【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

熊と基地

2010-11-30 18:45:55 | Weblog
人の領域に現われた熊を射殺した地域に対して「お怒りの電話」が殺到した、というニュースにあきれたのはいつのことでしたっけ。もし私がそんな電話を受けたら「あなたの住む地域を教えてください。こんど熊が生きたまま捕獲できたら、そちらでリリースしますから」と言ってしまいそう。
「自分の思いが満足できれば、誰かが困っていても平気」という点では、沖縄の基地への態度と同じ構造かも。そういった点で、「熊のために山にドングリがなる木を植えてください」と寄付をした人がいる、というニュースにはちょっとほっとしました。効果がどこまであるかは不明ですが、その態度の方に。

【ただいま読書中】『アトランティスの少女 ──ノーチラス号の冒険(2)』ヴォルフガング・ホールバイン 著、 平井吉夫 訳、 創元社、2006年、952円(税別)

10月26日に読書日記を書いた『忘れられた島』の続編です。
やっとたどりついた「忘れられた島」で乗り込むことができたノーチラス号を破壊しようとするとろこで、話が始まります。マイクたち少年がこのまま潜水艦暮らしをするわけにはいかないし、追跡してくるドイツ帝国海軍のヴィンターフェルト艦長の手にこの艦が落ちたら、世界に多大な害を為すことは明らかなのですから。少年たちは英国に上陸し、ノーチラス号は自沈するために行ってしまい、そして第一次世界大戦が始まります。
しかし、チャネル諸島から英国本土に向かう少年たちの前にノーチラス号が浮上します。アトランティスの秘密と共に。
短気が元で起きたトラブルで、ノーチラス号は200mの海底に座礁してしまいました。しかしそこで彼らは驚くべきものを発見します。金属製のドームです。数千年は開いたことがないだろうエアロックを通って中にはいると、中にはガラスの櫃に収められた少女と、それを守っている片目の黒猫が。猫はどこからこのドームに入ったのか、どうやって生きてきたのでしょう。そこにまたもやヴィンターフェルトの部隊が。
不思議なことが続きます。マイクは猫の名前(アスタロス)を知ります。自分の心が四つ足の獣の中に入ってしまう夢を見、さらに、6000mの海底に向かって沈没する船を救うために必要な部品がどこにあるかも突然わかります。ついでですがアスタロスは、水中でも生きることができる猫でした。一体何が起きているのか。マイクは混乱します。アスタロスはため息をつきます。なぜ人間は何かを理解したとたん必ず「しかし」や「どうして」があとにつづくんだ、と。
結局ノーチラス号はヴィンターフェルトに降伏しますが、ヴィンターフェルトはノーチラス号をドイツに渡す気はありませんでした。さらに少女セレナが目覚めます。彼女は、戦慄すべき“力”を持っていました。もしかしたらアトランティス大陸を沈めた“力”を。
ノーチラス号はまた出発します。アトランティスの遺産を求めて、そして、セレナが安全に住める場所を探して。それに失敗したら、第一次世界大戦どころではない災厄が、世界を見舞うかもしれないのです。(サイボーグ009に似た話がなかったっけ?)


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障害物

2010-11-29 18:41:58 | Weblog
何かまたは誰かに自分を近づけようとするとき、理性が勝っている人は理解しようとするでしょうし、感情が勝っている人は共感しようとするでしょう。しかし、そこに批判が存在すると理性は堅くなって理解が遅れるでしょうし、悪口があれば感情が堅くなって共感の邪魔になるでしょう。だとしたら、まず自分に向いているのが理解か共感かどちらの方法論かを決定して、次に批判や悪口を慎重に排除する、という前処置が必要になりそうです。

【ただいま読書中】『陰陽師(9)玄武』岡野玲子 作、夢枕獏 原作、白泉社、2000年、790円(税別)

初っぱな、真葛が静かに荒れています。「おれも晴れて解禁の身となったのだから、さっそく夜這いのお声がかかってもよさそうなのに」と、「真葛延う 月の夜道の 通じれば 呼ばう声なく 忍ぶ音もなし」という露骨な歌まで詠んでしまいます。おやおや、乙女がそんなことを言うなんて、本巻は色っぽい方向に行くのかな、とちょっと期待してページをめくると……
方術師が瓜売りをたぶらかす有名な挿話が登場した後、実は前巻の雨乞いの話がまだ完結していないことがわかります。五行(木火土金水)だと水が生むのは木ですからではてっきり「木」の話なのかと(だから瓜が登場したのか、と)思っていると……なんと「火」でした。私はなんとなく裏切られた気分です。でもまあ、これが作者の“仕掛け”なのでしょう。五行の相生ではなくて相克でしかもそれを逆コースにたどった、と解釈するべきなのかな。そう解釈したら、本巻最後のあたりの晴明のことば「壊れるということはな、よいことなのだよ、博雅」に特殊な響きが感じられます。
これまで都は「異界」と接点を持っていましたが、本巻では都全体が異界と重なってきているように見えます。まだわずかにずれているのでおおごとにはなっていませんが、禍々しいことが起きそうな予兆がぷんぷんと。
そうそう、内裏に平気で盗人が現われますが、これは当時の貴族の日記にも記述されているので(『御堂関白記』で読んだ記憶があります。たしか別の日記でも)、たぶん「リアルな話」なのでしょう。古代エジプトや中国では呪的に守られている王家の墓でさえ荒らされるのですから、日本の天皇家の倉は盗人にはよい獲物だったではないかな。少なくとも呪われる心配はしなくて良さそうですから。
7巻くらいまでは、「動く(あるいは解説する)安倍晴明」に対して源博雅は傍観者というか読者に代わって解説を聞く係、という役回りでした。しかし8巻くらいから、博雅の動きがかわってきています。晴明はこれまでより一歩ひいて、博雅の動きも視野に入れながら何事かを行なう、といった感じに見えます。だからこそ晴明は博雅の身を案じているのですが。
ただまあ、博雅は、相変わらずのトンチンカンの朴念仁で、「動く」と言っても「行動の主体」というよりは「触媒」です。「触媒」だから彼が傷つけられる心配はあまりしなくてよさそう。そして、博雅が「夜這い」をさせられてしまうのには大爆笑です。新婚初夜に、姫ではなくて笙の方に夢中になっていては、イカンでしょう。



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新世紀

2010-11-28 18:43:04 | Weblog
もうずいぶん昔のことなのでほとんど忘れてしまいましたが、私が子どもの頃に思っていた「21世紀の日本」は、少なくとも「皆が携帯を持って、ユニクロに買い物に行く」世界ではなかったはずです。

【ただいま読書中】『スラン』A・E・ヴァン・ヴォクト 著、 浅倉久志 訳、 早川書房、1977年

外見は「人間」にそっくりだけれど超能力を持つ「スラン」は、人類の敵として狩られていました。9歳のジョミーも、1万ドルの賞金をかけられて一人都会の裏道を逃げまどっていました。
人間の中には例によって対立があります。おなじみのものに加えて、スランに対しての態度でも、強硬派と穏健派で深刻な対立をしています。ところが「反スラン教育」が行き届きすぎてしまって、隠れているスランが持っている超科学技術を利用しようにもスランと接触することさえできないのが、穏健派の悩みの種です。ではスランの側は……実はこちらにも対立が内包されていました。純スランと不完全なスランの間に深刻な対立(出会った瞬間に殺し合い)があったのです。
そういった複雑な状況の中、ジョミーは生き残るために命を賭けて走り続けることで逃亡生活を続けます。やっと見つけた純スランの少女キャスリーンは、会えて二人の魂が結びつこうとした瞬間秘密警察に殺されてしまいます。
どうしてここまでスランは憎まれるのか、ジョミーは探ります。かつてあった大戦争。スランが人間の赤ん坊をさらって人体改造をしたという話。不完全なスランを「不完全である」ことを理由として虐殺したという話。しかし、ジョミーは納得がいきません。自分自身、および自分が知っている(ほんの数人ですが)スランの例から、スランがそのような冷血漢であるとは思えないのです。
舞台は宇宙へ、そしてまた地球へ。過去へ、そして未来へ。ヴォクトならではのストーリー展開が読者を振り回します。本書を初めて読んだときに感じたワクワクする躍動感が蘇りました。小さな破綻は無視して、強引にストーリーを進めていく著者の力業をただ楽しみましょう。


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学校の価値

2010-11-27 18:23:00 | Weblog
これまでにも書いたことがあるかもしれませんが、私には「個人的に教師に教わった作家」が何人かいます。高校の現代国語の教師に教わった安部公房。同じ高校の英語の教師にはアンブローズ・ビアス。大学の英語の教師にはカート・ヴォネガット・ジュニア。いずれも「誰か面白い作家を推薦してください」と言ってその存在を教わったのですが、こういった作家(と教師)に出会えたことだけでも、私にとって「学校」は「価値」がある存在です。(作家ではなくて、作品を原語で読むことを薦められたのは、予備校での『不思議の国のアリス』。これも良い体験でした)
さて、昨日読んだのは『砂糖をまぶしたパス』だったので、今日はビターにビアスを取り上げることにしました。(ご存じの人はご存じでしょうが、ビアスは当時「ビター・ビアス」と呼ばれていました)

【ただいま読書中】『ビアス短篇集』アンブローズ・ビアス 著、 大津栄一郎 訳、 岩波文庫(赤312-3)、2000年、560円(税別)

巻頭の「月明かりの道」だけで、もうお腹いっぱいです。芥川龍之介の「藪の中」の元ネタになったと言われる作品ですが、この着想の妙と構想の卓抜さには今読んでも驚かされます。そしてそれにさらに磨きをかけた芥川龍之介の腕の冴えにも(微妙に残る齟齬や違和感を芥川はきれいに解消していますから)。
19世紀末~20世紀初め、夜間の照明はガス灯や蝋燭。これが夜の室内の描写に陰影を添えます。「蝋燭の明かりで本を読む行為」自体が主題となっている作品まで本書には登場します。そして当時のアメリカで「戦争」と言えば南北戦争。本書の第二部には南北戦争を舞台とした短編が6つ収められています。「アウル・クリーク鉄橋での出来事」……北軍に対する妨害工作をしようとして絞首刑を宣告された男が、幸いロープが切れて奇跡的に脱出に成功して……初めて読んだときには、最後の一文で腰が抜けるかと思いましたっけ。「宙を飛ぶ騎馬兵」……この作品のペーパーバックからのコピーを教師から渡されたのが、私とビアスとの出会いでした。だから特別な意味を私はこの作品には持たせています。奇襲をかけようとする北軍部隊の歩哨が見つけた敵の騎馬兵。そして、崖の下の北軍士官が見た、宙を飛ぶ騎馬兵。そして……私も「なんと言うことだ!」と言います。ため息をつきながら。
ビアスの文章は簡潔で、恐怖の場面でもあまりおどろおどろしい描写はしません。しかし、読者の想像力を刺激する文章の“ひだ”がたっぷり取ってあります。さらには、読者の予想を絶対に裏切ってやるぞ、という固い決意と、「自分が信じている常識は、本当に“常識”なのか?」という皮肉めいた提示も。描かれるエピソードにはけっこうおどろどろしいものがあるのですが、本当に恐ろしいのは“それ”の当事者が“それ”をちっともおどろおどろしいものとは思っていないこと、という短編が第三部に次々登場するのです。殺人(それも大量の殺人)も登場しますが、それはスプラッタでもホラーでもショックでもなくてサスペンスなのです。さすがビアス。やり口がビターです。
ああ、やっぱりお腹いっぱい。



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甘い豆

2010-11-26 17:59:19 | Weblog
甘く煮た豆を食べると、日本に生まれて良かった、とつくづく思いますが、世界ではこういった料理法はあまりポピュラーではないようですね(というか、料理にここまで砂糖を使う国が少ない、と言った方がいいのかもしれません)。でも、豆の美味しい食べ方だと思うのですがどうして“グローバル”にならないのかなあ。

【ただいま読書中】『砂糖をまぶしたパス ──ポルトガル語のフットボール』市之瀬敦 著、 白水社、2006年、2200円(税別)

味方選手をゴールキーパーと一対一にする見事なラストパスをブラジルやポルトガルでは「砂糖をまぶしたパス」と呼ぶそうです。とても美味しいパスですね。
地球にある国は190以上ですが、そのうちポルトガル語を主に用いるのは8つ。そのすべての国でサッカーが盛んです。本書は、2006年W杯ドイツ大会に出場したポルトガル語圏の三ヶ国、ブラジル・ポルトガル・アンゴラに焦点を合わせた本です。そういえばこの時の日本代表監督は、ブラジルの英雄ジーコでしたっけ。
まずは1970年メキシコ大会。ブラジル選手の髪型から話は始まります。記念写真を見ると全員がまるで軍人のような短髪なのですが、それもそのはず、当時のブラジルは軍事独裁下。代表団には多くの軍人が参加し、選手に「規律」を与えていました。そして、ペレをはじめ各所属クラブで背番号10をつける選手(エースストライカー)を一挙に5人投入する(さらにはサイドバックも攻撃に参加する)というとんでもない攻撃サッカーを展開したのです。
ポルトガルは1966年がW杯初参加でした。結果はなんと3位。快挙です。さらには「ルゾ・トロピカリズモ(ポルトガルは人種差別をしないというメッセージの「ポルトガル熱帯主義」)」を実証するかのように、アフリカ出身の選手が代表として何人も活躍していました。ただしそれは、当時の世界の趨勢(植民地の独立)に逆らうための手段でもあったのですが。そしてポルトガルも、独裁政権下にありました。
1975年にポルトガルから独立したアフリカのアンゴラも、ポルトガル語を公用語とし、サッカーが盛んな国です。さらに、“王様”ペレの先祖は、(奴隷としてブラジルに“輸出”される前は)アンゴラまたはナイジェリアにいたのだそうです(ちなみにブラジルの奴隷解放は1888年で、ペレの曾祖父は奴隷だそうです)。
そして話は日本へ。ジーコ監督のインタビューによって、日本でもポルトガル語がよく聞かれるようになりました。著者はそこから「同一の言語圏のサッカーは、似たスタイルになるのではないか」という仮説を弄びます。スペイン語圏とポルトガル語圏のサッカーの印象は明らかに違う、と。そして、ポルトガルとブラジルサッカーの類似性のキーとして「アフリカ」を持ち出します。なるほど、だから本書では、ブラジル・ポルトガル・アンゴラが取り上げられたんですね。もちろんこれは遊び心満載の「仮説」です。ただ、著者の分析を読んでいると、どこか真実みも感じられます。そういえば、アジアでのポルトガル語圏の国、東ティモールのサッカーに関してインドネシアでは「東ティモールの選手たちは、ブラジル人のようにプレーし、ポルトガル人のように敗れる」という評判があったそうです。なんだかできすぎの話に聞こえますが。
「ポルトガル語には、二重鼻母音(鼻からも同時に息を吐き出す)がある」「『S』プラス『子音』という連続は音節構造上存在しない(Sの前にEが普通補われる)」「単語はTで終わることができない」なんてポルトガル語トリビアもあります。ポルトガル語という、私にはふだん縁がないことばなので、興味深く読めました。もちろんことばがサッカーをするわけではありません。ただ、そのことばが代表する「文化」はサッカーをしているかもしれません。そんな空想の輪を広げることができる、楽しいスポーツとことばの本です。



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泡立て

2010-11-25 19:01:37 | Weblog
家内がお菓子を焼くときにときどき基礎作業に参加するのですが、ボウルに入れた大量のバターを泡立て器でかき混ぜる作業、あれもやっぱり「泡立て」なのでしょうか。それともかき混ぜ? ゆるめる?

【ただいま読書中】『科学でわかるお菓子の「なぜ?」 ──基本の生地と材料のQ&A231』辻製菓専門学校 監修、中山弘典・木村万紀子 著、 柴田書店、2009年(10年4刷)、3200円(税別)

作り方の前にまず雑学の章があります。バースデーケーキの習慣は、古代ギリシアで神の誕生日に食べ物が捧げられそれがやがてケーキになり、中世ヨーロッパになって人間の誕生日にもケーキを、となったから。なおバースデーケーキのロウソクは、月と狩猟の女神アルテミスへの捧げものに、彼女のシンボル「月の光」を食べ物を飾るロウソクでしめしたことから、だそうです。ケーキの「号」は「3cm」(だから5号のケーキは直径15cm)。これは尺貫法からだそうです。へ~、「号」は「寸」だったんだ。いろいろ楽しい知識が最初から怒濤のように押し寄せてきます。ただ、「二種類の異なる濃度のクリームを混ぜて求める濃度のクリームを得る」ためには、本書に載っている「ピアソンの四角形」を使うより普通に計算式を解いた方が早いように思いました。
スポンジ生地の泡立てには「共立て法」と「別立て法」があります。「スポンジ生地の作り方には、お菓子作りの技術や考え方の基礎がつまっています。特に、卵の泡立て方、生地の混ぜ方が、工程の上では大切なポイントとなりますので、しっかり習得してください」だそうです。私は単に写真を見てよだれをたらしているだけですが。じゅる。
泡立てた生地を焼くとふくらむのは、泡の空気が熱膨張すること(摂氏1度ごとに0度のときの273分の1)と水が水蒸気になる(体積が約1700倍)からです。そのふくらみを支えるのが糊化したデンプンと網目状のグルテン(タンパク質)。そこで、仕上がりのイメージから逆算して卵を泡立て始めます。別立ては、卵白がしっかり泡立つので焼き上がりがもろさのある食感となります。共立ては流動性の高い仕上がりとなるので焼き上がりは柔らかい弾力のある食感となります。
共立ては手では難しいので(全卵を湯煎してからだと可能ですが)ハンドミキサーを使います。ところがその使い方も目から鱗でした。まず高速で空気を卵に取り込み大きな泡を作ることで生地のボリュームを確定、次いで中速、最後に低速と速度を落として泡を小さくしていき安定させるのだそうです(証拠の顕微鏡写真が載っています)。感覚的にはその逆さの方が良さそうに思っていました。
泡立てた卵のできあがりが一定しない人には、温度・速度・時間などの条件を常に一定に、さらにはできあがりの卵の比重を測定することが勧められています。さすが「科学」。(ちなみに本書のお勧めの比重は0.22~0.25だそうです)
お菓子に限らず、料理のレシピは、材料の分量はグラム単位で書いてあってもあとはけっこうアバウトに感覚的な表現が多用されている印象がありますが、本書ではさまざまなパラメーターが具体的にその根拠を添えて記載されます。たとえば生地に最後に加える溶かしバターの温度は「60度」。これも30度・60度・100度の溶かしバターを加えた生地の焼き上がりの写真を並べてなぜ60度が良いのかが記述されています。
美味しそうな写真だけではなくて、「こうやったらこんな失敗作になる」という実例写真も豊富に載せられています。わざと失敗した作品を作るのは、プロとしては大変だったでしょうが、こちらにはとてもわかりやすくてありがたいものです。
で、これはまだオープニング。バター生地・タルト生地・パイ生地・シュー生地・チョコレート・クリーム、そして材料の卵・小麦粉・砂糖・牛乳・生クリーム・バター・膨張剤……これも教えたいあれも伝えたい、の知識のてんこ盛りです。
あまりに楽しい本なので、我が家用に購入することにしました。アマゾンに「ラッピングしてね」と依頼して、誰かさんへのちょっと遅れた誕生日祝いです。


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ベンゼン環

2010-11-24 18:48:33 | Weblog
夢の中でベンゼンの構造(六員環)を思いついた、と伝えられるのはドイツのケクレですが、ではそのベンゼンそのものを発見したのは誰でしょう? 私にとっては意外な人物、ファラデーです。彼は「電気の人」だけではなかったんですね。

【ただいま読書中】『ロウソクの科学』ファラデー 著、 竹内敬人 訳、 岩波文庫(青909-1)、2010年、600円(税別)

有名な本なのですでに読んでおられる人が多いかもしれません。
1813年に製本工から志願して王立研究所デイヴィー教授の助手となったファラデーは、素晴らしい実績により25年に研究所所長に任命されます。それまでにも研究所では、上流階級を対象に有料講演会が開かれていましたが、ファラデーは二つの企画を始めました。一つは所員の定期会合(「金曜講演」)、もう一つは一般向けの「クリスマス講演」(正式には「少年少女の聴衆のためのクリスマス講演」、年末から年始にかけて連続6回開催)。どちらもなんと現在まで続けられているそうです。
本書の内容は、1860年12月27日~61年1月8日までの6回の講演を、クルックス(タリウムを発見、クルックス菅を発明)がまとめて出版したものです。1860年……写真は最新技術で商業発電はまだ行なわれていない時代です。日本では坂本龍馬はまだ脱藩していません。さて、そんな時代にファラデーは少年少女にどんなことを語っていたのでしょうか。
まずはロウソクの製造法からです。脂の鹼化からグリセリンを抽出する方法や、型を使っての製造法などをファラデーはまず述べます。ついで、机の上の蝋燭に火を灯し、ランプとの違いを説明します。上昇気流・毛管現象が絶妙のバランスを示しているのです。ロウソク上端の縁を上昇気流が冷やして維持し、さらに炎自体も上昇気流によって上に伸びます。溶けたロウは芯を上昇しながら熱せられ最後に気化して燃焼します。(今年6月26日に読書日記を書いた『世界でもっとも美しい10の科学実験』の冒頭に、このファラデーの記述が大喜びで紹介されていました)
次の実験も面白い。ロウソクの炎の中心に細いガラス管を入れて「そこにあるもの」を別のフラスコの中に誘導するのです(その絵が本書の表紙カバーに使われています)。それはまだ燃焼する前の蒸気です。そしてそれが燃焼するのは別の場所、炎の外側であることが実験で示されます。なぜ外側かと言えば「新鮮な空気が燃焼には必要だから」。空気が不足すると不完全燃焼がおきるか炎は消えてしまいます。そこから、酸素・水素・炭素などに話は進みます。
第3講では「炎の中に水が存在する」ことが実験で示されます。さらに、水の中には水素が含まれていることが示され、ファラデーは水素でふくらませたシャボン玉を講堂に飛ばします。とても楽しそうです。
第4講では、電池と水の電気分解。ロウソクの炎からまっすぐにここまで来ます。
第5講で窒素が目に見える形で登場(実験で空気から酸素を取り除いて残ったものは、と示されます)。さらに「空気の重さ」も目の前で測定されます。なんと「この部屋にある空気の重さは、1トン」だそうです。
第6講では、燃焼だけではなくて人間の呼吸でも二酸化炭素が発生することが実験で示されます。もうこの辺になったら私のワクワクは止まりません。
今でもこういった一連の実験をやってくれる試みはありませんかねえ。ファラデーがやったのとそのまんま同じことが本当に楽しくできそうなのですが。できることなら、当時と同じガス灯で照明される講堂でやってくれたら、私は嬉しくて堪らないでしょう。



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きれいな発音

2010-11-23 18:10:19 | Weblog
NHK「坂の上の雲」(1~5)の再放送があったので見ていて、昨年は見逃していたことをいくつか発見しました。その一つが「Englishの発音」です。帝大入学を目指す秋山真之と正岡子規に英語を教える教師がアメリカ留学経験を持つ高橋是清なのですが、その授業シーンの直後、横浜で出会った軍人のしゃべる英語の端正なこと。ちょっと鼻にかかった響きなのにことば自体は明快で「あれ、何が違うかわからないけれど、明らかに違うぞ」と思っていると、高橋是清が「さすが、クイーンズイングリッシュ」と。なるほど、これが(米語ではない)「英語」なんですね。
最近通勤中にラジオ基礎英語のCDを聞く時間が増えているのですが、聞き流しているだけでも少し私の耳も英語に慣れてきているのかもしれません。もう少し鍛えたら、聞いた瞬間「さすがクイーンズイングリッシュ」とか「これはオーストラリア」とか「南部の出身ですか?」とか言えるようになるのかな? というか、日本の「英語」教育って、「どこの英語」を教えているんでしたっけ?

【ただいま読書中】『ヘレン・ケラー自伝』ヘレン・ケラー 著、 今西祐行 訳、 講談社火の鳥伝記文庫、1981年、620円(税込み)

「三重苦」「奇跡の人」とか「ウォーター!」とかがあまりに有名で、私は実はそれ以外のことを知りません。だから本書を読んでみることにしました。
ヘレン・ケラーは美しい自然に恵まれたアラバマ州タスカンビアの豊かな家に生まれました。しかし生後19ヶ月で熱病にかかり、視力と聴力を失います。手真似と全身を使ったジェスチャーで自分の意志を伝えようとしますが、それがうまくいかないときにはかんしゃくを起こしました。いたずらも大好きで、母親が食料部屋にいるときに外から鍵をかけたり、後日サリバン先生がやって来たときには彼女を部屋に閉じ込めて鍵を隠してしまい、父親が外からハシゴをかけて救出したり、といったこともやっています。
成長するにつれ、相手に伝えたいことが増えます。しかしわずかな手真似とジェスチャーでは不十分。ヘレンはかんしゃくを起こし獣のように暴れ回ることが増えていきました。困り果てた両親は、ボルチモアの眼科医を頼ります。眼科医にできることは残念ながらありませんでしたが、彼はアレキサンダー・グラハム・ベル博士を紹介してくれました。博士は、電話だけではなくて障害者のしゃべり方の研究でも知られていたのです。家族はワシントンに向かいます。そこでベル博士から紹介されたのがパーキンズ学院。父親はさっそくアナグノス院長に手紙を書きます。半月後、適当な先生が見つかったという返事が来ました。1886年夏のことです。そして、サリバン先生がタスカンビアにやって来たのは翌年3月3日、ヘレン・ケラーが6歳9ヶ月のことでした。
会った日にサリバンはヘレン・ケラーに人形を渡し、遊ぶヘレンの手に「DOLL」と綴りました。ヘレンはその「遊び」が気に入ります。ただしヘレンはそれが「文字」であることも、すべてのものには名前があることも知らずに、ただサリバンの真似をしているだけでした。布製の人形も陶器の人形も「DOLL」であることが理解できなかったのです。かんしゃくを起こして陶器の人形を粉々に壊したヘレンを、サリバンは井戸に誘います。片手にポンプから吐き出される水、もう片手に何度も書かれる「WATER」。しばらくの後、一瞬でヘレンは「自分の外側に世界が存在すること、世界には“名前”が満たされていること」を理解します。喜びに満ちあふれて庭のあちこちで「これは?」「これは?」と名前を尋ねた後、ヘレンは部屋に帰ってさっき壊した陶器人形のカケラを探します。自分が「DOLL」を壊したこと、そしてそれがもう元には戻らないことを理解したのでした。
身の回りの名前を次々覚えることからヘレンの教育は始まりました。では形のないものについては? たとえば「考える」をどう教えたらよいでしょう。サリバンの方法はシンプルで効果的です。私は感心しました。さすがに「愛」は長い説明をしていますが。
88年にヘレンはボストンのパーキンズ学院に入学します。そこで初めてヘレンは自分の“同類”に出会いました。口で話をすることを学び始めたのは90年。教師の唇や舌に触れてその動きを真似ての発音練習です。時間はかかりましたがヘレンは口話法を身につけます。ただし、話を“聞く”ときには相手の口に手を当てるよりも指話法の方が手っ取り早かったそうです。
やがてヘレンは自分の生い立ちについて書き始めます。12歳の時でした。教育は進みます。数学は幼いときから苦手でしたが語学には天分があったようで、聾学校でラテン語・ドイツ語・フランス語などを学んでいきます。そしてケンブリッジ女学校。ここは普通の学校のため、サリバンが“通訳”としてずっと付き添いました。「目が見える友人」もできます。彼女らと一緒にラドクリフ大学に入ろうとヘレンの努力は続きます。ドイツ語、フランス語、英語、ギリシア・ローマ史、代数、幾何、天文学、物理学、ギリシア語、ラテン語……一つ一つの試験をクリアし、1900年にヘレンは大学に入学します。
ヘレンが困ることはたくさんありましたが、その一つが点字の教科書がないことでした。それまでそういった“需要”がなかったからでしょう。サリバンや友人たちが点訳をしてくれましたが、なかなか授業の進行には間に合いませんでした。ただ、ヘレンの苦闘は個人的なものではありませんでした。彼女によって社会に“道”ができたのです。
好きな本は点字がすり減るほど読む、というのには共感しますが、夜空に月が出ているとそれを感じる、とか、雨の日の木の幹に触れて感じる不思議な歌声の話には、「感覚がやはり違うのだろうか」と思えます。やはりヘレン・ケラーは世界を私とは違うやり方で捉えているのです。
そうそう、サリバン(アン・マンズフィールド・サリバン)が、貧しい移民の子、視力障害を持つ不良少女だった、ってご存じでした? それが、偶然パーキンズ学院に入って“優等生”に生まれ変わり、手術が成功して視力も得て踏み出した人生の第一歩が、タスカンビアのケラー家だったのです。



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脱走

2010-11-22 18:53:31 | Weblog
捕虜収容所からの脱走映画と言えば、私は「大脱走」「勝利への脱出」を思い出します。だけどその逆、「ドイツ軍の捕虜が収容所からの脱出を企てる」映画って、ありましたっけ? 連合軍だろうとドイツ軍だろうと、捕虜は当然脱走を企てるものでしたよね。それは一種の“義務”じゃなかったかな。

【ただいま読書中】『捕虜』パウル・カレル/ギュンター・ベデカー 著、 畔上司 訳、 フジ出版社、1986年、3500円

カナダのボウマンヴィル収容所から、ドイツ本国にUボート派遣をカナダ東岸に派遣するよう求める暗号の手紙が届きました。目的は収容所を脱出した後のドイツ軍人の収容。デーニッツはそれを許諾しますが、その主な理由は捕虜の精神的健康状態が脱走計画に夢中になることで維持できる、という期待でした。捕虜は脱走の準備を始めますが、その中には針金と煙草の箱から無線通信機を作り出すことも含まれていました(著者のカレルは、アメリカの捕虜収容所でその手の通信機を使ったことがあるそうです)。で、実際に一人は海岸にまでたどり着いています。情報漏れがあって(あるいは手紙の暗号が解読されていて)迎えに来たUボートは駆逐艦に追われることになりましたが。
グアンタナモ米軍基地での“テロリスト”への拷問を思わせる処遇も登場します。U-546の乗員は捕虜収容所ではなくてニューファウンドランドの刑務所に入れられそこで拷問を受けました。戦争が終結したから戦時捕虜ではなくてナチスの犯罪者というリクツだったのかもしれませんが、明らかに国際法にも国内法にも違反している行為です。
遠くオーストラリアにもドイツ軍捕虜収容所がありました。ここでも脱走計画はありましたが、捕虜は本気ではありませんでした。だって収容所の外は砂漠や荒れ地です。どうやってドイツまでたどり着きます? しかも食事は(捕虜の推定で)一日3000Kcal以上。“快適な生活”に慣れた捕虜は、本国送還後生活のギャップでも苦しむことになりました。
オーストラリアや英軍の収容所では、捕虜を政治信条で色分けしました。民主的な人は「白」、ナチスは「黒」、中間は「灰色」。収容所内での扱いや本国送還時期はその色で区別されました。ソ連の収容所でも似たことをしていたのを思い出します。さらに、こちこちのナチ主義者はそうでない人間に対して暴力をふるい、ドイツ人同士の殺し合いまで起きます。管理者はその対応に苦慮しました。(45年春の調査では、「白」は15%、「黒」は54%だったそうです)
第二次世界大戦中、英軍の手に落ちたドイツ兵は370万人。うち40万人が英本国に抑留されましたが、英国の一般市民よりも良い食生活だったそうです。日本でも戦争中は刑務所内の方が一般市民より良い食生活だったのを思い出します。
収容所からまっすぐ帰れなかった捕虜も多数いました。帰還前にフランスや英国で強制労働をさせられたのです。ただ、英国本国で特筆すべきは、元捕虜に対して友情や愛情を感じる人がけっこう多かったことでしょう。47年には英国女性と恋に落ちた元ドイツ兵が「禁じられた関係」で軍事裁判にかけられ禁固1年を言い渡されます。ところが英国世論はそれに反発。結局判決は政府によって覆されました。本書には面白い数字が載っています。「計796人のドイツ人捕虜が英国女性と結婚した。失恋して自殺した捕虜は二人だった」。
敗戦後のドイツでは捕虜が大量に出ました。武装解除されたドイツ兵は全員「捕虜」だったのです。45年6月に761万人! まともな扱いができる数ではありません。ライン河畔では、牧草地などを鉄条網で囲い、100万の捕虜が1ヘクタールあたり2000~3000人ずつ詰め込まれて「収容所」とされました。まるで動物の群れ扱いです。体を入れられる段ボールの空き箱があればラッキーでした。手とスプーンで掘ったたこつぼが雨で崩れてそのまま墓穴になることもザラ。配給食料は乏しく餓死者まで出ています。ライン河畔のブレッツェンハイム地区では56000人中3000人“だけ”の死亡。ソ連管轄地区では降伏後の捕虜死亡率が25~90%に及ぶところもあったそうですからそれでもまだマシだと思うべきなのでしょう。こういった捕虜への扱いのひどさを見ると、ナチスやユダヤ人虐殺への憎しみが、こういった所に噴き出していたのかもしれないと思えます。「罪を憎んで人を憎まず」ではなくて「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」だったのかな。
暗然とするのは「子供の檻」です。44年にドイツは15歳で体重50kg以上なら徴兵していました。国防軍に動員されたヒトラー・ユーゲントにはそれ以下の年齢層も含まれていました。そういった少年たちも軍服のままで捕まると「戦時捕虜」になったのです。米軍もさすがにこれには特別扱いをすることにして、12歳~18歳の少年をアッディシーに集めました。1万人。皆腹ぺこでしたが、餓死者は出なかったそうです。
戦後のフランスは荒廃していて、深刻な労働力不足に悩んでいました。だからフランス政府は各連合国に「ドイツ人捕虜を引き渡せ」と熱心に求めました。ドイツ軍が敷設した1000万の地雷除去・鉱山労働・農場の仕事……“仕事”はいくらでもあり、「捕虜はフランスの生命線である」と政府は言明しています。しかし、大量の捕虜(100万人)を面倒を見る“体力”はフランスにはありませんでした。自分たちでさえ食うや食わずなのです。そこで何が起きたかは、大体想像通りです。
スウェーデンの国際法違反、ユーゴスラビアでの“”(赤十字の看護婦も強姦虐殺され、さらにはドイツ人修道士が「ファシスト聖職者」と規定されて銃殺されます)。広範なインタビューから浮かび上がる「戦争」の実像は、読んでいて悲しくなります。とても悲しくなります。日本は敗戦でひどい目にあったと思っていましたが、まだまだ甘かった。
ドイツに捕まった連合軍捕虜の運命も過酷でした。特に赤軍兵士は……その“復讐”のように、ソ連でのドイツ兵捕虜は本当にひどい目に遭います。350万人がソ連の捕虜となり、100万以上が死んでいます(それでも、ドイツの捕虜になったソ連兵よりは“良い”数字なのだそうですが……)。
戦争の狂気、復讐に対する復讐、残酷さと冷淡さ……それらの行為の主語はすべて「人間」です。私とあなたを含む人間。ただ、本書には「救い」も示されます。過酷な状況でも勇気を示す人。そしてみじめな境遇の人に示される人間性。特に本書では「ロシア女性の優しさ」が列挙されています。国の体制と国民性とは別のものなのでしょう。



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絵手紙

2010-11-21 17:35:41 | Weblog
絵心のある人がさらさらと絵を描いてそこに一言添えて洒落た葉書にしているのを見るとうらやましくなります。私には絵心がありませんから(ついでに文才もないから、洒落た一言も添えられませんが)。だけど、写真だったら(上手下手を問わなければ)とりあえず“絵”は準備できそうです。だとすると私も絵手紙というか写真手紙を作ることはできそうです。あ、だけどやっぱりどんな文章を添えるかが…… あまり難しく考えすぎない方が良いんでしょうけれどね。

【ただいま読書中】『ぼくらは簡単なことばで出来ている ──旅する柴犬まめのポラロイド写真詩集』西真智子 写真、村上美香 ことば、PARCO出版、2008年、1500円(税別)

まめという名前の柴犬がする「旅」を、ポラロイド写真作家が追い、それに短いことばが添えられた作品集です。
ちょっと淋しそうな顔のまめが、さまざまなところに立ち寄ります。そのまめの顔と姿に、動かない能面にさまざまな表情を感じるように、読者はさまざまな感情や想いを読み取ります。
一度通読し、二度目は写真だけを眺め、三度目にまたことばと写真を眺めるとそのたびに印象が違います。ぽつんぽつんと読者に投げかけられる短いことばが、写真と相乗効果を持って、こちらの心を洗ってくれるような感じです。「旅」の本なのですが、写真一枚ごとに、ことば一つごとに、私は“立ち止まり”ながら読んでいきます。
いつもならその「ことば」を引用するところですが、写真から分離してしまうとその“意味”や“効果”が変質してしまいそうなので、ここでは一切引用しないことにします。あ、一つだけ。タイトルの「ぼくらは簡単なことばで出来ている」は「畳の上にちょこなんと座っているまめを上から撮影した写真」につけられた文です。まめのそばには、ピントがぼけて見づらいのですが、籐の籠に入った蜜柑があるように見えます。見た瞬間にわかるようなわからないような、かんがえたらわかるようなわからないようなページです。
ともかく興味を持った方は現物に当たってください。まず、読んで(写真を見て)損はしません。


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