M for Michael Gruber♪- Mは、マイケル・グルーバーのM~♪

キャッツDVDのマンカストラップ、アメリカの舞台俳優、Michael君のことや、ブロードウェイニュースをお伝えします。

「サウンド・オブ・ミュージック」 - こぼれ話

2006-03-31 12:41:41 | Musicals トリビア
ミュージカル「Sound of Music」のモデルとなったフォン・トラップ・ファミリー。ミュージカルでは、母亡き後、軍人の父に厳しく育てられ、そこにやって来た家庭教師のマリアに歌と音楽を教えられ、やがて、マリアと子供達の父であるトラップ大佐は、結婚します。しかし、オーストリアでもナチスドイツの勢力が増し、誇り高いオーストリア軍人である大佐は、ナチスに目をつけられてしまいます。実際の彼らは、どのような家族だったのでしょうか? (写真は、本物のマリアさんです。)

トラップ大佐は、オーストリア帝国軍の潜水艦の初代艦長で、その功績により、マリア・テレジア十字勲章と男爵の爵位を与えられました。またトラップ大佐の前妻アガーテの祖父にあたるロバート・ホワイトヘッド氏は、魚雷の発明者でした。

ミュージカルの中では、マリアが来るまで、音楽にはまったくなじみがない一家として描かれていますが、実際には、子供達の亡き母、アガーテも歌が上手で、トラップ家には常に音楽にあふれていて、子供達は、もともと歌が大好きでした。
当初、マリアは、病気がちで学校を休むことが多かったトラップ家の次女のマリアだけの家庭教師として、トラップ家を訪れました。やがて、トラップ大佐とマリアは結婚しましたが、2人の間には3人の子供が生まれました。前妻との間に7人の子供がいましたので、トラップ家の子供達は、全部で10人でした。

ヒトラーがオーストリアに侵攻する数年前に、ザルツブルグ音楽祭にやって来た有名なソプラノ歌手のロッテ・レーマンが子供達の歌を聞き、その歌声に感動した彼女に合唱コンクールに出るように勧められた一家は、見事コンクールで優勝し、プロとしての活動が始まりました。
その後、一家は、家族合唱団として、ヨーロッパ各地を公演するようになり、ある時、アメリカからコンサート・マネージャーが彼らのもとを訪れ、アメリカ・コンサートの依頼をしました。これが、一家とアメリカとの最初の出会いとなりました。

ミュージカルでは、ナチスドイツ軍の一員として大佐が徴兵されそうになって、一家は祖国を後にするのですが、実際のトラップ一家が祖国オーストリアから脱出しなくてはならなくなった決定的な理由は、ヒトラーの誕生パーティで歌うことを拒否したことでした。
ミュージカルでは、アルプスを徒歩で越えてスイスに向かうのですが、実際には、ザルツブルグ郊外にあったトラップ家の屋敷のすぐ裏手を走っていた鉄道の駅から汽車に乗って、イタリアへと向かいました。その6週間後、イギリスのロンドンから汽船に乗って、アメリカへと向かいました。一家は、イタリアの市民権を持っていたので、どうにか路頭に迷わずに済んだのです。

アメリカへ汽船での旅をしていた時、マリアは、末の子供を身ごもっていました。ニューヨークに着いた時、一家の手元には、たった4ドルのお金しかありませんでした。入国審査の際に滞在期間をたずねられたマリアは、「永久にいたい」と答えたために、一家は、エリス島で3日間にも渡って、厳しい尋問を受けることになってしまったそうです。
習慣の違いにとまどいながらも、それでも初めのうちは、一家のコンサートにも順調に観客が集まっていましたが、次第に観客が減り、マネージャーからも見放されてしまいました。別のマネージャーのところでオーディションを受けた一家ですが、「セクシーさが足りない」と言われてしまいます。
それでもどうにかマリアの熱意が伝わり、一家は、コロンビア・コンサーツに所属することができました。これを機に、今まで使っていた「トラップ聖歌隊」という名称を、なじみやすい「トラップ・ファミリー合唱団」に変え、マネージャーのアドバイスに従って、まじめくさって歌うのではなく、笑顔を絶やさず、衣装やメークも明るいものに変え、アメリカの観客に気に入られるように、「聞きやすい、明るい音楽」を心掛けたのです。一家のこうした努力が実り、飛躍的な人気を得た一家のコンサート・ツアーは、常に大盛況となりました。

初めは都会で暮らしていた一家でしたが、次第にもっと広々とした田舎に住みたいと思うようになりました。ある夏、バーモント州のストウで休暇を過ごした一家は、そこの景色が故郷のアルプスに似ていたのですっかり気に入ってしまい、そこにあった農場を購入することにしました。一家は、夏は農場で働き、秋から春にかけてコンサート・ツアーに出かけるという暮らしを始めました。
ところが、一家の家計は非常に苦しいものだったので、マリアのアイディアで、一家と一般の人々が一緒に過ごして、合唱や楽器演奏を楽しむミュージック・キャンプを開くことになりました。一夏に、10日間のキャンプを4回開催し、参加者は農場のそばの宿泊施設に泊まり、歌やリコーダーを習いました。このミュージック・キャンプは、その後、12年間続けられました。

1946年には、祖国オーストリアから一家宛に、第二次大戦後のオーストリアの窮状を訴える手紙が届き、ツアー中に、アメリカの人々にオーストリアへの衣類や食料の寄付を募ってほしいと書かれていました。そこで、マリアは、舞台に立つ度に、アメリカの観客に向かって、祖国の窮状と救援を求めるスピーチをしたのです。熱意のこもったマリアのスピーチに心打たれたアメリカの人々は、暖かい救いの手をさしのべてくれ、その救援物資は、120トンも集まったそうです。

舞台の上で、マリアは、いつも家族の紹介と一家のこれまでの歩みを、ユーモアを交えて話していました。それを聞いた人のすすめで、マリアは、一家の物語を書き、1949年に出版されました。
それをもとにして、ドイツで2本の映画が制作され、1959年には、Broadwayで、人気女優のメアリー・マーティン主演のミュージカル「Sound of Music」が初演され、大ヒットとなりました。そして、1965年には、ジュリー・アンドリュース主演の映画も作られました。

ミュージカルの中では、父親であるトラップ大佐も、ステージに立って歌っていましたが、実際に舞台に立っていたのは、マリアと10人の子供達で、一家の音楽の指導者であり、ともにアメリカに渡ってきたヴァスナー神父が指揮者として一緒に舞台に立っていました。
大佐は、ミュージカルで一家が一躍有名になる前に亡くなってしまいましたが、常に静かに家族を見守り続けてきた彼は、家族の支えであり、一家を導く良心ともいうべき存在で、家族から深く愛されていました。また、一家の母親であったマリアは、エネルギーの塊で、信仰心の篤かった彼女は、「神の御心に従って生きる」というモットーのもと、常に明るく前向きに家族を導きました。マリアの歌声は、実は、ソプラノではなくて、アルトだったのだそうです。

やがて子供達が成長してそれぞれに結婚して家族を持つようになったため、1956年、ついに合唱団を解散することになりました。その後、一家は、農場の大きな家をホテルに改装して、トラップ・ファミリー・ロッジを始めました。現在でも、「オーストリアをちょっぴり、バーモントをたっぷり」をテーマにしたリゾートホテルとして営業しています。ロッジのサイトは、こちらからどうぞ!

AMPコンサートでのMichael君の写真♪

2006-03-30 12:47:35 | Michael 06 Guys/AMP
Broadway World.comに、3/27にNYのThe New-York Historical Societyで行われたAMPのためのチャリティコンサートの写真が掲載されました。(写真は、コンサートで歌っているMichael君〔マイケル・グルーバー〕 です♪)

その他の写真は、こちらからご覧いただけます。たくさんの写真がありますが、Michael君は、全部で5枚の写真に写っています。

とても素敵なショーだったようですね~♪ Michael君も、とても楽しそうで、よかった、よかった おつかれさまでした、Michael君 ♪

Godspellって、どんなミュージカル?

2006-03-28 12:49:10 | Musical あらすじ
5月9日から7月9日まで、ペンシルベニア州 フィラデルフィアのWalnut Street Theatreで、Jesus役でMichael君(マイケル・グルーバー)が主演するミュージカル「Godspell ゴッドスペル」って、いったいどんなミュージカルなのでしょう?(写真は、映画版DVDのジャケットです。)

イエスの生涯を描いたミュージカルというと、アンドリュー・ロイド・ウェバー氏の「Jesus Christ Superstar ジーザス・クライスト・スーパースター」が有名ですが、ウェバー氏の作品がBoadwayで初演されたのと同じ1971年に、「Godspell」はOff Broadwayで初演されました。
新約聖書マタイ伝の中のエピソードからストーリーを構成し、フラワームーブメントの全盛期だった1970年代のニューヨークを舞台に、イエス・キリストの最後の日々を描いたミュージカルです。
イエスも、彼を慕う仲間達も、サイケデリックなフラワーチルドレンスタイルで、前半は、聖書に登場する有名なエピソードの数々が、ロック、ゴスペル、いかにもミュージカルらしいナンバーといった、バラエティに富んだ素晴らしい曲にあわせて、歌い踊りながら語られていきます。そして後半は、仲間の一人であるユダの裏切りと、イエスの最後を中心に、エンディングへと続きます。

その後、1973年には映画が公開され、ニューヨークでロケが行われました。映画の監督を務めたのは、Off Broadwayの舞台で演出をしていたDavid Greene氏で、このミュージカルの作詞・作曲をしたStephen Schwartz氏が、音楽監督を務めていました。
Broadwayでは、1976年6月22日から1977年9月4日(プレビュー公演は1976年6月17日から5公演)まで527回に渡って上演され、1977年のTony賞でオリジナルスコア賞にノミネートされましたが、残念ながら受賞は逃しました。
日本でも、1978年に初演され、その後何度か再演されているので、このミュージカルをご存知の方も多いのではないでしょうか。

愛と平和を旗印に若者達の間に広がっていったフラワームーブメントでしたが、1969年8月にはチャールズ・マンソン率いるヒッピーの一団によるシャロン・テート惨殺事件が起きました。また薬物のオーバードゥースによる問題等も多発し、ヒッピー文化に対する世間の風当たりも次第に冷たくなっていきました。
1970年末までには、若者文化の象徴とも呼ぶべきロック界でも、ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンといった名だたるミュージシャン達が、オーバードゥース等が原因で夭逝していましたし、まさに「Godspell」の初演が行われた1971年の7月には、ドアーズのジム・モリソンが、パリで帰らぬ人となりました。

弾圧のあげく、人々の罪を一身に背負って死んでいったイエスをフラワーチルドレンとして描いているこのミュージカル、制作の背景には、もしかしたら、そういった社会事情が反映されていたのかも知れないですね。

いよいよ今晩!- AMP チャリティコンサート in NY

2006-03-27 12:39:26 | Michael 06 Guys/AMP
アメリカ東海岸時間で、本日(3/27)の午後7時30分から、NYのThe New-York Historical Societyで、Michael君(マイケル・グルーバー)が出演するチャリティコンサートが催されます。(写真は、Michael君のヘッドショットです。)

「Annie」と「Applause」でそれぞれTony賞のベストスコア賞を獲得したことでも有名な作曲家のチャールズ・ストラウス氏の作品を、Broadwayで活躍しているミュージカル俳優の方たちが披露するというこのチャリティコンサート、いよいよ本日開催ですネ~!

早春のNYで、Michael君をはじめとするミュージカル・アクターの皆さんの美しい歌声を堪能できるなんて、ホントにステキな催しですね。素晴らしい一夜となりますように!

Michael君の3月27日のショーの曲目

2006-03-25 19:26:34 | Michael 06 Guys/AMP
Michael君(マイケル・グルーバー)の次のお仕事は、先日もお伝えしました通り、3月27日の晩にNYのThe New-York Historical Societyで開催される「The American Musicals Project」のためのチャリティ・イベントですが、そのショーで披露されるソングリストが発表されました。(写真は、AMPのイベントロゴです。)

このショーは、AMP(The American Musicals Project)が主催する「AMP Concert Series 2006 Three Generations on Broadway」というイベントの一環として開催されます。いくつもの名作ミュージカルを作曲したCharles Strouse(チャールズ・ストラウス)氏の作品を、Broadwayで活躍しているミュージカル俳優の方たちが披露するというもので、当日の出演者は、Tony賞を受賞した「Light in the Piazza」の Victoria Clarkさん、「Sweeney Todd」のAlexander Gemignaniさん、「Jersey Boys」のDaniel Reichardさん、そして「Swing!」に出演していたMichael君です♪ また、作曲者であるストラウス氏も出演される予定とのことです。イベントは、18時30分からカクテルとオードブルが供され、19時30分からショーが始まる予定だそうです。

当日披露される曲目は、以下の通りです。
「Put On a Happy Face」、「Our Children」、「Kids」、「Little Girls」、「What's a Nice Kid Like You」、「Maybe」、「Smashing New York Times」、「Dance a Little Closer」、「There's Always One You Can't Forget」、「You've Got Possibilities」、「Once Upon a Time」、「Lorna's Here」、「I Wanna Be With You」、「She Sees Who I Am (from Marty)」、「The Woman for the Man Who Has Everything」、「Blame It On the Summer Night」、「Children of the Wind」、「Applause」

いよいよ来週の月曜日に迫ったこのチャリティ・イベント、今頃は、Michael君はじめ出演者の皆さんは、本番に備えてリハーサルに余念がないといった感じでしょうか。素晴らしいショーになりますよう、またチャリティ・イベントとして成功をおさめますよう、心よりお祈り致します。 がんばってね、Michael君


Michael君 こぼれ話 - 彼のミュージカルのリーディング

2006-03-13 12:38:41 | Michael 彼の作品(ミュージカル・ソング)
以前、こちらのブログでもお伝えしたように、音楽が大好きなMichael君(マイケル・グルーバー)、歌うだけではなく、ピアノも弾けて、しかも作曲もするんですよ。すでに、長年のお仕事のパートナーであるJennifer Allenさんとのコラボレーションで、3つのミュージカル(「The Old Dead Five (旧タイトル: Hypatia)」、 「Hit It, Mike!」、 「Vegas Organic」)を書き上げました。この3つのミュージカルのうち、「The Old Dead Five」は、2002年にNYでリーディングが行われているんですが、今回は、このミュージカルについて書こうと思います。(写真は、ジェニファー・アレンさんです。)


おなじみの「Talkin’ Broadway」のインタビューの中で、Michael君自身がこの作品について語っていますので、まずはそれをご紹介しましょう。

Michael君:僕のコラボレーターは、「Guys & Dolls」でFaith Princeの降板の後を引き継いだジェニファー・アレンで、僕らは、もう10年ほど一緒に、このプロジェクトを手がけているんだ。415年(A.D.)に起きた、Hypatiaという女性の殉死に基づいたミュージカルなんだよ。末期の母権制の異教と初期のキリスト教会の間の紛争をテーマにしていて、いかにも異教徒風で、滑稽で、活気があって、ユーモラスで、ちょっと「ロッキー・ホラー」みたいな感じなんだ。10年間、このプロジェクトを手がけてきて、そろそろ、次のステップとしてリーディングをやってみようかと思っているところなんだ。
ジェニファーが脚本を担当していて、歌詞は2人で一緒に考えている。僕は、ライター兼作曲者ってわけさ。


このMichael君とジェニファーさん共作のミュージカル「The Old Dead Five」は、2002年3月10日にNYのYork Theatreで、「Developmental Reading Series」として、リーディングが開催されました。
監督にClayton Phillipsさん、助監督にStephen Nachamieさん、音楽監督にSteve Marzulloさん。詳しくは、Kathyさんの「Michael君のサイト」の「The Old Dead Five」のページをご覧下さい。
また、ミュージカル女優でもあるジェニファーさんについては、Kathyさんが彼女のサイトを作っていますので、そちらをどうぞ♪

かつては、「ロッキー・ホラー・ショー」でロッキーを演じたことがあるMichael君が書いた、「ロッキー・ホラー・ショー」風なミュージカル! 面白そうですよね~! 将来上演される時には、ぜひ見に行きたいです~!

Michael君 こぼれ話 自分について - About himself

2006-03-10 12:39:34 | Michael About him
久々のこぼれ話です。何度かご紹介している「Talkin' Broadway」のインタビューから、今回は、Michael君(マイケル・グルーバー)が自分のことについて語っているので、その部分をご紹介致しますね。(写真は、当時使っていたヘッドショットです。)


質問:子供のころのエピソードについて。

Michael君:僕が小学校の2年生のころ、大掛かりなクリスマスの野外劇をやったことがあって、僕は羊飼いの1人を演じたんだよ。僕の母は、「息子は、全員のセリフを覚えていて、セリフを忘れてしまった子がいると、舞台の反対側から大声で教えてあげていたのよ。」って、よく知り合いに話していたな。母は、僕が演劇に向いているって知ってたんだね。
僕自身は、その後はずっとスポーツの世界にいたから、いつの間にか、自分の創作的な部分を拒絶するようになっていたんだ。20代後半になって、自分の創作的な面を再認識して、次第にそれを発揮していったんだよ。
僕は、いつも自分が部外者のような気がしていたよ。数人のごく親しい友人しかいないし、どんどん人前に出て、自分をアピールするようなタイプじゃないしね。僕は、自分を、成長過程にあるアーティストだと思っているんだ。ビジネスマンでもなければ、有名になりたがっている男でもない。自分がアーティストとして成長していけることが、僕自身の喜びなんだ。


質問:俳優、ダンサー、シンガーの3つの側面を持っているが、順位をつけるとしたら?

Michael君:まず何と言っても、俳優だろうね。俳優だからこそ、役柄を通じて自分を再発見したり、さまざまなことをできるわけだから。なるべくバラエティに富んだ作品に出演するように心掛けているんだよ。「Singin’ in the Rain」のドン、「Tommy」のいとこのケヴィン、「オクラホマ」の敵役のジャドといった具合にね。
そして、2番目は、シンガーだね。作曲も、するんだよ。最後がダンサーだけど、僕にとっては、子供の頃にやっていた体操や飛び込みの延長って感じなんだ。自分をダンサーだとは思っていないんだよ。正式に習っていたわけじゃないからね。ちょっと勘がいいのと、きっとごまかすのがうまいんだよ(笑)。指導に従って、ステップを覚えて、実行するって能力は、あるんだと思うよ。


質問:もしこの場に親友が同席しているとしたら、あなたのことを何と表現するか?

Michael君:そうだなぁ、「親切だ」って言ってもらえたら、嬉しいな。いつも親切な人間であろうと、一生懸命努力しているからね。
それと、おとなしくて引っ込み思案で、人前に出るのが苦手なほうだね。内省的なタイプなんだ。騒々しいところが苦手なんだけど、仕事柄、そうも言っていられなくてね。ステージに立つっていう仕事をしていると、どうしても喧噪にさらされたり、注目を集めたりせざるを得ないんだよ。
だから、舞台から離れている時は、一人っきりでいることが多いね。誰かに会わなきゃいけないとか、外に出かけなくちゃならないとなると、時には、自分に言い聞かせて覚悟を決めて・・・ってこともあるよ。でも、ステージに立っている僕を見るために、お金を払って来てくれてるんだからね。
一個人の生活に戻ったら、一人っきりになって、充電する必要があるんだ。家に帰って作曲したりして過ごすのが大好きなんだ。それと、僕は、編み物が好きなんだよ。最高の趣味だと思うよ。


質問:ファンの人達に、何か一言。

Michael君:いつも劇場に見に来て、応援してくれて本当にありがとう。僕の仕事に関心を持ってくれて、大変感謝しています。でも、僕のことを、大げさに誉めそやしたりしないでほしい。ステージの上の僕と、本当の僕は別なんだから。
皆さんが、僕のステージを見て影響を与えてもらったってお礼を言ってくれるのを聞いて、いつも心打たれる思いがします。僕のステージを見て感動してくれるのは本当に嬉しいんだけど、ステージを降りたら、僕はただの1人の人間なんだってことを忘れないで下さい。


本人は、謙遜して、「自分をダンサーだとは思わない」なんて言ってますけど、彼のダンスは、とっても上手ですよ。子供の頃から習っていたわけではないですが、大学ではちゃんとレッスンを受けていますしね。
そして、「親切」なのは、間違い無しです!Michael君が親切じゃないなら、この世に親切な人なんていないってくらい、親切で優しいです。
また、「ステキなショーだった」とか、「素晴らしいダンスだった」とかいうように、お仕事について誉めてもらうのは、本人も嬉しいようですが、とても控えめな人柄なので、ファンから大げさにスター扱いされたり、高価なプレゼントをもらったりするのは、とても苦手なんだそうです。
NYでは、Michael君だけでなく、男性で編み物をする人が多いんだそうですね~。ナズは不器用なので、編み物ってぜんぜんダメなんですけど、Michael君は、編み物がとっても上手なんです! その出来栄えたるや、アートと呼ぶのがふさわしいくらい、カラフルで模様や柄も凝っていて、ニッティング・アーティストとして十分食べていけるくらいの腕前です。ミュージカル俳優としても一流で、作曲もするし、おまけに編み物もプロ級なんて、ホント、Michael君って、多才ですよね~♪

映画「プロデューサーズ」に出演のColleenさんとSeanさん

2006-03-02 21:40:07 | Musical News Michael君のお友達
昨年(2005)の夏、ナズは、Michael君(マイケル・グルーバー)が出演していた新作ミュージカルの「What A Glorious Feeling」を見に、アメリカ、ミシガン州にある小さな街Saugatuck(ソーガタック)に行ってきました。
前の記事でも書きましたが、日本でも、4月8日(土)から、日劇1をはじめとする全国の東宝系洋画劇場でロードショーが決まった映画「The Producers プロデューサーズ」には、小さな役なんですが、「What A Glorious Feeling」に出演していた俳優さんがお2人、出演しているんです~! そのお2人のことをご紹介致しますね♪(写真は、「What A Glorious Feeling」のリハーサルから。左からColleen Dunn〔コーリーン・ダン〕さん、Sean Martin Hingston〔ショーン.マーティン.ヒングストン〕さん、G. M. Bud Thompson〔バド.トンプソン〕さん、そしてMichael君です♪)

まずは、ナズの大好きなコーリーンさんから♪ 彼女は、この映画には、「I Wanna Be a Producer」のシーンに登場する「Pearl Girl」の1人として出演しています。

子供の頃からダンスが得意だったコーリーンさんは、高校在学中にすでに The Pittsburgh Civic Light Opera と共演したり、The West Virginia Public Theaterに出演したりしていました。

彼女は、Broadwayでは、「Cats」、「Legs Diamond (オリジナル・カンパニー)」、「The Will Rogers Follies (オリジナル・カンパニー)」、「My Favorite Year (オリジナル・カンパニー)」、「Ain't Broadway Grand (オリジナル・カンパニー)」、「Sunset Boulevard (オリジナル・カンパニー)」、「Annie (オリジナル・カンパニー)」、「Contact」、「Follies (オリジナル・カンパニー)」に出演しています。〔このうち、「My Favorite Year」では、同じくオリジナル・カンパニーの一員だったMichael君と共演しています♪〕

上記のBroadway出演作の中でも、特に「Contact」で演じた「黄色いドレスの女性」の役で注目を集めましたが、実は、彼女、この作品に出演する4年ほど前、心房中隔欠損症と診断を受け、心臓に穴が開いていることがわかり、「動脈瘤になる可能性があり、このままでは10年ほどしか生きられない」と診断された彼女は、心臓の手術を受けました。
しかし、術後の経過が思わしくなく、もう二度とダンサーとして復帰することは出来ないと思われた時期もあったそうで、そのため、高校を卒業した後、すぐダンサーとしてのキャリアをスタートさせた彼女は、ダンサーとしての道が閉ざされた場合に備えて、療養中にカレッジに通いました。幸いなことによい医師とめぐり会えた彼女は、3年間の療養期間を経て、無事健康を取り戻すことが出来ました。
その後、キャリアを再開した彼女でしたが、まだ完全な状態でダンサーとして復帰することが出来なかったので、まずはヨーグルトのTVコマーシャルに出演しました。このコマーシャルがきっかけとなって、一般に広く知られるようになったのだそうです。
現在ではすっかり元気になったコーリーンさんは、ステージとスクリーンで、その素晴らしいダンスを思う存分披露してくれています。

映画では、「Everyone Says I Love You (1996) 世界中がアイ・ラヴ・ユー」や「The Stepford Wives (2004) ステップフォード・ワイフ」に出演しています。また、ダンスシーンのスタントとしての出演だったので、彼女の顔は見られないのですが、「Bewitched(2005) 奥様は魔女」にも出演しています。

Michael君とは長年の友人の彼女、ソーガタックでMichael君がナズに紹介してくれたんですが、とっても美しい方で、ダンスも演技も素晴らしくて、しかも優しく、気さくで、よく笑うステキな女性なんです♪ すでにご結婚されている彼女の最愛の旦那様は、スティーブンさんといって、彼女のお仕事に理解のあるとても優しい方だそうです。


続いて 「What A Glorious Feeling」では、ジーン・ケリー役として主演していたSean Martin Hingston(ショーン・マーティン・ヒングストン)さんですが、彼は、「プロデューサーズ」では、「オーディション参加者」と「茶色いシャツのナチのタップダンサー」の役で出演しています。

オーストラリア出身のショーンさんは、Broadwayでキャリアを重ねているベテランで、NYでは、Michael君と、よく同じ役のオーディションで顔をあわせることがあるのだそうです。彼は、俳優としてだけではなく、作詞家としてもBroadwayで活躍しています。
彼が出演したBroadwayのミュージカルは、1992年2月19日から1996年1月7日まで上演された「Crazy For You」と2000年3月30日から2002年9月1日まで上演された「Contact」で、コーリーンさんも出演していた「Contact」では、ショーンさんは、オリジナル・メンバーでした。
また作詞家としての彼は、何と、Michael君がオリジナル・メンバーとして出演していた「Swing!」(1999年12月9日~2001年1月14日)で、追加分の作詞を担当していました。

映画の方は、「Center Stage(2000) センターステージ」、「Beyond the Sea(2004) ビヨンド the シー 夢見るように歌えば」に出演しています。

ソーガタックでは、残念ながら、ショーンさんと直接お会いするチャンスはなかったのですが、ジーン・ケリーを演じるだけあって、とてもダイナミックなダンサーでした。

コーリーンさんとショーンさんの姿を、早く映画館の大きなスクリーンで見てみたいと、「プロデューサーズ」の公開を、今からとっても楽しみにしているナズです♪ 早く4月にならないかな~~!