私は小学生の夏休みの宿題で「自由研究」というお題を毎年出されていて、苦労しました。だって、普段からそんなことをやっていないんですもの。普段自由に研究する習慣がない人間が「夏休みだから」という理由だけで「さあ夏休みだ。自由に研究をしろ」と言われても、何をどう研究してどうまとめたら良いのか、わけわかんないでしょ?
もっとも教師の方も、毎年毎年生徒の数だけ指導をするのは、大変でしょうけれどね。だから「自由(放任)」だったのかな?
【ただいま読書中】『進撃の巨人 23』諫山創 作、講談社、2017年、463円(税別)
前巻でエレンたちは「海の向こう」には「敵」がいることを知りました。その敵について、本巻で描写されます。
エレンたちにとって巨人は究極の恐怖の対象でした。しかし、この「世界」では「巨人兵器」としての扱いです。たしかにその威力は絶大ですが、技術の進歩によって巨人を倒す通常兵器も開発されています。エレンたちの兵器テクノロジーがほとんど中世レベルであったのと、対照的です。
さらに「巨人の力」をめぐっての「正義」が、非常にややこしくなっています。「正義の反対側」もまた「別の正義」だったりするのです。
「指輪物語」では「指輪」は核兵器のアナロジー、という読み方がありますが、さて、本シリーズでの「巨人」は何かのアナロジーなのでしょうか? アナロジーだとしたら、この世界の、何?
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