塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ブランドが疲弊する瞬間はいつなのか

2016-12-21 01:54:13 | 日記
 1990年代のNBAは

 1・選手の名前入りバッシュの全盛期
 2・そのためにブランドが選手を乱獲
 3・カールカナイ、ノーティカなどのファッション・ブランドも参加

 する、異常事態とも呼べる時代でした。

 アレン・アイバーソン(リーボック)、マイケル・ジョーダン(ナイキ)のような、真のビッグネームならまだしも、どう贔屓目にみても「並」の選手が、莫大な契約金とバッシュが提供される。

 今から思うと不思議な時代でしたね。

 リーボックがサッカーから遠ざかり、そしてアディダスの傘下に収まるようになったのは、この時代のツケがあるように思います。

 リーボックはサッカー・スパイクも評判であり、ロシア代表を皮切りに代表、クラブでも契約数を増やしていました。

 一方でバッシュを軸にした北米市場ではナイキの牙城を崩せず、ナイキに対抗して契約選手と契約金が膨れ上がり、自分でクビを締めてしまった印象が強いものです。

 サッカーも、人気選手と人気国は、すでに大手が独占していますが、バスケット同様に

 1・選手への報酬額が増大する
 2・ブランドがブランドに対抗するためのプロモーションの拡大と選手の乱獲

 が市場を混乱させる危惧があるのではないか。

 僕はどこか不安な気持ちになります。

 フィラやコンバースのように、契約選手のけが、不祥事で痛い思いをしたブランドがある一方、雑な製品で見放されたブランドもあります。

 不躾な言い方ですが、アドラーのように特別な販促をするわけでもないが、商品づくりに提供があるブランドの方が、むしろ強みがあると言えるようにさ感じます。
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電話という通信手段を再考する

2016-12-21 01:32:03 | 日記
 昨晩、母が知人数人と外食を楽しんできました。

 その席で母は

 「塚田さんの息子さん、電話の応対すごく丁寧で羨ましいわ」
 「うちの息子にも見習わせたいのよね」

 という声があったそうなのですが、僕個人はそんな物かなという感じです。

 確かにこの食事会の話だったのでしょう、家に連絡があったことは確かですが、特別に優れた応対をしたとは感じていません。

 これだけインターネットやファックスなど

 「人の声を介さない通信手段」

 がある現在でも、電話というものは声で相手の性格や表情を想像してしまう、怖い存在でもあります。

 10年前以上の話ですが、僕はヴァンフォーレの事務所に電話をしたことがあります。

 1・長野県から観戦に出かける
 2・シャトルの発着の場所、時間の確認

 をしたかったためですが、職員の方はすごく丁寧に説明してくださいました。

 それは当時のヴァンフォーレがお世辞にも人気クラブではなく、まさか他県からシャトルやチケットについての問い合わせがあるとは思えなかったのかもしれません。

 バカみたいな話ですが、帰り道、大学時代よく出かけたブックオフで、入手できていなかったワールド・サッカーダイジェストのバックナンバーを見つけ、長野まで重たい荷物を作ってしまったこと。

 これも懐かしい話です。

 サッカーでも業務でも、電話応対はなかなか難しいものです。

 だからこそ慎重に、朗らかにありたいものです。
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