【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

情報転送

2021-04-30 09:01:46 | Weblog

 「物質転送」のアイデアとして、「分子や原子に分解して送る」という「ものを送る」ものと、「どのようなものから構成されているかの情報を送って行き先でその情報を元に組み立てる」ものとがあります。ところで「情報」は簡単にコピーが可能です。するとこのアイデアはそのまま「物質複製」としてもつかえることになります。3Dプリンターで同じものをいくつも作るのと似ています。
 同じことを考える人は多いようで、今日の漫画もそのアイデアから始まります。

【ただいま読書中】『見かけの二重星』つばな 作、講談社、2011年、590円(税別)

 ごく普通の女子高生の綾子さんが、「天才さん」に「転送」実験のはずだったのに失敗から身体を「複製」されてしまうことから話は始まります。ところが3Dプリンターとは違って、複製のための材料はどこにも用意されていません(そもそも「転送」実験だったのですから)。では「複製された綾子さん」は一体、どこからやってきた何者?
 これはやろうと思えば、ワイドスクリーン・バロックの大長編にもっていくことも可能なアイデアですが、本書はコミカルな青春ものです。無理ありありなんですが、そもそも物質複製が「無理なアイデア」なわけで、その上で語られる綾子さんの過去や未来はなんというか、読んでいて気持ちがほっこりするものでした。思わぬことに対する綾子さんの反応など細かいところが妙にリアルなのも笑いのツボを押してくれます。でもしんみりするところもしっかりある。楽しい漫画です。

 


明治政府の宗教の取り扱い

2021-04-29 08:36:00 | Weblog

 明治政府は、江戸時代に京都の天皇家には神棚と並んで仏壇もあったのに「廃仏毀釈」でそれを捨てさせて「純粋な神道の教祖」扱いにし、明治憲法に「信教の自由」を謳いながら神道は宗教と言うよりは「臣民の義務」扱いにしています。これは日本が目標とするべき「西洋列強」の強さが「科学技術と軍備」だけではなくて「一神教と王権の両立」によって成り立っている、と捉え、それを日本にも取り入れようとしたからではないか、と私は考えています。だからといって、切支丹弾圧をしてきた歴史から一神教のキリスト教を国教として取り入れるわけにもいきませんし、仏教は各派閥の争いが激しすぎます。ならば一神教に一番近いものということで神道が選択されたのでしょう。ところで西洋には西洋で、聖俗の血みどろの争いがあったのに、それは日本では注目されていなかったのが、不思議です。

【ただいま読書中】『日本赤十字社と皇室 ──博愛か報国か』小菅信子 著、 吉川弘文館、2021年、1700円(税別)

 欧米列強に追いつこうと明治の日本はさまざまな「文明」を取り入れましたが、その一つが「戦場における博愛人道主義」つまり「赤十字運動」でした。皇室は赤十字社に特別な庇護を与え(たとえば社章を決めるとき、昭憲皇太后が自らのかんざしを抜いて「この彫刻の桐竹鳳凰が良かろう」と言われた、という“神話”があります)、それによって日本では赤十字運動が迅速に発展を遂げました。日露戦争でのロシア人捕虜、第一次世界大戦でのドイツ人捕虜に対する“厚遇”がそれを物語っています。
 ナイチンゲールの活動を見てもわかるように「(多数の)人を救う」ことは「国家」に帰属する事業となっていました。しかし「戦争」では国家は人を救うよりも殺すことの方に熱心になっています。だからこそアンリ・デュナンは「戦場に博愛を」と訴えそのための手段として「国家以外の組織」を構想したのでした。これは、戦場で傷ついて苦しむ人びとと、戦争は国家間の合法的な行為と考える人びとから賛意を集めます。
 赤十字社の影響を受けて日本では博愛社が西南戦争のさなかに活動を開始、敵味方を問わず戦傷者の救護を行いました。明治政府は軍陣医学の充実を視野に、博愛社の活動を容認します。そのとき「敵を救う理由」として「天皇陛下の赤子」という理論が持ち出されました。現在は道を外れて暴徒となっていても、元は同じ天皇陛下の赤子ではないか、と。そしてその思想はそのまま日本赤十字社に引き継がれました。だからこそ天皇家も「特別な庇護」を与えやすかったのでしょう。組織の“上”は天皇家と結びつきましたが、“下”の地方組織は地方自治体と緊密な関係を持ち災害時などには自治体に協力して活動することになりました。実際、日本赤十字社としての最初の救護活動は、災害出動でした。地方民はそれによって感謝と信頼を赤十字に抱き、郷土愛が愛国心へと昇華していきます。日本の庶民にとって赤十字は「報国恤兵の組織」だったのです。
 日清戦争で、ジュネーブ条約に加盟していない清国に対しては日本はジュネーブ条約を履行する義務はありませんでしたが、日本は一方的に「条約を遵守する」と宣言します。清が日本兵に対して残虐な行為をしても仕返しはしない、と。欧米列強からは日本に対して高い評価が与えられます(もちろんそれを意識しての宣言だったのですが)。日露戦争でも日本はロシア軍兵士の捕虜に「厚遇」を与え、国際赤十字委員会から賞賛されました。
 第一次世界大戦では、ドイツ軍との戦場となった青島へ看護婦が派遣されました。初の看護婦海外派遣です。さらに、英国・フランス・ロシアへも日赤看護婦の救護班が送られました。彼女らの活動は「国際社会」で高く評価されています。
 しかし1930年代に、日本では国際条約全般が軽視される傾向が強くなりました。その表れが「1929年の捕虜の待遇に関するジュネーブ条約」に調印はしたものの署名をしない、という行為です。この時「日本軍では捕虜になることは禁止されている(から捕虜を前提とした条約に酸化する必要はない)」というリクツには非常に冷淡な響きを私は感じます。
 日中戦争から太平洋戦争に、日本各地の赤十字から救護班が続々送り出されました。彼女らは最前線には派遣されませんでしたが、それでも戦闘に巻き込まれたり病気になって死亡する者が(特に戦争末期に)多くいました。日赤の看護学校を卒業した人は「卒業後2箇月は日赤で働き、その後12年の間は召集に応じる義務がある」と定められていたそうです。
 そして戦後、日赤は赤十字本来の使命(戦時救護活動)を行わない、という国際的に極めてユニークな存在となりました。
 日本文化は、ほとんどのものは無批判に取り入れますが、必ず「アレンジ」を加えます。料理や酒がわかりやすいですね。中華料理とかビール・ウイスキーなど、すべて「日本的」になってます。それと同様「赤十字」もまた「日本的な赤十字」として受容されたのでしょう。ただ、国際標準を無視してしまう態度って、国内に閉じ籠っているのなら良いですが、「世界」と交流するときにはあまり好ましくないのではないかなあ。

 


口が上手い

2021-04-25 08:11:39 | Weblog

 「店を支援しなければならない」とか「政治家には会食が仕事」とか「政治資金パーティーは不要不急ではない」とか、官僚や政治家は「国民に守らせる決まりを自分は守らないこと」については言い抜けが実にお上手ですね。たぶん「頭が良い」のでしょうが、「頭が良い人」と「良い人」とは別物だ、と感じるのは、頭の良さでも握っている権力でも彼らにかなわない庶民のひが目でしょうか。

【ただいま読書中】『東大という思想 ──群像としての近代知』吉見俊哉・森本祥子 編、東京大学出版会、2020年、3500円(税別)

 「東大」とは日本では「ブランド」です。テレビ番組でも「東大生」や「東大教授」は一種独特の扱われ方をしています。もっともこの「ブランド」は国内専用で、国際的には必ずしも通用してはいないことに留意する必要はあるでしょう。
 「東大」とは「レガシー」でもあります。1684年に設置された幕府天文方が、維新後に開成所→開成学校→大学南校となりました。1858年に設置された種痘所は西洋医学所→大学東校になります。その中央に位置した「本校」は幕府の昌平黌を引き継いだ組織でしたが、明治維新で京都からやって来た国学教授たちと江戸の儒学教授たちとが大抗争を引き起こし、あきれた政府は本校を廃止、南校と東校を合併させて洋学中心の「東京大学」を設置しました。もっとも、医学部のモデルはドイツ、文学部はイギリス、法学部はフランス、工学部はスコットランド、と内部はばらばら(もっと大きな問題は、日本における「東洋の人文知」が本校での内ゲバによって破壊されてしまったことでしょう)。さらに明治政府は、「大学」が「高等教育の頂点」とは思っておらず、むしろ官立専門学校の方を重視していました。しかしそれが変わったことがはっきり示されたのが1886年に「東京大学」が「帝国大学」に改名されたことです。変わったのは名称だけではなくて、それまで実力では「東京大学」を凌駕すると言われていた官立専門学校の工部大学校・東京法学校・東京農林学校が「帝国大学」に統合されました。民間でも大学設立が盛んに行われ、帝大も京都・東北・九州と増やされ、大学生の数は1903年には全国で3000人だったのが四半世紀後には4万人近くになります。
 「東大」に関する著作は多くあります。『天皇と東大』(立花隆)は国家エリート育成機関としての東京帝国大学が大日本帝国の体制構築にどう結びついたかを明らかにし、『大学という病』(竹内洋)はその「体制」が実は昭和初期にすでに空疎なものになっていたことを示しているそうです。私はどちらも未読なので、伝聞形でしか書けませんが。そして本書は、東大内部で活動していた人たちの「東大教授たちの思想」を超えた「学生たちの思想も含むもの」について書かれています。いわば「群像としての東大」です。
 本書には実に面白い指摘があります。「東京大学という“システム”」は戦後も戦前のものを引き継いでいる、と言うのです。そういえば何の本だったか、アメリカ占領軍は統治をスムーズに行うために日本帝国政府の官僚組織を戦前のまま活用した、という指摘もありました。官僚組織が戦前のままだったら、その官僚の育成システムもまた戦前のままの方が使いやすいでしょう。しかし、戦後の新制大学の大学生の意識は戦前とは「断絶」があります(「敗戦」の記憶が生々しいのですから)。その「断絶」がこじれにこじれたものが、大学紛争だった、と解釈すると、実にわかりやすい。
 ということは、これは「東大」の問題と言うよりは、日本社会全体にも言えることかもしれません。今でも「戦前」はあちこちに残っていて、しっかり活動しているようですから。

 


輪行

2021-04-24 07:15:14 | Weblog

 先日読書した『はじめよう!ソロキャンプ』(森風美)に「電車(や飛行機)に乗ってソロキャンプ」という話がありましたが、「電車に乗って自転車旅行」もあります。それが「輪行」です。自転車大国のオランダでは自転車を丸ごと持ち込める電車もあるそうですが、日本ではまだそれは難しいので、自転車をバラして袋に詰め込んで「手荷物」として持ち込みます。バラしやすくなっている専用の自転車もあります。昭和五十年代に私が輪行をしていたときに夜行列車に乗るとよく輪行袋にしまわれた自転車がデッキや通路に置いてあって「お、仲間かな」と思っていましたが、実はそのほとんどは競輪選手のものだったのかもしれません。

【ただいま読書中】『はじめての輪行』内藤孝宏 著、 洋泉社、2016年、1500円(税別)

 乗っていたママチャリが壊れたためにたまたま折りたたみ式の自転車を手に入れた著者は、「自転車に乗る」ことに取り組んでみます。はじめは「東京マラソン」の翌日に同じコースを走ってみる。時速20kmで走れば2時間じゃないか、と甘く見てスタートした著者は、すぐに現実の厳しさを嫌と言うほど味わうことになります。実にとぼけた口調で明るく語ってはいますが、乳酸がたまった筋肉の痛みは、文字通り痛切だったことでしょう。
 そして次はついに富士急行での「輪行」で、富士五湖巡り(正確には、日帰りで四湖を半周)です。自転車初心者が手探りでその魅力を味わおうとする点に、私はかつての自分の姿を重ねてしまいます。私自身も「まず走ってみよう」で特に指導者や仲間なしで輪行を始めましたから。
 自転車で一番爽快感を味わえるのは、ダウンヒルです。地球の重力と地面の傾斜に己のすべてをゆだねて空気を切り裂いていくときの解放感は、他の乗り物では味わえません(不思議なことに、同じ二輪なのにオートバイでのダウンヒルは、自転車とはまったく別の感覚になります。エンジン音や振動があるか無いか、が大きな要因かな。スキーでの滑降が感覚は近いかもしれません)。そこで著者は「日本でいちばん長い下り坂」を求めて八ヶ岳に出かけます。しんどい上りは鉄道に任せ、そこで自転車を準備して美味しい下り坂だけ味わおう、と。
 京都観光でも、自転車が活躍します。レンタルでも良いとは思うのですが、著者は輪行を決行。乗り慣れた自転車に乗れるし、レンタルが「予約で一杯です」と借りることができない、なんて事態にも遭わない、と言っていますが、やっぱりレンタル自転車でも良いのではないかなあ。
 そしてついに“聖地”しまなみ海道。私はレンタル自転車で走りましたが、輪行ですか。八王子からは遠いのに、すごいなあ。一泊二日でしまなみ海道をしゃぶり尽くして、尾道からは自転車だけ宅急便で自宅へ。ああ、こんな「輪行」もあるんですね。楽しそうだなあ。上り坂がないのだったら、私もまたやってみたい。

 


緊急

2021-04-23 07:24:49 | Weblog

 「緊急事態宣言を出すかどうか、今週中ゆっくり時間をかけて検討する」なんて首相が言っていましたが、これはつまり「これまで想定や準備を全然していなかった」とか「緊急とは数日以上のことを意味する」とか言っているわけです。こんな人たちに「緊急事態」の舵取りを任せていて、大丈夫? もしも医者が「ああ、この患者さんは死にそうだね。だったら緊張感を持って数日間注視して、それから治療をどうするか決定しましょう」なんて言ったら、袋だたきでは?

【ただいま読書中】『コンコルド・プロジェクト』ブライアン・トラブショー 著、 小路浩史 訳、 原書房、2001年、1900円(税別)
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 コンコルドに30年以上取り組んでいたチーフ・テストパイロットの、インサイドストーリーです。
 超音速機の開発は、はじめは軍用機で行われました。やがて民間航空会社も、時間の短縮が儲けにつながると考えるようになります。そこで問題になるのが、技術的な困難さと、コストです。アメリカ(と当然ながらソ連)は国際協力には消極的で、イギリスとフランスが国家として組んで計画を進めることにします。しかし、政治の世界は複雑で、アメリカのSSTはコンコルドより出遅れた上に、有力政治家の反対に直面することになってしまいます。
 英仏の関係も、最初からうまく行っていたわけではありません。お互いに対する不信感や自分の方が功績を誇りたいという欲望などが渦巻きます。笑ってしまったのは「Concorde」の命名が、最初は「Concord」だったのに英仏の責任者が集まった現場の会議では「Concorde」にすることに一致したのに、英国政府が「そんなの聞いてない」とむくれてしまい、プロジェクトチームの公式書類では「Concorde」なのが英国政府の書類では「Concord」となってしまったのだそうです(ちなみに命名者は英国人)。
 エンジンはイギリス、翼と操縦性はフランス、という大まかな分担はありましたが、航空機ではすべてが密接に関係していますから話はつねにややこしくなりがちです。設計図には英語とフランス語が並記され、寸法もセンチメートルとインチが併用されていた、というのですから、よくもまあこれで「一つの飛行機」が完成したものだと感心します。
 飛べるようになると、騒音、放射線(普通の航空機より高空を飛ぶので浴びる放射線の量が増えます)、ソニックブーム(超音速飛行での衝撃波)など、実用面での問題を解決する必要があります。
 英仏政府の姿勢は対照的です。イギリスはどちらかというと行き当たりばったりの雰囲気がありますが、フランス政府はなるべく一貫した姿勢を貫こうとしていました。そのためか、フランスでコンコルド開発のために整備された重要施設は、のちにエアバス開発でも役に立つことになりました。
 コンコルドが“失敗”した原因はいろいろあるでしょう。本書でもそれはいくつも指摘されています。私としては「高速のロマン」を重視したいとは思いますが、でもロマンだけでは飛行機は飛びません。厳密なコスト意識や「本当に“これ”が世界に必要とされているのか」の厳しい問いかけも必要でしょう。
 そういえばリニア新幹線もまた「高速のロマン」が計画の駆動力となっているようですが、コスト意識や「本当に“これ”が世界に必要とされているのか」の問いかけもやはり必要なのではないでしょうか。

 


「ぼっち」と「ソロ」

2021-04-21 07:09:48 | Weblog

 「ひろしです」の自虐ネタで一時売れていたひろしさんが、最近なぜか「ぼっちキャンプ」で“復活”して、テレビに出たりDVDまで発売したりしています。「ぼっち」というネーミングには彼のお得意の自虐ニュアンスが入っていますが、それで人気が出ると「ソロキャンプ」という格好良いネーミングで実行する人が増えているそうな。
 そういえば「ぼっち飯」も悲哀漂う言葉だったはずですが、最近の「個食」「黙食」ブーム(?)だとそれが当たり前になっているわけで、だったら「ソロ飯」と格好良く言っても良いのかな。淋しい感じはぬぐえませんけれど、気の持ちようです。

【ただいま読書中】『はじめよう!ソロキャンプ』森風美 著、 山と渓谷社、2012年、1300円(税別)

 キャンプ好きの著者は、誰とも予定が合わなかった日にどうしてもキャンプをしたいとソロキャンプをやってみて、その魅力にはまってしまったそうです。
 道具はどうするか、キャンプ場までどうやって行くか、など考えることは多そうですが、著者は「キャリーバッグに荷物を詰めて、徒歩や電車でも出かけられる」と肩から力を抜くことをまず勧めます。著者自身、ソロキャンプを始めた頃には車どころか免許も持っていなかったそうです。なるほど、キャリーバッグなら、転がせるし、電車の中でも普通の旅行者に見えますね。飛行機に乗ってのキャンプ、も可能です。段差が障害になるようなら、バックパック。ただしこれは自分の体力との相談が必要です。
 道具も豊富に紹介されています。しかしすごい種類ですね。直火禁止のキャンプ場では必須アイテムの焚き火台も、頑丈なステンレススチール製だと3.5kgだけど、チタン製だと423g、とか、何を重視するか(「軽さ」を取るか「コスト」を取るか)も重要そうです。
 あとは何を楽しむか。それは個人個人で決めることでしょう。なにしろ「ソロ」キャンプなのですから。
 私がするとしたら、「自然の音を楽しむ」か「炎を見る」か、かな。

 


むかし習ったこと

2021-04-21 07:09:48 | Weblog

 飯ごう炊さんで私は「蒸らすときに飯ごうをひっくり返す」と教わりました。
 ところが最近では「ひっくり返す必要はない」となっているそうです。あれまあ。
 実際に両方を試してみた人も多いようですが、その結果を読むと「大差ない」が結論のようです。
 何でも試してみないといけないんですねえ。
 ちなみに「スパゲッティ(乾麺)を茹でるときに塩を入れる」と私はむかし教わりましたが、これは塩入りと塩無しを実際に自分で試してみて、大差ないので今はずっと塩なしで茹でてます。

【ただいま読書中】『SDGsの考え方と取り組みがこれ1冊でしっかりわかる教科書』バウンド 著、 技術評論社、2020年、1680円(税別)

 世界には「環境問題」「社会問題」「経済問題」が山積していますが、それはことごとく「人の行為が原因」です。そこで2015年9月国連で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。その中核が「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標、略称SDGs)」で、17の目標から成ります。それは「貧困ゼロ」「飢餓ゼロ」「健康と福祉」「質の高い教育」「ジェンダー平等」「安全な水とトイレ」「クリーンエネルギー」「働きがい/経済成長」「技術革新」「人や国の不平等をなくす」「住み続けられるまちづくり」「つくる責任/つかう責任」「気候変動」「海の豊かさを守る」「陸の豊かさを守る」「平和と公正」「パートナーシップ」です。
 グレタ・トゥンベリさんの行動もまたSDGsでそのまま解釈することが可能です。彼女の言動は世界中に影響を与え、2019年の国連気候行動サミットの前に世界各地で行われた中高生を中心とする「世界気候ストライキ」には161箇国で400万人が参加しました。ただ、日本はわずか5000人だったとのことで、日本の若者は自分たちの将来の地球にはあまり興味がないのかもしれません。
 SDGsの目標はどれもきわめて平易な言葉で書かれていますが、その中身が平易なわけではありません。たとえばそもそもの「持続可能な開発」は「経済開発」「社会的包摂(弱者も含め一人ひとりの人権を尊重する)」「環境保護」の3要素の調和が求められています。重要なのは「調和」なのです。
 何もなくてもSDGsの達成は困難ですが(地球温暖化やグレタ・トゥンベリさんに対するトランプ(元)大統領の言動を見たら明らかでしょう)、困ったことに新型コロナウイルスがとんでもない悪影響を与えています。それでなくても貧困層はひどい状態にあったのに、それがさらに悪化しているのです。
 SDGsで特徴的なのは「トレードオフを許さない」基本姿勢です。何かを達成するために何かを一方的に犠牲にすることは許されません。ここでも「調和」が必要とされます。
 SDGsに罰則はありません。しかし、きちんと取り組まなかったり、取り組んだふりをしているだけ(SDGsウォッシュ、と言うそうです)だと、その政府は国際的な信用を失うことになります。日本政府、大丈夫かなあ。言葉を飾ることには熱心だけど、「透明性」「オープンな議論」「根拠を示す」「人権尊重」「公正な評価」などは苦手ですからねえ。日本の場合、政府よりも(真っ当な)企業の方がSDGsには熱心に取り組むのではないか、と私は予想しています。企業の姿勢が真っ当なら、SDGsにはビジネスチャンスがいくらでも見えますから。
 私が気になるのが「人口問題」です。人口の急速な減少も増加も、さらにはその中身の急激な変化(たとえば少子高齢化の進行)も、すべてSDGsに悪い影響を与えるのではないか、と思えるのです。でも人口をいじくるのは、なかなかナイーブな問題なので、よほど工夫をしないと難しいでしょう。でも、何かしないといけないはずです。

 


にぎり鮨

2021-04-18 17:45:47 | Weblog

 にぎり鮨には山葵と醤油がつきもの、と私は思っていましたが、最近のパック鮨では「さび抜き」が当たり前になっているし、回転鮨ではマヨネーズなどが最初からついているものが増えています。そう言えば本来の江戸前鮨は、板前がすべての味付けをすませているから客は出たものをそのまま口に入れる、と聞いたことがあります。すると私が持っている「にぎり鮨の常識」は、それほど古いものではなく、そして将来もあやういもの、と言えそうです。

【ただいま読書中】『わさびの日本史』山根京子 著、 文一総合出版、2020年、2500円(税別)

 巻末に32ページもの「わさび歴史年表」が付録としてくっついています。私はこの読書報告ブログに書誌情報をつけていますが、奥付を探すためにこの年表を延々めくる羽目になってしまいました。本の装幀ではワサビの緑色(西洋の絵の具の緑色ではなくて、日本の染め物の感触の緑色)が印象的に用いられています。
 ワサビ属の遺伝子解析により、日本のワサビと大陸のワサビ属とが分岐したのは約100万年前とわかりました。当時は氷河期で海水面は下がっていたので、日本列島にやって来ることができたようです。そしてその野生種のワサビは、人の手によって栽培種へと変化させられました。つまり「ワサビ」について知るためには、「ワサビ」と「人」の両方を知る必要があるのです。
 天武天皇の時代とみられる木簡に「倭佐俾」という文字列があり、これが最古の「ワサビ」だと考えられています。「和名類聚抄(わめいるいじゅしょう)」には「和佐比」とあり、薬用植物としての扱いだったようです。「薑(はじかみ=ショウガ)」の仲間として「山薑」と記載されることもありました。平安時代の「本草和名」には「山葵 和佐比」とあります。ただ、記紀や万葉集には「ワサビ」が登場しないところを見ると、当時の日本人にはまだ身近な存在ではなかったようです。
 料理には、はじめはお汁の実として用いられていたようです。刺激的なお汁ですね。文献を渉猟した著者は、平安貴族の食事に植物性のものがひどく少ないことに気づきますが、そこでワサビが登場することに興味を抱いています。「鈴鹿家記」(京都吉田神社の神官だった鈴鹿家の記録、1339年)には「指身 鯉 イリ酒ワサビ」の記載があり、15世紀後半の「四条流包丁書」には「鯉にはワサビ酢、鯛にはショウガ酢」とあります。日本の料理史で、調理法は江戸時代に大きく変化していますが、食材については室町時代に大体出そろっているそうです。
 織田信長が徳川家康を饗応した記録には「鯛やまなかつおの刺身にショウガ酢」はありますが、ワサビは登場しません。ただ、当時のワサビはまだ「野生種」のみですから、大規模な宴会には調達が間に合わなかったのかもしれません。では、小規模な茶会の記録は? このへんの著者の知的な追究のプロセスは、見ていて気持ちよいものです。そして、複数の茶人の記録からワサビが見つかりました。特に利休の記録には「わさびすりて」とワサビをすりおろしたことがわかるものが。
 家康は「日本のワサビ」に関しては重要人物のようです。晩年に家康が入った駿府城は安部川の河口近くに位置しますが、その上流にワサビ栽培を行っていた有東木が存在していて、川を使ってワサビが運ばれてきたようです。そして家康は山葵を特別扱いした、との伝説があるのですが、著者は、「山葵」の文字列に(徳川の家紋である)「葵」が含まれることがその理由ではないか、と考えています(すでにこの時期、ワサビは「山葵」と書かれるようになっていました)。そして、家康の死後、ワサビの利用は一気に増えていきます。最初は「魚や蕎麦の毒消し」として利用されていました。また、特権階級だけに限らず、庶民レベルの食膳にもワサビは登場するようになっていきます。
 ただ、需要が増すと、それに見合った供給が必要となります。著者は、はじめは各地に小規模な栽培地が増えていったのではないか、と推測をしています。それも江戸時代初期には、近江や安芸など西日本が主力の産地だったようです。朝鮮通信使への献立にはワサビが多く登場するのですが、これはワサビを栽培しているからこそ、でしょう。
 そして「事件」が。マグロと寿司飯と醤油とワサビの「出会い」、つまりにぎり鮨の誕生です。さらに伊豆の天領でワサビ栽培が大々的に行われるようになります。かくして日本中にワサビが普及します。面白いのは、江戸末期にカステラを山葵醤油で、という食べ方があったこと。それを著者も試していますが、酒のアテに良い、とのことです。本当かなあ?

 


見ているだけ

2021-04-17 07:07:53 | Weblog

 昔の小話です。駅で汽車を待っている人が便所に行きたくなって、そこにいる人に「すみません、すぐ戻るのでちょっと荷物を見ててください」と頼んでベンチに荷物を置いたまま行って帰ると荷物がなくなっている。「ああ、誰かが持っていったよ」とベンチの人が言うから「見ててくださいと頼んだでしょう?」と怒ると「だから見てたよ」。「見ててください」を文字通り受け取って「見ているだけ」だった。
 現在のコロナ禍で政治家が「緊張感を持って注視する」とよく言いますが、これも結局「見ているだけ」ではないかな? 常に後手後手ですから。昔のニッセンのテレビCMで「見てるだけ〜」というのがありましたが、あちらの方が買う気満々で“現場”に出かけてきちんと調べているから、政治家の無気力な「見〜て〜る〜だ〜け〜」よりはるかにマシかも。

【ただいま読書中】『文章の問題地図 ──「で、どこから変える?」 伝わらない、時間ばかりかかる書き方』上阪徹 著、 技術評論社、2020年、1480円(税別)

 ビジネス場面で「文章を書くこと」で苦労している人が多いそうです。著者自身もそれほど文章を書くことは得意ではないけれど、いくつかのポイントを押さえたら、すらすらと文章が(たとえば本書一冊が)書けるようになったそうです。
 「すらすら書けなくて苦労する人」の特徴は「最初から完璧を目指す」「何もかも自分の頭から絞り出そうとする」「構成を明確にする前に書き始める」「長さにひるんでしまう」「敬語にこだわる」などだそうです。
 たとえば「講演の感想文」。ここで「感想」だけを書こうとしたら、それは困難でしょう。だけど「素材(その講演で講師がどんなことを言ったか)」とそれに対する「感想」を並べるのはそれほど困難ではないはず。ただ、講演会で「メモ」を取っておく必要があります。それも「素材」と「感想」の両方を。これ、私はふだんからやってますが、慣れると「素材」だけメモしておいても、あとでそれに目を通したときにそこで自分が抱いた「感想」も芋づる式に出てくるようになります。たまーに「この時自分は何を考えたっけ?」と茫然とする場合もありますが。
 構成もあらかじめ考えておく必要があります。著者のお勧めは「箇条書き」。何を書くかをまずざっと箇条書きで書き出しておいて、その後順番を入れ替えていくやり方です。アナログ時代に私はカード(単語カードや京大式カード)でやってました。カード一枚に一つの素材を書いて目の前にずらりとカードを並べてから順番をいろいろいじくっていくやり方です。デジタル時代になってからは、コンピューター画面で素材の入れ替えはとても楽にできるようになりましたから、最初からエディター画面に箇条書きをしていきます。
 目標とする「お手本」を具体的に持つこと、「書くトレーニング」の前に良い文章をたくさん読むこと、など、著者の提案は極めて基礎的で具体的で有用なものばかりです。たぶんほとんどの人に実行可能なものばかり。だったら、あとは「やる」だけですね。

 


相続問題

2021-04-16 08:27:59 | Weblog

 親が死ぬ少し前、私は「露骨に聞くけど、もし死んでしまったら、財産をどう分けて欲しいと思ってる?」と尋ねました。すると親は顔色も変えず「家は○○に、現金は××に」とすらすら答え、言ったことをそのまま紙に書いて「頼むわ」と。法的な要件を満たしてはいませんから正式な遺言状ではありませんが、お葬式の後で「遺志はこう」と言うとそれで相続トラブルは一切起きませんでした。
 これは人徳、と言うよりは、遺産がとても少なかったから、が主な原因でしょうけれど。

【ただいま読書中】『親の家のたたみ方』三星雅人 著、 講談社(+α新書)、2015年、840円(税別)

 「親が死んで、どこに何がどのくらいあるのかわからず、苦労した」という話はよく聞きます。しかし親が生きている内に突然相続の話を持ち出すと、親は警戒します。財産を狙っているのか、と。あるいは、親が早く死ぬことを願っているのか、と捉える人もいます。
 そこでまず必要なのは「親とのコミュニケーション」、特に必要なのは「傾聴」と著者は述べます。それができていないと、結局親が死んでから子供が困ることになるだけ。コミュニケーションが確立したら、次は「データ」です。資産価値、土地の境界の確認、負債の有無など。さらに相続の「関係者」を特定する作業も必要です。普段付き合っている「家族」だけとは限らない場合があるので、正確に事態を把握する必要があるのです。
 また、「とりあえず共同名義にしておいて」などと問題解決を先送りすると、「次の相続で相続人が増える」「相続人の中に認知症の人がいると遺産分割協議が難しくなる」「人口減少で、不動産の処分が困難になる」「政府・日銀の脱デフレ政策で、土地の評価額が高くなる(相続税が増える)」などの可能性が生じてしまいます。
 日本の人口は減っています。しかし住宅の新規供給は続いています。その結果が「空き家の急増」です。それが多く見られるのは山間地ですが、実は都会の真ん中でもその現象はすでに始まっています。東京都内でも「巣鴨化」が各地で始まっている、と著者は指摘します。賃貸だったら家賃を下げたら埋まる可能性があります。問題は、一戸建ての空き家です。
 もしも遠隔地の空き家を管理しなければならなくなったら、お金で解決する手もあります。空き家管理サービス・ホームヘルパー・警備会社など探せば選択肢はけっこうあります。お金と言えば、空き家でも公共料金の契約をしていたらお金がかかります。電気は最低アンペア、ガスは止めるなどの工夫が必要でしょう(NHKは、たとえ空き家でもそこにテレビがあったら受信料を要求するのかな?)。
 建物を解体するにしても貸すにしても、「家財の片付け」を避けて通るわけにはいきません。そこでは「きょうだいでの意思疎通」が重要になります。
 様々な状況を想定して、きわめて具体的に書かれた“指南書”です。「親は元気だし、実家に戻るつもりもないから、自分には関係ない」と思う人でも法律は見逃してはくれません。親の死で慌てふためかないように、あらかじめ“予習”しておくことをお勧めします。