塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

松浦弥太郎さんのエッセイを読んで

2017-09-26 06:01:17 | 日記
 恐らく月に一度のペースだったと思います。

 日本経済新聞の最終面で、松浦弥太郎さんがJ・プレスの服とそれにまつわる思い出のエッセイを読むことができました。

 この連載は終了しており、僕は継続を希望しているのですが、エッセイ自体はひとまとめとなり、J・プレスの公式ホームページで閲覧ができます。

 僕は松浦さんの作品自体は所有していませんが、このコラムを読むと、すごく温かい気分になれるのです。

 エッセイストというものは

 1・読者に想像する力を与えること
 2・僕もこんな文章で人々に力を与えたい

 と思わせなければいけないと痛感しますし、だからこそ物書きという職業につきたいと感じる人間がいるのでしょうね。

 翻ってサッカーでも、こうした日常の中にある光景を綴る方が増えると環境が変わる気がします。

 現代のサッカーはネイマールの移籍劇にあるように、どうしてもお金と成績を切り離すことができなくなりました。

 一方で既にクライフやベッケンバウアーが嘆いているように

 1・過去、自分たちを形成したストリート・サッカーが姿を消そうとしている
 2・従って技術や駆け引きなど、考えて行動する機会そのものの減少
 
 が大きく感じられています。

 サッカーは勝負事ですから、常に歓喜と共にあるわけではありません。

 ただ、何気ない日常の中でサッカーと触れ合い、その息吹を大切にしたいと思った瞬間を文章でつづることは、凄く素敵だと思います。

 この人の作品を是非読みたい、味わいたいと思えるエッセイストと出会えることは当然嬉しいことです。

 同時に自分の感情を率直に綴ろうという気持ちも、また素敵なことですから。
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