【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

犯罪の凶悪化

2015-03-31 06:25:37 | Weblog

 少し前のことですが「14歳」とか「17歳」をキーワードとして、日本で凶悪な少年犯罪が増えている、という論調がありました。そのとき「本当に増えているのか?」と警察の統計を見たら、少年による殺人事件は終戦後しばらくしてからどんどん減っているのがわかりました。つまり「今どきの若い者は」と言っている人たちの世代自身が「少年」のときに「少年による殺人事件」は最盛期だったわけです。

【ただいま読書中】『身内の犯行』橘由歩 著、 新潮社(新潮選書314)、2009年、720円(税別)

 凄惨な殺人事件の報道があるたびに「物騒な世の中になった」などと思いますが、上に書いたように、実は日本では殺人事件は減少傾向です。しかしその中で着実に“シェア”を増やしているのが「身内による殺人」。親が子を、子が親を、夫婦間で、など、家族の中での殺人のことです。著者はそのことに心を痛め、実際にどのようなことが日本で起きているのか、まず裁判の傍聴から始めます。
 虐待、DV、代理ミュンヒハウゼン症候群、引きこもり、解離性同一性障害、統合失調症……読みながらため息が出るような単語が次々登場します。しかしそういった「個別の特殊事情」だけに注目していたら、「身内による殺人」は「自分とは無関係な世界の出来事」となります。著者はそうは考えていません。これは「自分が住んでいる世界の出来事」であり、一歩間違えたら自分もその関係者になったかもしれない事件、と考えているのです。そこには著者が「女性」であり、子育て経験者であることも大きいようですが、事件を少しでも深く掘り下げようとする著者の姿勢が、そのように著者に思わせているのかもしれません。
 たとえば「子殺し」を一般化することはある程度可能です。子育ての重圧が親を壊した場合、親は子供に対して殺意を抱くことがあります。もちろんほとんどの人はそれを瞬間的に抑圧しますが、その抑圧に失敗した人は子殺しをしてしまうのです。
 となると、私が気になるのは「介護」です。本書には登場していませんが、老老介護がどんどん増えている現在の日本で、これからは「介護に疲れて」の殺人の“シェア”が増加するのではないか、と。ここにも「個別の事情」だけではなくて「社会の事情」が投影されているはずです。それも、とても色濃く。


ブランドとしての日本

2015-03-30 07:05:27 | Weblog

 「日本」が「ブランド」だとしたら、その本質的な価値(一番世界に売り込みたいもの)は一体何でしょう?

【ただいま読書中】『今治タオル奇跡の復活 ──起死回生のブランド戦略』佐藤可士和・四国タオル工業組合 著、 朝日新聞出版、2014年、1500円(税別)

 初めて地場産業のブランディングに取り組むことにした著者は、「今治タオル」の性能の高さに感動します。この良さが社会に知られていないのはもったいない、と。
 ブランディングでまず見つけるべきは「本質的価値」です。それは現場に答があります。それが見つかればそれをどうやって伝えるかの「戦略的イメージコントロール」。コミュニケーションはシンプルな方が効率的ですから、著者は「一番良いタオル」を求めます。しかしそれが難しい。消費者には「タオルはもらい物で十分」という意識が強く「わざわざ買うもの」ではありません。産地でも「良いタオル? 好みはいろいろだからねえ」という返事ばかり。予算の制約も厳しいものです。そこで著者は「ロゴマーク」をまず作ります。今治タオルの「アイコン」です。著者は「50年後に古びていなくて、世界中で使われているか」を基準に、3箇月で300以上の案を出し、現在のマークに行き着きます。さらに今治タオルの「本質的価値」である「安全・安心・高品質」を象徴するキープロダクトとして「白いタオル」を設定します。さらに著者は、プロジェクトの当初から映像を残しておくことにこだわりました。将来全国展開を始めたときに、メディアに活用してもらうためです。先の先まで著者は読んでいます。
 実は今治は一丸ではありませんでした。危機感は共有されず組合内部はバラバラで、危機感を持っていても(持っているからこそ)独自路線で危機から脱しようとする企業もあります。それをまとめるのには、ブランド確立とは別の苦労があります。
 「東京にアンテナショップを」と6年間著者は言い続け、ついに青山に小さな店を開くことができます。国内で「今治タオル」のブランドが展開されるのと同時に、著者は海外にも打って出ます。「JAPANブランド」としての「今治タオル」を世界に定着させよう、というのです。しかしヨーロッパの硬水で洗濯をすると、今治タオルの柔らかな風合いはすぐに損なわれてしまいます。チャレンジするべき課題は尽きません。
 減少していた今治のタオル生産量は、増加に転じました。就職希望者も増えます。廉価な輸入タオルに押され有名ブランドのOEM(要するに下請け)でやっと息をついていた今治タオルは生き残ることができたのです。次は「生き方」が試される番です。売れるようになったことで慢心をして本質的価値を見失うことで転落してしまったブランドは数多いのです。階段を上っていけば、いつか踊り場に出会います。そこをいかに通過するか、その“先”を見据えることがブランディングには必要なのだそうです。「継続は力なり」と言いますが、力がないと継続は無理なようです。


春の気配

2015-03-29 07:13:03 | Weblog

 三寒四温という感じで、温度の上下動がはっきりわかるようになりました。
 私の通勤路に並んでいる桜の枝が、少しずつ桜色を帯びて膨らみ始めました。もうすぐ目に見える春が始まります。

【ただいま読書中】『消えた神の顔』光龍 著、 ハヤカワ文庫JA115、1979年、380円

目次「アトランティスは、いま」「飛加藤を斬れ!」「二十年前、新宿で」「ボレロ一九九一」「それでは次の問題」「錆びた雨」「人は情けによって死ぬ」「それは元禄十五年か、それとも十六年か」「同業者」「天の空舟忌期」「不良品」「乗客」「いまひとたびの」「私のUFO」「消えた神の顔」

 本書の発行は昭和五十四年。たしかに昭和の香りがぷんぷんとする作品が並んでいます。でも、今読んでも楽しめますけれど。
 冷戦の影響でしょう、ちょっと陰鬱で滅亡の雰囲気がたちこめた作品が目につきます。「錆びた雨」など、公害によって滅びようとする社会での高校生の凄惨な生活を描いたものですが、こんな作品が学習雑誌(「高二時代」か「高二コース」のどちらかで読んだ記憶があります)に掲載されたのですから、書いた方も載せた方も度胸があったと思えます。
 本書は、アトランティスの戦いで始まり、エレサレムの戦いで幕を閉じます。「歴史」と「SF」の融合という試みに初めて出会ったとき、私は興奮しましたが、現在でもそういった作品は楽しめます。そもそも「歴史」そのものが「イフの物語」として読めるものだと思っていますから。

 本書の巻末のJA文庫出版リストを見ると、懐かしい名前が並んでいます。三冊以上の著者に限定したら……石原藤夫・今日泊亜蘭・栗本薫・小松左京・田中光二・筒井康隆・豊田有恒・半村良・平井和正・福島正実・藤本泉・星新一・眉村卓・光龍・山田正紀…… 懐かしさに私は溺れてしまいそうです。


新しいギニア

2015-03-28 07:04:37 | Weblog

 ニューギニアって、元はアフリカなんです?

【ただいま読書中】『クジラとアメリカ ──アメリカ捕鯨全史』エリック・ジェイ・ドリン 著、 北條正司・松吉明子・櫻井敬人 訳、 原書房、2014年、5000円(税別)

 古代ギリシア・ローマ・フェニキアでクジラ肉は食べられていました。捕鯨をしたことがきちんと知られているのは、7~8世紀のバスク人です。彼らの獲物はセミクジラ。当時カトリックの聖日は年間166日もありその日には「赤身の肉」は禁じられていました。「熱い(熱情の)」肉は聖日に禁じられている性愛につながる、と信じられていたからです。しかし水中のものは「冷たい」から許されていました。だからクジラ肉には「大きな需要」があったのです。バスク人は大成功します。その成功を見てイングランドが捕鯨に参入したのは16世紀の終わり頃。オランダがそれに続きます。(両国の軍艦に護衛された捕鯨船団同士の対決、という極めて剣呑な状況です) メイフラワー号は上陸寸前に多数の鯨と遭遇しました。そして、室内での明かりには鯨油が最適でした。かくしてニューイングランド植民地では捕鯨が重要産業となっていきます。まずは海岸に漂着するクジラを解体し、ついで銛を持って人々はボートを漕ぎ出します。沿岸捕鯨の始まりです。そこで労働力として活用されたのがインディアンでした。首尾良くクジラを仕留めると浜辺で解体し、脂皮とヒゲを取ると残りは海に投棄されました。なんとももったいない話です。
 18世紀になり沖合捕鯨が盛んになります。新しい獲物はマッコウクジラ。他のクジラよりも鯨油は質が高く、さらに脳油と竜涎香という“お宝”に人は引きつけられます。しかし、沖合捕鯨が盛んになると、沿岸から鯨は姿を消します。捕鯨船はさらに遠くに出かけることになります。18世紀には大きな技術革新がありました。クジラの脳油から蝋燭が製造されるようになったのです。それまでの獣脂蝋燭に比較して、格段に明るくススが出ない高品質の蝋燭でした。アメリカ植民地は空前の好況に沸きます。しかし、英国と植民地の摩擦は発火点に到達してしまいます。ボストン茶会事件がおき、英国は報復としてニュー・イングランド地方での漁業を禁止します。捕鯨もそこに含まれていました。ついにアメリカ革命(独立戦争)が勃発します。戦争が終わったとき、アメリカ捕鯨は大打撃を受けていました。しかしそこからアメリカ捕鯨は復活します。19世紀半ばには、捕鯨はマサチューセッツ州で第3位の産業、全米でも第5位の産業となっていました。大西洋・太平洋・インド洋・北極海で捕鯨船が鯨を追います。しかし「捕鯨の黄金期」は同時に「衰退期の始まり」でもありました。乱獲で全世界の鯨の数が減少し始めたのです。航海は長期化します。それまでは3年が標準でしたが、それが4年、下手すると5年あるいはそれ以上になることもあったのです。そして捕鯨船の視界に「日本」が入ってきます。1845年には捕鯨船マンハッタン号が、鳥島で救助した日本人漁民11名を乗せて江戸に届けます。マンハッタン号は温かく出迎えられましたが、48年のラゴダ号の乗組員は日本の役人にひどい目に遭わされます。この事件が、捕鯨船のために極東に石炭供給基地を求めるアメリカの動きを後押しします。「人道上の問題」は感情を大きく動かしますから。
 戦争は捕鯨に悪い影響を与えます。こんどは南北戦争です。さらに新しい灯火燃料が普及し始めます。灯油や石炭ガスなどです。灯油ははじめは石炭から抽出されていましたが、やがて原油があちこちで掘り当てられるようになります。クジラは激減していて、北極海の捕鯨船団はセイウチ狩りに精を出します。セイウチ脂もクジラ脂と同じくらいの値段で売れたのです。しかしそれはエスキモーから食料を大量に奪う行為でした。そして1871年には氷に閉じ込められて33隻の集団遭難、76年には12隻の遭難。アメリカ捕鯨は、かつかつのところで生き延びることに必死となります。
 アメリカ捕鯨が滅びた後勃興したのはノルウェーでした。ノルウェーの捕鯨船は新発明の捕鯨砲を装備していて、アメリカ人が避けていたナガスクジラ類を狩りました。ノルウェー人はクジラは無駄なく利用して何も捨てようとはしませんでした。20世紀はじめに日本とロシア、さらにドイツ・オランダ・イギリスなども捕鯨に参入します。これらの近代的な捕鯨船団は、“効率的”にクジラを減少させていきました。もっともその頃にはアメリは人はクジラには興味を失っていたのですが。
 徹底的に「アメリカの捕鯨」を中心に置いた本ですが、それによってかえって「世界」が見えてくるようになっているのが不思議です。


統一地方選挙

2015-03-27 07:55:21 | Weblog

 もうすぐ投票ということでマスコミは盛んに「選挙結果が国政を左右」なんて煽っています。だけど、国政を左右するのは地方選挙ではなくて「国政選挙」ではありませんか? 国会の雰囲気への影響はあるでしょうが、具体的にどう左右するのかもマスコミさんには言ってもらいたいものです。今回の地方選挙で与党が圧勝しようが惨敗しようが、国会議員の数は変わらないから国会での議決そのものには何の影響もないはずですが。地方選挙で惨敗したから与党から野党に変わろう、なんてことを思う与党の国会議員とかその逆とかがそんなにたくさんいるのかな。

【ただいま読書中】『ルポ チェルノブイリ28年目の子どもたち ──ウクライナの取り組みに学ぶ』白石草 著、 岩波ブックレット917、2014年、620円(税別)

 チェルノブイリから160kmの町コロステン。その小学校で著者は「子供たちが疲れやすい。頭痛や鼻血が多い」と聞かされます。チェルノブイリ事故以前と同じプログラムの体育の授業を受けることができる子供は全体の1/4。あとは検診でその授業には耐えられないとして時間や運動強度に制限が課せられています。
 もちろん「子供たちが疲れやすくなった」は“主観”です。客観データとして扱うことはできません。もし客観データとして扱えたとしても、事故前の“客観データ”がないときちんとした比較はできません。さらにその“主観”には“事故の後”というバイアスがかかっています。
 しかし、「だから“子供たちが疲れやすくなった(子供たちの健康に問題が生じている)”というのはあり得ない」と断定することは私にはできません。なぜなら私は“現場”にいませんから。知らないことを軽々しく肯定するのは軽はずみですが、軽々しく否定するのも同じくらい軽はずみな行為だ、と私には思えます。私にできることは「確からしいデータ」を自分の内部に集積することと、もし可能なら共感的・受容的なインタビューをすること、です。
 事故当時のソ連政府は「年間1ミリシーベルト」を移住の基準としました。ただし、外部被曝と内部被曝の合計値です。ウクライナ政府はソ連の「チェルノブイリ法」を継続し、被災者の移住や健康診断を支援しています。コロステンの住民はこの25年間で平均15~25ミリシーベルトの被曝をした、と推定されています。
 こういったルポでは個別の例を積み重ねることで“事実”に肉薄する手法が普通です。本書でもその手法が採られていますが、低線量長期間の被曝、というものはあまりに“大き”すぎて「ビッグデータ」でなければ全体像を想像することさえできないのではないか、と私には思えます。さらにその研究をきちんと発表しなければなりません。本書に登場するステパノワ博士は、「ウクライナでは研究者はウクライナ語で論文を書くのが普通だったが、それでは国際的に無視されてしまう」と、70歳を超えた身でアメリカの大学と連携して論文を執筆しているそうです。さらに日本の研究者は「視察」には来るが「共同研究」をしようとしない、とご不満です。
 「チェルノブイリで子供に甲状腺癌が出るのに5年かかったから、福島で今スクリーニングをすることに意味はない」という意見があります。ところが著者がチェルノブイリで出会った医師たちは「甲状腺癌は意外に早く出ているはずだ。機器の精度が悪いからチェルノブイリではそれが見つけられなかっただけ」という意見を述べています。たしかに良い機器でその気で探せば見逃しは減るでしょう。これもまた一つのバイアス(スクリーニング効果)でしょうが。
 「バイアス」と言えば、「測定された外部放射線量と疾病の因果関係のみが科学的なデータ」とするIAEAの態度もまた「科学的バイアス」と言えそうです。内部被曝を無視し、測定されていなかったら「被曝していない」と扱うのは、被曝に対して科学的な態度とは私には見えません。そして日本政府の「チェルノブイリと福島は違う」「検診は不要」という態度にも私は“バイアス”を感じます。こちらの方は「臭いものには蓋」バイアスですが。
 実際には長期間の低線量被曝は「恐いものではない」かもしれません。ただ、それを断言するためには「データの裏付け」が欲しいところです。そのために、大規模・長期間・広範囲・無差別の検診が必要なんじゃないです?


シシャモとイワシ

2015-03-26 06:26:46 | Weblog

 シシャモは子持ちが喜ばれますが、形も大きさも似ている小イワシの場合子持ちがどうのこうのとは言われませんねえ。なぜなんだろう?

【ただいま読書中】『石油の帝国 ──エクソンモービルとアメリカのスーパーパワー』スティーブ・コール 著、 森義雄 訳、 ダイヤモンド社、2014年、3000円(税別)

 1989年3月23日、エクソンのタンカー・バルディーズ号がアラスカで座礁し深刻な原油流出を引き起こしました。エクソンは当初船長の酔っ払い運転のせいにしようとしましたが、政府調査員はすぐに、不適切なシステムとヒューマンエラーの複合によって事故が起きたことに気づきました。流出した原油に対して化学拡散材を使うかどうかで激しい議論が起きますが、激しい嵐が原油と議論を吹き飛ばしてしまいます。海岸に漂着した原油処理で、エクソンと沿岸警備隊は協力と対立をします。現場とワシントンも対立をします。
 エクソンはアメリカ最大の石油会社で、どちらも「帝国」と表現できる組織ですが、エクソンの利害とアメリカの利害は必ずしも一致していませんでした。ここで本書の著者は、エクソンのCEOリー・レイモンドに焦点を絞ります。レイモンドの前任者ロールは容赦なく人員削減と経費削減を行い財政悪化を防ぎましたが、レイモンドはさらに攻撃的で妥協しないタイプでした。20世紀末までエクソンはめざましい収益を上げる企業になりますが、石油埋蔵量の減少に直面せざるを得なくなります。その回答は「モービルとの合併(その分所有している“埋蔵量”が増える)」でした。さらにクリントンからブッシュへの交替はエクソンにとっては追い風に感じられました。しかし、頑強な環境保護派によるエクソン批判だけではなくて、気候変動の風が吹き始めます。温室効果ガス削減はエクソンの存亡にかかわります。レイモンドは精力的に地球温暖化対策に反対し続けます。「温暖化は科学的に怪しい」「先進国の生活維持」「途上国の生活レベル向上」「自由市場の維持」などが、十分な資金をバックに述べられます。ただ興味深いのは、エクソン寄りの「学者」に気候学者はあまり含まれていないのに、経済と公共政策の専門家がたっぷり存在していることでしょう。
 アメリカと外国(インドネシア・赤道ギニア・カタールとサウジ、など)が交互に取り上げられ、エクソンという企業が「グローバル」であることが立体的に示されます。「アメリカという国家の中のエクソンという国家」のはずが、アメリカをはみ出た(下手するとアメリカの将来などは気にしていない)「プライベートな帝国」であることも。そしてレイモンドは、エクソンの未来(埋蔵量の獲得)のためにロシアのプーチンと結ぶことを考えます。
 本書の最後に、メキシコ湾でのBPの原油流出事故が扱われ、そして「このまま化石燃料に依存する社会は、最終的に高いコストを支払わなければならなくなる」と述べられます。そういえば原発も「安くて二酸化炭素を出さなくて安全」が売りでしたよねえ。さて、化石燃料の未来と人類の未来、真剣に考えるだけではなくて行動をしなければならないようなのですが……


捕鯨反対派の先祖

2015-03-25 06:57:47 | Weblog

 鯨を食べるとは日本人は野蛮だ、と欧米人に主張されると私は反射的に「北大西洋と北太平洋の鯨を全滅させたのは自分たちのくせに」と言いたくなります。それも食べるためではなくて、油を絞るためとペチコートの骨のため、という、日本人から見たら「もったいない用途」のために。

【ただいま読書中】『盤上の夜』宮内悠介 著、 東京創元社、2012年、1600円(税別)

目次:盤上の夜、人間の王、清められた卓、象を飛ばした王子、千年の虚空、原爆の局

 奇妙なタイトルが並んだ短編集ですが、「ボードゲーム」という共通のキーワードで貫かれている、と言えば納得できる人も多いでしょう。
 「盤上の夜」……中国で四肢を失い生き残るために囲碁を覚えた少女由宇に関するルポルタージュの体裁を採った短編です。由宇は囲碁に関して異才を発揮し、あっという間に日本の囲碁界のトップクラスとなります。彼女は不思議なつぶやきを多く残しますが、それは、失われた四肢の代わりに「盤」が彼女の肉体として脳に直接接続されているように思われるものばかりでした。盤面そのものが「触覚」として認知できていたのです。しかし、対局のためにはその感覚を「ことば」に翻訳しなければなりません。それは由宇に大きな負担を強い……
 「人間の王」は、やはりルポですが、扱われるのは「40年間無敗だったチェッカーのチャンピオン」です。しかし彼はコンピュータープログラムに敗れ、しかもコンピューターによって「チェッカーの完全解(両者が最善を尽くせば引き分けになる)」を突きつけられてしまいます。さて、「無敗のチャンピオン」は一体誰と戦っていたのか、「そのチャンピオンを破ったプログラム」は誰と戦っていたのか? コンピューターによって「完全解」を出されてしまったゲームは消滅するしかないのか? なかなか奇妙な重さを持った問いが読者に突きつけられます。
 「清められた卓」は麻雀。囲碁や将棋のプロは勝ち続けた人たちだが、麻雀のプロは負け続けその負けから這い上がってきた、と言われると思わず納得したくなります。
 「象を飛ばした王子」ではチャトランガ。これは古いインドのボードゲームですが、西に行ってチェスに、東に行って将棋になったものです。なぜ「象」かと言えば、チャトランガには「象」という駒があるからで、これが中国に伝わって「中国将棋(シャンチー、象棋)」になりましたがここにも「象」はしっかり存在しています。それが日本に伝わるときに象は海が渡れなかったようで日本将棋に現在「象」はいません。ちなみにシャンチーの盤面にも中央に大河が流れているのですが、象はその河は渡れません。
 そして話はまた将棋と囲碁に戻ります。「盤上の夜」や「清められた卓」の登場人物が再登場しますが、そこに重ねられるのが「第三期本因坊戦」です。これは昭和20年に開催されたのですが、東京は空襲で破壊されたため、第一局(7月23日~25日)は広島市内で、そして第二局(8月4~6日)は広島市中心部から10kmほど郊外の五日市で打たれました。3日目、106手が打たれたとき、対局場を衝撃波が襲います。原爆です。しかし対局者二人は散らばった碁石を集め、すぐに対局を再開したのだそうです。もっとも本書のルポライターは、東京から広島に、ではなくて太平洋を渡ってしまうのですが。
 不思議な小説です。第1回創元SF短編賞の特別賞(山田正紀賞)を贈られていますが、別に「SF」という“枠”で扱う必要はない、ノン・ジャンルの「面白い小説」というくくりで良いのではないかな。


家政婦

2015-03-24 06:43:04 | Weblog

 「家政」を司る婦人とは、本来はとってもえらい人なんですよね? 国の政治が「国政」であるのと同様に、「家の政治」が「家政」なんでしょ?

【ただいま読書中】『工場日記』シモーヌ・ヴェイユ 著、 田辺保 訳、 ちくま学芸文庫、2014年、1200円(税別)

 ものすごくわかりやすく言うなら、西洋の「女工哀史」です。
 プロレタリア革命に心引かれるが個人をとても大切に思う著者は、スターリン主義は否定しました。知性に恵まれ哲学教師をしていた著者は、労働者の実態を知らなければ発現にも思想にも意味がない、と考え、1934年に教師を辞めて一工員として工場に就職します。
 朝から晩までプレス機との格闘です。ノルマに追われ、急ぎすぎて「オシャカ」を出すとそれはマイナス評価になります。言い訳や口答えをしたらそれもマイナス評価。
 「日記」を読む限り、著者自身にも、体力の問題があるだけではなくて、集中力と注意力の配分にも問題がありそうです。ただ、それを指摘する人たちも「頑張ってと励ますだけ」「罵るだけ」「具体的に技術的なアドバイスをする」と様々なタイプがあります。どれが工場全体の効率向上に役立つかは明らかな気もしますが。
 連日の単純作業のせいか、著者は頭痛や発熱、歯痛や不眠に悩まされます。そして「考えない」という甘美な誘惑に誘われます。
 工場の環境も劣悪です。まるで労働者にわざと苦痛を与えようとしているかのように、環境は整備されていません。そしてその環境に傷つけられたら、それはその人の不注意のせいなのです。
 工場での収奪の構造といったマクロな問題と、職場での人間関係というミクロな問題とが、著者をぎりぎりと締め上げます。著者は「人間の尊厳」という「理想」を持っていたはずですが、それが工場のプレス機械であっさりとプレスされてしまったかのようです。そしてその破壊の手は、著者の自尊感情にも影響を与えていきます。
 本書を読んでいて私に著者の行動は、社会的あるいは思想的な実験と言うよりも、一種宗教的な意味を帯びているように感じられます。巡礼が聖地を巡るように、著者は「社会」を巡ろうとしていたのではないか、と。この苦痛に満ちた“巡礼”で、著者の心は何か光を見つけることができたのでしょうか?


曲がり角を一つ

2015-03-23 07:08:58 | Weblog

 最近通勤路を変えてみました。すると、これまでは道の両脇に中学生が多くいたのが、こんどは高校生がほとんどとなりました。曲がる角を一つ変えただけで、見える風景ががらりと変わってしまったわけです。
 人生の“曲がり角”も、一つ変えるだけでその人生はがらりと変わるのだろうな、と思いながら、こんどは別の道を通ってみようか、なんて思っています。人生を生き直すのは難しいけれど、通勤路は好きに選べますから。

【ただいま読書中】『ドイツ・アメリカ連合作戦 ──第二次世界大戦の「奇跡」といわれた捕虜収容所奪還作戦』スティーヴン・ハーディング 著、 花田知恵 訳、 原書房、2014年、2500円(税別)

 ヒトラーが自殺してから5日後の1945年5月4日から本書は始まります。場所は、オーストリア・チロル地方のイッター城。ヒムラーは城を収用し、名誉囚人(著名人・権力者で比較的まともな環境で生かしておく価値があるとドイツ側に見なされた人たち)の収容所としていました。43年にイッター城の司令官となったSS大尉セバスティアン・“ヴァストル”・ヴィンマーは、粗野で残忍で無能で、囚人だけではなくて部下の兵士たちにも残酷な男としてSS内部でも有名な男でした。ナチスの暗黒面を機能させるにはうってつけの人材です。実際にイッターに転任になる前にヴィンマーは悪名高いダッハウで権力の中心人物の1人でした。
 城に送り込まれたのは、フランスの元首相や高級軍人、その秘書、ドゴール将軍の身内などの“VIP”でした。ヒトラーは彼らを連合国との交渉の“駒(または人質)”として使うつもりでした。しかし敗色濃厚となったら、もう利用価値はありませんからさっさと殺してしまった方が面倒がないかもしれません。連合国軍が近づくにつれて、オーストリアのレジスタンスの活動は活発になります。しかし同時に、敗走するドイツ軍がどんどん流れ込んできて、オーストリアは雰囲気が悪くなっていきます。
 しかしオーストリアにもレジスタンスがあって、オーストリア出身の“ドイツ軍人”にもレジスタンスのメンバーがいたんですね。イッター城の周囲にもそんな人がいて、VIP囚人と通じていたのです。
 ナチスドイツ終焉の日が近づき、イッター城の司令官や警備兵はさっさと逃亡します。囚人たちは喜びますが、問題は城の周囲に充満しているドイツ兵たち。いつ城になだれ込んで自分たちを殺すかもしれません。レジスタンスのドイツ軍とアメリカ軍に向かって“伝令”が出されますが、救援依頼を受けた方も困ります。あたりで略奪や破壊を続けている武装親衛隊からどうやって城と町と自分たちを守れば良いのでしょう。ドイツ国防軍ガングル少佐は、城近くの町ヴェルグルの守備隊ごと投降し、アメリカ軍の進軍を速めることで城の安全を確保しようとします。しかし、アメリカ軍までの11kmには、投降しようとする人間を殺そうとするドイツ軍と、ドイツ軍と見たら殺そうとするレジスタンス武装兵が充満しています。そしてアメリカ軍に近づいたら、白旗をかかげていても「敵」を問答無用で撃ってくるかもしれません。
 なんとかたどり着いた最前線で話を聞いた米軍戦車隊のリー大尉は、にっこり笑って「どうやらみんなで救出作戦に行くことになったみたいだな」と言います。驚いたことにドイツ車に同乗してリーは自ら“敵地”に乗り込みます。ヴェルグル守備隊の降伏を受け(でも武装解除はせず)城にも乗り込みます。剛胆としか言いようのない行動です。しかも、引き連れていった戦車と歩兵はヴェルグルの防衛に回し、城に向かうのは戦車1両とアメリカ兵10名、それとヴェルグルを守備していた武装親衛隊員が1名にドイツ兵が14名……って、こんな「軍隊」って第二次世界大戦でありましたっけ?
 その夜、城はSSに攻撃されます。ただ、もともと「城」ですし、囚人の逃亡防止のためにいろいろ手を加えられているので、守備する側には有利な条件が揃っています。さらに、無線は壊れていましたが、町に電話が通じました。城に肉薄する武装親衛隊の情報を、レジスタンス経由でアメリカ軍に伝えることができるのです。対戦車砲でシャーマン戦車は破壊され、88mm砲弾や20mm砲の雨あられです。救出されるべき「囚人」たちも武器を手に取ります。しかし弾薬は乏しくなります。頼みの救援隊は、不運や官僚仕事に邪魔されてまだ遠くです。ただ、アメリカ軍を迎撃するべき部隊が城の攻撃にかり出されたため、防衛戦が手薄になるという“良い効果”もありました。
 下手な小説よりも劇的な話です。いやあ、現実というのは不思議なものですねえ。


風化

2015-03-22 07:25:44 | Weblog

 オウム真理教でさえ「知らない人」が増えて新しい入信者がいる、というのを聞くと、先の戦争のことを「知らない人」が増えるのは当然だ、とも思えます。

【ただいま読書中】『だいじょうぶ?体でアート ……ピアス&タトゥーのリスク』ベス・ウィルキンソン 著、 冨永星 訳、 大月書店、2009年、1400円(税別)

 タトゥー、ピアス、焼き印などの「ボディアート」は、古くから世界各地で行われてきました。
 「タトゥー」という「ことば」は、タヒチの「タタウ」をクック船長がヨーロッパに持ち込んで広がりました。行為そのものは、古代エジプトの粘土人形が最古の証拠だそうです。宗教的信念の発露、社会的地位を示す、刑罰、ファッション、さらにはアートなど様々な意味を込めてタトゥーは彫られます。アメリカでは1891年に電動式タトゥーマシンが開発されタトゥーがブームとなりました(1935年のライフ誌にはアメリカ人の10%がタトゥーを入れている、という記事があるそうです)。
 タトゥーを入れると決心した場合、アーティストをどうやって決定するか(避けた方が良いのはどんなタイプか)など具体的な話が始まります。日本では、かつて刑罰だったことやヤクザの入れ墨のイメージから、いくら「これはアートだ」と主張しても社会ではまだ受け入れ状況は悪い、ということも認識しておく必要があるでしょう。「注意」は「直前直後に飲酒はしないこと」など、きわめて具体的です。健康に対するリスクもまた具体的に述べられています。
 耳へのピアスやボディピアスの「健康障害」は非常にわかりやすいものです。要するに「外傷」ですから化膿することがあります。本書では、自分ではせずに医療関係者にしてもらうことを推奨しています。さらに、金属アレルギーの問題。舌ピアスでは、歯や歯茎の損傷。
 イギリスでは焼き印(ブランディング)は刑罰でした。廃止されたのは18世紀のことです。フランスでは、プロテスタントはカトリックに対する“犯罪”であるとして「フルール・ド・リ(イチハツの花弁が3枚、丸い帯で束ねられた図柄)」を肩に焼き印で押しました。“焼きを入れる”ことでケロイドが形成されるのですが、慣れた人がやらないと結果は悲惨なことになるそうです。アメリカでもベテランのブランディング・アーティストは数人しかいないそうです。ブランディングは相当な痛みを伴いますが、その時脳内にはエンドルフィン(脳内モルヒネ)が分泌され、多くの人はハイになります。そのため「ブランディング依存症」が発生することがあるそうです。
 タトゥー・アーティストやピアサーの人物像紹介もあります。施行しているのが人間であり「プロ」であることが知らされます。逆に言えば、プロではない人も横行している、ということなのでしょうが。ボディー・アートをしている人も様々紹介されます。孤独とか愛情とか仲間内の人間関係とか世間に誇示するためとかいろいろな理由が登場しますが、ちょっと意外だったのが「なんとなく」がけっこうあること。それと「手術の傷跡を隠すためにタトゥーを入れた」という人もいます。こういう“用途”もあるんですね。
 「タトゥーをレーザーで消す」ことは、可能です。可能ですが、レーザーは万能ではありませんし、痛みがあります。時間もかかります。もちろんお金も。切除手術で取り去ることもできます。しかしこれも万能ではないし、傷跡が残ることがあります。
 現在のアメリカではボディー・アートは「流行」しています。しかしどんな流行もいつか終わります。そのときボディー・アートは簡単に「なかったこと」にはできません。だから、実際にどのようなものかきちんと知って自己責任で決断すること、と本書の著者は述べています。私はその意見に賛成です。