【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ばかていねい

2019-08-16 07:43:11 | Weblog

 昭和の時代、「お紅茶」「おコーヒー」と言う有閑マダムの話題が新聞に載ったことがあります。そのうち「おみおつけ」のようにどんどんばかていねいになっていくのではないか、とか揶揄されていましたっけ。
 そういえば最近「英霊」に「ご」をつける人を見かけます。そういった人はそのうちに「御霊(みたま)」にもうっかり「ご」をつけてしまうのではないか、なんて私は危惧しています。(「英霊」は「霊」を敬っていう言葉で、それ自体ですでに「敬語」です。「英邁」「英哲」「英雄」「英傑」「英君」「英知」「英明」など「英」の字はエラいのです。「英語」はどうか知りませんが)

【ただいま読書中】『妻に捧げた1778話』眉村卓 著、 新潮社(新潮新書069)、2004年、680円(税別)

 妻が悪性腫瘍(大腸が原発と思われる小腸腫瘍で腹膜に播種している)で余命は1年少々どんなに保っても5年は無理、と聞いた著者は、妻が毎日を少しでも明るく過ごすことができるように、“面白いショートショート"を毎日一つずつ“妻専用"に書くことにします。著者はプロの小説家ですが、これは大変な話に思えます。日記だって三日坊主が世間の趨勢なんですよ。
 しかし「六十代の病気の女性のため」という縛りがかかったショートショートですから、一般受けするものではありません。美談仕立てにしたら評判になったかもしれませんが、それは著者が拒絶。そのためか、出版芸術社がその中から抜粋した『日がわり一話』は、あまり売れなかったそうです。それでも著者は書き続け、とうとう『日課・一日3枚以上』という通しタイトルで自費出版をしてしまいます。これはもう「妻のため」というよりも「自分たちのため」といった感じです。やがて病状は悪化、最初の手術をしてから5年に15日足りない夜に永眠。その夜著者は自宅で「最終回」という作品を書きます(この余白というか空白そのものが、私の心に衝撃を与えることに、私はあらためて驚きます)。
 高校の現代国語の授業で私は「文学作品を読むときには『作品を読む』『作家を読む』『時代(世界)を読む』といった読み方がある」と習いました。するとここに紹介された作品群では、「作品」を読むよりも「作家(が置かれた状況)」を読むことに重点が置かれそうです。「作家と死病を持つ妻」がその「状況」ではありますが、同時に「老いていく作家」が自分自身に感じるもどかしさも伝わってきます。これは作家に限らず、老いる人のほとんどは直面しなければならない「話」なのでしょう。