【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

読んで字の如し〈金ー9〉「鎌」

2011-08-31 18:47:02 | Weblog

「鎌をかける」……体に鎌を近づけて白状させる
「鎌鼬」……加速装置が付いたイタチ」
「鎌倉」……鎌専用の倉庫
「いざ鎌倉」……新しい観光キャッチフレーズ
「片鎌槍」「両鎌槍」……続けたら早口言葉
「中臣鎌子」……藤原鎌足と同一人物
「草刈り鎌」……首や腹を切ってはいけない
「鎖鎌」……鎖のストラップがついた鎌

【ただいま読書中】『野生の白鳥』モニカ・スターリング 著、 福島正実 訳、 早川書房、1975年、1700円

 「アンデルセンの物語」は世界中でよく知られています。「人魚姫」「マッチ売りの少女」「雪の女王」「みにくいアヒルの子」……まだまだまだまだ。では「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」については? そこをうまくついたのが、ミュージカル「ハンス」でした。
 「ハンス」は1805年、デンマークのオーデンセで生まれました。コペンハーゲンから馬車と船で2日半もかかる人口5000の都市では、キリスト教より古い神々が“生きて”いました。その世界でハンスは、空想的な靴屋である父親から芝居や読書の楽しみを教えられます。学校でハンスは“問題児”でした。空想癖があり神経質で痙攣性の発作をよく起こしイジメの標的でした。しかし、“恩師”のカルステンスとの出会いによってハンスは教育と思いやりを得ます。精神障害を持っていた父は早く死に、母はアル中となります(そのことは自伝には一切触れられていません)。不幸な生い立ちは、ハンスに「人に愛されたい」という強い衝動を植えつけます。しかしそれは、愛される美点であると同時に、ある種の人間からはつけ込みやすい弱点でした。
 ハンスは美声の持ち主で、歌や朗読を地方貴族たちに愛されます。“パトロン”の登場です。それは極貧生活の向上はもたらしませんでしたが、ハンスに“情報”をもたらしました。コペンハーゲンには大きな劇場があり、そこではバレエというものが上演されている、と。14歳のハンスは単身コペンハーゲンに出ることを決意します。「芸術家になる」という熱意だけであちこちに自分を売り込みますが、現実は厳しく……ところがちょっとした“奇跡”がおきます。シボーニという王立声楽校長にレッスンをつけてもらえるようになったのです。しかし歌手になる夢は潰え、ハンスはこんどは俳優になろうとします。それも駄目だと今度は舞踏家に。ハンスの夢はあくまで“芸術家”でした。しかし、その頃には彼が書くものに注目が集まり、友人たちはみなハンスに忠告します。教育をちゃんと受けろ、と。しかしハンスは教育など芸術家には不要のものと思い忠告に従いませんでした。ただ、歌・芝居・ダンスは、彼が作家になるための大きな踏台でした。でもその前にやはり「教育」が必要です。ハンスは王の奨学金を得て公立中学に通うことになります。
 やがてハンスは、変った詩を書くようになります。デンマークで最初の、口語体を用いた散文でした。同時に大学へも進学。「書きたい」という欲求は抑えきれず、ついに『ホルメン運河からアマーゲル島東端までの徒歩旅行』という処女作を出版。そこにきらめく才能とロマン主義の魅力と芸術家の内面そのものとが、人々を魅了します。そして、イタリアへの長期旅行によって、「ハンス」は「アンデルセン」になります。いよいよ「アンデルセンの作品」が次々と生みだされるのです。
 「旅」は、アンデルセンにとって「避難」であり「創造の源」でもありました。アンデルセンの人生はほとんどが「旅」だったと言っても過言ではないでしょう。本書でいかに彼が動き続けたかを読む人は、皆驚くはずです。そして、「アンデルセンの童話」には「アンデルセンの人生」が色濃く投影されているのです。

 19世紀は「科学の世紀」でした。だから私の大好きなジュール・ヴェルヌが登場します。しかし、それと同時に19世紀はまだ「神話の世紀」でもありました。その神話世界にどっぷりと浸かって育ったアンデルセンが自らの言葉で新しい「神話」を語り始めたとき、「19世紀」は変容し始めた、と言えるでしょう。ただ、アンデルセンの生涯はあまり幸福なものには私には見えません。故国での喝采を単純に求めるのにそれがなかなか得られず、それが得られる外国へ旅行してもやはり真の満足は得られず、愛する女性からは拒絶しかもらえず、結局、肉体的にも精神的にも、放浪を繰り返している人生に見えるのです。その人生の陰影を重ねると、「アンデルセンの童話」にはこれまでとは違った味わいが生じるかもしれません。



好きな人

2011-08-30 18:54:18 | Weblog

 若い二人がつきあい始めて微妙な時期になったときに「今、好きな人がいる?」という、いわば“打診”の質問が出てくることが、私の若い頃には結構“定番コース”でありました。質問する側からしたら「自分に望みがあるかどうか」を知りたいのでしょうが、さて、その答えの解釈が、微妙です。もし「いない」だったら、要するに「現時点ではあなたのことも好きではない」ということになってしまいます(未来は不確定ですが)。逆に「いる」だと、これで望みなしかと言えば実はそうではありません。「好きな人 = あなた」の可能性もあるのですから。

【ただいま読書中】『拳闘士の休息』トム・ジョーンズ 著、 岸本佐和子 訳、 新潮社、1996年、1748円(税別)

 目次:PartI「拳闘士の休息」「ブレーク・オン・スルー」「黒い光」
PartII「ワイプアウト」「蚊」「アンチェイン・マイ・ハート」
PartIII「“七月六日現在、当方自らの債務以外、一切責任負いません”」「シルエット」「私は生きたい!」
PartIV「白い馬」「ロケット・マン」

 まずは表題作で、ジャブではなくて“ストレート”を読者は食らいます。
 ボクサーで海兵隊員。それも偵察隊でベトナムで勲章を受けた“俺”が主人公なのですが、単なる“体育系”ではなくて、ショーペンハウアーを愛読し、古代ギリシアの彫刻「拳闘士の休息」について熱く語る教養を持っているのです。その彫刻のモデルだろうと言われるテオジニスが行なっていたボクシングは、固い皮を巻き付けた拳で、相手が死ぬまで殴り続ける野蛮な競技でした(そういえば、パンクラチオンも古代は相手が死ぬまで行なうレスリング(+ボクシング)でしたね)。もちろんリングなんかありません。そして“俺”が戦うのも、“リング”のない世界です。まずは海兵隊訓練キャンプ、ベトナム、そして、自分の家庭。“俺”は常に戦い続けているのですが、この“拳闘士”に「休息」はあるのでしょうか。もしかしたら“それ”は……死?
 「ブレーク・オン・スルー」にも、「拳闘士の休息」とそっくりのエピソードが登場し、著者のベトナム時代の体験が反映されているのか、と思ったらそれが大外れ。そして、ここでの“戦い”には、武器を持っての戦闘や拳での殴り合いもありますが、実は“ノックアウトパンチ”は「ことば」だった、というオチ(のようなもの)がついています。
 「海兵隊」「ボクシング」「ベトナム」という共通項で括られたPartIのあとに、そういったものとはまったく無関係な作品が登場します。PartIIの共通項は「病気」というか「ビョーキ」かな。登場する人たちの行動が、どれも病的な色彩が濃厚なのです。
 PartIIIでまた「ボクシング」が帰ってきます。ただしPartIとは違って、舞台の“背景”に退いた小道具として、ですが。また、これまでの作品で基調にずっと流れていた切なさややりきれなさに、このパートではユーモアがかぶせられます。おやおや、これは私の好みです。ただ、「私は生きたい」はPartIIに入れた方がよかったのではないかなあ。
 そしてラスト。これまで「ボクシング」は「人が行なう行為」としての存在でした。しかしここでは「ボクシング」が「人」を含んでしまっています。「人のボクシング」ではなくて「ボクシングの人」と言ったらいいかな。著者にとって、ボクシングはそこまで大きな存在だ、ということなのかもしれません。

※昨年1月8日に読書日記に書いた『イラク博物館の秘宝を追え』の著者マシュー・ボグダノス大佐も、「ボクシング/古典/海兵隊」を兼ね備えた人でした。世の中には本当にいろんな人がいるものです。



生き残りの子孫

2011-08-29 19:12:53 | Weblog

 大洪水を生き残った唯一の人類、ノアの一族は、ユダヤ人ですよね?  すると、私もあなたも、ユダヤ人の子孫?  をを、人類は皆兄弟。

【ただいま読書中】『忘れられた兵士 ──ドイツ少年兵の手記』ギイ・サジェール 著、 三輪秀彦 訳、 早川書房、1980年、1400円

 パウル・カレルの『捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路 』に、敗戦が近づくにつれてナチスがローティーンまでも「国防軍」として動員したことが書かれていました。「戦争に負ける」とは、こうやって本来は保護されているべき若い世代までもが根こそぎ殺し殺される体験をすることなんだな、と思いましたが、ではハイティーンだったら良いのかと言えばその答えはやはり「否」でしょう。
 本書の著者は、フランス人の父とドイツ人の母の間に生まれ、育った地のアルザスが14歳の時にドイツ軍に占領されることで身近に見るようになったドイツ国防軍に憧れを感じるようになり、16歳でドイツ軍に身を投じます(アルザスは複雑な地域です。ドイツでもありフランスでもあるのですから)。ポーランドで訓練を終えた中隊(300人の中に18歳以上の者は皆無)が配属されたのは東部戦線でした。ミンスクから(すでに地獄と化した)スターリングラード第6軍への輸送任務です。無邪気に体を鍛え戦闘訓練を受けていた若者たちは、そのままウクライナの広大な雪原(摂氏マイナス37度!)に放り込まれます。スターリングラードのドイツ軍は降伏し、著者のいる場所が突然「最前線」になります。川を隔てての撃ち合い、そして退却。ほんのちょっとの差で銃弾が自分をそれ、しかしそれが隣にいた親友の頭を砕いたとき、著者は「シニカルな17歳」になります。
 混乱の中の退却戦のあと、著者は輸送兵から歩兵に志願します(「志願」と言っても、半強制的なものでしたが)。そして、わけのわからないまま、独逸軍の反攻で再度ロシアの大地へ。そのときには、新兵としてヒトラーユーゲントの若者たちが大量に投入(そして大量に殺戮)されました。そしてまたソ連の反攻によって退却。そこで予備兵である「民族の嵐」が投入されますが、それは、60歳以上の者や少年兵(13~16歳)で構成されていました。彼らもまた「死者の名簿に加えられるため」だけに投入されたのです。メーメルで包囲され殲滅される寸前に著者らは最後の船で脱出できます。たどり着いたのはゴッテンハーフェン。そこで数日前に撃沈された「ヴィルヘルム・グストロフ号」の噂を聞きます(今年の6月12日に読書日記に書いた『死のバルト海』の話です)。
 本書を、「著者たちが大喜びでハイル・ヒトラーと言う場面がある」というだけで全否定する人がいたそうです。そんなことを言うのはナチで、ナチが書いた本など読む必要はない、と。しかし、「ドイツ人をすべてナチス扱いする」ことは「ソ連人をすべてアカ扱いする」「日本人をすべてイエロージャップ扱いする」「アメリカ人をすべてヤンキー呼ばわりする」「(女性差別者が)女はみんなアホだと言う」ことと同義でしょう。ジョン・ロールズは「戦争責任」に関して「指導者と要職者(政治家と上位の軍人)/兵士/非戦闘員である国民」を区別するべき、と唱えたそうですが、その意味が本書を通じてもわかる気がします。目の前の“義務”に忠実であろうとしたら、当時のドイツ人には、軍に身を投じること、「ハイル・ヒトラー」と叫ぶこと以外に、“国民”としての選択肢はなかったはずです。そのあと仲間内でいろいろ「あんなこと、言っちゃったよ」などとふざけていたとしても。
 著者は「勝者だけが物語を持っている。われわれ哀れな敗者は、取るに足らぬ臆病者であり、われわれの記憶、恐怖、熱狂は物語るに値しないものなのだ」と寂しそうに書いています。しかし、敗者の物語であっても、私にとって本書は「あり得たかもしれない“私の物語”」でした。もし私が当時のドイツ人だったら、やはり著者と同じ道を選んだかもしれないのですから。



連立

2011-08-28 18:08:20 | Weblog

 民主党党首選で「大連立」の是非が問題になっています。いまだに政治屋の視線は「国民」ではなくて「権力闘争」「国会対策」にだけ向いているんだな、という感じですが、「連立」というのなら「政治」と「官僚」の“連立”も必要なんじゃないです? それと、「霞ヶ関」と「国民」の“連立”も。それを欠いていたら政治屋同士が仲良しごっこをいくら面白おかしくやっていても、国民は幸福にはなれません。

【ただいま読書中】『鞍馬天狗』大佛次郎 著、 縄田一男 編、中公文庫ワイド版、2003年、4100円(税別)

 『鞍馬天狗』から「鬼面の老女」「黒い手型」「西国道中記」の三篇が収められ、さらに大佛次郎翻訳の『夜の恐怖』(金扇)、随筆の「鞍馬天狗と三十年」(大佛次郎)、最後に解説『「行動する思索者」鞍馬天狗』(縄田一男)、という構成です。
 「鞍馬天狗登場!」の「鬼面の老女」の出だしが名調子です。「春雨や綱が袂に小提灯。静けさはそれすらも既に遠いまでに、うっとりと暮れ行く京の春、降るともなく行人の袂を濡らす春雨は、空も畑も山も道も、一面模糊たる靄のとばりにくるんで、さながら千年の古都を夢の絵巻に忍ばせるのである。」
 声に出して読みたい日本語、です。というか、私は家族に読み聞かせてしまいました。
 日本ではおなじみの「仮面をかぶった正義のヒーロー」の原型と言える作品でしょう。仮面ではなくて頭巾ですし仲間やアジトもけっこう広く知られていたりするのですが、それまでは盗人や忍者が行なっていた「素顔を隠す」という行為に新しい意味を与えた作品です。今はそれが複数になって「なんとかレンジャー」になっていますが、私がまず思い出すのは月光仮面とか黄金バット(古い?)。隠密剣士や忍者部隊月光は顔はむき出しでしたね。
 時代設定も良いですね。幕末の激動期、各勢力が隠微な活動を盛んに繰り広げているのですから、鞍馬天狗の活躍の場に不足はありません。作品発表の大正期から振り返ってみる時間感覚は、ちょうど我々が第二次世界大戦当時を振り返ってみるのとほぼ同じくらいのはずです。つまり「まだリアルな世界」。
 鞍馬天狗の立ち位置は、勤皇派で、敵役は新撰組ですが、近藤勇とも不思議な縁があるようですし、たとえ勤皇派であっても鞍馬天狗のポリシーというか美学に反する行動をする者は鞍馬天狗の支援を期待できません。なかなか「スジ」の通った正義漢(徳川幕府から見たら“テロリスト”)です。その活躍ぶりは本を読んでみてください。気持ちよく背筋が伸びる感覚が味わえます。



自殺報道ガイドライン

2011-08-27 19:25:15 | Weblog

 WHOが「自殺報道に関するガイドライン」を出していることは、日本ではあまり知られていません。日本のマスコミがそのことについて報道しないこともその一因です。
自殺予防週間」(日本小児科学会)にそのガイドライン(オリジナルと日本語訳)が載っています。ガイドラインの目的は「報道の影響による自殺を予防する」こと。
 上記のガイドラインの中に「ウェルテル効果」ということばが登場します。『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)でのウェルテルの自殺に感化されて多くの若者が同じ方法で自殺した事例に基づく命名です。日本だったらたとえば岡田有希子の飛び降り自殺後、後追いまたは影響を受けたと思われる若者の飛び降り自殺が急増しましたっけ。古代中国では道家の思想によって多くの人が自殺をした、というのもありましたが、人の内部には何かのきっかけによって発動する「自殺のスイッチ」があるのかもしれません。だからこそその“スイッチ”をわざわざオンにしないようにする努力も社会的に必要なのでしょうが……
 引用は自由とのことなので、その最後の部分だけをここに引用しておきます。

何をするか、何をしてはならないかのまとめ
何をするか
・ 事実を示す際には、保健機関と緊密に協力する。
・ 自殺を「成功した(successful)」ではなく「既遂(completed)」と表現する。
・ 適切なデータのみを中面で示す。
・ 自殺に代わる方法を強調する。
・ 命の電話や地域の援助に関する情報を提供する。
・ リスクを示す指標と警告サインを公表する。
 何をしてはならないか
・ 写真や遺書を公表しない。
・ 自殺の方法について詳細に報道しない
・ 原因を単純化しない。
・ 自殺を美化したり、センセーショナルに報じない。
・ 宗教的・文化的な固定観念を用いない。
・ 非難をしない。

 日本のマスコミは、みごとにこのガイドラインに反した報道を繰り返し続けています。まるで“スイッチ”を押したくてたまらない、と言わんばかりに。だから「こんなガイドラインが存在する」こと自体も今さら報道できないのでしょうね。

【ただいま読書中】『若きウェルテルの悩み』ゲーテ 著、 斎藤英治 訳、 講談社、1971年、340円

 田舎で「旦那様」として優雅に過ごしていたウェルテルは、婚約者のいるロッテ(シャルロッテ)嬢に一目惚れをします。本書は、ウェルテルからその友人ウィルヘルムへの書簡集ですが、ウェルテルが筆まめなので(最初はほとんど隔日に手紙を書いています)、事態の進行に著者は容易についていくことができます。
 やがてウェルテルは、ロッテが自分を愛していることに確信を持ちます。しかしそこにロッテの婚約者アルベルトが登場。ウェルテルはアルベルトにはとても勝てそうもないと思いますが、ロッテをあきらめることもできません。ここでのウィルヘルムへの文章は、痛切です。表面上はアルベルトとロッテの中を祝福し、二人のよき友人として振舞うことが、“真っ直ぐ”な性格には無理を強いるのですから。(もっともその“真っ直ぐさ”は、「他人から自分への好意や援助は当然」とする(でも、他人に対して温かく振舞おうとはしない)という態度に見えるように、他人に対するある種の冷淡さももたらしているのですが)
 さらに問題を複雑にするのは、ウェルテルの就職問題です。職はあります。ウェルテルさえその気になれば。ただウェルテルは問題を先延ばしにします。思うようにならない愛の行方に、気分はどんどん活力低下状態となっていきます。しかしついにウェルテルはロッテから離れることを決意します。遠方の公使館に職を得るのです。しかし「現実」は厳しく、仕事も対人関係も思うようになりません。それはそうでしょう。仕事をしたくて職に就いたのではなくて、ロッテから離れる手段としてコネを使って就職したのですから、本気で仕事に集中できるわけがありません。
 このあたりからページをめくるのがしんどくなってきます。さらに、これは本当に「手紙」なのか?という疑いが私の心にむくむくとわき上がってきます。途中にさりげなく「日記を読み返してみると」という文章がはさまれるのですが、実はこの書簡集自体がただの日記で、手紙の相手である「ウィルヘルム」は実在しないかもしれない、と思えてきたのです。さらにオソロシイ、ロッテは実在するのか?(すべてはウェルテルの脳内での妄想世界)という疑惑までそれについて出てきます。
 そうそう、「モラトリアム人間の苦悩」とか、あるいは「悪女ロッテ」という読み方もできますね。実生活に強い夫と理想を追うタイプの愛人を上手く両立させようとする女、と。ウェルテル自身が「二人の崇拝者をたがいに仲よくさせておくことができれば、得をするのはいつも女さ」なんて書いています。
 仕事を失い、ロッテをあきらめきれず、その夫アルベルトの死を願い、ウェルテルの精神状態はどんどん悪くなっていきます。そして……ここもえぐい結末です。ロッテの手から渡されたアルベルトの拳銃を使っての自殺です。つまり「自分の死には二人とも、精神的にだけではなくて物理的にも関与している」という主張。
 形式としては破綻した小説ですが(途中から「編集者」が登場して「事件」の客観的まとめをしてしまうのですから)、中身はずしり。ただの純愛小説や「若さゆえの真っ直ぐさの危うさ」の青春小説としてだけではなくて、現代にもそのまま通じる社会問題意識や人の心理(特に闇の部分)に関する深い洞察が読み取れます。たまにはこうやって古典を楽しむのもよいものです。



トンボの産卵

2011-08-26 19:12:35 | Weblog

 朝、家の外によくトンボが飛んでいます。特に車のフロントガラスの上がお好みのようです。そういえば、ぴかぴか光るガラスの表面を、産卵をする水面と間違える、と聞いたことがあったので、よくよくガラスを見ると、点々と小さな“汚れ”が。もしかしてこれ全部トンボの卵? だったらお気の毒な話です。

【ただいま読書中】『365日のベッドタイム・ストーリー』クリスティーヌ・アリソン 編著、 高橋啓 訳、 飛鳥新社、2005年、2800円(税別)

 「子供のための読み聞かせの本」で、一日一篇、全365篇からなる“短篇集”です。たとえば「1月1日」は『マッチ売りの少女』(アンデルセン)、「2月1日」は『火星から来た種』(ジョーダン・バーネット&デビッド・フィッシャー)、「3月1日」『北風と太陽』(イソップ)、「4月1日」『ばかのジャン(その一)』、「5月1日」『小さなイダの花』(アンデルセン)……各国の民話もあって、本当のバラエティに富んでいます。そして、12月には力が入っています。中旬に白雪姫があり、21日『壊し屋 ──クリスマスのための話』22日『みじめなメリー・クリスマス』でクリスマス週間が始まったかと思わせて、23日に全然関係ない『ソロモンの幽霊』をはさんでから、24日『小人と靴屋 ──クリスマスのためのドイツの話』25日『モミの木』26日『エルザと十人の小人たち ──クルスマスのためのスウェーデンの話』と盛り上げます。そして年末は、29日『スーホの白い馬 ──モンゴルの話』30日『千匹皮の娘』31日『美女と野獣 ──フランスの話』という不思議な終り方。
 この編者のセンスは、ちょっと変っていて、私の好みです。もし私が同じテーマでアンソロジーを組むとしたら、まったく違ったラインナップになることは確実ですが(たとえば星新一は絶対入れたい)、読者が楽しめて、自分も楽しめる本を目指すことは、たぶん同じだろうな、と思えます。
 ただ、本書を本当に読み聞かせに使うのは、本が重たくてちょっと大変かもしれませんよ。



吐く

2011-08-25 19:00:51 | Weblog

 「嘘をつく」とは言いますが「真実をつく」とは言いません。もともと「つく」は「吐く」と書いて、文字通り「胃の中身を吐き出す」ことであると同時に「好ましくないことを口に出して言う」ことを意味します。だから「嘘を吐く」「悪態を吐く」ことはあっても「真実を吐く」とは言わないわけ。
 だけど、「真実」こそが「好ましくない」場合もけっこうありません? そういった場合に平気で真実を述べる人間の行為は「真実を吐く」と表現してよいかもしれませんね。

【ただいま読書中】『黄金の6人 ──史上最大の金庫破り作戦』ケン・フォレット、ルネ・ルイ・モーリス 著、 葵七瀬 訳、 1985年、サンケイ出版、1400円(税別)

 1976年7月19日、ソシエテ・ジェネラル銀行ニース支店で大金庫が破られました。賊は下水道からトンネルを金庫室に向けて穿って侵入(ホームズの「赤毛同盟」?)、現金宝石など推定6000万フラン以上(銀行の現金や金塊と、貸金庫の様々な“お宝”)を盗んでいったのです。残していったのは山ほどの証拠品と壁に殴り書きされた「武器も、憎しみも、暴力もなく」というメッセージと、大量の汚物。
 スパジアリという男が登場します。不幸な少年時代、反逆の青年時代、腕の良い(そして上官に反抗する)狙撃兵、アルジェリアの白人を支援するOAS(秘密軍事組織)に参加、ドゴール大統領暗殺を企図、別の右翼団体と接触、小切手偽造の疑い、写真屋をやったり養鶏をやったり……なんとも腰の落ち着かない生活をしていましたが、金回りはよい男です。スパジアリは銀行襲撃の計画を立て、マルセイユの暴力組織に接触します。彼らも計画は気に入りますが、スパジアリのことが信用できず手を引きます。しかたなくスパジアリは23人の手下を手当たり次第集めます(4人の例外はありましたが)。ところがこうやって大々的に人材募集をかけていたのに、警察はその情報をキャッチし損ねました。資材置き場に借りていた別荘にも警察がやってきますが、特に厳しい追及はありませんでした。一味は交代でトンネルを掘り進んでいきます。
 しかし実話ならではの面白さがてんこ盛りです。一味の中には仮釈放中の(そして、48時間後には刑務所に戻らなければならない)人間が混じっていたり、金庫室の中でフォアグラを食べながら貸金庫を破っていったり。山ほど残された物に指紋は一切残されていませんでした。分散して購入しているため、購入者は特定できません。小便は瓶にしていたのですが必ず複数の人間のものを混ぜて証拠がわかりにくいようにしていました。
 しかし、いくら何でも事件が大きすぎました。多すぎる手がかりを絞り込んでいって警察は少しずつ一味を特定していきます。口の軽い人間も多くいます。
 1ヶ月後、パリのサン・ルイ島にあるソシエテ・ジェネラル銀行の支店が、ニースとまったく同じ手口で破られました。皮肉なことに、こちらの金庫室には警報装置がありそれはちゃんと作動したのに、警備員は何も異常が見えなかったので警報装置の誤作動と判断してしまったのでした。初めは同一グループの仕業と考えられましたが、そのうち警察は別のグループの犯行と断定します。
 そのときスパジアリはアメリカにいました。CIAに自分を売り込みに行っていたのです。どこにだって侵入できる、と。CIAは当然問います。「証拠は?」。スパジアリは言います。「ニースの銀行を……」。CIAはスパジアリを信用せず、それでも一応その記録を国際警察(インターポール)に送り、それはニース市警に転送されました。ニース市警はその情報を黙殺しました。10月26日の一斉逮捕の日に、スパジアリは無視されました。著者は首を傾げます。本件に関し、ニース市警はいろいろと不思議な行動を取っている、と。40人逮捕してうち本物の「ドブネズミ怪盗団」のメンバーは二人だけ、というさんさんたる成績の捕り物でした。ところがここでスパジアリがこんどは不思議な行動を取ります。まったく何もしなかったのです。逃げるとかものをいろいろ隠すとか、何かしそうなものですが、翌日逮捕されるまでまったく無防備でした。これが小説なら、読者は「そんな馬鹿な」と呟くところです。ところがここで話は急転します。それこそ映画のような、裁判所からの脱走劇です。そしてスパジアリはこんどこそ完全に姿を消してしまいます。
 著者はこの事件の背後にずっと通奏低音のように鳴り響く、ニース市内(およびフランス全体)に存在する右翼の影響力を示唆しますが、それを決定づけるものはありません。ただ、この不思議な怪盗事件には、不思議な政治の影響があったことは間違いなさそうだ、とは思えます。

 本書は、スパイ小説などで有名なケン・フォレットの無名時代の作品だそうです。だから共作の形になっているんですね。ノンフィクションですが、小説よりも奇なる世界を味わうことができます。



不正確な時計

2011-08-24 18:50:52 | Weblog

 テレビ放送がアナログから地上デジタルに移行して、一番驚いたのは画質の差でしたが、目立たないところで驚いたのは、時報がなくなったことでした。画面端っこの時刻表示も「ぴっ」と変るのではなくて「じわりん」と数字が変っていきます。AD変換だかDA変換だか知りませんが、たぶんその変換で時間を食うので「情報が光の速度で伝わ」らなくなってしまったのでしょう。「技術の進歩」によってテレビで表示される時計が不正確になるとは、私は素朴に驚きました。
 逆に家庭用の電波時計の正確さは、これまた素朴に驚くべきことでしょう。常に秒単位で正しい時計なんて、なんだか秒的というか病的というか、そこまで正確でなければならないのか、と20世紀の人間としては思ってしまいます。
 そうだ、「不正確な目覚まし時計」なんてものはどうでしょう。あまりに正確な目覚まし時計だとついうっかり安心して二度寝をするかもしれませんから、目覚ましが鳴るときに「ただいま、6時10分頃です」とか言うの。「正確には何時なんだ?」という疑問を解消するためにはしっかり目を開けて表示を確認する必要がありますから、それでたぶんきちんと目が覚めることになるでしょう。

【ただいま読書中】『ダーウィンの珊瑚 ──進化論のダイヤグラムと博物学』ホルスト・ブレーデカンプ 著、 濱中春 訳、 法政大学出版局、2010年、2900円(税別)

 ダーウィンの『種の起源』には、図版が一枚だけ登場します。俗に「系統樹」とか「生命の樹」と呼ばれるもので、ふつうは「樹木」のメタファーであると解釈されています。しかし本書の著者は「ダーウィンの主張(進化は法則性と偶然性によって規定される)とその観察記録から、生命の樹は『珊瑚』のメタファーである」と考えました。
 本書には図版が豊富に登場します。ダーウィン自身のスケッチは下手くそですが、そこには「思想」が含まれています。ストリックランドやマクリーやアガシも生物の体系をダイアグラムに描こうと様々なメタファーを用いています。この「メタファーの数々」自体がまた「進化の過程」のように私には見えます。
 ウォレスは自身の系統樹を明らかに「樹木」として捉えていました。だからその表現には「枝」「葉」などという言葉が多く使われます。しかし『種の起源』では、系統樹の説明にそういった「樹木」をうかがわせる単語はすべて排除されていました。ダーウィンにとって、樹木(根から天に伸びるもの)は、系統樹のメタファーとしては不適切なものだったのです。それに対して珊瑚は、それ自体の石化した姿が化石のメタファーであり、かつ、その「上下」を無視して枝分かれしていく姿が系統樹にふさわしいものでした。
 さらに、19世紀の西欧では「珊瑚」は、自然の象徴であり、かつ、民主制や無意識のメタファーでもありました。そういった中にダーウィンの「自然全体とその変形のプロセス」という進化論のモデルはすんなりと収まります。ダーウィンが自然の美に向けたまなざしは、彼が単なる革命者ではなくて、伝統を守る人間であったことを示す、と著者は述べます。それはちょうど、コペルニクスが彼が生きた時代の天動説者の中では最優秀な人物であったことを私に想い起こさせます。もしかしたら、時代を破壊するのではなくて変革するためには「その時代のベストの人材(ある分野の知見のすべてを把握できる人物)」である必要があるのかもしれません。



難しいマニュアル

2011-08-23 19:17:04 | Weblog

 なんでもマニュアル化できると思っているらしい人がたまに社会にいますが、そういった人にはたとえば「三塁打の打ち方マニュアル」でも作ってみてもらいたいな。

【ただいま読書中】『現代語訳 吾妻鏡(10)御成敗式目』五味文彦・本郷和人・西田友広 編、吉川弘文館、2011年、2400円(税別)

 全16巻のシリーズの10巻目(寛喜三年(1231)~嘉禎三年(1237)の記事)です。
 鳥がなにか平時にない動きをすると、そのたびに占いが行なわれます。何か行事を行なうにも、一番に問題になるのは「日の吉凶」と先例。鎌倉時代と言っても、まだ平安時代の続きですね。
 おっと、平安時代と大きく違うのは「死の穢れ」に対する考え方でしょうか。平安貴族にとって、人間だけではなくて動物の死(や出産)でさえも政務に関わる“大事件”でした。ところが鎌倉武士は、出かける途中で死体に出くわすと、行なうのは「穢れを祓う」ことではなくて「死因調査」です。そして、殺人だとわかると犯人の捜索を始めます。庶民レベルではどうかは伺えませんが、日本を支配する人たちの間では「死のとらえ方」「死の取り扱い方」が変化しています。
 やたら地震が多く、流行病・飢饉・大風・大火もあり、北条泰時(鎌倉幕府第三代執権)は(自身が病気になったりしながら)対応に追われている様子です。天でも異変が起きています(「月が天関に接近し、太白星が婁星に接近」したのだそうです。さらにその直後に彗星が出現します)。さらに月蝕の予報が外れまくります。
 そうそう、将軍家(藤原頼経)が鼻血を出したことも“大ニュース”です。
 貞永元年(1232)8月には、御成敗式目全五十箇条の編纂が終わります。これまたビッグニュースです。「藤原不比等の律令(大宝と養老のどちらかな? 両方?)に匹敵するもの」と述べられていますが、「世の中が(力づくではなくて)“決まり”によって管理される」という概念そのものが、当時の人には新鮮なものだったでしょう。
 私が感心したのは、「御所の御当番(宿直)」を北条泰時もやっていることです。あくまで将軍家が「一番偉い」存在だったのですね。また、亡き頼朝に対する尊崇の念を示すことも忘れません。また、泰時は「集団指導体制」を作ったとされていますが、実際にはその集団のリーダーシップを取っているのは明らかに泰時です。それはそうでしょうね。よほど自分に自信がなければ、集団を組んで仕事を任せてそれを指導するなんてできませんから。ここに書かれている北条泰時の言動の端々から伺えるのは、人情に篤くとても優秀で強力なリーダーシップを発揮できるタイプの人物像です。
 今の目から見たら、鎌倉時代は室町時代の“地均し”を行なっただけとも言えますが、平安時代とは“異質な社会”を作った功績は大きいと言えるでしょう。「死」に対する態度もそうですが、たとえば地方でトラブル(荘園での訴訟、叛徒の出現、など)があった場合、鎌倉武士は自分で解決することをまず考えています。そしてそのためのガイドラインとして式目が必要とされたわけです。律令がどちらかと言えば「理想」から生まれたのに対し、式目は「現実」が出発点であるように私には見えます。ここでその“優劣”を論じようとは思いませんが、ともかく「現在の法治国家としての日本」の本当の出発点は、実は鎌倉時代だったのかもしれません。



国境の海

2011-08-22 18:53:14 | Weblog

 昔「李ライン」というのがあって、そこを越えた日本漁船はよく韓国に拿捕されていました。まだ「200海里」がなかった時代で、良く言えば「経済水域のさきがけ」ということになるのでしょう。北の方でも日本漁船はよくソ連に拿捕されていました。
 子供時代によくそういったニュースを聞いて「これは敗戦国の宿命か」なんて私は思っていました。もちろん敗戦の影響も大でしょうが、基本は古典的な国境紛争ですよね。漁船はいわば「外交の道具」。戦争に発展しなくて良かった、と思うことにしましょうか。

【ただいま読書中】『密漁の海で』本田良一 著、 凱風社、2004年、2500円(税別)

 「北方領土」での物語です。ただ著者は最初に宣言します。「これは悪役、悪人の登場しない物語なのです」と。
 敗戦後、日本漁船はしばしば“境界線”を越境しました。ソ連の警備艇に見逃してもらうために、様々な物品を積んでいましたが、ソ連はそのうちに「情報」を求めるようになります。新聞・雑誌・名簿・電話帳・警察や自衛隊の施設情報・幹部の情報・右翼団体について……「レポ船」の誕生です。朝鮮戦争の勃発と同時にレポ船の活動も活発となります。ソ連からのスパイの上陸やその支援船の拿捕もありました。さらにその上空では、米ソの飛行機の交戦もありました。“北方領土”はホットな“国境地帯”だったのです。「拿捕保険」には私は思わず笑ってしまいました。中古漁船が買える程度のお金がおりるのだそうです。ただし漁具までは間に合いませんから、結局大損ではあるのですが。
 話はベトナム戦争へ。反戦米兵の脱出路は根室にありました。ソ連との“ルート”は生きていたのです。レポ船は、ソ連への情報提供の見返りに安全操業の保証をとりつけ、そのついでに米兵もソ連警備艇に届けていました。しかしソ連は、スパイに二重スパイがいるように、レポ船にも公安の手先がいるはずと疑心暗鬼です。逆に、ソ連に認められて「レポ御殿」を建てた人もいます。
 レポ船に対する感情は様々です。「国を売って自分が儲けている」というネガティブなのもあれば「国境のこちら側の資源がその分保護される」「とにかくサカナを持ってきてくれたら、市場(と地元経済)が潤う」というポジティブなのもあります。
 ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年末)の頃、日本ではレポ船についに公安のメスが入りました。しかし、自供したレポ船の船主たちには、こんどはソ連からの報復(拿捕、罰金、抑留)が待っていました。また、公安にも「ソ連の情報が欲しい」という事情もありました。なんというか、どこもかしこも「持ちつ持たれつ」の世界です。今世紀になって有名になった「機密費」が、このレポ船関連にも大量に流れたのではないか、という疑いもあるそうです。そして警察が摘発する(そして新聞で騒がれる)のは基本的に「ソ連に切られたレポ船」になります。日本にとっても利用価値がなくなったからでしょう。
 やがてレポ船は姿を消します。その代わりに「国境の海」で幅を利かすようになったのが「特攻船」でした。2~5トンの小型強化プラスチック船体に200馬力の船外機二機を装備し、国境を侵犯して獲物をごっそりとり、ソ連警備艇に発見されても40~50ノットの高速で逃げ切る船です(日本警備艇に発見された場合はソ連側に逃げます)。特攻船の最大勢力は、暴力団(1980年の国勢調査で人口4万2881人の根室に、7つの暴力団組織の事務所がありました)。配下の暴力団員や不良漁民を乗せて荒稼ぎをしていました。もちろんその活動は、海上だけではなくて陸上でも活発です。摘発されないために様々な活動を行なっていました。もっとも、摘発されても略式起訴で罰金1万円が“相場”だったのですが。レポ船と同じく、特攻船に対する評価も割れます。そのうち、近く(歯舞諸島)の獲物は取りつくされ、「もっと遠く」「もっと早く」と特攻船は“進化”をします。ソ連は苛立ちます。水産の問題だけではなくて、日本政府が主張する「日本の海」で日本の漁船が漁をして何が悪い、という政治的な主張も感じていたのです。実際、日本外務省の対ソ強硬派は、特攻船を放任する方針でした。事態が変ったのは、91年のゴルバチョフ訪日でした。外務省は「日ソの信頼関係の構築」を迫られたのです。かくして、特攻船壊滅作戦が開始されます。その結果は、カニの流通量の激減でした(同時に、外務省の内紛が深刻化します)。
 情勢はさらに変ります。ソ連の崩壊で、北方4島のロシア人たちはモスクワに見捨てられます。自活の道は、日本に漁獲物を売るルートの開発でした。それを受けたのが、特攻船の漁獲を扱っていた業者です。物語はつながっていくのです。そこからさらにムネオスキャンダルにまで。

 本書には興味深い文章があります。「外務省も、水産庁・道も「領土問題は重要である」という認識では一致していた。しかし、その先の考え方は大きく異なっていた。重要だから、外務省は半歩たりとも譲れない、と考えていたが、水産庁・道は現実に領土問題がすぐに解決できないのであれば国益を侵さないぎりぎりの範囲で、漁民が生きていく道を探るべきではないか、と思っていた。このギャップはいまも基本的に変っていない」
 中央と出先と、国民との「距離」によって問題のとらえ方や考え方が違ってくる、ということなのでしょう。そしてそれは、たとえば今の原発事故に対する態度にも如実に表われているように私には思えます。
 本書は「密漁の海」についての本ですが、実は「日本」の構造についての本でもあります。北の海に興味がなくても「日本」に興味があったら、一読の価値はあります。「昔の話」ではなくて「今にそのままつながる話」なのですから。