【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

楽器の演奏

2016-11-30 06:59:11 | Weblog

 「楽器は一切演奏できない」という人は、たぶん、いません。たとえば何の訓練も受けていない人でもカスタネットやトライアングルは鳴らせるでしょうし、ピアノだって単音なら鳴らせるはず。つまり、身体のどこかが動く人は何かの楽器は“演奏”できるはずです。“上手く演奏”できるかどうかは、別の問題ですが。

【ただいま読書中】『アコーディオンの罪』E・アニー・プルー 著、 上岡伸雄 訳、 集英社、2000年、2500円(税別)

 一旗揚げようとシチリアからニューオーリンズにやって来た「アコーディオン職人」は、厳しい現実に直面します。アイルランド人と黒人が港で“美味しい仕事”を独占していて、シチリア人(とイタリア人)には沖仲仕しか残されていないのです。
 実はここですでに本書の“通奏低音”が示されています。多数の民族のるつぼ、厳しい生活、そして音楽。
 アコーディオン職人は緑色のボタン・アコーディオンを作り、死に、アコーディオンは“旅”を始めます。
 ドイツ移民のところではドイツの民謡を演奏しますが、第一次世界大戦でドイツ系の住民は敵視・差別され、ドイツ移民(とアコーディオン)の運命は暗転します。
 大恐慌の時、「アメリカ人」になろうと努力していた「メキシコ人」は、「こいつらのせいで仕事がない」と責められて辛い目に遭います。しかしそこでも緑色のアコーディオンは修理を重ねられながら音楽を奏でていました。
 本書を読んでいて、私は「音楽」を感じていました。一つ一つの章は短めで、まるで楽譜の1小節ずつを文章化したようにしたものがまとめられてまとまった一つの部分になっています。そして、一つの「主題」が登場し、その変奏が登場し、別の「主題」が登場し、その積み重ねで「アメリカの移民社会の歴史」が 「音楽」のように奏でられていきます。ただ、アコーディオンを手にする人びとは、ほとんどの人が悲惨な人生を歩んでいます。努力しなければ何も得られず、努力しても報われない。これが「名もない移民たちの人生」なのでしょうか。でもアコーディオンはまったく自己主張せず、演奏する人の指使いに素直に従ってさまざま音楽を奏でます。なんだかそのアコーディオン独特の響きが、遠くから聞こえてくるような気がします。


野蛮人

2016-11-29 06:52:09 | Weblog

 大航海時代に「非キリスト教徒は人間ではない、人間であっても野蛮人だから、どんな扱いをしても許される」という思想がヨーロッパにありました。もしその思想が正しいのなら、古代ローマ時代に「野蛮人」だったヨーロッパの多くの人びと(現在のヨーロッパ人の先祖たち)はどんな扱いを受けても一切文句は言わなかった(叛乱など起こさなかった)ということなんでしょうね。

【ただいま読書中】『I AM ZLATAN ──ズラタン・イブラヒモビッチ自伝』ズラタン・イブラヒモビッチ、ダビド・ラーゲルクランツ 著、 沖山ナオミ 訳、 東邦出版、2012年、1800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4809410765/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4809410765&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 破天荒なストライカーで、アヤックス、ユベントス、インテル、バルセロナ、ミランと渡り歩いたチームのすべてをリーグ優勝に導いたサッカー選手の“肉声”の自伝です。「少年がゲットーを抜け出すことは簡単だが、少年の心からゲットーを取り去ることはできない」で始まり、「少年がローセンゴードを抜け出すことは簡単だが、少年の心からローセンゴードを取り去ることはできない。ズラタン」で終わります。
 著者の父親は、ユーゴスラビア紛争で旧ユーゴを脱出、スウェーデンに落ちつきます。そこで出会ったクロアチア生まれの女性との間に生まれたのが著者ですが、その家庭は明らかに機能不全を起こしています。著者はずいぶん軽く描写しますが、明らかな児童虐待(肉体的あるいは言葉による暴力やネグレクト)があります。
 街では、万引きや自転車泥棒(ただし薬物には手を出していないそうです)、ピッチ上では頭突きや肘うち(ただしやられたからやり返しただけ、だそうです)を熱心にしていた少年は、奔放なプレイスタイルを認められ、マルメFFという一流チームと契約することになります。ところがマルメは二部降格。ベテランは続々チームを離れます。しかし「だからこそ先発出場のチャンスが増える」と読んだ著者は残留。実際にそこで大活躍して1年でチームは1部に復帰。著者にはオランダのアヤックスから声がかかります。
 著者は「一見ワルだけど、根は良い子なんだよ」と表現されるタイプのようですが、規律を重んじる格式高いチームでは思いっきり使いづらい選手だったでしょうね。特に「復讐」が彼の行動では重要な動機となっています。肉体的にやり返すだけではなくて、欺瞞・侮辱・非難・的外れの批判などに対して、実際のプレイで「どうだ」と示すのが彼にとっての「復讐」となっています。それで結局チームはリーグ優勝するのですから、本当に「復讐」になっているのかどうかはわかりませんが。
 インテル時代、初めての子供が生まれた翌日、前夜は病院で過ごしてほとんど寝てなくてふらふらでスタジアムに行ったら、観客席に「ようこそマキシミリアン」の横断幕が。「マキシミリアン」は著者の初めての息子につけた名前です。これはぐっときたでしょうね。私は2006年の広島市民球場に掲げられた「我々は共に闘ってきた 今までもこれからも・・・ 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる カープのエース 黒田博樹」の横断幕を思い出していました。
 監督や同僚との衝突など、けっこう具体的に生々しく描写されています。ただ、監督や同僚などには著者とは別の言い分があったに違いないですが。私のように「イブラ」に特に個人的な思い入れがない人間にとっては、サッカーの裏話として読んでも面白い本でした。


デストロイヤー

2016-11-28 07:15:57 | Weblog

 何かを破壊することが大好きな人がずいぶんエラそうに「お前たちの大切なものを壊してやる」と言う場合がありますが、破壊するためには誰かが先に建設をしておいてくれないといけないわけです。ということは、破壊者は(自分が作ったものを自分で壊している場合を除いて)建設者に依存して生きているだけ、ということになります。ということは、あまり破壊者はそれほどエラくはない、ということに?

【ただいま読書中】『コンニャク屋漂流記』星野博美 著、 文藝春秋、2011年、2000円(税別)

 著者の名前をどこかで見たことがある、と思ったら、11月22日に読書した『島へ免許を取りに行く』と同じ人でした。別に狙って図書館から借りてきたわけではないんですけどね、こういった偶然の一致もあるんだな、と感心します。
 NHKに「ファミリー・ヒストリー」という、特定個人の“ルーツ”をたどる番組がありますが、本書も著者の“ルーツ”をたどる本です。
 著者が愛した祖父が残した手記が“出発点”です。明治36年に生まれた祖父は「大漁の日に生まれた漁師の六男だから漁六郎だ」と父親に名前を届けられそうになりました。ところが役所の窓口で「あまりにそのまんまだが、将来どんな職に就くかわからないから、量太郎はどうだ」と言われてそうなったのだそうです。このエピソード自体から、すでに「親の仕事を継ぐのが当たり前」ではなくなってきていた、という当時の風潮が感じられます。
 千葉の外房、岩和田という漁師町が著者の祖父の故郷ですが、そこは紀州からきた兄弟が開いた町だそうです。時期は、メキシコの「ドン・ロドリゴ」より前。
 慶長四年(1609)、岩和田の浜で南蛮船サン・フランシスコ号が難破しました。生き残ったうちの一人がドン・ロドリゴ。フィリピンの臨時総督で任期が終えて前任地のメキシコに帰る途中でした。村人は遭難者たちを温かく迎えました。しかし、300人の村に300人の遭難者ですから、貧しい村には文化的にも経済的にも相当な負担だったでしょうけれど。「故郷」はずいぶん「歴史」を持っています。
 そして舞台は五反田へ。著者の祖父は13歳で上京し、白金の町工場に勤めました。やがて独立して五反田へ。その家には、岩和田から多くの人が訪れ、「漁師」の人脈と「工場」の人脈とがクロスする場となりました。祖父はなぜ五反田を選択したか。そこに岩和田の人たちが多くいたからです。そして五反田が著者の「故郷」になります。そこで著者は印象的な言葉を残します。「人は故郷を選ぶことができない。しかし故郷とは誰かが選んだものである。」と。
 「コンニャク屋」とは著者の実家の屋号です。屋号って、知っている人には説明が不要だけど、知らない人は知らないんですよね。ちなみに私の父も「屋号で育ったクチ」です。村の中に同じ名字の家族がたくさんいる場合、屋号で区別するのが便利なのです。で、なぜ「コンニャク屋」なのかと言えば、著者の先祖の中に、漁師からおでん屋に商売替えをしていた人がいたから。でもまた漁師に戻ったりしているんですけどね。「漁師だから海に忠誠を尽くす(商売替えをしない)」という態度ではなくて、不漁の時は無理して船を出さない、漁師ができないときには他の商売で食っていく、という柔軟な態度のライフスタイルです。
 本書で断片的に紹介される著者の祖父の手記は、時代を超えた「声」です。それは「二代前の声」であると同時に、それをガイドとする著者をもっと昔へ、もっと遠くへ誘います。
 「ルーツ」と言えば、ついうっかり「血脈」のことを思いそうになりますが、過去の先祖がどこにどんな人たちと住みどんなことをやっていたのか、それらをすべて含めての「ルーツ」なんですね。著者の「ファミリー・ヒストリー」は、とんでもなく面白いものでした。そして、もしかしたら、あなたや私の「ファミリー・ヒストリー」もまた、同じくらい面白いものなのかもしれません。


離婚率

2016-11-27 10:20:03 | Weblog

 日本で、離婚が増えてきた(我慢できない人たちが増えてきた)と言う人がいます。たしかに戦後の昭和〜平成にかけて「離婚率」は少しずつ増えてきています。
 だけどそれより前、明治の頃の離婚率は現代日本よりも高かったんですよねえ。今の日本人は、昔の日本人より離婚に関しては実は“我慢強い”んじゃないです?

【ただいま読書中】『斜陽』太宰治 著、 角川書店(角川文庫)、1950年(76年76刷)、180円

 今さらあらすじ紹介は不要でしょうね。
 第二次世界大戦後、どんどん没落していく華族の生活を29歳の娘の視点から語った作品ですが、途中で著者自身の生活(不健康なのに酒と女に乱れた生活)が乱入してきて、話は最初の「『桜の園』(チェーホフ)の日本版を書きたい」という構想から逸脱していきます。また、最初の女性の視点からの描写がずいぶんリアルだと思うと、これは実際の女性(当時太宰が付き合っていて、のちに太宰の子を妊娠した人)の日記を底本にしているからなんだそうです。
 私は若い頃には私小説が嫌いでした。今でも好きとは言えません。だけど本書のように、いくつかの視点から「人生」や「社会」を描いている場合には、主観から離れた普遍的な価値や真実についても語ることができるだろう、と私小説を評価することはできます。
 だけど、やっぱり『桜の園』の方が,私の心により響く作品だ、とは思いますけどね。


プレゼント

2016-11-26 07:16:42 | Weblog

 人に何かをプレゼントして喜ばれるためには、相手が持っているものではなくて、相手が持っていないものをまず選択し、次に、相手がそれをもらうことで喜ぶものを選択する必要があります。

【ただいま読書中】『黒のトイフェル(下)』フランク・シェッツィング 著、 北川和代 訳、 早川書房、2009年、700円(税別)

 陰謀の正体は、「皇帝」「教皇」「大司教」の複雑な権力闘争と、ケルンの領主である大司教とケルンの実質的な運営者である貴族たちとの複雑な権力闘争との“隙間”に生じていました。物語は「歴史冒険小説」として派手に進行しますが、それと同時に「行き当たりばったりに逃げ回っているだけのケチなこそどろ」であるヤコプが、実は悲しい過去を持っていてそこから逃げているからこそそういったライフスタイルになってしまったことがわかると、こんどは「教養小説(人の成長を描く小説)」の側面を浮かび上がらせてきます。さらにこの「ヤコプが自分の過去から逃げていること」は重大な伏線としてあとに効いてきます。
 また、「自分自身の意見を持たず、物事の表面を断片的にだけ眺め、単純な言葉で世界がわかったつもりになる人びと」は善悪関係無しに多く存在することも示され、これは13世紀に限ったことではない、と私には感じられます。
 複雑だけどシンプル、重厚だけどユーモアもたっぷりあり、これは本当に秀作です。再読して良かった。


有害図書の告白

2016-11-25 07:16:19 | Weblog

 かつては手塚治虫のマンガでさえ有害図書扱いされた過去がありますが、たとえば「これは猥褻な有害図書だ」と宣言する人はつまりは「私はこの程度のものでみだらに興奮します」という告白をしている、ということなんでしょうか。

【ただいま読書中】『黒のトイフェル(上)』フランク・シェッツィング 著、 北川和代 訳、 早川書房、2009年、700円(税別)

 3年前に読書した本ですが、同じ著者の『知られざる宇宙』を先日読書したのを機会にその存在を思い出し、もうすっかり記憶が薄れているので再読することにしました。面白いことに、読む進む内に記憶が蘇ってきて、一種の「デジャブ」を味わうことができます。ただ「あらすじ」は記憶から出てくるのですが、文体が持つ香りというか味わいは記憶からは出てきません。もしかしたら記憶は「論理」や「記号」を保存するのは得意でも「感覚」の情報を保存するのは不得意なのでしょうか?
 13世紀のケルン。「都市の空気は汝を自由にする(農奴であっても都市に逃げ込んで1年が経てば、もう自由民扱いとなる)」という言葉がすでにこの時代のドイツで生まれていたのかどうかは知りませんが、ともかく田舎からケルンに逃げ出した「狐のヤコプ」は、自由な、しかし極貧の生活をしています。それとは対照的に、都市の支配階級は、何か陰謀を企んでいて、その邪魔になる者は容赦なく排除(要するに殺すこと)をしていました。普通だったら交わらないはずのヤコプと貴族が、一瞬交叉してしまいます。それはヤコプにとっては不運でした。1グルデンを得、そのかわりに殺し屋を差し向けられることになったのです。
 このあたりの文体は「闇の雰囲気」です。ひたすら重苦しいスリルとサスペンス。貧乏人の暮らしはもちろん苦しいものですが、貴族の生活も決して明るくはありません。陰謀と外部との権力闘争と内部の権力闘争とが常に支配者たちにつきまとっています。
 ところがヤコプが「西国一きれいな鼻の持ち主」であるリヒモディスと出会ってから、文章の雰囲気ががらりと明るくなります。特にリヒモディスの父と伯父との議論(というか、悪口の言い合い)は漫才顔負けのやり取りです。特にリヒモディスの伯父のヤスパーは「頭を使うこと」を知っています。これは当時の世界ではとても珍しい資質のようです。


地震予知の前のワンステップ

2016-11-23 17:54:32 | Weblog

 地震の予知は難しそうです。ただ、何も手がかりがないところでの予知が難しいとしても、「手がかり」がある場合の予知はどうでしょう。たとえば「東日本大震災」では本震の二日前、「熊本」では「一日前」に「前震」があったわけです。だったら、1回地震があったらそれが「本震」なのか「前震」なのかの判断はできません? もし「前震」だと判断できたら「次に本震が来るぞ」と「予知」できることになりますが。もしもそれさえできない(実際に起きた地震の正しい評価さえできない)のだったら、もう「地震予知」なんて努力は、無駄でしかないと私には思えます。

【ただいま読書中】『ポンコツズイ ──都立駒込病院 血液内科病棟の4年間』矢作理恵 著、 集英社、2016年、1400円(税別)

 「タフガール」として、遊びも仕事もばりばりやっていた著者は、身体の不調にも悩んでいました。あまりの不調に飛び込んだクリニックでは、「これはなんらかの疾患」として血液内科に紹介されてしまいます。著者の希望で受診した都立駒込病院では「これはなんらかの血液疾患」として、すぐに入院を、との宣告。著者は「否認」が機能しているのか、骨髄検査を受けても「セカチューの骨髄検査で長澤まさみの痛がりかたは、オーバーアクティングだ」なんて感想を持っています。入院して2週間、遺伝子レベルまで検査して下された診断名は「特発性再生不良性貧血」。要するに、本来はせっせと血液の細胞を製造している骨髄がストライキをしている。その原因は自己免疫。
 治療法は、対症療法としては、輸血。もっと突っ込んだ治療法は、骨髄移植。
 同胞間骨髄移植(兄弟姉妹からの骨髄移植。HLAの適合率は25%。著者の場合は兄が対象)は著者は受けられなかったため、次の手段はATG療法となります。これはウサギで作った免疫グロブリンを点滴して、造血細胞をせっせと壊しているT細胞を押さえることで造血機能の回復を見込む療法です。これは、病気が早期発見された場合にはけっこう有効な療法だそうですが、著者はあまりに長く“我慢”をしていたためでしょう、1年効果を待っても全然効きませんでした。それどころか、副作用のてんこ盛り。
 著者は自身の重症化のことを「沖を漂流中」と表現しますが、そういったときの友が真の友です。著者は「ワルの情の厚さも重症化する」なんて偽悪的に表現していますが。
 ATGが効かないとなると、次は「非血縁ドナーからの骨髄移植」です。そこで著者は悩みます。臓器提供意思表示カードに「○」を書くのに著者は悩みませんでした。役に立つのなら使って欲しい、とシンプルな発想です。しかし「もらう側」に立つと、悩みが生じます。それでもレシピエント登録に踏み切ったのは「骨髄は再生可能」だからでした。
 まずデータベースでHLA型の検索。HLAはA座B座C座DR座それぞれに2つ、計8つの型があり、そのすべてが同じ(フルマッチ)人が見つかる確率は非血縁者では数百万分の一。しかしDR座の1座だけ合わない場合はフルマッチとほぼ同じ移植成績になります。著者とHLA型が合いそうな人は数人、そこに日本骨髄バンクから郵便が送られ「OK」の返事を待ちます。著者の場合3人もOKをくれました(ドナーの検査費用はレシピエントがもつので、その請求書から人数はわかるのです)。そしてついにドナーが決定。
 めでたしめでたし……ではありません。実はここから著者の人生最大の「悪夢」が始まるのです。
 まず「ドナーの骨髄細胞」が定着できるように、「自分の骨髄細胞」を全部殺します。全身に放射線をかけ、致死量ぎりぎりのエンドキサン(抗癌剤)を投与。「もう死ぬ」というところで、ドナーの骨髄細胞を点滴します。ところが、エンドキサンの点滴が地獄の苦しみでした。吐くものがなくても吐き気が続き、幻覚が見え、薬のまれな副作用で心臓が弱ります。そして放射線照射。全身が焼けるような感覚です。
 やっと前処置が終わって、本番の骨髄移植。見た目にはただの点滴でしかありません。ところがここで著者はまれなアレルギー反応に苦しみます。免疫は破壊してあるはずなのに、骨髄移植の経験豊富な主治医も見たことがないくらいの反応が出てしまいます(著者は、健康なときにもアルコールアレルギーがすごいし、病気になってからもやたらとアレルギーが出る体質でした)。そして、心臓が止まりかけます。血圧は、上が49下が38。意識があるのが不思議です。
 枕元に駆けつけた家族や友人と最後のお別れをすましたら、あら不思議、心臓が復活。よかったよかった、と安心して10日後にまた瀕死の状態に。主治医は「このままだと余命2日」と宣告します。で、ここであきらめるか、奇跡的な回復を期待して気管内挿管をするか、の決断が著者本人にゆだねられます。
 ……この本が書けたのですから、著者が死んでいないことは“大前提”なのですが、それでも読んでいて胸が締めつけられます。ただ、著者は“思い入れたっぷり”ではありません。どことなく自分自身をも突き放したような場所から自身の闘病記を語り続けます……というか、闘ってはいませんね。著者は自分の病気と一緒に生きているようです。あるいは「自分の病気」というか、「病気とともにある自分の肉体」に魂が寄り添って一緒に生きている、ということなのかもしれません。
 著者が自分で「文章力は高くない」と言っています。たしかにその傾向は認められますが、でも、ライブ感覚の「骨髄移植体験記」には、少々の文章力の問題など吹き飛ばしてしまう「ちから」があります。


洗剤一滴の連続

2016-11-22 06:52:56 | Weblog

 油汚れがひどい食器洗いに、一滴垂らすだけで擦らなくてもすーっと油が浮いて流れてしまう、というテレビコマーシャルを時々流しています。もしそれが本当なら、日常的にその洗剤を台所で使っていたら、流しから常にその洗剤が溶けた液が流れているわけですから、流しからの排水パイプの内側もぴかぴかになるのでしょうか?
 そんなに人生は、楽じゃない?

【ただいま読書中】『島へ免許を取りに行く』星野博美 著、 集英社、2012年、1500円(税別)

 40歳を過ぎて人生に煮詰まってしまった著者は、「免許を取ろう!」と思い立ちます。それも「環境の良いところで集中できる合宿免許」。そこでやって来たのが、五島・福江島の教習所、もとい、自動車学校です(ここの教官によると、この2つはまったくの別物なのだそうです)。なぜか厩舎がついていて、暇なときには、自動車ではなくて馬に乗ることができます。学校の前はビーチ。
 一緒に合宿をやっている(あるいは通学をしている)若者たちは、次々卒業していきます。しかし著者は仮免さえなかなか受けられません。(私から見たら)信じられない苦労をしていますが、これは「運転ができる」と「運転ができない」の間の深い深い溝のせいでしょう。私自身は20歳くらいの時に免許を取りましたが、特に苦労なく取得できたものですから、こういった苦労をする人の辛さの本当のところはわかりません。ただ、著者がいろいろ聞き回った中で「アクセルを踏もうとしたら右手がハンドルを叩き、ブレーキを踏もうとしたら左手がハンドルを叩く(足に行くべき情報で手が動いてしまう)ため免許取得をあきらめた人」は確かにあきらめてくれて正解、とは言えそうです。もっとも私自身、これから年を取っていってどうなるかはわかりませんけれど。
 暇なときに島内をぶらぶらして著者はいろんなことに目を留めます。まずは物価の高さ(離島への輸送費が主原因でしょう)。その割に仕事が少ないこと。都会に出た子供は帰ってこない(帰ってきてもする仕事がない)。都会人が好む「豊かな自然」はありますが、そこで文化的に生きるのは大変です。「人の目」も大変なのでデートするのも一苦労です。おっと、「車がなければ生活がとっても不便」という現実もありました。離島と言っても、とっても大きな島なのです。
 著者は理屈を好むタイプの人のようです。とにかく「なぜそうなのか」がわからないと、そこから一歩も前に進めません(進みません)。一度思い込むとそこからなかなか抜けられません。運動神経の訓練が相当足りません。複数のターゲットに注意を分散してそこに優先順位を瞬時につけてざっとスキャンする、ということが苦手です(ひとつのものだけをじーーーーっと見つめていたいのです)。そのくせ動作は妙に素早い。
 危ないです。車の運転者としては、とっても危ないです。そんな人間を簡単に卒業させるわけにはいきません、というか、著者は仮免受験さえずーっと許可されません。ストレスでもう免許はあきらめようとしたとき「天使」が舞い降ります。
 寮に長くいたため(最短で16日のはずですが、著者は4週間もいました)「寮長」というあだ名をつけられてしまいましたが、そこでの出会いもいろいろでした。そこでの著者の人物観察と人物描写は、なかなか鋭いものがあります。いや、決めつけとか変な推測なんかありません。ただ淡々と著者との会話とか何気ない仕草とかを書くだけで、“その人の人間像”が私の脳内で浮き彫りになってくるのです。
 なんと、卒業検定には一発で合格(しかし、退寮前の“最後の晩餐”が、サザエとホットケーキですかぁ……)。東京に戻って受けた学科試験も一発で合格。おお、すごい、と思ったら、そこに地獄が待っていました。五島の道と東京の道は、違うのです。いやもう、最初から最後まで笑わせてくださいます。
 本書は、著者の「自分探し」というか「自分わかり」の旅の記録でもあります。「自分はこんな人間だ」という思い込みがいかに根拠がないものだったかを思い知らされる瞬間が次から次へと訪れます。「その人がどんな人間か」は、一緒に麻雀かゴルフをしたらわかる、というのが若い頃の私の持論ですが、「車の運転をさせてみたらわかる」もアリかもしれません。


政治将校

2016-11-21 06:52:14 | Weblog

 旧ソ連軍では、軍人とは別に「政治将校」が配属されていて、軍の政治的コントロールをしていました。純粋な軍人にはものすごく仕事がやりにくかったそうです。敵に勝つ最善の戦術であってもイデオロギーの観点から却下されることがありますから。
 文化大革命の時には、全国で、たとえば病院でも「毛沢東思想」が幅をきかしていました。「正しい思想」を示さなければ、いくらきちんと患者を治療しても評価されないわけです。これも一種の「政治将校」と言えそうです。だけど、軍事や医学に「政治」を持ち込んで、幸福になるのは、誰です?

【ただいま読書中】『はだしの医者 ──中国の医療革命』大森真一郎 著、 講談社現代新書、1972年、230円

 「驚異の中国医学」の実例として、1963年に世界で最初に「切断された腕の接合手術」が中国で成功したこと、が紹介されます。そして65年には腕よりもっと難しい手の指の接合にも成功した、と。
 ここで私は首を傾げます。それより少し後、リーダーズダイジェストの記事で、カナダでの切断された指の接合手術に成功した話を読んだ覚えがあるのですが、そこでは「標準手順では、まずビニール袋に切断された指を入れて密閉、それを氷水につけて運搬することになっている」とあったのです。理屈はわかります。切断面を直接氷水につけたら浸透圧の関係で組織が痛みますから。問題なのは「標準手順」の部分。もしかしたら、「世界で最初の成功例」と思っているのは中国だけなのでは?という疑問を持ってしまいました。で、調べてみたら、世界で最初の成功例は1962年マサチューセッツ総合病院のようです。
 文化大革命の時代、日本では結構好意的に報道されていましたっけ。「赤い表紙の毛沢東語録を握りしめて恍惚とした表情で語る人民」なんて姿がニュースに登場しているのを見た記憶がありますが、そこから現在の私が連想するのは「偉大な首領様」を湛える北朝鮮の人たちです。
 「聾唖者に鍼治療」の話もあります。独学の鍼医者がまず自分の身体に針を刺して効果を確認してから患者のツボに針を刺したら、生まれてから言葉を発したことがなかった女の子が「毛沢東万歳!」と言えたのです。いや、私は「鍼治療の効果」は身をもって知っています。ただ「毛沢東万歳!」と言わせるツボがあるとは知りませんでした。
 「はだしの医者」には、養成機関はありません。素人が現場で修業することで「医療衛生員」となり、農村での生産にかかわりながら治療も行っていました。大昔の「医者」が修業で育てられたのと発想は似ています。システミックな教育ではなくて、現場での体験と修行(と毛沢東思想)とで育てられる「医者」です。「とにかく医者の絶対数が足りない」「近代医学を導入する金がない」という中国の国の事情が大きいのでしょうが、もう一つ、毛沢東自身が近代医学に不信感を持っていたこと(『毛沢東の私生活』(李志綏)に具体的に書いてあります)も大きな要因でしょう。もう一つ「人民公社の治療機関を農民が使える」ことは、政府に対する人民の信頼感を増す、という政治的効果もあったでしょう。また「貧農の子でも、はだしの医者を真面目にすることで認められて医学専門学校に選抜されることがある」という“サクセスストーリー”も作ることができました。
 本書が発行された「昭和40年代の日本」は、今とは別の国です。一億総中流・終身雇用・中国に対しては低姿勢……そうそう、医者は威張っていましたね。そんな状況で日本は「はだしの医者」から“教訓”を得ようとしていました。「医療者の奉仕の精神」「社会全体での取り組み」などは今でも有効でしょうね。「西洋医学一辺倒ではなくて伝統医学も活かす」も。ただ、たとえば薬には「作用」だけではなくて「副作用」もあるように、「イデオロギーの医学への導入」や「はだしの医者制度」にも“副作用”があるはずなのに、まるで「そういったものはあり得ない」といった態度で礼賛する態度は、昔も今も好ましいものとは私には思えません。


成分名と製品名

2016-11-20 07:15:27 | Weblog

 「成分に○○を使っているなら商品名にその名称を使って良い」というルールがあった場合、原料の一部にブドウ糖を使ったらその食品の製品名を「ブドウなんちゃら」として良いでしょうか?

【ただいま読書中】『フードトラップ ──食品に仕掛けられた至福の罠』マイケル・モス 著、 本間徳子 訳、 日系BP社、2014年、2000円(税別)

 清涼飲料水を開発するとき、企業は「至福ポイント(糖分・塩分・脂肪分の配合がある値にぴたりと一致して、消費者が「もっと飲みたい」と思うようになるポイント)」を重視します。会社にとって「糖」「塩」「脂肪」は「重大な兵器」で、それは清涼飲料水だけの話ではありません。アメリカでは激しい開発競争と激しいマーケティング戦略と社会(特に子供の食習慣)の変容により、加工食品による「糖・塩・脂肪」の消費量が増大し、その結果肥満が蔓延しました。(以前タバコの時に見られたような)消費者の反発や政府からの規制を恐れた業界の一部の人は、1999年に対策会議を開催します。しかし、「経済」を最重要視するほとんどの企業のトップは、問題を先送りするだけでした。
 対策を考えた企業もありました。ところが「三大兵器」を減らすとコストは上がり加工食品の魅力は消え失せて売り上げは減り、すると株主と株式市場はその企業に“罰”を与えました。消費者だけではなくて、企業も「加工食品の罠」に捕えられていたのです。
 「糖に対する受容体」は、舌だけではなくて、食道・胃・膵臓にまで分布し、どれも脳の快楽領域につながっています。糖を加えるとドーナッツは膨らみ、パンは日持ちが良くなります。「販売量の増大」だけではなくて「製造コストの削減」からも「糖の使用」は企業にとって望ましいことなのです。
 「砂糖たっぷりのシリアル」が現在問題になっていますが、実はこれは本来は「健康食」でした。19世紀のアメリカ人の朝食は脂肪たっぷりのものでした。そのためジョン・ケロッグが「砂糖・塩・脂肪を極限まで減らした食事療法のサナトリウム」を作り、そこで朝食にシリアル(砂糖抜き)を出しました。ところが弟のウィルが砂糖を入れてみたら大ヒット。それ以来加工食品メーカーは「砂糖・塩・脂肪のどれかが社会問題になったら、それは減らして他の問題になっていない成分を増やす」戦略を採用するようになりました。
 コカコーラは糖分が非常に多いことで有名ですが、その人気の秘密は実は「味の特徴が際立っていない(バランスが重視されている)」ことと「マーケティング戦略」によります。「特別に美味しいから」ではないんですね。タバコ会社と食品加工会社の意外な関係も本書に登場します。
 「脂肪」では「チーズ」と「肉の脂肪」が取り上げられますが、糖分と違って脂肪には「至福ポイント(これ以上含まれると消費者がかえって離れていく量)」が存在しません。脂肪が多ければ多いほど消費者の脳(の褒賞系)は喜ぶのです。「肥満」と「発癌性」の面から警報が鳴らされますが、業界は政府と結託して“頑張り”続けました。
 そして「塩分」。昔のアメリカ人の食卓には塩蔵品がよく使われましたが、現在は加工食品から大量の食塩をアメリカ人は体内に取り入れています。そしてそれは日本人も同じことです。
 私を含む消費者は「食」に関して、「安さ」「コンビニエンス」「子供時代からの食習慣」に縛られています。その「縛られている」に巧妙につけ込むのが「マーケティング戦略」です。となるとまずは「自分が縛られていること」に気づき、ついで知識を集め、自分で判断するようにしないと、私たちは「食」に関しては誰かの奴隷であり続けることになりそうです。ちなみに“それ”ができている(大手加工食品会社の製品に頼らない食習慣を持っている)人に、その大手加工食品会社の重役たちが多く含まれているのは、なかなか示唆的です。