ツバメの雛がぐんぐん成長しています。定点観察をしているわけではないので絶対値では表現できませんが、飛んでいる姿を見るとどれが親でどれが子か、わかりにくくなっています。
ちょっと不思議に思ったのは、ツバメが巣作りを始めるとき、巣の大きさをどうやって決めているのか、です。卵が孵り雛が育つ、それをあらかじめ想定して余裕を持って巣を作っておかないと、育った雛が飛べるようになる前に落っこちる事故が多発してしまいます。ということは、ツバメには予測能力がある、ということなんでしょうか?
【ただいま読書中】『消えたブラックボックス ──大韓航空機撃墜事件の謎に迫る』アレクサンダー・ダリン 著、 青木日出雄 訳、 サンケイ出版、1985年、1600円
航空機墜落の後真相の解明のためにまず探されるのが機器の情報や音声記録を収めた「ブラックボックス」です。大韓航空機撃墜事件は「謎」だらけですが、この事件そのものを「ブラックボックス」として、それでも確実にわかっている事実をつなぎ合わせようとする努力が本書ではされています。
1983年の事件直後、アメリカ政府とソ連政府はお互いに「相手が悪い」と一方的な非難を行いました。ソ連は最初は撃墜自体を否定しようとしましたがさすがにそれは無理とわかると「無灯火飛行だった。無線による警告は無視された。曳光弾による警告射撃も無視された。重要な軍事基地に向かって真っ直ぐ飛んでいた。だからミサイルを発射した」と主張。対してアメリカは「民間機とわかっていて、無警告で撃墜した」と主張。
えっと、訳者は「航空灯や衝突防止灯の無灯火はあり得ない。そもそもレーダーで認識されるのだから無灯火は無意味」「無線記録から『警告』はあったようだ。ただ、無線の場合周波数やコールサインがわからないからソ連側からの呼びかけはあったかもしれないが、大韓航空機がそれを認識はできていなかっただろう」と解説しています。さらに「民間航空機か軍用機かの区別」はわかりにくいそうです。特に深夜だったら肉眼での視認は困難だったでしょう。
レーガン大統領は強硬にソ連を非難します。ただそれは、国内での強硬派を意識しての行動だったようです。ふっと思ったのですが、これがタカ派のレーガン大統領だから、「とりあえず非難」でなんとか時間が稼げますが、これがハト派の大統領だったら「自分は腰抜けではない」ことを国内に証明するために「復讐」をとっとと始めなければならなかったかもしれません。
ソ連の対応は乱暴で非難されるべきですが、そもそも「なぜ航路を逸脱したのか」も問題です。可能性としては「機器の故障」「ミス」「ハイジャック」「乗員が意図して」などが考えられます。また(「意図して」以外の場合に)「なぜ航路の逸脱に気づかなかったのか」も問題です。たとえば気象レーダーを使えば、本来飛ぶはずがない陸地(カムチャッカ半島やサハリン)の上を飛んだときに気づくはずですから。「スパイ飛行説」もありましたが、その直前にアメリカ軍のRC135が飛び回ってあたりの情報は収集していたし、そもそも民間航空機にどんな「スパイ行為」ができるのか、謎です。「慣性航法装置(INS)のインプットミス」という可能性も考えられましたが、それで実際に大韓航空機がたどった航路を再現するためには、ずいぶん論理的なアクロバットが必要でした。ICAO(国際民間航空機関)が(座標のインプットミスを含めて)様々な“ミス”を想定して厳密なシミュレーション調査を行っていますが、どの仮説も「実際のコースと合わない」「実際のコース通りに飛んだ場合にはパイロットがそれに気づかずにいることが難しい」ということから結論は出せませんでした。
ソ連は、大韓航空機がカムチャッカ半島で領空侵犯をしたときにスクランブルをかけていました。しかし迎撃に失敗して領空外に取り逃がしていました。それがこんどは堂々とサハリン上空に現れたわけですから「こんどこそ迎撃に成功するぞ」と意気込みが違ったはずです。なおソ連の無線交信では大韓航空機は常に「目標」と呼ばれていて、軍用機か民間機かは最初から問題にされていませんでした。
平和時に撃墜された航空機は、軍用機が絡んだものが28件、民間航空機が絡んだ事件は少なくとも10件知られています。その中に大韓航空機事件の“前兆”としていくつかの事件が本書では上げられています。58年のアメリカEC130機(レーダー性能を探るための調査機)撃墜事件ではトルコの基地から発進した機はソ連国境を越えて撃墜され、6名が死亡11名が行方不明となりました。55年にはエルアル・イスラエル航空の旅客機がブルガリア戦闘機に撃墜され、58名死亡(ブルガリア政府は直ちに謝罪し賠償金を支払いました)。73年シナイ砂漠上空でリビア航空ボーイング727型機がイスラエル空軍によって撃墜、乗客116名中108名が死亡。イスラエルは「変な飛行をするアラブのテロリストを正当防衛で撃墜しただけ」と撃墜を正当化し、以後ものらりくらりと自己弁護を繰り返しましたが、調査の結果カイロを通り過ぎてしまったリビア機が引き返していただけであることがわかり、やっとイスラエルは(しぶしぶ)謝罪しました。ロサンゼルス・タイムズでロバート・シアーは「ソ連もイスラエルも似たような行動をした。国家が性急かつ暴力的な方法をとると、すべてのものの安全は危険にさらされる」と指摘しているそうです。そして78年「パリ=ソウル」を飛ぶ大韓航空機が(おそらく)航法装置の故障でソ連に迷い込み、機密性の高い地域を堂々と2時間も飛行することになってしまいました。迎撃機が最寄りの空港に強制着陸をさせようとしましたが大韓航空機の機長はその指示を無視(無線が聞こえなかったそうです)、とうとう発砲されて乗客2名が死亡。それで強制着陸となりました。ソ連は乗客乗員を国外追放しただけでそれ以上の行動はしませんでした。不思議なことに機長は帰国後とくに譴責処分は受けていません。そして、この事件からソ連が得た“教訓”が、83年に“活かされて”しまったようです。その逆で、アエロフロート機が(原子力潜水艦トライデントの第一艦が進水しようとしていたとき)アメリカの海軍造船所の上を航空路を逸脱して飛行したこともあるそうですが、アメリカは撃墜はしませんでした。
ここから本書は「ソ連の心理分析」を試みます。ソ連の特異な行動様式には、歴史や文化や社会様式などの影響が強いのではないか、と。そうすることでこの事件でソ連政府が見せた対応が(賢明とも誠実とも思えないけれど)理解はできるものになってくる、と。
それにしても、プロパガンダと反プロパガンダの応酬は、なんとも哀しいものです。プロパガンダの内容はともかく、それを熱心に主張する態度は、「人の死」という不幸を「いかに自分の政治的立場を強化するか」の材料にしかしない、という主張でもあるのですから。そういった人間がいることは、世界の不幸だ、と思えます。
私の記憶では昭和60年頃まで日本の自家用車のほとんどはドアミラーではなくてフェンダーミラーでした。やがてドアミラー車が増えてきましたが、私は視線の移動角度が増えることを嫌って“時代遅れ”のフェンダーミラーを使っていました。だけど、メーカーオプションからフェンダーミラーが消えてしまい、しかたなく現在はドアミラー車に乗っています。
先日交差点で目の前を通過した空のタクシーに違和感を感じて見つめ直すと、フェンダーミラー車でした。今でも使っている人がいるんだ、とちょっと感動。そういえばドアミラー車がどんどん増えた時期にも、タクシーの多くはフェンダーミラーで頑張っていましたっけ。やっぱり、プロにはわかる利点、というのがあるのでしょうね。
【ただいま読書中】『フォードvsフェラーリ 伝説のル・マン ──黄金の60年代ー自動車王たちの覇権争奪』A・J・ベイム 著、 赤井邦彦・松島三恵子 訳、 祥伝社、2010年、1800円(税別)
第二次世界大戦が終了した頃、フォードは苦境に陥っていました。“大衆”は“もっと良い車”を欲しがるようになっていたのです。28歳で会社を継いだヘンリー2世は、会社建て直しを(それまでフォードが採用しなかった)大卒の若者(軍から引き抜いたエリートたち)に託します(その1人が、後に国防長官になるマクナマラです)。50年代を通してフォードは新製品を次々発表し、シボレーと“一騎打ち”を繰り返します。1960年代が始まり、ヘンリー2世はアイアコッカを抜擢。彼はベビーブーマー世代を主要なターゲットとしました。16歳が欲しがるイカした車、です。そして、16歳に訴求するのは「レースでの勝利」でした。
イタリアのモデナでは、エンツォ・フェラーリが、新しい車の開発に没頭すると共に、息子の病気(筋ジストロフィー)とも闘っていました。著者は意識的にかな、フォードとフェラーリの章で文体を変えています。フォードは叙事的、フェラーリは叙情的、という感じ。フェラーリの章での最初の出来ごとが息子の死ですから、どうしても叙情的に私が受け止めているだけかもしれませんが。
フェラーリはヨーロッパだけではなくてアメリカ市場での売上増を狙っていました。フォードはアメリカだけではなくてヨーロッパでも売上を増やすことを狙っていました。そのためにはどちらも「自分の車が世界一だ」と主張する必要があります。
フェラーリはヨーロッパのレースで勝ち続けますが、ドライバーは次々事故死していました。それどころか観客も多数巻き込まれて死ぬ事故があり、イタリアの英雄だったはずのエンツォはイタリアのマスコミに個人攻撃をされるようになりました。そこでエンツォは「フェラーリをフォードに売却する」と発表。フォードはその気で動き始めますが、実はフェラーリから見たらフォードは“当て馬”で、イタリアにフェラーリの“価値”を認めさせるためのパフォーマンスでした。結局交渉は決裂。フォードは怒り、フェラーリの地元でフェラーリを負かすためのレースカーを開発することを決定。決戦の場は1年後の1964年ル・マン。これは、「商売(優勝したら車が売れる)」と同時に「沽券」にかかわる問題だったのです。
アメリカとヨーロッパの道路事情の違いを反映して、アメリカのカーレースでは大排気量・大馬力で直線に強い車が有利とされ、ヨーロッパではくねくねした道でのハンドリングの正確さと急ブレーキとそこからの立ち上がりの早さが重視されていました。フォードは「未知」に挑戦することになります。長い長い24時間が過ぎ、総合優勝はフェラーリで、フォードのプロトタイプは全滅でした。しかし、GT(量産車のカスタマーカー)クラスではフォードエンジンがフェラーリを打ち破ってしまいます。これは両者に不満を残しました。フェラーリはGTで負けたことで、フォードはチェッカーフラグが得られなかったことで。
65年のル・マン。フォードは7リットルのエンジンを投入します。迎え撃つフェラーリのエンジンは4リットル。スプリントレースだったらフォードの圧勝です。しかしル・マンは耐久レースでした。ヘンリー2世は社内に「来年のル・マンで買った方が身のためだ」という短いメモを回します。しかしフォードには「ラルフ・ネーダー」という新しい“敵”が登場していました。そして66年。こんどこそフォードの圧勝、という幕切れに、信じられないドラマが演じられてしまいました。
自動車のレースが、単に「車の速さ」を競うだけのものではないことが生き生きと描かれています。しかし、あまりに人間臭い足の引っ張り合いは、「チームの勝利」の邪魔でしかないんですけどねえ。
共和党から造反が出て、撤廃法案は否決されたそうです。日本だと「与党から造反が出る」こと自体が考えにくいことを思うと、トランプ大統領によってぼろぼろになったように見えるアメリカの民主主義は、まだ日本よりはマシなのかもしれません。
【ただいま読書中】『世界で一番美しい 植物細胞図鑑』スティーヴン・ブラックモア 著、 武井摩利 訳、 三村徹郎 監修、創元社、2015年、6000円(税別)
「世界で一番美しい」とは大きく出たものだ、と思いながら本書を手に取りましたが、ページを開いてびっくり。たしかに美しい写真がずらりと並んでいます。それも、単に「細胞」の顕微鏡写真を並べているのではなくて、「顕微鏡」「植物に関する総説」「進化論」「裸子植物」「人間との関係」などのテーマごとに、肉眼レベルの写真から、光学顕微鏡、電子顕微鏡の写真と、それぞれに関する解説がこれでもか、というくらい盛り込まれています。それでなくても大判の本ですが、内容が器からこぼれてしまいそうなくらい盛りだくさんです。
技術的にも、光学顕微鏡の150倍の写真と電子顕微鏡の150倍の写真とを同じページに並べてみせるとか、細かい工夫があちこちに。しかし、光学顕微鏡で2600倍なんて写真も撮れるんですね。これ、どうやったんだろう? シダの若芽の渦巻きのような形、これは数倍の拡大写真ですが、これまた息をのむような美しさです。こんど山菜をしげしげと見つめてみようか、という気になってしまいます。
もしも好きな植物の学名がわかっているとか、好きな時代がある(たとえば中生代、とか)のだったら、本書の索引からそれを引いてそのページを開けてみることをお勧めします。ぜったいに「好き」がどんと増幅されるはずです。
安倍首相って、「丁寧な説明」とは「丁寧な口調の説明」だと独自の解釈をしているようですが、同様に「ルール」に関しても独自の解釈がありそうです。もしかして「自分はルールを守る人」ではなくて、「守りたいルールだけ守る」「ルールは自分が定める」とでも思っています?
【ただいま読書中】『アメリカ暗殺の歴史』ジェームズ・マッキンレー 著、 和田敏彦 訳、 集英社、1979年
リンカーン暗殺は、最初は誘拐として計画されました。ブースは劇場でリンカーンを襲って縛り上げ、共犯者と外に運び出すつもりだったのです。リンカーンはあまりに多くの脅迫に、一種の「慣れ」が生じたらしくボディーガードの増強には不熱心でした。そして暗殺によって、リンカーンの「敗者である南部に対する寛大な方針」も“殺され”ました。
JFKの時と同じく、様々な「陰謀論」がリンカーン暗殺でも唱えられました(リンカーン夫人が“犯人”という説まであったそうです)。「暗殺で利益を得たのは誰か」という観点からは、南部は外されます。明らかな不利益を被りましたから。著者は陸軍長官スタントンに疑惑の目を向けています。状況証拠しかありませんが、とっても怪しい、と。
暗殺は「変革の手段」として有効だ、ということが認識され、以後のアメリカでは「暗殺」が次々行われるようになりました。リンカーンの後を継いで大統領となったアンドルー・ジョンソンは、在任中に13人の高官が撃たれうち12人が殺される、という恐ろしい体験をしました。次のグラントの2期8年の間に撃たれた公務員(保安官、収税吏、知事など)は20人(殺されたのは11人)。同じ時期に世界中でも多くの人が暗殺をされました(そういえば日本でもこの時期暗殺は“流行”していましたね。幕末には暗殺の嵐が吹き荒れていましたが、「明治の暗殺」でも私が思い出すのは、大村益次郎・大久保利通・森有礼……日本人も実は暗殺が大好きだった?)。そして、またもや「アメリカ大統領」ガーフィールドがピストルで撃たれます。そして、マッキンレー大統領も(ついでですが、マッキンレーの国務長官ジョン・ヘイは、ガーフィールドの友人でかつてリンカーンの秘書もしていました。3つの大統領暗殺が時代的にずいぶん接近していたことがわかります)。
「犯人は精神異常」「謀略説」がどの暗殺でも声高に唱えられますが、それをきちんと追究する試みはされていません。本書で著者は「暗殺された人」と「暗殺者」のそれぞれの人生を対比させています。移民の成功者と失敗者、というきれいな対比もありますが、なぜこの人が殺しこの人が殺されなければならなかったのか、わけがわからない例もあります。
そして本書半ばで、JFKが登場します。これも「陰謀説」が声高に唱えられましたが、そういった説を唱える人って、何か証拠を掴んで言っているのでしょうかねえ。結局「犯人」とされたオズワルドはあっさり“証拠隠滅”されてしまったため、事件の真相は闇へ。陰謀説を唱えたくなる気持ちもわかります。
ケネディーの次は、黒人2人。マルカムXとキング牧師です。こちらも「謎」だらけ、とくにキングを撃ったとされるレイについてはあまりに胡散臭い話がてんこ盛りで、私まで謀略説に加担したくなってしまいました。そして本書の最後はロバート・ケネディー。犯人の主張はなんだかわけがわかりません。
暗殺やテロは、政治や社会を変えるのに有効であることが本書からはよくわかります。ただ、犯人が望んだ方向に変わることはあまりないようですが、少なくとも多くの人にとっては住みにくい形になることは間違いないようです。それはあまり嬉しいことではありません。
答弁……あとからあとから変える
ヤジ……やり放題
文書……怪文書
文書……紛失する
文書……存在しない
記憶……存在しない
【ただいま読書中】『ちいさな天使と兵隊さん』ピーター・コリントン 作、すえもりブックス、1990年(2002年3刷)
本を読んでもらって「おやすみ」のあと、幼い女の子の枕元で眠る「ちいさな天使」と「兵隊さん」(の人形)。ところがそこに海賊たち(こちらも人形)がやって来て、女の子の貯金箱の中身を盗んで持って行ってしまいます。それを防ごうとした「兵隊さん」も連れ去られてしまいます。
「ちいさな天使」はその後を追います。猫や蜂に襲われ、やっと海賊たちの本拠地を突き止めた「ちいさな天使」ですが、さて、彼女(?)は友達を救い、盗まれたお金を取り返すことができるでしょうか?
言葉にすると実に簡単なストーリーに見えますが、本書では「ことば」は一切使われていません。「ことば」に類するものは、寝る前に女の子が読んでもらった本の表紙に「TREASURE AHOY」とあるだけです。ページにはコマ割りがあり、漫画と絵本の中間のような体裁です。しかしその「絵」が、水彩で実に丁寧に描かれていて、壁紙やカーペットの質感までが表現されています。どんな手触りなのか、ページに触りたくなってしまいます。
字が読めない子供でも楽しめる本ですが、もちろん大人でも楽しめますよ。お勧めです。
安心して酔っ払えるのは、明日の命は保証されている、と思っているからです。
【ただいま読書中】『笑う、避難所 ──石巻・明友館 136人の記録』頓所直人 著、 名越啓介 写真、集英社新書ノンフィクション、2012年、720円(税別)
石巻市民会館の隣に勤労者余暇活用センター「明友館」があります。2011年3月11日、市民会館は老朽化していて耐震性に不安があったため、避難してきた住民たちは鉄筋コンクリート二階建ての明友館に入りました。そこを津波が襲います。水は階段踊り場近くまで到達。約130名の避難者は孤立します。行政の指定避難所にさえ救助の手が届かない状況で、自主避難所の明友館はいわば忘れられた存在になってしまいました。しかし、震災二日目、ペットボトルの水を届けてくれた近くの住民がいました。石巻から車で1時間くらいのところで仕事中に被災した人が、徒歩でヘドロと瓦礫を乗り越えて帰宅したのですが、消防署に寄ってペットボトルを分けてもらいそれを明友館と近くの(普段なら徒歩で20分の距離、その日は1時間くらいかかったそうです)湊小学校(2000人が避難)に配りました。明友館の避難者が初めて外部から食糧をもらえたのは、震災31時間後、1人あて1個の塩むすびでした。
情報は入らず、物資も届かない。このままでは先行きが不安だ、ということで、数少ない男たちは、明友館を取り囲む重油と汚水とヘドロの海を踏み越えて物資調達に出かけます。真っ暗なトンネルを抜けた先は、津波で破壊し尽くされた町でした。そこで全壊したスーパーから食糧を掘り出して避難所に持ち帰ります(スーパーのオーナーがそれを許可していました)。3日目の夜、「これからどうする?」という会議が開かれます。明友館の職員は1人だけ(それも1年の出向)でしたが、会議では実にスムーズに方針と役割分担が決定されます(「地域社会」のせいかと思ったら、実はほとんどの避難者は初対面でした)。4日めの朝、リーダー(本人は「まとめ役」と自称)は唯一のルールを発表します。「ウンコをしたら、水を流す」。外の汚水でも良いから流せば、流れるのです。実はそういう“技術的な話”ではなくて、「避難所でも、人間らしく生きよう」という主張が込められたルールです。だからでしょう、明友館では避難者がそれぞれ自主的に「役割」を果たすようになりました。
潰れた工場からガスボンベやコンロや調理用具、避難している人たちの自宅からも食糧調達が進みます。男たちは日中は外でせっせと働き、夜は「作戦会議(実態は飲み会)」を行います。
調理班も奮闘します。集められた食材で冷凍食品のような早く食べなければならないものから使って130人分を、でもいつまで食いつなげるかわからないから全部食べ尽くすようなことはしないように調節をして…… ゴールデンウィークの前くらいになると市からお弁当が届くようになりましたが、それまでは「自炊」がずっと続いたそうです。
携帯がつながるようになると、人の繋がりを通じてどっと支援物資が届くようになります。届けてくれたのは「とんでもな奴ら」ですが、ともかく集まった物資を、在宅避難民や幼稚園などの子供施設へとさらに配分する「支援する避難施設」に明友館は変わっていきます。しかし、そこに物資を届ける人々のエネルギーと熱意のすさまじさに私は圧倒されます。しかも全然肩に力が入っていない。本書に登場する人たちは、みんな「笑って」いるのです。しかし「4トントラックいっぱいの白菜」が明友館に運び込まれたとき、それをわずか3日できれいに配ってしまったのには驚きます。これは行政に任せていたら絶対できないことですから。避難者が避難者のために避難者のニーズに従って行動したら、「支援する避難施設」が誕生してしまったのです。外から「支援」のために訪れた人々は「こんな避難施設、見たことない」と驚いたそうです。それはそうでしょうね。笑いがしょっちゅう起き、毎晩酒盛りをし、娯楽室では麻雀をしている避難所なのですから。
本書には、あまり喜ばしくない行為もいくつか登場します。たとえば「シミのついた上着など、明らかに捨てる代わりに被災地に送りつけた」とか「助けてやっているんだ、というNPO」とか「融通の利かない官僚主義」とか。人が不幸なときに、それをさらに不幸にしたい、と言わんばかりの人はいるようです。だけど明友館は「最後の砦」として機能し続けました。「笑い」を拠り所として。だから人のネットワークがそこで強固に結ばれ展開していったのでしょう。印象的だったのは、明友館が「支援する人も救った」ことです。その意味を知りたい人は、本書をどうぞ。
今でも「伝統の巨人阪神戦」と本気で言う人って、います?
【ただいま読書中】『勝てる野球の統計学 ──セイバーメトリクス』鳥越規央・データスアジアム野球事業部 著、 岩波書店(岩波科学ライブラリー223)、2014年、1200円(税別)
先日読書記録に書いた『9回裏無死1塁でバントはするな ──野球解説は“ウソ”だらけ』と同じ著者なので、骨格はほぼ共通です。どちらか一冊を読むだけでもとりあえず「セイバーメトリクス」について知ることはできるでしょう。ただ、こちらでは新しい指標がいくつか紹介されています。
面白かったのは、2012年と13年、同じ三塁手の「宮本慎也(ヤクルト、ゴールデングラブ賞を10回受賞した名手)」と「堂林翔太(広島、2012年と13年のセリーグ失策王)の比較です。守備率で見ると明らかに宮本選手の方が“名手”です。さすがゴールデングラブ賞。ところがセイバーメトリクスの「UZR(守備範囲を加味して、平均的な三塁手に比較して何点の失点を防いだか、の指標)」を用いると、意外なことに堂林選手の方がチーム(の勝利)に貢献していることがわかります。堂林選手の方が守備範囲が広いため、宮本選手なら「楽々ヒット」の打球にも追いついてしまい、でもギリギリだから取り損ねてしまうと「エラー」がつけられる、というわけだったのです。
最近は少し話が変わってきていますね。守備範囲という点で、広島カープの菊池二塁手の守備範囲の広さが最近実況アナウンサーの口からも平気で出るようになってきました。「今のはエラーに見えますけど、普通の二塁手だったらそもそも追いついていないですよね」といった感じで。今はコンピューターで画面解析をして「守備範囲(追いついて球を処理した範囲)」が簡単に図示できますから、話は面白くなってきました。
UZRは計算が大変なので、簡略化された指標を使うなら(『9回裏無死1塁でバントはするな』にも出てきた)「RF」でしょう。これは簡単に言ったら「その人が1試合で稼いだアウトの数」です。「これは追いつけない」と早くあきらめる選手は「エラー」にはならないけれどRFも稼げないから、割と簡単に正しい評価ができそうです。
将来AIが進化し、球場にセンサーが張り巡らされたら、セイバーメトリクスがリアルタイムで様々な指標を評価できるようになるでしょう。そうしたら「MVP」の選出もAIでできるようになるはずですが、おそらくそれは、これまでの「人間が選出したMVP」とは違う人たちが選出されるようになるでしょう。そんな時代の野球を早く見たい気がしますが、これまでの“伝統”を重んじる人たちの抵抗はたぶん物凄いものになるでしょうね。
「さあ、ここで一発欲しいところです」……その確率は? 具体的にどうすれば一発が出るの?
「ここで一発出れば逆転です」……小学生の算数?
「ここで打たれてはいけません」……方法を行って教えてあげたら?
「この失点は痛いですねえ」……痛いのは言われなくてもわかります。
……なんだか、期待と結果論しか語らないのが「野球解説」かと感じることがあります。こんなので良いのだったら、“専門家”でなくてもできる人は多そうです。
【ただいま読書中】『9回裏無死1塁でバントはするな ──野球解説は“ウソ”だらけ』鳥越規央 著、 祥伝社新書、2011年、760円(税別)
1971年アメリカで「アメリカ野球学会(Society for American Baseball Research)」が設立され、その略称「SABR」が「セイバー」として使われるようになりました。セイバーの目的は、野球を数学的統計学的に解析し、選手の正しい評価や戦略の研究をすること。日本での先駆者は1970年代後半に野球の数理モデルについての論文を発表した鳩山由紀夫(東工大助手、のちに首相)です。
まず取り上げられるのは「犠牲バントは本当に効果的(点を取って試合に勝つことに貢献している)か」。そこで著者は日本プロ野球の1年分のデータを解析。たとえば「無死一塁」がバントによって「一死二塁」になった場合の勝利確率の変動を比較します。すると、ほとんどの場合「どのイニングでもバントをすると勝利確率が減少する」ことがわかりました。唯一の例外は「9回裏、同点の場面で後攻が無死二塁」の場面だけ。この場合だけバントをすることによって勝利確率が「78.3%」から「79.1%」に増えます。それともう一つ、「バントはしないぞ」と見せかけておいて守備陣形が下がったところにセイフティーバントをすること(イチロー選手が大リーグでよくやっていましたね)。これは「犠牲バント」ではありませんが。私がもう一つ思いつくのは、打席にいるのが「打率0割」の打者の場合には、せめて犠牲バントで進塁をさせる、と言うことくらいです。だけど打率0割の打者を起用している時点でその監督は勝つ気がないのか、とも思えますが。
「OPS(出塁率+長打率)」の重要性も力説されます。そういえば『マネーボール』でも「いわゆる強打者」よりも「出塁率」に注目してチームを強くしたことが書かれていましたっけ。要は、ヒットであろうと四死球であろうと塁に出る選手が良い選手、ヒットだったら単打よりは長打が多い方が良い選手、という考え方です。
野球中継の解説で「さあ2ボール 1ストライクです」「バッティングカウントになりましたねえ」という言葉をよく聞きます。では「本当のバッティングカウント(一番安打が出やすいカウント)」は何かといえば、統計は「3ボール0ストライク」だと言っています。「.419」と他のカウントを圧倒する高さ。ところがなぜかほとんどの選手はバットを振りません(振るのは8.5%だけ)。それでストライクを取られて3ボール1ストライクになってしまってからバットを振ると打率は「.369」に落ちています。
逆パターンもあります。「0ボール2ストライク」になった場合、多くの投手は「一球外し」ます。ところが「0ボール2ストライク」の打率は「.149」なのに対し「1ボール2ストライク」の打率は「.181」。つまりわざわざ「安打が出やすいようにしてあげましょう」とバッテリーの側がお膳立てをしてあげるわけです。
ジョージ・リンゼイ(カナダ国防省コンサルタント)の研究も面白い。仕事の統計を趣味の野球に活かして、アウトカウントと出塁の有無で得点が取れる確率を出しているのです。この表を見ると、たとえば「ノーアウトランナー満塁」の場合には「83.7%」得点が期待できることがわかります。逆に言えば無得点になる確率も「16.3%」ある。守備側も希望は捨てない方が良さそうです。
「敬遠四球による満塁策」が有効かどうか、も分析も面白い。状況によっては確かに有効なんですが、計算上は「満塁の時」でさえ、打者が長打を打つ可能性が高い強打者の場合は「敬遠」(つまり1点を献上する)方が失点が結果として少なくなる場合があるそうです。
「ゴールデングラブ」では「どれだけエラーをしないか」が主に評価されていますが、これは「守備範囲」を評価しないという欠陥があります。そこで「アウトをいくつ稼げるか」を評価する「RF」がメジャーでは公式記録にあるそうです。本来はヒットになる打球に追いついてアウトにする選手は評価が高まり、守備範囲が狭かったりエラーが多い選手はこれで自動的にはじかれますからわかりやすいですね。
本書の最後は「名場面」を統計的に読み解く試みです。「8回までパーフェクトに押さえていた山井を9回は岩瀬に交代させた落合監督の決断」とか「江夏の21球」とか。特に江夏の21球は、1球ごとに勝利確率が変動するのがとても面白く感じました。
これから野球中継を見たら、「解説」に対して「その根拠は?」「確率は?」なんてツッコミを私は入れそうです。あ、これまでもそれは言っていたか。
「アベ首相はえらい人だ」と歌う“立派”な庶民はいないのかな?
【ただいま読書中】『全訳 カルミナ・ブラーナ ベネディクトボイエルン歌集』水野藤夫 訳、 筑摩書房、1990年
「カルミナ・ブラーナ」と言えば私はオルフが作曲した「世俗カンタータ カルミナ・ブラーナ」の高らかな歌声を思います。あの歌声の迫力にヤられてしまって、歌詞の意味なんか考えたことも無いことに、あの歌に出会ってから数十年経ってやっと気がついたものですから、歌詞ではなくて原典を当たってみることにしました。
第一部は「教訓・風刺」ですが、いやあ、強烈。権力者や聖職者に対する風刺のオンパレードです。
第二部は「恋の歌」。どちらかと言えばストレートな歌が多いのですが、意外なのはその途中に「焼白鳥の歌」が混じっていること。焼かれて皿に載せられた白鳥が我が身を嘆く歌ですが、どうしてこれが「恋の歌」? 焼白鳥は恋の炎に焼き尽くされた人間のことなのかな。いや、「白鳥を食べる」ということと「焼白鳥は人間のことかもしれない」ということのどちらに対して驚くべきか、私はしばらく迷うことになります。
第三部は「酒の歌・遊び人の歌/宗教劇」……なんちゅう取り合わせですか? 中世ヨーロッパはカトリックにがちがちに縛られていた、というわけではなさそうです。庶民はけっこうしたたかに“権威”を笑っていたんですね。
12世紀ころの俗謡と言えば、日本では「梁塵秘抄」ですが、こちらも「遊び」「恋」「宗教」が多く歌われていたはず(後白河法皇がどういう基準でセレクトしたか、が問題ですが)。
私がパチンコを始めたときは、一発一発手でハンドルをはじいて玉を打っていました。もう40年ちかくパチンコ屋に入ったことがありませんが、今行ったら「どうやって遊べば良いの?」と誰かに聞かないといけないでしょうね。誰か、親切に教えてくれるかしら?
【ただいま読書中】『5グラムの攻防戦 ──パチンコ30兆円産業の光と影』姜誠(カンソン) 著、 集英社、1996年、1553円(税別)
96年東京で「変造カード」が出回っていること、から本書は始まりますが、すぐに舞台は富山へ。そこでの熾烈な巨大店の出店競争とその中で消えていく地場の中小パチンコ店の姿が具体的に描写されます。そして「パチンコカードシステム」が再登場。
パチンコ業界の監督官庁は警察ですが、カードシステム導入には消極的、というか、業界が導入しないように規制をかけまくっていました。それが変わったのが88年。なぜか突然積極的に、それも全国規模で、と話が急展開。しかし国会答弁では「業界にカードシステムの導入を強要したりはしない」と言っています。国会答弁を軽んじるのは、日本の“伝統”なんですかねえ。もちろん監督官庁と実際におつきあいをする業界人は“真実”を知っているわけですが、それを公言はできません。監督官庁に逆らったら、迫害されるだけですから(それは私の業界の監督官庁を見ていてもよくわかります)。
カードを発行する“民間会社”日本レジャーカードシステム(LEC)に警察は副社長を送り込み、さらに外郭団体の「たいよう共済」を通じて株式の9%を掌握します。カード会社は警察官の天下り先、というよりは、警察が共同経営者をやっている、という感があります。LECの筆頭株主は三菱商事ですが、設立に尽力したのはNTTの真藤氏。しかしフィクサーは別にいました。本書ではその辺をよく調査して書いてありますが、こっそり「利益」を得るためにはどう立ち回ったら良いのか、が実によくわかります。しかし、カード発行のコストなどはすべてパチンコ店に押しつけて、LECはカードを発行すればするほど自動的に儲かる、とは、一部の人にとっては夢のような“システム”です。
しかし、一方的に収奪されるパチンコ店に、カードシステムはなかなか普及しませんでした。そこで警察庁がその普及のために推したのが「CR機」でした。カード専用で、これまで規制していた大当たりを緩めに認可。しかしこの機械がバカ高いためやはり普及しません。そこでCR機普及のために警察庁は「CR機と一般機の性能に差をつける」と発表します。その結果が「十連チャン」「十五連チャン」も可能なギャンブル性の高いCR機でした。それまで警察は「ギャンブル性を押さえるように」と業界を指導していたのに。さらに警察は、過去に自分たちが認可した一般機を摘発することでさらにCR機の普及を加速させます。かくしてカード会社は大儲けとなりました。
脱税や違法な換金という“暗い面”もパチンコには常につきまとっています。警察を怒らせたら商売になりませんが、暴力団を怒らせてもやはりパチンコ屋は商売に差し支えます。東京で暴力団による換金を健全化させようと運動したパチンコ屋の経営者が暴力団に殴る蹴るの暴行を受けた話には胸が詰まりますが、そういった状況を警察が静観しているのはなぜだろう、とそちらの方も気になります。
年間30兆円の売上を誇るパチンコ業界には、日本で最大のエスニック産業(日本の異民族集団が参入している産業)という側面もあります。理由は簡単で、日本国籍を持たない人が参入しやすいのはパチンコくらいだったから。「排除の論理」による就職差別がパチンコをエスニックにした、とも言えます。しかしこの「エスニック」の部分が、よく政争の具にされます。特に北朝鮮が絡むと話は突然ホットになります。しかし「北朝鮮に違法送金」という話はよく聞きますが、それが実際に摘発されたのはどのくらいありましたっけ?
で、話は最初に戻ります。変造カードが大量に使用され、カード会社の利益が大幅に削られるようになったのです。警察は当然あせって摘発に頑張りますが、変造カードが使いにくいシステム(警察御用達のものとは違う発想のもの)を提案した新しい会社のアイデアは認めようとはしませんでした。それって、なぜなんでしょうねえ。