【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

読んで字の如し〈扌ー7〉「抜」

2013-10-31 06:55:00 | Weblog

「手を抜く」……肩から血が吹き出る
「抜く手も見せず」……超高速クロール
「抜群」……群れを抜きとる
「抜刀術」……他人の刀を抜き取る術
「海抜」……海を抜く
「水抜き」……脱水過程
「腸抜き」……胃と肝臓は残す
「力が抜ける」……アンパンマン
「ガス抜き」……油田の安全対策
「間抜け」……間がないくらい緊迫している
「垢抜ける」……抜ける前は垢まみれ
「油抜き」……わざわざ油で揚げてから油を抜く二度手間のこと
「足を抜く」……ぬかるみでの歩行
「腰が抜ける」……手品で上半身と下半身が分かれる
「戦い抜く」……戦いを抜く
「掘り抜き井戸」……地球の反対側まで通じている井戸

【ただいま読書中】『暗殺者(上)』ロバート・ラドラム 著、 山本光伸 訳、 新潮文庫、1983年(2002年29刷)、629円(税別)

 嵐の海で発見された漂流者は、銃創を負い、記憶を失っていました。地中海のイル・ド・ポルト・ノアールの飲んだくれ医師に命を救われた「彼」は、自分が何者であるかを探し始めます。整形された顔、視力が問題ないのにコンタクトレンズを使った痕、鍛えられた体、無意識に繰り出される格闘技、熟練の域の銃器さばき……体に埋め込まれたデータからたどり着いたチューリヒで、彼は自分の名前が「ボーン」であることと、莫大な財産を持っていることを知ります。そして、自分が命を狙われていることも。
 殺し屋に次々襲われ、ボーンはホテルで女性経済学者のマリーを人質にとって逃走します。その道中、さらに何度も襲われ、体には怪我が増えていきます。マリーは死ぬような思いを何度もしますが、その途中でドンデンが。マリーはボーンに奇妙な感情的共感を抱くようになり、ボーンと一緒に彼の(失われた)過去を探る気になってしまったのです。心理学実験で生命に危険がある状況で出会うと恋に落ちやすいというのがあると聞いたことがありますが、それなのか、あるいはストックホルム症候群なのか、ともかく二人は恋に落ちてしまいます。
 頭に残っていた衝動に従い、ボーンは次の目的地を目指します。パリ。そこでボーンは次のキーワードに出会います。国際的テロリストの「カルロス」。カルロスがボーンの死体に巨額の賞金をかけていたのです。なぜ? さらにカルロスは、マリーのかつての恋人を処刑します。
 ボーンは自分の記憶を探り、一つの仮説を得ます。自分はカルロスを裏切った“兵隊”で、だから命を執拗に狙われているのだ、と。
 CIAや国会議員も参加した秘密委員会では、「カイン」という暗殺者が話題になっていました。ベトナム戦争で“鍛えられ”た暗殺のプロで、ベトナム戦争後は世界各地で暗殺を請け負っていました。委員会では、ボーンこそカインだと結論づけます。
 なぜかマリーが殺人犯として公開手配されてしまいます。追い詰められるボーンとマリー。しかしマリーは、この手配そのものが、誰か(あるいは、何か)からの二人へのメッセージだと読み解きます。

 まだ携帯電話が普及せず街角に監視カメラもなく、電報が健在の時代の物語です。現在の社会を舞台にするとしたら、著者は相当手を入れないといけないでしょうね。私は「物語」と同時に「時代」を楽しめましたが、“昔”を知らない読者は、本書をそのまま楽しめるのかな? 私はちょっと不安を感じました。


日本の伝統

2013-10-30 06:40:37 | Weblog

 今はグローバリズム全盛だったり嫌韓嫌中ですが、ほんの70年前は鬼畜米英、たった150年前には尊皇攘夷でしたよね。

【ただいま読書中】『榎本武揚』安部公房 著、 中公文庫、1973年(81年13刷)、340円

 「一つの時代に忠誠を尽くす」ことの意味についての疑問提起から本書は始まります。榎本武揚は江戸幕府に忠誠を尽くし、戊申戦争の最後、箱館戦争で五稜郭に立てこもって戦いました。しかし降伏・投獄のあと、こんどは明治政府で腕を振るい、最後は子爵・大臣にまでなっています。著者にその疑問を提起したのは、戦中には憲兵として「時代に忠誠を尽くした」男です(作中では実在の旅館の主人となっていますが、それが本当かどうかは置いておきましょう)。
 本書を読むのは久しぶりです。それにしても、読みやすい文章です。奇抜な発想が根底にありますが、言葉は論理に裏付けられてきちんと組み立てられ、その結果生じる発想と文体のギャップにユーモアがたゆたいます。私とは波長が合う文章だな、と感じます。ただしこれは、高校の時にはそこまでは感じ取れませんでしたっけ。
 さて、新資料「五人組結成の顛末」の登場です。これは榎本武揚に“裏切られた”新撰組隊士浅井十三郎の手記、という体裁の文章です。土方に連れられて浅井は、江戸を脱走した後宇都宮仙台と転戦しますが、そのとき榎本の行動に不審を抱きます。榎本は「徳川」に節を尽くそうとしていないのではないか、と。しかし本書では「忠誠の対象としての個人名」に関して面白い対話があります。「徳川家」に忠誠を尽くすのかそれとも「徳川慶喜」に、なのか、と。「忠誠」の対象を「個人」にすると尊皇と佐幕は対決をするしかありません。しかしもっと抽象的なもの(たとえば「日本」)にすると対決は解消してしまいます。しかしそれは「裏切り」でしょうか。
 転向者や裏切り者の評判は基本的に良くありません。では、戦前には天皇制絶対で戦後には民主主義万歳となった人たちはどう扱ったら良いでしょう? 大正生まれの著者は、その問題に関して自分自身にどう落とし前をつけるか、の一つの試みとして本書を著したのかもしれません。


ネット全盛時代

2013-10-29 06:28:42 | Weblog

 インターネットの“寿命”は、あとどのくらいなんでしょう? 少なくとも「永遠」ではないですよね。で、その“後”に来るものは、一体どんなものなんでしょう?

【ただいま読書中】『ショックウェーブ ──非線形現象のなぞ』高山和喜 著、 オーム社、1998年、1400円(税別)

 ライト兄弟の初飛行から、飛行機の速度はどんどん増していました。しかし、プロペラ機には速度の限界がありました。プロペラの先端が音速を超えると、推進効率ががくんと悪くなるのです。
 イギリスでターボジェットエンジンが発明されたのは1930年。しかし英国政府も企業もこの技術には無関心で、イギリスでジェット機が初飛行したのは1941年になってからでした。ドイツでジェットエンジンが発明されたのは1935年ですが、ドイツは動きが速く39年にはハインケル178が初飛行しています。ロケットは、火薬の発達とともに武器としてジェットエンジンよりも遙か前から開発されていました。
 プロペラ機が「音速の壁」を越えられないことがわかり、アメリカではロケット機による音速への挑戦を行います。1947年イェーガーはベルX−1号でマッハ1.06を記録しました。ジェット機が超音速を達成したのは55年のことです。
 飛行機が音速で飛行すると、飛行機から発する音波は前方に行こうとしても飛行機に追いつかれてしまいその先端に密に集積します。そこで圧力は不連続的に上昇して「衝撃波」となる、と本書では説明されています。まだ亜音速でも、翼の上面では局所的に衝撃波が生じさらに音速に近づくと翼の下面でも衝撃波が現れます。そして音速に達すると飛行機の先端に衝撃波が集中、その背後では圧力が減少し、機体後縁でまた衝撃波が発生して大気圧に戻ります。この圧力の変動によって飛行機の操縦は非常に難しくなります。
 このとき衝撃波の振る舞いを数学的に記述すると「非線形」となります。「1足す1は2」という線形現象ではなくて、数の変化が質の変化ももたらす現象です。
 ある限られた空間にエネルギーが瞬間的に集中して解放されたときに衝撃波は発生します。ということは、自然界にも衝撃波は存在することになります。身近なところでは、発泡飲料の小さな「ピチピチ」という破裂音。これは水中の気泡が振動して潰れるとき、微少な衝撃波が発生してすぐに減衰した名残の音だそうです。大きなものでは、超新星爆発。重力崩壊に伴う衝撃波は中心に向かって収束します。これは内爆衝撃波と呼ばれますが、中心で反射してこんどは星の表面に向かい、そこで星の外側の物質を吹き飛ばして超新星爆発を引き起こします。火山の噴火で地球規模の衝撃波が生じることがあります。隕石での衝撃波、というのはわかりますが、雷も衝撃波を起こしているそうです。放電路ははじめは半径数mmですが30マイクロ秒後には数cmに超音速で膨張します。その結果円筒状の衝撃波が生じ、それが伝播・減速して「雷の音」になるのだそうです。近くだと爆発音ですが、遠くだと放電路がジグザグなので衝撃波が伝播・減衰するだけではなくて重なり合うことで近くとは違った音(ゴロゴロ)になるのだそうです。
 火薬などの爆発でも衝撃波は生じます。放電・高速衝突・気体や液体の噴出(水ジェットなど)などはわかりやすいのですが、新幹線が登場するのには驚きます。時速240km以上でトンネルを通過するとき、列車の前に形成された圧縮波が重なり合い弱い衝撃波を形成して、トンネルの出口で不快な爆発音になるのだそうです。
 衝撃波の“平和利用”もあります。結石の破砕術です。水中衝撃波を発生させてそれを一点に集中させ、そこに石を置けば見事に砕ける、という医療技術です。まだ研究が始まったばかりですが、脳血栓などでの「血栓」を衝撃波で砕く、というのもあるそうです。これも早いところ実用化して欲しいですね。一昨日はテレビで「弱った心臓に弱い衝撃波を与えてその刺激で血管新生を活性化する」なんてこともやってました。もしかしたら衝撃波で薬無しのドーピングが筋肉に対して可能かもしれません。ちょっと夢が広がります。


洗濯機

2013-10-28 07:12:13 | Weblog

 私はどうしても「電気洗濯機」と言いたくなるのですが、電気ではない洗濯機ってシェアはどのくらいあるのでしょう?

【ただいま読書中】『食の花 味わいの華 ──丙午一おやじの葩ごよみ』中村喬 写真・文、東方出版、2000年、2800円(税別)

 各季節ごとに、食に関係する「花(華、葩)」の写真を五十音順に並べた「写真集」です。たとえば「春」は、「アケビ」「アワ」「アンズ」「イグサ」「イチイ」「イチョウ」……イグサやイチイも食べたんですね。イグサは茎の部分を、小児の夜泣き・利尿・淋病に用いたそうです。イチイは、果実・葉・枝を食べますが、糖尿病・利尿・通経に効能があるそうです。
 滅多にお目にかかれないというショウガの花、日本で初めて写真撮影に成功したミョウガの種子、60年に一度だけ咲くという竹の花……なんとも変わったものにも本書ではお目にかかれます。その辺でいくらでも買える野菜の花も「これが○○の花か」と見とれてしまうものが多くあります。写真の脇のうんちくもなかなか。たとえば「竹」と「笹」と「バンブー」の違いって、皆さん、ご存じです?
 ちなみに、私が一番気に入った写真は、夏の章の「時計草」の写真でした。あれは一体何時何分なんだろう?


ビニールハウス

2013-10-27 07:42:13 | Weblog

 英訳したら「plastic greenhouse」になる、と私のatokは主張しています。
 温度を維持するために重油を燃やすから、環境にはよろしくない、という悪評もありますが、だったらいっそのこと「ビニール」をすべて「ペアガラス」にして「省エネ(ビニール)ハウス」にしてしまったらどうでしょう。人が住む家でもペアガラスや二重窓は断熱性能が上がるからとても良い評判ですよね。だったら植物にも同じことが言えるのでは?

【ただいま読書中】『水族館の歴史 ──海が室内にやってきた』ベアント・ブルンナー 著、 山川純子 訳、 白水社、2013年、2200円(税別)

 1850年、ヨーロッパの人々は「海に関する知識」をほとんど持っていませんでした。漁業や生物学が海の表面だけをひっかいてはいましたが、深海は「謎」または「死の世界」扱いだったのです。しかし1850年代に海底ケーブルが施設されるようになり、損傷したケーブルを引き上げたときそこに様々な生物が絡みついていたことから深海にも生き物がいることがわかりました。人々の好奇心と知識欲と収集癖が刺激されます。
 魚を“ペット”にする行為は、紀元前から行われていました。古代リュキア(現在のトルコ南西部)、古代ギリシア、古代ローマなどで魚が飼われていました。古代ローマでは大理石の水槽の一部にガラスがはめ込まれ、横からも魚の動きが鑑賞できるようになっていました。日本で金魚飼育が盛んになるのは1800年頃からですが、ヨーロッパでも17~18世紀に金魚が熱狂を起こしています。魚を長生きさせ、海水を長持ちさせるために様々な工夫が試され、ついにアクアリウムが登場します。ガラスも普及し、1851年ロンドンでの第1回万国博覧会では「水晶宮」が建設されました。
 アクアリウムの“命名者”は、英国人フィリップ・ヘンリー・ゴスです。彼は優れた自然科学作家で、海岸の生物の権威でした。自作のアクアリウム(ガラスの水槽)に様々な動植物を入れ、長期間の観察をして記録を残します。そこで「競争」だけではなくて「共生」が海中には存在することもゴスは見いだしました。ゴスの本はブルジョワの関心を引きます。「生きた自然」を自宅に、は非常に魅力的で新鮮なアイデアだったのです。
 19世紀後半にはアメリカでもアクアリウムはブームとなります。やがてアクアリウムは「個人の趣味」から「地域ぐるみ」の「組織による“事業”」へと発展します。各国でアクアリスト協会が設立され、機関誌が発行されます。
 アクアリウムの“中身”も変化しました。はじめは自国の生物だけだったのが、やがて外国産のものがどんどん加えられるようになったのです。魚の遠距離輸送の技術も発展します。
 1853年ロンドンのリージェンツ・パーク内に最初の水族館がオープンします。動物園の一部で「フィッシュ・ハウス」と呼ばれたこの施設には、様々な水槽が並べられていました。それを見たアメリカの興行師P・T・バーナムは即座に「水族館」をアメリカで始めます。欧米で水族館は続々と作られますが、1860年にパリで誕生した「ジャルダン・ダクリマタシオン」の水族館は、ジオラマの効果を導入して、人々に新しい体験を与えました。水族館の競争が激しくなると、演出も必要になります。たとえば(恐怖の表現である)洞窟を通ってから展示場に入る、とか。1878年のパリ万国博覧会では、広間の天井が総ガラス張りで観客は“下”から水槽を見つめる、という水族館が作られました。8万リットルの水が人々の頭上にあったわけですが、ガラスにひびが入らなくて良かったですねえ。ニューヨーク水族館ではなんと生きたクジラの展示が行われました。
 ただ、水族館の経営は大変でした。魚はばたばた死にます。水の交換も大変です。コストがやたらとかかり、他の活動(マジック、大道芸、珍しい動物の展示、など)との抱き合わせでやっと利益を出すのが普通でした。
 現代の水族館は、アクアリウムの遺産を受け継いでいますが、別物になっています。オセアナリウム(大規模な海洋水族館)です。著者は世界のあちこちにある巨大なオセアナリウムを紹介しつつ、こう自問します。「次はどうなるのだろう?」。同時に著者は(動物園が動物に対して「倫理」を求められているのと同様に)水族館も水棲生物に対して「倫理的」に振る舞わなければならないのではないか、とも立問します。さて、この問いに対して、どう答えたら良いのでしょう?


ショーとしてのドラフト

2013-10-26 07:13:29 | Weblog

 日本のプロ野球のドラフト会議で不思議なのは、「ドラマ仕立て」にしようとすることです。アメリカ式に完全ウェーバーで順序よく指名していけばそれで「戦力の均衡化」という最初の大目的は達成されるのに、そこに「選手の希望」やら「くじ引き」やらを持ち込んで「ビジネス」ではなくて「ショー」にしようとしています。
 どうせ「ショー」にするのだったら、その「くじ引き」を「そのチームの熱狂的なファン」や本人にさせたらどうです? きっとファンには受けますよ。

【ただいま読書中】『データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」 ──ビッグ・データからビジネス・チャンスをつかむ』ディミトリ・マークス、ポール・ブラウン 著、 小林啓倫 訳、 日経BP社、2013年、2000円(税別)

 原題は「SEXY LITTLE NUMBERS」という洒落たものですが、邦題は無味乾燥な残念なものになっています。意味はわかりますけれどね。
 現代社会では人は行動すると常に何らかの「データ」を発生させています。その膨大な「データ」は、ほとんど利用されずに死蔵されていました。結婚直後にシスコシステムズに転職した著者(ベルギー人、妻は英国人)はベルギーからサンノゼに引っ越し、会社に死蔵されていた「ビッグ・データ」と取り組むことになります。
 ここで重要なのはコミュニケーションです。「データが読める人」にはデータが勝手に語りかけてくれます。しかし会社を動かしている人の多くは、ビッグデータが“読め”ません。だから「読める人」が「読めない人」の心を動かすために、“翻訳”をする必要があります。
 まず著者が行うのは顧客のセグメント化です。企業に一番利益をもたらしている顧客は誰か、宣伝をしたら一番利益をもたらしてくれそうな顧客は誰か、宣伝が無駄なのは誰か、それらを測定・分類するのです。
 次は「顧客に何を話しかけるか」。企業は「買ってもらいたいもの」について話したいのですが、顧客が知りたいのは「企業が自分のために何を用意しているのか」です。そしてここでも大切なのは「データ」。古くは顧客名簿、クレジットカードの使用履歴、最近は「クリック」。個人だけではなくてソーシャルネットワークでの消費者の行動を「データ」として集積することが企業には広告戦略として有効になります。これまでのように、「数撃ちゃ当たる」方式の広告ではなくて、「一番見込みがある顧客層」に限定して広告を提供する、これは広告単価は上がりますが、効果はコスト上昇分をはるかに上回る(はず)です。
 ここで「コスト」の問題が出てきます。その企業が広告に使える金はどのくらいか、です。さらにその限られた予算をどう各メディアに配分するか。
 そして一度決定して実行したら、次は評価です。なんだか「PDCAサイクル」そのものですね。
 かつてインパクトのある「広告」の代表は「新聞の全面広告」だったり「テレビで評判になったCM」でした。しかし、ネット上の広告は「広告が評判になること」ではなくて「ターゲットに確実に情報を届けること」を目標に、ひっそりとしかし確実に進化を続けているようです。従来型のメディアの寿命はあとどのくらいなんでしょう?


焚書

2013-10-25 06:36:56 | Weblog

 放っておいても本は「時の流れ」によって勝手に滅びていきます。それをわざわざ人為的に滅ぼそうとするからそれに対する対抗勢力が生まれて人為的に保存されてしまう、ということになる場合があるのではないでしょうか。

【ただいま読書中】『「洋酒天国」とその時代』小玉武 著、 筑摩書房、2007年、2400円(税別)

 昭和25年「トリス・バー」が開店しました。闇市の屋台よりは洒落ていて、いかがわしいバーより安心でいて、高級バーよりは手軽なこの「バー」は全国に広がります。昭和31年寿屋(現サントリー)は『洋酒天国』というPR誌を発刊しました。本書はこの洒落た雑誌をめぐるお話です。
 初代編集長開高健は、雑誌編集経験はありませんでした。しかし集まってきた「才能」たちは、アマチュアリズムを“武器”に全力で「トリス遊び」を始めます。寿屋の宣伝部は、戦前から自由闊達、とにかく「やってみなはれ!」がモットーで、その伝統は戦後も引き継がれていました。
 佐治敬三は、開高健・柳原良平などを自分の感覚で集めます。この「佐治敬三の感覚」と通じるものとして著者は「花森安治」を上げます。「暮しの手帖」の名物編集長です(でした)。そして、新しいセンスのPR雑誌の企画を聞いたとき、佐治は「やってみなはれ」。ただし雑誌名を「洋酒天国」とすることだけは譲りませんでした(開高健たちはこの名称に反対だったそうです)。
 創刊号から22号までは開高健が編集長、その後は山口瞳が引き継ぎます。昭和36年に著者は寿屋に入社が決まりますが、その時の試験官の一人が山口でした。
 それにしても、開高健は『裸の王様』で芥川賞を受賞、山口瞳は『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞です。ついでですが、二人とも菊池寛賞も受けています。なんともすごい「宣伝部」ですね。
 執筆者の一人本田靖春は「日本酒の宴席」の雰囲気が嫌いで、トリスバーをひいきにしていました。彼にとって自分の「酒を飲む」スタイルは、「集団」ではなくて「個人」が酒を飲む、という「思想」を行動化したものだったのです。
 「洋酒天国」を貫くものを著者は「昭和モダニズム」と表現します。単なる「宣伝雑誌」ではなくて、奇妙な味のショートショート、切れ味の鋭いエッセイ、センスのある写真、魅力のある企画……志と質の高さがあったことが、著者の文章からこちらに伝わってきます。原稿を書いているのも、片岡義男、植草甚一、淀川長治、埴谷雄高、五味康輔、永井龍男、山本周五郎……なんとも“ビッグ・ネーム”が続々と……
 しかし、昭和39年に「洋酒天国」は閉幕を迎えます。酔っ払いながら真剣に遊ぶことができた場が閉じてしまいました。「歴史の教科書」には載らない雑誌かもしれません。しかし、「昭和30年代」という「時代のエッセンス」は確実にそこに結晶しているはずです。


ヘンな本

2013-10-24 06:45:12 | Weblog

 変な本は面白い。益があるかどうかはわかりませんが。
 偏な本は面白くないし、たぶん有害です。

【ただいま読書中】『国史大辞典を予約した人々 ──百年の星霜を経た本をめぐる物語』佐滝剛弘 著、 勁草書房、2013年、2400円(税別)

 日露戦争に“勝利”した日本は、文化的にも高揚していました、その時代を背景に、明治40年(1907)吉川弘文館は二冊組み2600頁の「国史大辞典」を刊行します。値段は20円。当時の教員の初任給は12円~15円、讀賣新聞が一月35銭ですから、今だったら20万円くらいの“辞書”です。ただし予約をしたら、支払い方法によって8~10円に値引きされました。そこで有名人・無名人・施設(図書館や学校など)が多数予約をしました。その数は約9000! 今「20万円の辞書」を出したとして、どのくらい予約が“殺到”するでしょう?
 著者は偶然「国史大辞典予約者芳名録」を見る機会に恵まれ、そのコピーを取らせてもらえました。今だったら個人情報の問題で出版はできないでしょうが、当時はこういった芳名録も出版されていたのです。ただ名前が羅列されているだけの「名簿」ですが、著者はそれを“読み”始めます。
 有名人の名前はすぐにわかりますが、著者のすごいところは、有名人の実家も把握していて、たとえば「芥川龍之介の父」「太宰治の実家」も国史大辞典を予約していることを指摘してくれるところです。
 文人・辞書制作者・言論人などは当然のように予約をしています。華族や宗教者も多く含まれます。学校や、当時まだ全国に数十しかなかった図書館や全国の書店からも予約が入っています。意外なのは、理系のインテリや軍の施設からの注文もあることです。著者は本そのものも追跡し、地方の篤志家が集めた本を惜しげもなく寄贈したことで各地にその人の名を冠した「○○文庫」が形成されたことも紹介します。
 今から100年以上前のことですが、当時の日本はとても“文化的な国家”だったようです。というか、今の日本は文化国家でしたっけ?


PM2.5

2013-10-23 06:39:34 | Weblog

 早く「死語」になってもらいたいことばですが、中国ではまたその濃度がどかんと上がったそうです。
 すりガラス越しに眺めているような街頭写真を見て私が思い出すのは「霧のロンドン」。中国では暖房に石炭を使っているそうですが、ロンドンでも石炭を使っていて、そのため19世紀から何回もひどいスモッグが発生し、1952年には有名な「ロンドンスモッグ事件」で1万人以上が死亡しています。中国政府から見たら「1万人なんか“誤差”の範囲内」なのかもしれませんが、それはそれで「PM2.5以上のひやりとする怖さ」ではあります。

【ただいま読書中】『世界の市場』松岡絵里 著、 吉田友和 写真、国書刊行会、2012年、1800円(税別)

 夫婦合作の本ですが、著者紹介を読むとすごいですね。新婚旅行が607日の世界一周だったそうです。本書は、そういった旅好きの著者二人が10年かけて集めた世界各地の市場体験の集合体です。
 のっけから私は食欲を刺激されまくりです。じゅうじゅうと音を立てているような牛肉のどアップが登場するメヒコのリベルタ市場。噛めば噛むほど口の中に肉の旨味と塩気が広がってきそうな生ハムがてんこ盛りのバルセロナのサンタ・カタリーナ市場。
 見たこともない魚、見たこともない色鮮やかな野菜や果物……旅先でそんな物を見て指をくわえているばかりではなくて、著者は「旅先で料理をする方法」を複数伝授してくれます。面白かったのは「現地での料理教室に参加」という手です。制限はいろいろありますが、中には市場での買い物からコースに組み込まれている嬉しいものもあるそうです。
 なんだかお腹いっぱいの気分になってきたら、こんどは雑貨市場。やはり女性は「カワイイ小物」が好きなのかな、なんてことを思っていたら突然「魔女市場」(ボリビアのラパス)が登場します。魔術・呪術用グッズばかりの「市場」です。誰が買うの? 何のために? 
 イスラムは男性優位社会ですから、市場も「男性優位」です。女性は家に閉じ込められているので、買い物は男の仕事です。女性の下着も男が買いに行きます。で、けっこう派手なのを買っていたりするそうです。
 市場は、雑多な「もの」と雑多な「人」の混合物です。本書にも、様々な魅力的な人と魅力的ではない人が次々登場して読者を飽きさせません。日本の市場でも人と人が毎日いろんなことをやっているんでしょうね。



数の神秘

2013-10-22 06:36:56 | Weblog

 数学と宗教と言ったら、まるで違うもののように私は感じますが、昔の人はそうは思わなかったらしく、たとえば古代ギリシアのピュタゴラスは数秘術の祖ですし、古代中国には魔方陣があります。現代の数学者がたとえば素数の追究に見せる熱意に、私は時に宗教的熱情を感じることもあります。迫害とか宗教戦争が起きないのだったら、それはそれでけっこうなのですが。

【ただいま読書中】『魔方陣の世界』大森清美 著、 日本評論社、2013年、3300円(税別)

 「魔方陣」の教科書です。
 「3×3」の魔方陣は1つしかありません(回転・裏返しは“同じ”と数えます)。「4×4」だと880個、「5×5」だと275305224個。「6×6」だと(有限個だとはわかっていますが)正確にいくつあるのかはまだわかっていません。
 世界最古の魔方陣は、中国の『易経』にもある、神亀の背中に描かれていたという「洛書」です。この「並べられた数の不思議さ・神秘」に魅せられた人は多かったらしく、『楊輝算法』(1275)には3次方陣から10次方陣まで載せられているそうです。
 インドにも方陣がありますが、これは中国から伝わったのか、独自に見つけたのかは不明です。
 数学的には「方陣」は「正方行列」です。したがって「方陣」が「魔法」を身につける(n次方陣の定和Sを与える)ための「公式」があります。
 「作り方」にもいろいろな方式がありますが、「書き下し法」だと、たとえば8次の魔方陣でも一気に一筆で書けてしまうそうです(まるで手品を見ているような気分でした)。ただ、こういった方法を丸覚えで魔方陣を“作”っても、楽しみはないでしょうけれど。攻略本を片手にゲームを“解く”みたいなものですから。
 本書では「4次の魔方陣」880個をすべて作ってみせます。おそらく「基礎」を固めることで人を“その先”に行かせるためでしょう。その中で特に面白いのは「4次の完全魔方陣」です。縦横斜めだけではなくて「四隅の数字」を足しても同じ数になる、というもので、48個もあるそうです。
 「いろいろな魔方陣」の章では、人間がどこまで知力を振り絞れるか、と挑戦されている気分になります。“普通の魔方陣”でさえ難しいのに、わざわざいろいろな縛りをかけてくれるものばかりですから。
 平面だけではなくて、立体の魔方陣もあります。それも、立方体だけではなくて、トーラス(ドーナツのような円環状の立体)上に魔方陣を貼り付けてみたり、球の上に貼り付けてみたり(地球儀の緯度と子午線の交点に数字を置く、とイメージしてください)、自由自在です。
 私個人としては魔方陣研究者になるつもりはありませんが、たとえば「数独」と魔方陣を組み合わせたら新しいパズルができないだろうか、とか、妙なことは思いついてしまいました。
 なお、本書に載っている解法のプログラム(C(++)言語)は出版社のサイトからダウンロード可能だそうです。興味のある方には、遊び甲斐があるのでは?