私は学生の時に、テスト前にはテスト勉強をしました。そして、結果が帰ってくると、点数を見て一喜一憂するだけではなくて「×がついているところ」「自信が無くて書いたらなぜか○がもらえたところ」について再検討をしました。同じ間違いを次のテストでしたくなかったからです。
今のコロナ対策をしている人たち、毎日「テスト」を受けている気分でしょうが、「点数(新規患者数などの数字)」を見て一喜一憂するだけではなくて、自分がどこを間違えたのか、それに対してどのような対策が必要か、きちんと検討を繰り返しています? 同じ間違いを繰り返しているのだったら、「屋形船が悪い」「ホストクラブが悪い」「飲食を伴う接待が悪い」「会食が悪い」「デルタ株が悪い」と「悪いもの探し」に熱中するより、自分自身の「テストに向かう基本的な態度」の何かを変える必要があるとは思いませんか?
【ただいま読書中】『結核がつくる物語 ──感染と読者の近代』北川扶生子 著、 岩波書店、2021年、2500円(税別)
日本での結核流行の最初のピークは1916-18(大正5〜7年)。結核によって国力が削られる、という危機感を持った“専門家”たちの議論から見えるのは「結核を減らすために必要なのは、環境に働きかけること」という共通認識です。さらに“急進的”に「階級の問題」とする人もいました(良家の子女は「女工哀史」にはなりません)。ちなみにこの頃の軍事費は国家予算の3割くらいでした。
それが世界恐慌を経験し軍国主義に突進すると「結核の原因は、個人の体質」という論調が盛んになりました。ところが同時に「国民の身体は国家のもの」でもあったことが興味深い。だって「国家のもの」だったら「その監督・管理責任」は国家に帰属しません?(「製品」の製造責任はメーカーにあるのと同じ、と私は考えます) それなにの「不良な体質」は「自己責任」です。国から与えられたものであろうとなかろうと、「生まれながらの体質」に対してどう「責任」をとれと? ともかく日本では、「ナチスの優生医学」が賞賛され「劣等者」をいかに早く判別し“退場”させるかの議論が始まります。
結核は「文化」も変えました。たとえば文学では1920年代頃から、都会(特に東京)は「結核菌の巣窟」とされ、逆に田舎は「健康的な理想郷」というイメージが張り付けられました。笑ってしまうのは、戦時下(1943年)の調査で子供の体格の成長が悪くなっていることに対して「女子の方が発育阻止が強く表れているのは、日本的家族制度や慣習としての男子尊重が現れていると言うことなので、喜ばしい」とか「都会の若者や子供を田舎に移転させて生産に従事させたらすべて解決する」とか「食糧不足」を精神論で“解決”しようとする態度です。なんのための調査だったのやら。
結核は「女性美」も変えました。もともと日本での「美人」の定義は、浮世絵から竹久夢二の絵まで「なで肩で柳腰、すらりとした女性」でした。ところが1930年ころから「そのような美人は、結核に罹りやすい」という主張が力を持ちます。その根拠は「日本には結核が蔓延しているが、欧米では減っている。従って『日本的な美人』よりも『欧米型の“健康的”な美人』の方が望ましい」。どこかで論理が三段跳びをしていませんか? ともかく「健康婦人」が求められるのは、「健康な少国民を生む」ためです。そういった主張は、雑誌で述べられるだけではなくて、1940年には「国民優生法」が制定され、遺伝的疾患を持つ者の生殖は制限され、逆に「健全な者」の産児制限は禁止されました。
文学において「結核」は「非日常」、「結核患者」は基本的に「他者」ですが、闘病記においては「結核」は「日常」です。その代表が正岡子規の『病牀六尺』『仰臥漫録』。自分が死に行く過程が「写生」されています。この作品(行為)によって正岡子規は「自分の日常は“書く”に値すること」と「写生(古典的な“型”にはまった紋切り型の表現ではなくて“リアル”を重視する書き方)」の重要性を主張しました。それと「ユーモアの重要性」も。
「結核の治療」については、実に様々な「治療法」が提唱され、患者は情報の洪水に翻弄されました。ヨード製剤には殺菌効果がありますが(これは本当のこと)、これを服用したら結核が治る、と広く宣伝され(これはエセ科学)、紫外線による殺菌効果を使った「人工太陽灯」も人気でした。笑っちゃうのは「石油療法」。「石油を飲むと結核が治る」というデマは広く拡散し、厚生省が警告を発する事態に発展しました。
「結核患者=サナトリウム」は戦前の「文学の世界」の話で、実際の結核患者の多くは自宅療養をしていました。ベッドは圧倒的に足りませんし、そもそも入院や入所ができる資力がない人がほとんどだったのです(ちなみに、戦前の精神病患者もほとんどは自宅療養(座敷牢での生活)でした)。感染を恐れて、自宅外の掘っ立て小屋や山小屋で“療養”する人も多くいました。サナトリウムは限られた人間のための憧れの存在で、だからこそ「サナトリウム文学」は人気を博することになります。そして、有効な治療法がない現状では、精神主義がはびこることになりました。つまり結核は「自己責任」で「優生思想の対象」で「根性で対処するべきもの」だったのです。「医学」や「貧困の問題」は見事に隠蔽されてしまいました。
今のコロナ禍でも、患者に対する「視線」は、戦前の結核や癩病に対するものと、その本質はあまり変わっていないのではないか、と私には思えます。「コロナにかかったのは自己責任」という主張、人気ですよね?