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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

責任者は責任を果たしていないからこそ、責任者である

2017-03-10 12:29:35 | 日記
 大学時代の皿洗いから今日に至るまで、僕はいくつかの仕事で給料を得てきました。

 そして最近、特におもうことは

 「責任者とは何なのか?」
 「責任者は果たして、責任をとっているのか?」

 ということです。

 皆さんの職場がどのような雰囲気なのか、業務にどのような形で携わっているのか、当然僕にはわかりません。

 サッカーでいえばチェルシーのような、ディエゴ・コスタとペドロ・ロドリゲスがコンテ政権になってから主軸となったように、今まで見向きもされなかった選手が監督以下団結する。

 というようなチームワークの良さを誇る部署もあるでしょう。

 一方僕の職場のように

 「これがサッカーなら、指揮官はとっくに解雇されている」
 「どうして俺がこんな動いているのに、責任者は動く気配すらないのだ?」

 と僕以外の従業員ですら不満、うっぷんをため込む部署もあると思います。

 サッカーのように度重なる監督交代で約束事が次から次へと異なることも問題ですが、選手が監督(従業員が責任者を)を冷めた目つきで眺めるようでは、責任者は責任を負っていません。

 僕が思う責任者の在り方は、多くの方が認める「鬼平犯科帳」のように

 1・責任者が一番汗をかく
 2・新人、と呼ばれるであろう従業員が行う事柄でも、責任者は無視をせず一緒に行う
 3・ミスをした人物をただ叱責するのではなく、その時の背景、理由を聞く

 というものです。

 日本は三権分立、議員内閣制、そしてどんなに凶悪事件を起こした人間にも弁護士が付き、情状酌量を求めます。

 我が部署の責任者たちは僕たちのミスをただ叱責し、その状況を顧みることすらしませんが、自分たちのミスは色々釈明して回避しようとします。

 それも責任を果たしていないのではないか?と訝しがる理由でもあります。

 魚は頭から腐る、と言いますが、僕は尾っぽの先の先の方に暮らしているので、まだマシなのかもしれません。
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