日本に限りませんが、政治家の中には学者嫌いの人がけっこういます。日本でも「違憲かどうかを決めるのは政治家で学者ではない」とか「文系の学部は役に立っているのか?」とか妙に文系の学者を敵視しているような言動をする人が最近目立っていましたっけ。
何を好んで何を嫌うか、は本人の自由ですが、日本の官僚組織ってほとんどが文系の学部出身者で占められていません? 官僚の出身母体を頭から否定する政治家が上手く官僚と“政治”ができるのか、ちょっと不思議に思います。
【ただいま読書中】『人文学と批評の使命』E・W・サイード 著、 村山敏勝・三宅敦子 訳、 岩波書店、2006年、1900円(税別)
著者は、パレスチナの人権闘争にずっとかかわってきましたが、コロンビア大学では文学と音楽の教師としての立場を崩しませんでした。ただ、人文主義者(ヒューマニスト)として、人文学について省察しようと本書を著したそうです。
構造主義とポスト構造主義は「作者(のコギト)」に死の宣告をし、反人間主義的なシステムの優越性を主張しました。著者によると、フロイトの「無意識」もまた「システム」の一部だそうです。著者はこの「フランスの理論」に賛同していますが、同時に「個人の絶対主権」「正義と平等の理想」にも賛同しています。(丸山圭三郎は「19世紀を20世紀に転換させた4人」としてソシュール・マルクス・ニーチェ・フロイトを名指ししていますが、この4人ともサイードは「フランスの理論」の一員としています。この中に「フランス人」はいないのにね)
文献学に関しては、「読むこと」が自分自身の中で循環し、さらに先人の読みとも関連していることが示されます。すでに誰かによって読まれている文章を、自分自身が精読をすること、その意味は? そして、古典を精読するのと同様の態度で、この現実世界をも“精読”するのが、現代の人文学者の責務である、と著者は主張します。だからこそ著者は、アイデンティティが危機にさらされているパレスチナにかかわろうとしているのでしょう。
……そう、「読む」とは「特定個人の行為」です。集団的な「われわれ」の行為ではありません。「われわれ」が「やつら」をやっつけてやる、というスローガンの前で、「私」が何が言えるか、それが人文主義者の立場です。「イラクには大量破壊兵器がある」と主張する人に対して「ではイスラエルには?」と問える人、それがアメリカの人文主義者です。著者は「アメリカの」と限定することで、人文主義者の定義に新しい意味を盛り込もうとしているようです。そしてそれは、単にアメリカでの反権力運動になるのではなくて、一般化されることによってインターネットとグローバリゼーションで結ばれていく人類のこれからのあり方にも大きな疑問を投げかける「新しい意味」であると私には感じられます。
19世紀には、南極や北極などに探検隊が次々派遣されていました。それは「男の世界」でした。スコット隊に志願した女性がいた、という例外はありますが、結局断られています。当時の女性の「旅」は移民として船底に詰め込まれるか、中流階級以上の女性が付き添いつきで大型のトランクをたくさん持って移動する、というものでした。しかし、世界が蒸気船の航路と大陸横断鉄道で結ばれたとき、新しい「旅」が登場します。ジュール・ヴェルヌの『80日間世界一周』です。そして女性にとって、世界一周に挑戦することもまた「冒険」でした。社会的に未踏の“世界”だったのですから。
【ただいま読書中】『ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む ──4万5千キロを競ったふたりの女性記者』マシュー・グッドマン 著、 金原瑞人・井上里 訳、 柏書房、2013年、2800円(税別)
ニューヨーク・ワールド紙に「ネリー・ブライ」というペンネームで様々な斬新な調査記事(精神病院に患者として潜入して女性患者虐待を暴いたり、コーラスガールを体験したり)を書いていたエリザベス・ジェーン・コクラン(25歳)は、16年前のベストセラー『八十日間世界一周』に挑戦することにしました。当時、女性の一人旅は常識外れでしたが、ネリーは1年かけて企画を通します。綿密な計画によると、旅程は75日。荷物は、これまた当時の常識に逆らって小さな手提げ鞄一つとします。1889年11月14日ネリーはブロードウェー近くの自宅を出発します。まず目指すはイギリス。
ネリーは知りませんでしたが、ワールド紙の社告を見てその宣伝効果に気づいたコスモポリタン誌は、ネリーと逆の西回りでの世界一周を企画しました。指名されたのはコスモポリタン誌の文芸編集者エリザベス・ビズランド(28歳)。エリザベスはネリーより8時間30分遅れで、逆方向に旅立ちます。ネリーは北部出身の行動派、エリザベスは南部出身で才色兼備の文学少女。非常に対照的ですが、貧困層の出身で仕事を得てから男性社会の不公平さを身をもって体験している、という共通点ももっていました。そうそう、エリザベスのニューオーリンズ時代の親友の一人として、ラフカディオ・ハーンが登場するのは、嬉しい驚きでした。こんなところにいたんだ。
大西洋横断の蒸気船(二軸スクリューの最新鋭)も大陸横断の蒸気機関車も、「等級」がきっちり分けられています。一等の乗客には快適なホテル、三等は動く安宿。ただしネリーは会社の経費で一等を使うことは認められていますが、特権はありません。世間一般の旅人と同じく、通常の交通手段だけを使っての世界一周をおこないます。エリザベスはそういった条件はなく、汽船のチャーターなどをして期間を短縮する戦略でした。
「世界一周」は「新しいアイデア」でした。アメリカの大陸横断鉄道とスエズ運河の開通が「機関車と蒸気船を使っての世界一周」を可能にしたのです。ヴェルヌはそこに「何日で?」というさらに新しい“挑戦”を持ち込みます。理論上は80日。しかし理論と実践は違います。北極や南極探検などとは違って、「理論への挑戦」は自分にもできるかもしれない「文化的な探検」だと多くの人には思えたことでしょう。
マスコミは大騒ぎです。そういえば19世紀前半の新聞の狂騒(競争)を扱った『トップ記事は、月に人類発見! ──十九世紀、アメリカ新聞戦争』(マシュー・グッドマン)を読んだのは今から1年前のことでしたっけ。大衆受けするネタ、それもトップ記事の座を長期間維持できる可能性が高いネタは、マスコミにとっては大喜びの存在なのです。当然のように、憶測や出任せもやりたい放題。「二人の女性記者の、どちらが美人か」の論争まで起きます。
パリでネリーはヴェルヌの屋敷を表敬訪問します。先を急ぐ旅のわりには、結構余裕を持って行動しています。19世紀は礼節の時代だったのかもしれません。
二人は記事を電報で社に送ります。すでに海底ケーブルが、太平洋以外には敷設されていて、世界のどこでも“リアルタイム”で記事を送れる時代になっていたのです。しかし、ネリーがイタリアのブリンディジでセイロン行きの汽船に乗る前に急いで電報を打とうとしたら、局員が「ニューヨークって、どこにあるんです?」と聞くシーンは笑えます。
そうそう、19世紀末は、アメリカで移民排斥が始まった時代でもあります。大陸横断鉄道工事のために大量の中国人移民が使い捨てられ、用済みになった生き残りは追い出されました。エリザベスが乗った汽船にも帰国する中国人がたくさん三等の乗客となっていました。そして、エリザベスが最初に上陸した“外国”は、日本でした。横浜の外国人居留区です。エリザベスは、絹物屋ですばらしい生地の織物に夢中になり、あやうく東京行きの汽車に乗り遅れそうになります。エリザベスにとって、アメリカは蒸気トラクターと大きな新聞社の平凡な国、日本は磁器と詩歌のすばらしい国、でした。
そのころネリーはスエズ運河を通過しようとしています。そこで船上のイギリス人女性たちに「アメリカの国旗はどんな図柄?」と問われます。当時は大英帝国全盛の時代。アメリカはまだでかいだけの二流国だったのです。そういえばネリーもエリザベスも世界一周と言いながらそのほとんどの旅程は「大英帝国」を通っています。現在「英語が世界共通語」扱いなのは、アメリカではなくてイギリスの“功績”なのですね。エリザベスも日本の次は香港、つまり「大英帝国」に上陸します。そこからイタリアまで一気に蒸気船で行く予定。ずるいなあ。ヴェルヌの作品ではインドに寄らないといけないのに。ところがここでアクシデントが。乗る予定の船のスクリューが故障したのです。
ワールド紙は「ネリー・ブライの旅の時間当て」の懸賞を企画します。新聞についているクーポン1枚につき1回だけ予想を応募でき、秒までみごと当てた人一人に豪華ヨーロッパ旅行。新聞についているクーポンは1枚だけですが、もちろんワールド紙を重複して買えば何回でも応募できます(AKB商法を思い出します)。ワールド紙の売り上げは激増します。社には応募のクーポン券が殺到します。かくしてワールドの読者は、“見物人”から“レースの参加者”になったのでした。
ニューヨークから見てほぼ地球の反対側のセイロンで、ネリーは予定外の足止めを喰らいました。これで太平洋横断の汽船に乗り遅れたら、あるいは冬の嵐で大陸横断鉄道が送れたら、ネリーは「八十日間世界一周」を達成できなくなってしまいます。そして、南シナ海のどこかで、ネリーとエリザベスはすれ違います。香港でネリーは、自分にはエリザベスという“ライバル”がいることを初めて知らされます。さらに、香港で5日間、さらに横浜でも5日間船を待たなければならないことも。
そして、旅の最終盤、二人の女性にそれぞれの不幸が襲いかかります。エリザベスが乗る予定の大西洋横断快速船は欠航となり、足の遅い蒸気船しか使えません。しかも1月の北大西洋は大荒れです。ネリーが乗る予定の大陸横断鉄道は、歴史に残る猛吹雪でアメリカ大陸西部で線路がほとんど雪で埋まってしまっていました。しかし二人とも簡単にはあきらめず、最善を尽くそうとします。
どちらが勝ったか、はある意味些末なことでしょう(一応、この時達成された世界一周最速記録が72日6時間11分14秒だったことは書いておきます)。私はもっと些末なことが気になりました。二人が世界一周をするために、結局どのくらいの石炭が燃やされたのだろう、と。本当に、どうでもいいことなんですけどね。
問いかけをされたら「正しい答え」を出そうと人は努力しますが、そもそもその問いが正しいものかどうかの検討をまずするべきではないでしょうか。間違った前提に立っている問いには最初から「正しい答え」なんかないのですから。
【ただいま読書中】『陰陽師 ──太極ノ巻』夢枕獏 著、 文藝春秋、2003年、1286円(税別)
悪く言えばマンネリですが、良く言えば安定感のあるシリーズ展開が続いています。良質のシットコムのような、安倍晴明の屋敷(とその周辺)をお決まりの舞台として、安倍晴明と源博雅の名コンビが妖怪変化が関係する謎を解き続けています。
謎と言えば、冒頭の「二百六十二匹の黄金虫」はもちろんエドガー・アラン・ポーの『黄金虫』へのオマージュでもありますね。しかもそれが二百六十二匹……とタイトルを読んだ時点で私は「謎」(何を題材とした暗号であるか)が解けた気がしました。実際にそれは正解だったのでちょっと嬉しい気分です。ただ、その二百六十二匹の「暗号」を分類する単純作業を著者は本当にこつこつとやったのでしょうか。確認のために自分でやる気にはならないのですが(だって面倒だもの)、ロマンとか想像力とかだけではなくて、こういった単純作業の繰り返しも本シリーズを支えているのでしょうね。いやあ、楽しい本です。
私は一度中国人の漢方医に診察してもらったことがあります。そのとき驚いたのが、脈の診察の丁寧さ。両手の脈を同時に取るのですが、指三本を当てて、軽く押したり強く押したり、たしか数分間ずっと脈をとり続けていました。で、それで何がわかるのかを聞いたら、左右の三本の指(人さし指~薬指)のそれぞれでわかることがすべて違っていて、それらを総合したら体内の状況が大体想像できるのだ、とのことでした。ホントかしら?
日本の漢方だと、中国とは違って、脈ではなくてお腹の触診が非常に重視されています。こちらも実に丁寧にじっくりじっくり触られます。
血液検査もレントゲンもない時代に発展した医学ですから、医者が五感をフルに活用して“情報”を集めていた、ということなのでしょうね。
【ただいま読書中】『歴史でみる不整脈』ベルント・リューデリッツ 著、 中尾葉子 訳、 山科章 監訳、 医学書院、2015年、6500円(税別)
古代医学で「脈」は重視されていました。中国では紀元前3世紀の王叔和が脈について『脈経』という詳しい本を残していますが、全身の11箇所で脈を取るのだそうです。やたらと時間がかかりそうです。古代エジプトでも「脈」が心臓と関係あることがわかっていました。古代ギリシアではヘロフィロスが音楽理論を応用して脈を表現しています。脈拍測定で“時計”として用いられたのは医者の呼吸数でした。古代ローマのガレン(ガレノス)は「脈は動脈の収縮と拡張」と述べましたが、当時はまだ血液は循環するものではなかったので(ガレンの理論によれば、血液が流れているのは静脈で、動脈には精気(プネウマ)が流れていました)、脈に対する心臓の役割は不分明です。
「脈」が大進歩したのは17世紀、イギリスのハーヴェイの「血液循環説(血液は、心臓→動脈→臓器(肺または全身)→静脈→心臓、と全身を循環している)によってです。イタリアのサントリオ(1561-1636)は「脈拍計」を発明します。単なる振り子装置ですが、脈拍にあわせて紐の長さを調節しリズムがぴったりのところの紐の長さで脈を「定量的に表現」できる優れものでした。
1887年にウォーラーによって初めてヒトの心電図が記録されます。アイントーフェンがそれを発展させて近代的な心電図の基礎を築きます。「正常な心電図」が取れるようになりその研究が進めば、正常ではない心電図、つまり不整脈についても研究ができるようになります。
しかし「最初の心電図」を得た医者は、何をどう判断できたのでしょう? 心臓の動きと関連していることはわかりますが、その波のどの成分が心臓のどの部分のどの動きと関係しているかはわからないわけでしょう? と言って、胸を開けて心臓をかっさばいたらもう心電図は得られませんし。
ともかく心電図の異常と症状とを組み合わせることで様々な「不整脈」がたんとみつかります。さらに心臓の内部構造の研究が進み、心臓の中に伝導系(電気信号の通路)が次々見つかります。発見順で、プルキンエ繊維・ケント束・ヒス束・房室結節・ウェンケバッハ束・洞結節・バッハマン束・マハイム繊維・ジェイムス繊維……最初のプルキンエが1845年、最後のジェイムスが1961年。それぞれの“故障”によって不整脈が起きることが整理されていきます。大航海時代に探検隊が少しずつ地図を完成させていく作業に似ています。
古代エジプトのエーベル・パピルスに「利尿、強心、下剤、殺鼠剤」として用いる海藻の記載があります。1250年にウェールズの医師がキツネノテブクロ(ジギタリス)に薬理作用があることを記載し、1785年にイギリスの医師ウィザリングがキツネノテブクロが持つ強心効果について報告します。そして20世紀に、次から次へと抗不整脈薬が開発されます。これまでに蓄積された、解剖と病理と心機能の研究の蓄積が一挙に花開いたようです(フーコーの『臨床医学の誕生』を私はここで連想しました)。ただ、大規模な臨床試験がおこなわれることで、不整脈の治療をすることでかえって患者の死亡率が高まる場合があることがわかり、不整脈の治療は複雑化します。
心臓は電気信号で動いています(だから「心電図」が得られます)から、外から電気刺激をすることで「治療」をしようという発想も自然に生まれました。18世紀に心臓に電流を流すことで拍動させる実験が行われています。その結果20世紀に生まれたのが人工ペースメーカーです。世界初の植え込み型ペースメーカーは「トランジスタ式」とわざわざ写真の説明に書いてありますが、たしかに真空管では体内に植え込めませんよね。医学と技術には密接な関係があります。さて、“次”は人工心臓でしょうか。それも、走ったり興奮したら自動的にどきどきしてくれるもの。不整脈の患者以外でも、心不全とか心筋症とか、“需要”は相当ありそうです。
今回の関東での大水害で、堤防が破壊されたメカニズムとして「越水(堤防の高さを水が超える)」と「浸透(堤防そのものに水が染みこんで内側から破壊する)」がテレビで紹介されていました。たしかに堤防を防水にしました、という話はあまり聞いたことがありませんし、堤防の内面にコンクリート板を貼ったとしてもその隙間やひび割れからはどうしても水が浸透していくことでしょう。
これで私が気になったのが、ダムです。ダム周囲の土壌も防水にはなっていません。するとダムに水が貯まると周囲の山の地下にも水が貯まることになります。これってたとえば山崩れの原因になったりしませんか?
【ただいま読書中】『南から来た男』金原瑞人 編訳、 岩波少年文庫605、2012年、700円(税別)
目次:「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」エドガー・アラン・ポー原作・金原瑞人翻案、「南から来た男」ロアルド・ダール、「家具つきの部屋」オー・ヘンリー、「マジックショップ」H・G・ウェルズ、「不思議な話」ウォルター・デ・ラ・メア、「まぼろしの少年」アルジャーノン・ブラックウッド、「エミリーにバラを一輪」ウィリアム・フォークナー、「悪魔の恋人」エリザベス・ボウエン、「湖」レイ・ブラッドベリ、「小瓶の悪魔」ロバート・ルイス・スティーヴンソン、「隣の男の子」エレン・エマーソン・ホワイト
「ホラー短編集2」ですが、冒頭の「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」で私は一種の“呪”をかけられてしまいました。ここに金原瑞人さんは「ホラー小説は、単に『恐怖』だけを描いたものではない」という主張を忍び込ませているのです。たとえば描写力、人間心理への洞察、語らないことによる描写……それらによって作品に描かれる「ホラー」が二重三重に読者を包み込み、まるで複雑な地形での木霊のように読者が思いもしない方向から軽いショックを与えてくれます。目次を見ただけで最初から最後まで「良い小説」が読めることが期待できると思えますが、その期待は裏切られません。私が保証します。
忠犬ハチ公は忠義ではなくて愛情で行動していたのではないか、という話を聞いたことがありますが、戦前の日本社会では「愛情」よりも「忠義」の方が好ましいからそちらが定着したのでしょうね。
ところで現在「ハチ公」が登場したとしたらどうなるでしょう。「野犬がうろうろしている」と即座に通報されてあっさり捕獲・殺処分、でしょうか? 本物のハチ公も、新聞報道で有名になる前は「単なる胡乱な犬」としてけっこうな迫害を受けていたようですが、どの時代でも“忠義”を貫くのは大変なようです。
【ただいま読書中】『子ども兵の戦争』P・W・シンガー 著、 小林由香利 訳、 日本放送出版協会、2006年、2000円(税別)
戦争にも“ルール”があります。たとえば19世紀までは、戦うのは兵士で、民間人は保護される、となっていました。もちろん不届き者はいたし、例外も多かったのですが、それでもルールはルール。その保護されるべき民間人でも最優先されるのは、子供でした。
もちろん戦争ですからイレギュラーな事態はあります。そういった中で悪名高いのが、南北戦争でのニューマーケットの戦い(1864年)で南軍が士官候補生約250名(内1割は16歳以下)を投入した事例と、第二次世界大戦末期にヒトラー・ユーゲントが本国防衛に投入されたことです。
ところが近年「イレギュラー」が「当たり前」になりつつあります。アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ……世界中で子ども兵を使う武装勢力が増えています(非政府武装勢力の60%)。武装勢力だけではなくて、世界50ヶ国では政府軍に子ども兵が採用されています。
子ども兵の世界には、女の子も多数います。戦闘にも使えますが、自爆テロの要員として使いやすいし、性的虐待の対象や「兵士の妻」としても重宝なのです。
資源(エネルギー資源、地下資源、水、農地など)の枯渇、人口の増大、貧困化、テロの蔓延、HIVの蔓延などが複雑に絡み合い、内戦は長期化し、子供たちは暴力に取り巻かれて成長します。
技術面の“進歩”も子ども兵を“支援”します。たとえば子供でも扱える小火器・軽火器の普及です。その代表がカラシニコフ(AK47)。軽量で分解・運搬が容易、しかも十分な殺傷力。子供たちは2~30分の訓練で取り扱いを覚え、2~3時間の訓練で人を殺せるようになるそうです。AK47は世界にだぶつき、たとえばモザンビークでは1600万の人口に対して一時600万挺のAK47があったそうです。
「使い捨て兵器」として子ども兵は扱われています。大人と違って命令には従順で報酬は不要、残酷な訓練をすれば短期間で“使える”ようになります。つまり「コスパ」が非常によろしい。徴集方法も、効率を重視する団体は、孤児院や中学校を狙います。あるいは、ホームレスやストリートチルドレン。そして「残酷な訓練」についても具体的に紹介されます。たとえば「殺人」。軍への受け入れの儀式として、実際に殺人をさせるのです。この“一線”を越えさせることで、子供たちは社会からははじき出され、居場所は軍の中だけだと感じるようになります。さらにタブーを破ったことで、民間人に対する思いやりを一切持たない戦闘マシンに子供たちは変貌します。かくして従順な兵士となった子ども兵は、突撃を命じられたら一切のためらいもなく突撃をしていきます。攻撃を受ける側はショックだそうです。子供たちが金切り声を上げながら、撃っても撃ってもお構いなしに突っ込んでくるのですから。かつての日本陸軍の万歳突撃の子供版でしょうか。しかも経験を積むことで射撃の腕など戦闘能力が非常に高くなって、子ども兵の部隊が正規軍の特殊部隊に大打撃を与えた例も本書では紹介されています。
なぜ脱走しないのか。その理由は様々です。恐怖、教化、洗脳、依存(麻薬など)、絆、あきらめ(故郷が破壊されていて脱走しても行くところがない。元子ども兵だとわかると政府軍に射殺される)、妊娠……
子ども兵を採用することで、武装勢力は戦力の調達が容易となります。特に破綻国家で武装勢力は以前よりも成長しやすくなりました。そして“グローバル化”により、そういった武装勢力は国際的なテロ・ネットワークにすぐに組み込まれてしまいます。自分たちは破綻しないという自信を持っている先進諸国にとっても、子ども兵は自分たちとは無縁の存在ではないのです。さらに子ども兵はイデオロギーを問わず、大人よりも撤退や戦いをやめることを望みません。子ども兵によって戦争は始まりやすく容赦がないものになり終わりにくくなっています。
子ども兵の“後遺症”は深刻です。教育の代わりに殺人と武器分解の技能をたたき込まれ「失われた子供時代」を過ごした人たちは、心身が傷つき、未来を失っているのです。本書のあちこちに散りばめられた子ども兵たちの肉声の記録からも、それらを簡単に見て取ることができます。
対抗策は、当面のもの(とりあえずどう戦うか)と未来のもの(子ども兵の発生そのものを抑制する)とさらに未来のもの(戦争をなくす)に分けられます。もっとも「さらに未来のもの」はただの観念論・理想論になってしまいそうですが。非致死性武器の開発は一つの手です。これですべてが解決するわけではありませんが、でも何かをしないと、子ども兵だけではなくて、世界は未来を失ってしまいかねません。
口では「ダイエットをしなくちゃ」と言いながらなぜか運動をしている人がいますが(本来「ダイエット」は「食事(療法)」のことです)、本当は「ダイエットが必要」なのにそれをしたくないから「運動」に逃げている、ということなのでしょうか。
【ただいま読書中】『新大陸が生んだ食物 ──トウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ』高野潤 著、 中央公論新社(中公新書2316)、2015年、1000円(税別)
アンデスは高度によって“分業”がおこなわれています。高度3200~4200mくらいはジャガイモ、それより下はトウモロコシ専業農家です。人々は市でそれぞれの産物を交換して日常的に食べています。
著者はアンデスを旅行中に、不思議な「イモ」を食べます。チューニョ(凍結乾燥させたジャガイモ)、カチ・チューニョ(1~2日間、天日と霜に晒したジャガイモ)、モラヤ(天日には当てず霜にだけ晒したジャガイモ)、氷のカヤ(オカというイモをチューニョと同じく凍結乾燥させる)、水のカヤ(オカをモラヤと同じ製法で処理)…… 決して農業の適地とは言えないアンデス高地(寒冷、乾燥、時に大洪水)で、人々は営々と農業を継続していました。
料理法も、スープにする、茹でる、砕く……本当に様々です。インカの食を支えていたジャガイモやトウモロコシは、15世紀から海外に広まり、あっという間に世界中で受け入れられましたが“本家”の特長は「バラエティ」のようです。。
アンデスでトウモロコシは、実にカラフルな品種があり、食べ方も様々でした。スープ、煎る、茹でる、チッチャ(濁り酒)の原料……もちろん、お粥やパンもあります。というか、パンはお粥を焼いたものでしたね。
ジャガイモが日本に入ったのは江戸時代はじめで「ジャガタライモ」と呼ばれたそうですが、広く栽培されるようになったのは明治になって北海道にアメリカから優秀な品種が導入されてからだそうです。ジャガイモの品種といったら、男爵やメイクイーンくらいしか私は思いつきませんが(しかもこの二つでさえ、食べて区別がつくかどうか自信はありません)、アンデスには4000種類のジャガイモがあるそうです。著者はそういった古典種系ジャガイモに興味を持って次々撮影(と味見)をしますが、これらの名前は品種名というよりほとんど個別名だそうです。13ページにわたってカラー写真がずらりと並んでいますが、これらをひとくくりに「ジャガイモ」と呼べるのか、という疑問を私は感じてしまうくらい、個性豊かです。本を読むだけでは味はわかりませんが、色・形・大きさ・内部構造があまりに違いすぎるのです。逆に、ここまで多種多様にならなければならなかった「ジャガイモの側の理由」というのも知りたくなります。
ペルー中北部の遺跡からは、8000年前のトウガラシの遺物が発見されたそうです。何を思って昔の人はこの辛さの塊をかじっていたのでしょう? もっとも害獣(鳥や野ネズミ)も好んでトウガラシを食べるそうなので、何か動物を惹きつける魅力があるのでしょうね。こちらも色・形・大きさ・辛さで多種多様ですが、さらに多種多様なのがトウガラシソースです。どのトウガラシを何と組み合わせるか、でいろんな味があるそうです。私がひかれたのは、胡桃の実とのソース。ピーナツとのソースは肉料理に合うそうですが、それよりも美味しいのだそうです。
ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ以外にも、アンデス原産の作物はたくさんあります。最終章でそれらが駆け足で紹介されていますが、どれもこれもカラフルで美味しそう。また、これらの多くを居ながらにして味わうことができる点で、日本にいて良かった、とも思えます。
女性は全身をすっぽりと覆わなければならない、というイスラムの教えは、日焼け止め以外に「男を“その気”にしないため」という目的がある、と聞いたことがあります。もしそれが本当なら、女性蔑視であると同時に、男のことも馬鹿にしていません? 男は常に盛りがついていて女の素顔を見るだけで勃起して襲いかかる、と言っているわけですから。もうちょっと理性がありますよね? ……ね?
【ただいま読書中】『キルギスの誘拐結婚』林典子 著、 日経ナショナル・ジオグラフィック社、2014年、2600円(税別)
キルギスでは、540万人の人口の7割を占めるクルグズ人社会で誘拐結婚が堂々とおこなわれています。人権団体の推定では、全結婚の3割。その中には駆け落ちの変形もあるようですが、全体の3分の2は面識のない男に女性が誘拐されて結婚、という例だそうです。
最初に登場する「チョルポン(18歳)」は、バスに乗っているところを彼女に一目惚れをしたアマンが友人たちと車で追跡、バスから無理矢理降ろされ家に連れ込まれ6時間の“説得”で結婚の承諾をしました。キルギス社会では、女が男の家に入ることは(たとえそれが誘拐でも)“恥(純潔を失ったと見なされる)”で、結婚をしない限り(あるいは社会からの脱落者になるか死ぬかしないと)その男の家から出ることは両親に恥をかかせることになるのです。さらにここに女性も加担します。男の側の親類の高齢者の女性たちが「結婚をするように」と説得をするのです。キルギスでは高齢者は敬われる対象であり、その高齢者の説得を無下にすることは倫理にもとるのです。
悲惨な例もあります。結婚間近だった女性が誘拐されてレイプされ自殺。さすがにこれは事件として男は逮捕されました。一応キルギスでも、結婚目的であろうと誘拐は違法なのです。ただし量刑は最高3年で、羊の窃盗と同じなのですが。さらに「親族のもめ事(結婚した以上親族だ、と見なされるようです)」として、事件になることは極めてまれだそうです。ストーカー被害を「単なる男女間のもめ事」として冷ややかに見る日本の警察の態度と通じるところがあるのかもしれません。基本は女性蔑視ですが。
ちなみに、伝統的な誘拐結婚でも、レイプは御法度だそうです。
本書に登場する80代の夫婦は、夫が実家を訪れて妻(になる人)の手を引いて二人で自分の家まで歩いて、の“誘拐”だったそうです。その妻は「今のような暴力的な誘拐結婚は伝統ではありません。単なる流行です」と言います。どうも「伝統」ということばだけが伝えられて、その中身についてはきちんと捉えずに行動に移す若者が多いのかもしれません。
意外と言ったら失礼でしょうが、結婚の結果、幸福に暮らしている夫婦はけっこう多くいるようです。だけど、上に書いたように自殺をした例もあるし、離婚になった例もあります。ちなみに、幸福に暮らしている夫婦の場合でも妻たちは「自分の娘(孫娘)は、誘拐結婚という目には遭わせたくない」と言っています。
驚いたのは「誘拐中の写真」もあること。まさか著者が誘拐に同行したわけではないでしょうから、誘拐する一党が「記念撮影」をした、ということなのでしょうね。
日本の場合「黒船」に乗っていたのが外交目的を持った軍人だったから開国となりました。では「黒船」に乗っていたのが、別の種類の人間だったらどうなっていただろうか、なんてことを私は夢想します。たとえば……侵略目的の軍人、観光客、人類学者、貿易商人、冒険家、難民、亡命者、宣教師、爆買い目的の中国人……そのどれでも、今の日本とは違う日本になっていたような気がします。
【ただいま読書中】『重耳(下)』宮城谷昌光 著、 講談社、1993年(95年11刷)、1553円(税別)
しかしこれだけ長い作品を書き下ろしとは、すごいですねえ。それでもすいすい読めてしまい、惜しいことに最終巻です。
晋ではクーデターが起き、君主不在状態になってしまいます。そこに当時はまだ小国だった秦が介入しますが、重耳は動かず、三男の夷吾が帰国して王となります。しかし夷吾は不徳の人で、秦に対しては忘恩の態度を取り、ついに秦との戦争に。晋は秦の1.5倍くらいの軍を持っているのですが、そこで夷吾は見事なばかりの敗北を喫してしまいます。それで悔い改めたら良いのですが、敗北の悔しさは夷吾の悪政に拍車をかけます。まず“ライバル”重耳に対して刺客を派遣。秦に対しては不誠実な遁辞を構え続けます。刺客の存在を知った重耳は、移動を開始します。目的地は、当時の最強国、斉。斉の桓公は当時の覇者でしたが、それを成就させたのは名宰相である管仲。しかし、管仲はその年に死んでいました。そこに重耳が行けば、どのような扱いを受けるか? もしかしたら宰相に採用されるかもしれません。ただしそれは、晋には戻らない、ということを意味します。道中では飢え死にしかけるほどの辛い目に遭いますが、やっとの思いで辿り着いた斉で重耳は厚遇されます。
重耳の態度は不思議です。父や弟から暗殺者や刺客を差し向けられても、抵抗しません。せいぜいの抵抗は、逃走のみ。さらに道を外れた行動を絶対にしようとしません。非常に窮屈な態度に見えますが、春秋時代には「人事を尽くして天命を待つ」の「人事」そのものも「天道に則った行動」である必要があったからでしょう。我意によって非道な行為をしたものは、必ず天によって裁かれる、という信念を重耳は持っていたかのように私には見えます。これは、天に対してひたすら従順な態度、とも言えますが、ひっくり返せば、「これをきちんと評価できないのなら、天は怪しいぞ」と強く出ている、とも言えそうです。
重耳一行の流浪の旅は続きますが、この旅自体が、重耳個人だけではなくて、「天下」の形勢に微妙な影響を与えていきます。重耳一行を目撃した人は何らかの影響を受けますから。また、重耳の家臣団もそれぞれが成長し、何かあったときに重耳が相談をすると、それぞれが違うことを言うようになります。各人の個性を発揮し、それぞれの人間が最善だと思うことを言っているのです。すると重耳には「選択の余地」が生じ、さらにそこに自分の考えをつけ加えることが可能となります。独裁制の中の民主主義、といった趣です。
もしも「天意」を信じる人間が過半数いたら、その社会では「天意」は“実在のもの”として機能します。そして、春秋時代はそういった社会だった、ということが、本書には活写されています。
時代小説やテレビドラマで、舞台は昔なのに、そこに登場する人物が全員現代の価値観で動いている(頭にちょんまげは乗っているが、それは“カツラ”にすぎない)というものがけっこうあります。もちろんその方が登場人物の動きや判断についての違和感を視聴者は感じなくてすむのですが、それだったら別に舞台が過去である必要はありません。「現代人の物語」なのですから。その点この作品は“異世界”を現代人がちゃんと味わうことができるようにきちんと“調理”をしてありますが、その本来の味わいを壊してはいない、という絶妙の一品でした。ごちそうさま。
4年前に「東北大震災は天罰だ」と言った政治家がいたと私は記憶していますが、すると今年の連続する火山の噴火や大水害も“天罰”なのでしょうか? それとも規模が小さいから天罰ではない? 今回の被災者は「災害の規模が小さくて良かったね」と言われて、心の慰めになるかな? 「これは天罰だ」と言われるよりマシかもしれませんが。
【ただいま読書中】『重耳(中)』宮城谷昌光 著、 講談社、1993年(96年17刷)、1553円(税別)
本家を滅ぼして「晋」を再興させた曲沃は、周王にもつながりができ、これから大発展、という嬉しい予感に震えます。しかし、満ちた月は欠けるもの。かすかな凶兆が漂い始めます。
まず、悲願が叶った老王称が天寿が満ちて死去。ついでその息子(次の王)の詭諸は正室を失います。さらにその長男申生には跡継ぎができません。そして次男重耳に婚礼の話が。
3代にわたる父と息子の物語が、本書の背景でずっと通奏低音として鳴り続けています。
晋の内情は安定しません。先王の一族は現王の言うことを素直に聞きません。それを詭諸はその性格通り真っ直ぐに打ち破っていきます。この性格こそ称が「小さな覇者にはなれても、天下に号令することはできない」と判断したものだったのですが。
そして「将来重耳は、父が放った暗殺者に対して、抵抗をしない」という不吉な予言が著者によっておこなわれます。ちょっと待って。そこで主人公が殺される、ということ?
晋は内憂外患状態となります。陰謀により公子たちは首都から分散させられます。分散しておいてから個別に殺すあるいは廃嫡しよう、という狙いからです。ただ、悪いことばかりではなく、各地に人が集まることで晋の国力は全体としては向上します。軍は一軍(周の規定では12500人)から二軍に倍増します。しかし、王と公子たちの分裂は深まり、一番親孝行だった長男の申生はとうとう自殺してしまいます。重耳は亡命します。43歳での亡命はきつい決断ですが、亡命生活はここからなんと19年も続くのです。三男の夷吾は梁に亡命。
重耳一行が目指したのは、重耳の母の生地、白狄の支配地です。そこで妻を娶り、長期戦の構えです。“正当な公子”がすべていなくなった晋の国は、君ではなくて臣の力の方が異常に強い、不思議な国になってしまいます。