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Grey Gardensの登場人物達 その1 - ビッグ・イーディ -

2009-06-05 21:47:56 | Michael 09 Grey Gardens
Michael君(マイケル・グルーバー)が、今年(2009)の3月17日から5月17日まで出演していた「Grey Gardens」は、ドキュメンタリー映画をもとに作られたミュージカルですが、実際の本人達は、どんな人物だったのでしょう? (写真は、ドキュメンタリー映画からの1シーンで、自分達の寝室にいる本物のイーディス〔ベッドの上〕とイーディです。)

主要登場人物のうち、ビッグ・イーディ(イーディス)とリトル・イーディ(イーディ)、そしてMichael君が演じていたグールドの3人をご紹介しようと思うのですが、まずは、Grey Gardensの主とも言うべきビッグ・イーディからご紹介しましょう。

イーディスは、Edith Ewing Bouvier Bealeが本名です。1895年10月5日にJohn Vernou Bouvier, Jr.とMaude Sergeant Bouvier(ジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディ・オナシスの父方の祖父母。従って、イーディスは、ケネディ大統領夫人だったジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディ・オナシスの実のおばに当たります。)の間に、5人兄妹の1人として生まれました。
彼女の母は、裕福な製紙業者の出で、父は第一次世界大戦中にアメリカ陸軍に任官していたこともあるやり手の法律家で、Major Bouvier と呼ばれることを好んだそうです。子供時代の彼女は、2人の兄と姉妹のMaudeやMichelleと共に優雅な特権階級の暮らしを謳歌しながら成長しました。

素人の歌手として活動していたイーディスは、1917年に彼女の父の法律事務所で働いていた、法律家で投資家のPhelan Bealeと結婚しました。2人の結婚式は、ニューヨークのSt. パトリック教会で盛大に行われ、2人は、ニューヨークのマディソン・アヴェニューに新居を構え、1917年11月7日には、長女のイーディス(イーディ、 後のリトル・イーディ)、1920年に長男のPhelan Beale, Jr.、1922年には次男のBouvier Bealeが生まれました。

1923年に、彼女の夫は、イースト・ハンプトンの海辺近くにたたずむ14室の豪邸グレイ・ガーデンズを購入しました。娘のイーディが14歳になった頃、イーディスは夫と別居、娘を連れて、大西洋に面したビーチまでわずか1ブロックのこの瀟洒な屋敷に移り住みました。屋敷の所有権は彼女が有し、夫から娘の養育費はもらったものの、別居手当はもらえなかったため、生活はもっぱら彼女の実家の財力に頼り、自身は素人歌手として屋敷でリサイタルを開いたり、地元の催しに出演したりしていたそうです。
父のMajor Bouovierと彼女の息子のBouvier "Buddy" Bealeは、維持費に莫大な費用がかかるグレイ・ガーデンズを手放すようにと説得を繰り返しましたが、彼女は決して受け入れませんでした。

1942年に、彼女が、自分の息子の結婚式にオペラ・スターのような派手な扮装で現れた時、彼女の父親は、遺言書から彼女の取り分をほとんど削ってしまいました。1948年には、その父親も没し、イーディスは、ふさぎ込むようになり、体重もだいぶ増えてしまったそうです。また1940年代には、彼女は、何度か、眼の手術を受けました。
1946年には、メキシコにいた夫から一方的に離婚を宣告する電報が届きました。(イーディは、カソリック教会に正式に認められていないこの離婚を「ニセのメキシコ風離婚」と呼んでいたそうです。)

イーディスには、2人の男性の友人がおり、彼らは彼女の屋敷に住んでいました。1人は、彼女の伴奏者であるGeorge "Gould" Strong、もう1人は何でも屋で放浪者のTom "Tex" Loganでした。
特に、グールドは、彼女とは「ソールメイト(愛人・気の合う人・心のパートナー)同士」と呼ばれる仲で、ニューヨークにこっそりアパートを借りて一緒に住んでいたこともありました。けれども、2人の関係は、プラトニックなものだったと言われています。

1952年7月、マンハッタンで5年間暮らしていた娘のイーディが、グレイ・ガーデンズに永住すべく戻ってきました。イーディスは、その時、57歳でした。
彼女が65歳の時、姪のジャクリーン・ケネディがアメリカのファースト・レディになりました。その後、1968年に、パーティに出席していた留守に泥棒に入られ、アンティークを盗まれて以来、彼女は、滅多に屋敷を離れることがなくなったのだそうです。

1970年代に、ジャクリーンの妹のLee Radziwillが、イースト・ハンプトンでのジャクリーンの子供時代のドキュメンタリーを作ろうと思い立ち、Albert MayslesとDavid Mayslesの2人に相談を持ちかけていたちょうど同じ頃、見る影もなく薄汚れたグレイ・ガーデンズの現状がマスコミに取り上げられました。ニューヨークのサフォーク郡の衛生局が査察を行った結果、あまりの荒廃ぶりと住みついている猫の数の多さに、現状改善命令が下されました。イーディスには清掃やゴミの処分のための蓄えがなかったため、結局、姪であるジャクリーンとその夫のオナシス氏が、グレイ・ガーデンズ清掃のために3万2,000ドルを寄付して、キッチンや配管の修理を行い、1,000袋もの廃棄物を処分させました。
イーディスが滞納していた税金は、彼女の息子達が、母がこれを機にグレイ・ガーデンズから立ち退くことを期待して支払ったのですが、我が家に戻れなくなることを恐れた彼女は、グレイ・ガーデンズを離れようとはしませんでした。

1973年、Leeと共にグレイ・ガーデンズを訪れたMaysles兄弟は、イーディスを主人公にしたほうが面白い映画が作れると判断、撮影を開始したものの、不本意だったLeeは、フィルムを没収してしまいました。しかしMaysles兄弟は、大統領夫人ではなく、2人のイーディのドキュメンタリーを撮るべく、再びグレイ・ガーデンズを訪ねました。ビール母娘には、ドキュメンタリー撮影の代価として、それぞれに5,000ドルずつが支払われたのですが、当初、兄弟が約束していた映画の収益からの配当は、最後まで支払われることはありませんでした。映画は、1975年に、母娘2人のために、グレイ・ガーデンズの2階のホールで上映され、リトル・イーディは、「名作だわ!」と感想を述べたそうです。批評家からは賛否両論で迎えられたこのドキュメンタリーは、その後数十年に渡って、一部の熱狂的なファンの間でもてはやされることとなりました。

イーディスは、1977年2月5日、肺炎のため、ニューヨーク州サザンプトンのサザンプトン病院で亡くなり、その亡骸は、イースト・ハンプトンのMost Holy Trinity Catholic Cemeteryにあるブーヴィエ家の墓所に葬られました。死の床で、彼女は、娘に「言い残すことは何もない。全てはあの映画の中にある」と、繰り返し言ったそうです。


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