【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

時差

2010-01-31 18:13:47 | Weblog
 今朝5時半に電話で起こされました。間違い電話。まあどうせ今日は早起きをしなければならなかったので、それほど迷惑ではないのですが、今(18時過ぎ)脳みそは「そろそろ寝る時間じゃない?」なんて騒いでいます。個人的時差ぼけ状態です。
 そういえば中学校の林間学校で、朝3時起きで登山をして頂上でご来光を拝む、というのをやりましたが、そのときも正午頃には脳みそが「もう夕方じゃない?」と騒いでいましたっけ。
 「早起きは三文の得」なんて言いますが、強制的な早起きは健康にはよろしくないかもしれません。

【ただいま読書中】『ローマ亡き後の地中海世界(上)』塩野七生 著、 新潮社、2008年、3000円(税別)

 東ローマ帝国の皇帝ユスティアヌスは、西ローマを支配する北方蛮族からイタリア半島と北アフリカを取り返し「大帝」と呼ばれました。しかし西暦565年に彼が死んで3年後にはイタリア半島はロンゴバルド族に侵入され、5年後にはマホメッドが生まれています。百年の間に中東と北アフリカは次々イスラム化されていきます。かつてはローマ帝国の「内海」だった地中海は、異なる勢力の「境界の海」に姿を変えました。そこで活躍するのは「海賊」です。北アフリカからシチリアへ散発的にイスラムは出兵を繰り返しましたが、イベリア半島征服が一段落し、海賊活動にますます拍車がかかります。海賊とは言っても、ディズニーの海賊とは違って、陸を襲い、財物や人を奪って引き上げる人々です。それがしょっちゅうやってくるのですから襲われる方は堪りません。
 西暦800年、フランク国王シャルルはローマに入り、法皇レオ三世から神聖ローマ帝国皇帝の冠を授けられます。ローマ法王はビザンチン帝国とは不仲になり、「西」に頼れる味方を見つける必要があったのです。しかしそれもシャルル・マーニュの死で空中分解。そこでイスラム側は、シチリアに対する戦略を、海賊から征服に切り替えます。シチリアでは激戦が繰り返され、一部の勢力はイタリアに上陸してローマを目指します。遂にパレルモが陥落します。シチリアは公式にはビザンチン領で、だからか、イタリアやフランクからキリスト教徒側の援軍は一人も送られませんでした。
 なんというか……どの勢力もドジをしています。イスラムもローマもビザンチンも。ともかくシチリアの西半分はイスラムのものとなり、そこを基地として海賊たちはイタリアの西海岸を広く襲うようになり、さらには東側のアドリア海にまで侵入するようになります。イタリアの側では防衛用の「サラセンの塔」を各地に建て、同時に住人は海岸から離れて山間地に住むようになります。イタリアにとっては「暗黒の中世前期」でした。
 そして、東の要衝シラクサ(紀元前8世紀にギリシア人の入植で始まった歴史も分厚い街)が陥落します。キリスト教世界に衝撃が走りました。しかしシチリアはイスラム支配下で栄えます。その繁栄は200年後の1072年にノルマン人によってシチリアが征服されるまで続きますが、ノルマン人は少数派のため、教会をモスクにしたものが教会に戻され「2級市民」だったキリスト教徒が平等の立場になったくらいであとはあまり社会体制に変更が加えられませんでした。イスラム教徒とキリスト教徒の「共生社会」が実現したのです。建築様式にも「シチリア・アラブ様式」が生まれます。なお、後世十字軍遠征の中で唯一イスラム教徒を殺さずにイェルサレムを手中にしたフリードリッヒ2世(第5次十字軍)は、ノルマンとドイツの血を引いていますが、生まれ育ったのはシチリアだそうです。ただその“成果”(イスラムと“妥協”したこと)を法皇に責められ破門されキリスト教徒側から攻撃されてしまいますが。
 イタリア本土も荒らされ続けますが、11世紀になってついにイタリア人も組織的に海賊対策を始めます。サラセン人海賊は、海上での戦闘は好みません。防衛の手薄な船を襲うか同じく防衛の手薄な町を襲うか、が好みです。そこで「海軍」での対決をイタリア側は選択しました。相手の弱点を突こうというのです。アマルフィ・ピサ・ジェノヴァ・ヴェネツィアなど海洋都市国家が成長し、交易と同時に海賊対策で成果を上げ始めます。
 13世紀、スペインではレコンキスタが始まっていましたが、地中海では「協定」が始まっていました。イタリアの海洋都市国家と北アフリカの間での「協定」です。海賊行為は残っていましたが、「貿易」が成長します。
 本書の第三章は、拉致されたキリスト教徒の庶民たちを救出するために設立された二つの団体の物語です。庶民ゆえに身代金を払ってくれる人もおらず、「聖地奪還」のスローガンからも外れるから十字軍も派遣されない、そういった人々のためにまず作られたのは「救出修道会」でした。修道士マタは、スポンサーを募り奴隷を買い戻しフランスやイタリアに連れ戻す活動を行ないます。さらに、北アフリカ各地の奴隷収容所に付属病院を建築します。1199年の第一回救出行からマタの死の前年1212年までの13年だけで7000人の奴隷を救出し、以後500年で総計50万人を救出したという推計もあるそうです。これは「聖なる行ない」でしたが、同時に海賊たちには「奴隷を拉致するのは良い商売」ということを刷り込んでしまいました。
 もう一つの組織は「救出騎士団」です。ただし「騎士団」とは言っても、使うのは武器ではなくて金です。本書には彼らの苦闘の、そして時には笑えるエピソードが紹介されていますが、驚くのはこの騎士団の最後の活動は1779年、フランス革命直前の時代であることです。その頃まで、沿岸から海賊に拉致されるキリスト教徒奴隷はいたのです。なお、修道会も騎士団も、金持ちや有名人は自力で身代金を払えるのだから救うのは無名の人と決めていましたが、例外はセルバンテスです。もっとも当時はまだ無名の若者で、買い戻されて帰国してから『ドン・キホーテ』を書いたのですが。
 「権力者は庶民には無関心」とか「拉致と言えば北朝鮮」とか「救出という名の人身売買」とか、いろいろな読み方ができそうな章です。ただ、こういった「歴史の教科書」には載らないであろう観点から地中海を眺めると違った“風景”が見えるのはとても興味深いことに思えます。


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米の味

2010-01-30 17:21:11 | Weblog
昨日投稿したつもりだったのですが、失敗していました。すみません。この記事は29日の分です。

 日本人は米を愛する民族です。でもその食卓風景を見たら、ふりかけをかけたり塩辛や海苔の佃煮を乗せたりお茶をかけたりおかずと一緒に口の中に放り込んだり炊き込みご飯にしたり寿司にしたり……必ずしも純粋に「米の味」を楽しむのが主流、とは言えないように思えます。もちろん「美味い」と思っているからずっと食べているのでしょうが、もしかして日本人は、「米の味」にかすかな不満を抱いているのではないでしょうか。

【ただいま読書中】『ふりかけ ──日本の食と思想』熊谷真菜(+日本ふりかけ懇話会) 著、 学陽書房、2001年、1500円(税別)

 ふりかけの元祖と呼ばれるのは、大正初期の「御飯の友」だそうです。熊本でイリコ(煮干し、カタクチイワシ)を丸ごと粉砕し調味料で味付けして白ごま・青海苔・焼き海苔などを混ぜたもので(最近は玉子も入っているそうです)、自衛隊には「いりこのり」という名前で納入されているそうです。
 戦前には「是はうまい」が大ヒットしました。はじめはデパートで売っている「高級品」だったそうです。ただし商標が取れず、各社が「是はうまい」を発売します。
 楠苑三島食品資料館(広島県山県郡)には全国ふりかけ協会の会員各社のふりかけが展示されているそうです。そこでの推計では、平成12年時点でふりかけ業界の規模は、ふりかけが380億円、おむすび用が40億円、その他が180億円、となってます。約400億円分のふりかけをかけるためにどのくらいの米を炊かなければならないか、と著者は頭をくらくらさせます。
 私自身が「ふりかけ」を意識したのはやはり「のりたま」からです。テレビでの宣伝が大きかったなあ。
 「ふりかけ」の定義は考えるとけっこう難しいのですが、著者は「ご飯にのせる彩り。ただしそれ単品では副菜として成立しないもの」と仮に定義して話を進めます。
 江戸時代に「ふりかけ」は存在しません。ただし「ふりかけ」ということばや概念がないだけで、それに相当する食品はありました。たとえ田麩(田夫)、七味、上置(風味や彩りを添えるために料理の上に少量置く、花鰹・浅草海苔・野菜など)、薬味……
 「米食の国には、かならずふりかけ(に相当する食品)があるか」はなかなか面白いテーマです。韓国では「白御飯はそれだけで、ビビンバはしっかり混ぜ込んで食べる」主義でふりかけは(日本からの持ち込みを除けば)使われない様子です。中国では「お粥のトッピング」という形で「ふりかけ」がありそうです。カレー圏では「カレーそのものがふりかけ」という大胆な意見表明があります。著者はわざわざ取材旅行を行ない、タイのスーパーで「ご飯にかけるふりかけ」を発見します。
 「ふりかけのルーツ」をたどった日本ふりかけ懇話会のメンバーは、弥生時代の「塩かけ飯」にたどり着きます。そう、「塩」こそが「ふりかけ」のご先祖様だ、と。ただ、ふりかけにする場合「粒の大きさ」が重要です。塩に限らず乾燥した魚でも、細かくしすぎたらふりかけにしたときそれほど美味しくないのです。ある程度粒の大きさが必要。そのため塩はわざわざ造粒されています。
 「のりたま」の発売は1960年。59年に「玉子ふりかけ」(「是はうまい」に玉子を入れたもの)が発売されていますが、全然売れませんでした。そこで新製品を、ということでのりたまが開発されたわけです。海苔は高級品ですから、破れたり穴が空いた「わけあり海苔」を安く大量に仕入れたそうです。製造のピークは昭和30年代ですが、当時は手作業だったそうです。海苔は一枚一枚手で焼くし玉子も一つ一つ手で割って黄身を分離、造粒も手でもむ。夏はパンツ一丁で「お富さん」なんかを歌いながら作業をしていたそうです。機械化や粉末卵の採用は昭和40年代。そして桂小金治の「面舵いっぱい」のテレビコマーシャル。エイトマンのシール入り。
 熱々のご飯。そこに控えめにかけられたふりかけ。それぞれの素材の食感。味のハーモニー。食べるとき粘膜が感じる悦楽と頭の中に響く音。ふりかけというのは、実は総合的な「快感」だったのかもしれません。


有益な技術

2010-01-30 17:19:14 | Weblog
 その技術の開発に反対した人にも利益をもたらす技術のこと。

【ただいま読書中】『私の手が語る』本田宗一郎 著、 講談社文庫、1985年、

 本書の冒頭、著者の左手のスケッチがあります。「右手は仕事をする手で、左手はそれを支える受け手」だからでしょう、もう傷だらけです。ハンマー、カッター、錐、バイト……いやもう、見ているだけで痛そう。
 著者は技術一辺倒で、社長なのに実印や社長印は一切経営担当の副社長に任せていた(そして引退の時には二人同時にやめて後進に道を譲った)ことが有名ですが、やめた後のことを私は知りませんでした。なんと全国の拠点やグループ企業や海外法人を五百箇所を1年数ヶ月で全部回って、従業員全員と握手したのだそうです。油まみれの人が手を拭おうとするのも押さえてそのままで。あるいは日本画も始めていますが、これまた“技術者”です。「私は絵をかくときに、理屈を持ち出す。花なら花が、なぜそういうかたちや色をしているのかという、花の機能を考えてかくようにしている。(中略)技術屋らしい理論の裏づけのある絵をかくことが楽しいのである。洋画では、人をかくときに、解剖学的な知識をもってかくというのと同じ考え方だ。」なのですから。
 いくつか引用してみましょう。
・安易な模倣と同じく、企業にとって危険なのは、ごまかしの体質である。
・創意工夫、独立独歩、これをつらぬくにはたゆまぬ努力がいるし、同時に、ひとりよがりに陥らぬための、しっかりした哲学が必要となる。
・人には誰しも、得意なものとそうでないものとがある。これはすばらしく楽しいことである。みんなが同じように何でも平均的にできるなら、こんなにつまらないことはないだろう。誰もが他人を必要とせず、評価もせずロボットの集団のように生きているにちがいない。
・すべての人が、哲学者ではなくて、哲学を使う人になってもらいたい。
 なんだかずいぶん深いことをやさしいことばで述べています。あるいは「芸者さんの芸にきちんと注目するから、自分はモテる」なんてほほえましい自慢もあります。これまた深読みすることは可能なのですが。
・新しい工場をレイアウトするとき、かつて私のところでは、まず最初にみんなの使用する便所の位置から検討した。仕事をスムーズに進めるうえで大切なことだからだ。……(中略)……ひとさまのお宅にうかがったり、工場を見せてもらったりするとき、私は必ず便所を使わせてもらう。相手を理解しようという気持ちがあるからだ。便所がきたなくて床の間が豪華、といったところとはなるべく交際をもたぬようにする。
 これなんかもなるほどねえ、です。そういえば昔は「明日はお客様」という日には客間や玄関だけではなくて便所の掃除を念入りにするものでしたっけ。
 本書はたしかに「手が語る」本ですが、ずいぶん「饒舌な手」です。何かを為す人は、指先にまでぎっしりと何かが詰まっているのでしょう。


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役員

2010-01-28 18:48:13 | Weblog
 冬季オリンピックがもうすぐで、マスコミは盛んにお気に入りの選手の追っかけをやっていますが、私が気になるのは「役員」です。選手のための、コーチ、トレーナー、チームドクター、マネージャー、栄養士などなどなどなどたくさんの人が必要なことは簡単に想像できるので、彼らの“活躍”についても詳しく報道してもらえないかなあ。それと、もしかして「名誉職」と勘違いして「ポスト」を要求する勘違い野郎がいるのだったら、そういった連中もぜひ“仕分け”して報道してやってください。

【ただいま読書中】『逆転世界』クリストファー・プリースト 著、 安田均 訳、 創元SF文庫、1996年(2006年4刷)、1100円(税別)

 ヘルワード・マンはついに650マイルの歳になりました。これで成人です。彼が育った全長1500フィートの「都市」は、年に36.5マイルずつ北に移動する「最適線」を追いつづけなければなりません。そこで「都市」では年月を「マイル」で数えるのです。未来測量員のギルドに入会したヘルワードは、まずは下働きから始めます。一切の説明はなく、見て覚えろ、という指導方針ですが、おかげで読者もこの異様な世界に少しずつ馴染むことができます。
 「都市」はレールの上を移動しています。「軌道」ギルドが後ろのレールを外して前に持っていきそれがある程度の長さになったら「牽引」ギルドがウインチで「都市」を動かします。それを延々と繰り返すのです。「交易」ギルドはその地方の原住民と交渉して労働力と女性を得ます(「都市」では女性が慢性的に不足しており、定期的に「買う」必要があるのです)。そして「民兵」ギルドが都市を警護しています。そしてヘルワードは知ります。「都市は動かねばならない」と。でもその理由はまだ知りません。(アニメの「大砲の街」(大友克洋)や「オーバーマン キングゲイナー」での「エクソダス」を連想するシーン設定です)
 そうそう、太陽と月は球形ではありません。「都市」の後ろに残された軌道は、少しずつねじれ始めています。ここは地球ではない世界なのです。
 「最適線」……もしかして「時空間のナニカ?」と私は感じます。
 さらに、「地球ではない世界」であるはずなのに、「原住民」はスペイン語やそれに似た言葉をしゃべり、人類と交配可能です。本当に地球ではない? それとも……
 見習い員ヘルワードは次から次に職場を移され、その最終段階で「過去に下る」ミッションを与えられます。そこで不思議なことが起きます。空間のサイズが、上下には縮み幅は拡大しているように見えます。都市が通った軌道跡の穴は、長さが伸び深さは浅くなってきます。しかし、ヘルワードと(都市で生まれた)赤ん坊には変化が生じません。そして南に向かえば向かうほど南方向へと体を押しやる重力以外の力が強くかかるようになってきます。死にそうな思いをしてやっと都市に帰還したヘルワードは、主観的には「3マイル」だけ不在にしていたはずなのに、その間に「都市」では「73マイル」が過ぎ去っていたことを知ります。そして「都市」は「原住民」の襲撃を受けます。ライフルや焼夷弾で襲ってくる原住民の群れに対して、「都市」は、内部に原子力エンジンがあるのに、主な武装は石弓です。
 襲撃によって「都市」は大打撃を受けますが、ヘルワードはあわただしく出発をしなければなりません。こんどの方向は北の「未来」。そちらで出会う原住民は、皆痩せてひょろ長く見えます。さらに未来を測量するのに数十日かけ「都市」に帰還したヘルワードは、都市ではたった3日しか経っていないことを知ります。なんだか極めて特殊な相対論的効果が働いている世界のようです。ただしここで「相対論」なんて言葉を使った読者は、その言葉の罠に捕らわれることになってしまいます。
 ある日ヘルワードが出会った女性エリザベスは、イングランドからそこにやって来ていました。そう、「地球」のイングランド。しかもエリザベスにはこの世界の太陽は丸く見えます。ここで読者はどんでんを食らわされます。じゃあヘルワードが生きているこの「世界」は、一体どこなんだ? 
 最終章、これまで章ごとに一人称と三人称が交代していた効果が章の冒頭でまずはじけます。そして驚愕の真実。「世界」にはもう一つ「仕掛け」があったのです。
 「いやあ、良いSF小説を読んだ」と満足そうに呟くことができました。著者の仕掛けにまんまとはまってしまったという悔しさもちょっと入っていますが。



月の跡

2010-01-27 18:39:31 | Weblog
 地球から地殻の固まりがちぎれて衛星となったのが「月」で、それがちぎれた跡が「太平洋」という話を知ったのは私が小学生の時でした。私は興奮しました。ただ、ごっぽりえぐれたのだとしたら、じゃあハワイがなぜ存在できるんだ、とか、大西洋は何の跡だ?とかは疑問でしたが。ところが、大西洋はアトランティス大陸が沈んだ跡、という話を知って私はまたまた興奮しました。なるほど、それなら話の“スジ”が通るようですから。ところがこんどは、沈んだムー大陸の話を知って、私は困りました。だって太平洋は「月がちぎれた跡」なんでしょ?
 思い出せば、少年時代の私は幸福だったと思います。世界は素朴な驚異に満ちていたのですから。もちろん現在でも世界は驚異に満ちていますが、なんだかややこしい驚異が多いのです。それがちょっと残念です。

【ただいま読書中】『大陸と海洋の起源』アルフレッド・ウエゲナー 著、 竹内均 訳、 講談社、1975年(80年4刷)、1500円

 原著は1929年の第4版(=最終版)です。序文で著者は「地球の形が現在こうなっているわけを知るためには、個々の分野ではなくて、すべての地球科学(測地学、地球物理学、地質学、古生物学、動物地理学、植物地理学、古気候学)が提供する情報を総合することが必要である」と述べます。著者はその翌年亡くなり、大陸移動説はそれから暗黒時代を過ごし、復活したのは1950年代、海底地質学や古磁気学からの新しい証拠によってでした。
 訳者の補足によれば、「大陸移動」について述べた最初の人はフランシス・ベーコンまで遡れるそうです。彼はアフリカ大陸と南アメリカの大西洋沿岸がぴったり合わさることを指摘しました。ただ、集学的な情報を駆使して「大陸移動説」を唱え、世間の不評判に対して“戦った”のはウエゲナーが初めてでした。
 かつて「陸橋」が「大洋を隔てた大陸の両側に同じ種類の生物が存在する」ことの説明として用いられました。陸橋が沈むのは「地球収縮説」によります。リンゴがしぼむと表面に皺が寄るように、地球が冷えるにつれて収縮し、持ち上がる部分が褶曲山脈・凹んだ部分が「沈む陸橋」となる、と。もちろん著者は地球収縮説の反対陣営に立ちます。
 当時放射性元素の崩壊による時代推定が行なわれるようになり、著者はそれを用いて各大陸が“分離”した年代を推定します。また、著者はかつてグリーンランド探険に同行し、そこで自分の大陸移動説に合致するグリーンランド移動の証拠を得ます。観測によって差が生じますが、1年にグリーンランドは10~30メートル移動していることが示されました。マダガスカル島はもっと大きく移動しており、さらに欧米の主要都市も移動していることが示されます。(実際にはこれは誤差の影響で過大に評価されているようですが、それは技術の未熟のせいで、著者の着想は褒められるべきです)
 重力測定や地震波の観測によって地球の内部構造を知ろうとする試みも紹介されます。これによって、海洋底と大陸ブロックとが異なる地盤であることがわかります(モホロビチッチは「海底は玄武岩」と述べました)。また「海底は磁化しやすい」こと、そして、「地殻の下にマグマ層がある」という“仮説”も紹介されます。だいぶ“カード”が揃ってきました。
 地質学的あるいは生物学的に、アフリカと南アメリカ大陸をくっつけたらその間がぴったり埋まることも示されます。単に「地球儀でのジグソーパズル」ではなくて、その“ピースの質”まで問われているのです。ある生物相が大洋の両側で繁栄するためには、単に「大陸を陸橋でつなぐ」だけではだめで、両方が同じような気候などに恵まれていないといけないのです。そこでこんどは古気候学の議論です。氷河性の岩石、石炭層の厚さ、古い珊瑚の分布、動物(の化石)の分布状況……もちろん北極圏の土地から熱帯地方の植物化石が発見された場合でも「極(や赤道)の移動」で説明することは可能です。しかしそれがあちこちの大陸で“時間差”で見つかる場合には、そんな大規模で複雑な論理操作をするよりも「大陸移動」で説明する方がシンプルなのです。もちろん著者は「極の移動」を全否定しているわけではありません。地球の歳差運動によって黄道傾斜角の変化がありそれによって気候が変動することは著者の考慮の範囲内です。

 ウエゲナーは、手に入る情報をフルに使って自分の仮説を構築します。ただ弱点は「大陸移動の(目に見える)証拠(地動説でのフーコーの振り子のようなもの)が提示できないこと」と「大陸移動のメカニズムの説明ができないこと」です。これは「公衆の面前での殺人事件で、状況証拠からは犯人は明らかなのに、なぜか目撃者はゼロでその動機も殺害手段も不明のまま」と同じような状況です。ただウエゲナーに対する反論も「そんなことは信じられない」という“信念”と「陸橋説」や「永久不変説」という“学問的証拠を欠いた仮説”である点がとっても弱いのですが(だから後年“証拠”が見つかった途端、「ウエゲナーは正しい」が“常識”になったわけです)。
 正直、著者がここまで精緻に議論をしているとは知りませんでした。やはり原典には当たるべきです。平凡な感想ですが、シャーロック・ホームズの「ありえないものをひとつひとつ消していけば、最後まで残ったものが、どんなにありそうもないことでも、真実であるはずだ」を思い出しながら私は本書を閉じます。



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ひきこもり

2010-01-26 19:04:49 | Weblog
 2000年の新潟の少女監禁事件(発覚が1月28日)と西鉄バスジャック事件(5月3日)で「ひきこもり」は大々的にマスコミに取り上げられるようになりました。「ひきこもりというわけの分からないことをやっている変な奴らがとんでもないことをしでかした」というニュアンスで。事件を見たマスコミが「引きこもり」に貼ったレッテルには「邪悪」と書いてありました。何をするかわからない不気味な犯罪者(予備軍)である、と。
 しかし、ひきこもりは本当に犯罪者(予備軍)なのでしょうか。もちろん「現実にそんな奴がいるじゃないか」はきわめて有力な“証拠”です。しかし、世の中には「例外的な存在」というものもあります。そこで考えるべきだったのは、たとえば犯罪率などの“もっと強力な証拠”ではなかったのではないでしょうか。
 「ひきこもり」は、社会性の面では「非社会的」に分類されます。活動度では「消極的」。
 「犯罪者(予備軍)」は犯罪によって様々ですが、暴力的なものに関しては、社会性の面では「反社会的」に分類できます。活動度では「積極的」。
 つまり両者は全然違うジャンルの存在に私には見えます。そんなややこしい作業をせずに単純に考えても「ひきこもり」が社会の中で犯罪を犯すのは難しいことでしょう。だってひきこもっているのですから(家庭内暴力などはもちろんあり得ます)。
 結局上の事例は、「社会」と「ひきこもり」の不幸な“出会い”だったのではないか、が私の結論です。で、マスコミがせっせとそれをねじ曲げたわけ。
 ただ、マスコミの態度は「一度誤解をすると決心したら、それが間違いとわかっても絶対に非を認めず誤解を押し通す」ことが非常に多いので、これを今さら「誤解が解けた状態」にするのは無理でしょうね。この私の判断が“誤解”だったら、良いのですが。

【ただいま読書中】『プレイ ──獲物(下)』マイケル・クライトン 著、 酒井昭伸 訳、 早川書房、2003年、1500円(税別)

 ジャックは優柔不断、と上巻の感想で述べましたが、もう一つの“特技”があります。人と人がトラブルになりそうだったらそこに絶妙のタイミングで介入する才能です。それは主夫生活時代に子どもたちを相手に鍛えられたのかもしれませんが、再会したかつての部下たちの間でトラブルが燃え上がりそうになるとその才能が発揮されることになります。
 もう一つ、「群れの行動」に関する豊富な知識も。砂漠の真ん中でナノマシンのスウォームに包囲された状況で、5人の中にジャックがいなかったらおそらく一瞬で全員殺されていたでしょう。しかしジャックはプログラムの穴をつき、「地獄の踏み台昇降エアロビクス」を実行します。
 一発逆転を狙って、ジャックたちはナノマシンの本拠地を破壊します。しかしその残党が研究室に侵入し、さらに中にいる人間も信用できない言動を示します。まるで脳がナノマシンに汚染されているかのように。このあたりではまるで『パラサイト・イブ』(瀬名英明)です。微細な存在に人間の肉体も精神も汚染され支配される恐怖は、たとえば『人形つかい』(ハインライン)とは違った「操られる恐怖」を掻き立てます。
 ただ、科学的に言えば、本当はそれはちょっと難しいんですけどね。(たとえば「知能を持ったチフス菌に汚染された政治家がチフス菌に操られて『水洗便所廃止法案』『人糞をそのまま畑に蒔く布告』を出した」とする“医学ホラー小説”があったら、それはちょっとどうかと思いません?)
 本書の最後の一行「運が良ければ、人類はまだ存続できるかもしれない。」は本当にコワイ文章です。実際に人類の愚行によって、ナノマシンや人類の“意向”は無視されてとんでもない事態が起きる可能性があることは、確かですから。私は本書を「ナノテクのホラー」ではなくて「人類の愚行のホラー」として読んでしまいました。これは本当にコワイ。


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節約

2010-01-25 18:56:18 | Weblog
 「これくらい、言わなくてもわかるだろう」は時に「自分は説明をしたくない」の押しつけです。

【ただいま読書中】『プレイ ──獲物(上)』マイケル・クライトン 著、 酒井昭伸 訳、 早川書房、2003年、1500円(税別)

 会社の不正を知ったために失業したジャック・フォアマンはこの半年求職活動をしながら主夫をやっています。妻のジュリアはハイテク企業ザイモスでナノテク開発に事業部長として奔走しています。ザイモスはナノテクカメラの開発に成功していました。多数のナノマシンの群れによって「目」が構成されるのです。しかし、最近ジュリアの様子が変になっているのにジャックは気づきます。柔和さとユーモアを失い、家族に対して無関心になり、異様に短気になり、服の好みも変わります。さらに赤ん坊の体に異変が起きます。全身にみみず腫れが生じずっと泣き続け、病院でも原因がわからずとうとうMRI撮影をすることに……ところがその瞬間総ての症状が消失します。わけがわかりません。ところが数時間後、赤ん坊の皮膚は青紫色になります。そして、似た症状の人があちこちに発生していることもジャックは知ります。
 ……『盗まれた街』のナノテクマシン版かな、と私は思います。「夜のにおい」がたっぷりだったあの作品よりこちらの方が、ハイテク企業・最近の家庭事情・心理分析などでずいぶんカラフルに色づけされていますが。
 ジャックは優柔不断です。明らかに目の前に異変があるのにああだこうだで対応を先送りにします。ただし、きわめて優秀な優柔不断です。分散処理システムのプログラミングを動物の群れをモデルとして構築し、それが非常に上手く働くように調整することができます。かつて自分が作った「捕食者ー被食者」関係に基づく目標探索型のプログラムがザイモスに売却され、そこで上手く機能していないことをジャックは知ります。妻の様子はますます異常になり、ついに交通事故で大怪我。ところが事故現場にザイモス社の車が現われて様子を窺っています。ジャックはザイモス社に潜入することにします。おやおや、優柔不断はどこかに行っています。
 ザイモス社のプラントはネヴァダの砂漠の中でした。内部は『アンドロメダ病原体』の研究所を白い立方体にして砂漠に置いたようなものです。厳重に周囲から隔離された建物で行なわれているのは、軍事研究。ナノマシンの群れ(スウォーム)を飛ばして偵察をするのです。ところが「群れの制御」が困難なのです。個体に与えられたルールは低レベル、しかし群れとしては高度な協調をする創発的行動は、群れの行動を予測困難にします。また、ザイモス社が製造しているのは、純粋なナノマシンではありませんでした。なんとバイオテクノロジーとのハイブリッドだったのです。ここまででも驚きの展開ですが、ジャックが呼ばれた理由はもっとびっくりするものでした。研究所から“脱走”したナノマシンの群れが周囲を徘徊しているのです。いわば野良ナノとなって。彼らは捕食者となって“狩り”をし、学習と増殖能力まで身につけています。ジャックはその大元のプログラムを開発した者として、野良ナノを撲滅するミッションを背負わされたのです。
 しかしもう一つ大問題が……というところで下巻に続く。


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未経験

2010-01-24 17:28:40 | Weblog
「そんなの、聞いたことがない」
 いや、ついさっき聞いたのでは?

【ただいま読書中】『文明開化 失われた風俗』百瀬響 著、 吉川弘文館(歴史文化ライブラリー261)、2008年、1700円(税別)

 明治時代の違式詿違条例(いしきかいいじょうれい=現代の軽犯罪法)で話が始まります。そこで取り締まられているのは、入れ墨・裸での往来・立ち小便・肥え桶の運搬制限……これらは実は外国人に「野蛮だ」と指摘されたものばかりでした。違式詿違条例がまず開港した地域に限定して施行されたのも、「外国(文明社会)からの目」を意識してのことだったのでしょう。
 「文明開化」は「civilization(文明化)」の訳語と言われていますが、その本来の意味を離れ日本では「時代の進歩」「西洋かぶれ」「旧弊をけなす」など、オプティミズムの風潮の象徴として使われるようになりました。

※ここで私は村上陽一郎さんの「啓蒙主義の普及により、神から自立し神を棚上げし人間の悟性のみを頼りにすべての世界構造を再編成しようとするとき、それを達成していない状態は「非文明」であると定義された。「自然」を「自然」のままに放置しておくことは「野蛮」であって『文明人』の資格に欠けることになる。「野蛮な自然」を人為によって矯正することが「シヴィライズ」であり、それを達成した状態が「シヴィライゼーション」である」(『安全学』)を思い出します。
 ここでも「和魂洋才」(シビライゼーションの“形式”は輸入するがその“精神”は捨てる)の登場のように私には思えます。それと「シビライゼーションの実利的目的(植民地主義の正当化)」はしっかりモノにしているところには、感心。

 風俗の規制の根拠は「外国人の批判」でしたが、「外国人に批判されるかもしれない」も有力な根拠として用いられました。歌舞伎の演目にもそれを根拠として当局の規制がかけられます。「他人からの批判を根拠の規制」「批判されるかもしれないから、自己規制」は、現在も見られますね。
 同時に「これが日本文化だ!」の規制も行われます。明治初期、女性の断髪が流行すると「日本女性は髪が長いのが当然」と明治五年四月に女性の断髪禁止令が政府から出されます。しかし十六年頃から「日常生活の欧化」が盛んに唱えられるようになり、「婦人束髪会」が全国的に活動をするようになりました。その結果明治三十年ころには、都市部だけではなくて地方でも束髪が流行するようになります。
 やがて全国で、春画や性器をかたどったご神体や路上でのたこ揚げも規制されるようになりました。ほかにも山ほど規制がありますが、興味のある方は本書をどうぞ。地方差も紹介されていて、なかなか興味深いものです。
 『ペリー日本遠征記』には有名な「下田の公衆浴場」の図があり、男女が混浴しているスケッチには「日本の下層民は、大抵の東洋諸国民よりも道義が優れているにもかかわらず、疑いもなく淫蕩な人民」「その淫蕩性は実に嫌になるほど露骨であるばかりでなく、不名誉にも汚れた堕落を現すもの」とあります。私は苦笑するしかありません。日本にはたしかに大らかな性風俗がありますが、ビクトリア時代の欧米の性風俗って、実態はそんなにお堅いものだったけ?と。そもそもこのスケッチ、あまりに“見えすぎ”です。当時の浴場は薄暗く、しかも蒸気をわんわん籠らせていますから、非常に視界は悪かったはず。
 往来での裸姿にも欧米人はショックを受けています。ただねえ、「わざわざ裸に注目して騒ぐ」のと「裸があっても気にしない」のと、どちらが「裸」に対して“無垢な態度”なんでしょうねえ。

 「文明開化」での「文明のヒエラルキー」は「欧米>日本」でした。「坂の上の雲」状態です。そういった構造を作れば当然その“続き”も簡単に構成できます。つまり「日本>○○」です。で、○○に入るのが「アイヌ」「朝鮮人」「中国人」ということになるのは、当時の日本人にとっては当然のことだったことでしょう。
 北海道では、違式詿違条例で禁止されている「入れ墨」を入れた“野蛮人”が特に規制の対象となりました。さすがに「入れ墨に関しては成人アイヌは除外」で運用されていますが。はじめは、男性の耳輪(ピアス)と条例以後生まれた女子への文身(入れ墨)が禁止されました。明治十年頃から警察機構が整備されたのに伴い、北海道での違式詿違条例違反検挙数が増加します。規制される側の価値観も「文明開化」で変化し、アイヌの儀礼や弓矢猟も禁止されアイヌ文化は「矯正」されてしまいました。もちろん有無を言わせず痛い思いをさせられる女性がいなくなったのは“良いこと”ではあるのでしょうが、失われた文化を思うとき、私はなにか釈然としない思いを噛みしめます。


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規格

2010-01-23 17:35:53 | Weblog
 私はガソリンカードを使う関係で、給油するのは特定の石油会社のスタンドに偏っています。ただ、あまりいつも同じスタンドではあきるから、この前、同じ石油会社の違うスタンドに行ってみました。こちらもセルフだったのですが、給油機を使おうとして一瞬目を疑いました。普段行くところは「ハイオク」「レギュラー」「軽油」の順に給油機のボタンとノズルが左から並んでいるのですが、今回のは「軽油」「ハイオク」「レギュラー」の順だったのです。さすがにノズルの色は共通でしたが、なんでわざわざ位置を入れ替えますかねえ。こんなことをしていたらつまらない事故の元です。人間の注意力は「24時間フル稼働」できるものではありませんから。ノズルの並びくらい、スタンドや石油会社の別なく、日本中で共通にしておけばよいのになあ。

【ただいま読書中】『アポロ13』ジム・ラベル&ジェフリー・クルーガー 著、 河井裕 訳、 新潮文庫、1995年、777円(税別)

 1970年4月13日ヒューストン時間22時、地球から月まで5/6の位置で「毒薬の錠剤」の話が持ち出されます。いざというときに自殺する手段があるのではないか、と。残された時間は1時間54分。操縦室の酸素タンクの残量はそれだけでした。
 アポロ13に何が起きたか、はすでに広く知られています。映画もあるし、テレビシリーズ「人類、月に立つ」でも詳しく描写されました。しかし本書の著者はその船の船長です。これは読まなきゃ。
 そして1967年1月27日「宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」調印を祝するホワイトハウスでのパーティーにラベルは参加していました。その条約には、宇宙飛行士が“敵国”に不時着しても身の安全を保障される規定もありました。露骨な“伏線”です。
 同時刻、ケープ・ケネディでは、故障だらけのアポロ1号のテストが行なわれていました。そして……火災発生。この事故についてここまで具体的で詳細なレポートを読んだのは初めてですが、胸が潰れそうな思いがします。
 本書では、「アポロ13」と「ジム・ラベルの半生記」をカットバックで登場させることで、緊迫感を維持しつつ、アメリカの宇宙開発の歴史物語も展開します。そしてこの二つの物語がクロスしたとき、こんどは軌道上と地球上のカットバックとなります。
 アポロ8号にジム・ラベルは航法士として乗り組み、人類初の月周回を行ないました。これまた盛大な“伏線”です。話の“行く末”がわかっていても、読んでいてわくわくします。地球帰還後、ラベルは14号の船長に任命されますが、運命によって13号に変更されます。
 打ち上げられて二日目に、ドカン、3つの燃料電池のうち二つが死亡、二つの酸素タンクの一つが急に空に。そして残された1号タンクも漏れが始まっていました。そのために酸素の残量はゼロに近づき、同時に漏れの勢いで13号の姿勢は不安定になります。さらに漏れたガスが結晶となって宇宙船のまわりにまとわりつくため、星を使っての天測ができません。洋上の船なら救命ボートを使うシーンですが、パイロットや地上の管制官たちは知恵を絞り、本当に“救命ボート”を使うことにします。きわどい手ではありますが、ほかに3人が助かる可能性はありません。確実にあと数分以上は生きられない宇宙船から、おそらく数日以上は生きられない月着陸船への移動が行なわれます。そして生存のための計算が行なわれます。軌道の計算。消耗物資の計算。幸い酸素は足りそうですが、二酸化炭素吸着剤が足りません。水も不足しそうです。不足している電力の消費カットは可能ですがそうしたら生存と帰還に必要な機械も止めなければなりません。温度はどんどん下がっていきます。消耗物資の残りを計算する人々は、最も貴重な消耗物資が「時間」であることに気がついています。
 このときの会話の記録は「息の調子」もわかるような筆遣いで書かれています。読んでいてこちらまで息苦しくなってしまいます。息苦しい……そうそう、二酸化炭素濃度もそろそろ限界です。そこで“日曜大工”で急ごしらえの二酸化炭素吸収装置の登場です。さて、次は帰還軌道。地球の大気圏に突入する角度は、5.3度以上、7.7度以下の傾斜角です。それ以外ではアポロは燃え尽きるか大気ではじかれて宇宙の迷子になるか、です。軌道修正でちょうどその角度のど真ん中に入ったはずなのに、原因不明の機動で角度は少しずつズレ始めます。さらにまたもや「ドカン」。今度は月着陸船の台座部分から「雪の粉」が吹き上がります。酷使されたバッテリー内部にガス(水素と酸素)がたまって爆発したのでした。
 そこで読者は思い出します。最初の「ドカン」の原因は?
 その疑問に解答は与えられません。機器に頼らず目視で宇宙船の軌道を変更するという、とんでもない試みがラベルを待っているのです。ロケットを噴射しつつ、縦揺れ・横揺れ・偏揺れを押さえて照準器から地球と太陽がずれないように14秒間アポロを維持すれば、ミッション完了。こう書くのは簡単ですが、実際にやるのは大変です。
 で、そのあとにまた「ドカン」というか「ポン」。まったくもう、いくつナニカが破裂したらいいのですか? さらに、低温と脱水が乗員の体を静かに蝕みます。

 ラストシーン、孫に囲まれたほのぼのとしたラベル、しかし彼には「無念」というか「残念」があるようです。彼の思いを継ぐのは誰か、と問いかけるようにしながら、本書は終わります。


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敵味方

2010-01-22 17:43:29 | Weblog
 なにやら剣呑な状況で少しでも味方が欲しいときでも、「敵のいない人間」は味方にしない方がよいでしょう。八方美人は非常時には役に立たないものですから。ただし、「敵がいる人間」であるにしても、その人が「どんな人間を敵(味方)にしているか」には注目しておいた方がよいでしょう。その人自身が賢者か愚者かは別として、「愚者が味方で賢者が敵」の人間は敵にした方がよいし「賢者が味方で愚者が敵」の人は大いに味方につけた方がよさそうです。

【ただいま読書中】『ウィキペディア・レボリューション ──世界最大の百科事典はいかにして生まれたか』アンドリュー・リー 著、 千葉敏生 訳、 早川書房(ハヤカワ新書juice)、2009年、1400円(税別)

 世界初の百科事典と言えるのは、ローマの大プリニウスの『博物誌』です。15世紀中国の『永楽大典』は2000人の学者と8000種の図書文献を使用して編纂された、当時としては世界最大の書籍でした(惜しいことに火災で焼失してしまいましたが)。18世紀フランスの『百科全書』が現代の百科事典の「母」です。それはイギリスに影響を与え『ブリタニカ百科事典』が生まれます。
 1993年マイクロソフト社はファンク・アンド・ワグナルズ社の『スタンダード・エンサイクロペディア』を『マイクロソフト・エンカルタ』として売り出します。ブリタニカもそれに対抗しますが(私は当時のことを覚えています。Win95か98に平凡社の世界大百科をインストールした時期で、興味深く世界を見つめていましたから)、インターネット上で自由に使える百科事典はまだ存在しませんでした。
 さて、そこでリチャード・ストールマンの登場。彼は当初「パブリック・ドメイン」の運動を起こしますが、これは「知的財産の管理者不在」を悪用する者(主に企業)を生み出しました(当時「フリーソフト」を勝手に改変してそれを「著作権」で保護して販売する企業があったのです)。1985年ストールマンは「GNU宣言」を行い「コピー・レフト・ライセンス」を提唱します。その影響で世界のあちこちでオープンソース・プロジェクトが成長しました。その一つがリナックスです。リナックスのまとめ役リーナス・トーバルズは「善良なる独裁者」としてコミュニティを急成長させます。
 ネットでのベンチャー企業ボミスを立ち上げてそこそこ成功していたジミー・ウェールズは、ボランティアによるオープンソース百科事典を構想します。「ヌーペディア」です。編集主幹となったラリー・サンガー(哲学専攻)は、まずトップダウン(専門家と一般ボランティアの階層分け)を行ないます。参加者は“資格”を厳しく問われ、記事を仕上げる手続きは厳格でした。そのため、最初の年に完成した記事はわずか12個でした。これでは使い物になりませんし、なにより参加者が楽しくありません。
 サンガーの旧友が「ウィキウィキウェブ」という、誰でも参加できて誰でもそのコンテンツを編集できるサイトのことをサンガーに教えます。これは使える! ウィキペディアの誕生です。ここでアップル社のハイパーカードがウィキに重要な役割を果たしていることが示されます。いやあ、意外な驚きです。ちなみに「ウィキウィキ」はハワイ語で「ものすごく速い」だそうです。
 「分散した多数のボランティアによってデータベースを構築して百科事典を編纂」はOEDの先例があります。(本書でも触れられていて、私は2007年4月9日に読んだ『博士と狂人 ──世界最高の辞書OEDの誕生秘話』に、そのことが詳しく述べられています)
 ウィキペディア内部についての、人間関係・制度・技術的な話がつぎつぎ登場して、読んでいて空きません。また、さまざまな裏話がけっこうストレートに書かれていて、楽しめます。
 はじめは「質より量」(とにかく“存在させる”とこと、“臨界量のユーザー”を確保する)が大切でしたが、ある程度の量が確保されると今度は「質と量の確保」が問題となります(質と量のどちらか、ではなくて)。そしてここまで巨大になるとこんどは「量よりむしろ質」が問われるようになってきている、と言えるでしょう。ただしそれは「新規参入者には敷居が高くなる」現象を生みます。「誰でもが安心して使いやすい」のは確かですが「誰でもが編集できる」当初の方針とは離れている、と。本書ではそれは「次の段階のためのステップ」かもしれないが「危機」かもしれない、という書き方がしてあります。独裁者ではなくて「コミュニティ」が動かしているものですから、どうなるかはたぶん誰にもわからないでしょう。
 ウィキペディアの存在感が大きくなるにつれて「嘘が書いてある」「当てにならない」といった批判から、宿題や論文にウィキペディアを丸写しなんてことも起きるようになってしまいます。また有名な「編集合戦」。見解の真偽とは別に「自分とは違う見解の存在は許さない」という性格の人にとっては「許せない」文章は「放置できない」のでしょうね。ウィキの3つの根本原則の一つ「中立的な観点(NPOD)」をもう少し学んだらいいのになあ、と本書を読みながら私は思います。(あとの二つは「検証可能性」「独自研究は載せない」です)
 私もウィキペディアをほぼ毎日利用しています。執筆や編集という“貢献”はこれまでにほんのわずかしかしていないのでちょっと申し訳ない気持ちもありますが。で、本書もまたウィキペディアを利用しているのと似た感覚を味わえます。キーワードがあるとそこからちょっと別のページに飛んでまた戻ってくる、といった感じで構成されているのです。で、ウィキペディアの「ウィキペディア」という項目を読んでもある程度のことはわかりますが、では、著作権の問題がもしクリアできてこの本の内容を丸ごとそこに書いたとしたら、たぶんだれも読まないでしょうね。画面で読むには長すぎますから。こうしてみると、ウィキペディアにはウィキペディアとしてそれなりの、本には本でそれなりの“役目”があるのだ、とわかります。


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