塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロシア・ワールドカップで感じた日本代表の功績

2018-07-15 00:42:22 | 日記
 自分の事のように泣き、笑い、そして叫び、時には雄たけびをあげる。

 ロシア・ワールドカップはそうした、普段人前では決して表すことの無い感情が本来人間には備わっていること、何より自国の勝利ほど甘味を感じることはない、この2点が鮮明となりました。

 僕は友人がいませんから、仮に東京在住でも渋谷に出向こうとか、東京ドームに集合しようとはまず考えません。

 それでもひとりテレビの前で、乾や原口がゴールを決めれば

 「良し!良し!良し!」

 と何が良いのかわからないほど叫びますし、セネガル戦を同点で終えれば

 「ああ、あの乾のシュートが決まっていればなあ」
 「この引き分けが尾を引くことが無いように」

 と自分に起きるかもしれない不安のように感じたものです。

 国が一丸となることは日本では不幸にも過去、多々起きてきました。

 それは太平洋戦争の時であり、高度経済成長の時代であり、近年は数多く起きる自然災害で助け合う時です。

 僕の祖母は気が強い女性でしたが、生きてて一番うれしかったことは

 「おじいさんがね、徴兵制度に合格するだけの体つきではなくて落選したんだ」
 「おじいさんが帰ってきたとき、本当に嬉しかった」

 と生前語った事があります。

 でもワールドカップにおいて皆が代表の勝利を願い、祈り、声をからすこと、これは日本に限らず世界中で見られる、凄く価値ある出来事だと思うのです。

 しかし、4年後ロシア大会のような歓喜を味わえるかどうかは、優勝国ですらわからないわけです。

 今大会のコロンビア戦の勝利が、2022年大会、2026年大会でも味わうことのない、直近の最後の勝利とならないために、皆で知恵を出し合いたいものです。
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