今、今年の写真を整理している。
今年は秋、ボランティアのため、八戸に帰省した。
まだたった2カ月前なのだが、もうかなり前のような気が、する。

(玄関口である 八戸駅)

(全国津々浦々の町おこし団体の のぼり が、駅に並んでいた)
新幹線で着いて早々、十和田に向かう。
移動手段は、車。

(十和田市には、十和田市現代美術館や、今、廃館通告で物議を醸し出している新渡戸稲造記念館がある。
写真は、現代美術館前の エルヴィン・ヴルム Erwin Wurm (Austria)による"Fat House" ," Fat Car")

(同じく、美術館前の 草間彌生による"Love Forever, Singing in Towada" や
インゲス・イデー inges idee (Germany)による"Ghost")
十和田の現代美術館には一度来てみたいと思っていたが、
なかなか行く機会がなかった。
アート広場だけでも、おもしろい。

(某地方から来た、鶏さんたち。
許可を頂き、うしろ姿を撮らせていただきました)
(続く)
今年は秋、ボランティアのため、八戸に帰省した。
まだたった2カ月前なのだが、もうかなり前のような気が、する。

(玄関口である 八戸駅)

(全国津々浦々の町おこし団体の のぼり が、駅に並んでいた)
新幹線で着いて早々、十和田に向かう。
移動手段は、車。

(十和田市には、十和田市現代美術館や、今、廃館通告で物議を醸し出している新渡戸稲造記念館がある。
写真は、現代美術館前の エルヴィン・ヴルム Erwin Wurm (Austria)による"Fat House" ," Fat Car")

(同じく、美術館前の 草間彌生による"Love Forever, Singing in Towada" や
インゲス・イデー inges idee (Germany)による"Ghost")
十和田の現代美術館には一度来てみたいと思っていたが、
なかなか行く機会がなかった。
アート広場だけでも、おもしろい。

(某地方から来た、鶏さんたち。
許可を頂き、うしろ姿を撮らせていただきました)
(続く)
(続き)
早朝5時半合流。

(十和田のとあるビルの横に、タペストリーのようなものを発見。
B-1のために、どこぞの学校の生徒たちが、缶を集めて作った…らしい。
十和田の団体・バラゼミの舌(ぜつ)校長。確かに、似ている)

(近くの中学校からのボランティア達が大勢いた。写真は、ゴミ収集の「ゴミいただき隊」)
この日は、雨が降ったり止んだり・・・そんな一日だったように記憶している。
「東北の人々は忍耐強いけど、都会と違って行列には並ばないヨ。
行列ができていると、『じゃあ、ほかのところに行こうか』ってなる」
というコトを、後日、たまたま、他の地域の人々に伝えたら、「もっと早くに知りたかった」と残念がっていた。
ちなみに、この一連の出来事が、地方紙の一面に でかでかと載っていたことには驚いたが、
「ゴールドグランプリを取った団体は、(競争から外れて)もう表彰されない」
ということを知っていたら、新聞やテレビで、八戸も十和田も賞を取れなかった、と残念がられることはなかったのではないか、と思う。

十和田の夜は、とても静かだった。
なつかしい静けさだった。

早朝5時半合流。

(十和田のとあるビルの横に、タペストリーのようなものを発見。
B-1のために、どこぞの学校の生徒たちが、缶を集めて作った…らしい。
十和田の団体・バラゼミの舌(ぜつ)校長。確かに、似ている)

(近くの中学校からのボランティア達が大勢いた。写真は、ゴミ収集の「ゴミいただき隊」)
この日は、雨が降ったり止んだり・・・そんな一日だったように記憶している。
「東北の人々は忍耐強いけど、都会と違って行列には並ばないヨ。
行列ができていると、『じゃあ、ほかのところに行こうか』ってなる」
というコトを、後日、たまたま、他の地域の人々に伝えたら、「もっと早くに知りたかった」と残念がっていた。
ちなみに、この一連の出来事が、地方紙の一面に でかでかと載っていたことには驚いたが、
「ゴールドグランプリを取った団体は、(競争から外れて)もう表彰されない」
ということを知っていたら、新聞やテレビで、八戸も十和田も賞を取れなかった、と残念がられることはなかったのではないか、と思う。

(十和田・現代美術館前)
十和田の夜は、とても静かだった。
なつかしい静けさだった。

(ライトに照らし出される、草間彌生の作品たち)
その日は、16区でルームシェアさせて頂いた日だった。
ご夫婦が夕方まで不在ということで、地図を見ながら、てくてくと歩いた。
すると、道すがら、
コーヒーをがぶ飲みしつつ執筆したバルザックの 博物館があったり、
ゲルネル橋を渡るとき、元祖・自由の女神像が見えた。
そのまま
ロダン美術館に向かう途中、
シャン・ド・マルス公園を横切るとき、
不思議なものがあった。

(2009年撮影)
冬の寒空の下、半袖短パンで走るおじちゃんが…ではなく、
各言語で「平和」と描かれた大きなモニュメントが、あった。

(日本語では、「平和」と「和平」の二つの文字が、ガラスに描かれている)
ところが、そのときの地図には何も書いておらず、
それが、『世界の平和を祈る壁 Le Mur pour la Paix』というモニュメントだと知ったのは
かなりあとになってからだった。
…仲睦まじいカップルと、元気な鳩と 物乞いとが 多かった 一日の ひとコマである。
(2009年3月撮影 Paris)
ポン・ヌフ(Pont Neuf)。
フランス語で「新しい橋」という名のこの橋は、
現存するパリの橋で、最も古い橋である。

(位置は、緑の留めピンのあるところ。セーヌ川にかかっている橋)
10区でルームシェアさせていただいた頃だが、
どんなふうにここに来たか、覚えていない。
ポン・ヌフ(Pont Neuf)。
フランス語で「新しい橋」という名のこの橋は、
現存するパリの橋で、最も古い橋である。

(位置は、緑の留めピンのあるところ。セーヌ川にかかっている橋)
10区でルームシェアさせていただいた頃だが、
どんなふうにここに来たか、覚えていない。
(Mt.Fuji from Yamanashi, 2014)
山梨側から見る富士山を「裏富士(うらふじ)」という。
昨年の今頃、南アルプス市(山梨)にようやくお邪魔したところ、
0歳児から90歳代まで、初めて会う方も、久しぶりの方も、よくお見かけする方々も含めて、
色んな方々と会ったが、皆様お元気で、励まされた。
温泉にも連れて行って頂いたり、
「山の水を汲みに行く途中、いいスポットがある」と、知る人ぞ知る(?)場所にも。

(車のむこう側に…)

(rice terraces and Mt.Fuji)
棚田と富士山。
北東北育ちとしては、富士山がででんと見れること自体が、もの珍しかったりする。

「ここ案内するの…(キャベツの)おじいさん以来かもしれない。」と、案内してくれた方はぽつりと言った。
どうやら、祖父もここで写真を撮ったらしい。
「多分、40数年ぶりかな」
(なんと

・・・40年前は、どんな光景だったんだろう・・・?


(「ほったらかしの湯」や「ダイアモンド富士」にもまだ触れていないので、
また機会があったらお邪魔したいものです)
ちなみに、友人各位。「ファーマーステイしたい/自然に触れたいetc.」という方がいたら、いつでもいいよ~~~というお返事でしたので、もし気になる方がいたら、お知らせください。お年を感じさせない方々と温泉が待っています。

ある日、三年ぶりに大阪の地を踏んだ。
大阪駅から地下街を出て、ホテルのある地上に出たところ、街中の案内放送が中国語(恐らく北京語)、韓国語だったこともあり、どこにさまよいこんだのか、と一抹の不安を覚える。
CP良い天丼屋では、こんな表記もあり、関西への、海外からの旅行者の多さを感じさせられた。

(日本語、英語、ハングル、北京語と広東語?で書かれパウチされた紙。一応許可取得済)

(お客さん用と従業員用とがある。)

(今、東京でもデパートなどでは中国語の案内人がいるが、CP良い普段使いのお店ではまだそこまでではないかと。)

(スタッフのお姉さんによると、同じエリアすべてでこれがあるわけではない。
店長が、語学に堪能な方に作ってもらった、とのこと。
ちなみに、なかなかかりっとしていて美味しい店でした)
大阪駅から地下街を出て、ホテルのある地上に出たところ、街中の案内放送が中国語(恐らく北京語)、韓国語だったこともあり、どこにさまよいこんだのか、と一抹の不安を覚える。
CP良い天丼屋では、こんな表記もあり、関西への、海外からの旅行者の多さを感じさせられた。

(日本語、英語、ハングル、北京語と広東語?で書かれパウチされた紙。一応許可取得済)

(お客さん用と従業員用とがある。)

(今、東京でもデパートなどでは中国語の案内人がいるが、CP良い普段使いのお店ではまだそこまでではないかと。)

(スタッフのお姉さんによると、同じエリアすべてでこれがあるわけではない。
店長が、語学に堪能な方に作ってもらった、とのこと。
ちなみに、なかなかかりっとしていて美味しい店でした)

(ホテルの室内にあったウェルカムフルーツ)
バンコクに着いたのは、夜の19時だった。
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 7)バンコクへ」
「訪タイ記 8) バンコク→」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 7)バンコクへ」
「訪タイ記 8) バンコク→」
「ミンガラバー(ビルマ語で、こんにちは)」から「サワッディー・カップ(カー)(タイ語で、こんにちは)」へ。
ドンムアン Don Mueang 空港から、市中に入るのには、タクシーや電車、バスがある。
航空券と一緒に予約したホテルから提示されたのは、260Bのタクシーだった。
(高い)
そう感じたキャベツは、情報収集の結果、
「空港を出て、赤バスに乗ってファラムボーン駅まで行き、
そこからサラディーン駅まで乗り継ぎし、
サラディーン駅から、予約したホテルに行こう」
と、考えた。
**************
理由は、いくつかあった。
1.アジアのタクシーは苦手
アジアに旅慣れていないキャベツは、ぼったくりタクシーに一度やられたことがあった(前回=初・東南アジアにて)。
さすがに、ホテルからの迎えならば間違えはないだろうが、・・・だが、260B(=700円)は高い。
2.最寄駅のサラディーン駅の近くの、クリスチャンゲストハウスで、タイ語―英語の聖書が売っているとの情報あり
日曜日、お邪魔する集会は、タイ語onlyの集会と聞いたキャベツ。
Mae Sotでお会いした方から、タイ語と英語の対訳の聖書が売っているところがあると、
それも今回泊まるホテルの近くであるとわかり、そこに立ち寄ろうと考えた。
3.タクシーを使うなんて、貧乏旅行には似合わない
沢木耕太郎の『深夜特急』や、ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』が好きなキャベツ。
タイ自体にはそれほど興味がなかったため、深夜特急に載った場所は全然覚えていないが、
カオサン通りくらいは、知っている。
ただ、慣れていない場所の上、タイ語もできないとなると、格安ホテルにするのも軽率な気がする。
仕方ない。
ホテルはきちんとしていそうなところを選んで、その代わり、できるだけ交通費は節約しよう。
(バンコク⇔メソット間の航空機は、時間>費用という優先順位故)
<ドンムアン Don Mueang 空港から市中へ>
ホテルのタクシー 260B
空港ビル前始発の、BTSモーチット駅までの空港バス 30B(≒100円)
空港前のウィパワディーランシット通りからの、黄バス ?B
同上からの、赤バス 6.5B ときどき、無料
(・・・赤バス、探すっきゃない)
*****************
ちなみに、今後、成田から、Air Asia経由でドンムアンを利用する旅行者もい少なからずいると思うので記すが、ドンムアン空港から、赤バス・黄バスのある通りに行く道は、本当に分かりづらい。
個人サイトで写真付きで詳細に情報が載ってあるが、入口が分かりにくい。
日本の情報誌にも、それは書かれていない。
空港の案内のおじちゃんに聞いても、「アマリエアポートホテルを予約しているのかい? そうでないなら、こっちはどうだい?」とホテルを薦められてしまうが、とりあえず、教えてもらうと、灯台もと暗しとは良く言ったものだ、道は目の前にある。
雨の中、上って、下って、待つこと20数分。
赤バスは来なかったため、29番の黄バスに乗った。
黄バスは、空調(エアコン)が付いているらしく、快適だった。日本の普通のバスのよう。
乗車して椅子に座ると、じゃらじゃら切符とお金が入った筒のようなものを片手に持ったおばちゃんが、私に何かを尋ねたが、タイ語はさっぱりわからなかった。
「誰か、英語できる人、いない?」
そんな感じのおばちゃんの声かけに、若くて美人なお姉ちゃんが、声をかけてきた。
「どこまで行くの?」
―フアラムボーン駅まで行くって、聞いたんですけど・・・ そこからサラディーンまで乗り換える予定なんですが・・・。
お姉ちゃんが、おばちゃんに尋ねた。おばちゃんは、かぶりを振った。
「このバス、最終地点まで行かないらしいの。その代わり、途中、モーチット駅を通るから、そこまででいい?」
―ありがとうございます!!

かくして、16B(=60円)をおばちゃんに支払い、先に降りるお姉ちゃんに会釈をしたキャベツだった。

モーチット Mo Chit駅からサラディーン Sara Daeng駅まで42B。
BTS サラディーン駅からホテルまで「400m位ですが、道が悪いので、タクシーを呼んだ方がいいですよ。40-50B位です」とバンコクでお世話になる方から、親切なコメント付き案内が事前にあったが、先の「理由その1・2」のため、歩くことを選択したキャベツ。
結局、そのクリスチャンゲストハウスはどうにか見つかったが、タイ語―英語の聖書は置いておらず、代わりに、タイ語―英語の聖書関連のうすっぺらい辞書を買った。

20時過ぎ、だろうか。
ホテルには、無事に着いた。
ホテルのスタッフは、流暢な聞きやすい英語だった。
「朝食は、いかがですか?」
-あまり、食べないので大丈夫です。
朝、コーヒーと果物で十分なキャベツにとって、2,000円以上の朝食は不必要だった。
ポーターに、20B。
航空券と一緒に、ビジネスホテル並みの料金で予約できたホテルは、空調もしつらえもタオルも従業員も行きとどいた、良いホテルだった。
このとき、一息ついたのと同時に、私は、奇妙な感覚を味わっていた。
国境で、あの蒸し暑さを味わい、
慢性期状態の、あの難民キャンプを見聞きし、
難民のための診療所を見、
新しい診療所のためにセメントを流しているところにお邪魔し
川辺の草むらの中にすむ人たちを見、
友人のバイクにスーツケースごと乗りこんで市中を動き、
雨の中、バスを待ち、
人々の中を歩いていた異邦人が、
今、
涼しく、快適な空調となるよう整えられた中、
清潔で、ふかふかのベッドとリネンを味わい、
横たえられるほどの広さのユニットバスで、ふんだんにお湯を用いて、体を洗い、
備え付けのコーヒーや果物があり、
身を横たえられることに、
その落差に、くらっときたのだった。
体力があったら、夜のシーロム、すなわちパッポン通りとやらを見に行ってみたかったが、
キャベツには、もはやその気力もなかった。その夜、記録もできなかった程、身体はくたびれていた。
数切れの果物を口にし、コーヒーを飲み、
久しぶりの風呂(=お湯をためる)に入り、
バタンと布団に入ったキャベツが、
そこが 実は五つ星ホテルであると知ったのは、翌日だった。
(続く)
(コールド・ス○ーンのアイス。ネットより借用)
日曜日の朝、バンコクに出張している日本人の兄弟(=クリスチャンの男性、の意)が迎えに来てくれた。
集会所の場所がわかりにくかったものの、
車で迎えにきてくれるというありがたいお申し出のおかげで、ある駅で待ち合わせとなった。
************
聖餐式が行われた。
タイ語がわからないキャベツはちんぷんかんぷん。
こちらでは、カトリックのように定型文ではなく、
いわゆる自由祈祷という形式のため、何を言っているのかわからないと難しい部分は多い。
お昼となったとき、ある方が、言ってくれた。
「そのことを知っていたら、英語で同時通訳したのに!」
************
その後、海外出張している日本人の兄弟と、その運転手 ※)の方に、さらにお世話になった。
お土産屋さんにもいくつか連れて行っていただいた。
女の子に人気だというナラヤのお店や、
伊勢丹より高級だというデパート、などなど。
※)日系の企業の場合、タイなどでは、日本人は運転禁止されているという。
(確かに、タイもホーチミンも、皆、運転が荒い)
その代わり、運転手付きの自動車が支給されているとのこと。
また、フィリピンに行った方々の場合、お家にお手伝いさんがいる、という話も聞く。
日本に住んでいると、何か贅沢のように聞こえるけれど、
東京において、エアコンが贅沢でも何でもなく必需品であるのと同じように、
東南アジアでは、それもまた“フツウ”なのかもしれない。
***********
その途中、コールド・○トーンで、アイスを食べた。日本よりは安かった。
とはいえ、二人合わせて、300B程度にはなってしまった。タイでの感覚としてはちょっと高いが、それでも日本で食べるよりは安い・・・かな

そんなわけで、
美味しく、美味しく、いただきましたm(_ _)m
(ちなみに、タイのそのお店では、アイスを作りながら、歌ったり踊ったりはしません。)
その後、夕食も、美味しくたらふく、頂戴しましたm(_ _)m
***********
スワンナプーム Suvarnabhumi 空港では、
にっこり笑顔+「サワッディー・カップ(カー)」+「全部、機内持ち込みです」で、
「行きよりもさらに重力を感じさせる荷物」は、何の問題もなく、入ることができた。

(帰国のとき、この光景を見ることができた。タイ航空のサイトより拝借)

(無事に、飛行機は飛び、)
機内では、映画を見ることもなく爆睡し、あっという間に帰国。

(羽田に到着する数分前)
いつもの日常に戻りながら、その数日間の日々を記そうとした。
が、当初の目的以上に刺激されてしまったため、まとまらなくなってしまった。
そういうわけで、ただの紀行文(ルポタージュ)として、記すこととした。
これは、遠い話ではない。
いつか思い出していただければ幸いです。
*****************
また、同時に、帰国後に思い出したあることを、記さないわけには、いかない。
・・・あのアイス二人分 300Bって、
1日分の最低賃金じゃなかったっけ…?・・・
1日分の最低賃金じゃなかったっけ…?・・・
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 7)バンコクへ」
「訪タイ記 8) バンコク→」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 7)バンコクへ」
「訪タイ記 8) バンコク→」
(THANKS)
友人であり、今回、国境で宿泊・手配・連絡・案内etc.してくれたA.YさんやSさんをはじめ、JAM、メータオ・クリニックの皆様。
難民キャンプ申請等してくださったA.Kさんや通訳アテンドをしてくれたOさんなどSVAの皆様。
バンコクに行く前から、諸々丁寧な案内をしてくださったり、最後の日におもてなししてくれたS.W兄様。
Mae Sotでお会いした、色々な分野で、前に向かっている方々。
マレーシア航空機のようにならないよう、無事を祈っていてくださった大京町の皆様や友人各位。
今回、このような機会や出会いを与えてくださった、私の主なる神に。
友人であり、今回、国境で宿泊・手配・連絡・案内etc.してくれたA.YさんやSさんをはじめ、JAM、メータオ・クリニックの皆様。
難民キャンプ申請等してくださったA.Kさんや通訳アテンドをしてくれたOさんなどSVAの皆様。
バンコクに行く前から、諸々丁寧な案内をしてくださったり、最後の日におもてなししてくれたS.W兄様。
Mae Sotでお会いした、色々な分野で、前に向かっている方々。
マレーシア航空機のようにならないよう、無事を祈っていてくださった大京町の皆様や友人各位。
今回、このような機会や出会いを与えてくださった、私の主なる神に。
<トイレ事情> 2014年

バンコクおよびメソトにて拝見した所、空港や5つ星ホテル、高級デパートなどには、トイレにトイレットペーパーがあったが、たいていのところは、確かに、トイレには紙はなく、このような“水洗”トイレでした。
写真の右にある、幅広のおまるのようなトイレの上にしゃがんで、トイレをすませたあと、その左にある水溜から、ひしゃくなどで水を取り、陰部を洗うそうです(だから、あちらでは「左手は不浄」なのだろうか、と納得)。人によっては、陰部に触れるほどにして使う場合もあるでしょう。 衛生管理上・・・
膀胱炎になりそうな・・・(実際、多いとのこと
)。
トイレットペーパーとは言わずとも、日本のトイレに慣れた方々は、ティッシュペーパー持参が必要なようです。
ちなみに、日本語の旅行誌の中には、バンコク市内に関しては「おすすめトイレ」と称して、「どこのトイレには、トイレットペーパーがある」というコメントがある雑誌もあります。
<経済事情>
詳しいことはわすれました。
格差が激しいということを、猛烈に叩き込まれたこの夏でした。
タイ国内の一日最低賃金は300バーツ(以下B。=日本円にして、1000円程度)。
難民キャンプの学校の先生や、スタッフは、1か月で500~1,000B程度。
キャンプの外の、NGOのメディックでも、それより少し多い程度。
NGOスタッフも、約10,000B~。
(↑「暮らしていけない!」と、交渉してようやく、この金額まで引き上げてもらったというお話も…)

一方、日本国内で、たとえば月収25万だとしたら、タイバーツ換算にすると、76,000 B程度に。
月収35万円ならば、106,000 Bか。
日系企業の海外赴任の場合は、+海外赴任手当もあるので、とても裕福に見えるかもしれません。
メソトでは、バーツの下のサターンと言う通貨も流通しますが、バンコクでは、サターンは流通しません(日本で言う、「銭」のようなものか?)。
バンコクでの物価は、2011年時点でこのような感じだそうです→ 「物価~バンコクで生活する上で~」
(1か月2万~2万5千Bがあれば、暮らしていける、という試算だそうです)
日本への絵はがきのための郵便切手 20B
セブンイレブンで購入した肉まん 25B
アイス 55B
国境でたっぷりいただいた夕食 150B
国境の市場で購入した石鹸1ダース 100B
セブンイレブンで購入した何かのジュース 12.75B
メソト空港でのインスタントコーヒー 20B

(メソトからドンムアンへ。Nok Airの車窓から)
ドンムアン空港⇔メソト空港(Nok Air)<片道1時間半> 往復 4,200B
メソト→バンコクへのバス <片道8時間> 片道 307~613B
(エアコンの有無、1等・2等の違い等)
ドンムアン空港からホテルまでの、ホテルのタクシー代 260B
空港バスで、バンコク市内まで 30B
空港から、エアコン無しの格安バス(通称:赤バス) 6.5B ときどき無料
空港から、エアコン有りのバス(通称:黄バス) 18B(Mo Chit駅まで)
Mo Chit駅からサラディーン駅まで 42B
ホテルでのポーターへのチップ 20B
<荷物の重さ>
「サワッディー・カップ(カー)!(こんにちは)」 + 笑顔、を忘れずに。
結局、キャベツが利用した際、タイ航空やNok Airは、荷物の大きさが指定範囲以内であれば、重量制限は、比較的やさしかったです。また、機内持ち込みの小さい方の荷物は、特に重量確認もされず。
同じ頃、ヨーロッパ方面に行った方の話を聞くと、機内持ち込みの小さい手荷物もこまかくカウントされたということなので、航空会社によるかと思われます。
とはいえ、キャベツ+キャベツの機内荷物よりも、前に並んでいる方々の一人当たりの重量のほうが多いような気がしたのも確か。
50kg台+10kg程度の荷物と、100kgありそうな方々と・・・。
人間の体重には制限がないのに、なぜ、機内持ち込み重量制限があるのか・・・不思議な感じでした(゜_゜
(続く)

バンコクおよびメソトにて拝見した所、空港や5つ星ホテル、高級デパートなどには、トイレにトイレットペーパーがあったが、たいていのところは、確かに、トイレには紙はなく、このような“水洗”トイレでした。
写真の右にある、幅広のおまるのようなトイレの上にしゃがんで、トイレをすませたあと、その左にある水溜から、ひしゃくなどで水を取り、陰部を洗うそうです(だから、あちらでは「左手は不浄」なのだろうか、と納得)。人によっては、陰部に触れるほどにして使う場合もあるでしょう。 衛生管理上・・・


トイレットペーパーとは言わずとも、日本のトイレに慣れた方々は、ティッシュペーパー持参が必要なようです。
ちなみに、日本語の旅行誌の中には、バンコク市内に関しては「おすすめトイレ」と称して、「どこのトイレには、トイレットペーパーがある」というコメントがある雑誌もあります。
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
<経済事情>
詳しいことはわすれました。
格差が激しいということを、猛烈に叩き込まれたこの夏でした。

タイ国内の一日最低賃金は300バーツ(以下B。=日本円にして、1000円程度)。
難民キャンプの学校の先生や、スタッフは、1か月で500~1,000B程度。
キャンプの外の、NGOのメディックでも、それより少し多い程度。
NGOスタッフも、約10,000B~。
(↑「暮らしていけない!」と、交渉してようやく、この金額まで引き上げてもらったというお話も…)

一方、日本国内で、たとえば月収25万だとしたら、タイバーツ換算にすると、76,000 B程度に。
月収35万円ならば、106,000 Bか。
日系企業の海外赴任の場合は、+海外赴任手当もあるので、とても裕福に見えるかもしれません。
メソトでは、バーツの下のサターンと言う通貨も流通しますが、バンコクでは、サターンは流通しません(日本で言う、「銭」のようなものか?)。
バンコクでの物価は、2011年時点でこのような感じだそうです→ 「物価~バンコクで生活する上で~」
(1か月2万~2万5千Bがあれば、暮らしていける、という試算だそうです)
日本への絵はがきのための郵便切手 20B
セブンイレブンで購入した肉まん 25B
アイス 55B
国境でたっぷりいただいた夕食 150B
国境の市場で購入した石鹸1ダース 100B
セブンイレブンで購入した何かのジュース 12.75B
メソト空港でのインスタントコーヒー 20B

(メソトからドンムアンへ。Nok Airの車窓から)
ドンムアン空港⇔メソト空港(Nok Air)<片道1時間半> 往復 4,200B
メソト→バンコクへのバス <片道8時間> 片道 307~613B
(エアコンの有無、1等・2等の違い等)
ドンムアン空港からホテルまでの、ホテルのタクシー代 260B
空港バスで、バンコク市内まで 30B
空港から、エアコン無しの格安バス(通称:赤バス) 6.5B ときどき無料
空港から、エアコン有りのバス(通称:黄バス) 18B(Mo Chit駅まで)
Mo Chit駅からサラディーン駅まで 42B
ホテルでのポーターへのチップ 20B
<荷物の重さ>
「サワッディー・カップ(カー)!(こんにちは)」 + 笑顔、を忘れずに。
結局、キャベツが利用した際、タイ航空やNok Airは、荷物の大きさが指定範囲以内であれば、重量制限は、比較的やさしかったです。また、機内持ち込みの小さい方の荷物は、特に重量確認もされず。
同じ頃、ヨーロッパ方面に行った方の話を聞くと、機内持ち込みの小さい手荷物もこまかくカウントされたということなので、航空会社によるかと思われます。
とはいえ、キャベツ+キャベツの機内荷物よりも、前に並んでいる方々の一人当たりの重量のほうが多いような気がしたのも確か。
50kg台+10kg程度の荷物と、100kgありそうな方々と・・・。
人間の体重には制限がないのに、なぜ、機内持ち込み重量制限があるのか・・・不思議な感じでした(゜_゜
(続く)