【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

喉元過ぎれば熱さを忘れる

2023-01-02 07:29:47 | Weblog

 10年経つと原発事故の悲惨さはもう忘れられてしまったようです。ならば、半世紀以上前の戦争の悲惨さなんか、もう戦争そのものがなかったことになっているのでしょうね。

【ただいま読書中】『早良親王』西本昌弘 著、 吉川弘文館、2019年、2200円(税別)

 桓武天皇の同母弟で、崇道天皇という追尊天皇(天皇位には就かず、死後に天皇号を追贈された人)です。
 早良親王の祖父施基(しき)親王は天智天皇の第七皇子でその妻は越前の地方豪族の娘。父白壁王は末っ子でその妻和(やまと)新笠は百済の下級氏族出身です。家系図だけ見たら早良親王に天皇の“目"はありません。だからでしょう、白壁王の長男の山部王は官僚として励むことになり、弟の早良は幼くして東大寺に出され、仏道修行に励むことになります。その目が大きく変わったのが、称徳天皇の崩御で白壁王が皇位を継承することになってからです。光仁天皇です。そのためその子供たちは「王」から「親王」へと格上げされることになり、早良は出家の身のままで親王禅師と呼ばれるようになりました。
 天応元年(781)光仁天皇は自身の健康不安を理由として45歳の山部親王に譲位します。「桓武天皇」の誕生です。その翌日、32歳の早良親王は還俗して「皇太子」に任命されます。これまた不思議な人事です。桓武天皇には子供がたくさんいるのに、なぜ同母弟を皇太子に? もしかしたら桓武天皇は、自身の母親の地位が低かったため、それを補強するために同母弟を立太子としたのかもしれません。つまり、桓武の地位強化のための人事。ということは、“用"が済んだら早良皇太子は“用済み"としてポイ捨てされる、ということになりそうな予感がします。しかし、仏教界で重要な役を果たしている弟を自身の“政治"のためにポイ捨て前提で利用するとは、「良い人」では政治はできないんですね。
 光仁天皇が亡くなると聖武天皇系の皇族が多く埋葬された区域に葬られましたが、その後桓武は父を別の地区に改葬し、それから長岡京遷都を始めます。この動きからは、天皇の皇統を「天武ー聖武系」から桓武が属する「天智天皇系」に変更しようとする桓武天皇の意図が読めるそうです。桓武は藤原種継を大抜擢して重用しました。昇進レースで種継に抜かれた貴族たちには嫉妬や怨嗟といったネガティブな感情が満ちたはずです。
 長岡京造営で、夜間も工事の監督をしていた藤原種継が、賊に襲われて落命しました。逮捕された犯人グループは、前月に亡くなった大伴家持の指示で動き、さらに桓武天皇に謀反を企む早良皇太子の許可を得て行動したと自白します。怒った桓武は、実行犯たちを直ちに処刑、早良親王を流刑に処しますが、その道中親王は絶飲食により餓死をした、と伝えられています。
 さてさて、陰謀の主役は、本当に皇太子なのでしょうか? また、その死因は、絶飲食だとして、それは自ら断ったのかそれとも与えられなかった(つまりは殺された)のか。
 平安初期(桓武天皇の死後、その子の平城天皇の時代)に謀反の罪(実は冤罪)を問われた「伊予親王事件」というものがあり、ここでは「親王とその母が禁固されたまま飲食を断たれ、10日後に服毒自殺をした」記録が残っています。似た事件で、人は似た反応をするものですよね? つまり早良親王は殺されたのではないか、さらにその「罪」は冤罪ではないか、という疑いが浮上するのです。それも濃厚に。
 この「冤罪疑惑」を強化するのが、事件のあとの、関係者たちの怯えっぷりです。「早良親王に祟られるのではないか」と恐れること恐れること。“身に覚え"があるんだな、と私は深く頷いてしまいます。
 早良親王が死んで数年後、桓武天皇の生母や后が次々死去、全国的に旱害の被害が広がり国民は飢えに苦しみ、京畿内では天然痘が流行。そんな中、皇太子安殿親王が病気となります。「これは早良親王の祟りだ」と人々は囁きます。
 私が本当に怨霊だったら、桓武天皇の“周囲"を攻めるのではなくて、桓武自身に取りつきますけどね。
 ともかく桓武天皇は、早良親王が死んだ長岡京はどうも縁起が悪いと感じたのか平安京に遷都をやり直します。早良親王の慰霊の行事を何度も何度も何度も念入りに行い続けます。さらに、皇太子を廃した決定を無かったことにしさらに「崇道天皇」と追称し、淡路国にあった墓を山陵に格上げ、そのそばに崇道天皇専用の寺を造営、さらに改葬して墓を大和に移します。これでもか、というくらい「霊に謝」しています。よほど後ろめたかったんですね。そしてこの行為によって逆に早良親王は「日本で最初の強力な怨霊」として位置づけられることになりました。これって、「早良親王が強力な怨霊」というよりは「早良親王に後ろめたい思いをする人がそれだけ大量に存在した」ことを意味しているんですよね? 怨霊よりも怖いのは、生きている人間の方?

 



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