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M for Michael Gruber♪- Mは、マイケル・グルーバーのM~♪

キャッツDVDのマンカストラップ、アメリカの舞台俳優、Michael君のことや、ブロードウェイニュースをお伝えします。

Colleenさんの出演しているプロデューサーズ!

2006-04-30 01:12:04 | Musical News Michael君のお友達
GW初日の4月29日、楽しみにしていたミュージカル映画「プロデューサーズ」を見てきました~♪(写真は、レオとパール・ガールズのシーンです。このパールガールズの1人を、Colleenさんが演じているんです~♪)

パロディ映画の第一人者メル・ブルックス氏の作品だけあって、いろいろな映画・ミュージカルのパロディが満載でした~!ミュージカルとしてももちろんですが、映画としても、とても面白かったです。
元ネタとなる映画やミュージカルを知っていれば知っているほど、パロディの部分を楽しめますから、映画好き・ミュージカル好きであればあるほど、よりいっそう楽しめる映画だと思います。個々の映画やミュージカルのパロディもありましたが、業界ネタのパロディもあって、それも面白かったですね~。

そして、ナズが大好きなミュージカル女優のColleen Dunnさん♪ 昨年の夏、ミシガン州のSaugatuckという町で、Michael君(マイケル・グルーバー)と一緒に「What a Glorious Feeling」に出演していたコーリーンさんは、とても素晴らしい女優さんで、ダンスもすっごくお上手なのですが、実際にお会いしてみたら、ホントに優しくてステキな女性で、ナズは、大ファンになってしまいました。
そのコーリーンさんが、この「プロデューサーズ」に出演しているのですが、ちゃんと、見つけましたよ~♪
「We can do it」のナンバーのあと、会計事務所に戻ったレオが、事務所の戸棚に書類をしまいに行くと、突然、戸棚の中からパール・ガールズが出てきますが、その中の1人が、コーリーンさんなんです。事務所の壁の所に、レオを真ん中にしてガールズ達が1列に並んだ時、画面に向かって右端に1人だけ衣装が違うオバさんガールがいるんですが、そのオバさんから数えて、確か3人目にいるのが、彼女だったと思います。
そのあと、ガールズの数がドッと増えてしまったので、彼女を見失ってしまいました・・・(涙)
あと、映画のラスト、エンドロールの時に、2人のパール・ガールズが出てくるのですが、その時、画面に向かって左側にいるのがコーリーンさんだと思います♪ 相変わらずのステキな笑顔でした!

そして、もう1人、同じく昨年の夏、「What a Glorious Feeling」でジーン・ケリー役を演じていたSean Martin Hingstonさんも、「プロデューサーズ」に出演しているんです。ショーンさんは、「オーディション参加者」と「茶色いシャツのナチのタップダンサー」の役で出演しています。
オーディションのシーンでは、彼を見つけられなかったナズでしたが、「春の日のヒットラー」の中で、タップダンスを踊っているシーンでは、ちゃんと見つけられました~!

お2人のプロフィールは、以前、こちらのブログで紹介いたしましたので、そちらをご覧下さいね~。「プロデューサーズ」のDVDが発売になったらぜひ購入して、見逃したお2人のシーンをしっかり確認したいと思います!

コーリーンさんもショーンさんも、この「プロデューサーズ」で監督・振付を担当したスーザン・ストローマンさんが監督・振付をしたBroadwayミュージカル「Contact」に出演していたんです。お2人以外にも、ストローマンさんのBroadway作品に出演した大勢のダンサーの方達が、この映画に出演しているんだそうです。
実は、「Contact」の方も映画化される予定なのですが、先に「プロデューサーズ」の映画化の話が決まったので、「Contact」の映画化は延期されたのだとか。「Contact」では、コーリーンさんは、主要キャラクターの1人として出演していましたので、映画化の時には、ぜひステージと同じ役で出演して欲しいな~~~!

Michael君 こぼれ話 - 彼が作ったボンネット

2006-04-26 12:59:36 | Michael Broadway/Off Broadway
毎年、この時期になると、Broadwayで、Easter Bonnet Competitionが開催されます。今年も、4月24日と25日の2日間、ボンネットのコンテストが開催されました。今年で20回目を迎えたこのコンペティション、実は、14回目の時、Michael君(マイケル・グルーバー)も、参加したことがあるんですよ~!(写真は、第14回のCompetitionの時のMichael君です。〔ボンネット・コンテストのパフォーマンスからのワンシーン〕)

このEaster Bonnet Competitionは、1987年に第1回目が開催され、以来、Broadway Cares/Equity Fights AIDSというアメリカ最大の非営利AIDS基金団体のために寄付を集める目的で毎年行われています。会場は、トニー賞を受賞したミュージカル「The Lion King」の上演を行っているNew Amsterdam Theatreです。
Easter Bonnet Competitionは、6週間かけて、それぞれのプロダクションが、幕前でのスピーチ、サイン入りのポスターやプログラムの販売、オークション、クラブでのパフォーマンス等、さまざまな方法で寄付を集めます。そして、一番たくさん寄付を集めたプロダクションが、このコンペティションの優勝者となるわけです。
またボンネットのコンテストでは、その時点でBroadway、Off-Broadway、ツアーで上演中のプロダクション(全てのプロダクションが参加するわけではありません。)が、それぞれのプロダクションのキャストがデザイン・作製したボンネットを、寸劇や歌、ダンス等のパフォーマンスの中で披露し、ボンネットとパフォーマンスの出来を競い合います。そして、このコンテストで、 優勝したプロダクションが、コンペティションの第2位となるわけです。

2000年に開催された第14回のAnnual Easter Bonnetは、今年と同じ4月24日と25日に、New Amsterdam Theatreで開催されました。総額で212万9,168ドルが集まり、「Annie Get Your Gun」が18万1、000ドルを集めて優勝しました。またボンネット・コンテストの勝者は、「Footloose」でした。

Michael君は、当時Broadwayの「Swing!」に出演していましたので、プロダクションの一員としてコンペティションに参加し、Ryan FrancoisさんとMichael君の2人でボンネットをデザインし、Michael君がそのボンネットを作製しました。もちろん、ボンネット・コンテストのパフォーマンスにも出演していましたよ♪
「Broadway Cares/Equity Fights AIDS」のサイトは、こちらからご覧いただけます。

ナズは、この第14回目のPlaybillを持っているんですが、「Swing!」のクレジットのところに、ちゃんと「Bonnet Designed by: Michael Gruber, Ryan Francois」、「Bonnet Created by: Michael Gruber」と書いてありました~! もちろん「Performed by:」のところにも、ちゃんとMichael君の名前が入ってます。(あたりまえですが・・・笑)

この第14回の時の、その他のボンネット・コンテスト参加プロダクションは、「Aida」、「Kiss Me Kate」、「Miss Saigon」、「Cats」、「The National Tour of Sunset Boulevard (with the bonnets from the National Tours of “Fame” and “Ragtime”)」、「Chicago」、「Naked Boys Singing」、「Cabaret」、「Les Miserables」、「Footloose」、「Riverdance」、「Saturday Night Fever」、「Jekyll & Hyde」、「Amadeus」、「The Lion King」、「Annie Get Your Gun」、「Beauty and the Beast」でした。




Tony賞、60周年!

2006-04-06 20:58:05 | Musical Tony賞
4月6日は、Tony賞にとって、特別な日なんだそうです。なぜかと言うと、1947年の4月6日に、第1回目のTony賞の授賞式が、マンハッタンのWaldorf-Astoriaホテルで開催されたからなんです。(写真は、1947年の第1回目の時のプログラムの表紙です。)

戦前のBroadwayの功労者だったAntoinette Perry(アントワネット・ペリー)女史を称えて作られたTony賞(ペリーさんの愛称が、「Tony」だった)ですが、記念すべき第1回目の「The First Annual Presentation of The American Theatre Wing's 'Tony's' Antoinette Perry Awards」、そのプログラムによれば、「夜食は9時に始まり、エンタテイメントとダンスは、WORステーションとMutualネットワークを通じて、賞が発表される深夜まで続く」とあり、当日のメニューは、「ロブスターのビスク、塩味のナッツ、チキンの胸肉のモンモランシー風サクランボ添え、玄米のクロケット、アスパラガス・チップのポロネーズ風、フローズンスフレ アラスカ風ストロベリーソース、プチフール、デミタスコーヒー」だったそうです。
エンタテイメントはJames Sauter氏によってアレンジされ、「Chocolate Soldier」、「Street Scene」、「Brigadoon」、「Oklahoma!」、「Call Me Mister」、「Sweethearts」、「Carousel」、「Finian's Rainbow」からのスター達に加えて、Mickey Rooneyさん、Charles Trenetさん、Ethel Watersさんらの姿も見られたそうです。

そして、1946-1947年度の受賞者として選ばれたのは、Jose Ferrerさん、Fredric Marchさん、Ingrid Bergmanさん、Helen Hayesさん、Patricia Nealさん、David Wayneさん、Arthur Millerさん、Elia Kazanさん、Lucinda Ballardさん、David Ffolkesさん、Agnes de Milleさん、Michael Kiddさん、Kurt Weillさんといった方達でした。

今年(2006)の Tony賞授賞式は、6月11日にRadio City Music Hallで開催され、CBS-TVを通じて中継される予定です。ノミネートは、5月16日に発表されます。昨年同様、ノミネートおよびその結果を、こちらのブログでお伝えするつもりでおりますので、お楽しみに~♪

「Godspell」 映画版!

2006-04-02 01:18:31 | Musicals トリビア
5月9日から7月9日まで、フィラデルフィアのWalnut Street Theatre(ウォールナット・ストリート劇場)で上演される「Godspell ゴッドスペル」というミュージカル、Michael君(マイケル・グルーバー)は、Jesus(ジーザス=イエス・キリスト)役で主演します。ステージ版は、1971年5月17日からOff BroadwayのThe Cherry Lane Theatreで初演されました。
その2年後の1973には、映画版が公開されましたが、今回は、その映画版のお話です。(写真は、映画版でJesusを演じたVictor Garberさんです。)

オリジナルのミュージカルは、マタイによる福音書をもとに、Stephen Schwarts(スティーヴン・シュワルツ)さんが作曲・作詞したもので、映画版では、脚本と監督は、1971年の初演のステージで演出をしていたDavid Greene(デイヴィッド・グリーン)さん、音楽監督は、シュワルツさんがつとめました。
キャストは、主役のジーザスをVictor Garber(ヴィクター・ガーバー)さん、John/Judas(ヨハネ/ユダ)役をDavid Haskell(デイヴィッド・ハスケル)さん、その他のジーザスを慕う若者達をJerry Sroka(ジェリー・スローカ)さん、Lynne Thigpen(リン・シグペン)さん、Katie Hanley(キャティー・ハンリー)さん、Robin Lamont(ロビン・レイモント)さん、Gilmer McCormick(ギルマー・マコーミック)さん等が演じていました。

映画版の「Godspell」は、ニューヨークの町並みから始まります。ストーリーは、以下の通りです。
日常の暮らしを営んでいた若者達の前に、突然ヨハネ(ユダ)が現れ、若者達はセントラルパークへと導かれ、公園の噴水で洗礼を受けました。そこにジーザスが現れ、ヨハネはジーザスにも洗礼を授けました。
ジーザスとともに、ジャンク・ヤードに集まった若者達は、新約聖書マタイ伝の中のエピソードを演じ始めました。ジャンク・ヤードを出たジーザスと若者達は、エピソードを演じながら、ニューヨークの街を歩き回ります。さまざまなエピソードを通じて、愛を説くジーザス。やがてジャンク・ヤードに戻ったジーザスと若者達でしたが、そこで彼らを待っていた結末とは・・・?

映画の中で、父親と2人の息子のエピソードのシーンで劇場が登場するのですが、その入口に書かれた劇場の名前は、何と「The Cherry Lane Theatre」! 1971年に「Godspell」が初演されたOff Broadwayの劇場です。また「All for the Best」というナンバーのラストは、当時建設中だったワールド・トレード・センターの上で撮影されています。この映画をご覧になられる機会がありましたら、これらの貴重なシーンを、どうぞお見逃しなく。

この映画版でジーザスを演じていたVictor Garber(ヴィクター・ガーバー)さんですが、1949年にカナダで生まれた彼は、1972年にトロントで上演された「Godspell」で、主役のジーザスを演じて高い評価を得ました。Broadwayでは、20年以上にも渡ってコメディやミュージカルを中心に、「Tartuffe」、「Deathtrap」、「Sweeney Todd」、「Little Me」、「Noises Off」、「Lend Me a Tenor」、「Damn Yankees」といった数多くの作品で、主演クラスを演じてきました。1978年(助演男優賞〔Deathtrap〕)、1982年(主演男優賞〔ミュージカル、Little Me〕)、1989年(主演男優賞〔Lend Me a Tenor〕)、1994年(主演男優賞〔ミュージカル、Damn Yankees〕)とTony賞に4回もノミネートされています。
1973年には、前年にステージで演じたのと同じJesus役で、映画版の「Godspell」に主演しましたが、その後は、BroadwayでのステージやTV出演を中心に活躍を続け、90年代以降、主に脇役として、マイケル・J・フォックスと共演した「ライフwithマイキー(1993)」、トム・ハンクスの友人を演じた「めぐり逢えたら(1993)」、ゴールディ・ホーンの演じる女性の元夫を演じた「ファースト・ワイフ・クラブ(1996)」、設計者のトーマス・アンドリュー役を演じた「タイタニック(1997)」、キャラハン教授役を演じた「キューティ・ブロンド(2001)」等を含む、いくつもの映画に出演しています。

伝説の名女優Judy Garlandが郵便切手に!

2006-04-01 04:32:27 | Musical 往年の名優
演劇界・映画界の両方で輝かしい活躍をした名女優、Judy Garland(ジュディ・ガーランド)が、アメリカの郵便切手になるそうです!(写真は、彼女の切手です。)

今年の6月、アメリカの郵便切手のLegends of Hollywoodシリーズの2006年版として、ミュージカルの黄金時代を代表する女優、ジュディ・ガーランドの切手が発売されることになりました。
アート・ディレクターのEthel Kesslerさんは、ブルックリンのアーティストのTim O'Brienさんが、「A Star Is Born スタア誕生(1954)」の時のパブリシティ写真をもとに描いたポートレートを切手のデザインとして使用しました。切手には、彼女のサインの複製がプリントされています。詳細については、アメリカ郵政局のウェブサイトをご覧下さい。
今までにLegends of Hollywoodシリーズとして発行された切手を飾ったのは、マリリン・モンロー(1995), ジェームズ・ディーン(1996), ハンフリー・ボガード(1997), アルフレッド・ヒッチコック(1998), ジェームズ・キャグニー(1999), エドワード・G・ロビンソン(2000), ルシール・ボール(2001), ケーリー・グラント(2002),オードリー・ヘップバーン(2003), ジョン・ウェイン(2004)、ヘンリー・フォンダ(2005)といった方々です。

ジュディ・ガーランドは、本名をFrances Ethel Gummといい、1922年6月10日にミネソタ州のGrand Rapidsに生まれました。早くからパフォーマーとしての優れた才能を発揮した彼女は、10代前半で映画界にデビューし、1939年に公開された「The Wizard of Oz オズの魔法使い」で演じたDorothy Gale(ドロシー・ゲール)役で、スターの座を手に入れました。1940年には、彼女の子役時代の素晴らしい活躍を記念して、アカデミー特別賞を授与されました。1955年には「A Star Is Born スタア誕生(1954)」のVicki Lester役でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、1962年には「Judgment at Nuremberg ニュールンベルグ裁判(1961)」でアカデミー助演女優賞にノミネートされました。
一方、Broadwayでは、1950年代の初めからいくつかのレビューやコンサートに主演し、1952年にはTony賞の特別賞を受賞しました。
私生活では、4回離婚し、5人の男性の妻となりました。また有名なミュージカル女優であるLiza Minnelli(ライザ・ミネリ)を含む3人の子供の母でした。
所属していたMGMの看板スターとして多忙な撮影をこなさなければならなかった彼女は、睡眠薬を常用したために10代の頃から薬物依存症となり、体重増加を抑えるためにスタジオからダイエットを強要され、ますます薬物に頼ることとなりました。次第に神経症が悪化し、薬物の摂取量が増した彼女は、遅刻が日常茶飯事となり、いくつかの役から降ろされてしまいました。
もともとMGM重役陣との折り合いがあまりよくなかったジュディは、当時は、映画会社の重役の意向がアカデミー賞の受賞者決定に大きな影響を与えていたので、「受賞間違いなし」と言われていた「A Star Is Born スタア誕生(1954)」での主演女優賞を逃してしまい、それも神経症の悪化に拍車をかけました。
1969年6月22日、睡眠薬の過剰摂取が元で、彼女は、47才の若さでこの世を去りました。ハリウッドで葬儀を出すように周囲から勧められた実の娘であるライザ・ミネリは、「母は、ハリウッドを憎んでいたから。」と言って、ニューヨークで葬儀を行ったそうです。

なお、彼女のBroadwayでのキャリアはこちらから、また映画の出演作はこちらからご覧いただけます。