったのが陳舜臣さんや宮城谷昌光さんですが、さて、本書はどうかな。
兵法家として有名な孫武(孫子)のエピソードに「呉の後宮で女官たちに軍事訓練を行い、命令に従わなかった愛妾を軍令によって斬った」というのがありますが、著者はそこに「裏の事情(孫武が斬らなければならないわけ)」を設定しました。そこから本書は始まります。ところが孫武はさっさと殺されます。楚から呉に亡命した伍子胥(ごししょ)は呉の軍勢を率いて楚に攻め込み、復讐のために「死者に鞭打」ちます。それを冷静に見ていたのが越の軍師范蠡(はんれい)。彼は中華からは南蛮の地と見なされる越で間者を育て戦争の準備に余念がありません。その間者の一人に絶世の美女西施(せいし)がいました。范蠡は西施を越の太子勾践(こうせん)に近づけます。実は、本書の冒頭で孫武に斬られた西夫人も范蠡が呉に送り込んだ間者で、西施の母親だったのです。
越の王が危篤となり、それを好機とみた呉は侵攻を計画します。しかし越の范蠡は奇策でそれを迎え撃ち、逆に呉王を殺してしまいます。後を継いだ夫差は復讐を誓い、薪を寝床に敷いて眠ります。「臥薪嘗胆」の前半部分です。そして会稽の会戦でこんどは呉が大勝。気をよくした夫差はこんどは北方に視線を転じ、覇者になることを夢見始めます。その頃越では「臥薪嘗胆」の後半部分が進行していました。
呉と越にさらに別の国々がからんだ国際的な陰謀の渦の中に颯爽と登場するのは子貢(孔子の高弟)です。諸子百家は誰でも陰謀に関係していた(そしてその実績でどこかの国に自分を高く売り込もうとしていた)のですが、この策士ぶりはちょっとやり過ぎのようにも感じました。小説としては面白いんですけどね。
越と呉をさ迷う薄幸の美女西施は「顰みに倣う」の成立にかかわっているそうですが、本書では最後にはなんとかそれなりのハッピーエンドを迎えることができました。血なまぐさい戦乱の世の物語ですが、救いがひとつはあってほっとしつつ、私は巻を閉じます。
「しっかり」「しっかり」「しっかり」……何回言うつもり?
「緊張感を持って」……だらけないでやるのは当然でしょう。
「スピード感を持って」……そういうことを言っている暇にさっさとおやんなさい。
【ただいま読書中】『ジハーディ・ジョンの生涯』ロバート・バーカイク 著、 野中香方子 訳、 文藝春秋、2016年、1900円(税別)
2014年8月7日、アメリカのオバマ大統領はイラクの「イスラム国(IS)」への空爆を許可します。それに対してISは人質のアメリカ人ジャーナリストを処刑(ナイフで斬首)しそのビデオを公開することで報復しました。処刑者は英国訛りの英語を喋る「ジハーディ・ジョン」。マスコミはその正体を暴くことに熱中します。まるで「他に重要なことはない」と言わんばかりに。著者はそういった騒動から距離を置いていましたが、ふとしたことで自分が5年前に「ジハーディ・ジョン(本名モハメド・エムワジ)」と会っていたことを思い出します。ただ、当時著者が取材をしていたのは、警察とMI5に嫌がらせをされている多数のムスリムで、エムワジのその中の1人で強い印象は残っていなかったのです。
英国の若いムスリムの多くは、「イギリス人」としてのアイデンティティーとイスラムへの宗教心とに折り合いをつけることに苦労していました。さらに外部からの嫌がらせや脅しが彼らにつきまといます。それでも彼らのほとんどは“真っ当な青年”だと著者は評価しています。国際テロリストになるのはごく少数。では「ジハーディ・ジョン」はなぜ誕生したのか。著者はその謎を追い始めます。
クウェートには「ビドゥーン(無国籍者)」と呼ばれる少数派(約20万人)の人びとがいて、迫害を受けていました。イラクのクウェート侵攻でビドゥーンの中にはイラクに協力した人がいたため、湾岸戦争後にビドゥーンに対する弾圧はますますひどくなります。そのため難民として他の国に逃れる人もいました。その中にエムワジの一族も含まれていました。イラクに協力したから迫害された、と主張しそれが証明できたら難民認定は容易です。しかしモハメド・エムワジの父は「忠実なクウェート国民であろうとした」と主張したため、認定には3年もかかりました。
エムワジは小学校で唯一のムスリムでした。英語はまだ苦手で、自意識過剰のうち解けにくい少年だったようですが、将来の夢はプロサッカー選手で校庭を走り回る“普通の子供”でもあったようです。名門中学では、いじめられるという問題がありましたが、教師には理性的で勤勉な姿を、友人とは享楽的なティーンエイジャーの生活(不良のラッパーの服装をし、喧嘩・飲酒・マリファナなど)を楽しんでいました。厳格なムスリムとは全然違う生活態度です。それがどこでイスラム過激思想に出会ったのか。著者はエムワジの親友モハブ・サクルの兄モハメドが過激派であることに注目します。
無政府状態だったソマリアをとりあえずまとめたのは様々な集団が結合した「イスラム法廷会議(ICU)」でした。しかし平和はつかの間、ICUでは過激な強硬派が実権を握り厳格なイスラム法を民に押しつけ隣国エチオピアを脅かすようになります。2006年夏エチオピアはソマリアに侵攻、ICUは分裂し、強硬派は「アルシャバーブ(若者)」という過激派グループを組織します。アルカイダも軍事キャンプをソマリアに設置、ジハードの呼びかけに応じて、各国の若者がソマリアを目指しました。その中で、訓練後にロンドンに戻った人たちもいました。当然そういった動きは情報機関の関心を呼びます。
大学でエムワジは宗教に熱中、それに反比例して学業の成績は落ちていきました。英国在住の過激派の聖職者がそれに拍車をかけます。特にカリスマ性のある伝道者は若者を魅了しました。その説教では「テロ」は世間とは別の意味を持たされます。こうして英国内外にテロリスト(候補者)のネットワークが構築されていきました。
MI5は、テロ対策として、テロリストの摘発と同時にスパイを組織に潜入させる(スパイのリクルートの)ため、怪しいとにらんだ若者に片っ端から圧力をかけました。そのため本物のテロリストが摘発できた場合もありましたが、無実の人間を苦しめただけの場合もありました。社会から敵意を向けられた人びとは,ムスリムコミュニティに救いを求めました。そしてそこに「敵意を向けた連中に復讐しようぜ」という誘いと行動に踏み切るための宗教的「大義」を準備している連中が待ちかまえていたのです。
エムワジの人生は厳しくなります。休暇を海外で過ごそうとすると、身分証明を見せないMI5職員(自称)に拘束されテロリストと決めつけられ脅迫され家族の安全を考えたら自分たちに協力しろと要求されます(隠し撮りの録音テープを著者は聴いています)。それにしても、タンザニアでサファリをしようとしたらそれがソマリアでテロをするためだ、とMI5には見えるのですから、私は目をぱちくりです。さらにMI5はエムワジの婚約者の家に押しかけ破談に持ち込みます(それも2回)。どうやらこの辺からエムワジは「正義(または復讐)」を求めるようになったようです(あるいは大学の時からその素地はできていて、だからこそMI5がそこまで執拗にエムワジにつきまとっていたのかもしれません)。エムワジはクウェートで就職、しかし歯の治療にロンドンに戻ったエムワジは、クウェートに戻ろうとするたびに空港でMI5に妨害され続けることになりました。公的なルートで苦情をいくら申し立てても無駄。とうとうメディアに実情を公表しようということになります。ここで指名されたのが、著者でした。著者は言います。当時自分が会った多くの若者はテロには興味がなく「天秤の中央」にいた。そこから何人かは過激派に傾き、何人かは逆の方向に進んだ、と。そして著者は自問します。この時「エムワジの記事」を頑張って新聞に載せていたら、「ジハーディ・ジョン」は誕生せずにすんだのではないか、と。
方法は不明ですが、ついにエムワジは出国に成功。両親にはトルコに行く、と言っていましたが、実際にはシリアで軍事訓練を受けていました。ISから見たら、新規入隊の外国人にはスパイの疑いが常につきまといます。だから基本的に外国人は使い捨て要員です。しかしエムワジは優秀な戦闘員として頭角を現しました(脱出した戦闘員がそういった証言をしています)。さらに、英国に個人的恨みを持ち、アラビア語と英語が堪能でコンピューターも操作できるのですから、ISから見たら使い勝手が良かったことでしょう。
ISは人質に拷問をしていました。それはグアンタナモでアメリカが行っている拷問を真似たようなものでした。さらに人質はグアンタナモと同じオレンジ色の囚人服も着せられます。もしかしたら真似ることで「ねじれた正義の実践」を行っているつもりだったのかもしれません。そしてエムワジは人質の監視の仕事に就くことになります。さらには、世界を震撼させた「斬首」動画にも次々と登場。
「ジハーディ・ジョン」がイギリス人であることはすぐにわかりましたが、その正体は長く謎でした。BBCがついに正体を掴んだ瞬間が、本書の冒頭です。
著者は混乱します。記憶から蘇ったのは「礼儀正しく控え目で、MI5の嫌がらせのせいで結婚を2度もだめにされた英国の若者」で、それがすぐには「ジハーディ・ジョン」とは重ならなかったのです。
ISはジハーディ・ジョンを表舞台から隠しますが、結婚している、という情報によって居場所が特定され、ドローン(英米の偵察型と、米の攻撃型プレデター)がミサイル攻撃することでエムワジを処刑しました。
今フィリピンで「麻薬」とレッテルが貼られたらどんな人間でも裁判抜きで死刑にすることが許されていますが、世界中では「テロリスト」とレッテルが貼られたら裁判抜きで死刑にすることが許されているようです。でも、もし私にそんなレッテルを貼るのだったら、せめて抗弁の機会は与えて欲しいなあ。
著者は不気味な言葉で本書を閉じます。ジハーディ・ジョンは死んだが、その替えはいくらでもいる、と。しょせんISでは「使い捨て」ですからねえ。……いや、「使い捨て」という点では、西欧でも同じ扱いだった?