塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が感じたディアドラの実例

2021-01-30 16:26:36 | 日記
 NBAワシントン・ウイザーズに在籍するジョン・ウオール。

 彼は2010年、ケンタッキー大学から1位指名でプロ入りし、リーボックと契約します。

 アウトソールには当時、リーボックの最先端技術「ジグ」が搭載されたバッシュが提供されていましたが、現在はアディダスと契約しています。
 
 恐らくリーボックが1巡目の選手と契約した事例は、このジョン・ウオールとの契約が最後であり、現在リーボックを愛用する選手は不在なのではないでしょうか。

 逆にリーボックはかつて契約していたシャキール・オニールと再契約し、彼が愛用したバッシュ「シャック・アタック」「シャック・ノーシス」などを復刻し、活性化を図っていますね。

 フィラもグラント・ヒルと再契約し、彼が愛用したバッシュを復刻することに支障がなくなりました。

 彼の愛用品、過去にも復刻はされていますが、商標登録の関係上、グラント・ヒルの名前を用いることは出来なかったためです。

 このバッシュにおける活性化の事例が、ディアドラには幸運をもたらさなかったように思います。

 ブラジルの復刻が登場した際も、誰もがジーコが愛したスパイクとはわかりますが、ディアドラは

 「ブラジル代表の背番号10」

 としか表記できませんでした。

 また、ロベルト・バッジョと再契約し、ジョルジュ・ウエアとマルコ・ファンバステンを想起させるトレーニング・シューズを発売するも、ディアドラ側が考えたような反応はなかったようです。

 そして日本での展開が終了するわけですが、イタリア本国での状況はどうなのでしょうか。

 米国企画品のコンバースがなかなか入手できないように、イタリアからの輸入に頼るしかない今後、ディアドラ・シューズの価値は皮肉な形で高まる気がします。

 恐らくJリーグでは、カマタマーレ讃岐が着用した2013年が最後ではないでしょうか。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が思うギリシャの印象

2021-01-30 11:52:48 | 日記
 ギリシャは文化的、文明的に欧州の根幹と言えます。

 ただ、こと「サッカー」においてはアウトサイダーと言う印象が強いのは、僕だけでしょうか。

 パナシナイコスは緑
 オリンピアコスは白と赤

 チャンピオンズ・リーグでもなじみ深いこの2クラブですが、当然ビッグクラブの前ではそうやすやすと勝たせてもらうことができません。

 オットー・レーハーゲルが率いた2004年欧州選手権で優勝した際は、国中がこちらが驚くほどの祝福でした。

 「ギリシャの方はこれまでサッカーでの勝利が欲しくて仕方が無かったんだ」
 「それだけ贔屓クラブも代表も、勝てていなかったのか」

 と考えたものです。

 ギリシャ代表の中軸が海外リーグに挑むことは珍しいことではありませんが、2004年欧州選手権得点王のハリステアスがアヤックスに移籍し、思い描いた活躍が出来なかったことを思うと。

 僕も同様ですが「肝が小さい」のが特徴かもしれませんね。

 僕も本当に小心者で、自分でもあきれるほど意気地がないのですよ。

 ギリシャがソクラテスを筆頭に多くに哲学者を生みましたが、彼らの教えをイタリアのように「学びに行く側」の方が結局タフになったのは、どこか皮肉ですね。

 つまり哲学者たちは、自分たちで訪問する前に学びたいと思う自分たちが、棄権を顧みずギリシャまで来てくれたからこそ、教えを伝授できたという意味あいがある気がします。

 最近でもギリシャが通貨危機が発覚し、救済案と無視するべき案件で欧州全体が割れるなど、小国ならではの悩みがつきません。

 その国で香川真司がプレイします。

 既に手厚い歓迎を受けているようですが、このファンの熱気が彼を後押ししてほしいと願います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が思うバルセロナの内訳

2021-01-30 11:32:57 | 日記
 今夏、レオ・メッシは本当にバルセロナを出ていくのでしょうか。

 ナンバー1011号「久保建英 リーガをゆく。」の中で、バルセロナファンも残留してよかった、メッシなんでもう応援しないと真逆の声を掲載しています。(38ページ)

 僕は熱心なバルセロナ・ファンではありませんが、どうして世界最高峰のクラブがお金に困り、同時にメッシから拒絶されるようになったのか、僕なりに考えてみました。

 1・ティト・ビラノバの急逝

 ビラノバが病で急逝したのは2014年の出来事で、彼の後任はタタ・マルティーノになります。

 そのマルティーノも在籍はわずか1年のみで、2015年にはルイス・エンリケ体制が発足します。

 グアルディオラの後任人事は、レオ・メッシとの契約延長と同じくらいバルセロナにとっては重要課題であり、だからこそビラノバが選手から慕われ、前任者にひけをとらない器の持ち主であること。

 これは本当に幸いでした。

 確かビラノバや病に倒れた後、一度指揮官として復帰したと記憶していますが、最後が病床でバルセロナを見守る形になりました。

 バルセロナもいつかはビラノバとの契約を終えるわけですが、この急逝が現在まで尾を引いているように思えます。

 2・主将カルレス・プジョルの引退

 よく引退したドイツ代表のフィリップ・ラームが「民主主義的な主将」と指摘されたように、彼は目下の人間に目配りをして、萎縮させないように、君たちにも意見していいんだよ、という下地を与えていました。

 一方のプジョルは、イングランド代表のジョン・テリー同様に、腕章を巻いた私がピッチの上で責任を取る、という信念の人物だったように思います。

 良い点は良いと肩を叩き、駄目な点は容赦なく叱責する。

 レオ・メッシはこの両者とも異なるアプローチだったようですが、腕章はメッシではなく、別の誰かに託すべき案件だったように思えます。

 3・バルセロナ独特の空気

 ビルバオもそうですが、バルセロナは独特の空気を持ちます。

 つまり、首都マドリードの中央集権体制に反対し、馴染んだ選手たちはカタラン語を学ぶ、という空気です。

 ギャリー・リネカーのような外国籍でも、苦になくカタラン語を覚えた選手もいるといいますが、並の選手からすればバルセロナの空気に溶け込むことはたやすい出来事ではないのでしょう。

 また4-3-3、3-4-3というトライアングルを軸に、徹底したマイボールも同様ですが、この「一癖」ある戦術に近年獲得した名手たちが悩んできたことも事実ではないでしょうか。

 デニス・スアレス、セルジ・サンペール、ボージャン・クルキッチ、セスク・ファブレガス、カンテラから育成、もしくはアーセナルから復帰した選手でさえ、1軍定着できなかった独自性。

 バルセロナはその独自性が魅力であり、同時に弱点なのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分で足跡を作る、誰かの足跡をたどる事、それぞれの違い

2021-01-30 11:16:59 | 日記
 信越放送(東京都ではTBS)は、16時より週末以外の5日間、水戸黄門を再放送しています。

 そして昨日29日より、新シリーズの再放送が始まりましたが、水戸黄門以下、俳優陣が従来とは全くことなる顔ぶれで、毎日見ている両親は驚いていました。

 校門様を演じるは武田鉄矢ですが、彼にとっても大きな挑戦だったと思います。

 代表作「3年B組金八先生」は、俳優武田鉄矢を軸に共演者が決まり、脚本が提供されました。

 その出来事が評判となり、何度も次回作が誕生したほどです。

 しかし、水戸黄門は彼の前任者たちが築き上げた代物で、実際は黄門様は度々配役が交代しています。

 それでも

 「自分が足跡を築いてきた作品」
 「他人さまが足跡を築いてきた作品」

 では、勝手が異なるように思います。

 サッカーに限らず代表もそうですね。

 代表監督の交代はつきものですが、どの代表監督にも重宝される選手もいれば、申し子と呼ばれる、あるひとりの代表監督からは重宝されるが、以後は呼ばれなくなる選手もいます。

 前者の代表例が遠藤保仁とすれば、後者の代表例は鈴木啓太、森岡隆三でしょうか。

 遠藤はジーコ、オシム、岡田武史、アギーレと4人の代表監督の下でプレイし、代表キャップ152を保持しています。

 鈴木啓太はイビチャ・オシム、森岡はフィリップ・トルシエ時代の根幹を支えましたが、代表招集のピークはこのときでした。

 鈴木は岡田体制に変更になった序盤戦は招集対象となった記憶がありますが、ワールドカップ2010に出場とはいきませんでした。

 もしオシムの健康状態に問題が無く、彼が陣頭指揮を執り続けていたならば、と言うのはいわゆる夢物語にすぎません。

 それだけ代表監督の交代は、選手に大きな影響力を持ちます。

 フラット3の要としてワールドカップ2002に挑んだ森岡は、故障の影響もありフラット3から外れてしまいます。

 彼にとって16強進出は、本当に本当に胸中複雑だったに違いありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が思うフランク・ランパードの処遇

2021-01-29 22:42:57 | 日記
 語ったのは英国人のハワード・ウイルキンソンだったと思いますが

 「サッカーには二人の監督がいる」
 「これから監督になる人物と、これから解雇される人物の二人だ」

 という格言があります。

 しかし、この別人物を一人の人物が短期間に同時体験する事例もあります。

 それはドイツ人のトーマス・トッヘルです。

 古巣のパリ・サンジェルマンは彼を解雇し、新しくマウリシオ・ポッティチェーノを指名し、新しい旅を始めました。

 またチェルシーはクラブの英雄といっても差し支えないフランク・ランパードに「グッバイ」を伝え、このドイツ人指揮官の招聘を決断した形となります。

 プレミア・リーグでは古豪のアストン・ビラでランパード同様、キャリアのほとんどをチェルシーのために戦った、ジョン・テリーがコーチとして日々選手たちと向き合っています。

 トーマス・トッヘルでも駄目ならば、彼がスタンフォード・ブリッジに降り立つ日は近いのでしょうか。

 ランパード自身、選手時代から愛するクラブが、飽きれるほど頻繁に監督交代を続けてきたことを承知の上で、指揮官就任を受理した点は間違いないでしょう。

 それはアンドレア・ピルロも同様でしょうが、今まさにこのタイミングを逃せば、永久に後悔するだろう、ならば罵声を浴びることになっても、解雇されることを見越してでもやらなくてはならない!

 そう考えたに違いありません。

 むしろランパードにとって「不運」だったのは、チェルシーの補強禁止期間が解除され、コロナ・ウイルスで他のクラブが移籍市場でお金を使えない中で、実に有利だった点です。

 桁外れのお金を市場に費やし、これだけの選手を獲得(あるいは乱獲)したことは、本当にランパードに希望だったのか、定かではありません。

 ハキミ・ジェイフはそうだったかもしれませんが、むしろティミー・エイブラハムのような自分が良く知る選手を、我慢して使い成長を見届けたいという気持ちの方が強かったのかもしれません。

 それも過去の話となりました。

 チェルシーはフース・ヒディング、ディ・マテオのように、途中就任の指揮官が大きな功績を遺す伝統もありますから、案外トッヘルが何かを残す可能性も見逃せないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする