JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

佐渡裕氏の芸術論から考えた社化発展の道すじ

2015年01月31日 | Weblog
「優れた音楽は、まず優れた音楽家達による演奏として立ち現れる。・・・・演奏家たちに自らの意志でどうやりたいと思わせるか。」「must(しなければならない)からwant(したい)にどう変えるか」と指揮者の役割について触れています。
 同時に、佐渡氏のすごいところは、「自分の想定した通りにオーケストラが音を鳴らせば、それがすなわりいい演奏になるとも限らない。オーケストラの個性があるかもあるから振ってみなければわからないのだ。そこに、指揮のおもしろさもある。」
と書いています。
 全く相反するようなことですが、演奏家を信頼する彼の姿勢が表れています。

 私は、現在の資本主義社会から、より住みよい社会制度の未来社会をめざすべきだという考え方ですが、佐渡流に言えば、これは、mustであり、国民がwantする社会であるかどうかということになると思います。
 しかも、それは、「自分が想定した通り」になるから良いとは限らないということだと思います。
 
 最近の不破哲三氏の未来社会論の研究の流れを読むと、基本的に社会発展も同じだという気がしています。
 社会の発展段階としての資本主義の次の段階は経済法則の側面から「生産手段の社会化」を基礎とする社会になると想定しています。しかしこれはmustとは違う。
 マルクス自信が具体的な未来社会像を描くことはしなかったこと。日本共産党も当面の実現可能な改革提案を行っていますが、日本共産党の未来社会の具体化はしていません。
 それは、制度としての「生産手段の社会化」が実現しても、社会制度として具体化するには、世界史的に封建性から資本主義への変革の時代を経過したのに相当する時間を要するのではないかと思います。
 国民自身が多数者としての選択として段階的にwantする社会を共に生み出していく過程となるのではないでしょうか。
 それには、資本主義の中で育った、個性という人間性の発展とともに、自分だけが良ければいいという、側面が長く残るだろうということなど、人間が人間自身による制約を乗り越えて自由に発展でき、個性が生きる社会への合理的な段階を想定しているからだと思います。
 私は、佐渡氏の本は、こうした、違った分野についても考えさせられる、氏の発展させられた芸術論がちりばめられています。