【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

衆愚

2012-03-31 22:12:41 | Weblog

 正しさではなくて、数でしか勝てない人たちのこと。問題は「愚かさ」ではなくて、「勝ってしまう」ことにあります。

【ただいま読書中】『マラコット深海』コナン・ドイル 著、 大西尹明 訳、 創元推理文庫326、1963年(83年43刷)、240円

 先日「『海底二万マイル』を再読したい」と書きましたが、どこでどう迷ったのか、本書を読んでしまいました。
 マラコット博士は、大西洋の海底探検に出発しました。船底が開くように改造した探査船からつり下げるタイプの探査船で、深海に潜る計画です。空気は船上からポンプで送り込み、連絡は伝声管または電話、照明は電気。コナン・ドイルが生きたのはまだガス灯の時代ですから、これでもものすごい“ハイテク”の話です。
 潜水函が目指すのは、水深550m。海底はまだ下ですが、火山がそそり立っているのでその頂上に降り立つ予定です。潜水は順調でしたが、そこで不順なできごとが。とんでもない事故で大綱が切断され、潜水函は5マイルの深みに落下してしまったのです。乗員三人を乗せたまま。
 深海底には、古代の超文明の遺産が三人を待っていました。かつて地上で繁栄していた文明は、突然海に沈みました。それを予見していた指導者は海中でも生きのびることができる施設を準備していたのです。おお、アトランティス。ただ本書では「プラトン」が「プラトー」です。やっぱり英語ではなくて「日本語」でやってほしいなあ。日本語訳の本なのですから。
 それにしてもとんでもない超科学です(とんでもないからこその「超」ではあるでしょうが)。今から8000年前にすでに原子変換技術や人の心の中を映し出すテレビジョンを持っているのですから。
 さて、三人はその情報を地上(海上?)に伝えます。それを受けて世界は「救助隊」を組織。さあ、深海底からの脱出作戦の開始です。
 本書には、H・G・ウェルズの影響が容易に見て取れますが、もう一つ、輪廻転生とか、物質文明への懐疑というか神秘主義への傾倒というか、ちょっと不思議な主張も展開されます。「科学の世紀」に対する反省が当時の“ブーム”だったのかもしれません。そういえば著者も降霊会に通ったりしていたんでしたね。
 「科学ブーム」には、「キリスト教の権威」に対する“抵抗”としての側面もあったはずですが、科学自体がまた一つの“権威”になることへの危惧が生じたとき、人はまた別のものに“抵抗”の根拠を求めたのかもしれません。人の心は、ややこしいものです。



金遣い

2012-03-30 18:19:07 | Weblog

 資本主義社会では「金持ち」が“尊敬”されます。だけどそのお金を死蔵されてしまうのは資本主義でも何主義でも、社会にとって良いことではありません。お金は「使ってナンボ」ですから。だから、社会の価値観として、(大量の金を所有しているだけの)「金持ち」ではなくて(大量の金を継続的に使う)「金遣い」の方を“尊敬”する、としたら、尊敬を得る人にとっても社会にとってもよいのではないでしょうか。昔の日本には高額納税者の番付がありましたが、それと同様に「1年間でこんなに消費した」の番付を発表して、そのトップは皆でほめたたえると、そのうち使った金の一部は“回りもの”としてこちらの懐に入ってくるかもしれません。逆に、大量に死蔵する人間は皆で軽蔑しましょう。「そんなの江戸っ子の風上にもおけねえ」……というのは、江戸っ子以外に対してはどう言えばいいのかな?

【ただいま読書中】『ノーチラス号北極潜航記/大西洋横断一番乗り』ウィリアム・アンダーソン/チャールズ・リンドバーグ 著、 偕成社、1970年、430円

 急にノーチラス号の北極潜航の記録を読みたくなったのですが、とりあえず図書館にあったのはこの本だけだったので、子供向けであることには目をつぶって借りてきました。
 1958年、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号は「日光作戦」を開始しました。北極海を潜航して通過してイギリスまで、という冒険です。
 北極海の航路は、まずはイギリスが、スペインやポルトガルに対抗するために16世紀頃から開拓を始めていました。東洋を目指して、北西航路(アメリカ大陸の北を通過)と北東航路(シベリアの北を通過)への挑戦が続きましたが、ことごとく失敗。ついでオランダが挑戦しますがこれも失敗続き。ついに北東航路に成功したのは1878年スウェーデンのノルデンショルド(地質学者)によってでした。探検家たちはこんどは北極点に注目します。何人もの挑戦が続き(死者もたくさん出て)1909年アメリカの軍人ペアリーがついに北極点到達を果たします。1926年5月9日アメリカのバードが飛行機で北極点を通過、その3日後に飛行船でノルウェーのアムンゼンが北極横断に成功。1937年にはソ連のシュミットが飛行機で北極点に到達後、4人の越冬隊員を氷島に残します。彼らはそれから274日間漂流しながら研究を続けました。
 では、潜水艦は? 1931年、ヒューバート・ウィルキンスが、アメリカ海軍払い下げの老朽潜水艦「ノーチラス号」で北極横断に挑戦しました。バッテリーに定期的に充電する必要のあるディーゼル機関ですよね。浮上をする必要があるため、結局氷で船体が損傷し、探険は失敗しています。
 シアトルを出港した原子力潜水艦ノーチラス号は、深度が浅いベーリング海峡で分厚い氷に行く手を阻まれます。西がだめなら東から、とアラスカ寄りに転進。しかしそこも“ドア”は閉まっていました。アンダーソン艦長は決断します。引っ返そう、と。ノーチラス号は一度ハワイの真珠湾に戻って出直すことにします。
 そこで「茶番」が。秘密保持のため、赤道付近からやって来たことにしたのです。そこで乗組員は皆「いやあ、暑かったなあ」などと言い合います。艦内はエアコン完備なのにね。
 さあ、再チャレンジです。今回は航空偵察で氷の状態を確認してから北極圏に突入しますが、またも群氷がノーチラス号の行く手を遮ります。レーダーとソナーとテレビカメラを活用しつつ、ノーチラス号は行ったり来たりで航路を探します。しかしついに深い海へ。巡航深度は130m。ここなら水面から20mも垂れ下がっているつららのような氷も届きません。
 ノーチラス号は20ノットで快調に真北を目指します。最後に浮上してからはや62時間。ついにノーチラス号は北極点を通過しました。それは、潜水艦として初の成功であり、116人もの人間がいっぺんに北極点に存在した、という点でも初の“成功”でした。ちなみにそこの水深は4400mだったそうです。さて、次の作戦は「横断」です。目指すはグリーンランド。やっと氷の切れ目が見つかって浮上したノーチラス号は歴史的なたった3語の電報を打ちます。「ノーチラス号 北緯 90度」と。
 大した冒険ですが、私にとっては、潜水艦の名前が「ノーチラス号」であること、それだけでも十分です。『海底二万マイル』を再読したくなってきました。



傀儡政権

2012-03-29 18:53:51 | Weblog

 どんなひどい外国人支配の下でも、現地には必ず傀儡政権が出来るものです。それは、「絶対的な権力者のおこぼれに与ろう」とか「どさくさ紛れに(制限されてはいても)権力を振るいたい」という情けない人間が必ず一定の割合存在するからでしょうが、そうではない、たとえば高潔の人が「支配者の要求を少しでも自分が上手くやわらげることで、国民の不利益を減じたい」という意図で参加していることもあるでしょう。ですから「傀儡政権」というだけで、一方的に低く評価するのはやめておいた方が良さそうです。

【ただいま読書中】『平将門(上巻)』海音寺潮五郎 著、 新潮文庫、1967年(75年18刷)、

 いま「東北」と呼ばれる地方に、「日本人」と「蝦夷人」とが混じって住んでいた時代。陸奥の鎮守府将軍良将の息子、小次郎将門は、父を亡くし、下総の領地の開拓で鍛えられます。仲の良い従兄弟は貞盛。おやあ、ここでもう“二人”の出会いが。
 二人は官位を得ようと京に出ます。そこで将門が見たのは、“東夷”をバカにしながらもその財物をアテにする下賤な根性の貴族たち、荒れ果てた都の裏側、人をがんじがらめにする“政治”。将門が出会った人の中には、明らかに傑物である藤原純友がいましたが、才能のある人は出世ができないシステムが都には完備していました。。
 崩れかけた屋敷の中に姫君と乳母を垣間見たことで将門の“ロマンス”が生じますが、これって『源氏物語』の「紫の上」ですよね。で、そこに“お邪魔虫”として登場するのが貞盛。彼はみごとなくらい“憎まれ役”を本書では買って出ています。
 疫病が流行り、盗賊団は凶悪化します。将門はそれを退治することで名を挙げますが……世の中は不条理にできていました。失望と憤怒を胸に、将門は板東に帰ります。
 郷里は、将門に決して暖かくはありませんでした。強欲な“同族”が、将門の財産(土地)を横領していたのです。強さこそが正義、の時代です。律令制は崩れ去ろうとしており、奪われたものは自力で取り返すしかないと、将門はついに心を決します。周囲の状況でそう心を決めるしかない所に追い込まれた、とも言えますが。
 ついに将門の戦いが始まります。将門と親戚との戦いは、将門から見たらただの正当防衛ですし、外的にはただの同族同士の内紛です。しかし、その親戚の誰かに都とつながりがあると、話はこじれていきます(そういえば、平泉藤原氏の初代清衡も、もとは同族同士の争いに鎮守府が絡んで安部氏が滅ぼされ……ということで人生のスタートを切ったのでしたね)。そして、案の定、ここから将門の運命は大きく変わっていくのでした。


とりあえず

2012-03-28 18:59:59 | Weblog

 ラーメン屋に行って何かサイドメニューを、と思うと、とりあえず思いつくのは餃子かチャーハンです。うどん屋(入り口でうどんを作ってもらって副食物がずらりと並んだカウンターの前をお盆を押して歩いて好きなものを取って最後に会計、のシステムのところ)でとりあえず手が出るのは、天ぷらとかおむすびです。
 ちょっと野菜が少ないしカロリーと炭水化物が多くなるのが、私には不満です。
 なにか新しい発想での“サイドメニュー(定食の組み合わせ)”はないものでしょうか。もしすごいのを思いつけたら、ビジネス・チャンスでっせ。

【ただいま読書中】『山はどうしてできるのか』藤岡換太郎 著、 講談社(ブルーバックス)、2012年

 ……それはもちろん人間が登るため、ではないですよね。
 地球の高山は大陸の端に寄って分布しています。海中にも“高い”海山がありそれが連なる海嶺がありますが、それは大洋の中央部です。それはなぜでしょう。
 本書では「山」を「四つの視点(地上から、海から、宇宙から、接近して)」で眺めて考えようとしています。
 19世紀終り頃のヨーロッパでは「地球収縮説」が唱えられました。地球が冷却によって収縮すると表面には皺が寄る。凸が山、凹が海になる、という説です。対してアメリカでは「地向斜造山運動論」(堆積物がマントルまで沈んでそこで変性作用を受けて硬い岩になりそれが上昇してきて山になる)が唱えられました。水平vs垂直です。昨年12月5日に読んだ『プレートテクトニクスの拒絶と受容 ──戦後日本の地球科学史』では日本で20世紀後半まで「地向斜造山運動論」が信じられてプレートテクトニクスが“拒絶”されたことが書かれていましたっけ。
 そして「大陸移動説」が登場します。これこそが後に「山がどうしてできるのか」への画期的な回答となる考え方でした。提唱者のウェゲナーは生前には正当な評価を得られませんでしたが、マントル対流説、プレートテクトニクス、ついでプルームテクトニクス(マントル対流の原動力を説明する仮説)が登場することで海洋底が拡大することの結果として大陸が移動することは、ほとんどの人に認められることになります(例外は、旧約聖書や地球平面説の信者)。
 現在「山ができるメカニズム」は、断層・造山運動(付加体、大陸の衝突)・火山活動・風化や浸食、に大別されます。たとえば東山連峰は正断層、六甲山地は逆断層だそうです。断層の原因は地震、地震の原因はプレートテクトニクスです。付加体は、海溝の底で堆積物などが変性して陸に付け加わって上昇してきたもので、日本なら南海トラフや四国山地です。大陸衝突で有名なのはヒマラヤですが、日本でも丹沢山地や日高山脈(北海道の東西がぶつかって形成)があります。
 日本列島は、三枚のプレートが沈み込む場所に形成されました。そのため、とても複雑な地形となっています。日本列島ができたのは私にとってはありがたいことなのですが、火山と地震がもれなくついてくるのは嬉しくありませんね。


ダイヤ

2012-03-26 22:45:09 | Weblog


 私が子供時代には、石炭は「黒いダイヤ」でバナナは「黄色いダイヤ」でした。いまだったら、黒はキャビアや黒トリュフかな。黄色は……数の子?

【ただいま読書中】『バナナの世界史 ──歴史を変えた果物の数奇な運命』ダン・コッペル 著、 黒川由美 訳、 太田出版、2012年、2300円(税別)

 先日「パナマ」を読んだから、今日は「バナナ」です。
 「バナナの木」は樹木ではなくて世界最大の草本/世界には千種を越えるバナナが存在する/野生種のバナナの実は小指程度の大きさ/バナナの原産はアジア/ヴィクトリア湖周辺諸国で「食べ物」を表すことばはスワヒリ語の「バナナ」/現在のアメリカ人が食べているバナナと祖父母の時代のバナナは種類が違う(現在のはキャベンディッシュ、祖父母の時代のはグロスミッチェル(パナマ熱という疫病で消滅))……ところが、パナマ熱に強いはずのキャベンディッシュを犯すパナマ熱やブラック・シガトガ病が発生し、全世界で少しずつ“バナナ”が滅び始めているのだそうです。
 栽培種のバナナには(ふつう)種がありません。ではどうやって増やすかと言えば(挿し木のような)“クローニング”です。つまり、同一種のバナナは世界中どこでも遺伝子型は同じ。ということは「同じ病気に弱い」ことになるのです。
 パプア・ニューギニアのクック遺跡からは、なんと紀元前5000年前の農園跡が出土しましたが、そこで育てられていたのがバナナでした。ただし野生種のバナナは、実は小さくとても固い種が含まれているので、人が食べていたのは地下の球茎だったのではないか、と想像されています(現在の栽培種のバナナではこの球茎で株分けをして増やしています)。アジアからアフリカ、そしてアメリカへとバナナは広がっていきました。それは遺跡だけではなくて、「バナナ」を示すことばの変遷を見ることでも追えるそうです。ちなみに、「banana」の元となったのはアラビア語の「banan(指)」だそうです。
 バナナの大市場であるアメリカに、最初にバナナを大量に供給していたのはジャマイカでした。しかし業者は、さらなる大生産地を求めて中米に移ります。密林を開拓してプランテーションを作るのです。この時の苦労をちゃんと学んでいたら、パナマ運河を造った人たちの苦労は少しは軽減できたかもしれません。ところがここから話はきな臭くなります。バナナ会社には荒っぽい人間がたくさん集まっていて、会社に不都合な政策を採る政府は自分(と傭兵)の手で潰したりしたのです(たとえば、ホンジュラスでの反乱)。さらにアメリカ政府もその後押しをします。1918年には、パナマ・コロンビア・グアテマラで、バナナ労働者のストライキをアメリカ軍が直接鎮圧しています。さらにアメリカ政府の矛先は、中南米の政府そのものにも向けられます。少しでもアメリカ政府(とバナナ会社)に気に入らない言動をする権力者は、さっさとすげ替えられます。本書を読んでいるとその姿はまるで「バナナ帝国主義」です(大航海時代にヨーロッパ列強は、まず探検隊や宣教師を送り込んでから植民地支配をしましたね。その基本姿勢に「バナナ」を振りかけたものです)。
 病気に強くさらにざまざまな利点を持ったバナナを開発するために、旧来からの品種改良の努力だけではなくて、遺伝子組み換えも研究されています。ただし、そこで使われる遺伝子の一部には「魚の遺伝子」も含まれる、と聞くと、私はちょっとためらいを感じてしまいます。それは「バナナ」か?と。
 バナナは戦争の原因となりましたが、同時に戦争(と飢餓)を終わらせるものにもなり得ます。バナナは、「デザートとしてのバナナ」だけではなくて「食料としてのバナナ」という面も持っているからです。そのとき、その土地で育てられる(そして、多くの人を救う)バナナが「遺伝子組み換えバナナ」だった場合、私たちはそれを“選択”するべきでしょうか? これは「科学(と社会)」の問題であると同時に「倫理」の問題でもあるのです。


世界博物館

2012-03-25 19:41:16 | Weblog

 「大英博物館には世界中の貴重な文化財が集まっている」とテレビで言っていました。大英博物館に限定しなくても、有名な博物館にはたしかに世界中のものが集まっています。ならばいっそのこと、「国」ではなくて「世界」に博物館は所属するようにして、たとえば大英博物館は「ザ・博物館の英国分館」といった形にしてしまったらどうでしょう。博物館が上手く国(政治)から独立できたら、文化のことなどわからない野蛮な国内政治家からの圧迫も避けられるようになるかもしれません。あ、そんなことを平気で言う野蛮な政治家が威張っているのは野蛮国だけで、日本のような“文明国”は、大丈夫……ですよね?

【ただいま読書中】『パナマ運河』山口廣次 著、 中公新書564、1980年、460円

 先日マラリアについて読んだら、パナマ運河のことが出てきたので一応その関係の本も抑えておくことにしました。著者は元パナマ大使で、その縁でパナマ運河について詳しく調べたのが本書の始まりです。
 レセップスの生涯は「19世紀」とほぼ重なっています。有能な外交官で各地の大使を歴任したレセップスは、25年勤めた外交官をやめてから、情熱を向ける対象を「スエズ地峡の運河」に向けます。それを妨害するのはイギリス。「海の覇権」をフランスに脅かされると考えた大英帝国は、当時エジプトを支配していたトルコ皇帝に圧力をかけたり、レセップスの個人的信用を貶めようとしたり、先日の『人民は弱し 官吏は強し』の官吏のようにいろんな手を使って妨害します。それでもレセップスはついにスエズ運河を開通させ、「ヒーロー」となります。さて、次は大西洋と太平洋をつなぐ運河です。こちらはアメリカがニカラグアで本格的に調査を始めていました。レセップスは、当時コロンビア支配下にあったパナマを候補とします。ただ、レセップスは「海面式運河(レセップスのことばでは「水平運河」)」を考えていました。国際両洋運河研究大会(パリ会議)の場でレセップスの演説が大喝采を受けた後、レピネーという無名の技師が「パナマ運河」の新しいアイデアを披露します。それはなんと現在のパナマ運河そのものの姿でした。さらに熱帯病対策についても言及します。しかしレピネーのアイデアは無視されました。各国には各国の思惑があり、「空想的なアイデア」にかまっている暇など誰にもなかったのです。結局「ニカラグア(アメリカ)」対「パナマ(レセップス」となり、事態は「科学」「学術」「技術」「工学」などではなくて「政治」になります(「政治とはそもそも対立である」と書いてあったのは、先日読んだ『学問のすすめ』の序文でしたっけ)。
 やっと計画が進行し始めますが、レセップスには、資金集め、ハゲタカ(レセップスから少しでも金を巻き上げようとする人)の集団などの“人為”との戦いが待っていました。さらにマラリアや黄熱病や地すべりといった“自然”との戦いも。レセップスの奮闘も虚しく、とうとう運河会社は破産。10億フランを注ぎ込んだ事業は失敗に終わります。
 そこで悠然と“歴史の表舞台”に登場するのが、アメリカです。アメリカはニカラグアのアイデアを捨てていませんでした(地図で見たらパナマより幅が広いのですが、中央の巨大なニカラグア湖が使えます)。それを熱心に妨害したのが、またも、イギリス。
 歴史って「何かを為した人」「何かを失敗した人」でできているようにみえますが、視点を変えて「何かを為そうとした人を妨害した人」の“業績”で歴史を描いたら、それはそれで面白そうです。だって妨害者も“悪人”ではなくて、なんらかの“正義”に基づいて行動しているわけでしょ?
 米西戦争で、太平洋から戦艦オレゴン号をキューバに派遣するのにとんでもない時間がかかったことから、米国内では「運河」の必要性に共通認識が生まれますが、こんどは「ニカラグア派」と「パナマ派」の対立が生じます。いやいや。紆余曲折があってやっと国内がまとまったら、こんどはしんどい外交交渉の始まりです。この辺は著者の商売柄、とてもわかりやすく書かれています。コロンビアは結局アメリカの提案を拒否。ならば、パナマ州の独立です。コロンビアは500人の兵士を送り込みますが、それを迎え撃つのは、アメリカの砲艦一隻だけ。さて。
 いろいろあって、やっと工事が始まりますが、同時に混沌も始まります。どうしてこの世にはこんなに「真っ直ぐには仕事をしたくない人」が多いんでしょうねえ。そして、やっと「真っ直ぐに仕事をする人」が主任技師になってまず始めたことは、今やっている工事の中止でした。まずは多数の人間が住む場所には必ず必要な施設の整備。それから、衛生改善。これまで多数の人命を奪ってきた熱病対策です。「土を掘らずに蚊やねずみ退治ばかりやっている」と悪口を言われますが、結果は翌年には出ました。1905年に206件あった黄熱病が翌年には1件になったのです。(当時はまだ、動物が病気を媒介することは“常識”ではありませんでした) 次は「基本計画」の策定です。というか、それまでなかったんですね。まず掘ってから考えよう、てか? そこでまた“対立”は国内へ。海面式と水門方式の対立です。
 本書を読んでいて「紆余曲折する運河」という副題を私は与えたくなりました。いやあ、この世の中、ビッグプロジェクトはどこでも大変なんでしょうね。おっと、小さなことでも合意を取りつけるのは、大変でした。


変化

2012-03-24 20:42:47 | Weblog

 先日、回転寿司の話を書いたせいか、急に食べたくなりました。で、くだんの店ではなくて、自宅から近いところに行ったら、以前とどうも雰囲気が違います。私は家内が美容院に行っても気づかないくらいの人間なんですが、さて、どこが変わったのだろう、とじっくり見ていてやっとわかりました。にぎり鮨そのものが小さくなってます。
 やっぱりコストの問題なんですかねえ。

【ただいま読書中】『人民は弱し 官吏は強し』星新一 著、 新潮文庫、1978年(86年12刷)、320円

 1915年、星一(ほしはじめ=著者の父親)がアメリカから帰国して10年、星製薬は、それまでの日本の製薬業にはあまりなかった概念である「事業」を上手く操ることで発展していました。
 当時「化学」の最先端国はドイツでした。しかし星はドイツの真似をしようとは思いませんでした。ドイツは豊富な石炭を生かして製鉄業が盛んで、その結果得られる大量のコールタールを原料に化学合成を行なっていました。しかし日本では国情が違います。そこで星が目をつけたのはアルカロイドでした。これからの需要が見込まれるモルヒネ製造の国産化です。問題は、モルヒネの原料である阿片が、政府の専売になっていることでした。そのため、値段は国際相場の数倍。これでは国際競争力のあるモルヒネ製造はできません。
 星は台湾専売局を経由して、安く(しかも合法的に)阿片を入手します。苦労の末ついに国産モルヒネの製造に成功しますが、問題は製造コスト。しかし大量生産によってコストは下がり、欧州大戦で売値は上がり、大成功の予感が漂い始めます。ただし、業界内部のしきたりとか官吏や政治家とのつきあいを軽視し、「正論」とアメリカ式の合理主義で生きる星には、風当たりも強くなります。

 「父の伝記」というよりも、著者のいつものショートショートのロングバージョン、といった感じの語り口です。主人公の星一もまるでショートショートの主人公の「エヌ博士」みたいな感じなんです。ただし、お話の進行は星新一のショートショートよりはずいぶんシビアです。

 モルヒネの次は、コカイン、そしてキニーネ。他の会社が難しすぎる(あるいはコストがかかりすぎる)と投げたものに対して、星は次々“国産品”の製造に成功します。それに対して政府は不可解な対応をします。国産薬品の開発のため、という名目の下、星製薬のライバル会社を中心として官製企業を設立させたのです。これは、特定企業・御用学者・官僚(それとおそらく政治家)が結託して奇怪な動きをする(そして大量の税金を消費する)“会社”ですが、ここの描写を読んでいて私が思い出したのは「原子力ムラ」です。まったく、こういった後進国スタイルというか国辱企業というか、こういったものは日本の“伝統”なんでしょうか。
 成功者に対する同業者の羨望と嫉妬、自分たちの言いなりにならないものに対する役人の権力欲と復讐心、それが組み合わさって星の足を引っ張る方向にしつこく陰湿な流れが生じます。法律を後ろ盾にした恣意的な行政指導によって、星は窮地に追い込まれます。官僚の意地悪な手口は、間接的にはいろいろ知っていますが、直接相手をしなければならなかった星の心境はいかばかりかとこちらまでつらい気持ちになってしまいます。
 それでも事業は順調で(だからこそ摩擦が生じるのですが)、関東大震災もほぼ問題なく乗り切ります。しかし、星の仲が良い後藤新平を追い落とそうとする加藤高明が首相になって、それまでの“逆風”は“台風”になります。まずは「星一、市ヶ谷刑務所に収監さる」という報知新聞の“誤報”。権力が、特定個人を“罪人”にするために歯車を動かし始めたのです。“犯罪”をでっち上げ、裁判の被告とすることで社会的信用を失わせる努力の始まりです。
 このへんから「つらい気持ち」は「怒り」へと転化し始めます。そしてこれが「過去の話」ではなくて「現在も確実に行なわれている話」であろうことに思い至ると、この怒りをどこにぶつけたらいいのだろうか、とも。
 星一が権力にすり寄る(あるいは上手く“共存共栄”できる)タイプの人間だったら、ここまでいじめられなかったかもしれません。だけど私はこういった場合、いじめる人間ではなくていじめられる人間の方に感情移入します。
 「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」という俚諺があります。官吏の側はその「理屈」の正しさを見てうっとりしているのでしょうが、私はその「理屈」がくっついている「意図」の方を見てしまいます。
 そうそう、官吏の側に立つ人は「星の側に問題がある」「官吏の悪口をここまで書いて良いのか」という感想を持つでしょうが、ご安心を。本書は「星の理不尽な悲劇」を描くことで「権力の強さ」の宣伝にもなっています。ですから「権力を振るって楽しみたい」という人を官僚組織にどんどん引きつける効果を示すでしょうから、組織は、これからも安泰です。


中世

2012-03-23 18:37:47 | Weblog

 あの時代は、あと何世紀くらい「中世(Middle Ages)」と呼ばれるのでしょう?

【ただいま読書中】『中世の秘蹟 ──科学・女性・都市の興隆』トマス・ケイヒル 著、 森夏樹 訳、 土社、2007年、3200円(税別)

 古代末期のアレクサンドリアをふりだしに、中世の各地を“巡礼の旅”をしようという本です。
 古代ローマ人にとって“学術の中心”はギリシアでしたが、古代ギリシア人にとってのそれはアレクサンドリアでした。本と知識人が集い、様々なものが後世に残されました。ここで著者は「知性」に注目しますが、同時に「性」にも相当のページを割いています。どう扱っているかは、読んでのお楽しみ。
 「ローマ」の章では、いろいろ書かれている中に「ローマ人」がどうやって現代の「イタリア人」になったのだろう?という疑問が提示されます。人種的には同じはずなのに、中身は随分違う、と。キリスト教についてもとても楽しそうに著者は扱います。ギリシア哲学(の一部)がキリスト教に受け継がれ(それが後に精密な「神学」になります)、キリストが神か人か、本当に真剣に議論されます(このへんでキリスト教の原理主義者は(本書でのキリスト教の扱い方や著者の軽い口調に怒り心頭に発するかもしれません)。
 本書の各章を読んでいて私が連想したのは『ローマ人の物語』(塩野七生)でした。長大な「ローマ帝国」をまず「歴史観」という“背骨”で貫き、次に場所と時間を限定しさらにそこで中心に「人」を置くことでその「物語」を読み解いていく、という手法が、本書では「中世」という広くて長い“舞台”に対して採られていたものですから。そうそう、塩野さんといえば、この前読んだ『十字軍物語』に登場した人たちが、本書にも続々登場します。切り口がまったく違うので、行動は同じでもまるで別人のような印象ですが、『十字軍物語』が面白かった人には本書も(特に「愛の宮廷、アキテーヌとアッシジ」あたりは)面白いはずです。「真っ当な歴史書」が無視する、愛と性とか、宗教の本音とかがあけすけに語られていますから。
 「天上のことを学ぶ大学、パリ」では、てっきり「パリの大学」について詳述されるのかと一瞬期待しますが、やはりその期待は外されて、著者が熱心に語るのは「アラベールとエロイーズ」です。なんで?
 その次の章は「地上のことを学ぶ大学、オックスフォード」、そして「肉の礼拝堂、パドヴァ」「光のドーム、フィレンツェ」と続きます。本当に楽しい“巡礼の旅”です。
 本書では、古代の「ローマ帝国+その周辺」が中世の間に文化的にも言語的にも宗教的にも「ヨーロッパ」になっていった過程が概観できます。東西ローマの質的な違いとか、古代ギリシアのヘレニズムと古代ユダヤのヘブライニズムの対立(と融合)とか、キリスト教が実は結構良いこともやっていることとか、内容は盛りだくさんです。
 こういった本を読むと、歴史が「死者の物語」ではなくて「生(性)の物語」と「その解釈」であることがつくづくわかります。いやあ、歴史って面白い。こんな面白いものを、なんで学校ではあんなに面白くないようにしちゃうんでしょうねえ。



美人の基準

2012-03-22 19:14:52 | Weblog

 「アラビアン・ナイト」では、ふだんベールで隠されている女性の顔をたまたま見た男がその美しさに心を奪われてしまう、という話がいくつもあります。
 不思議なのは、昔のイスラムでは公的な世界では女性はみな顔をベールで隠しているわけでしょ? そういった「女性の素顔を(家族以外では)見たことがない男」がどうやって「美人の基準」を獲得しているのでしょうねえ。

【ただいま読書中】『二つの文化と科学革命』C・P・スノー 著、 松井巻之助 訳、 みすず書房、1967年(84年第3版)、2000円

 著者は物理学の研究で社会人としての経歴をスタートさせ、途中から文筆業に移りました。さらに国家公務員任用委員として大量の若い科学者にインタビューをする、という経歴も持っています。そこで「二つの文化」についての考えを深めていきました。
 日本には「文系/理系」という便利なことばがありますが、イギリスにはないのかな、著者は「科学者」「文学的知識人」という分類でその「二つの文化」の断絶について論じています。「使うことば」「興味の対象」「社会への態度」など(要するに“パラダイム”)があまりに違うため、お互いにまともな会話をすることさえ困難になった「二つの文化」ですが、それは専門家同士の間での困難だけではなくて、社会に弊害をもたらしている、と著者は述べています。
 「シェークスピアを読んだことがありますか?」と「熱力学の第二法則が説明できますが?」とはそれぞれの分野では同等の基礎的な質問に過ぎない、という印象的なフレーズが登場しますが、“真のインテリ”は最低限その両方の質問に自信を持って「イエス」と答えられなければいけないのでしょう。少なくとも著者はそれを求めているようです。(日本だったら……源氏物語とかの古典ですかねえ)
 著者の指摘の最終的な目的は、一つは「教育の改善」、もう一つは「格差の是正」です。それと、「お互いの完全な理解」などの絵空事を求めるのではなくて、“溝”があることを認めその両側でお互いにしかめっ面をするのではなくて「なるほど」と頷きあえる関係を作ること。
 本書は各界に物議を醸し、著者は驚いたそうです。中には人文系からの感情的としか言えない“反論”もあったそうですが、それって結局著者の指摘(「溝」が存在すること、その両側でお互いが対立していること)の正しさを証明しただけではないか、と私には思えます。もしかしたら「真の知識人は人文系のトップクラスだけで、それと科学者ごときを“対等”に扱うなんぞ、ちゃんちゃらおかしい」ということだったのかもしれませんが。
 私自身、自分が文系か理系のどっちなんだろう、と思うことがありますが、別にどっちかに決めなきゃいけない、ということは(少なくとも法律では決まって)いませんよね? 今のように幅広いスタンスでこれからも生きていきたいと思ってます。



一人だと不便なこと

2012-03-21 19:14:32 | Weblog

 蜃気楼と幻覚の区別が簡単にはつきません。

【ただいま読書中】『世界史の中のマラリア』橋本雅一 著、 藤原書店、1991年、2718円(税別)

 地球上の全人口の半数は、マラリア流行地域に住んでいます。現在はたまたま温帯より高緯度はマラリアがほとんどありませんが、かつては、フィンランド・カナダ・アラスカでも流行があったそうで、「熱帯ではないから安心」とは思わない方が良さそうです。
 古代の、エジプト・中国・メソポタミアなどには「マラリア」についての記述が残されています。こういったところの古代医学では「脾臓」が重要視されますが、著者はそれについて面白い仮設を述べています。これらの古代医学の発生地はマラリアの蔓延地と一致します。マラリアでは脾臓が腫れ上がります。だから、その地域の医者は脾臓に注目せざるを得なかった、というのです。なかなか説得力があります。
 古代ローマから中世ヨーロッパでは、マラリアはあまり注目されていません。“スター”はたとえば黒死病です。もしかしたら「熱病」にまとめられていたのかもしれません。しかし(中世にはヨーロッパよりはるかに高度な)イスラム文化にはマラリアの記載がしっかり残されています。そうそう、第三次十字軍で激闘を繰り広げたサラディンの死因もマラリアだそうです。
 ヨーロッパでマラリアが明確に記録されるようになったのは、大航海時代以降のことでした。ダンテの神曲にもマラリアの症状が「地獄の責め苦」として記述されていますが、ダンテ自身もマラリアで死んだそうです。
 奴隷貿易によって、多くの白人がマラリアなど熱帯病で倒れます。しかし新大陸から「生命の樹」キナノキがヨーロッパにもたらされました。それは1632年と言われていますが、この時期が「マラリアという病気の歴史」の「古代」と「近代」の境界だそうです。キナ樹皮はマラリアの特効薬として大人気となりますが、「伝統」を重んじる立場の人はキナ樹皮を否定しようとします。ヒポクラテスやガレノスの“理論”には合わないものですから。しかし、「理論」は「現実」に負けます。
 勝ち負けといえば、太平洋戦争で、日本陸軍は米軍だけではなくてマラリアとの戦いにも負けていました。当初はキニーネの予防内服ができていましたが、すぐに補給が途絶え、孤立した日本軍は内部からぼろぼろにされてしまっていたのです。
 昭和24年、彦根市の駅前に巨大な立て看板が登場しました。大書されているのは「マラリア撲滅強調週間」。当時、滋賀県はマラリア蔓延地であり(全国のマラリア患者の半数が発生)、その中で彦根市は有数の多発地帯(昭和23年には873人の患者で、全国の1/5)でした。人と物資の往還が盛んで、水はけの悪い湿地帯に恵まれている、という条件で、マラリアが「風土病」として定着していたのです。ただここで著者はその運動の対象が「病気」であると同時に「病原体を体内に持っている人間」であることを軽視していることを問題視しています。「撲滅運動」によってたしかにマラリアは激減しました。しかしその方法論は、後の「病人差別」(わかりやすいものなら、たとえばエイズ差別)にまっすぐつながる性格を内包していたのです。
 もともとマラリアは、日本ではそれほど珍しい病気ではありませんでした。「おこり」とか「わらはやみ」ということばでその存在が認知されています。そして、地球温暖化によってこれから日本でマラリアが大発生することがあるかもしれません。そのとき私たちは何をすればいいのでしょう? “想定”されてます?