【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

朝食と夕食の違い

2014-08-31 06:48:43 | Weblog

 私個人の場合ですが、朝食は同じメニューが何日続いても平気ですが、夕食は2回続くとイヤになります。そういえば実家を出てから結婚するまでの約10年間、朝はほとんど「トースト、目玉焼き、コーヒー」で通していたのですが、本当に平気でしたね。今やったら耐えられるかしら?

【ただいま読書中】『朝食の歴史』アンドリュー・ドルビー 著、 大山晶 訳、 原書房、2014年、2800円(税別)

 クロード・レヴィ=ストロースのアマゾン川流域の狩猟採集民の思考様式に関する研究に「朝食」が“不在”であることに著者は注目します。朝食には「貯蔵した食べ物」が必要ですが、狩猟採集民は「まず食料探し」に出かける必要があり、その結果として「朝食」はないのだろう、と。人類の歴史を見ても、「貯蔵した食べ物」または「昨日の残り物」が準備できるようになったのは、新石器時代よりはあとの時代のはず。
 古代ギリシアには、一日の始まりに取る簡単な軽食「アクラティスマ」がありました(古代ギリシアではワインは水割りにするものでしたが、水を混ぜないワインにパンを浸したものがアクラティスマの典型でした)。一日の最後の食事は「デイプノン(正餐)」です。ところがデイプノンに先行する食事を示す「アリストン」ということばもあり、話が混乱します。アリストンを「昼食」と訳せば話は楽ですが、夜明けにアリストンを食べるシーン(たとえばオデュッセウスがエウマイオスと食べたアリストン、あるいはティベリアス湖岸でのイエスと弟子たちのアリストン)があるのです。
 中世の英仏では「断食を破る」が朝食を意味するようになります。英語だと「breakfast」仏語だと「デジェネ」。これは、宗教的な断食が身近にあったからこそ、すんなり生まれた言葉かもしれません。日本の場合には「朝ご飯」「お八つ」と「時間」で決めてしまう傾向がありますが、文化の違いを感じます。
 どの時間帯に食べるのか、軽いものですませるのかがっちり重い食事にするのか、などで「朝食」の姿は変わります。「イギリスのたっぷりの豪勢な朝食」が文学に登場するのは意外にも19世紀になってからです。著者はこの「豪勢な朝食」のルーツは、17世紀の王室の朝食にあるのではないか、と考えています。
 「二度目の朝食」が登場するのは『指輪物語』のホビットたち。彼らは一日に6回食事をしますからねえ。実は第一次世界大戦前のドイツ人は「二度目の朝食」を重視していたようです(ドイツ人は「間食」、オーストリアでは「ヤウゼ」と呼ばれたそうです)。ミュンヘンでは白ソーセージが「二度目の朝食」の定番メニューだったそうです。
 世界各地に「伝統的な朝食」が存在しますが、そこに登場した新顔が「朝食用シリアル」です。私も朝食に食べることがありますが、夕食に食べたいとは思いませんね。なぜでしょう?
 本書の巻末は「世界の朝食 19のレシピ」です。レシピを見るだけでよだれが出そうになります。さすがに犬の肉は日本ではなかなか入手困難ですが。


鉄道の甘い汁

2014-08-30 07:33:36 | Weblog

 戦前の鉄道省には「狭軌ではなくて広軌(国際標準軌)を」と主張してその主張を潰された人がいました。戦後の国鉄で新幹線計画を推進しようとして「無駄遣いに過ぎない」とその計画を潰されそうになった人たちがいました。興味深いのは、潰された(潰されそうになった)のが親子二代の島技師であることで、その提案を散々妨害したのは為政者だったこと、そして新幹線ができることになったらそこから甘い汁を吸ったのも為政者だったことです。

【ただいま読書中】『弾丸列車 ──幻の東京発北京行き超特急』前間孝則 著、 実業之日本社、1994年

 島秀雄は先見的です。広軌だけではなく、ずっと前から「電車の回生ブレーキ」「プラットホームの柵(ホームドア)」を提案し続け、無視され続けていました。では新しい物好きかと言えばそうではありません。「新幹線には目新しい技術が何ひとつ使われていないのです」だそうです。島はD51の設計で知られていますが、ただの「SLの専門家」ではなかったのです。その時その場で最適のものを、未来を見据えて選択する、それを常にどのような場面でも貫徹する、ただそれだけのようです。だから終戦後の資材も電力も不足した局面ではすでに時代遅れのはずのSLを(その時代では一番“仕事”ができるから)推進しますし、GHQが「これからの日本はディーゼルで行け」と言ってもそれに平気で逆らって電車をちゃんと準備します。一度やめた国鉄に昭和30年に副総裁格でカムバックしたら「最新技術(特にエレクトロニクス)の導入」を旗印とします。さらにパンクしかけていた東海道本線に関しては「複々線化ではなくて、全く新しい高速路線を」と提唱します。つまり新幹線です。ところがこの提案は「大ぼら」「金食い虫」「ただの夢想」と散々の扱いでした。さらに、なんとか東海道新幹線が開通したのに島は開業式に招待もされません。また、日本の東西で交流のヘルツが違うからわざわざ60ヘルツに統一してその方針を継続するように伝えたのに、その後の上越や東北では50ヘルツが採用され、東京駅での相互乗り入れができないようにされてしまいます。「乗客の便利」「日本全体の発展」よりも「地元優先」「利権優先」の人が大活躍しています。
 「新幹線」のルーツは戦前の昭和13年頃から計画が始まった「広軌新幹線」にあります。昭和15年には閣議決定がされて予算もつき、用地買収やトンネル工事が行われました。島はこの計画で、車両関係の責任者でした。
 日中戦争は泥沼化し、軍は大陸での輸送力増強を政府に命じます。そのため島は、日本の機関車を広軌化させて大陸に送り込みます。だから狭軌を早く広軌にしておけばこんな余分な手間は省けたのに、とぶつぶつ言いながら。「数秒後のことしか考えない」のは、交通でも戦争でも、日本の“持病”なのかもしれません。しかし島たちは「先」を見ていました。このまま旅客と貨物が増えたら、東海道本線の輸送量は早晩天井に達してしまう、と、各区間の行き詰まり年度を予測してその対策を準備し始めたのです。
 中国の国民党政府と共産党は、ともに持久戦とゲリラ戦を目指していました。ならばもっと輸送力が必要です。それも東海道本線に限定せず、東京からまずは下関まで。かくして広軌による「新幹線」がプランとして浮上してきます。単なる夢物語ではありません。日本は実は切羽詰まっていたのです。
 海底トンネルで日本と朝鮮をつなぎ、そこから鉄路(当然広軌)をどんどん伸ばしてペルシア・トルコからヨーロッパまで新しい“シルクロード”建設を、というと「夢物語」のようですが、実際に海底の地盤を調査してみたり、スタッフは“本気”です。大本営肝いりで鉄道省に特別委員会が作られ「国家的大事業」計画が少しずつ具体化していきます。自動車専用高速道路案も比較検討されましたが、「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代で木炭自動車さえ走っていた時代です、自動車の輸送力は鉄道には遠く及ばないものとして退けられました。
 当時は「軍の意向」が絶対的でしたが、その軍が「広軌は駄目、狭軌で」とか「電気は駄目、蒸気機関で」と頑なに主張してくれて、弾丸列車の計画はそのたびに脱線しそうになります。広軌はなんとか通りましたが、電気機関車で時速200kmは無理となり、蒸気機関車で時速150kmでの弾丸列車となります。ルートにも横やりが入ります。名古屋から鈴鹿トンネルを抜けて大阪に直行するルートが最有力でしたが、石川県出身の鉄道大臣永井が米原経由を主張したのです。さらに「(天皇のために)京都を素通りするわけにはいかない」という事情から米原回りが選択されます。そのあおりで「大阪駅」は今の「新大阪駅」の場所に決まってしまいます。
 時速150kmでも蒸気では日本では前例がない速度です。窓の開閉をどうするか、ロングレールを採用するか、など、現在の新幹線にまっすぐつながる研究も行われました。(ちなみにヨーロッパではすでに時速200kmは実験車で達成されていました) 路線の土地買収も始まりました(「国策」として、ずいぶん無茶な買収をしたそうです)。新丹那トンネルや日本坂トンネルの工事も始まります。
 結局戦局の悪化と敗戦で「弾丸列車計画」は挫折しますが、本気で計画をし、用地買収やトンネル工事も始めていたおかげで、のちに「東海道新幹線」計画が発動したとき、それらがそのまま役に立つことになりました。
 「弾丸列車計画」は聞いたことがありましたが、まさかそれがそのまま「東海道新幹線」に直結してるとは知りませんでした。こんど新幹線に乗るときには、昔のことも思って見ることにします。


本当の名声

2014-08-29 06:38:04 | Weblog

 総理大臣を辞めてから数年後あるいは数十年後に「あの人は偉かった」としみじみ言ってもらえる人って、日本にどのくらいいるのでしょう?

【ただいま読書中】『福島第一原発収束作業日記 ──3・11からの700日間』ハッピー 著、 河出書房新社、2013年、1600円(税別)

 ツイッターで「@Happy11311」と名乗る原発作業員の記録です。
 「3・11」のとき、著者はまさに「1F(福島第一原発)」で仕事中でした。地震と津波でぐちゃぐちゃになった1Fの現状に驚きつつ、何の情報もなく指示命令もないためそのままずるずると待機に。翌日やっと免震棟に入ることができ(菅首相がやって来たために無駄な足止めを食らいましたが)、作業を開始すると、1号機の水素爆発、そして14日には3号機が爆発。著者は天井から降り注ぐ瓦礫の下で、死を覚悟します。やっと免震棟に避難した著者は、そこで撤退を命じられます。
 原発から外に出た著者は、やっと地震と津波の被害のひどさを知ります。それと、“評論家”たちの発言のひどさにも驚きます。原発の知識が足りず現場の状況も知らない人間が憶測だけでデマをマスコミでまき散らしている姿に、自分が何ができるか、と自問した著者は「つぶやこう」と決心したのです。
 すぐに現場に戻ることを志願した著者は、「まず年配者優先」という会社の方針から待たされますが、4月1日に応援要請がやってきます。しかし全面マスクや防護服や合羽のフル装備で一日重労働をして過ごす(装具を外せるのは免震棟の中だけでそのための手順にやたらと時間食うものだから、作業中は水も飲めない)というのは、本当にしんどい生活です。ただ著者は「作業員だからといって特別な人間ではない。ごく普通の人間。ただ、働く環境が特殊なだけ」と“普通”に言っています。
 4月に東電は「冷温停止のロードマップ」を発表し、9ヶ月で事態を収束させると宣言します。それを見た「現場の人たち」は「こんなのできるわけねぇべ」と思います。理由は簡単です。原子炉内部の詳細状況も破損部位の状態も把握していない/作業の手順は確定していない(現場では行き当たりばったりの作業が続いている)/作業の契約金額も未定(作業員の確保もまだ)……この状況でどうやって「9ヶ月」という数字が導き出せるでしょう? そんなの「適当に言ってみただけ」でしかありません。それにしても現場の状況を確認せずに工程表を作成するとは、本当に良い度胸の持ち主が東電にはいるようです。作業員の数は足りないのに菅首相は「24時間働け」と言い、著者たちはぼろぼろの状態でひたすら動き続け、被曝量だけは増加していきます。
 5月、汚染水の循環システム設置が始まります。しかし、被ばく線量の制限で、慣れた作業員はどんどん入れ替わります。やってくるのはマスクをつけるのも始めて、という人が多く、作業効率はさらに下がります。さらに東電は「作業効率を上げる努力」を放棄しています。メーカーに仕事を丸投げしてからプレッシャーをかけるだけで、各社の調整とか新人作業員の教育とかをする気は一切ありません。怒鳴っていたらフクシマが解決するのなら、一生怒鳴っていれば良いんですけどね。
 著者から見て、東電が各メーカーに仕事を丸投げするのと同様の態度を取っているのが日本政府です。「国策」だったことなんか忘れてしまったように、「一企業の事故」として扱おうとする(処理を東電に丸投げしようとする)態度がアリアリ。「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」ということばがありますが、政府の高官は「利権の上がりは俺のもの、事故の処理はお前のもの」なのかな。
 著者は自身のことを「オイラ」と自称しているし「自分は作業員でし」なんて感じでつぶやき続けるから、下っ端の作業員なのかと思ったら、東京での会議にも出席する立場の人です。専門用語も普通に使っているし視野も広いし、こういった現場を知っている人が会議の主導権を握れたら「作業中の想定外」はずいぶん減るんじゃないか、とは思いますが、「現場に詳しくない人間」が出世争いで勝つのは世の習いで、そういった人間は「現状に基づかない自分の信念」を押し通すことだけは得意ですから、結局不幸は拡大再生産されるだけですね。日本の組織を「平時」と「非常時」にきちんと分けるようにしないと、“想定外”の大事故の時の対応でミスの連鎖が続くのはどうしようもないことなのかもしれません。あるいは「まともな人間を出世させるシステム」に日本の会社を改革するか。被曝の恐怖に怯えながらも責任感から現場から逃げずに働き続ける人を見ると、東電幹部の無責任な言動のひどさがまた際立ちます。マスコミも「大スポンサー様」だからあまりきつい報道ができない、ということなのかな。やれやれ。


科学の動機

2014-08-28 06:32:23 | Weblog

 科学を進める根底には、好奇心とか功名心とか人間らしい感情がたっぷりあるように私には思えます。その中で異色なのは防災に関する科学でしょうか。その根底には「悔い」があります。「この被害を防ぐことができなかった」という後悔や無念さが。
 というか、そういった人間的な感情を欠いた科学者には、人の営みに直結する科学の分野には手を出して欲しくはありません。

【ただいま読書中】『地下に潜む次の脅威 ──NHKスペシャルMEGAQUAKE III 巨大地震』NHK取材班、新日本出版社、2014年、1800円(税別)

 NHK取材班は、活断層をターゲットに取材を続けています。それは、東日本大震災をきっかけに日本列島全体の地下のバランスが変化し、活断層が動きやすくなっているからです。大震災で、日本列島が乗っているプレートは東に移動し、それにつれてその下のマントルも東に引っ張られました。マントルが移動したあとを埋めようと他の場所からマントルが上昇しながら移動し、その結果地盤の隆起が日本のあちこちで起きています。それがこれまで静かにしていた活断層を刺激している、という理論です。
 活断層が地表に出ていればまだ見つけやすいのですが、問題は岩盤が堆積層で覆われている場合です。関東平野は堆積層が分厚く、さらに火山灰も降り積もっていて過去の地形がわかりにくくなっています。さらにこの堆積層が、活断層によって起きた地震の揺れを増幅することがあるのだそうです。
 活断層の研究には、航空レーザー測量(地表から建物や樹木を除いて地表の高低を表現する)や起震車(大型バイブレーター)による地下構造の解析が用いられています。これらの研究を組み合わせることで、これまで見えていなかった活断層が見えるようになってきました。たとえば大都市の地下や、海底にも。
 ここで話は一度過去に戻ります。関東大震災です。最新の科学で関東大震災を解析し、実際にそこでどんなことが起きたのかを学び教訓を得ようとします。その教訓の一つは皮肉なことに「人は過去の教訓をすぐに忘れる」ことでした。ひどい場合には「学術とは別の世界からの横やりで、警告が無視される」ことさえあります。
 本書の最後には「国難」とさえ呼ばれる過酷な予測が登場します。南海トラフによる大震災です。大阪と名古屋はほぼ壊滅、首都圏も深刻な被害、死者は32万人。それをどうやったら「減災」できるか、そのためにできる準備は少しでもしておいた方が良さそうです。
 本書はテレビ番組の“サイドストーリー”のようなもので、CGなどの写真はありますがやはり画面で見るよりは視覚的インパクトは薄くなります。しかしそのかわり、文字情報は充実しています。特に「地震にかかわる人」の生の声(思い)が、テレビよりはよく伝わってきます。


盤上の格闘技

2014-08-27 07:20:18 | Weblog

 将棋は戦争がルーツだと思いますが、駒がそれぞれロボットで、実際に盤上で戦うことにしたらほとんどリアル戦争ゲームですね。盤がすぐに壊れてしまいそうですが。

【ただいま読書中】『ハチワンダイバー』柴田ヨクサル 作、集英社

 35巻完結の記念に、ということで期間限定で1~9巻が無料で読めるとネットにあったので、試しに読んでみました。上手い画とは言えませんが、妙に迫力のある描線の漫画です。
 主人公は、もと奨励会員でプロにはなれなかった菅田。奨励会からは離れましたが将棋からは離れられず、今は「真剣師(賭け将棋で金を稼ぐ商売)」として生きています。
 菅田は、伝説的な真剣師「アキバの受け師」の噂を聞きます。プロになるために20年間を将棋に捧げた自分にとって、そんなアマチュアの真剣師がなんぼのもんじゃい、と意気揚々と乗り込んだ菅田は、あっさり返り討ちに。あまりのショックに、菅田は将棋への情熱を取り戻しますが、彼を待っていたのは、修羅の道でした。
 しかし、ものすごく将棋が強い「アキバの受け師」が、19歳の巨乳でメイドさんなんですから、一体いくつ「要素」を詰め込むんだ、と言いたくなります。
 やがて巨大な「敵」が菅田の目の前にその姿を現します。暴力団でさえ恐れさせる真剣師集団「鬼将会」です。「アキバの受け師」は「鬼将会」を敵視しており、撃破するための仲間を求めていました。そのお眼鏡に適った菅田は、地獄の猛特訓を受けることになり、そしていよいよ鬼将会との対決に、というところで9巻が終わります。
 この将棋での“バトル”シーン、「ドラゴンボール」での「個別の対戦」や「天下一武道会」と同じような「格闘」となっています。個別の対戦も大会も同じようにあります。将棋なんですけどね。菅田くんの得意技は「ダイブ」。将棋盤の深部へとダイブして読み切れるだけのスジを読み切ってしまいます。ちなみに将棋盤は「9×9」で「81マス」ですから「81(ハチワン)」、そこにダイブするから「ハチワンダイバー」。いやもう笑っちゃいます。
 さらに無料で読めるのが9巻なのは「8+1」だからだそうです。雁木とか早石田とかおなじみの戦法もありますが、将棋を全く知らない人でもある程度は楽しめそうです。


練習曲

2014-08-26 06:50:57 | Weblog

 ピアノの練習曲はいろいろありますが、たとえば「○○のピアノソナタのための練習曲」なんてものがあったら便利かもしれません。その練習曲集を一冊やったら、本物の「○○のピアノソナタ」が弾けるようになっている、という寸法です。もしかしたら「リストの超絶技巧練習曲のための練習曲集」なんてものは“実用的”かもしれません。そして発表会で本物の代わりにその練習曲を代用として使ったらそれを聴いた人が……なんてシチュエーションで小説が一冊書けそうな気もしてきました。私はピアノも弾けないし小説も書けないのにね。

【ただいま読書中】『ブルクミュラー25の不思議』飯田有紗・前島美保 著、 音楽之友社、2014年、1900円(税別)

 著者がプロローグで語っていますが、昭和の子供たちは「ブルクミュラーとはなんぞや」なんてことは教わらず、「バイエルがすんだから次はブルクミュラーね」と与えられたものをそのまま何も疑わずに練習するものでした。これが人名だなんて、私は今日初めて知りましたよ。さらに「ブルクミュラー」には『25の練習曲』だけではなくて『18の練習曲』や『12の練習曲』もあるのだそうです。おやおや。
 さて『25の練習曲』ですが、著者が確認したら日本では14社から29も版が発売されているそうです。なお改訂は今も続けられていて、たとえば全音楽譜出版版では1997年に大きな改訂が行われたのだそうですが、そこでは作曲者名も「ブルグミュラー」から「ブルクミュラー」になったそうです。そういえば私が記憶しているのは「ブルグミュラー」ですね。曲のタイトルにも変更があって、かつての「スティリアの女」は「シュタイヤー舞曲(あるいはシュタイヤーのおどり)」となっているそうです。曲集ラストの「貴婦人の乗馬」は今は「乗馬」ですし、時代が移ると「女性」は姿を消すんですか?
 本書の40~41ページには、各社の曲タイトル比較が表になっていますが、各社共通なのは「タランテラ」くらいで、あとは見事にばらばらです。
 フリードリヒ・ヨハン・フランツ・ブルクミュラーは、1806年南ドイツのレーゲンスブルクで生まれました。34年にパリに移住、ファーストネームもフランス流のフレデリックとして親しまれる作曲家およびピアノ教師として大活躍をすることになります。残した作品は400以上ですが、そのほとんどがピアノ曲です。彼の活動時期は、リストやショパンと重なります。
 バレエ音楽にもブルクミュラーは関係しています。「ジゼル」にはブルクミュラーの「レーゲンスブルクの思い出」が挿入されました。そして「ジゼル」から2年後の1843年には彼が全編音楽を担当したバレエ「ラ・ペリ」が初演されます。これは当時評判となり、ヨーロッパ各地どころか、アメリカでも上演されています。
 「バイエル」が日本にやって来たのは明治13年。では「ブルクミュラー」は? 最古の証拠は明治22年(1889)長崎活水女学校の音楽科のカリキュラムです。ここにチェルニー100番と並んでブルクミュラー25の練習曲が教材として載せられています。そしていつのまにか「バイエル」→「ブルクミュラー」が“定番”となったわけです。ブルクミュラーが知ったら、驚くでしょうね。ピアノ教師ですから、喜んでくれるとは思いますが、彼の意図通り練習曲集が機能しているのかどうかは、ちょっと気になります。


統計

2014-08-25 07:09:12 | Weblog

 どんなひどい統計データでも、「ちゃんと統計として記録し公開した」こと自体はポジティブに評価するべきでしょうね。悪い組織の場合、本当にひどいデータは秘密にするでしょうから。

【ただいま読書中】『世界子供白書2014統計編』ユニセフ 著、 日本ユニセフ協会広報室 訳、 日本ユニセフ協会、2014年

 ひたすら国名と「数字」がぎっしりと並んでいる本です。単純に「2014年で子供にとって良い国と悪い国」を比較して見ることもできますが、表10「前進の速度」では、1970年からの変化をざっと見ることができます。すると、現在「5歳未満児死亡率」で順位が「1位」のシエラレオネでも、死亡率(千人当たりの死亡数)が1970年の「329」から2012年には「182」にまで改善していることがわかります。ちなみに日本は「18」→「3」です。ただ、かつての日本でも子供がばたばた死んでいた時代があったのですから(昭和の初め頃でも、日本では産まれて1年以内に死亡するのは10人に一人以上でした)、ため息をつきながらでも改善の努力を続けた方が良いでしょう。
 「はしかによる死亡」は、2000年には48万2000人でしたが12年には8万6000人に減少しました。ちなみにはしかの予防接種率は、1980年には16%だったのが2012年には84%になっているそうです。
 HIV、教育、清潔な飲料水、妊産婦死亡率、児童労働……様々な指標が並んでいます。数字自体は何も語りません。それがもし何かを語るのだとしたら、それは「聞く耳を持った人」に対してだけでしょう。


日本が採用しなかったもの

2014-08-24 07:38:49 | Weblog

 中国から日本は多くの文物を得ましたが、採用しなかったものの代表が、科挙と宦官です。どちらも豪族貴族が中心の「身分制度」を破壊する可能性がありますから嫌われたのでしょう。ただ「科挙」は、学校教育と結びつくことで現在の日本にはその片鱗が残っているような気がします。(東京)帝国大学はもともと官僚養成学校でしたから。

【ただいま読書中】『韓国の科挙制度 ──新羅・高麗・朝鮮時代の科挙』李成茂 著、 平木實・中村葉子 訳、 日本評論社、2008年、7000円(税別)

 科挙が始めて実施されたのは、隋の文帝七年(587年)です。それはそのまま唐にも引き継がれました。7世紀に新羅は唐の力を借りて三国(高句麗、百済、新羅)を統一し、唐の文物制度を受容するようになりました。領域と人口が急に増えた新羅には、新しい官僚機構が誕生していました。しかし彼らは「第二支配階層」であって、その上に旧来の「第一支配階層」が“蓋”をしていました。そんな雰囲気の中で「読書三品科」が設置され、官僚選抜試験として機能します。新羅では、王族の「骨」と貴族の「品」による「骨品制」がありました。そして「読書三品科」は、それが手本とした科挙とは違って、骨品制を強化するために役立つことになります。
 918年に王建によって開かれた高麗王朝は、935年に新羅を、936年には後百済を統合して統一国家となります。しかし完全な専制君主国家ではなくて、王建と個人的に結びついた大小豪族の集合体でした(その一つの表れが、王建が29人も王妃を持っていたことです)。そこで豪族の勢力を削ぐために用いられたのは、粛清と科挙でした。科挙は学校制度の整備を促進します。高麗中期には「武臣」が権力を握りますが、国王は元に接近することで自身の権威を取り戻そうとします。それは同時に武臣に抑圧されていた文臣の復権でもありました。科挙と教育制度は再整備され、朱子学の研究が進みます。
 朝鮮王朝が成立し、科挙はまた変化します。高麗時代になかった「武科」が置かれ文科・武科の均衡が宣言されます。これにより「文・武両班体制」の官僚機構ができることになります。この両班は高級官僚として特権階級となります。
 科挙で高級官僚のために行われたのは文科と武科ですが、そのほかに雑科がありました。朝鮮時代の雑科は、訳科・医科・陰陽科・律科の4種類でした。訳科は、漢語・蒙語・女真語・倭語の4科です。下級官僚を選抜するための吏科が設けられたこともありました。
 科挙の不正は中国でも知られていますが、朝鮮でも当然あります。典型的なのが最近の日本でも流行している「コピペ」。予想問題に対する「販売されている模範解答」をそのまま書いて提出する受験生が多かったことから、試験官が調査をして、たとえ答案が良くなくてもオリジナルのものを優先させたそうです。
 やがて門閥と党派が官僚の出世を左右するようになります。科挙は特権階級の出世の道具になってしまいましたが、それでも「科挙に合格」が官職の“必要条件”でした。それなりに優秀でなければ出世はできないようになっていたのです。それにしても、本来なら「専制王権」を補強・維持するための制度だった科挙が、韓国ではいつの間にか“自分たち(官僚)のためのもの”になっているのを見ると、「官僚を管理するのは誰だ?」と言いたくなります。中国では文治官僚は「武士」「事務職の官吏」「女性」「宦官」を完全に押さえ込むことができませんでしたが、韓国ではそれが達成されています。それは一体なぜだったのでしょう。
 日本では科挙は採用されませんでしたが、もしも遣隋使か遣唐使が持って帰って日本で採用されていたらどうなっていたでしょう? 「国王にだけ忠誠を誓う官僚」が必要なほどの中央集権国家ではなかったから、結局根付かなかったかな? というか「国王」がきちんと機能していなかった、ということかな?


人徳の差?

2014-08-23 07:26:56 | Weblog

 広島土砂災害に関連して、「天皇が静養を中止」というニュースを見ると「なにもそこまでしなくても…… ゆっくり休んでいて欲しい」と私は思います。「安倍首相がゴルフを中断した」というニュースを見ると「当然だろ、というか、災害があったことを知っていながらわざわざゴルフに行ったのかよ」と思います。
 なんでこんなに私の反応に差があるのでしょう? 普段の行動ににじみ出る人徳の差に対する反応の違いかな?

【ただいま読書中】『ヤンキー・サムライ・ジェントルマン』ジョン・トーマス 著、 CBSソニー出版、1981年、880円

 1960年代ころから「コスモポリタニズム」が世界の流行語となったことは、先日読んだ『パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス』にもありましたが、本書で描かれるのは「個人的なコスモポリタニズム」の物語です。著者は「ヤンキー」ですが、ロンドンと東京で広告マンとして仕事をしていて、3つの文化圏の共通点と相違点についていろいろな感想を持ったのだそうです。
 イリノイ州の「サンドイッチ」という小さな田舎町で著者は育ちました。善良で信心深い典型的な「アメリカ人」だけで構成された町だそうです。大学生の時にヨーロッパで素敵な夏休みを過ごした著者は、卒業後は広告マンとしてロンドンに赴任します。
 面白いのは、会話が所々英語になっている部分です。日本人に英語を簡単に学んで欲しい、という意図もあるのだそうですが、こんな文章でもちゃんと通じるんだ、というやり取りを見ていると、こちらも「正しい英語をしゃべらなければ」という肩の力が抜けてきます。
 ロンドンで、家賃が20~25万円でアパートを探す、というところで私は同じ時代に自分の父親が月給が何万円だったっけ?と思ってしまいます。著者は一体どのくらいの高給取りだったんでしょう。そういえばディナーでも7000円くらいのものを平気で食べています。昭和30年代の日本でそれだけ出したら、どんな大ご馳走だったことか…… イギリスの階級意識の強さが、教育制度で維持されている(高等教育は良家の子女でなければ受けられないようになっている)ことにも著者は気づきます。
 アメリカ英語とイギリス英語の違いも、現実に即して生き生きと比較されます。いやあ、“勉強”になりますわ。特に悪態の数々が登場するところなんか、非常に“実用的”です。日本人に難しい「L」と「R」では、「R」の前に「W」があるとして発音をしろ、という提案を著者はしています。また同様に難しい『TH」の発音は、実はヨーロッパの人々にも難しいものなんだそうです。
 ロンドンで著者は日本人と結婚します。そして「英国流の生活」になじんでいきます。個人主義とコモン・センスの両立、お金は節約してでも生活は楽しむライフスタイルです。
 そして、東京。日本が国際化し始めた時代の「日本理解」ですから、今から見たら“レトロ”なものですが、それでもなかなか興味深い解釈が並んでいます。当時日本はアメリカに次ぐ“経済大国”になっていました。それに対する風当たりも強くなっていたのですが、その理由の一つとして「国際政治の舞台で積極的に貢献しないこと」が上げられています。そのために必要なのは世界中の首脳と腹を割って話し合うことができる「偉大な政治家」なのだそうですが……


亡国

2014-08-22 07:31:56 | Weblog

 「亡国論」でネット検索をかけてみると、いろんなものがありますね。「女子学生」や「女子大生」は私も覚えていますが、「TPP」「郵政」「ゆとり教育」「医療費」「反日」「消費税」……いろんなもので日本はばんばん滅びてしまいそうな勢いです。それにしても、これだけの数の亡国論に襲われていてまだ滅びないとは、日本は意外と生存能力が高い国だったのでしょうか。

【ただいま読書中】『佐田介石及びランプ亡国論 抄』内田魯庵 著、 (日本の名随筆(49)奇書 収載、池内紀 編)、作品社、1995年、1748円(税別)

 「ランプ亡国論」について検索したら、内田魯庵が1921年に発表した『貘の舌』に収載された一編に出くわしました。「戦争後の物資欠乏」に対して唱えられた「自給自足論」を題材としたエッセイです。
 「戦争」とはおそらく第一次世界大戦のことでしょう。戦後は大正バブルとなりましたが、1920年に戦後恐慌が発生します。日本は19年から輸入超過となっていましたが、20年には輸出が好調だった綿糸や生糸が半値に暴落、株価も1/2~1/3に暴落しています。そういった世相を背景に、日本の軍部にはたとえば宇垣一成のような「総力戦」のためには自給自足体制が肝要、と唱える人がいました。内田魯庵は、そのことを意識しているようです。
 著者によれば、佐田介石が唱えたランプ亡国論は、単なる西洋排斥論ではなくて純粋に経済的な見地からの「亡国論」だそうです。ランプのような新しい「舶来品」が日本に広がると、「外貨流出」と同時に「在来の産業滅亡」という二重の損失が日本を襲います。介石はそこに「数字」を持ち出して自身の論の根拠としました(著者は「数字のイリユージヨン」と切って捨てていますが)。ランプと石油に投じられるコストは、介石の試算では1年に2400万円。在来の産業では、行灯や菜種関連のものが大打撃で、その損害が6~7000万円。なるほど、国が滅びそうですね。
 そういえば、蛍光灯が普及した時代に、衰退することが確実の白熱球業界が“損害賠償の訴訟”を起こすだの起こさないだのの騒動を書いた小説も読んだ覚えがあります。
 著者は「産業が変遷することを無視して、過去に固執するのは間違った態度」といった感じでエッセイを書き続け、「ランプを受け入れなかったら、今でも行灯生活だったのか?」とマツダ・ランプ(白熱球)の下で首を傾げています。
 そういえば最近は食糧自給率の数字が低いことが騒がれていますが、輸入食品を否定して自給自足を絶対視するのは、結局「ランプ亡国論」と似た論調になってしまうのでしょうね。とりあえず「海路の安全」のために世界平和を願うことにしておきましょうか。あるいは食糧を供給してくれる「味方」を世界中に増やす努力をするか。
 なお「ランプが国を滅ぼす前に、ランプが滅びてしまった」と述べたのは、宮武外骨(『震災画報』)です。