公共の場で大声で騒いでいる子供の親は、高い確率でやはり大声を出しています。
【ただいま読書中】『プレイバック』レイモンド・チャンドラー 著、 清水俊二 訳、 早川書房(ポケットミステリーブック518)、1965年、250円
高飛車な態度の弁護士から早朝の電話で依頼(というより命令)の電話を受けたフィリップ・マーロウは、若い女を尾行し始めます。
日本ではまだ「レンタカー」という言葉が一般的では無かった時代のようです。「車が時間と走行マイル数で借りられる店」「貸し車」と訳されていますから。そうそう、列車の中がタバコの煙でもうもうとしている点もやはり「時代」ですね。
それにしても、開始してから40頁で、マーロウは3回拳銃を突きつけられ、1回頭を殴られて気を失います。大忙しのハードボイルド人生です。そして、本当に死人が出ます。死体は消えますが。
マーロウはうろつき回ります。そもそも自分が依頼(命令?)された仕事の内容も目的もまったく不明瞭なのです。依頼主は不明、当然依頼主の動機も不明、自分が尾行している女性は誰かに脅迫されているようですがその理由が不明、女性の行動も不明瞭……「5W1H」が何一つ成立していません。闇夜に濃霧の中をさ迷うような、何も見えずあたりが黒なのか白なのかもわからない状態です。
そして最後に、なんとも歯切れの悪いエンディング。一応これは“ハッピーエンド”なのでしょうか?
そうそう、本書のあまりに有名な「名言」は一応引用しておきましょう。
「あなた、恋をしたことがないの? 毎日、毎月、毎年、一人の女と一しょにいたいと思つたことないの?」
「出かけよう」
「あなたのようにしつかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、彼女は信じられないように訊ねた。
「しつかりしていなかつたら、生きていられない。やさしくなれなかつたら、生きている資格がない」
私としては、同じ二人の会話で……
「君はいい弁護士が必要だ」
「そんな人間はいないわ」と、彼女は吐きすてるようにいつた。「いい人間なら、弁護士なんかにならないわ」
……の方も好きですが。
しかし、こういった「小説の名言」は「対話」によって生まれているんですね。“部分引用”では「名言の真の価値」は伝わらないのではないかしら。
統一球の規格をこっそり変えていたこと、それがばれたときに見苦しく言い訳をしていたことが響いたのでしょう、日本プロ野球の加藤コミッショナーがやめるそうです。いても存在感がなかった人がやめたら何が起きるのかは知りませんが。
ところで彼は、もしかして「統一球の規格変更」を「特定秘密」に指定したかったんじゃないかな? 「こっそり変える側」にとっては、国家機密に相当するくらいの重大な秘密だったはずですから。
【ただいま読書中】『イタリアの統一』ポール・ギショネ 著、 幸田礼雅 訳、 白水社(文庫クセジュ)、2013年、1200円(税別)
本書のキーワードは「リソルジメント」という(私にとっては)聞き慣れない言葉です。もともとは「再生」を意味する言葉だそうですが、18世紀後半に現れた「イタリア文化の復興」を示すために使われるようになりました。その時その時の歴史や思想によって「リソルジメント」は「イタリアの国家的伝統的な観点」「フランス革命の影響下」「“国”とは無関係な、人口爆発の結果の経済構造全体の見直しと政治の変革の結果」「フランコ・ヴァルゼッキの解釈。内部では啓蒙運動が思想的な準備を行い、外部からはフランス革命の影響があって、イタリア統一が進んだ」、と解釈されているのだそうです。著者は、最後の解釈を是としています。
18世紀はイタリアでは貧困が進んだ世紀でした。物価は上昇しましたが、労働者の給料は上がらず、農村でも貧困が深刻になっていました。啓蒙主義は封建制度を破壊しようとし、その過程で同業者組合が破壊されて職人は賃金労働者となりました。農村でも土地所有制度に変化が生じ、小作人は日雇い労働者になってしまいます。資本主義はそういった“土壌”の上に育ち始めます。
そこにフランス革命の暴風が吹き込んできます。衝動的な暴動と政治的な運動とが同時発生することになりました。
ポナパルトがイタリア方面軍指揮官に就任してオーストリアと戦う過程で、「イタリア」は再編させられていきます。ポナパルトはエジプトに去りますが戦いは続き、フランス占領軍によって徴用されたイタリア人は四千~四千五百万人(うち一千万人がフランスへ強制移動)と言われています。フランスはイタリアのどの共和国も同じように扱おうとし、その結果各共和国の政治的融合が可能になってしまいました。ナポレオンがイタリア王になると、政治だけではなくて経済も統一的になります。他国の支配下で、イタリアの芸術と思想は自らの古典を基礎として発展しました。フランスが強制した徴兵制によって兵役を経験した若者たちは「積極的に行動する新戦力」としてイタリア全土で活動し始めます。
19世紀に、人口・生産量・貿易量が増加しますが、イタリアの各国(王国や共和国)間で格差があり、さらに北部と南部でも大きな格差がありました。1846年にピウス9世が教皇になり、中道自由主義的な政策が実行されます。そして「1848年」。パリで2月革命、ハンガリー・ボヘミア・ウィーンでは3月に反乱が勃発、イタリアでも、王権主義・共和派・中道派・連邦主義などが複雑に対立します。
つくづく「イタリア」はわかりにくいと思います。中がバラバラなのに加えて、スペイン・フランス・オーストリアの「支配」があり、さらにローマ教皇まで口を挟みますから。19世紀後半には、ナポレオン3世がイタリア統一を支援してオーストリアと戦いますが、ナポレオン3世の真の狙いはフランスによるイタリア支配ですから、戦いぶりは不徹底で早々に休戦してしまいます。しかし、天才的な外交家カヴールは、国内の不協和を調整しつつ、列強の間を泳ぎ回ってイタリア統一の気運を高めました。しかし1860年早すぎる死がカヴールを襲い、リソルジメントの流れは停滞気味となってしまいます。それでも併合が次々行われ、そのたびにトラブルが生じます。結局第一次世界大戦前になんとか「イタリアの統一」は為されました。ただ、その素晴らしさへの賛辞の影には、マッシモ・ダゼーリョの「イタリアはつくられた。あとはイタリア人をつくらなければならない」とか、マルクス主義学派からの「統一は未完成のままだ」といった言葉があります。「統一」はされても、北と南の経済格差は大きく、商業は支配階級に独占されているという問題は未解決のままでした。そして、そういった問題をきちんと解決するのではなくて、民族主義・軍備拡張・植民地などにエネルギーを向けたことが結局のちのファシズムにつながったのではないか、という見方があるそうです。
本書はなかなかユニークな歴史の見方を教えてくれます。私に印象的だったのは、啓蒙主義が資本主義の地ならしをやった、ということろです。世界と歴史の見方が少し変わってしまいました。
「南極」をテーマにした映画は日本でいくつもあります。観測隊も定期的に送り出されています。しかし「北極」についてはどうでしょう。こちらの方が日本にははるかに近いのに、私たちは“背”を向けていませんか?
【ただいま読書中】『北極探検と開発の歴史』クライブ・ホランド 著、 太田昌秀 訳、 同時代社、2013年、5715円(税別)
古代ギリシア人は北極星を巡る7つの星に熊の姿を与え、その方向を「ARCTOS(熊)」と呼びました。北極の逆の方向(南)は「ANTI・ARCTIC(反北極)」です。だから現在南極は「antarctic」と呼ばれるんですね。
北極海に関する最古の言い伝えは紀元前500年頃、カルタゴの時代に北大西洋の島々に旅行した人の伝説です。紀元前345年にはギリシアの探検家ピアテスが、白夜(と極夜)と浮氷で満ちた海の報告をしています。北極海の“夜明け”はヴァイキングがもたらしました。彼らはアイスランドやグリーンランドを植民地とし、一部はカナダにまで到達し、盛んに北大西洋航路を往来します。
16世紀に、オランダやイギリスが北東航路(北極海のロシア沿岸ルート」探検を始めます。18世紀には、ピヨートル1世大帝がアジアと北アメリカの関係を確認する探検を発令します。第一次探検隊(1725~30年)はカムチャッカで船を建造し、ベーリングは東を目指します。しかし北アメリカは“発見”できませんでした。第二次探検隊(1733~43年(探検隊の一部は49年まで継続))では、日本への航路が発見されます。ベーリングは北アメリカのキアク島に上陸しましたが、本土は視認できませんでした。帰途ベーリングはコマンドルスキー諸島のうちで最大の島で座礁、病死し、のちにその島はベーリング島と名付けられました。ロシアの商人たちはベーリング島などに出かけ、ラッコなどの毛皮を大量に持ち帰ります。毛皮狩猟隊は原住のアリュート人と戦いながら、とうとうアラスカまで進出してしまいます(1758年にロシア人がアラスカに初上陸しています)。
「欲」は探検の大きな動機ですが、この時期には科学を動機とした探検も行われるようになりました。ロシアも行なっていますが、やはりイギリスのジェームズ・クックを抜かすことはできないでしょう。1776年クックの探検隊はベーリング海峡を抜けて北上。越冬のために一時ハワイに戻ります。79年にクックはケアラケクア湾で殺され、クラークが指揮をとります。北上するもまた氷に撃退され、クラークもカムチャッカへの帰途で死亡。もう帰ろう、ということで広東に寄って毛皮を売ったらこれがあまりに高価だったため、乗組員は「もう一回北へ行こう」と暴動を起こしそうになったそうです。あらあら、やっぱり「欲」が出てくるんですね。これでイギリスも北太平洋でのラッコ猟に参入することになります。北大西洋ではクジラ漁が盛んになります(盛んになりすぎて、北半球のクジラをほぼ絶滅させちゃうのですが)。
19世紀にイギリス海軍省は「北西航路」開拓に乗り出します。イギリスから北上して北西の方向に太平洋を目指す航路です。ロシアもベーリング海峡から、西と東両方への航路を探し始めます。彼らを阻むのは、寒さ・食糧不足・氷・エスキモー(との戦い)でした。ダン・シモンズが異様な迫力の『ザ・テラー』で描いた「フランクリン隊」も登場します。船に閉じ籠って越冬しながら北西航路を探検しようとして失敗、129名の隊員が全滅した悲劇です。捜索(救助)隊が多数出され、その結果北極圏に関する知見が増えました。
クリミア戦争でイギリスと対立したロシアはアラスカ領を維持できなくなり、他国に荒らされるくらいなら、とアメリカへの売却交渉が成立したのは1867年(日本では大政奉還の年)でした。お値段は720万ドル。後のことを考えるとずいぶんお得な取引だったようです。
1875年頃から本格的な北極探検が行われるようになります。船で行けるだけ北上してそこからそり隊を送り出す方式です。同時にグリーンランド探検も行われました。1882~83年は第一回国際極地観測年です。盛んに観測が行われましたが、事故や遭難も起きました。
1884年に新シベリア群島の北で沈没したジャネッテ号の残骸がグリーンランドに漂着したことから、ナンセンはこの海流を使えば北極海中央部を横断できると考え、氷に圧壊されずに氷の上にのし上がる構造のフラム号を建造、1893年に新シベリア群島の北で意図的に氷に固定されて漂流を始めます。その途中で北極海が深度3300~3900mもあることを知ります。さらにナンセンはヨハンセンと二人で船を離れて北極点を目指します。北緯86度13分6秒で北上を断念して南に向かい発見した島で越冬。たまたまイギリスから来たジャクソン隊に出会って帰国しました。科学的なのか行き当たりばったりなのかわからない探検です。なお、フラム号も無事96年に帰国しています。
1897年にはスウェーデンの気球探検隊が北極に挑みます。ただ、残念ながら3人の隊員はキャンプ地で全滅しました。風まかせの水素気球では、ちょっと無理があったようです。
ノルウェーのアムンセンは1903年に北西航路に挑戦、06年に航路の完航に成功します。途中で2度越冬、ずっと観測を続け磁北の位置を求めました。硬式飛行船や飛行機による挑戦もあります。そうそう、日露戦争の時にシベリア鉄道が軍需で一杯になってしまったため、北回りの航路も使われた、なんてトリビアも登場します。扱われているのが20世紀初めまでで、ノーチラス号が登場しなかったのが個人的には残念ですが、北極探検について網羅的な知識を必要とする人には絶好の本です。
「被害者住所を被告側に開示」(Reuter)
「お前の住所氏名を教えろ」とこの被害者に要求されたらこの事務官は教えます? 後難を怖れて教えないと思うんですけどねえ。自分がされたら困ることを「しないでくれ」と頼まれたにもかかわらず平気で他人にする態度って、どうなんでしょうねえ。
ただ不思議なのは、この事務官の氏名も住所もこのニュースでは一切伏せられていること、です。被害者には冷たいくせに、こういったことはきちんと守秘をするんですね。
【ただいま読書中】『厨子家の悪霊』(山田風太郎の奇想コレクション) 山田風太郎 著、 角川春樹事務所(ハルキ文庫)、1997年、580円(税別)
山田風太郎のミステリを集めた短編集です。収載されているのは「厨子家の悪霊」「殺人喜劇MW」「旅の獅子舞」「天誅」「眼中の悪魔」「虚像淫楽」「死者の呼び声」
表題作の始まりにずいぶん医学的な文章が並んでいると思ったら、山田風太郎は医学部出身だったんですね。知りませんでした。それにしても「厨子家の悪霊」は、ドンデンどんでんまたドンデンの繰り返しで、読んでいて何が真実なのかと頭がくらくらしてきます。
「眼中の悪魔」では、医学と心理トリックが交錯します。殺人トリック自体はそれほど目新しいものではありませんが、それでも当時(昭和20年代)の法医学の最先端の知識が盛り込まれているもののようです。しかし読んでいて本当に恐いのは「悪人の王者は、決して自分の手は汚さない」という主張とその実践です。……しかし、「善を為さない」ことは「悪を為す」ことと同じ、と言って良いのでしたっけ?
「虚像淫楽」では、まず毒物を飲まされた女性が病院に担ぎ込まれます。夫に飲まされ、夫はその直後自分も服毒して事切れます。さて、そこから謎解きが始まります。最初は単純なサヂスムスとマゾヒスムスの色模様のように見えますが、やがて“連鎖”が生じます。SのようでMのような、MのようでSのような……ここでもドンデンどんでんまたドンデン、と、著者は“大サービス”をしてくれます。
山田風太郎と言ったら忍法ものか伝奇もの、という思い込みを私は持っていますが、ミステリは意外にも真っ当なものがそろっていました。風太郎ファンで彼のミステリを読んだことがない人にはお勧めします。ついでに、敗戦直後の日本社会に興味がある方にも、本書の作品群がぷんぷんと立てている「昭和20年代の香り」は魅力的なものでしょう。
奨学金のおかげで大学は卒業できたが就職が不調で、奨学金の返済が負担で自己破産をした人がいる、というニュースを見ました。
もちろん「奨学」だから「学」だけ見ていれば良い、という意見もあるでしょう。しかし、奨学金はなんのために「学」を「奨」しているのかと言えば「人生のため」と「社会のため」ではないです? それが自己破産を起こすとは本末転倒だと私には思えて仕方ありません。それだったらただの金貸しの教育ローンでしかないもの。
いっそ「出世払い制度」にしたらどうでしょう。これだったら「返せるようになったら返す」わけで「教育ローンで自己破産」というばかげたことは防げます。
もちろん問題はあります。
1)ただ乗りをする人が発生する。
2)資金源。
3)「学」は「出世」のためのものではない。
「出世」をしたのに知らんぷり、という人は当然たくさん発生するとは思います。だけど少なくとも「出世」した人が出たことでこの「奨学金」は一定の社会的役割を果たした、とは言えますから、意義はあったと言えるでしょう。
問題は資金源ですね。出世した人がどんと大金を“返済”してくれればいいのですが、これは日本の文化風土を金持ちが寄付をしやすい(免税措置の充実とか、大金を寄付をしたらこぞって「偽善だ」などと非難するのをやめる)ように変質させないと難しいかもしれません。
3)も正論だとは思います。思いますが、「正論」では食っていけなくなった(自己破産をした人が出る)わけで、「出世する人」も「出世しない人」も奨学できるような制度があっても良いのではないか、というのが、現時点での私の考えです。
そうそう、「これは贈与だ」と課税される可能性も大ですね。国の将来を育てることよりも目さきの金のことに夢中になる人は絶対いるでしょうから、それを回避するためには契約書をよほどうまく作る必要はありそうです。
私もこういった制度があったらどんと寄付をする、くらいに金持ちになってみたいものです。
【ただいま読書中】『ベスト・アメリカン・短編ミステリ』ジェフリー・ディーヴァー 編、DHC、2010年、2500円(税別)
1997年から毎年出版されている「アメリカンミステリ傑作選」の2009年版です。全部で20編の短編が収載されています。実はどれも初見でしたが、さすがに数千編の中から選び抜かれた作品群だけあって、すごい作品揃いです。
たとえば……「ビーン・ボール」(ロン・カールソン)は、ふつうの野球小説として始まります。強打のキャッチャーとして前途を有望視されていたが頭部へのデッドボールで選手生命を絶たれたドリスコルは、スカウトとして世界中を歩いています。政情不安定なグアテマラでとんでもない好投手アルベルトを発掘、大リーグで成功させますが、ドリスコルが日本でスカウト活動をしているときにアルベルトがデッドボールで相手バッターを殺してしまいます。傷心のアルベルトを慰めるために飛んで帰るドリスコル。自分自身がデッドボールの“被害者”だったからこそできることがある、と思うのですが……これのどこが「ミステリ」なんだ?と訝しく思いながら抑制の効いたきびきびした文体の文章を読み続けていると、いつの間にか(ドリスコルと同様)読者は自分が「ミステリ」の中にいることを発見することになります。非常に優れた構成です。そして予想外の結末。編者は「ナックルボールで意外な結末」と言っていますが、苦さと希望とを両立させる離れ業を平然と行う著者の“投球”の冴えに、私は翻弄されるだけです。
「物語の基調」と「エンディング」の“ミスマッチ”という点では「父の日」(マイクル・コナリー)もまたすごいことをやってくれます。「ミステリ」自体は一本調子でそれほどの驚きはないのですが、そこに描かれる「悲惨さ」や「暗さ」と、ラストの一行の「ハッピーさ」とのアンバランスに、私は泣くべきか笑うべきか、困ってしまいます。
分厚い本で手が疲れますが、ミステリ好きならぜひご一読あれ。読んで損はしません。
「拒絶」……絶えることを拒む
「拒絶反応」……絶えることを拒むことに反対して応える
「拒否」……否定を拒む
「登校拒否」……登校を拒むにあらず
「来る者は拒まず」……実は人の区別に興味がない
【ただいま読書中】『月光』林完次 著・写真、 角川書店、2010年、2400円(税別)
「月の写真」と「月に関する文章」だけできっぱりと構成された、美しい本です。
表情を変える月はそれだけでも魅力的です。風景には人工と自然があり、さらに季節が移ろいます。それらの組み合わせの中から厳選された写真ですから、これはもう、黙って味わうしかありません。
私が衝撃を受けたのは「月白」と題された写真です。圧倒的なボリュームを誇る黒々とした富士山の山容、その稜線をほのかに染めて浮かんでくる月。思わず息を呑む美しさです。また、冬の富士山の、寒さがそのまま月の光となって凝結したかのような「月の霜」。ため息が出ます。
遠くの月と近くの風景、その両方の組み合わせで絶妙の雰囲気を醸し出す点で、私はずっと前に見たことがある「月光浴」という写真集のことも思い出します。地上にいても宇宙を感じることができるのは、贅沢な時間の使い方、と言って良いでしょうね。
電動アシスト自転車で坂を軽々と登っている人を見ると、昔汗を垂らしながら自転車をこいでいた者としては単純にうらやましく思います。で、電動アシスト自転車で急坂を下っている姿を見ると、せっかくの「位置エネルギー → 運動エネルギー」の変換がまったく無駄になっているように思えます。ハイブリッド自動車の技術を応用して、下り坂では発電機を回すことができたら充電ができて“お得”になるのではないです? ちょっと重くなるかもしれませんが。
【ただいま読書中】『クローディアの秘密』E・L・カニズバーグ 著、 松永ふみ子 訳、 岩波少年文庫、1975年(2000年新装初版)、680円(税別)
長女として三人の弟たちの世話を押しつけられる日常にうんざりしていたクローディアは、家出をすることにします。目的地は、ニューヨークのメトロポリタン美術館。真ん中の弟ジェイミーを引き連れて、ここに隠れ住んでしまおう、という目論見です。荷物はあちこちに分散して隠し、夜は展示品のベッドで眠る生活です。いやもう、なんたる“サバイバル生活”でしょうか。
美術館は、ミケランジェロの作品かもしれない、という天使像を購入したばかりでした。クローディアもこの像に惹かれます。何か秘密がある、と直感したのです。二人は調査を始めます。文献を求めて図書館へ。そして手がかりを求めて天使像のそばへ。二人には他人にはない有利さがあります。なにしろ天使像と同じ建物の中に住んでいるのですから。
二人は非常に重要な手がかりを発見します。大喜びで二人はその情報を美術館に報告します……が……
クローディアの頬に大粒の涙が流れた後、ついにこの物語の語り手が物語の中に登場します。いや、すでに“予告”はありましたが、語り手が登場人物としての自分自身に言及するって、“反則”じゃないです? なお、語り手が登場する章のタイトルは「クローディアの秘密」です。何を今さら「秘密」にしているのだろう、と私は思いますが、読んでいるうちに“天使”が私の脳に降りてきます。本書のはじめの方で、クローディアとジェイミーが「チーム」になる貴重な瞬間が描かれました。それと同じように「人生にとって本当に貴重な瞬間」がクローディアに訪れるのではないか、という予感が羽を生やして私に舞い降りて来たのです。
人の成長とは、数字で示せる「増大や増加」ではありません。たとえ見た目が変わらなくても、質的な変容が訪れ、それを本人(と親しい周囲の人間)が認識し受け入れる、その魔法のような瞬間こそが「成長」です。クローディアに訪れるであろうその貴重な瞬間を、私も目撃できるのかもしれない、そういった嬉しい予感に後押しされて、私はページをめくります。めくればめくるほど本書が終わってしまうことがわかっているのですが、減っていく残りページを惜しみながらも手を止めることができません。
おまけですが、「語り手が語りかけている相手」もまた、重要な役割を持っています。この人は作品には一切登場しないのですが。いやあ、複雑な“隠し味”です。下手な純文学作品は、本書の前では真っ青になるべきですね。
本書では、クローディアが抱く「予感」が重要な働きをします。そして、本書を読み終えた今、私もある「予感」を抱いています。子供の時に夢中になって読んだ岩波少年文庫の作品の数々、これを“老後”に全冊読み直した方が良いのではないか、という予感を。本当は「予感」と言うよりも「実行するかしないか」の問題ではあるのですが。
私はまず、目を開けます。
【ただいま読書中】『毎月新聞』佐藤雅彦 著、 毎日新聞社、2003年、1300円(税別)
毎日新聞に月一で連載された「日本一小さな全国紙」をまとめたものです。記事と挿絵と三コマ漫画と余ったところに「ミニ余録」があるという、小さいながらも贅沢な「紙面」です。創刊準備号の「じゃないですか禁止令」で笑い転げ、「文字が出す騒音」(11号)では沈思黙考をさせられます。連載途中に、著者が作詞した「団子三兄弟」が大ヒットし、慶応で教鞭を執ることになり、と著者の運命も4年間の間には変転をしていきます。記事の質にはばらつきがありますが、私としては「じゃないですか禁止令」一つだけでも本書は読むに値すると思います。お暇があれば、ぜひ、お一つどうぞ。
攻める側は交わしたい。守る側は躱したい。
【ただいま読書中】『動物農場 ──おとぎばなし』ジョージ・オーウェル 著、 川端康夫 訳、 岩波文庫(赤262-4)、2009年、560円(税別)
横暴な人間に対して反乱を起こした農場の動物たちは、「動物主義」によって農場の自治を獲得します。動物たちは、牛の乳を搾り牧草地の草を刈ります。指導に当たるのは、知識を抜群に持っている豚。動物たちはお互いを「同志」と呼びますが、能力の向き不向きがあるため、平等ではあっても役割分担は当然のこととされました。そして、「指導者の役割」を引き受けた豚には、その役割を貫徹するための特権(栄養とか住環境とか)が与えられます。というか、豚が自分で自分に与えます。
権力闘争が起き、犬たち(軍?)とイデオロギー担当者を味方につけた豚は、独裁への道を歩み始めます。はじめの「約束」は少しずつないがしろにされますが、それさえ「記録がないものは、さいしょからなかった」「記録があるものは、“歴史のねつ造”」「新しい記録が出てきたから、こちらが正当なもの」などと“指導者”がすべての動物たちを言いくるめ、難しいときには犬を使い、仮想敵を置き、戦争の準備をすることで熱狂を生み出し、粛正裁判を行い……
著者はよくもまあこんな「おとぎばなし」を、あの戦争中に書けたものです。あの頃ソ連は「連合国」の重要なメンバーでしたよね。そういえば日本でも、戦後しばらくの間は、社会主義体制を「地上の楽園」と見なす見方が生きていましたっけ。「最初の理想」通り行けていれば、そうなっていたかもしれなかったのですが、惜しいことです。
ナポレオンの支配下にあったフランスでも、「言論の自由」は認められていたそうです。どの程度の「自由」だったのか、想像するのはなかなか難しいものですが。
【ただいま読書中】『検閲帝国ハプスブルク』菊池良生 著、 河出書房新社、2013年、1500円(税別)
「天保の改革」で「言論弾圧」の嵐(為永春水は手鎖の刑、柳亭種彦は断筆、寺門静軒は武家奉公構い、など)が日本に吹き荒れていた頃、オーストリア帝国でも「検閲」が大々的に行われていました。当時のヨーロッパは、ナポレオン“後”でしたが、ナポレオンがヨーロッパ中にばらまいた「ナショナリズム」に対して激しい拒絶反応を示していました。また、オーストリア帝国は5つの宗教と12の民族の集合体、ドイツ連邦は300以上あった“国家”が大幅に整理されてはいましたがまだ35領邦と4つの自由都市からなる“国家”でした。当然「意見」はバラバラで、それを押さえつけるためには検閲もやむなし、という話の流れです。
ところで「検閲」を「権力vs反権力(言論の自由)」とする見方もありますが、「検閲そのものも“創造”の一部」と捉える見方もあるそうです。
キリスト教文化圏で「検閲」「禁書」は普通のことでした。異教や異端の書は存在が許されないものですから。もっと古いのなら、古代中国での焚書坑儒もありますね。権力は(自分がコントロールできない)メディアを恐れるもののようです。そして、グーテンベルクによってヨーロッパに活版印刷が始まると「メディア」の意味が変質します。
神聖ローマ帝国の皇帝は選挙で選ばれるものでしたが(だから選帝侯が存在します)、いつの間にかハプスブルク家の独占となります。事態は複雑です。皇帝vs王、各領邦の対立、宗教の対立……それにスペインやネーデルラントやイタリアまで絡んできます。そういった状況で、「検閲」がまず機能したのは「宗教書」特に宗教対立を煽る文書に対して、でした。
ドイツ30年戦争を始めたのは、ハプスブルク家のフェルディナント二世です。彼はガチガチのカトリックで、それまでプロテスタントに寛容だったオーストリアの再カトリック化を進めました。その一環として、イエズス会にウィーン大学を支配させ、そこに「検閲」を任せます。プロテスタントの書物を弾圧することでオーストリアを宗教的に“鎖国”状態とし、カトリック化を容易にしその結果絶対主義を確立する狙いでした。しかし「鎖国」は文化の停滞を招きました。ヨーロッパでは18世紀に啓蒙主義が起き、オーストリアはそこから取り残されてしまいそうになったのです。さらに、国家の絶対的な主権は、結局は宗教の絶対性と干渉します。そのため、女帝マリア・テレジアは「検閲」の改革(イエズス会から実権を取り上げる)を断行しました。検閲のためのマニュアルが整備され、禁書目録も作られます。しかしその目録に並ぶのは“錚々たるメンバー”です。こんなのまで禁書?と言いたくなる名著がずらり。ただオーストリアの「検閲」にはちゃんと“裏口”があって禁書を入手する手があるため「禁書目録」自体が“ベストセラー”になっちゃったそうです。そのため後の世では禁書目録が「禁書」に指定されます。
検閲の“犠牲者”の一人がハイネです。彼の詩は検閲によって常にずたずたにされ、とうとうハイネはフランスに亡命することになってしまいます。だから『ドイツ 冬物語』の第4章で「ここで、火あぶりの炎が、/本や人間をのみ込んだのだ。/そのとき鐘がならされ/そして「神よあわれみ給え(キリエ・エレイソン)」が歌われたのだ」なんてことを書くことになったのでしょうか。たしかに書いても書いても焚書では、いやになりますよねえ。
そして話は最初に戻ります。19世紀のウィーンでは、検閲は徹底的に行われていました。ほとんど滑稽なくらいに。1811年からウィーンの検閲の総元締めは秘密警察となります。これがまた、皆さん熱心です。そして1848年にウィーンは3月革命を迎えることになるのです。