トリチウムによる汚染水は薄めれば安全だ、と主張する人がいます。そんなに安全なら、その水でお風呂を仕立てて入浴してみてもらえません? ちなみに、本人だけではなくて家族もね。赤の他人はともかく、親しい家族だったら簡単にその安全性を説得できますよね?
ところで、地中の凍結壁で汚染水はもう増えない、と言っていたのは、あれは結局「嘘」だったんですか? 「嘘」だったのだとしたら、そういった「嘘つき」が言うことは、あまり信用できません。だから「ことば」ではなくて「行動」を見たいと思います。
【ただいま読書中】『砂漠のキャデラック ──アメリカの水資源開発』マーク・ライスナー 著、 片岡夏美 訳、 築地書館、1999年、6000円(税別)
アメリカ西部で組織的に灌漑によって砂漠を緑化した最初の実例はユタ州に移住してきたモルモン教徒でした。以後砂漠の灌漑は熱狂的に進められてきましたが、著者は「砂漠を灌漑で緑化して栄え、そして滅びていった古代文明(アッシリア、カルタゴ、メソポタミア、インカ、アステカ、ホホカムなど)」のことを思い出しています。
「西部開拓」と言えば私が思うのは(『大草原の小さな家』のような)幌馬車や丸太小屋ですが、本書では違う側面が見えます。たとえば水利権では「ビジネス」やそれに対する許認可や汚職といった「行政」が重要な働きをしています。水路建設はダム建設に発展し、ロサンゼルス市を潤すために無理やり建造されたセントフランシス・ダムの決壊という悲劇まで生じました。しかし「水の需要」は厳然と存在していました。ダム建設は続きます。ショーや戦争が途中でやめられないのと同様、水供給の努力はやめられないものだったようです。しかし「アメリカ西部」はもともと降水量が少ない地域です。川の水はすぐに使い尽くされ、人びとは井戸を掘って地下水を利用するようになりました。都合の良いことに地下には長い時間をかけて貯蔵された帯水層があったのです。第一次世界大戦後に遠心ポンプが発明され、地下水を大量に汲み上げることが可能になると、人びとはそれをためらわず実行しました。環境に興味を持つ政治家が水需要の増加にブレーキをかけようとすると、強烈なしっぺ返しを受けることになりました(たとえばジミー・カーターもその一人で、西部の水需要を抑制しようとしたため大統領の再選に失敗したそうです)。6つの州にまたがって存在するオガララ帯水層は世界最大の規模ですが、急速に消滅しようとしています。もちろん地上の人がそれを黙って見ているわけではありません。ちゃんと「計画」があります。「これから何年で帯水層を使い切るか」の計画で、25〜50年が見込まれているそうです。
「水開発」に関しても興味深い話が紹介されています。水開発に金を出す人たち(納税者)はそれでまったく利益を(というか、水そのものも)得ることができない、という巧妙な仕組みが作られているのです。「トリクルダウン」で“上”からしたたり落ちてくるものは皆無、ということですね。
砂漠を灌漑して繁栄した古代文明は、水分不足で滅びたのではありません。水が蒸発した後に残ったミネラル分(塩分)が農地を殺したために滅亡しました。そして今、アメリカの農地では、塩分がどんどん増えているそうです。
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