【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

打撃練習

2011-10-31 18:59:05 | Weblog

 アマチュア選手が打撃練習をしているのはわかります。空振りばかりではレギュラーにはなれませんから。しかし、プロの野球選手が打撃練習をしているのは、私にはよくわかりません。「ヒットを打つ練習」「ゴロを打つ練習」「ライナーを打つ練習」「犠牲フライを打つ練習」とか「ホームランを打つ練習」だったらわかる気がするんですけどね。たとえば「ヒット」と「ゴロ」を打つ練習を組み合わせたら「二遊間(あるいは三遊間)をゴロで抜く」になるのですが、「バットに当たった後は運任せ」だと、単なる確率と運の話になってしまいますから、他の選手に対して優位を示すことができなくて首位打者は取れないんじゃないかな?

【ただいま読書中】『氷山を狙え』クライブ・カッスラー 著、 中山善之 訳、 パシフィカ、1977年、1100円

 ダーク・ピットシリーズの第二作です。
 腹の中に幽霊船を閉じ込めたまま漂流する氷山。そこにダーク・ピットが調査に乗り込みます。しかし現場ではすでに氷山内部への侵入工作が行なわれており、さらに船は焼き尽くされていました。誰が、何のために15人の乗組員を殺したのでしょう? そもそも、氷山の中に船が閉じ込められていた理由は?
 アイスランドが舞台・アメリカやソ連を手玉に取る“悪の組織”・アクションとお色気、ときたら「007 ダイ・アナザー・デイ」を思い出します。もっとも007に「詩の朗読会」はありませんが(って、もしかして、あったっけ?)。そして本書で「詩の一節」が、事件を解決させる大きなきっかけになる、というのは洒落た展開です(もっとも最後には同じ一節が苦みを持って語られますが)。さらに、海底で発見された国会議事堂の模型もまた有力な手がかりとなります。
 詩の“対決”以外にも、変った対決が次々登場します。非武装のヘリコプターvs武装ジェット機、空手vsブランデー……さらには、ビットはホモセクシュアルのふりまでしています。そんな必要があったのかな?と私は思ってしまいますけどね。そういえば1970年代は、ゲイが映画などで取り上げられることが多くなった時代でしたっけ(「狼たちの午後」とか「クルージング」とか……って、どちらもアル・パチーノですね)。本書もそういった「時代」を反映しているのかもしれません。
 そして最後にピットは、肋骨が折れ全身打撲の状態で大立ち回りをすることになります。それも、オオカミの着ぐるみを着て。どう考えても動きにくいはずですが、まあ読者サービスでしょう。
 筋には無理があるし、キャラもまだ未熟な感じですが、これが次作の『タイタニックを引き揚げろ』につながっていくのだと思うと、これはこれで趣があります。



入れ替え

2011-10-30 18:49:44 | Weblog

 「性根を入れ替える」ということばがあります。だけど、甲さんの性根が問題だからと乙さんの性根と入れ替えたら、乙さんが困ることになりません?

【ただいま読書中】『原爆と検閲』繁沢敦子 著、 中公新書2060、2010年、760円(税別)

 連合軍とともに230人以上の従軍記者が日本に上陸しました。マッカーサーは占領軍が進駐していない地域への記者の立ち入りを禁止しますが、それを無視して地方都市を目指す記者がいました。一人はオーストラリア人ウィルフレッド・バーチェット(英国デイリー・エクスプレス紙)で目的地は広島。もう一人はアメリカ人ジョージ・ウェラー(シカゴ・デイリー・ニュース紙)で長崎。バーチェットは「原爆病」ということばで、放射線による影響を描写し、その記事は9月5日の紙面に掲載されました。ウェラーは最初は「ちょっと巨大な通常兵器」と原爆を描写していましたが、病院に行って「X病」で外見的に傷のない人が貧血・下痢・出血を起こして死んでいく有様を知ってから人的被害について詳しく書くようになりました。しかしウェラーの記事は新聞には載りませんでした。検閲に引っかかったのです。
 空襲の跡を巡る記者団「航空特派員」のグループも欧州に続いて日本を回っていました。陸軍航空軍を独立空軍にするための宣伝のために航空軍司令官が発案した“ツアー”です(司令官は、航空軍の“軍事的貢献”が過小評価されていると考えていました。だから“戦果”を誇示する必要があったのです)。9月3日に彼らは広島に入りますが、ヨーロッパの惨状を多く見てきた彼らも広島の現状には息を呑みました。ここで紹介されるラジオや新聞記事は、彼らが受けた衝撃を物語っています。ただし、実際に掲載された文面は「編集」を受けていました。強調されるのは原爆の「物理的威力」であり、悲惨さは軽く扱われ、日本の国際法違反などが原爆使用を正当化するためにわざわざ取り上げられました。たとえば日本人による被害の証言は「破壊力の強い兵器の使用について米国を辱めることを計算した見え透いたプロパガンダ作戦」です。また「高空で爆発させたから地表に残留放射能は存在しない」とされました。
 ここで私は、戦後に日本で行なわれたGHQによる検閲を思い出します。しかし、話はもうちょっと複雑です。
 アメリカは自分たちの国家に関する「自由」「平等」「民主主義」といった「タテマエ」を重視します。すると当然「検閲」は「まずいこと」です。そこで「敵に利益を与えないため」に、国境を越える通信だけ検閲の対象となり、それ以外は「自主検閲」となりました。もっとも「自主検閲規定」も“上”から配られるのですが。アメリカの検閲の歴史は第一次世界大戦まで遡ります。しかし強硬路線のためあまり上手く機能せず、その“教訓”から第二次世界大戦では検閲はけっこうソフト路線で行なわれました。それがうまくいき、記者は「何を書くか(書かないか)」「何を撮影するか(しないか)」をきっちりと判断(あるいは軍の要請に協力)していました。
 日本側も検閲には慣れていました(明治からの報道統制がありましたから)。だからGHQの検閲もスムーズに機能します。検閲される側から見たら検閲する相手と検閲の基準が変っただけで、あとは同じことなのですから。1949年までGHQの検閲は続き、その間原爆に関する記述(や映像)は徹底的に押さえ込まれました。しかしその「厳しさ」は、日本人に対してのもので、西洋人の記者に対しては別の基準が適用されました。それは対日本人よりは緩やかなものでしたが、それにさらに(会社の)「自主検閲」が加わります。権力による報道の操作と、「操作されること」を前提とした報道機関の自己操作により、現場からのレポートはいろんな形に変形することになりました。
 これは戦争時(あるいは戦争直後)だけのお話でしょうか。
 そうだったら良いんですけどね。



大きな声

2011-10-29 17:55:24 | Weblog

 モンスター○○がはびこるようになったのはなぜか、と言えば、「家庭や近隣社会での躾の崩壊」が一因と言えるでしょう。社会が変化してしまった、と。ただ、そこで私は思います。かつては「ワガママの金切り声」が「それを叱りつける声」に押さえつけられていて、それが「叱りつける声」が弱ることで「金切り声」がひどく目立つようになったのだとしたら、「声の大きさですべてが決定される」という「社会の基本構造」は実はなにも変ってはいないのではないか、と。

【ただいま読書中】『雷電日記』渡邊一郎 監修、小島貞二 編、ベースボールマガジン社、1999年、2500円(税

 江戸時代の力士は、各藩のお抱えでした。したがってその勝負には各藩の力関係が反映されることがあります。単純に「強い力士が強い」わけではなかったのです。
 さて、人間離れした強さで有名だった雷電は、雲州藩(出雲国)のお抱えでした。したがって相撲は“公務”です。雷電がお抱えになったのは、寛政元年、雷電は23歳でした。御切米は八石・三人扶持でした。
 各地で巡業を行ないますが、「稽古」という名目だと公的な規制はありませんでした。力士には巡業の給金と、大入りの場合には祝儀が追加支給されます。雷電は細かく記録していますが、たとえば寛政三年(1791年)の品川では、3月3日~29日の興行で、給金は6両2分、祝儀は5両でした(雷電は祝儀は全部遊郭で散財したそうです)。そうそう、この年の江戸大相撲本場所は本所回向院で4月22日が初日でしたが、3日目に将軍家斉が「上覧あそばされる」とお触れがあり、その準備のために本場所興行は中止になってます。上覧相撲は6月11日、場所は朝鮮馬場(馬場先門内の馬場)。雷電は西関脇でしたが、東関脇の陣幕に負けてしまいます。ただし雷電は、この日記内ではすべての勝敗での感情の発露を抑えています。解説では「日記は藩への活動報告書でもあったから、感情は抑えたのだろう」と書かれていますが、女郎屋で大酒を飲んでどんちゃん騒ぎをした、なんてことは平気で書いてあるんですよねえ。
 享和元年(1801)大坂場所で雷電は西大関です。なお、当時の「横綱」は「地位」ではありません。力士のランクとしては大関が最高位で、その中で「横綱免許」を持つ者だけが名誉称号として「横綱」を名乗ることができました。雷電は、実力・成績はトップの力士でしたが、諸々の事情で結局横綱免許は受けることができませんでした。ただし彼はその「事情」については一切語っていません。実力があっても政治力がないと“出世”できない世界だったのかもしれません。
 しかし力士一行は本当にまめに全国を回っています。それも「興行がすんだら一晩馬に揺られて次の地に移動」とか「二日間ぶっ通しで早舟で移動」とかの強行軍がけっこうあります。どこに行っても興行はできるようですが、それは相撲のファンと勧進元が全国各地にいたからでしょう。“敵”は雨です。雨が降ったら客は不入り、収入は激減です。「一年を 二十日で暮らす いい男」なんて言い方がありますが、なんのなんの、本当にマメに移動し稽古し勝負をし続ける「一年」です。大変ですよ。遊びもマメにやってますが。



低炭素社会

2011-10-28 18:11:49 | Weblog

 「電気自動車は(走行中には)二酸化炭素を排出しない」ということばを聞くと、私は思わず笑いたくなります。かつての「原子力発電所は(発電中には)二酸化炭素を排出しない」ということばを思い出すものですから。

【ただいま読書中】『「エンジンのないクルマ」が変える世界 ──EVの経営戦略を探る』大久保隆弘 著、 日本経済新聞出版社、2009年、1600円(税別)

 オバマ大統領就任一箇月後の09年2月、アメリカでは「米国再生・再投資法」が制定され、スマートグリッド関連分野に110億ドルの予算が組まれました。ケネディの月着陸・クリントンの情報スーパーハイウェイなど、民主党政権はビッグプロジェクトを組むのが好きなのかな、と思いますが、オバマの場合は「環境」なのかもしれません。
 電気自動車は、ガソリン自動車とほぼ同じ時期(19世紀末)に誕生しました。最初は一次電池が用いられましたが、充電可能な鉛蓄電池も利用されました。エジソンは1901年に鉄・ニッケル電池を開発し1903年に電気自動車の特許を取得しています。しかし、T型フォードの大ヒットによって電気自動車は表舞台からは消えてしまいます。しかし、京都議定書やリチウムイオン電池の開発によって、舞台の隅に隠れていた電気自動車にスポットライトが当たるようになります。
 本書に登場する技術的な話は面白いものですが(というか、日本ではすぐそういった「技術的な話」に夢中になってしまう傾向がありますが)、「電気自動車」は実は「政治」の話でもあります。インターネットに日本が“乗り遅れた”ためにその規格などに日本の都合が全然反映できなかったように、電気自動車ももし“乗り遅れ”たら日本は世界で不利な立場になってしまうことは間違いありません。だからアメリカは政府がてこ入れをするわけです。では日本は、国としては世界と未来をにらんで、どんな戦略を持っているのでしょう?

 100年と少し前、「馬のない馬車」が登場した時、これによって世界が大きく変る、と予想した人は少なかったでしょうし、予想した人でもここまで変化するとは思わなかったことでしょう。そして今「エンジンのないクルマ」が走り始めています。ガソリンが有限である以上、これからの時代はおそらく電気自動車によって動かされていくことになるのでしょう。
 ……それとも、自動車以外のものがこれから世界を大きく変えていくのでしょうか。



通貨変動

2011-10-27 18:48:32 | Weblog

 日本は歴史的な円高でふうふう言っていますが、韓国ではウォン安で物価がどんどん上がって国民はふうふう言っているそうです。どちらにしても「国は何とかするべきだ」なのですから「国」というのも大変ですね。
 ……ところで、そもそも「円」にそこまでの投資価値があるんです? あるのなら良いのですが、無いのだったらそのうち“バブル”がはじけまっせ。それはそれで、急激な円安になって、国は大変なことになりそうですが。

【ただいま読書中】『6枚の壁新聞 ──石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』石巻日日新聞社 編、角川新書、2011年、933円(税別)

 石巻日日新聞は従業員28人の小さな新聞社です。
 3月11日14時46分、地震発生。直後に記者たちは市街地に散りました。14時49分、大津波警報発令。社長は社員に避難を指示しますが、自分は戸締まりをしたりカーナビのテレビで情報を集めたりしていました(おそらく正常性バイアスが働いてしまったのでしょう)。そうこうしていたら15時40分、津波が社屋に到達します。会社は丘陵地にあり、さらに交差点で瓦礫が詰まって堤防のように津波の本流を逸らしたため浸水はわずかでしたが、2階の窓から見ている目の前を、家や車が次々流されていきました。午後5時頃津波は収まりましたが、まわりは水に囲まれ誰とも連絡が取れない状態でした。
 大勢の被災者が避難所にいます。何が起きているのか、何も知らされていない人びとが。こんなときに、地域の新聞社として、何をするべきでしょうか。
 輪転機は動きませんが、幸い新聞用のロール紙は無事でした。壁新聞なら作れます。あと必要なのは、フェルトペンと、「新聞を出そう」という意志です。3月12日(土)「壁新聞」第一号が発行されます。記者たちが自分の“足”で集めてきた情報を整理して、目の前で起こっている「事実」を伝えることに徹した「新聞」です。
 社員たちも“被災者”です。自宅の状況や家族の安否も気がかりです。ですから、会社から脱出できるようになったら帰宅しますが、それでもまた戻ってきて仕事を続けようとします。その仕事が、自分をふくめた被災者の役に立つことがわかっているからでしょう。
 3月14日、被災地の惨状が詳しく伝わってきます。石巻日日新聞では、被災者が希望を持てる見出しと記事でまとめる方針としました。「惨状」は、わざわざ新聞で読まなくてもぐるりを見たらいくらでも“読”めるのですから。
 3月17日、会社の会長宅に電気が戻ったため、そこにパソコンを運び込みA4でプリントした「新聞」を発行することになります。これで「壁新聞」よりは情報を盛り込むことができるようになりますが、紙とトナーの量が足りず“発行”部数は一日500枚、避難所一箇所平均20枚です。壁新聞とは違う意味で、これはこれで欲求不満が残ります。しかしその内容を抜粋して6枚目の(そして最後の)壁新聞が発行されました。翌日電気が復旧。モノクロの輪転機が動き出します。といっても、まだ断水なので、過熱を防ぐために印刷速度を落とし、冷却水は手動で供給、という状態でしたが。さらにできあがった新聞の配達は、従業員の手作業(と自転車や徒歩での配達)です。経営は苦しいが、社長は決断します。3箇月は無料。避難所に被災者がいる限りそこには無料で配る、と。地域に生かされてきた地域新聞社は、地域の復興とともに行けるところまで行こう、と腹をくくったのです。
 各記者の一人一人の動きについても、本書では時系列に並べて描写されます。一番派手に見えるのは、津波に呑まれた記者の話でしょう。浮き輪がわりにプラスチックの大きな箱につかまり、流れてきた船に乗り込んで一命を取り留めます。しかし、ずぶ濡れで雪が降る中を一晩ずっと流されるのですから、生きた心地はしなかったことでしょう(実際に、翌朝ヘリに救助された時には低体温症で入院になってます)。記者たちの“足あと”を追っていて、いろいろ感じることがありますが、意外だったのは、津波が収まった後も市内が水没していたことです。それはそうですね、排水できないのですから。この冷たい水によって、人の動きは阻害されます。それと、やっと通電してテレビをつけたら、ニュースは原発のことばかりで、東北の惨状はまったく無視されている、と記者が感じるところでは、私も何か感じるものがありました。
 「壁新聞」は、被災者たちに歓迎されました。まったく情報がないところに登場したのですから。では、なぜ情報が欲しいのか。それは希望につながるからです。絶望するために情報を欲しがる人は(あまり)いません。だから「壁新聞」は「希望」につながるように編集されました。だからといって被害状況の報道に手心を加えたわけではありませんが。これは彼らが「地域」に本当に密着した存在だからこそ、その手加減が上手くできたのだろう、と私には感じられます。ただ、極限状態で取材を続けた記者たちの原動力は、一体何だったのでしょう。「地域への愛情」とか「意地」とか「使命感」とかの単語は登場しますが、本人たちにも明確な言語化はできていません。ただ、マスコミと地域新聞の違いは、マスコミは次の大事件が起きたらこれまでのことは忘れてさっとそちらに行ってしまうが、地域新聞はずっと地域に密着している、ということでしょうか。
 小さいけれど重い本です。ただ(本人は意識していないのでしょうが)ピエロ役というかコミックリリーフというか、ふっと笑える行動をする人物が登場してくれます。たとえどんな非常時でも、こういった人がいてくれると救いを感じられました。


一本スジの通ったねじれ

2011-10-26 18:35:01 | Weblog

 豪族と天皇。藤原氏と天皇。天皇と上皇。平氏と公家と天皇。北条氏と将軍。足利氏と天皇。戦国大名たちと室町幕府。織田・豊臣・徳川と天皇。天皇と明治の元勲たち。政府と軍部。ねじれ国会。

【ただいま読書中】『クロマグロ養殖業 ──技術開発と事業展開』日本水産学会監修、熊井英水・有元操・小野征一郎 編、恒星社厚生閣、2011年、3600円(税別)

 「クロマグロが絶滅危惧種に指定か?」というニュースに驚いたのは、たしか昨年はじめのことでした。
 もともとマグロについては、大西洋マグロ類保存国際委員会(ICCAT)でずっと議論がされてきていました。東大西洋資源は安定していたのですが、スペインとクロアチアに「クロマグロの養殖(旋網で小型魚を捕えそれを養殖することで脂を乗せる(トロにする)」技術が導入され、日本への輸出量が急増しました。地中海沿岸各国(とEU諸国)の利害が複雑に絡み、規制はなかなか進みませんでした(どこも自分は損をしたくないですから)。それに危機感を抱いた環境保護団体はEU非加盟のモナコに働きかけて、ワシントン条約(CITES)の附属書Iに大西洋クロマグロを載せようとしました。
 日本の立場も複雑です。世界で最大のクロマグロ消費国ですからその漁獲が禁止されるのは困ります(2008年に全世界のマグロ漁獲高175万トンの内41万トンが日本市場向け。そのうち4万3千トンがクロマグロで、その半分が輸入)。しかし、資源が枯渇して無くなってしまうのも困ります。さらに、国際的な鮨ブームで、他の国での消費が増えていることも意識に置いておく必要があります。
 日本では各所でクロマグロの完全養殖(人工孵化して育て産卵までさせる)が試みられ、近畿大学では3代の継代飼育に成功しています。ただ問題は、稚魚や幼魚の高率な死亡率。歩留まりが悪ければコストが天然物より高くなってしまいます。天然物の漁獲制限が確実であることや、人工孵化した稚魚を放流して天然物を回復させることも可能であることから、新たな技術開発が急がれています。ところがこれが大変。養殖技術の細かいことが色々書いてありますが、読んでいてため息が出ます。水温、水槽の形や深さ、照明、餌(天然か人工か)……なんとか無事に育ったとしても、こんどは最終的な生産物の安全性や品質保証の問題が浮上します。
 本来クロマグロの刺身は「高級食材」でした。それが回転寿司店でも食べることができるようになったのは養殖のおかげです。ただ、一般庶民が回転寿司で「トロ!」なんて言っている姿は、保守的な私にはなんだか違和感があります。皆が少しずつでも“プチ贅沢”を我慢したら、それは大きな力になるはずなんですけどね。


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2011-10-25 18:41:01 | Weblog

読んで字の如し〈金ー13〉「銅」
「粗銅」……銅の中での差別
「分銅」……銅を金と同に分けること
「銅器」……はじめはきれい
「銅山」……銅製の山(はじめはきれい)
「銅版画」……版画を見るだけで銅版か金版かわかるとは、お客さん、お目が高い
「銅メダル」……それより上は、全世界で2人だけ
「赤銅」「黄銅」「青銅」……銅製の信号機

【ただいま読書中】『タイタニックを引き揚げろ』クライブ・カッスラー 著、 中山善之 訳、 新潮文庫、1981年(83年7刷)、600円

 個人的には懐かしい本です。何年ぶりだろう。
 先日『タイタニック発見』を読んだばかりなので(そしてこの本の中に映画「レイズ・ザ・タイタニック」を鑑賞するシーンが登場したので)、こちらも読むことにしました。
 例によって細かいところを忘れているのが幸いです。とっても楽しめます。ダーク・ピットは最初は謎の人物です。話はまず1911年に遡ります。アメリカは極秘の「シシリアン計画」を進めていますが、そのためには謎の希少元素「ビザニウム」が必要です。しかしそれはバレンツ海(ソ連の北、ノルウェーの北東)の孤島から掘り出され、なんとタイタニック号に積まれていたのです。掘ったのはコロラドの鉱夫たち。この鉱夫の物語だけで映画が一本できそうです。
 ここまでは“前菜”。
 そして“スープ”として、タイタニック探索が行なわれます。なにせメインディッシュではありませんので、1回の潜水で「ビンゴ!」です。『タイタニック発見』の人たちから見たら「おいおい」でしょうね。
 そしていよいよ“メインディッシュ”、タイタニックの引き揚げ作業が始まります。これが大変。「敵」は……海上の嵐、深海底の厳しい環境、チームに潜入しているソ連のスパイ、妨害工作……様々な“新技術”と超人的な活躍でダーク・ピットだちは難題を一つずつ克服していきますが、そこに季節外れの超巨大ハリケーンが直撃。さらにスパイの活動は妨害から破壊工作になり、さらにはソ連の強奪チームが襲撃、さらにミサイル攻撃まで。
 読んでいて意外だったのは「もうちょっと書き込んでくれ~」と何回も思ったことです。これだけの“フルコース”なのですが、まだまだ私の食欲には足りません。この倍くらいのボリュームでしっかり書いて欲しかったな。……ちょっと欲張りすぎ?



過信

2011-10-24 18:53:42 | Weblog

 救命艇が不足していたタイタニック号
 零戦と大和
 バブル
 原発の事故対策
 自分の健康

【ただいま読書中】『タイタニック発見』ロバート・D・バラード 著、 中野恵津子 訳、 文藝春秋、1988年、2500円

 9月28日の読書日記に書いた『戦艦ビスマルク発見』と同じ著者の本で、同じ体裁の大型本です。
 まずは簡単にタイタニック号の“運命”が語られます。文章そのものは簡潔ですが、添えられた写真の数々が“リアルさ”を増しています。
 著者にとって「タイタニック号探索」は“方便”でした。この名目を用いたら海底探査のための資金を集めやすい、と考えたのです。資金があれば技術開発も可能になります。ただ、著者個人は子供の時から「海面下の世界」の魅力の虜になっていて、「タイタニック号」という“名目”は“仕事”として著者個人を海面下に引きずり込むための“方便”だったのかもしれません。地質学者としての著者は海底を自分の手と目で調査したかったのです。
 1977年に著者は調査を開始します。10日くらいで発見できるだろうと思いながら。しかし航海は数日で終わりました。シンプルなミスで、数十万ドルの機材が失われてしまったのです。雌伏の時が来ます。スポンサーを探しつつ基礎的な機材を開発する日々です。その間に他の遠征隊が繰り返しタイタニックを探し求め、失敗します。
 その間に、熱水鉱床などの研究でウッズホール海洋研究所の終身在職権を認められた著者は、1980年に海軍に話を持ちかけます。海底探査は潜水艦の軍事行動にもよろしい、と。海軍は興味を持ちます。著者は機材開発とチーム編成を着々と行ないます。84年はじめ、海軍は85年夏に3週間の“テスト”を行なうための資金を出す決定をします。著者はフランスに飛び、フランス海洋探査協会の協力を取り付けます。調査の開始は6月末。著者に与えられた期間は5週間。時間と北西太平洋の厳しい気象条件相手の“闘い”が始まります。
 フランス隊は4000メートルの“糸”の先につけたソナー(+磁力計)で海底をスキャンしていきます。フランス隊の“時間”が尽き、アメリカ隊がその後を引き継ぎます。著者は、ソナーで「タイタニック号の船体」を探すのではなくて、視覚的調査で「破片の散らばり」を見つけることにします。ただしアメリカ隊が使えるのは12日間だけ。1週間は退屈の中に空費され、そして9月1日の真夜中に、モニターが残骸を映し出します。人々はお祭り騒ぎで浮かれ、それから甲板に出て黙祷を捧げます。ところがそこに嵐が。著者は最後の“冒険”をします。3~4メートルも揺れる船から3800メートルのケーブルを下ろし、その先についたカメラを精密制御しようとするのです。
 成功を台なしにしたのは、マスコミでした。そのせいで、フランスとアメリカのチームの間には険悪な雰囲気が流れるようになってしまいます。本当に残念なことです。
 翌年著者はタイタニックを“再訪”します。こんどは有人潜水艇も使います。ついに著者は「自分の肉眼」でタイタニックを見ることができたのです。さらに、潜水艇から小型の無人探査機を発進させてのタイタニック“内部”の調査も著者は試みます。有名な「大階段」をゆっくりと降りていく探査機の動きは、幻想的です。ただ、著者は「タイタニックから何も持ち帰らない」原則を遵守します。その理由をいろいろ述べてはいますが、著者にとってのタイタニックは考古学的遺物ではなくて墓標だからではないか、と私には思えます。そこにはまだ「(そこで生きていた)人の気配」が残っているのです。



ING

2011-10-23 18:13:07 | Weblog

 Trainは速い。
 Trainingは時間がかかる。

【ただいま読書中】『広島観音サッカー部は、なぜ強くなったのか』伊藤和之 著、 ザメディアジョン、2009年、762円(税別)

 高校サッカーで私がすぐ思いつくのは、国見・市立船橋・清水商業などですが、実はこの三校はどれも公立高校です。本書で取り上げられた広島観音高校もまた公立で、そのライバルの皆実高校(2009年1月、第87回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝)もまた公立。高校野球だと公立より私立の方が優位にある、というイメージを私は持っていますが、サッカーでは何か事情が違うのでしょうか。
 著者は、観音高校躍進の秘密は畑喜美夫監督にあり、としています。この監督は、広島で少年サッカーを始め東海大一高にサッカー留学、1年からレギュラー、U-17代表、順天堂大学でも1年からレギュラー、大学三冠、U-20代表、というすごい経歴でしたが腰椎ヘルニアで現役を断念、郷里に帰って教師になった、という経歴の持ち主です。著者はそのチームのトレーナーで、その指導や人柄を身近に見る立場にあります。
 著者と畑監督、両方を指導した浜本さんのエピソードが印象的です。技術は「パス&ゴー・ルックアラウンド・ミートザボール」、練習での指示は「いまの感じてた?」、ハーフタイムでは「相手を敬い、味方をおもいやってる?」、基本的にこの3つだけだそうです。これで全国レベルの人材(選手や指導者)が育つのですから、大した指導者です。
 観音高校サッカー部のモットーは「自主自律」です。遠征や試合のメンバー選考・ゲームプラン・試合中の選手交代などは主将を中心とした選手が決めます。監督とのコミュニケーション手段・練習・食事・サッカー以外の生活についても同様です。ならば監督はなにをするのかと言えば、そういったことがきちんとできる選手を育てることでチームの規律と自由とを確立すること、でしょう。「自由と規律」とことばで言うのは簡単ですが、それを実現するのはとても難しいことです。面白いのは、試合出場の選手発表がいつどこで行なわれるかわからないこと。遠征地に向かうバスの中、ということもありますが、そのときに寝ていたりして返事をしなかったらメンバーからあっさり外されてしまうのだそうです。サッカーでは油断は禁物なのです。
 監督とのコミュニケーションには「サッカーノート」が使われます。監督は全選手と週に三回ノートのやりとりをします(交換日記ですね)。それも「サッカー」と「サッカー以外」の二種類のノートを。監督は大変です。
 クラブとしての全体練習は週にたった2回だけ。だからこそ、自主練習が重要になるわけです。
 著者も「自主」を重視しています。たとえば単に「腰が痛い」という選手は診ないそうです。痛みの5W1Hを表現でき、その“サイン”が身体の何を表現しているのかを考えて欲しい、と。
 トレーニングメニューも複雑で、私はオシムさんがやっていた少人数で複数のチームが動き続けるやり方を連想しました。単にサッカーのスキルが上手いだけの人間よりも、「チームの一員」として機能する人間が重視されているチームのようです。その「機能」がなかなか一筋縄ではいかないのですが。「ウソだろう」と思ったのは「あえて下手な選手を起用することがある」こと。たとえば足は抜群に速いけれどドリブルで球を置いていってしまう選手とか、味方より敵にパスをする方が得意な選手とか。そういった意外性のある選手はもちろん別に持ち味があるわけで(さらに言うなら、味方にも意外性がある人は敵にはもっと意外性があるのでハプニングがけっこう起きるのです)、他の10人がそのひとりをカバーするように動くと「チーム」が機能する、のだそうです。
 高校サッカーは、その結果だけではなくて試合のプロセス、できたらその前の準備段階から楽しまないと、もったいないのでしょうね。



仕事

2011-10-22 18:18:54 | Weblog

 有能な人間は、効率的な方法を考える。
 無能な人間は、効率的な方法を考える会議を開く。

【ただいま読書中】『アンドロイドを造る』石黒浩 著、 オーム社、2011年、2100円(税別)

 本書で「アンドロイド」は「見かけや動きが人間に似ているロボット」と定義づけられています。そのために運動機能は犠牲となり、著者が造る「アンドロイド」は、坐っていると人間に近い動きができるそうですが、立って歩くことはできません。
 アンドロイドの“先祖”は機械時計だそうです。時計に付属品として用いられていた自動仕掛けが自動人形に応用されたのが始まり、と。1773年にスイスのジェケドロス父子が製作したオルガン弾き人形は、オルガンを自動演奏するだけでなくて聴衆にお辞儀をしたり視線の向きを変えたりもしたそうです。19世紀にはその系統で文芸作品がいくつも生みだされました。『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー)、『ファウスト』(ゲーテ)(人造人間ホムンクルス)、『コッペリア』(ホフマン)、『ピノキオ』(コローディ)……モノとしては蒸気機関による自動人形が登場します。
 日本ではからくり人形が作られました。茶運び人形がその代表でしょう。
 20世紀には『R・U・R』(チャペック)、そして「ロボット三原則」(アシモフ)。
 他方、コンピューターも発達しました。日本では1980年ころから産業用ロボットが急速に普及します。そして「ASIMO」(ホンダ)。
 著者は2000年にロボット開発に参入しますが、そこで重視したのが「見た目」でした。
 まず製作したのは子供型アンドロイド。子供の型を取り皮膚をシリコンで再現。予算の関係で頭部の動きだけを再現することにします。特に苦労したのが「瞬き」だったそうです。ついで女性型アンドロイドを3体作った後、著者は自分自身をモデルに「ジェミノイド」を製作します。これはテレビで見たことがありますが、なんだか不気味でしたね。
 人体計測はレーザースキャナーを使って三次元的に行ないます。重要な表情は「普通の顔」「笑顔」「しかめ面」の三種をモデルにしてもらって、それぞれ別にスキャンします。これでアンドロイドの「豊かな表情」が作られます。もちろん歯型も取ります。皮膚や歯の色は色見本と合わせて正確に再現します。
 内部メカニズムについては、大きな制限が二つあります。一つは「人体の大きさ」、もう一つは「動きが人間に似なければならないこと」。そのために関節やアクチュエーターの埋め込みには工夫が必要です。関節の構造や筋肉の動きも単純ではありません。また「表情」の場合、表情を動かす“筋肉”と“皮膚”をうまくつなぐ必要があります。
 著者自身の型どりは、MRIで始まりました。頭蓋骨の正確な形が必要だったのです。設計図を見ると、その前の女性型アンドロイドとは違ってスペースに余裕があります。技術が進歩したのか、単に男の方が頭がでかかったのか。
 面白いのは、著者が太ってくると、自分がモデルのアンドロイドとの差を気にしてダイエットをしたりすることです。アンドロイドが“生きたモデル”になっている、ということなのでしょうか。それと、アンドロイドのアクチュエーターの空気を抜くと、くたくたっとなります。それがまるで「死」に見えるのだそうです。たしかに「死体」は「人体 マイナス 命」ですから、動かなくなった人間そっくりのアンドロイドが「死体」に見えてもおかしくはありません。動いているアンドロイドには「人間とは違う」という妙な違和感を感じますが、あれを「動いている死体」と思えば違和感はなくなるのかもしれません。
 人間そっくりのアンドロイドとは、見かけだけではなくてその動きもそっくりになっていかなければならないのでしょう。ということは、内部メカニズムもそっくりにするのが手っ取り早いのですが、そのためには「人間」そのものについてももっと知識が必要そうです。道はまだまだ遠そうですが、いつかアンドロイドや義体がそのへんをふつうに歩いている社会になるのでしょうか。楽しみなような、そうではないような。