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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モウリーニョの退団は、必然の出来事だった

2010-06-08 05:33:07 | 日記
 今から考えると、彼の退団のシナリオは1年前の夏から、入念に書かれていたものなのかもしれません。

 インテルをスクデットに導き、同時にファイナルの地サンティアゴ・ベルナベウで、思う存分自分の能力を世界に示し、自分がいかにレアルのベンチにふさわしい人物かを再確認する。
 当然スペインの地でインテリスタは歓喜に咽び、賞賛の声を自分に送り続ける。

 こう捉えるならば、ジョゼ・モウリーニョがインテルを退団し、レアル移籍の願望をさらけ出した事も不思議ではなくなります。

 それでもモウリーニョのインテルでの生活が、常に快適だったわけではありません。

 自身が思い描いていた4-3-3を具現化するためには両翼の補強が必要と訴え、ローマからマンシーニを、FCポルトからリカルド・クアレスマを獲得しますが、結果がついてきません。

 モウリーニョが懸命だったのは、4-3-3に拘泥せず布陣を4-3-1-2に変更し、選手を戦術に縛らせなかった事です。普通大枚叩いて獲得した選手を、結果が出るまで使いたいと思うのが監督でしょうが、(お金を出したフロントの顔色伺いと、自分の正当性を見せるため)モウリーニョはそうした「媚」を一切見せず、現実的な戦い方に終始しました。

 「モウリーニョはマンチーニの遺産で結果を出している」

 イタリアのメディアの多くが、はモウリーニョに懐疑の目を向けるようになったのもこの頃からです。

 4-3-1-2の布陣は前指揮官ロベルト・マンチーニの十八番であったこと
 スタンコビッチをトップ下に配置し、攻撃に行き詰まったなら、ズラタン・イブラヒモビッチのイマジネーションに全てを委ねる。

 指揮官は変わっても、戦い方や軸となる選手の顔触れが変わらない点が、識者たちには不満だったんですね。
 実際チャンピオンズ・リーグの舞台では、プレミアの雄ユナイテッドの前に歯が立ちませんでした。前年リバプールに敗退した時同様、インテルが国際舞台では成熟していないことを、改めて露呈してしまったのです。

 しかしこの2008-09シーズン、モウリーニョはスクデットを獲得し、最低限の結果は残しました。

 この最低限の結果という土台を大いに活躍し、選手間の構造改革を図ることで、彼は2009-10シーズンの3冠へ突き進んでゆくのです。
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