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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

命が失われることの悲しさ

2016-03-11 17:11:17 | 社会・生活
東日本大震災と福島の原発事故から5年。
震災と津波で亡くなられた方は
いまだ行方が分からない方を含めると1万8千人を超えた。

つい数時間前まで、元気で笑ったり話したりした家族が
一瞬で奪われた、その悲しさは、時間が経てば癒される
消えてなくなるものではないと思う。
命とはそういうものなのだ。
それは唯一無二の存在で、かけがえのないものであり
一度失われたら取り戻すことはできないものなのだ。

一方で、連日のように報道される児童虐待。
自分とは無関係の罪もない人を、下劣な欲望のために
いとも簡単に殺してしまう事件。
ささいな感情の行き違いで起きた殺人事件。

今十代後半の人間であれば、震災の起きた年には中学生くらい
二十代、三十代なら、すでに大人だったはずだ。
たとえTVのニュースを通じてではあれ
震災当時は、たくさんの、家族を失った人たちの悲しみ
もはや言葉にさえできないほどの思いが連日報道された。
それが、何一つ心に届かなかった人間が
こんなにいるのかと思うと、どうしようもない気持ちになる。

感情を共有する、つまり共感することができるかどうかは
想像力が大きく関係する。
どこまで、相手の立場に立って考えることができるかどうかなのだ。

事件や事故の被害者、あるいは被害者の家族の気持ち
いじめられたり、虐げられたりしている人間の気持ち
それを想像できれば、簡単に人を殺したりなどできるはずがない。
平気でわが子や他人を傷つけたり殺したりする人たちは
一体どういう環境の中で、これまで生きてきたのだろう。
あの震災と原発事故から、私たちが学んだことは
地震や津波や原発の恐ろしさだけであってはいけないのだと思う。

震災から5年が過ぎた今でも
全国で避難生活を続けられている人たちは、17万人を超えている。
「がんばろう東北」「元気を出して」「希望を持って」
そういう前向きなメッセージが、ストレートに心に響く方もいれば
明るいスローガンだけでは癒されない悲しみや苦しみを抱える人もいる。
毎年3月11日に放送される報道特別番組で
どちらかと言えば、復興が進んでいるイメージでまとめられた内容から
こぼれ落ちている現実、名もなき声はおそらくとても多いのだと思う。
けれど、当事者ではない私たちにできることは、それほど多くはない。

しかし命がどれほどかけがえのないものか
失われてしまったら、取り返しがつかないものか
家族を、友人を亡くした悲しみが、どれほど深いものか
それを、自分の子どもたちに伝えることくらいはできるはずだ。

4年後に開催される東京オリンピックの話題を筆頭に
社会には、暗い話はやめましょう、明るく元気に前向きであれば
すべてはうまくいきますよという空気が蔓延している。
けれど、本当の意味で「命の大切さ」を語るのであれば
それが失われたことの悲しみの深さ
残された者たちの辛く切ない思いを丁寧に伝えなければ
なぜ命というものがそれほど大切なのかを
理解することはできないのではないだろうか。

一方がん治療の分野では
まさに「命の大切さ」をうたい文句に
一年間の治療費が年間一千万を超えるような新薬が開発されているらしい。
保険適用になれば、個人の負担を引いて、国庫から補填される金額は
一人分でも莫大なものになるという。

もとよりそんな多額の自己負担をまかなえるような状況でもないが
たとえそれが可能だとしても
もはや60歳を超えて、すべてにおいてポンコツな
自分の命に、みんなが納めてくれている保険料を
そんなに投入するだけの値打ちがあるのかと考えてしまう。
できることならその分を
被災地の、未来がある子どもたちのために
たとえ1万円でも2万円でも回してほしいと思う。
生涯社会の底辺とおぼしき場所で生きて
病気になるまではどうにかこうにか働き続け
家庭を持って子どもを育て
一人の人間としての最低限の役割は果たした
そんな自分の最後は、自分の身の丈にあったもので
全然構わないような気がするのだ。

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