【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

表現の不自由

2019-08-10 07:29:05 | Weblog

 展覧会が暴力的に中止に追い込まれたということは、日本には表現の自由はない、ということが証明されたということになりそうです。「こんな変な表現をしている人がいるよ」と実物を前に笑うチャンスもない、ということにもなるんだなあ。

【ただいま読書中】『張衡の天文学思想』高橋あやの 著、 汲古書院、2018年、9500円(税別)

 古代の世界では西洋でも東洋でも、天文学は「暦」の基準であり、かつ、占いの手段でもありました。規則正しい天体の運行に時にそれを乱すもの(惑星の動き、彗星、流れ星、日食や月食、超新星爆発など)が出現することが、この世界の在り方が空に反映されているように思えたのでしょう。科学と占いが同時に存在するとは、面白いものです。ちなみに「天文」とは「天の文様」のことで、「地理」と対になる言葉です。
 古代中国では「天帝」による「天命」が地の支配者「皇帝」の正当性を保証するものでした。だから為政者の重要な仕事は「天の祭祀」です。同時に天体観測を行って暦を作ることも権力者の仕事でした。
 本書の“主人公"張衡(西暦78〜139)は後漢の科学者・政治家・文学者として知られた人です。日本はまだ「魏志倭人伝」にも取り上げてもらえない弥生時代。そんなとき、中国では宇宙の構造について「蓋天説(天が笠のように地に覆い被さっている)」「宣夜説(宇宙は無限の虚空)」「渾天説(球形の天が地を包んでいる)」の三説が主張されていました。そういえば「宇宙」ということばは紀元前の前漢の時代の「淮南子」に登場していますし(ちなみに日本書紀の天地創造の部分はこの「淮南子」からのパクリです)、古代中国人の「天」への探究心はとても強かったのだな、と思えます。
 「渾」は「渾沌(こんとん)」という用法もありますが、天文学では「球」の意味で用いられていたようです。すると西洋での「天球説」と似ているのかな? ただ張衡が「地」を平面と思っていたのかそれとも球体と思っていたのか、については現在の学会では意見が割れているそうです。「天」を「卵の殻」、「地」を「黄身」にたとえた記述から「地球」説を唱える人もいますし、その記述は後世の注釈だから張衡の主張ではない(他の著書で「地は平」と書いてあるから「平面」だ)、と言う人もいるそうです。直接会って聞けたらいいんですけどね。
 張衡は「月は太陽の光で光る」ことを正しく認識していましたし、さらに「地球照(地球からの反射光で、月の欠けた部分がぼんやりと光る現象)」も正確に理解していました。科学的な観察に優れています。
 占いに関して、張衡は星座を「中央」と「四方」の5つに分類していました。五行の思想からは当然の分類に思えます。
 著者は「張衡の思想の中身」に注目して欲しいのでしょうが、私は「2000年前にこんなことを言う人がいた」こと自体に衝撃を受けています。望遠鏡もなしに宇宙についての観察と思索を実行できたのは「偉業」だと思えるものですから。こんなざっくりした感想で、著者にはごめんなさい、ですが、素人なので許してね。