M for Michael Gruber♪- Mは、マイケル・グルーバーのM~♪

キャッツDVDのマンカストラップ、アメリカの舞台俳優、Michael君のことや、ブロードウェイニュースをお伝えします。

Michael君の「ミスサイゴン」がPlaybillチョイスに!

2014-06-04 00:00:02 | Michael Broadway/Off Broadway
来週の日曜日に迫った第68回Tony賞授賞式を前に、Playbill.comのスタッフが選んだお気に入りのTony賞授賞式でのパフォーマンスのビデオが紹介されていますが、その中には、Michael君(マイケル・グルーバー)が出演していた「ミスサイゴン」も含まれていますよ~♪ (写真は、そのビデオの中のMichael君のシーンです。左側で踊っているのが、彼です。

68回目となる今年の授賞式を前に、長年に渡って放送されてきた授賞式のパフォーマンスの中から、Playbill.comのスタッフが選んだビデオがPlaybill.comで紹介されてました。(2016年2月現在、この映像は、残念ながら、ごらんいただけません。
1ページ目の最初のビデオが、Michael君がオリジナルキャストとして出演していた「ミスサイゴン (1991)」のビデオです。ジョナサン・プライスのソロパフォーマンスから始まって、女性ダンサーが加わり、そのあとステージ向かって右側から男性ダンサーが登場します。
その男性ダンサーの1人がMichael君です。ステージ向かって左側のグループで踊っていて、合間合間に映ってはいるんですが、一番わかりやすいのが、この記事の写真のシーンで、ビデオの2分36秒くらいから3秒ほどの間、見ることが出来ます。

Michael君の「ミスサイゴン」に関しては、こちらのブログでもご紹介したことがございますので、その記事は、下記からご覧いただけます。またMichael君のBroadwayでのキャリアはこちらからどうぞ。

こぼれ話:いくつかのお仕事
Michael君が出演した劇場 - Broadway Theatre

Michael君 こぼれ話 - 彼が作ったボンネット

2006-04-26 12:59:36 | Michael Broadway/Off Broadway
毎年、この時期になると、Broadwayで、Easter Bonnet Competitionが開催されます。今年も、4月24日と25日の2日間、ボンネットのコンテストが開催されました。今年で20回目を迎えたこのコンペティション、実は、14回目の時、Michael君(マイケル・グルーバー)も、参加したことがあるんですよ~!(写真は、第14回のCompetitionの時のMichael君です。〔ボンネット・コンテストのパフォーマンスからのワンシーン〕)

このEaster Bonnet Competitionは、1987年に第1回目が開催され、以来、Broadway Cares/Equity Fights AIDSというアメリカ最大の非営利AIDS基金団体のために寄付を集める目的で毎年行われています。会場は、トニー賞を受賞したミュージカル「The Lion King」の上演を行っているNew Amsterdam Theatreです。
Easter Bonnet Competitionは、6週間かけて、それぞれのプロダクションが、幕前でのスピーチ、サイン入りのポスターやプログラムの販売、オークション、クラブでのパフォーマンス等、さまざまな方法で寄付を集めます。そして、一番たくさん寄付を集めたプロダクションが、このコンペティションの優勝者となるわけです。
またボンネットのコンテストでは、その時点でBroadway、Off-Broadway、ツアーで上演中のプロダクション(全てのプロダクションが参加するわけではありません。)が、それぞれのプロダクションのキャストがデザイン・作製したボンネットを、寸劇や歌、ダンス等のパフォーマンスの中で披露し、ボンネットとパフォーマンスの出来を競い合います。そして、このコンテストで、 優勝したプロダクションが、コンペティションの第2位となるわけです。

2000年に開催された第14回のAnnual Easter Bonnetは、今年と同じ4月24日と25日に、New Amsterdam Theatreで開催されました。総額で212万9,168ドルが集まり、「Annie Get Your Gun」が18万1、000ドルを集めて優勝しました。またボンネット・コンテストの勝者は、「Footloose」でした。

Michael君は、当時Broadwayの「Swing!」に出演していましたので、プロダクションの一員としてコンペティションに参加し、Ryan FrancoisさんとMichael君の2人でボンネットをデザインし、Michael君がそのボンネットを作製しました。もちろん、ボンネット・コンテストのパフォーマンスにも出演していましたよ♪
「Broadway Cares/Equity Fights AIDS」のサイトは、こちらからご覧いただけます。

ナズは、この第14回目のPlaybillを持っているんですが、「Swing!」のクレジットのところに、ちゃんと「Bonnet Designed by: Michael Gruber, Ryan Francois」、「Bonnet Created by: Michael Gruber」と書いてありました~! もちろん「Performed by:」のところにも、ちゃんとMichael君の名前が入ってます。(あたりまえですが・・・笑)

この第14回の時の、その他のボンネット・コンテスト参加プロダクションは、「Aida」、「Kiss Me Kate」、「Miss Saigon」、「Cats」、「The National Tour of Sunset Boulevard (with the bonnets from the National Tours of “Fame” and “Ragtime”)」、「Chicago」、「Naked Boys Singing」、「Cabaret」、「Les Miserables」、「Footloose」、「Riverdance」、「Saturday Night Fever」、「Jekyll & Hyde」、「Amadeus」、「The Lion King」、「Annie Get Your Gun」、「Beauty and the Beast」でした。




Michael君 こぼれ話 My One and Only編

2005-04-13 06:46:15 | Michael Broadway/Off Broadway
オハイオ州シンシナティ出身のMichael君(マイケル・グルーバー)が、ニューヨークに出て来て初めのお仕事・・・。それは、「My One and Only」というミュージカルでした。(このミュージカルでの、Michael君の写真です。かなり見づらいのですが、Michael君は、左(奥)から5番目にいます。)

このミュージカルは、ニュージャージー州ミルバーンにある Paper Mill Playhouse (ペーパーミル劇場)で、1987年の11月4日から12月13日まで上演されました。こちらの劇場は、その後、Michael君が「Singin’in the Rain」等で何度も出演したおなじみの劇場で、以前にご紹介した「舞台の上のプロポーズ」も、この劇場でのエピソードです。
Michael君は、アンサンブルの1人とリッツ・カルテット(Ritz Quartet)の1人、そして「The stage doorman」の3役を演じました。また、主役クラスの1人である「Prince Nicolai Erraclyovitch Tchatchavadze/Achmed」の代役も務めていました。

この「My One and Only」は、1983年にアメリカで初上演されたミュージカルで、リンドバーグが打ち立てた大西洋横断記録に挑戦しようという野心を持った若い飛行家とイギリス海峡を泳いで渡った女性とのラブ・ストーリーです。主演を務めたトミ-・チューンが振付も担当しており、彼のタップ中心の振り付けと、1960年代にミニの女王として有名だったトゥィッギーとのコンビが話題を呼びました。

このミュージカルの曲を作ったのは、アイラとジョージのガーシュイン (Ira & George Gershwin)兄弟です。兄のアイラが作詞を担当し、弟のジョージが作曲をしました。クラシックとジャズの融合、黒人キャストのフォーク・オペラ「ボーギーとベス」(1935)を手がける等、斬新で独創的な作品で有名なアメリカ音楽界の巨匠です。
1992年には、彼らの往年の名曲がたっぷりと使われた「クレイジー・フォー・ユー Crazy For You」というミュージカルがアメリカでヒットし、その翌年にはロンドンと日本でも公演が行われました。(この「クレイジー・フォー・ユー」、2003年に上演された時には、Michael君も主役のボビー役で出演したんですよ♪)

Michael君 こぼれ話 オズの魔法使い編 - The Wizard of Oz

2005-04-09 13:34:57 | Michael Broadway/Off Broadway
「オズの魔法使い」といえば、オリジナルは、1899年に書かれたL・フランク・ボウム作のアメリカの童話(これが第1作目で、その後、オズの国のシリーズがたくさん出版されています。)で、1903年にミュージカル化されたのですが、実は、Michael君(マイケル・グルーバー)、ブリキの木こり(Tin man)とヒッコリー(Hickory)役で、2回出演したことがあるんです。(かかし、ブリキの木こり、臆病ライオンを演じる俳優さん達は、カンザスのシーンでは、ドロシーのおじさん夫婦の農場で働いている3人、Hunk、Hickory、Zekeを演じます。)
1回目は、Broadway(マジソン・スクエア・ガーデン The Theater at Madison Square Garden)で1997年の5月7日から6月8日の公演でした。そして、2回目は、オクラホマ州オクラホマにあるリリック劇場 シビック・センター・ミュージックホール(Lyric Theatre, Civic Center Music Hall)で2003年8月5日から8月9日までの6ステージの公演でした。(リハーサルは、7月23日から8月4日)今回は、この「オズの魔法使い」のこぼれ話です。(写真は、1997年の時のプログラムからです。)

最初にMichael君が出演したマジソン・スクエア・ガーデンでの「The Wizard of Oz」ですが、初日の翌日、Michael君の出身地シンシナティの地元紙に、Michael君のお母様が語ったお話では、「4週間に渡る実際の公演よりも、その前の準備期間の方が、息子にとっては大変だったと思う。」とのことでした。
それというのも、当時、Michael君は、Broadwayのウィンターガーデン劇場で「Cats キャッツ」に出演していたため、「Oz」出演前の数週間は、昼間は「Oz」のリハーサル、夜は「Cats」にMunkustrap役で出演という目の回るような忙しさ! わずかな空き時間を見つけては、どうにか睡眠を取っていたのだそうです。(この「Oz」に出演するために、Michael君は、「Cats」を1ヶ月お休みしました。)

この時の「Oz」で臆病ライオン(The Cowardly Lion)を演じていたのは、「Cats」のBroadway版オリジナル・カンパニーでオールド・デュタロノミー(Old Deuteronomy)を演じていたKen Pageさんで、彼は、Broadwayの「The Wiz」(アフリカ系アメリカ人の出演者のみの「The Wizard of Oz」)のオリジナル・カンパニーでも、同じ臆病ライオンの役を演じていました。
そして、このブログのビデオ版Catsのトリビアを読んで下さった皆さんはすでにご存じのように、この「Oz」が上演されたのと同じ1997年の夏には、ロンドンでCatsのビデオが撮影され、Michael君はMunkustrap役、Ken PageさんはOld Deuteronomy役で、再び共演を果たしたわけです。

その他の出演者は、主演のドロシー役に、300人が参加したオーディションを勝ち抜いた、15才のJessica Grove'さん、かかし役にLara Teeterさん、西の魔女役にRoseanneさんでした。


Michael君の2回目の出演のリリック劇場 シビック・センター・ミュージックホールでの共演者は、ドロシーにSara Stilesさん、かかし役にCasey Colganさん、臆病ライオン役にBen J. Williamsさんといった顔ぶれでした。
またマンチキンの街の住人達を演じたのは、「キャンプ・オズ」と名づけられたリリック劇場のアカデミーの子供達80人でした。アカデミーは、出演する子供達のために3週間のレッスンコースを組み、この出演に備えました。

地元紙に掲載されたリビューでは、Michael君について、次のように書かれていました。

「心を持っていないブリキの木こりを演じたグルーバーの演技は、実に印象的である。彼は、カリスマ性を持った俳優で、『If I Only Had a Heart』では、その素晴らしい歌声を披露してくれた。」


ミュージカル「オズの魔法使い The Wizard of Oz」について

このいかにも楽しいミュージカル、初めてミュージカル化されたのは、冒頭にも書きました通り、1903年のことでした。その後、1975年には、全キャストがアフリカ系アメリカ人という「The Wiz」として上演され、トニー賞の主要7部門を獲得しました。この「The Wiz」では、ドロシーが歌う有名な「Over the Rainbow」を聞くことはできません。「オズの魔法使い」に基づいてはいますが、曲はロックやソウル、リズム&ブルースといった現代的な音楽が使われており、構成も違うオリジナル作品となっています。1975年1月5日からマジェスティック劇場で、1,675回上演されました。この「The Wiz」は1984年に来日公演が行われており、その時ドロシーを演じたステファニー・ミルズさんは、Broadwayのオリジナル・カンパニーの一人でした。
「オズの魔法使い The Wizard of Oz」というミュージカルを世界的に有名にしたのは、1939年にMGMが、当時ティーンエイジャーだったジュディ・ガーランド主演で製作した映画版でした。ガーランド演じるドロシーの故郷カンザスのシーンは白黒で、魔法の国に到着するとカラーの映像に変わるという演出は、魔法の国の楽しさをうまく表現していて、とても印象的でした。
この映画版をベースにしたミュージカルの舞台は、1987年にウエストエンドで、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーが初演していて、こちらでは、「Over the Rainbow」が歌われました。(Michael君が出演した2回も、この映画版をベースにしたバージョンです。)