(モエイ川の某所にて。あちら側がミャンマーであり、ときに銃撃戦が聞こえたという)
タイとミャンマー(ビルマ)の間には、南から北へ流れるモエイ川(Moei River)がある。
乾季には、ところにより歩くことも可能な、この細い川が、国境だった。
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
ここにおいて、国境を超える手段は、二つある。
一つは、正規ルート「友好橋」にて、500バーツ(日本円にして1600円強)を支払い、橋を渡ること。
(向こうにある橋が、「友好橋」。橋の下の草むらには、ミャンマーからの移民が住み着いている)
もうひとつは、非正規ルートの舟で、あちらとこちらを行き来すること。
物流の出入り口であり、所せましと、日本の中古車やバイク、自転車があった。
舟で渡るには、20-40バーツ。
次々と来る様子は、まるで、日帰りの出稼ぎ労働者のような、気安さだった。
インフラが整っていないミャンマー側に工場などを作るより、タイの国境側に工場を作って、そこに日々出稼ぎに来てもらうほうが良い、と、誰かが言っていたのを思い出す。
2015年春以降には、インドシナ半島を東西につなぐルートが開通する。
(↑ click here)
今後、インドからミャンマーを通って、タイのバンコクまでの、アジアハイウェーもできるという。
その頃には、10数箇所あるという、この非正規ルートはどうなるのだろう。
人々の動きはどうなっているだろう。
(国境にて。車窓から)
日本の場合は、新幹線が通り、地方はさらに過疎化が進み、一極集中化が進んでしまったが・・・。
(続く)
『だから、聞き方に注意しなさい。
というのは、持っている人は、さらに与えられ、
持たない人は、
持っていると思っているものまでも 取り上げられるから』
(新約聖書・ルカの福音書 8章18節)
というのは、持っている人は、さらに与えられ、
持たない人は、
持っていると思っているものまでも 取り上げられるから』
(新約聖書・ルカの福音書 8章18節)