【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

「とゾンビ」の前

2015-08-31 06:48:58 | Weblog

 『高慢と偏見とゾンビ』という本を読み始めて、数ページでそのあまりの面白さに引き込まれそうになったところで、その元になった『高慢と偏見』をまだ読んだことがないのに気がつきました。図書館に聞くと在庫があったので、まずそちらから読むことにしました。

【ただいま読書中】『高慢と偏見(上)』ジェーン・オースティン 著、 富田彬 訳、 岩波文庫、1950年(62年19刷)、★★★


 いやあ、訳が上手いなあ。もとが名文でそれを素直に日本語に直しただけかもしれませんが、リズミカルにことばが躍っているようで、楽しく読み始めることができます。ただ、初っ端から舞踏会が始まって、登場人物が多すぎて、とりあえず誰が誰やら。
 18世紀のイングランド。男は階級と財産で評価されています。そして女性は美貌で。女性の人生の目的は、結婚です。それも、少しでも“上”の男との結婚です。
 眠ったような田舎町ロングボーン。その荘園に引っ越してきた資産家のビングリー。ロングボーンの紳士階級ベネット家(年収2000ポンド)には娘が5人もいて、そのすべてにきちんとした結婚相手を見つけようとベネット夫人は躍起となっています。長女は極めつきの美人(さらに人の欠点を見ようとしない純粋な性格)のジェーン。ビングリーにお似合いの相手に見えます。次女は(当時の女性には全然望まれていない資質である)知性と人の観察力に恵まれたエリザベス。ビングリーと同行している友人のダーシーは、最初は「自分より格下の田舎住まいの階級」に属する人々を軽蔑していますが、エリザベスが示す「知性のきらめき」に惹かれます。しかし、まさにその「軽蔑」をエリザベスは見抜き、ダーシーに反感を抱きます。「高慢だ」と。
 当時は男子一人が財産の跡継ぎとなる決まり(「限嗣相続」)だったため、子供がすべて女性のベネット家は、親類のコリンズ(牧師)を跡継ぎに指名していました。ところがこのコリンズ氏、悪い人間ではないのですが、慇懃無礼と鈍感と形式主義に洋服を着せたような男で、しかも結婚願望が非常に強い。(ダーシーに下品だと軽蔑されている)ベネット家の人間でさえ相手をするのに持てあまし気味です。それにしてもコリンズ氏がエリザベスにプロポーズするときの理路整然ぶりには、読んでいてこちらは苦笑するばかりです。これではまるで、企業との契約ではないか、と。当時の結婚は「事業」の一種だったのかもしれませんが。で、エリザベスの断りの返事もまた、コリンズの言葉の裏返しのように論理だったものになっているのが笑えます。さらにコリンズ氏は「候補者をリストアップして、上から順番にポロポーズをしていく」という実に“理路整然”たる行動で、しかもそれを周囲に開けっぴろげにしているのですから、ますます結婚が「事業」の様相を呈します。
 ベネット家の下の娘たちは格好良い陸軍士官に夢中です。これは最初から描かれているのですが、のちの大事件の伏線となっています。エリザベスも一時夢中になった将校のウィカムは、一緒に育てられたダーシーに巧妙に財産を奪われたと訴え、エリザベスのダーシーに対する反感はさらに募ります。
 話がごちゃごちゃしてきたところで、ビングリーたちはロングボーンの皆さんには一言の断りもなく、ロンドンに突然帰ってしまいます。恋をあきらめきれないジェーンはロンドンまで出かけますが、無駄足でした。ところが、このピングリーの行動の裏にダーシーの(ジェーンとピングリーを別れさせようという)意図があることをエリザベスはひょんなことで知り、ダーシーに対する反感をますます募らせます(そしてそれを周囲に隠しもしません)。ところがウィカムの言い分が一方的で実はその裏にも(ダーシーが正しいという)“事情”があるらしいこともエリザベスは知ってしまいます。
 またまた話はこんぐらがってきます。
 古いイエで生きる姉妹の物語ですぐ連想するのは『細雪』(谷崎潤一郎)です。どちらも大した事件は起きず、大陸〈中国とヨーロッパ)で起きている戦争も背景に引っ込んでいる点は共通しています。姉妹の中で「正しい結婚の模索」を繰り返す人と自由に恋愛しようとする人の対比がある点も同様。ただ、物語の雰囲気はずいぶん違います。『細雪』では舞台劇のように人々が読者の目の前で行動をしているのに対して、本書では「観察と分析」がけっこう容赦なく登場人物に対して行われます。それもどの人物に対しても。そのため本書では「キャラ」がどの人もびんびん立っています。『細雪』で、“中心”となっている雪子でさえ何を考えているのかよくわからなかったのとは対照的。まあ「違う作品」を無理に比較する必要もないのですが。


ブラジル

2015-08-30 07:21:01 | Weblog

 アマゾン、コーヒー、サッカー、サンバ、日本からの移民、南米では珍しくポルトガル語が公用語、オリンピック……などを思い出しますが、その歴史とか政治体制とか人種構成などに私はまったくの無知です。少しは勉強してもバチは当たらないだろう、ということで、一冊読んでみることにしました。

【ただいま読書中】『ブラジル国家の形成』伊藤秋仁・住田育法・富野幹雄 著、 晃洋書房、2015年、3200円(税別)

 コロンブスが“発見”した「インディアス」の領有に関して、ポルトガルはスペインとトルデシリャス条約を締結、現在のブラジルに当たる部分を領有することになりました。最初期の産品は「パウ・ブラジル」という木材だけ。16世紀にはサトウキビが導入され、労働力として最初は先住民、ついでアフリカの住民が奴隷として使われるようになります。1451年~1870年にブラジルに約365万人の黒人奴隷が輸入されたそうです。18世紀に奥地で金鉱が発見、一攫千金のチャンスは、社会に「流動性」をもたらします。
 本国のポルトガルは、スペインやイギリスやオランダとの対立に忙しく、ブラジルの富はどんどん吸い取られます(1755年のリスボン大地震の復興財源にも、ブラジルからの税収が充てられました)。「ブラジル人」という意識を持つようになっていた人々は、独立運動を始めますが、ことごとく潰されました。ナポレオンの圧迫に耐えかね、ポルトガル王室は(イギリス軍に護衛されて)ブラジルに移転します。亡命政府というか、亡命王室です。ワーテルローの戦い以後もポルトガルに駐留するイギリス軍に対してポルトガルで革命が勃発。ブラジルのジョアン6世の帰国を要請します。ジョアン6世はペドロ王子を摂政に指名してブラジルに残して帰国。ペドロ王子は独立を宣言して、ブラジル帝国が成立します。しかし国家の基盤は脆弱で、内乱が相次ぎます。対外的には、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイが同盟を組んでパラグアイと戦った「パラグアイ戦争」が起きました。
 コーヒーがブラジルにもたらされたのは、18世紀前半のことでした。ちょうど金鉱石が枯渇するのを補うかのように、コーヒー生産量は増加します。18世紀半ばには奴隷制廃止論が持ち上がりますが、それが現実のものとなったのはイギリスの圧力によってでした。1825年にイギリスはブラジルの独立を承認しますが、それとひきかえに奴隷制廃止の条約をブラジルに認めさせたのです。ブラジルの対英感情は緊張し、奴隷の密貿易が横行することになります。イギリスは海上取り締まりを強化し、奴隷の値段は跳ね上がります。そして1850年にブラジルは「エウビゼオ・デ・ケイロス法」という奴隷貿易禁止法を発布しました。国内では「不純な血」を持っていることが奴隷という身分の正当化に使われていました。したがって混血は奴隷人口を増やす作業でした。しかし1865年にUSAで奴隷制度廃止が行われ、ブラジル国内でも奴隷廃止運動が盛り上がっていきます。しかし、大地主などの抵抗も頑強でした。それでも1888年に全奴隷解放令(「黄金法(アウレア法)」)が可決されます。日本では明治21年です。解放奴隷に対する社会的支援はなく、無知文盲の段階に強制的にとどめられていた奴隷たちは、「ブラジルの『血』を向上させるため」に導入されたヨーロッパからの白人移民との競争の場に放り込まれます。かくしてブラジルの黒人は、奴隷という身分から解放されると貧民という階級に移行することになりました。これは人種差別には非常に都合の良い“証拠”でした。
 長く続いた帝制に対する反発が強まり、1889年にクーデターが起きます。ブラジルは共和制に移行しました。1910年に数年間限定でしたが、ゴム景気が起きます。州政府の寡頭政治で動く第一共和政への不満から1922年に若手将校によるクーデターが発生、各地に暴動が広がります。さらに29年の世界恐慌。ブラジルは混乱し、30年に「ヴァルガス革命」が起きます。文民のヴァルガスは軍部を巧妙に操り独裁体制を完成させました。ヴァルガスが下野した45年からブラジルは工業化の道を歩みます。それが行き詰まると64年にまた軍事クーデター。85年まで軍事独裁が続き、そこで民政に移管します。
 しかしブラジルでこんなにクーデターが起きていたとは知りませんでした。知らないからこそ、この本を手に取ったわけですが。それと、昭和の時代に「ブラジルには人種差別は存在しない(様々な人種が共存している)」と聞いたことがありますが、それは嘘であることも本書で確認できました。まあ、日系移民が差別されていたことは知っていたので、人種差別がしっかりあることはうすうす予想はしていたのですが。


台湾の親日派

2015-08-29 07:09:54 | Weblog

 台湾には親日派が多く、それが「戦前の日本の植民地支配は良いことだった」と主張する人たちの論拠になっているようですが、もしかしたら(日本敗戦後に台湾を支配した)国民党政府に比較して「日本の方がまだ良かった」と言っている人も多いのではないか、と思いつきました。もしこれが正しければ、韓国も、もしかしてソ連に支配されていたら「まだ日本の方が良かった」と言う人が多くなっていたかもしれません。あくまで相対的な話で、「植民地支配は絶対的に良いものだ」と主張する根拠にはならないのですが。

【ただいま読書中】『台湾・少年航空兵 ──大空と白色テロの青春期』黄華昌 著、 社会評論社、2005年、2000円(税別)

 1929年(昭和四年)著者は台湾で生まれました。当時、台湾人は「チャンコロ」と日本人から蔑まれていましたが、台湾人の漢族の中でも少数派の広東系「客家(はっか)」は多数派の福建系から蔑まれていました。著者は貧しい客家出身で、この二重の差別構造の中からどうやって這い上がろうとしたかの半生記です。
 台湾の小学校は、日本人用の尋常小学校と台湾人用の公学校に分けられていました。ただし台湾人でもごく少数の“エリート”の子弟は尋常小学校に入学を許されます。著者は当然のように公学校ですが、成績優秀で体格も良く、さらにいたずらが大好き、という少年をやっていました。差別する人間を見返し出世するために師範学校を志望しますが、戦争や差別などで断念。そこで少年航空兵を志願、1943年(昭和十八年)厳しい第一次選抜を突破します。とたんに、著者や一家を差別していた人々の態度が豹変します。第二次試験は東京陸軍少年飛行兵学校。しかし東京への航路は、米軍潜水艦によって危険水域になっていました。船団は次々魚雷攻撃を受け、著者が乗る富士丸も沈没。救助されてやっとの思いで日本に上陸し、大津で第二次試験を受けてそのまま大津少年飛行兵学校に入学します。東京だけでは養成が間に合わないので大津に分校ができていたのでした。44年10月熊谷陸軍飛行学校に進学して操縦を習い始めます。しかし、激しい体罰を受けるたびに反逆精神がむらむらとかき立てられる著者の筆致に、私は共感を覚えます。殴ることが優秀な操縦者や愛国者を製造する手段とは思えませんので。
 昭和20年、学徒出陣で入隊した特別操縦見習士官(特操)や中学卒業で入隊した特別幹部候補生(特幹)の訓練が少年兵より優先されることとなり、著者らは繰り上げ卒業でそのまま実戦配備されます。結局特操や特幹は特攻でどんどん殺され、著者は生き残ったのですから、運命はわからないものです。著者が配備されたのは立川基地で、任務は整備。それと小型機に対する対空防御と戦車に対する肉弾攻撃の訓練。しかしそこでの選抜で、著者は(航空兵の最高学府)豊岡陸軍航空士官学校に合格します。また「空」に戻れるのです。飛行技能はぐんぐん上達しますが、目的は沖縄特攻。兵10人を乗せた大型木製グライダーで沖縄の敵基地に強行着陸して戦う作戦です。しかし沖縄戦が終了。次の訓練は体当たりの特攻。そして8月15日。雑音だらけの玉音放送を聞かされた後、著者は隊長から短剣を押収され、基地で真っ先に武装解除をされてしまいます。同期生たちはバラバラに故郷に帰っていきます。行き場所のない台湾出身者4名は残務整理として基地に残留しますが、突然の除隊命令。敗戦国「日本」の中の「台湾出身者」として、著者らは途方に暮れます。何をするにしても「戸籍登録のある日本人が優先」なのですから。ともかく48時間すし詰めの列車に乗って長崎へ。被爆の惨状に驚きながら、台湾への船便を探します。
 やっとの思いで帰り着いた台湾は“戦勝国”となっていました。さらに、日本に替わって台湾を支配した国民党政府は、台湾人の憎悪の的となります。「まだ日本の方が良かった」と。そして、台湾人と外省人とが殺し合う「二・二八事件」が勃発します。国民党政府にとって台湾は「日本軍国主義に染められた台湾人」と「共産党のシンパ」が暗躍する土地だったようで、台湾をきちんと支配するためと内戦からの避難地を確保するために、逮捕と拷問と虐殺が横行します。そこで著者は「思想犯」として、10年間の徒刑(島流しの刑)を喰らってしまいます。
 著者は、選択の余地がある場合には意地を張って反逆の方向に選択をしてしまう傾向がある人のようです。ただ、小利口に立ち回るのではない人の人生は、本人は大変でしょうが、安全地帯にいる読者からはその「時代」と「社会」が見事に読み解けて、とても参考になります。


身近なもののけ

2015-08-28 09:42:49 | Weblog

 「KY」が読むべき「空気」は、妖怪や幽霊と同じく“実在”はしないのに、妖怪や幽霊よりも日常的に人に対する影響力が強いのが、ちょっと困ったものに思えます。

【ただいま読書中】『陰陽師 ──生成り姫』夢枕獏 著、 朝日新聞社、2000年、1400円(税別)

 シリーズ第4巻ですが、本書は、朝日新聞に連載された関係で、文藝春秋社からの発行ではありません(ただし文庫本は文春文庫です。権利関係はどうなっているんでしょうねえ)。また、シリーズ初めての長編です。新聞で初めて「陰陽師」という言葉に出くわすであろう読者のために、プロローグで親切に陰陽師についての解説がありますので、本書から本シリーズにはいるのも、一つの手だろうと思います。
 本書は、以前あった短編の「鉄輪」がベースとなっています。しかしさすがに長編、じっくりと書き込まれた平安の闇は、読者の心の中だけではなくて体の外も包もうとする力を持っています。
 それにしても、人が鬼になるとは、悲しいことです。これが単に恨みから鬼になって単純に暴れ回っているだけだったら、まだ話は簡単です。人に仇なす鬼を退治すれば良い。だけどその「鬼」が、自分と関係のある人だったら? さらにその「鬼」が、自分が鬼になろうとしていることを自覚しそのことを悲しんでいたら? 「鬼になる自分」を他人に目撃されることを恥じていたら?
 人の心の中には「鬼」が住んでいますが、鬼ではないものも同じ人の心の中には住んでいます。鬼を退治しようとする人の心の中にさえ「鬼」と「鬼ではないもの」とがいるのです。そういった「存在」に、陰陽師はどう対処したらよいのでしょう。呪を返して鬼を退治する方法は、様々な事情から今回はできません。表面上はクールに見える安倍晴明ですが、実は悩んでいます。
 物語は、悲しい結末を迎えます。というか、ハッピーエンドはあり得ないでしょう。ただ、一筋の救いが安倍晴明と源博雅のために、そして読者のために残されていました。とても悲しい哀しい救いですが。
 しかし、安倍晴明と源博雅は本当に良いコンビです。この二人の生き方を見ていると、「人生」とは「個人が生きること」ではなくて「人と人とが生きること」なのかもしれないと思えます。


特攻

2015-08-27 06:59:09 | Weblog

 特攻と言えば「カミカゼ」ですが、これは海軍の特攻で、陸軍は「振武」だった、というのはご存じです?
 ところで戦争中に米軍は「カミカゼ・アタック」と呼んでいたようですが、どうやって隊の名前を知ったのでしょう?

【ただいま読書中】『海図』ロム・インターナショナル 編、河出書房新社、2015年、620円(税別)

 海図は大きく不正確なものです。まず大きさですが「全紙」という新聞紙2枚分の大きさ。水深表示は、「10」と書いてある地点は干潮時に水深が10mになる一つ手前の「11m」の地点です。間違えても船が座礁しないように安全側に表記がずらしてあるわけです。また、ディバイダや定規で正確な距離を測定できるように、売り場では折り目をつけないようにして販売されます。したがって専門書店かネットでないと売っていません。海図は地図よりも高価ですが、その一番の原因は「紙」です。濡れても大丈夫な特殊な紙が用いられています。
 海図を使用するときには、鉛筆と定規で航路を書き込みディバイダで距離を測定します。航海がすんだら消しゴムで線を消し、また新しい航路を書き込みます。なんともアナログです。ただ、車が道路地図からカーナビに移行したように、海でも「シーナビ」が活躍し始めています。ただ、普及はあまりしていません。シーナビのシステム一式は1000万円以上もするから、そう簡単には買えないのです。
 国境や領有権についてもきな臭い話が次々登場します。「島」だと200海里の排他的経済水域だけど「岩」だと12海里だけだそうです。だから中国は「沖ノ鳥島」を「島ではなくて岩だ」と主張するのですが、その中国が南シナ海では岩礁をどんどん埋め立てて強引に「島」にしているのですから、笑ってしまいます。そうそう、「海」だと領有国が海底資源の領有権を主張できますが、「湖」だと沿岸国の共有財産です。そこで問題になるのがカスピ海。ここもずいぶんきな臭い主張が各国によって行われているそうです。
 もっときな臭いのは北極海。天然資源の宝庫であることが注目されるようになって各国が「権利」を主張していますが、ロシアは自国の大陸棚が北極点まで到達している、と主張して、北極点の真下の海底(水深4300m)にロシア国旗を設置しているそうです。
 立体的な「海図」もあります。海水温地図です。人工衛星の観測で深さ300mまでの海水温の分布図が作れるようになりました。これは漁業に対しては大きなメリットです。魚が好む水温のところに網を入れれば良いのですから。
 地球温暖化で海図から砂浜が消えていく、という話もあります。海面が上昇すると砂浜が海に削られていくのです。先の話、と思っていたら、日本ではこの10年で砂浜が削られたために閉鎖された海水浴場が28箇所だそうです。人工的な工事による悪影響が大きいようですが、温暖化の悪影響も実はもう「始まっている話」なのかもしれません。
 海図は常に変化するので不断のアップデートが必要なのだそうですが、将来の海図で世界はどのような形をしているのでしょうねえ。


パラダイスが“ある”場所

2015-08-26 06:57:48 | Weblog

 「パラダイス」や「ユートピア」は、地獄の対極の存在です。天国の住人はそのことについて熱心に語ったりはしないでしょう。それは“当たり前”の存在ですから。パラダイスやユートピアは、地獄の中でこそ夢見られ語られるものなのです。

【ただいま読書中】『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット 著、 高月園子 訳、 亜紀書房、2010年、2500円(税別)

 災害映画では、「ヒーロー」は理路整然と行動して人々を救い、救われる人々(群集)はパニックになって右往左往するだけです。だけど、それはどこまで「現実」を反映しているのか、と著者は過去の事例を調べました。
 USAで20世紀最大の自然災害は、1906年のサンフランシスコ地震だそうです。人々は呆然としますが、自然発生的な「迅速で無償の愛の行為」が被災者の間では見られていました。ところがこういった無償の市民の行為を「規律を乱す暴徒」と見なす人たちがいました。行政当局や進駐してきた軍隊です。市民による消火を禁じ巨大な防火帯を作ることを命じたのですが、そこで使われた黒色火薬によって発生した火がかえって全市に広がってしまいました(アルコール貯蔵所を軍が爆破して、大火災をわざわざ発生させた例も紹介されています)。
 大災害の場合よく「パニックによる暴動」が起きると言われます。しかし実際にはそういった暴動は数少なく、「人災」を起すのは「パニックになった権力者」「パニックになった軍隊」のようです。射殺された「暴徒」の数は正確にはわかりませんが(死体は火災の中や湾に放り込まれました)、その中には、瓦礫の中の犠牲者を救おうと掘っていた人や避難所に食料を運搬中の人が「略奪をする暴徒」として射殺された例も混じっています。
 もう少しソフトな「市民の敵視」もあります。たとえば、「避難所には健康な男女がぐうたらしている」といった言説。ちょうど“良い場所”にあるチャイナタウンを強制的に移動させようとする人種差別的政策も立てられました(結局この案は潰されましたが、成功していたら「この地震で最も成功した略奪」と呼ぶことができたでしょう)。市民のために無料運行していた路面電車を、「自分の会社の路面電車の儲けが減る」と運行差し止めを求めた大金持ちの話には、げんなりします。もちろん「良いこと」をした権力者や軍人の方が数は多いでしょうが、問題はそういった「力を持つ人たち」が「自分の利益」を優先したことです。
 「9・11」で殉職した消防士は343人。彼らはもちろん「ヒーロー」で「テロの犠牲者」ですが、中には「システムの犠牲者」も混じっていました。たとえば、すでに捜索したフロアをきちんと記録していたら、捜索に回す消防士の数はもっと減らすことができました。火災は消火不能と判断が出ていて、しかもビルの中に消火ホースも配置されていたのに、彼らは重いホースを担いで階段を上らされました。不要な苦痛です。さらに、自分の体験を正直に話したのにメディアによって「英雄」に仕立て上げられてショックを覚えた消防士も多くいるそうです。ジュリアーニ市長は緊急対策センターを立ち上げていましたが、それは(多くの反対があったにもかかわらず)世界貿易センターに設置されていたため早々に機能を停止し、そのために救急隊員の犠牲が増えた可能性が大です。
 ここでも、自然発生的な「迅速で無償の愛の行為」と「市民の敵視」が観察されました。ただし敵視されたのは「テロリストに似ている市民」です。だけど……あの日にテロリストに本当に対抗できたのは、ユナイテッド航空93便に乗り合わせた乗客と乗務員(一般市民)だけでした。実は大切な情報を持っていた「上の人たち」は、何もできなかったのです。そしてそれを埋め合わせるためであるかのように、フェミニズムを攻撃し(「フェミニストによってアメリカが弱体化した!」がその理由でした)国内に恐怖を掻きたて、戦争に走りました。著者はこれを「エリートパニック」と呼びます。
 そして「ハリケーンカタリーナ」。高潮に追われ、やっと助かって安全な地を目指した被災者を迎えたのは、銃口でした。嵐(自然災害)は堤防決壊(非自然災害)を引き起こしましたが、被災者を凶悪犯罪者と決めつける「エリートパニック」による支援の拒絶、という人災も引き起こしていたのです。
 たしかに略奪行為はありました。しかしその中には「窃盗」ではなくて「(災害地でサバイバルをするための)調達」もあります。そして、略奪者の中には警察官も含まれていました(ビデオ映像が残っています)。後日営業を再開したときに広告看板に「ニューオリンズの警官もご愛用」と入れたキャデラック代理店もあります(この店では在庫をすべて警官に奪われました)。当時のメディアは、必要な物資を調達するアフリカ系アメリカ人のニュース写真には「略奪」、同じことをする白人の写真には「必需品を調達」とタイトルをつけました。非常にわかりやすい態度ですね。なぜ「調達」が必要になったかと言えば、市内からの避難が許可されず、支援物資が届かなかったからです。そして、不必要な死が発生します。それも、大量に。なぜ支援物資が届かなかったかと言えば「市内は暴徒で危険」という噂を信じて政府機関が動かなかったからです。さらに噂が嘘だとわかって動き出したときには、まず「契約」が必要でした。契約した会社はバスを探して下請け業者とまた「契約」を結びます。下請け業者はそれから機材と人員の手当てをします。メディアは必死に「レイプ」「スナイパー」「略奪」「人質事件」をでっちあげて報道を繰り返します。散々ニューオリンズの評判を落として、それに飽きたらこっそりとそういった報道をやめて次のソースに食いついていくのですが、結局明確な撤回報道はなされませんでした。だから当時の扇情的な虚報道を今でも信じている人はけっこう多いそうです。政府から真っ先に届けられたのは、ライフルに実弾を込めた兵隊でした。ニューオーリンズの被災者たちは救われるべき「人」ではなくて制圧するべき「敵」として扱われていたのです。著者が広範な聞き込みをした結果、たしかに被災地に「殺人者の集団」は存在しました。たとえば「動く黒人は片っ端から撃ったことを自慢する白人の自警団」が。本当に「自慢話」をしているのです(人命救助をしていた人が「怪しい黒人だ」と自警団によって撃たれ、やっと命が助かった例などが紹介されています)。さらに政府も、被災地を封鎖して被災者の避難を許さないことで、殺人に荷担しました。もっとも政府は自慢話はしないようですが。
 本書で紹介される他の例、ハリファックスでの大爆発、ロンドン空襲、メキシコシティ地震などからも見えるのは、「人の本性」です。大災害の現場で、多くの人はほとんど反射的に性善説で動くようです。しかし少数の性悪説の人たちが、暴力に走ります。そして性悪説の人たちは「暴徒」だけではなくて、なぜか「権力の側」に多く存在しています。権力そのものになにか性悪説を惹きつけるものが内在している(そして、性悪説の人ほど出世しやすい)のかもしれませんが、それはともかく、困るのは「権力」と「メディア」がタッグを組むと、社会も歴史もそれに従って動いてしまうことです。
 私にできることはなんだろう? 大災害に遭ったとき剣呑な噂を聞いたら、それを裏付ける人は誰?物的証拠は?と聞くことかな。


変貌する日本の形

2015-08-25 06:48:04 | Weblog

 地図にはしっかりと海岸線が描かれていますが、これって、満潮と干潮、波が打ち寄せたときと引いたときとで、とっても大きな差が生じません? 

【ただいま読書中】『ネバーウェア』ニール・ゲイマン 著、 柳下穀一郎 訳、 インターブックス、2001年、2400円(税別)

 今年4月18日に読書した短編集『壊れやすいもの』と同じ著者の長編です。
 ピーター・パンはネバーランドですが、こちらは同じロンドンが舞台でもネバーウェア(Neverwhere)です。
 ホームレスの恰好のドア(Door)という名前の少女が殺し屋に追われて路傍に血まみれで倒れているのに出会って、リチャードの運命は変わります。婚約を破棄され鼠に謝罪しマンホールに潜り込むことになるのです。さらには、社会的な透明人間になり(職も住居も失いクレジットカードは停止され、誰に話しかけても相手にしてもらえません)、さらには殺し屋に「生きたまま自分の肝臓を口に突っ込んでやる」と脅迫されます。リチャードは“上のロンドン”から地下世界に潜り、人を喰らう夜の闇の橋を渡ります。リチャードは上のロンドンでは(それほど有能だったとは言えませんが)金融マンとして一応の仕事はできていました。しかしこの地下世界では徹底的に無力です。鼠の方がよほどきちんと力強く生きています。小突き回され侮辱され無視され搾り取られたリチャードは、やっと「目的」を得ます。ドアと一緒に天使を探すのです。向かうのは「上のロンドン」の大英博物館。
 しかし、みごとな「常識人」であるリチャードは、その常識が通用しない異世界で、自分が何を頼りに生きていくのか、少しずつわかっていきます。本人にはその意識は全然無いのが笑ってしまいますけれどね、これは著者の筆の冴えと言えるでしょう。「主人公の成長」を描いた点では、本書は昔の教養小説の21世紀版と言えるのかもしれません。ただ、その舞台の異世界ぶりは徹底していますが。
 そうそう、「ドア」の持つ異能は、この異世界でも異彩を放っています。名は体を表す、とは言いますが、だったら彼女の兄(名前は「アーチ」)の能力は何だったのだろうか、なんてことも思っちゃいますね。
 現実の「大都会」の“裏側”ではなくて“下側”に“異世界”が広がっている、というのは、なかなかダークで壮大なファンタジーの舞台です。残念ながら著者は(まだ)書いていないようですが、続編が読みたくなってしまいました。


夏休みの終わり

2015-08-24 06:45:02 | Weblog

 私の時代には「夏休みは8月31日まで」で、寒冷地だけ冬休みを長くするために1週間とか2週間早く2学期が始まる、がキマリでしたが、最近はけっこうバラバラになっていますね。
 ただ休みの最後の日が近づくと「宿題をやってない」の悲鳴が日本中で上がっているのは同じようです。
 ところで、もしもとても痛い目に遭って悔い改めたら、同じことは繰り返しませんよね。それなのに毎年毎年8月の終わり頃に同じ悲鳴を上げている人は、どうしてその行為を繰り返し続けるのでしょう?
1)記憶力が無い
2)本当は痛い目に遭っていない
 のどちらかかな?
 1)だとこれは仕方ないですね。だけどまったく記憶力を欠いていたら、学校生活も家庭生活も送れないはず。すると2)の可能性? たとえば「悲鳴を上げたり泣いていたら、親が手伝ってくれた」だったら、これはちっとも痛くないわけです。それどころか「困ったら悲鳴を上げたら、誰かが何とかしてくれる」という“人生の教訓”を学べたわけ。まあ、それで一生が過ごせるのなら、それはそれでけっこうなことなのかもしれませんが。

【ただいま読書中】『昆虫たちの変態』海野和夫 著、 誠文堂新光社、2011年、2200円(税別)

 夏休みの自由研究の参考書に使えそうな本です。様々な昆虫の幼虫と成虫、完全変態の昆虫ではその蛹の写真が掲載されています。あまり見たくはないのですが、ゴキブリも登場します。彼らは不完全変態で、幼虫の時は細っこくて白いゴキブリですが。
 ところで、蛹の中では一体何が起きているんでしょうねえ。日付ごとに蛹を開けてみたくなりましたが、これをやっちゃうと、殷の紂王が妊婦の腹を裂いて胎児の発育状況を観察したのと同様のことを昆虫に対して行うことになっちゃいます。やっぱり残酷ですよね。
 ところで、どうして「変態」という手間を成長にかけるのかはわかりませんが、昆虫がこの地球上でこれだけ大繁栄しているところを見ると、その戦略は間違いではなかったようです。人類も行き詰まったら、この変態を採用したら、次のステージに進めるかもしれません。これって、変態の発想?


静物画の果物

2015-08-23 08:30:11 | Weblog

 静物画での重要な題材の一つが果物です。これって「時の流れ」の表現でしょうか? 今目の前にある「一つの蜜柑」も、かつては木に生っていて将来は食べられるか腐るかして原形をとどめなくなるという“時の流れ”の具現なのですから。

【ただいま読書中】『柑橘類と文明』ヘレナ・アトレー 著、 三木直子 訳、 築地書館、2015年、2700円(税別)

 イタリア料理に最初に定着した柑橘類はダイダイでした。この木には耐寒性があり、様々な柑橘類の接ぎ木の台としても重宝されました。16~17世紀の料理のレシピにも「調味料」「皿の飾り」としてダイダイが大活躍しています。砂糖漬けの皮は薬としても用いられました。本当に甘い「スイートオレンジ」が中国からやって来たのは17世紀半ば。その甘さは衝撃的で「オレンジのふりをしたマスカット」と言う人もいたそうです。
 ミカン属はもともとは「マンダリン(中国原産)」「ブンタン(マレーシア、マレー諸島)」「シトロン(ヒマラヤ)」だけですが、他家受粉を平気で行って交配種をどんどん作ります。オレンジとダイダイはマンダリンとブンタンの、グレープフルーツはブンタンとオレンジ、レモンはシトロンとダイダイの交配種です。さらに突然変異も生じます。そういえば甘夏は夏みかんの枝変わり(突然変異)でしたね。メディチ家には柑橘類の一大コレクションがあり、それは今でもいくらか伝えられているそうです。
 レモンは、壊血病予防に大きな役割を果たしましたが、シチリア島ではマフィアを育てるのにも大きな役割を果たしたそうです。マフィアの御先祖は、レモンの大農園を所有する人たちだったのだそうです。
 著者はあちこちで様々な柑橘類を食べます。生であるいは調理されたものを。そして、その味(甘み、酸味、苦み)のバランスについて一つ一つ感動を覚えます。そういえばマーマレードも、この味のバランスを楽しむものでしたね。それと舌触りと。さらに果皮(精油)の独特の香りも柑橘類の魅力を構成する必須の要素です。
 本書にはイブレアのオレンジ合戦も登場します。著者は当然のように参加しますが、節分で豆をぶつけるのとは違っていて、イタリアの文化と(ナポレオン時代に遡る)歴史と宗教(謝肉祭の行事)がこの“合戦”の背景にしっかりと存在しています。この合戦の模様をテレビで見たことがありますが、本書で伝えられるのは匂いです。オレンジと馬糞が交じり合った匂いが街に充満しているのだそうです。なにしろ馬に引かれる山車が38台、3日間動き続け、400トンのオレンジが潰されるのですから。
 香水にも柑橘類は重要な役割を果たしています。ベルガモットの精油をベースに1708年に生まれたのが「オー・デ・コロン」です。“副産物”もあります。果皮から精油を抽出する労働者はよく刃物で手を怪我しますがそれが決して敗血症にならずすぐに傷が治ることから、ベルガモットの精油に殺菌作用と治癒作用があることがわかったのです。
 本書は、一言でまとめるのが難しい本です。柑橘類の魅力が一言では言い表せないのと同じように、本書の魅力は実際に自分で“味わって”みるのが一番なのかもしれません


「申し訳」はあるか?

2015-08-22 07:01:41 | Weblog

 「申し訳ない」という言葉があります。これを「申し訳」「ない」と文節に分けることができるとすると、「ない」は「無い」ですからその対義語は「申し訳有る」になります。だけど「申し訳有る」は日本語としては変です。「申し訳」が「名詞」だったら「申し訳がない」「申し訳がある」と言いません? ということで、「申し訳・ない」「申し訳・ある」は日本語として不自然に私は感じます。「申し訳」と似た「名詞」で「言い訳」がありますが「言い訳ない」「言い訳ある」とは言わないでしょう?
 もちろん「申し訳」「ない」と分けることが大間違い。「申し訳ない」は形容詞で、どうしても分けるとしたら「申し訳な・い」です。つまり、「申し訳ない」と謝るときに最初から「申し訳」は存在しないのです。
 あれれ、すると最近巷でよく聞く「申し訳ありません」「申し訳ございません」は「申し訳」が存在することが前提の語調は丁寧な謝罪ということに? だけどこの場合だったら「申し訳」は「名詞」ですから「申し訳はありません」「申し訳はございません」と言う方が正確では?

【ただいま読書中】『人魚の嘆き』谷崎潤一郎 著、 中公文庫、1978年(97年14刷)369円(税別)

 むかしむかし「まだ愛親覚羅氏の王朝が、六月の牡丹のように栄え耀いていた時分」……つまり清の時代に南京に、若く裕福で名門の出で、美貌と才智にも恵まれた貴公子がいました。この世の楽しみをすべて知ってしまった彼は、鬱々と日を過ごすことになります。彼の心にあるのは渇望でした。自分をもっと楽しませてくれるものがないものか、と。
 そこに異人(おそらく阿蘭陀人)が、人魚を持ち込みます。人魚を見た瞬間、貴公子は「長らく望んでいた昂奮」に襲われます。ガラス製の水瓶の中にいたのは「美の絶頂」だったのです。しかし、地上の貴公子と水中の人魚はの間には常にガラスの壁がありました。それを乗り越えて二人が会話ができたとき……
 アンデルセンの『人魚姫』やローレライの伝説を元に、耽美的な情景が描かれています。ただ、貴公子は「美」を求めていますが、実は美からは拒絶されてしまいました。なんとも残酷な結末ですが、この「残酷さ」もまた「美」の一つの形なのかもしれません。そういえば貴公子自身が“所有”している美貌や若さは財産も、時の流れという“残酷さ”の餌食になるものなのですが。