【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

貯月

2018-01-31 18:43:26 | Weblog

 本当は今夜は皆既月食なんだそうですが、残念ながら雲が月を食してします。昨日一昨日ととても綺麗な月だったのに、なんで今日に限って、と残念です。どこかに「綺麗な月」を貯蓄というか貯月しておいて、月食の日に引き出して使えたらいいのになあ。

【ただいま読書中】『オホーツクの古代史』菊池敏彦 著、 平凡社、2009年、760円(税別)

 貞観四年(640)1万5000里北の流鬼国から朝貢の使節が長安にやって来ました。この流鬼国がどこにあるかは「カムチャッカ半島説(イテリメン民族)」と「サハリン(樺太)(アイヌ民族)」の二つの仮説があります。(なお、宋の時代の『唐会要』では、長安から1万5000里離れた国は流鬼国と波斯(ペルシア)だけです)
 1890年(明治二十三年)札幌の代田亀次郎は礼文島で発掘された土器(縄文がないもの)を報告、1913年(大正二年)に網走の米村喜男衛は網走でモヨロ貝塚を発見、そこから縄文のついていない黒褐色の土器を発掘しました。似たタイプの土器が北海道のオホーツク沿岸の遺跡から、さらには千島列島やサハリン南部から相次いで発見され、昭和初期に「オホーツク式土器」「オホーツク文化」という呼称が定着します。モヨロ貝塚の発掘調査から、「オホーツク文化」が大陸と関連を持っていることが示唆されましたが、肝腎の大陸の考古学調査が進んでいなかったため(ソ連の調査が進むのは1950年よりもあとになってからです)、日本の「オホーツク文化」は独自の学説として進むことになりました。
 オホーツク文化の人たちは、ブタとイヌを飼い、同時に漁撈も盛んに行っていました(魚だけではなくて、海獣(アザラシ、オットセイ、クジラ、イルカなど)も盛んに食べています)。また、馬の痕跡はありません。オホーツク海をぐるりと取り巻くように分布した遺跡には、それ以外にも様々な共通点があります。オホーツク海を「内海」として盛んに交流する文化圏がそこにあった、とするのは無理のない仮説のようです。となると次は「証明」ですね。ただ、「彼ら」が定住していなければ、その遺跡の評価はとても難しくなります。実際にはどんな人たちがいて、どんな生活をしていたのか、私もいろいろ想像の翼を広げてみました。というか、オホーツク海沿岸にそのような文化圏が昔あった、というだけで、十分スリリングです。



水のクラスター

2018-01-30 19:00:34 | Weblog

 「水のクラスターを小さくすると」云々の話はまだ科学の衣をかぶったまま生き残っている様子です。クラスターを確認したのは「科学」だから、科学の話にするのは問題はないでしょう。私が問題を感じるのは、クラスターの大小が生物に影響を与える、というお話。だってクラスターは、たとえば水のpHや温度や溶けている不純物の性質や量によって変動するはずです。つまり「コップやボトルの中の水のクラスター」がどんなものであれ、それが体内に入ったら体内のpHや温度や溶けている不純物の性質や量によってどんどん変化するはず。それをどうやって確認して、「それ」の生物に対する影響を測定しています?

【ただいま読書中】『戦いを記憶する百姓たち ──江戸時代の裁判学習帳』八鍬友広 著、 吉川弘文館、2017年、1700円(税別)

 まず「往来物」の説明から本書は始まります。「往来」は「手紙」のことで「物」は「ジャンル」を意味します。近世以前には「往来物」は文字通り「手紙の文例集」でした。それが近世以後には「往来物」という形式は維持しつつ、地理や歴史などを教えるための「教科書」としての往来物が編集されるようになりました。現在の「教科書」の御先祖です。そして本書で重要な「目安往来物」は地域での裁判沙汰や百姓一揆での訴状が「往来物」としてまとめられたものです。たとえば「白岩状」は、寛永十年(1633)に出羽国村山郡白岩郷で起きた一揆に際して幕府に提出された訴状を手習い手本としたもの、だそうです。教材としてはなんとも異色な感じですが、著者が確認できた目安往来物はこれを含めて最低6つあるのだそうです(すべて17世紀のもの)。ことによったら、まだまだ知られないまま地方に眠っているものがあるかもしれません。
 白岩郷の一揆は、幕府が成立してまだそれほど経っていない時期のものです。百姓たちは領主の苛政を江戸まで出て幕府に直訴、結局領主は更迭、白岩郷は幕領となりましたが騒動は収まらず、結果として百姓の代表者36名が磔刑に処せられる、という過酷な結末を迎えました。その二十三条にも及ぶ領主告発の訴状が「目安往来物」となって各地に筆者で流布しているのです。
 中世の「トラブル解決」は「実力行使」が基本でした。裁判もありましたが、こちらも神明裁判のような「(神の)力」をベースとしたものです。「一揆」もまた「実力行使」をベースとしていましたが、近世史料では1630年頃から急速に「一揆」の文字が史料で使われなくなっています。集団で押しかけて示威行動はするが実力行使はしないのは「強訴」として、当時の人々は一揆とは区別していました(「一揆」が再登場するのは、幕末期になってからです)。人々は「公権力」を信用して、「実力行使」ではなくて「訴訟」という手段を選択するようになってきた、と著者は考えています。(19世紀になるとまた「一揆」が登場するのは、幕府が弱って人々の信頼を失ったからで、実力行使の「悪党」がはびこるようになった、とも)
 一揆であろうと強訴であろうと、それは幕府から見たら「違法な行動」です。したがってその訴状もまた「違法な文書」のはず。それが人々によって明治になるまで筆写され続け、「教科書」として使われ続けたのは、なぜでしょう。一つには「義民伝承」が強く作用しているようです(「義民」として一番有名なのは佐倉惣五郎でしょう)。白岩一揆でものちに「白岩義民」と呼ばれる人たちが生み出され、明治期まで語り継がれることになりました。その過程に「一揆の訴状が、往来物となって読み書きの手本として村で(さらにはよその地域でも)広く使われていたこと」が強く作用していたはずです。あるいは、「義民伝説」が伝承されているからこそ「目安往来物」が大っぴらに用いられ、それによって義民伝承がさらに強くなる、という“循環"があったのかもしれません。
 越後国の上田銀山の帰属をめぐっての訴訟からも目安往来物が生み出されています。銀山という巨大な利権も、実力ではなくて訴訟で争論の解決をするというのは中世からは大進歩ですが、その訴状を子供の読み書きの教材にするとは、誰が思いついたんでしょうねえ。山の領有をめぐる二つの村の間の争論もまた目安往来物となっています。最終的に幕府の評定所で決着がついたものですが、その決定を代々正しく伝えるため、という目的もこの往来物にはあったのでしょう。
 幕府の評定所は、裁定を下すときに「現地調査」だけではなくて「文書」を重視しました。領有権争いだったら「昔からここを使っていた」という「証拠文書」が必要なのです。すると「往来物」として訴状を保管しておくことは、それ自体が未来に訴訟が起きたときの準備になる、という発想もあったかもしれません。
 寺子屋では、基礎学習(文字、熟語、短文、日用文章)の次のステップが往来物の学習でした。明治前には地理・産業・社会・歴史など数千の往来物が利用可能でした。その中に目安往来物が含まれていたわけです。幕府がよく許したものだ、と思いますが、気がつかなかったのか、お目こぼしだったのか、問題視する必要がないと思っていたのか、さて、どうなんでしょう?
 教材だけではなくて、文例集としてもこの目安往来物は有用だったはずです。村役人が訴訟資料を作成する場合、この「文例」を応用したら、少なくとも形式的には真っ当な文章が作れますから。
 ともかく「実力行使」や「合戦」が普通だった時代から「裁判と訴訟」の時代に転換したことの証左として目安往来物は存在しています。ところで現在の地球、特に国際紛争で、ちゃんと「裁判と訴訟」で物事は解決していましたっけ?



暴力の効能

2018-01-29 07:03:17 | Weblog

 暴力賛美主義者は、栃ノ心が優勝できたのはゴルフクラブで殴られたからだ、と主張するのでしょうね。だったら他のお相撲さんもみんなゴルフクラブで殴られたら続々優勝できることに?

【ただいま読書中】『トーキョー・レコード ──軍国日本特派員報告(下)』オットー・D・トリシャス 著、 鈴木廣之・洲之内啓子 訳、 中央公論新社(中公文庫)、2017年、1300円(税別)

 日本の「無比の国体」について深く知るにつれ、著者はナチスとの類縁性に気づきます。日本人はナチスの全体主義の手法を借用しようとしているように見えますが、反対にナチスは自分自身の「無比の国体」を作り出すために日本の神話体系(体制を支えるための心理的で精神的な基盤)を借用したのではないか、と。かつてエーリッヒ・ルーデンドルフは『総力戦』で「ドイツを蘇生するために必要なのは、ある種の神道の体系である」と書きました。ただルーデンドルフはその実現が可能とは思っていませんでしたが、ヒトラーは可能だと思い権力を奪取すると同時にそのための努力を始めた、と著者は考えています。日独ではどちらでも、合理主義・知性主義・自由主義・民主主義が忌み嫌われ、言論の自由と「危険思想」が抑圧され、軍事力の背後で大衆が組織化されました。「人種」を基盤としたナショナリズムが高揚し、天皇や総統は神格化されます。「男性国家」と集団主義が強調され、古代的な「神の倫理」が再生されます。著者にはその「共通点」がはっきり見えています。
 8月、日本軍は仏領インドシナからタイ国境を目指します(英米がそこから侵略しようとしているからだ、と日本の新聞は報じます)。イギリス軍はシンガポールの守備を固めます。アメリカへの船便は停止され、日本に残ったアメリカ人600人(外交官、実業家、教師、宣教師など)は不安を募らせます。書店で売られている新しい「日本地図」から、南沙諸島を日本が併合したことを著者は知り「特ダネ」として打電します。これはフィリピンのすぐそばに日本が基地を作れることを意味しているのです。
 閣僚暗殺の試みが続きます。ドイツからの特派員ゾルゲが逮捕されますが、その容疑の詳しいことはわかりません。女子を含む勤労動員の計画が内閣で了承されます。
 9月、10月、11月……歴史の歯車は、じりじりと回転し続けます。アメリカ大使館は在日アメリカ人全員に退去を促します。全ての人が戦争が起きることを疑っていません。それでも、戦争を回避するための努力、あるいはそう見せかける努力は続けられます。
 1941年12月8日朝7時、著者は警察に逮捕されます。国防保安法第8条(敵対する国の機関に、政治・外交・経済の情報を流す罪、懲役10年以下)違反の疑いです。著者は「日本政府に正式に認可された海外特派員であること』「流した情報はすべて検閲を受けていること」を主張しますが、警察官は聞き流します。そして、戦争捕虜として東京拘置所へ。赴任時に日本に持ち込んだウール製の下着が役立ちます。
 42年1月、尋問が始まります。「スパイであることを自白しろ」という尋問です。著者は“白状"しません。すると拷問が始まります。拷問は執拗に続き、膝と足の甲が変形し、平手打ちの連続で歯のブリッジと詰め物が緩み始めます。著者は嘘の自白をする気はないが「いっそ殺してくれ」と願うようになります。しかしそこで拷問は終わり、そこから「本当の取り調べ」が始まります。著者は「外国人と交際のある日本人に罪をかぶせる」ことが取り調べの一つの目的ではないか、と疑い、答える内容には最高度の注意を払うようにします。検事は警察とは違った観点から著者を取り調べ「送った記事がアメリカの政府や世論に影響を与えて、開戦に導いた」と「著者に戦争責任がある」と結論づけます。弁護士を付けるように、という嘆願は無視されます。そして4月18日空襲警報。ドゥーリットルによる東京空襲です。5月1日裁判。告訴状の内容も知らされず、弁護士もなく、著者は自分を弁護しなくてはいけません。5月15日判決。懲役1年6箇月、執行猶予3年。上告の権利を放棄し(やったとしても良いことがあるとは思えませんから)著者は判決を受け入れます。
 拘置所を出ても自由はありません。「敵国人」ですから強制収容所(菫家政女学園)に直行です。「日本で最悪の強制収容所」という評判の「スミレ」でしたが、著者にとっては(拘置所で拷問を受けることを思えば)「贅沢な環境」でした。そして、アメリカとの捕虜交換船が出発します。船内での情報交換で、自分が受けた拷問はまだまだ生ぬるいものであったことを著者は知ります。そういえば、開戦後に自国の外交官が受けた国際条約に反する仕打ちに怒ってブラジルが自国にいる日本外交官に同じ仕打ちをしたら即座に扱いが改まった、という話も紹介されています。そこから著者は「日本人が理解できるのは『仕返し』だけ」と結論を導いています。
 本書の記録は非常に詳細なものですが、それは、厳しい取り調べの時に自分がおこなったインタビューや記事について資料を要求したりして可能な限り正確に述べようと努力したことによって、記憶が詳細に刻みつけられたからだそうです。すると拷問や尋問にも“良い効果"もあったということに?



素早い反省

2018-01-28 11:04:49 | Weblog

 何か指摘されて即座に反省する人は、反省すること自体は良いのですが、反射的に反省しているだけなので結局また同じことを繰り返しているように見えます。「反省」という以上、すぐに反応するのではなくてしばらく考えても(何度も省みる時間をかけても)良いのでは?

【ただいま読書中】『トーキョー・レコード ──軍国日本特派員報告(上)』オットー・D・トリシャス 著、 鈴木廣之・洲之内啓子 訳、 中央公論新社(中公文庫)、2017年、1300円(税別)

 1941年1月、著者はニューヨーク・タイムズの特派員として東京に派遣されます。著者は遺書を書き、トランクに(もし天皇に拝謁できたときのための)モーニングとシルクハット、(もし刑務所に入れられたときのための)ウールの下着を入れました。船はがらがらでしたが、そこで出会った「中国通」たちは、日本は中国との戦争に疲弊していて、もうすぐ革命が起きるだろう、という意見を持ち、日本の指導者たちは革命よりは戦争を望むだろう、とも予想をします。著者はその予想には懐疑的です。船はサンフランシスコを出港してハワイ真珠湾に寄港してから、横浜に向かいます。著者が到着した日本は、アメリカで予想していたのとは違って、明らかに戦争状態でした。ドイツでの経験から「政府に監督された新聞の記事」を注意深く読んで著者はその確信を深めます。さらに、日本人自身が「自分たちは戦争状態にある」と自覚していることにも気付きます。
 アメリカに打つ特電には検閲がかかっていました。この検閲をかいくぐって“真実(あるいは事実)"をアメリカに伝えるために著者は非常な苦心をします。その一つの手は「日本人に語らせる」こと。日本の新聞に報じられた記事をそのまま引用するのですが、たとえば朝日新聞の「ドイツとソヴィエト連邦が戦争を始める危険性を憶測するのは性急である」という記事を送ることで「日本にそのような憶測が存在すること」を伝えるわけです。
 仏領インドシナとタイとの領土紛争を日本が“仲裁"しようとしていますが、これは武力外交の一環でした。さらに米・英・オランダをにらんでの「神経戦」が展開されます。日ソ中立条約が締結されます。これで両国は“背後"を気にせずに「戦争」に集中できるわけです。しかしこれは「二つの国」だけの問題ではありません。世界がその「意味」をかみしめています。日本はこんどは「蘭領東インド」を支配下に置くための交渉(というか恫喝)を始めます。著者はそこに「ヒトラーが使った古い手口」を見ます。
 著者は1933年からベルリン支局に勤務していて、ナチスの勃興を詳しく見ていました(その報道で40年にピューリッツァー賞を受けています)。“現場"にずっといたので当然ナチスの手口には詳しいわけです。ナチスが内部では日本人のことを「モンキー」と呼んでいることも知っていました。そしてそれを日本人が気にしていないことをいぶかります。
 著者は「誰が日本の方針を決定しているのか」とまどいます。政治家や軍人はそれぞれ勝手なことを言っています。政権の責任者も、何かことがあるとあっさり首を切られて交代させられてしまいます。一体誰の言うことを信用したらいいのかわかりませんし、信用したとしてもその人がいつまでそのポストにいるかもわからないのです。
 日本では「独ソ開戦は間近」と思われていましたが、それでも6月22日に開戦のニュースが報じられると、皆押し黙ってしまいます(ショックもありますが、うっかり変なことを口走ったら逮捕されるからでもあります)。枢軸国と日本に尽くそうと奔走していた松岡外相の命運は尽きます。讀賣新聞は、ウラジオストックから陸揚げされる英米の援助物資を妨害するためにシベリア出兵を主張します。日本政府と大本営は連絡会議を何度も開きます(方針が決まらないから何度も開く必要がある、と著者は見抜いています)。10日が空費され、やっと御前会議で方針決定。これは国家機密ですから詳しくは発表されませんが新聞は「日本人なら皆わかっていることだから、あらためて公表する必要はない」とします。
 7月22日、すべての新聞は一斉に「ABCD連合国」についての非難を再開し、同時に仏領インドシナで緊張が高まっている、と「日本の次の手の予告」を行います。25日に新聞は、仏領インドシナでの交戦の可能性とそれに対する英米の報復について言及します。26日にはフランスのヴィシー政権との交渉で仏領インドシナの“防衛"を日本が請け負ったことが発表されます。これは「ABCD同盟の鉄の包囲網を破り」「日本海軍が南洋に君臨する」偉業と新聞は祝福します。しかし「石油の供給打ち切り」という難題が解決したわけではありません。
 著者は「八紘一宇」という“思想"のあまりのわかりにくさに頭を抱え、古事記の勉強を始めます。古代中国や古代日本の歴史の知識と照らし合わせると、著者がそこに見たのは……



アニメ

2018-01-27 07:14:05 | Weblog

 子供時代に漫画のページを開いて「この絵が目の前で動いてくれたら」という夢想をした漫画好きは昔は多かったはずです。ところが映画館やテレビで、妙にリアルな動きをするCGアニメなどを見ると、逆に不自然な感じがして仕方ありません。私にとって「漫画の動きのリアル」って何なんだろう、と、子供時代にまで遡って不思議に思っています。

【ただいま読書中】『まんがはいかにして映画になろうとしたか ──映画的手法の研究』大塚英志 編著、 NTT出版、2012年、2600円(税別)

 『マンガ家入門』(石森章太郎)では自身の作品「龍神沼」を題材としてストーリー展開やカット割り、クローズアップ、場面展開などが映画用語も駆使して語られていました。
 本書では、「映画的手法」の先駆者だった(しかしその言葉を理解できる後輩たちに恵まれていなかった)手塚治虫と、「映画的手法」に自覚的でしかも後進に的確に指導する環境に恵まれていた石森章太郎とがまず取り上げられます。(ついでですが、本書前書きでは「石ノ森」ではなくて「石森」表記です。子供のころからずっと「石森章太郎」で育った私には嬉しい表記です)
 戦前からすでに「モンタージュ理論(視点が異なる複数のカットを組み合わせる表現方法)」は、映画以外の世界でも受容されていました。本書には、紙芝居や詩で「モンタアジュ」を取り入れた作品があったことが紹介されます。
 しかし、本書に収載された論文は、ずいぶん格調高くまとめられています。「映画とは何か」「映画が漫画に与えた影響は」など学術的なテーマを論じているのですが、映画にしても漫画にしても「映像(映画はそれに音もプラスしている)表現」なので、それを「言語」で論じるのは、ちょっともどかしく感じます。ついでに言うと、映画と漫画の「面白さ」を言語で表現し尽くすことができるのか、というもどかしさも私は感じます。ただ、漫画を題材にした以上「不真面目だ」と批判されないためには、必要以上に「真面目」にならざるを得ないのでしょうけれどね。
 もちろん「龍神沼」も解析されています。ただ、すでに作者自身が映画的に解説しているので、二番煎じにならないためには相当な苦心があったはず。ともかく「漫画の一コマ」を「映画のワンカット」に比定して、カメラ位置を想定してそのカメラワークを見る、という手法で「龍神沼」が語られています。別にそんな見方をしなくても「龍神沼」では「動き」や「カット割り」を感じることができましたが、「カメラ」を想定するとそれがさらに生き生きとしたものに変わりました。
 映画の「カット」は、フィルムをつなぐ作業から生まれましたが、漫画の「カット」は「コマ割り」や「ページをめくる」作業から生まれたと言えます。ただ、優れた作品だったら、映画でも漫画でも、私の心を刺激する「ツボ」はごく近いところにあるのかもしれません。ただその「ツボ」が「同じ場所」にあるとは限りませんが。



性欲と恨み

2018-01-26 07:04:45 | Weblog

 性欲と恨みは、似たところがあります。どちらも簡単に人間に取り付き、一時的にならすっとすることもありますが完全に解消することは困難です。

【ただいま読書中】『殺人の人類史(下)』コリン・ウィルソン+デイモン・ウィルソン 著、 和田和也 訳、 青土社、2016年、3200円(税別)

 本書は、父(コリン)と息子(デイモン)の合作です。父親が残した殺人犯に関する哲学的で自伝的な原稿をそのままに、息子が社会と歴史の観点から長大な原稿を書いて父親のをサンドイッチすることで本書が完成しました。上巻はすべて息子の文章で、下巻のはじめの2/3が父親、そして最後のまとめがまた息子の文章です。こんな「合作」もあるんですね。
 上巻では具体的な殺人犯についてはあえて触れられていませんでしたが、下巻ではまずイギリスのシリアル・キラーが何人も登場します。そして「(社会的に)上手くいった性犯罪者の実例」として、ドナスィヤン・アルフォンス・ルイ・ド・サドの人生が詳述されます。彼の「性的強迫観念を生み出す暗黒エネルギー」は、幸いなことに連続殺人にではなくて別の方向(サディスティック・ポルノの執筆)に向けられました。周囲の人たちには幸いだったはずですが、その幸せをわかっていた人はいなかったはずです(だからド・サドは非難・迫害・投獄をされました)。だから著者はド・サドを「世界で最も邪悪な人物」などと呼ぶのは馬鹿げている、と断言します。その根拠も示しながら。
 人はなぜ不要な暴力を振るい、同族を殺し続けるのか、という問いに対するすっきりした解答は本書では示されません。いくつもの仮説、いくつもの事例、それらを通じて私たちはまず自分自身に内在する「暴力」(肉体的な暴行だけではなくて、ハラスメントや嫌がらせ、悪口、ネットでの炎上への加担などなど)を認知し、それに対する対策があるかどうか、も考える必要がありそうです。他人に対する暴力は「他人ごと」ではないはずですから。



食わせてもらう

2018-01-25 07:01:31 | Weblog

 私は食糧生産ができないので、誰か食糧を生産している人に食わせてもらわなければ生きていけません。そのための手段として私は「人の役に立つ存在であること」を選択しました。「私は役に立つから、生かしておいたら皆さんにお得ですよ。だから食わせてちょうだい」という戦略です。ただこの戦略の弱点は「役に立たなくなったら、捨てられる可能性がある」ことです。
 「愛される」戦略もあるでしょうが、その逆の戦略を選択する人もいます。たとえば「有害であること」。死刑になるほどではないが社会に有害だと、刑務所に収監されてそこで「食わせてもらう」ことが可能になります。この戦略の弱点は「人気がなくなる」「ろくに食わせてもらえない」「社会が本当に厳しくなると微罪でも死刑になる」可能性があることです。
 そういえば、自分で何の生産もしないで贅沢をしている大金持ちって、どんな戦略で食わせてもらっているのでしょう。収奪?

【ただいま読書中】『殺人の人類史(上)』コリン・ウィルソン+デイモン・ウィルソン 著、 和田和也 訳、 青土社、2016年、3200円(税別)

 「暴力」は人間性そのものに根ざしている強い可能性があります。しかし、この数百年で、世界中で殺人事件は激減しています(たとえばイングランドでは、800年前と比較すると市民による殺人は110分の1になっています)。では私たちは「殺人の終わり」を目撃しているのでしょうか?
 ヒト(の祖先)がチンパンジーやボノボ(の祖先)から分岐したのは、ミトコンドリアDNAの解析から300万〜500万年前とわかりました。その「分岐後」に起きた「何か」によって、私たちが「生まれながらの殺し屋」なのかあるいは「それとは違う何者か」なのかが決定されているはずです。
 進化論も社会の一部ですから、白人優位主義や男根中心主義で動いていました(何しろ、白人男性だけでこのサークルは始まっていますので)。それに対する異議申し立てがいろいろありましたが、本書で特に注目されるのは「水棲類人猿説」です。名前を聞いただけでくすくす笑いたくなりますが(そして著者もそういった反応があることは否定しませんが)、著者は(そしてこの説の提唱者)は大まじめです。初期のヒトは渚で水につかって生活する時間が長く、そのため容易に直立できるように体が進化した(ついでに、皮下脂肪が陸上の動物よりは鯨のものに似てしまい、毛皮を失い、水中出産が可能になった)というのです。で、雌は陸棲の捕食者から逃れて水中生活をする時間が長いので皮下脂肪が厚くなり、雄は狩りや捕食者と戦う時間が長いから皮下脂肪は雌よりは薄くなるように進化した、というのです。なかなか面白い説だと私には思えます。ということは、ヒトは鯨になり損ねた生物、ということなのかな?
 宗教の名の下に殺されたり拷問されたり暴力を振るわれた人は非常に多数に及びます。その宗教の“外"では「異教に対する聖戦」、“内"では「生贄」「異端の迫害」「魔女狩り」「名誉殺人(の宗教による正当化)」などなど。
 人肉食いもまた宗教の名で行われた場合もありますが、宗教によらない場合には「人の肉を食う」だけではなくて「自分の人生の満足のために他人の人生を暴力や権力によって犠牲にする」行為もまた「人肉食い」と共通の基盤で行われる、と著者は考えています。こちらは、シリアルキラーがわかりやすいのですが、政治や経済の分野でもそういった「人肉食い」は横行していますね。
 奴隷制度もまた「不必要な暴力」の一つとして分類されています。近代的な強制収容所(と強制労働)もまた「奴隷」ですが、現在のUSAの「民営化された刑務所での強制労働」や「制度化された人種差別」もまた「大規模産業奴隷制」に著者は分類しています(囚人や被差別民の“待遇"は奴隷とほとんど同じ、という指摘があります)。
 「内戦」で、「革命」は反乱側の勝利、「反乱」は体制側の勝利、ということになりそうです。ではその「内」とは? また「優秀な兵士」は「洗脳」によって生まれます。ではその方法は?



トリクルダウン

2018-01-24 06:51:23 | Weblog

 「金持ちにもっと多くの財産を持たせたら、タックスヘイブンに退避させるかわりに国内でばんばん浪費し、さらにその膨大な財産を遺産として自分の子孫に残すかわりに貧乏人に配るに違いない」という主張。

【ただいま読書中】『それ、時代ものにはNGです』若桜木虔 著、 叢文社、2017年、1000円(税別)

 時代劇には「無知」のためか“その時代"には使われていなかった言葉が無雑作に散りばめられているそうです。そういった恥ずかしい使い方を拾い出してみました、という本です。
 巻頭の「さぼる」「神経」くらいは私でも知っています。「反射」「情報」「権利」「自由」も明治以降、と言いたくなりますが、この中には慶応元年あるいは二年に「日本語」になったものが混じっています。意外なのは「インフルエンザ」。これ、江戸時代には「印弗魯英撤」と漢字表記されていましたが読みは「いんふるえんざ」そのものだったそうです。そういえば出島から日本中へのインフルエンザの大流行が何回か江戸時代にありましたが、それまでにない病気だからそのまま呼ぶしかなかったのでしょうね。
 「ど真ん中」「ど素人」は江戸時代の江戸弁だったら「真ん真ん中」「ずぶの素人」。
 「烏賊」と「蛸」は江戸時代には悪口として使えます。お目見えの旗本がお目見え以下の御家人に対して「この烏賊野郎」と洒落て悪口を言ったのに対して「何だ、この蛸」と言い返したのが発祥だそうです。
 江戸時代にも使われていたけれど現代とは違う意味の言葉として「命日」「面子」「行かず後家」「すっぴん」「厄介」などがぞろぞろと。それぞれ江戸時代にはどのように使われていたかは、本書をどうぞ。
 「吉原」についても結構なページが割かれています。元吉原と新吉原の大きな違い、明暦の大火前後での客層の違い、性交渉はどこまであったか(なかったか)、「粋」がどのように構築されていったか、などの蘊蓄が熱く語られています。吉原について時代物ではけっこう「嘘」が混じり込んでいるのが、著者としては我慢がならない、ということかな?



読者参加型ツイッター連載小説

2018-01-23 06:55:10 | Weblog

 ツイッター小説というのはありますが、これは「140字」というシバリが物理的にかかっています。あるいはツイッターで次々投稿をしている、という形での小説もあるそうです。ただこれは「返信」ができない。
 だったら、「小説の配信」と「読者のリプライに対する反応」を同時に行う「ツイッター連載小説」はできないでしょうか。さすがに複数の読者に対して小説を同時進行をさせるのは人間の著者には難しそうですが、AIを活用したら何とかならないかな?(たとえば「誘拐されて車のトランクに閉じ込められた人からの助けを求めるツイッター」なんてものを思いつきました。で、“読者"はリプライをすることで情報を集め、謎を解くわけです)

【ただいま読書中】『死せる王女のための孔雀舞(パヴァーヌ)』佐藤史生 作、復刊ドットコム、2012年、1400円(税別)

目次「雨男」「死せる王女のための孔雀舞(パヴァーヌ)」「さらばマドンナの微笑」「我はその名も知らざりき」「夢喰い」「マは魔法のマ」「一角獣にほほえみを」
 「夢喰い」と「マは魔法のマ」の間に「あとがき/秘数的なお話」がはさまっています。
 しかし、タイトルを見るだけで、SFやファンタジー作品のタイトルを連想できるものがぞろぞろと。そして、「雨男」から「我はその名も知らざりき」は連作短編なのですが、女子高校生を主人公にした学園ドラマが「アッシャー家の崩壊」を下敷きにして描かれる感じ、というと、わけがわかりませんね。
 前も書いたことがあるはずですが、幼い頃に少女漫画を食わず嫌いしていたのが,今にして悔やまれます。ただ、知らずにいたおかげで、さらに復刊ドッドコムのおかげで、こうして「未知の世界」を新たに探検することができるわけで、とってもありがたいことです。復刊ドットコム、万歳。



植民地解放

2018-01-22 07:09:38 | Weblog

 「日本はアジアを欧米列強から解放するために戦争を始めた」という主張がありますが、ヴェトナムを見るだけでその主張の怪しさがわかると私は思っています。日本軍は「解放者」ではなくて「新しい支配者」としてヴェトナムに君臨し、飢饉なのに米を強制的に徴発したため多数の餓死者が出たとヴェトナム側に宣伝され、45年には「8月革命」が起きています。日本とは別の主張がヴェトナムにはあるようですから。

【ただいま読書中】『愛国とは何か ──ヴェトナム戦争回顧録を読む』ヴォー・グエン・ザップ 著、 古川久雄 訳、 京都大学学術出版会、2014年、2800円(税別)

 米軍がヴェトナムに本格介入した1965年から撤退した73年までに、投入された砲爆弾は1400万トンで内半分が爆撃機からのものでした(第二次世界大戦で日本本土に投下された爆弾は16万トン、ドイツには202万トンですから、桁違いの多さです)。犠牲者の数も膨大です。米軍の死者は5万8千、負傷者15万3千、行方不明1000人以上。ベトナム人の犠牲者は、アメリカの統計ではサイゴン軍22万、革命側66万6千、南の民間人24万7千、北の民間人6万5千。ヴェトナムの統計では、サイゴン軍22万、革命側110万、南北の民間人200万。
 本書は1972年12月のハノイで始まります。3年かけてやっと大詰めにさしかかったパリ和平交渉ですが、南ヴェトナムのグエン・ヴァン・チュー大統領は締結に反対、アメリカ軍はB52戦略爆撃機200機をはじめとして大量に航空機を投入してハノイを攻撃することにします。これで北ヴェトナムに大打撃を与えて協定にサインさせよう、という目論見です。ところが北ヴェトナムではそれを予想して、B52対策のミサイル部隊などをハノイ周辺に重点的に配備していました。ただしミサイル不足は深刻で、工場で組み立てられたものが即座にミサイル陣地に運ばれて発射されていました(レニングラード包囲戦で、戦車工場で組み立てられた戦車にそれを組み立てた工員が乗ってそのまま出撃したエピソードを私は思い出します)。著者は猛爆撃下でもミサイル陣地を巡回し兵士を激励します。12昼夜の爆撃で10万トン以上の爆弾を投下されたハノイやハイフォンなどは大損害を受けますが、米軍もB52を32機失うという損失を受けました(200分の32ですから、大損失です)。この戦いは「空のディエンビエンフー戦」と呼ばれます。そしてニクソン大統領は、10月の合意内容による和平交渉再開を提案します。グエン・ヴァン・チュー大統領は反対しましたが、ニクソンとキッシンジャーは「力」をこんどはグエン・ヴァン・チューに向けてこちらは押し切りました。
 著者は単に「軍事力」だけでヴェトナム戦争を見ていません。というか、もし軍事力の比較だけだったら、アメリカ(+南ヴェトナム政府軍)と北ヴェトナム(+ベトコン)では、差が大きすぎて、まともな計算力の持ち主だったら最初から勝負はあきらめるはずです。しかし、国内だけではなくて国外(それもアメリカに反対する国だけではなくて味方の国)まで視野に入れて自分たちの行動を決める視野の広さは、大したものだと私には思えます。軍事・政治・外交・経済そして民族固有の文化、そこまで視野に入れる将軍はなかなかいないのではないでしょうか。
 米軍が撤退してヴェトナム戦争は「ヴェトナム化」されましたが、南ヴェトナム政府は必死で攻勢に出ました。北ヴェトナム側は一時守勢に立たされますが、すぐに反撃を開始します。軍事だけではなくて行政での作戦も立てて、2年で南ヴェトナム全土を“解放"する計画です。さらに、ウォーターゲート事件によってその可能性は果てしなくゼロに近いとは言え、アメリカの再介入を防止するための外交と軍事が展開されました。著者は特に道路建設を重視しています。建設には資材と時間が必要ですが、道路の有無で作戦展開のスピードが全然違ってきますから。
 北ヴェトナムが南に展開していたのは「三軍(正規軍、地方軍、民兵及びゲリラ)」だそうです。当時の新聞報道では「北ヴェトナム正規軍」と「ベトコン(当時の表記)」の二つの軍形態が報じられていましたが、「地方軍」のことは記事で読んだ記憶がありません。アメリカの州兵みたいなものかな?
 著者は「イデオロギー」と「愛国心」を勝利の主因としています。ただこの「愛国」は「侵略者に対するもの」として機能したときにはとても強いけれど、たとえばヴェトナム軍がカンボジアに侵攻したときにはどんなふうに機能したのでしょう? 「国境の向こう」は「愛する祖国」ではないのですから、それほど有効には働かないのではないかな。